Neetel Inside ニートノベル
表紙

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「やあ、先程は世話になったね」
「教室に戻ったら窓から聡一が走って行くのが見えて」というこれ程口実にしか聞こえない台詞も無いだろうと言える台詞を吐いた逢坂に対し、突っ込みたい衝動と妙な寒気に襲われた俺だったが、その両方を抑え込みリビングに招くと、開口一番咲乃がそう言った。
「……何の事? というかあんた誰よ? 顔も合わした事のない人と世話のなりようがないんだけど」
「威勢のいい子だね、嫌いじゃないよ、安直そうな脳をしてそうで実に僕好みだ」
 まるで出会って数秒で喧嘩を始める不良ように、咲乃と逢坂は対面して早々異様なまでに険悪なムードを展開させていた。
 え、何、どう考えても修羅場ですよね、これ。
 思わず仲介役を買って出ようかとも考えたが――咲乃が大丈夫と言った以上変に手出しをしては足枷どころか羽交い締めにしてしまいそうで俺は踏み止まる。
 ここは乱闘が起こらないようにだけ注視しながら暫く静観するしかないか――
「ねえ、聡一、この女あんたの一体何なの? 妹?」
 ――そう思った矢先にテンプレート通りの台詞を俺に吹きかけるかおんどれ。
「えー……っとですね、この女の子はですね……」
「幼馴染だよ、逢坂結さん。申し遅れたね、僕の名前は神名川咲乃だ。しがない相談事務所をやらせて貰っている、どうぞよろしく」
 咲乃ナイスフォロー。確かに言っている事は間違ってない。
「幼馴染……ねえ、ふーん」
 しかしそれでも逢坂は不機嫌そうな、不満に塗れた目つきで俺を睨んでいた。
 その姿、態度に、妙な違和感を覚える。それは恐らくこんな雰囲気を纏った逢坂を一度たりとも見た事がなかったから、というのが一番有力かもしれない。
 もしかしたらいつも馬鹿みたいに、いや完璧に阿呆面でテンション全開の逢坂しか見た事がなかったから――そのギャップで極端に機嫌が悪いように見える錯覚を起こしていたのかもしれないが……例えそうだとしても、異物感が抜ける気配は全くなかった。
「じゃあ役者も揃ったことだし、手早く話を進めていこうか」
 咲乃はそう言うと何故かエスプレッソマシンでコーヒーを注ぎだし、ドリルで地面を掘るような音を一頻り出した後、咲乃はコーヒーカップを手に取って座り直した。
「さて、話を進めて行く上で逢坂さん、まず君にある罪を認めて貰わなければならない」
「……さっきから随分と横暴じゃない? 私は聡一が女と駆け落ちしてる姿が見えたから先生の許可を貰って捕まえに来たんだけなんだよ? さっきからずけずけとなんなの? 大体何の罪を認めろと? 冤罪か? 説明も無しに認めるも糞もないでしょ」
「説明をする必要は無いよ、それは君が一番理解している筈だろう? あっさりと認めてくれれば面倒事にならずに済むのだけれど……嫌なら外堀から埋めていくだけだ」
「だから――」
「君が僕を殺そうとした、未遂の罪を認めてほしい」
「…………」
 ……今更言うまでもないのだが逢坂がこの件の犯人、という訳か、俺に言われのない罪を着せて陥れ、そして咲乃の首を絞めて殺害しようとした……張本人。
 さっきであれだけ抑え様のない憂悶に襲われたのだから、いざ咲乃が名指し犯人を口にした時にはきっと壮絶な哀しみや怒りが沸き起こって、下手すれば精神崩壊してしまうんじゃないかと思っていたが――不思議と気持ちは落ち着いていた――否、もしかしたら気持ちが追い付いていなかったのかもしれない、それだけ、普段の逢坂に見慣れていたのか――コイツそんな真似出来る筈が無いって思い込み過ぎていたのかもしれない、だから自分でもぞっとする程実感が無かった、沸かなかった。
「もし『証拠が無いから私は犯人じゃない』とでも思っているならそんな馬鹿げた思考は今すぐにでもシャットダウンした方がいい、それこそコ○ンじゃないんだ。入念に、計画性を持ってやらないと証拠は否でも応でも簡単に残ってしまうものなんだよ?」
 目だけで逢坂の方を見ると、彼女は少し虚ろな目で咲乃を睨んでいるように見えたので俺は慌てて視線を所定位置に戻す。
 俺の隣に立っている人はまるで友人ではないという感情も共に。
「何言ってるか分からない」
「……仕方ない、順に提示していこうか。学校裏サイトを介して僕に送れられてきた依頼のメール、あれ送ってきたのは逢坂さん、君だよね」
「……知らない」
「そして自身の携帯メールではなくフリーメールを使っていた。まあそこまではよかったよ、僕は別に警察でもハッカーでもないから必死になって身元を隠そうとする依頼者をフリーメールのアドレスからは暴くような真似はどう足掻いても出来ないからね」
 咲乃は注いだコーヒーに溢れんばかりの角砂糖、蜂蜜、ミルクを投入し(本人曰くこの3つを投入したコーヒーが痺れるほど上手いらしい、俺は飲んだ瞬間舌が攣りそうになったが)一口飲むと少しも変わらぬ口調で続けた。
「けれど依頼を解決する上で詳しい内容を訊くのは当然の事だ。そこまで明かしたくないなら偽名を使えばよかったものを、でも君はそれをしなかった。まあ出来なかったのだろうけどね、それどころか君は僕と直接会う事ばかりを望んだ。いや、それしか要求してこなかった」
 それは……つまり突発的にではなく初めから咲乃を殺すつもりで依頼メールを送ったという事になるのか? 咲乃との過去の接点は存在しないのに……?
「この時点で僕は君が短気で短絡的な人間だと分かった。別に早々に会ってもよかったのだけど、君が指定する場所は何処も僕が行くには喘息と筋肉痛を併発しそうな所ばかりだったからね……まあそれは方便で本当は君が犯人たる決定的証拠が欲しかったからなのだけど」
 すると咲乃はポケットから一通の封筒を取り出して俺に投げつけて来た。
「何だよこれ」
 宛先は……俺の通っている新都高校から……か?
「これがどうかしたのか?」
「中身を確認してみるといい」
 言われるがまま開封済みの封筒から一枚の紙切れを取り出す。
「……特別二者面談のお知らせ……?」
 はっきりとそう書いてあった。いや、確かに今は面談の時期だけど……。
「何だ? お前があまりにニートだから校長が直々に説教でもしに来るのか?」
「聡ちゃん、僕が高校に入学してから2年と少しの間、一度たりとも学校に登校していないのにも関わらず進級出来ている事に対して、何も疑問に思わなかったのかい?」
「……ん? 言われてみれば確かに、普通なら出席日数が足りなくて留年じゃないか」
「だろう、実は僕の父と新都高校の理事長は昔からの好みでね、勿論その程度で、という訳ではないのだけど……まあそういう関係性もあって僕は定期考査で必ず3位以内に入る事と大学受験で東大に合格する事を条件に特別に出席日数を免除して貰っているんだよ」
 ……は?
「じゃあお前今までその条件を守りながらニートやっていたっていうのか?」
「だから僕は初めからニートじゃないと言っていただろう、学校に行っていないだけで名目上は歴とした学生だよ、因みに順位も2年生の期末考査を除けば全て1位だ。確か上位47名は名前が掲示される筈だから載っている筈だけど……聡ちゃんは見た事が無いのかい?」
「……」
 完全に俺をおちょくっとるなコイツ。
 しかし……言われてみると定期考査がある度に『また女神様が降臨なさったか』とか妙に周囲が騒いでいたような……あれってもしかして咲乃の事だったのか。
「でもその事とこの面談に何の関係が……」
 ん? いや待てよ。
「理事長の娘って――」
「そう、今聡ちゃんの隣にいる子だよ、そして同時にこの封筒を送りつけて来た張本人でもある。恐らく理事長から僕の話を色々と聞いていたのだろう、だから、それ故に君は理事長を騙ってこの内容の面談を送りつけ、僕を誘き出す方法を思いついた」
「……それこそ証拠が無いじゃない、言いがかりにも程がある」
「残念、それが仇だったんだよ、確かに何度か面談について学校から手紙は送られてきた事はある、でもね、それらに僕が関与した事は一度も無い、連絡を取れば分かる事だ」
「咲乃の両親は今世界一周旅行に行っている、ならその事は当然理事長の方にも伝えられている筈、だとすればこんな封筒が送られてくる訳が無い、いや有り得ないのか」
「正解」
 いや、でもそこまで分かっておきながら何で咲乃は誘いに乗ったんだ……?
「ここまで言ってまだごねられたら面倒だからね、止めを刺しに行ったんだよ」
 すると今度は黒い塊を俺に投げつけてきた。
「……スタンガン……?」
「自殺に見せ掛ける為に絞殺の手段を取るのは見えていたからね、首を絞められた時に腹部付近に食らわしておいた。つまり、彼女に痕が残っていればチェックメイトだ」
 ま、首吊り自殺に見せかけるだなんて古典的な事、常識的に考えてか弱い女の子1人じゃ殆ど不可能なんだけどね、と付け加えると咲乃はコーヒーを一口飲み大きく息をついた。
 ……コイツ俺が知らない所でこんな無茶していたのかよ。
 でもそれは咲乃がそれだけ真剣に、一意専心に、身を粉にして自分の望む事に、人を幸せにする事に一心に頑張っている証明になっているのは確かであった。
 ……今更ながら少しでも咲乃を止めようとした自分を卑下したくなるな。
「どうかな? 逢坂さん、大した反論も無いものだから僕がベラベラと喋らせて貰ったけど、何か質問があるならいくらでも受け付けるよ? 無いのならあとは君が認め――」
「あァ」
 返事なのか、溜息なのかよく分からない発声に俺が逢坂の方を向くと、彼女は斜め上を見つめたまま、まるで放心状態であるかのように呆然と立ち尽くしていた。
 それに並行して消え入るような声で、何かを呟きながら。
「あーあ何でこんな事になっちゃったかなあ、ああそうか全部この女のせいかそうだよねその通りだそうに違いないそうに決まってるだって聡一は私のものなんだよ私以外が好きかってしていい訳がないだから聡一にちょっかいかけてくるがいちゅうどもはぜんぶ私が守ってきたのになんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで聡一があんな蹴りいっぱつで骨がおれそうなちびまじょといっしょにいるわけなのしかもなんでわたしがわるものあつかいされてるの? おかしいよこんなのぜったいおかしい聡一だまされてるよわたしはただ聡一をたぶらかすまじょから守るために助けるためにたいじしようとしただけなんだよだから聡一あのまじょのいうことを聞いちゃだめだよぜったいだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめでもこのままじゃ私がまじょにかられちゃうよ聡一をもって行かれちゃうよせんのうされちゃうよそうだだったら私がきしになってまじょを倒しちゃえばいいんだそうだよそのあとでほんとうのことをおしえたらきっと聡一はわかってくれるはずだって聡一はすごくかっこよくてやさしいしわたしのこと分かってくれるしたすけてくれるような人なんだもんうんそうだよそうこの女ころしてもりゆうを言ったらきっとわかってくれるはずむしろなぐさめてくれるはずそうだならころしちゃおうそうだころしちゃえころしちゃおうころしちゃえころしちゃおうころしちゃえころしちゃおうころしちゃえころしちゃおうころしちゃえころしちゃおうころしちゃえころしちゃおうころしちゃえ」
 何を言っているのか分からなかった、が、その光景はあまりにも奇怪であったのは確かで、そして俺の隣に立っている少女は逢坂には最早見えないのも確かで、俺は唯々戦慄する。
 そして即座に思う、これが……咲乃の描く修正された物語? 冗談だろ?
 こんな、これでは犯人を追い詰めた探偵と何も変わらない、誰も幸福など得ていない。
「逢坂……」
 無意識に名前呼んでしまっていた。何も持ち合わせてなどいないのに、それでも聞きたかったのかもしれない、悔恨の念を聞いて全てをリセットしたかったのかもしれない。
 許されない事なのに許そうとしていたのかもしれない。
「聡一」
 名字に対し名前で返事をした発せられた逢坂の声に俺は反射的に振り向く。
「……何?」
「またね」
「っ!?」
 一瞬、何が起こったのか自分でも分からなくなる、しかしそれに伴って伝わってくる激痛で全てを理解する。蹴り上げられたのだ、息子を、金的という奴だ。
 視界が歪み地面に倒れ込む、激痛から言葉は愚か呼吸すらままならくなる。
 断っておくがこれは決して笑い所ではない、本当に、洒落にならない程痛いのだ。
 女の子はもっと睾丸について深い理解が必要だと思う、安易に繊細で臆病な息子を蹴るような真似は冗談でもしてはいけないのだ。個人的にこの痛みは出産に追随していると思っている。
 いや尿道結石もいい勝負ではないだろうか、なったことないけど。
「っ……! おっ、逢坂……」
「あーあ、もう嫌になっちゃうよ、随分気弱そうな見た目をしてる奴だったから変な事吹き込まれるに言い包めてやろうと思っていたのに……すげえお喋りなんだもんコイツ」
「人を見かけで判断するのは愚者のする事だよ、逢坂さん、大事なのは中身だ。それに口を挟もうと思えばいくらでも挟めたと思うけどね、それは君の頭脳の問題じゃないかな」
「うるさいなあ、聡一騙されちゃ駄目だから、この女私を悪人にしようとしてるんだよ、私は聡一を守る為にやったのに……でも、聡一は私がこの女殺すって言ったら絶対に止めようとするでしょ? だからゴメンね、そこで大人しく見ておいて」
 そう言うと逢坂はポケットからアーミーナイフを取り出し、咲乃に突きつけた。
「確かまだ少年法が適応される年齢だし、ちゃんと謝罪の弁を述べて、模範囚演じてればすぐに出所出来る筈だよね、そしたら聡一、すぐに会いに行くから」
 ――ああそういう事か、逢坂って自分が少しでも気に食わないと思った相手なら手段を選ばず破壊するような奴だったのか――被害妄想が強い、自制の利かない奴。
 何とか逢坂を止めようと声を出そうとするがやはり声が出ない、それどころか相当強く蹴られた所為か意識まで遠のいているような気さえした。
 咲乃――
「痛い! このっ……離せ! 離せよこのパチモン!」
 突然、叫び声で引っ張り合っていた綱が突然離されたかのように意識が戻される。
 ……何だ?
 即座に顔を上げると逢坂が三つ編みの少女にナイフを持った手を捻られ、机に押さえつけられていた。
「東……橋……?」

       

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