Neetel Inside ニートノベル
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 人によって『地獄』の基準は違うと思う。
 いじめと言うよりは単にからかわれているだけでもその人にとっては地獄に感じるかもしれないし、事故で手足を失った時初めてその境遇を地獄と感じる人もいるかもしれない。
 要するに人によって不幸と思う基準は違うのだ。ある境遇を客観的に見ると些細に感じても当の本人は地獄のように辛いのかもしれないのである。一律に、一元化する事など出来ない、いや、してはいけないのだ、する権利を持つ事さえ許されてはならない。
 しかし大事なのはそんな事ではない、重要なのは己が経験した地獄を受け入れ、理解し、確固たる意志を持って後に活かしていく事、これに尽きるのではないだろうか。
 だからこの出来事が俺にとって地獄であったのは言うまでも無いのだが、しかし同時に俺にとってこの出来事は、何かを変える転機であったのも確かなのをここに明言したい。

「こうなるのは分かりきっとった事やのに……やっぱあの程度じゃ防波堤にもならんわな、手緩い事せんと最初からもっときつくやっとくべきやったわ……、ゴメンな聡一君、それと――神名川さんやっけ? 逢坂の奴に相当引っかき回されてもうたやろ?」
 ようやく痛みがマシになってきたので何とか身体を起こすと、ゆっくり言葉を吐き出す。
「やっぱり東橋さんって……逢坂と面識があったのか」
 以前から不思議に思ってはいたのだった。
 俺は東橋と交友関係にある、そして当然逢坂とも交友関係にある。
 しかし東橋と逢坂の間に交友関係は存在しないのだ。にも関わらず互いが互いを避けているのは目に見えて明らかで――俺はその様子がかえって面識があるようにしか見えなかった。
「東橋さんと逢坂さんは同じ中学出身だよ、そして聡ちゃんの言う通り交友関係にあった」
「……? 何でそんな事咲乃が知っているんだよ」
「恐らく学校裏サイトでも使って調べたんやろね、あの事件、結構有名やったみたいやし」
 あの事件……? 東橋と逢坂の間に何かあったのか?
「彼らの中学で起きた傷害事件の話だよ、俗に言う男女関係の縺れという奴だね、そこで1人の男性がある女性を庇って頭に大怪我をしている、まあ、よくある話だ」
「おい、それって――」
「因みにこの話には続きがあってね、実はこの事件、事を大きくしたくなかった学校側によって隠蔽、いや半強制的に和解させられているんだ。つまり加害者側である女の子が今ものうのうと、まるで何事も無かったかのように娑婆で生活しているという訳だよ」
 それってつまり、逢坂が東橋を襲った時に庇った男の子が怪我をしたって事か……?
「はっ、よく言うよ、あの件はある意味私の方が被害者だっての、報われないゴールに向かって必死になって無意味なラフプレーをしまくった私の身にもなれっつーの」
「素晴らしいまでの自己愛性人格者だね、益々気に入ってしまうよ」
「だから次こそ上手くいく筈だった……東橋なんてハナから相手になる訳がないし、何処の馬の骨か知らない馬鹿が流してくれた嘘の悪評のおかげで聡一に近づく奴は1人もいない完璧な状態だった……なのに、なのに! なのに!なのに! なのに! 神名川! 人間の皮を被った魔女! 悪魔の所為で!全部! 全部! 全部台無しだ!」
 ……え?
「ちょ、ちょっと待てよ、俺の悪評を流したのは逢坂……お前だろ?」
「は? 何で私が聡一にそんな事する必要があんだよ、どう考えてもメリット無いだろ」
「それなら一体誰が――」
 ……いや、何を言っているんだ俺は、それなら1人しかいないじゃないか、思い出してみれば俺の悪評の件について咲乃が一言も『逢坂が犯人』だとは言っていなかった。
 ……でも理由が、動機が、根拠が全く分からない、逢坂じゃなくどうして東橋が?
「聡ちゃんを守るためだよ」
 その言葉にハッとして東橋の方を見る、俺を……守る為……?
「いや、でも」
 それだと……矛盾にも程がある、それに――
「そう、どう考えたってこれは最善な策とは言えない……恐らく己の欲も混じっていたからだろう、でもね――」
 咲乃は一呼吸置くとこう続けた。
「聡ちゃんを守りたいが故に行った、これは紛れもない事実なんだよ」
 だから彼女を責めないでやってくれ、と咲乃。
 東橋は否定も肯定も――いや、何も言おうとしなかった。
「あははははっ! これで疑問は解消されたのかな? 一件落着って奴? てことは私は刑務所行きになるのかな? まあいいけどね、たかが数年の空白如きで私が諦める訳ないし」
 寧ろ最高に燃えるよ、と逢坂は凄惨に笑った。
 俺は――俺は一体どうすれば、何をすればいいんだ――
 咲乃という名の蜘蛛の糸に掴まり不乱に上っていたが、いつまでたっても地獄からの脱出口が見えない状況に焦燥ばかりが募り、糸は今にも切れそうになっていた。
「当然や、お前がやってきた事が二度も許されると思うな――」
「いや、許そう」
「え?」
「はっ?」
 反射的に俺と東橋が素っ頓狂な声を上げる、今、何て?
「逢坂結が僕に対して行おうとした、殺人行為を許すと言ったんだ、被害者である僕が許すと言ったのだから警察に突き出す必要性はないよ、和解という奴だね」
「そ、それは確かにそうやけど……せ、せやけど子供同士の末梢的な喧嘩とは一切訳がちゃうねんで!? あんた……自分が何されたか分かってるやろ!?」
「二度程殺されかけたね、虚弱体質な私には見事なまでの苦行だったよ」
 虚弱体質じゃなくても死の淵に追い込まれる事を苦行とは言わん。
「ねえ? ここは笑っていい所なの? 今のネタ最高に面白かったと思うんだけど」
「ギャグでも冗談でも洒落でもないよ、僕は本気で君を許すと言ったんだ」
「はあ? そんな事をして一体お前に何のメリットがあんだよ」
 逢坂は笑い半分と呆れ半分が混ざったような声でそう言った。
「僕に利点? 露聊かもある訳がないだろう? 何言っているんだい」
「「「…………」」」
 咲乃を除く全員が目が点状態だったのは言うまでもない。
 ……まさかこれが咲乃のいう物語の修正なのか? けど、逢坂の罪を許した所で何の意味も無いのは咲乃だって分かっている筈、また悪循環が繰り返されるのは確定事項じゃないか。
 咲乃の狙いが本気で分からなくなってきた。
「勿論条件はあるけどね」
「そりゃそうだろ、今後一切お前と聡一に近づくな、かな?」
「いや、僕の助手になることだ」
「「は?」」
 俺と逢坂の声がハモる。いやいやいや、マジで何言ってんのこの人。
「君は頭脳の方はアレだが行動力は大したものだ、正直その面に関してだけ言えば聡ちゃんより役に立つ、僕も行動力はある方だが正直身体がついてこなくてね……是非ともその力を自分の為じゃなく、僕の手足となって働いてくれないかな? 当然手当ても出すよ」
「ババァか」
「お前アホか? 行動力ってのはな、自分の欲の為だから本気でやれるんだよ、たかが金、ましてや私の恋路を邪魔しやがった奴の為に働ける訳が――」
「嫌なのかい? 助手になれば四六時中聡ちゃんと一緒にいれるようになるんだよ? つまりそれは君の実力次第では簡単に逆NTRが可能となる訳なのだけど……」
「うっ、そっそれは……」
 恋路? 逆NTR? さっきから何言ってんだコイツら。
 いつの間にか東橋によって捻じ曲げられていた手は何故か離されているにも関わらず、それに気づいていないのか逢坂は机にセルフ押さえつけをしながら悶えていた。
「大体君は真性の方じゃないからね、盲目じゃないなら改心の余地はいくらでもある。マジなら今頃このリビングは血の海になっているよ、どうかな? 女子刑務所で無駄な人生を送るのと比べれば破格の条件だと思うけどね、これでもまだ不満があるのかい?」
「い……いや……」
「聡ちゃんも勿論、構わないよね?」
 え、俺に訊くんすか、というか逢坂は逢坂で何で赤い顔してこっちを見ている。
 よく分からないがここは咲乃に従っておくべき、なのか……?
 正直、咲乃にあれだけの事をしておいて、許せない気持ちが無いと言ったら嘘だ。
 けど、ここで否定する事が咲乃の邪魔になるなら、俺は肯定するしかない。
「別に構わないけど……」
「! それなら私も構わない……かな……」
「ちょっと待って! そっ、そんなん認められへん! こっ、こんな塵屑最底辺がこんなんで改心する訳がないやん! どうせまた明日には問題起こしてるで! そっ、それを退避勧告レベルの危険地帯に放置しとくなんて……あ、あんたは許しても私は許さへんで!」
「なら、逢坂さんを監視する意味で君も僕の助手になるといい」
「えっ!? あっ、そっそれならええかな……」
「えっ?」
「ちょっと待てよ! それはずるいだろ!」
「障害は高ければ高いほど燃えると言っていたじゃないか、それに君は東橋さんをライバル視すらしていないのだろう? なら全く持って問題ないじゃないか――ま、それ以前に奥手な上に狡い真似しか出来ない君達ごときに僕が負けるだなんて2次元世界行きの装置が発明されるぐらいあり得ないけれどね」
「へえ……言ってくれるじゃん」
「それはいくら何でも自意識過剰ちゃうか……?」
 何だこれ、何なんだこれ。
 いつの間にか謎の女子トークが始まり、俺は完全に蚊帳の外になる。
 しかしそれと同時にあれだけお通夜だった異臭が咲乃産の消臭剤によってぐんぐん消臭されていく――俺には何がきっかけだったのか全く分からなかったが――それでも咲乃が本当に物語を修正してしまったのは事実で――俺は心底馬鹿みたいな顔をしていたと思う。
 多分もっと真剣に、何があったのか一つ一つ意識して、吟味して、確認しなければならない事が膨大にあったような気がしたけれど、コイツらがまるで生気が戻ったかのように生き生きと騒いでいる所を見ていると――何だか全てどうでもよくなってしまっていた。



「なあ神名川さん、1つだけ聞いてええかな」
 その後、口喧嘩に負けたのか逢坂が半べそになりながら「今日はこのくらいにしといたるわ!」と定番の捨て台詞を吐いて窓から逃走した所で女子トークらしきものは終息したようで「これだから口より先に手が出る奴は……」とドヤ顔で勝ち誇っていた咲乃を引きずって東橋を玄関で見送ろうとした時、東橋がそう口を開いた。
「ん? なんだい?」
「……私の運営してる学校裏サイトの認証パスワード、何で分かったん?」
 それは俺も同意だ。咲乃は勘だと言っていたけどそんな適当で分かるようなものじゃない。
「ああ、それは女の勘という奴だよ」
 まだ言うかこの女。
 しかし、そう思った俺に反して何故か東橋は納得したようで「やっぱりそうか」と一言だけいうと、それ以上咲乃に何も質問しようとはしなかった。
 うーむ、女というものはやはり謎の多い生き物だな。
「それじゃ、そろそろ私もお暇させてもらうわ、ホンマは聡一君に話さなあかん事が山ほどあるのは分かってるんやけど……ちゃんと整理が出来た時でええかな」
「東橋さんが話したいと思った時に話してくれればそれでいいよ、この件はもう一定の解決を得てはいるんだ、ならそれでいい。今更俺に全てを知る権利は無いよ」
「聡一君てやっぱり謙虚で――でも優しいねんな、ありがとう。あと神名川さんも、こんなボロボロになってまで尽力してくれて、なんてお詫びを申し上げたらええか分からんわ」
「僕は依頼をまっとうしたまでだよ、頼まれたのだから尽力するのは然るべき、だろう?」
「神名川さんって聡一君と同じような事言うねんな、お似合い過ぎて――ちょっと嫉妬しちゃうわ――」
 俺と咲乃が似てる? それはないだろ。
「ま、私も負けへんけどな――まあええか、ほんなら聡一君、また明日、学校で」
 そう言い残すと、東橋は女神のような微笑みを見せ駆け足で帰って行った。
「……なあ咲乃、本当にこれでよかったのかな」
「物語の末路を修正出来たことは確かだ。あとはその状態を維持しながら真の解決に導いて行くしかないよ、だから僕の役目はその軌道を維持し続ける事、それはきっと極めて大変な、茨の道なのかもしれないけれど、僕はそれがまた楽しみでもある」
「そっか……」
「人はね、初めから1人で何でもは出来ないんだ。だから自覚無しに間違いを犯してしまったりもする。だけどね、それに気づける人が側にいれば、それこそ側にいるだけで自ずと正せれるようになるんだよ、それは間違った事じゃない、成長する上で、不可欠なんだ」
「俺は何も出来なかったけどな……全部咲乃に預けて、傍観しか出来なかった」
「問題の渦中にいた人間が無計画に行動されても火に油を注ぐだけだよ、君の活躍はまだまだこれから掃いて捨てたくなる程待ち受けている筈だ。だから安心し給え」
 へ? 俺が問題の渦中?
「そんな事より今日の夕食は何か教えてくれ給え、僕のHPは0に等しいよ」
「え? ……あぁ、今日は確か豆腐ハンバーグだったかな」
「!?」
 突如咲乃が金剛力士像顔負けの形相で俺を睨みだす。
 えっ、何その顔、それアカン、FA化出来ないぐらいヤバイ顔になっちゃってますよ。
「とっ豆腐ハンバーグだって!? 僕をおちょくるのも大概にしてくれよ! 肉は肉でも『畑の肉』じゃないか! まっ、まさか聡ちゃんは本気で大豆を土で出来る肉と思っている訳じゃないだろうね? そうだとしたら今すぐにでも眼科でレーシックの手術を受けてきたまえ! そうじゃないなら今すぐにハンバーグさんに対して三跪九叩の礼を行った上で土下寝で謝罪の弁を述べることだね! 全く……冗談でもそんなふざけた発言二度としないでくれよ!」
 …………耳がキーンとする。何コイツ、自分の愛する料理に手を抜かれただけでこんな喧しい声で怒るのかよ……こんなに喚く咲乃見た事無かったから本気でビビった……でも言っておくが豆腐ハンバーグも歴とした料理だよ、お前も豆腐ハンバーグさんに詫びに行けよ。
「五月蠅いな、今日は牛肉がセールやってなかったから1パックしか買えなかったの、それにお前って見かけによらず食欲旺盛だからかさまししないと俺の分が無くなっちゃうんだよ」
「聡ちゃんは豆腐だけ食っていればいいよ」
「鬼畜か」
 こうして怒涛の一日は幕を閉じる事となった。
 心身共に疲労困憊だったのは言うまでも無い。


 ……後日俺と逢坂と東橋が職員に四面楚歌されて説教されたのも、言うまでも無い。

       

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