Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 初めは社会復帰に対するアシスト。
 次は仕事たる仕事を一切していない助手。
 まあ真相は介護に限りなく近い家政夫。
 そして――咲乃の恋人。
 果たして俺は彼女の何を知ったのだろう、何を知っていたのだろう、何を知ったつもりで、何を知ったかぶっていたのだろう。
 人は変わる、大学デビューを狙って外見を奇抜にする意味合いではなく、内面が。
 より芯に響く、刻まれる経験をしていれば時に別人のようにもなったりする。
 だからこそ、それに気づき、理解してあげることは何よりも大切なことなのだ。
 そこに義務や責務は介在しない、気づかない者はたとえ縁者であっても気づかないのだから。
 けれどそれは言い訳には出来ない――いや違う、後に悔恨の念に駆られてしまったのならそれを言い訳にしてはいけない。
 咲乃と再会して1ヶ月と少し、果たして俺は1秒でも彼女を理解しようとしただろうか。
 いつまで俺は、お遊戯気分でいた?

「聡ちゃんは新都高校の期末考査の採点方式を知っているかい?」
「採点方式……ですか?」
 確か期末考査はマークシート方式のはずだから――
「……普通に回答用紙を機械に通して終わりじゃないんですか?」
「まあ、間違ってはいないが、僕の訊いているのはそういうことじゃない」
 そう言うと彼女は2本目の煙草を燻らしながら、こう続けた。
「聡ちゃん、君は期末考査の時に自分としてはよく出来たと思っていたのに、いざテストが帰ってきたらあまり点数が良くなかった、なんて経験をしたことはないかい?」
「うん……? いや、元々あまり勉強はするタチじゃないんで『良く出来たのに』というのは無いですが、まあ、いつも通りやったのに中間と比べると下がったな、ということなら思った記憶はありますけど……」
 でも、それがどうしたっていうんだ? そんなのただの、ヤマが外れた程度のものだろ。
 ただの俺のミスが、咲乃の勝利の方程式と関係性があるとは到底思えないが。
「やれやれ……、本当は最初の期末考査の時に軽く説明しているはずなのだけどね。いやしかし、担任のくどく、凝り固まった説明じゃ殆どの人間は話半分にしか聞いていないのかな? 分からないからといって一々質問する生徒もいないだろうし……、まあそれを見越しているからこそ咲乃はこの手段を使ったのだろうけど――」
 俺に、というよりは自問自答するかのようにひもと先生は話すと、本題を切り出した。
「聡ちゃんは『相対配点』って知っているかい?」
「……聞いたことある気もしますけど、無いといえば無い、って程度の認識ですかね」
「まあそんなものだろう、実際説明は出来てもその単語名自体は知らない人が殆どだろうし――相対配点っていうのはね、主にTOEICで採用されている採点方式なんだよ。普通は作成した問題に対して初めから配点を決めておくものだろ? だけどこの方式は生徒が問題を解いた後に各問題の正答率によって配点を決めているんだ。正答率が低ければ高得点に、高ければ低得点って具合にね、こうすれば勉強をしない限り幾らやっても点数は上がることはない、要するに『まぐれ』で高得点を取るのを防ぐことが可能になるって寸法さ」
「確かに……それなら偶然で咲乃に勝つことは出来ない、完全な実力勝負になりますね」
 でも、それが咲乃が勝つ絶対的な理由にはなっていないんじゃないのか。
 考えるまでもなく、逢坂も、東橋も運に任せて勉強なんてしていない、2人とも実力を、今より高得点を取れるように勉強しているに決まってるのだから。
 こんなの、過去のテストで割り出した平均点差がより明確になっただけじゃないのか?
「努力を怠る、運任せで勝負するような阿呆と闘っているならこの方式は絶大な効果を発揮するでしょうけど、これが逢坂と東橋に当てはまると本気で思っているなら少し彼女達を嘗めすぎだと思いますけど」
「まるで僕が考えたアイデアみたいに言うなよ、これに関して僕は一切助言していない、それに、本当にこれだけだと思っているならそれこそ咲乃を嘗めすぎだ」
「………………」
 そう――だろうな、幾ら何でもこれじゃ肩すかしもいいところだ。
「なら、咲乃はどうやって――」
「中央値方式だよ」
「中央値……方式……?」
 なんだ、それ、相対配点以外にもまだあったのか?
「中央値方式は主に私立大学で採用されている方式でね、簡単に言えばテストを受けた全生徒の成績を1位から最下位に順位付けした後に、その丁度真ん中の順位に位置する生徒より点数が低ければ低いほど、あるいはその近辺にいる生徒の持ち点を減点していくという方法なんだよ。――といっても実はこれ本来規定のボーダーで受験生を落とすために作られたものだから一高校が採用するのはおかしな話ではあるのだけどね」
「は……なんだよそれ、いくらなんでも無茶苦茶、いや奇想天外過ぎる」
「そう、奇想天外なんだよ。でもね、これが意外にも難関国立大学を目指す受験生には異常に受けがよくってさ――考えてもみたまえよ、少しでも気を抜けば点数がガタ落ちする危険性があるんぜ? それはいかなる物事にでも順位付けして、その上位に立ち敗者を見下し、悦に浸る高学歴厨からすれば最高の刺激だと思わないかい? それはもう否応にでも気合いが入るというものだ。毎年新都高校から多くの東大・京大合格者が輩出されるのには実はこの常識の枠を見事に外れたやり方が原因の1つだったりする」
「でも、そんなことしたら俺や逢坂みたいな成績の悪い奴らは――」
「順位は大して変わらないだろうけど笑えてくるぐらい点数が落ちるだろうね、でもさ、そんなこと知るかよ、っていうのが学校側の見解なのさ、馬鹿に手取り足取り教えてる暇があったら天才の質を上げた方がよっぽど益になるのは当然だと思わないかい? 言ってしまえば馬鹿は黙って塾にでも行って中堅私立大学目指してろって話なんだよ」
「……だとしても、相対配点はともかく中央値方式の情報を咲乃しか知りえていないというのは、いくらなんでもおかしい気がするんですが」
「誰が咲乃しか知らないなんて言ったんだい、ちゃんと知っている人間は知っているよ、といっても確か前回の中間テストの上位100位までだったと思うけど」
「なら、当然東橋は知っているはずじゃ」
「そこに手を打っていなかったら愚鈍の極みだろ、そもそも教師である私がこの勝負の内情を知っている時点で気づき給えよ、それはたとえ理事長の娘だろうと例外ではない」
「…………本気で言っているんですか?」
「テストや勝負の根幹に関わっていないのだから卑怯も糞もないだろう」
 ルールというのは決めた者勝ちなんだよ、と彼女は嘆息しながら言う。
 ……これが、咲乃の勝利の法則だったのか。
 確かに、この方法なら間違い無く、相違なく、咲乃は勝つ。そりゃもちろん逢坂だって頑張って、必死になって勉強している、でもこの方式ならちょっと学力が上がった程度じゃ殆ど点が上がる見込みはない、いや、下手すれば以前より下がる可能性だって十二分にある。
 だったら東橋なら、とも思ったが大学受験を念頭に作られている今回の期末考査は1、2年の授業内容も範囲になっていたはず、だとしたら何も事情を知らない東橋1人じゃいくらなんでも咲乃との点差をカバーするのは無理があるというものだ。
 しかもテストは明日、今更どう足掻いても間に合わない。
 対して咲乃はこれらの網に引っ掛かるどころか、燃やした上で堂々と歩いて行くだろう。
 それを――これら全ての事実を、咲乃は1対2の構図の中に隠した。
 流石、と言うべきなのか。
 だけど、本当にそこまで見据えて、理解して、咲乃は勝負を提案したっていうのか?
 いや、咲乃なら必然的に思いつくのだろう、あり得ない話でないことぐらい分かっている。
 ……なのに、俺の中の蟠りというか、凝りは抜けようという気配すら見せなかった。
 もちろん常に咲乃が自律的な意思を持って行動しているのは知っている、それは日頃の咲乃を見ていればわざわざ口にするのも無粋で、愚問な話だから。
 なら、どうしてこんなにも、胸がざわつく?
 この不気味な女が絡んでいるから? 咲乃らしくないから?
 それとも俺が、直視することに怯えてしまっているのか?
「ねえ、聡ちゃん」
 そんな俺の様子を悟ったのか、半ば放心状態だった俺に向かって彼女は静かに問いかけた。
「君は、咲乃のことをどう思っている?」
「……? 何を、突然――」
「咲乃はね、僕と出会ってからずっと、聡ちゃんと再会することを望んでいたんだよ、いやそんなもんじゃない、待ち焦がれ、待ち焦がしてしまっていたんだよ」
「それは――」
 分かっている、つもりだ。咲乃は、臆面無く、聞いているこっちが赤面するような台詞を平然と愛情表現として使う奴だから。戯言でなく俺のことを待っていたのは、ちゃんと――
「それならとっとと会えばよかったのに、って話なんだけどさ、咲乃も色々とあったからね――その姿はさながら遠距離恋愛にもどかしい思いをしている乙女のようだったよ」
「咲乃は……あいつは俺と再会するまでの間に、一体何があったんですか?」
 そう言い切ってから、まさかこの言葉を言わせる為に上手く誘導されていたんじゃないかと一瞬危惧したが、ひもと先生は俺の発言に対し只でさえ細い目を一層細め、微塵も可愛さを滲ませない笑顔を見せるときっぱりとこう言った。
「それは言えない」
「え、ど、どうして?」
「咲乃との約束だからだよ、そりゃ僕みたいな不吉しか漂わない人間と、年単位で付き合いあったのだと思うと不安になる気持ちは分かるけどね」
「――別に、そんな風には思っていませんけど」
 だから何で分かるんだよ、読心術でも会得しているのかこの人。
「はははっ、謙遜しなくてもいいよ、基本男子からはもれなく好かれている僕だが、一部の女子からは存外気味悪がられていてね、いやはや、流石に顔だけでは八方美人、八面六臂な効果は発揮しないみたいだよ。ま、だからといって気に病んだことはないけれど」
 そう言って3本目の煙草を灰皿に押しつけると、こう続けた。
「でもね、焦慮する必要はない、いずれ分かることだ。それは私の口からでなくとも、咲乃の口からでなくとも、きっと知ることになるだろう、それがどんな形であろうと聡ちゃんは必ず直面する。だからこそ聞きたいんだ――君は、北海堂聡一は神名川咲乃のことをどう思っているのかを――」
「俺は……」
 どう、なんだろう。
 そもそも俺は咲乃のことを理解しようとしていたのだろうか、いつも俺のことを正面から見て、見据えてものを言うあいつの気持ちを、芯から受け止めていただろうか。
 恐らく受け止めなどいなかった。いや、それどころか受け流していたんじゃないのか?
 あいつと付き合っているのも何処か飯事気分で、社会復帰慈善活動にしたって、未だに『ごっこ』気分が抜けないままでいるんじゃないのか?
 ……否定は出来ない、肯定出来るなら今頃美辞麗句を並べ立てて答えているはずだから。
 だから、そんな曖昧な接し方だったから、咲乃は何も話してくれないんじゃないのか?
 ならこうなって当たり前だ。ふわふわしてる奴に誰も身なんて預けたくなんてない。
 そういうことなら、咲乃が本当に俺に望んでいるのは、『今』の俺ではないのだろう。
 確実に、今あいつの隣にいていいのは俺じゃない、いる価値さえない。
 ――なのに、どうして咲乃はずっと傍にいてくれているんだ?
 こんな、正義感を思春期の入り口に置いてきた俺に、一体何を望む?
 たった1つの因果で、心が揺らいでいるような、こんな奴に――
 分からない、分からない、分からない、分からない。

 ――でも、俺の所為であいつの笑顔が消えてしまうなら、それは嫌だな。
 女の笑顔でご飯が三杯いける俺としては、あまりに耐え難い話だ。
 なら、それならまだ、大丈夫なのかもしれない。

「――もちろん好き、ですよ、それはもう、今後付き合うであろう最初で最後の女性だと確信しているほどですから。ただ、それだけの価値が俺にあるのかといえば、それは分かりません、いや、多分無いと思います。でも、いずれ変えていくにしても、価値はなくとも意味はあるなら、咲乃がどんな事情を抱えていようと好きでい続けます――それであいつが笑ってくれるなら、安いもんです」
 そう言い終えた途端、自分の尋常じゃないキモさに雲散霧消したくなったが、その俺の言葉にひもと先生は「ふうん」と呟き、何故か一瞬だけ視線を逸らし、戻すと、こう言った。
「ふふふ、そうか。なに、それならいいんだ。無粋な真似をさせて悪かったね、実は僕も僕で色々と心配していたからさ、でもこの様子なら何の問題もなさそうかな」
 すると彼女は確実に今思い出したかのような体で湿布と包帯を取り出すと、手際よく俺の両足を治療し、松葉杖を渡してきた。
 そういえば足怪我してここに来てたんだっけ。そんなこともすっかり忘れていた。
「さて、いつまでも長々と会話をしていては男子生徒諸君にあらぬ勘違いをされそうだからここいらでお開きとしようか。ふふ、こう見えても僕は結構貞操は固い方でね、薄い本にありがちな初々しい生徒の童貞喰うことを生き甲斐にしているような糞ビッチ保健教師キャラとは訳が違うんだよ、ちゃんと常時カーボン製の貞操帯を付けているしね、見るかい?」
「え、締めで突然何を言っているんですかアナタは」
 咲乃の驚異の変態っぷりも、どうやらコイツが元凶で間違いなさそうだな。

 今は多分、これでいいのだろう。
 今更決意した分際で偉そうなことをいうつもりはない。
 けれど、もう横を向たり、斜めを向きながら話したりなんてしない。
 咲乃がどんな怪しげな女と付き合いがあろうと、過去にどんな事情があろうと、関係ない。
 それらの行為が最終的に共依存だと揶揄されようと、一向に構わない。
 いつか違うこと無く向き合える日が来るまで、俺は咲乃の為に居続けよう。
 それは助手としても、恋人としても――だ。

       

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