Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

 身の丈に合わない行動というのはいつだって苦しいものだ。
 けれど人は、それでも決して止めようとはしない、どうしてなのか。
 簡単なことだ。それは自分がこの程度ではないと常に思っているから、もっと素晴らしい、凡人と隔絶された潜在的才能が己の中にはあると信じて止まないから、平凡であることを必死に、躍起に否定したがるのである。
 どこまでも自意識過剰で自信家、大いに結構なことだと思う。
 しかし、だからといって努力すれば誰でも報われるのかと言えば全くそんなことはない。簡単なことだが、天才が努力を上積みしたら努力した凡人はそれを超えられるのだろうか?
 無理だ。絶対的な差を努力で埋めようとしているのにも関わらず、その分相手に努力をされてしまってはどう足掻いたって同じ視界を覗くことなど出来ない、徒労もいいところである。
 よくアスリートなどで『あの人は努力でのし上がった人』などと言う話をちらほら聞くことがあるが、それは大きな勘違いである。彼らは何かしら凡人とは違う、絶望的な才を必ず有しているのだ。だが、その才を除いて、彼らはそれ以外の数値を努力によって一定値まで底上げしている為に、本人は持ち合わせた才が最も重要であったことに自覚すら持たない。
 所詮そういうものだ。あらゆる世界で、高位置で生き残るには必須の所有物なのだから。
 残酷な現実だろう。けれど、表舞台で活躍する者は総じて天才しかいないんだよ。
 故に天才というのは一部の例外を除いて、自分が凡人と比べて天文学的数値を持っていることに自覚がない、だからそれをひけらかすこともしない。ただひたすらに、自己満足、自己完結の為に、探求心、好奇心に身を任せ、終着点を追い求め続ける。果ては他者が用意した名誉などには根本的に無関心な者さえ、いや、そもそも興味がないというべきか。
 逆に凡人はそこら辺を意固地になってアピールしたがる、背伸びして手に入れた些細な成果を印籠のように見せびらかすのだ。どうして? そうやって人と差異を作り続けないと自我を保つことが出来ないからだよ。
 別に秀才を揶揄している訳ではない、秀才は秀才で、僕は努力の天才と評していいと思っている。ただ、天才が雲の上の存在であるならば、秀才は凡人山の山頂が限界であろう。
 そのような事実を突きつけたところで、だからどうした、という話ではある。何故なら、その程度で背伸びを止める奴などいる筈ないのだから。
 むしろ余計に必死になって頑張ろうとするのではないだろうか。
 まあ、そんな奴は一人もいないと言えば嘘になる。しかし、もし歩みを止めて、能書きだけを垂れ流す輩に成り下がってしまえば、そいつは最早人として生きる価値がないだろう。
 ――うむ、少し自分語りが過ぎてしまったかな、そろそろ本編に戻るとしようか。
 …………え? 僕かい? 僕は天才以外の何者でもないよ。
 いや、それは違うか。

       ※

「え、えっと……確か世紀末テストが始まる一週間前ぐらいだったと思います……」
 籠嶋冬子はアイスカフェラテ(逢坂作、味薄い)を一口飲むと、静かに語り始めた。
「そ、その……突然なっちゃんが『テストで満点を取る方法って知ってる?』って――私に変なことを言ってきたんです……」
「なっちゃん?」
「あっ……! す、すみません…………、その、あの……なっちゃんは、私の友達で……、本名は……蒼森夏美って言うんですけど……」
 ――分かりきっている癖に一々聞き直すのは何とも滑稽で、酷く惨憺なものだ。
「友人だね――分かった。続けてくれ給え」
「は、はい……。そ、それで……、最初は、ま、まったく意味が分からなかったんですけど。で、でも、よくよく考えてみたらそんな裏技みたいな話、あ、ある訳がないですし……だから、そんなの……あるはずないよって……そう言ったんです……」
「まあ、普通はそうなるよな。でも、そのなっちゃんって奴は何て言ったんだ?」
「え、あ……そ、そうしたらなっちゃ――な、夏美は『それはね、最初から出題内容を知っていればいいのよ』って、そう言って――」
「…………はい? い、いやいやいや! 何だよそれ、そんなの出来たら今頃誰も苦労してねーだろうが。その気になったら私でも上位に入れるような神業じゃないか」
 その気にならないと入れないのは結構問題だけどね。
「しかし現実問題、彼女――蒼森夏美は世紀末テストにおいて全科目満点取っている」
「え……? それって一体どういう――」
「か、神名川さんは…………知っていたんですか……?」
「知っていたことは確かだけれど、今ので得心した、と言った方が正しいかな。僕は今まで行われてきた定期テストで二位になったことは一度しかなかったからね。しかもその一度はテスト中に下痢が限界に来て残り時間を全部棒に振ってしまったから――けれど、今回はそんな無様な真似は一切していない、つまり完全に実力で負けてしまっているんだ、あり得ない事にね。ならば、一ヶ月前の夕食の献立でさえ覚えているこの僕が覚えていないなど、不可能な話だろう」
「女の子が平然と下痢とか言うな」
 まあ、厳密に言えば実力で負けた、訳ではないのだけれど。
 わざと満点にしない方が都合がいいだけであって。
「でも、言われてみれば確かに…………、あ、そういえばさきのんの首位陥落はクラスでもかなりの話題になっていたっけ、すっかり忘れてたぜ」
 そしてその日の校内新聞には『堕天』の文字が躍ったらしい、しかも号外で。
 ある意味恥辱プレイみたいで感じてしまうから是非止めて欲しいものだ。
「だ、だから……私……最初はカンニングしたんじゃないかと思ったんです……でも――」
「でも、いくらなんでも満点は取るのにカンニングだけでは無理がある、と」
「はい…………」
「新高のテストって尋常じゃないぐらい難しいからなあ、ましてや世紀末なんて常人がこなせる量、レベルじゃねえよ、私だって(事情があって)無茶苦茶頑張ったのに全然点伸びなかったし……。全く、スポーツ推薦で入った身としてはたまったもんじゃないよ」
「うん? 結はスポーツ推薦で新都高校に入学していたのかい?」
「なんだよ、知らなかったのか? さきのん」
「いや、てっきり理事長の権力で裏口入学していたのかと」
「さきのんの中での私の扱い半端なくね?」
 閑話休題。
「籠嶋さん、期末課題の後に彼女にそのことを訊いてみたりはしたのかい?」
「い、いえ…………。き、訊こうとは思ったんですけど、も、もし本当に違法も反則もしてなかったらと思うと、ど、どうしても言い出せなくて――だ、だからって、このまま放ってもいられないし……そんなこと考えてたら……頭がこ、こんがらがって――どうすればいいか分からなくなっちゃったんです……。そ、そしたら神名川さんの噂を小耳に挟んで、そ、それで、か、神名川さんの助手だって聞いていた結ちゃんに、相談したんです…………」
 籠嶋は膝に置いたヘッドフォンを弄りながら、消え入るような声でそう言った。
「ふむ……、つまり籠嶋さんは友人としてカンニングをしたかもしれない蒼森夏美を咎めてあげたいと、そう思っているんだね。けれど確証がないから事実を調べて欲しい、と」
「そ、そんな感じ……です…………」
「そんなの、私が行って白状させちまえば一発じゃないのか?」
「結は相変わらず目的を完遂するにあたってやることが荒療治だね。そんな下種な方法で事物が円満に解決出来るなら誰も苦労なんてしないよ、ここは警察の取調室でも秘密機関の拷問部屋でもないんだ」
「あ、いや、まあ……そうした方が手っ取り早いかなーって、思ったので……」
「少しは冷静に考え給え、仮に蒼森夏美が本当に不正以外の手段で出題箇所が分かっていたとする。にも関わらず『カンニングしただろ』と一方的に自白を促すような真似をしたら、一体どうなると思う?」
「う、うーん……? え、えっと、だ、駄目……ですよね……」
「そんな浅慮の極みとも言える手段で一体どれだけの冤罪が発生したことか、そういう行為は確定的な証拠を突きつけて、それでもしらばっくれる輩に対して初めて使うべきなんだよ」
「うにゅう……で、でも、だったら一体どうやって満点を取ったっていうんだよ?」
「まだ相談を受けたばかりなのだから、はっきりとは分からない――ただ候補ならいくらでもあるだろう、単純に学校に侵入して問題用紙を盗む手も然り、他にももし蒼森夏美がパソコンが得意な少女ならば、クラックで入手していたって何ら不思議ではない」
「ううん……けど、クラッカーとかいうのはともかくウチの警備は意外と厳重だぜ? ミンポじゃあるまいし、一端の女子高生が職員室に侵入出来るとは思えないけどな」
「クラッカーはあながち間違っていないから無視するとして、なんだいそのインポって」
「インポじゃねえよ、ミンポだって。ミッション:インポッシブルの略」
「絶対誰も使ってないよね、それ」
 ここまでくると最早天然ボケですらないからタチが悪い。
 軽く咳払いをしてから、話を戻す。
「なんなら、もっと簡単の方法だってある、学校に内通者を作る、とかね」
「? そんなのもっと無理だろ、理事長が親父の私でも絶対出来ないのに――」
「ある意味で王道の、男では到底出来ない裏技が女にはあるじゃないか」
「裏技…………? え? い、いや、待てよ、それって――」
「そ、そんなことなっちゃんがするわけない!!」
 鈍器で頭蓋を砕かれたが如き怒声に、僕と逢坂は思わず声の主の方を振り向く。
「あ……………………、す、すみません……! えっと……、あの、その…………」
「ユッキー……お前――」
「いや、推察とはいえあまりに無神経だったね、申し訳ない」
「あ、あの……わたしからお願いしておきながら……こんなこというのはおかしいってことぐらい分かってます…………、で、でも夏美に限ってそんなこと…………」
「分かっているよ。それに、第一これら手段をやる、やらないにしても、彼女の行動そのものにあまりに不可解な点が多すぎる」
「不可解な点? 何だよそれ」
「どうして高校三年の今頃になってこんな行為に及んだのか、だよ」
「どうしてって……。あ、推薦が欲しかった、とか?」
「多少の誤差はあるが、推薦というのは一年生から三年生一学期の中間考査ぐらいまでの成績と生活態度で決まるのが相場だと言われている、仮に彼女が推薦狙いだとしたら時期としてはあまりに手遅れなんだよ――籠嶋さん、蒼森夏美は今までの定期考査全てを合わせた平均順位はどれくらいだったか分かるかな? 大体でいいんだ」
「え、えっと……、だいたいいつも百位似内には入っていたと思います……、で、でも……、上位四十七名が張り出される成績優秀者には入っていたことはないかと…………」
「ここ最近の定期考査で大幅に順位が上がっていたことは?」
「た、多分……無かったと思います…………」
 平凡だった生徒が突然の学年首位、手法は不明、私欲目的ではないのか、それとも――
「なあさきのん、ユッキーの言うことが本当なら、蒼森って奴は先生達の出題パターンでも見抜けるような必殺技を突然編み出した以外に説明がつかないぞ……?」
「……………………」
 いや。
 本当はまだ、もう一つ可能性がある。
 それこそ結が言う通り、必殺技にも似た荒技が。
 けれど、それを提起する必要は、今はない。
 だが、それが事実であれば、きっと辻褄は華麗に合わさるだろう。
 何故なら真理を妨げる矛盾など最早意味を成さなくなるから。
 そして、同時にそれはどう足掻いても、僕の手に負えなくなる。
 違う、足掻いていい正当性が無いといった方が正しいのかもしれない――
 故に、現時点で僕が出来ることは、驚異の難易度を誇る世紀末テストを全科目満点で終わらせた、蒼森夏美の真相に迫る以外に存在し得ない。
 たとえ胸騒ぎが僕の身体を突き破ろうが、僕に出来ることは、それしか、ない。
 そうしなければ――そうし続けなければ――僕は――
「――いずれにしても、まずは情報収集から入るしかない。ここ数日の蒼森さんの行動、近辺で何か起こっていなかったか、洗いざらい調べるんだ。結、君は確か人脈は広かったね?」
「ううん? いやまあ、滅茶苦茶広いって訳じゃないけど、全校生徒の半分ぐらいは知り合いがいたと思うぜ、友達百人は優に越えてるんじゃないかな」
「いいリア充具合だ。そしたら結は主に蒼森さんを知っている人間の友人から情報を入手していってくれ。そうだな、可能なら君に惚れている人間がいればありがたいのだが」
「うんん……? なんだそれ。何でそんな回りくどいことをしなきゃいけないんだ?」
「僕達の行動が本人に悟られないようにする為だよ、直接的な関係だとどうしても本人告げ口される可能性が拭いきれないからね。だが間接的な関係性であれば客観的に蒼森さんの素性を知ることが出来る上、告げ口される心配も極端に下がる。それが君に惚れている人間であろうものなら、尚更ね。君の一声でいとも簡単に秘密を守ってくれる訳さ」
「いやいやいや! 待てって! 私に惚れている奴なんていないし、だ、第一、仮にいたとしても……そ、そんな、た、沢山いる訳ないだろう……、な、何をいきなり――」
 頬に手を当て、照れまくる結。ほう、可愛いではないか。
「百合ってことだよ、言わせないでくれ恥ずかしい」
 だが一瞬にして奈落に落とす。
「男じゃなくて女!? えっ、いや、おっ、男の子では……?」
「えっ、スポーツ女子って今時流行りませんし……」
「理由が雑っ! ていうか今更百合が恥ずかしいって何だよ! 散々それを遙か上をぶち抜く下ネタ言い続けて、言い倒してたじゃねえか!」
「いやいや、何それ、下ネタとかマジないわ、引くわー」
「依頼人の前だけで仮面被っても手遅れですから」
 因みに女子人気が高いというのは事実。というより陸上で大活躍し、その上妙に男らしい面を持ち合わせている癖に、女にモテないという方がおかしな話なのだが。
 更に突っ込むとバレンタインデーでは全校女子生徒の約六割から本命チョコを貰っていたらしい、本人はどこまでも阿呆だから友チョコと勘違いしていたらしいが。
 軌道修正。
「夕季にはそうだな……、ミクシィやツイッターを使って調べて貰うとしようか、出来ることなら裏サイトも調べて欲しいところだが……」
「んん? 東橋はもう管理人を止めたんだろ? 裏サイトなんてもうない筈じゃ」
「詳しく説明すると面倒だから省くけれど、あそこは学年毎に管理者が違うんだよ。つまり三年生の裏サイトを管理していたのが夕季であっただけ過ぎない。そして、彼女は辞めたのは事実だが、管理の権利を別の人間に委譲している、私情で閉鎖という訳にもいかないからね。ま、たとえ閉鎖させた所で誰かが復活させているのが関の山だけれど」
「ふうん。あんな妬み僻みの吹き溜まりの癖に、そんな需要があるんだな」
「結には分からないだろうが、君みたいに不満を直接行動に移せる人間などそういないものなんだよ。大体不満や嫌悪を吐露することは他者との調和を乱す可能性がある、日本人は特にそれを恐れる生き物だからね、日本に鬱患者が多い原因はそこだよ。けれど、だからといっていつまでも不満を抑えずにはいられない、そうなると結局人は匿名の庭に集まってしまう。決していいことだとは言えないけれど、仕方のない部分もある、悲しい話ではあるけどね」
「そういうもんなのかね……、私にはちょっと分からないよ」
 夕季ならばきっとあっさり調べ上げてくるだろうが――だからこそ気が進まない。
「さて――、残るは聡ちゃんだけれども、聡ちゃんの非リア充っぷりは異常だからね……、そこら辺は聡ちゃんを呼び戻してからにして――結、ちょっと聡ちゃんを迎えに行ってくれないか? もしかしたら仕事が滞っている可能性もあるが、その時は手伝ってやってくれ」
「えっ? わ、私がっすか?」
「いや、嫌なら別に――」
「ボケェェェ! 誰がいつ何時何分何秒地球が何回廻った時そんなこと言ったァ! 今すぐ早急迅に速に行くに決まってんだろうが! 何なら裸足で灼熱アスファルト駆け抜けてやってもいいよ!!」
 そう言い終わらぬ内に結は僕から居場所も訊かずに飛び出していった。窓から。
 ――まあ、携帯は持っているはずだから何とかなるだろう、多分。
「そういうことで籠嶋さん、慌ただしくなってしまったけれどこの辺りでお開きとしようか。大丈夫、君の依頼は必ず解決させてもらうよ、無論その後のアフターケアも、だ」
「は、はい…………ありがとう……ございます……」
「確かに、結の言う通り本当に奇跡の裏技を見つけていたのなら、それに越したことはないのだけれどね……むしろ教えを乞いに行きたいぐらいだ」
「そう…………ですね……………………」
「? どうかしたのかい?」
「…………いや、あ、あの…………!」
 その瞬間だった。
 格好良く言うならば刹那。
「さ、さきのん!!」
 乱暴に開かれた窓から、裸足の少女が飛び込み、床を汚す。
「……結? なんだい血相変えて――」
「そ、聡一が――」
 言葉はまだ、紡がれていないというのに。
 彼方から、ゆっくり血の引く音が聞こえた気がした。

       

表紙
Tweet

Neetsha