Neetel Inside ニートノベル
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アクティブニートと助手
4:Steins;Neet

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 天才と秀才の違いとは何なのだろうか。
 一例として、辞書を引いてみればこう書いてある。
 天才とは『生まれつき備わっている、極めてすぐれた才能。また、その持ち主』
 秀才とは『非常にすぐれた学問的才能。また、その持ち主』
 一見すれば同じ意味合いだろう、しかし、そこには微妙なニュアンスの違いがある。
 微妙で、けれど決定的で、ある意味で致命的な、溝が、深淵とも言える違いが。
 要するに『天才』というのは他者が、場合によっては自分自身でも理解の範疇に及ばぬ所で回答を導き出す者であるのに対して、『秀才』というのは必ず理知的に、論理的に裏打ちされた、導き出された上で成り立つ、高い能力を持った者のことを指すのだ。
 要するに、と言った割にややこしかったので、より至極簡単に言えば、生まれながらに潜在能力が飛び抜けている、本人でさえもその卓越されたセンスに自覚が無い者が『天才』と呼ばれ、努力に努力を上塗りし続け、他者のセンスを吸収し、使いこなし、駆使し、その当然の帰結として優れた能力を手にした者が『秀才』と呼ばれるのである。
 ならば、僕は天才と呼ばれるべき存在なのだろうか。一般より偏差値の高い高等学校で、殆ど定期テストや模試において首位を維持し続けてきた僕であるならば、自信を持って自分を天才であると自負してしまってもいいのだろうか。
 言うまでもない、それは違う。僕は所詮与えられたものの中で、要求された事物の中ででしか常に最上級の結果を生み出すことしか出来ない生き物なのだ。故に、手探りで、それこそ殆ど無の状態から何かを作り出すなど、もっての外である。
 それ故、僕はアルベルト・アインシュタインみたく特殊相対性理論を発見することなど出来なければ、必然リチャード・トレヴィシックのように蒸気機関を発明することも、ましてや、そんな発想に至ることも、きっとないだろう。
 なら寧ろ、僕は秀才という言葉の方が相応しいのだろうか。
 否、それもまた、違う。こんな曖昧な言い回しでは、酷く鬱陶しく感じるかもしれないが、僕という存在は理知的にも、論理的にも裏打ち出来ないのだ。努力などという言葉とは無縁、というよりは絶縁したという方がしっくりくるかもしれない。所詮僕は、一つの希望に縋るために、全てを終わることをよしとした、死に損ないの異端児に過ぎない。
 だから、根本的な問題として、そんな素晴らしく、美しい、汚染された形跡が全く無い新品同様の言葉達に僕を当てはめてなどいけないのだ。そういうのは人間の枠に収まっている者に使われるべきであって、下劣と、卑怯と、醜悪を押して、固めて、叩いて、削って綺麗に見せかけているだけの擬い物に使ってしまっては、天才や秀才に、あまりに失礼だ。
 流石に生まれてこなければよかったとまでは思っていない、そこまで自分を卑下する必要はどこにもない、けれど、ここ数年を生きてきた僕の存在意義は間違い無く否定されるべきで、非難囂々とされても一切の文句は言えないだろう。
 そんなことを聡ちゃんに言ったら一体どんな反応をするのかな、今時のかっくいー主人公の如く『俺がずっと傍にいてやるけん!』とかイケ顔で言ってくれるのだろうか。そうなら嬉しいけどね、やっぱり女の子はそういう献身的な王子様に憧れちゃうから。
 だからといって、僕は、自分の主張を曲げるつもりは毛頭ないのだけど。
 だって、必然から逃れて生き長らえる屑なんて、どう考えても駄目でしょう?
 もしかしたら、『だからあなたは慈善活動という名の罪滅ぼしでもしているのですか?』とか思われてしまうかもしれないが、それも違う、甚だ違う。
 僕の信念なんてね、本当にたいしたものじゃないんだ。行動力? 意志の強さ? 無茶? 向こう見ず? なにそれ、おいしいの? ってレベル、物事は常に客観的に見るべきだとかよく言うけれど、本当にそうなのかな? 私情さえ隠せばいくらでも自己は美化出来るのにさ。
 言ってしまえば、僕はただ単純に負け戦をしていないだけなんだよ、まあ大抵の戦なんて、僕にとっては殆ど勝ち戦と同義なのだけれど、言うなれば電車に乗っているだけ目的地に着いてしまうような、一々考えたりもしない常識的な感覚。
 逢坂結の件の時だってそう、予め全て分かっているなら、それに対抗しうる対策を配置しておけばいいだけの話、そんなの、凡人でも出来るじゃないか。
 つまり僕が今現在進行形で開業している神名川人生相談事務所も、所詮見かけ倒しの張りぼてに過ぎない。実体は私利私欲、自己満足の限りを尽くした、愛欲に塗れるお城だよ。
 僕はチャーリイ・ゴードンのように本当の意味で純粋で、どこまでも優しい者にはなれなかった――いや、違う、なれなかったんじゃない、なろうとさえしなかったのだ。どこまでも賤しくあり続けることを望んだ、心底欲した――それに、よくよく考えれば彼と僕ではあまりに境遇が違う、同列に扱ってしまっては、不朽の名作に傷を付けてしまう。
 無駄に前置きが長くなってしまったけれど、結局僕が言いたいのは、『北海堂聡一の彼女は哀れなクソビッチ』ってこと、いや、僕処女だけどね、因みに形は半月状。

 ――そうやって、私は内心で延々、永遠と自分を蔑み続ける。
 根底では、一切後悔をしていない癖に。
 だから、その醜さが生んだ結果を、これから話そうと思う。
 僕を含めた有象無象共が織り成す、茶番劇を。
 それでは、はじまり、はじまり。

       

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