Neetel Inside ニートノベル
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サーカスが街に来たという
一日目/その2『パレード』

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 まず目に入ったのはダルマだった。それはそれは巨大なダルマだった。頭は天にまで届こうかというその偉容がこれまた巨大な台車に乗せられ、笑っちゃうくらい屈強な男たち五人に引きずられている。ダルマの上では両手足のやけに長い道化師がコミカルな踊りを披露していて、彼の赤く丸い鼻が、ぱん、と破裂して、ようやく聴覚を思い出した。ずん、ずん、ずん、という重低音が歩くような速さで鳴り響き、楽しげな音楽がえぐるような狂気で脳髄をめちゃくちゃにかき回してくれる。はい、はい、と無数の小人がダルマの周りで合いの手をいれ、その後ろをスフィンクスのレプリカ(驚くことに、ダルマはこのレプリカよりも大きかった)が御輿のようにかつがれ、運ばれている。スフィンクスのしっぽは左右に揺れ、その動きに合わせて猫の怒涛が蛇行しながらついてくる。その向こうには優に二メートルを超える大巨人が、スキップしながらチェロをバイオリンのようにかついで嬉しげに引き鳴らしている。さらに向こうとなるとさすがに見えないが、遙か遠くで紙吹雪が盛大に噴火したのだけは辛うじて見えた。視線を移すと、ダルマの前には象がいて、その前にはキリンがいて、その前にはアステカの巨大な顔の像があり、その上で女の子がぐにゃぐにゃと身体をねじまげている。その向こうは、やはり見えない。
 六車線ある中央道路が完全に埋め尽くされていた。スフィンクスの背に座る女性が盛大に炎を吐きだし、飛び散る火の粉に猫たちがにゃあにゃあと騒ぎだす。が、すぐに隊列をとりもどし、火吹きの女性はごめんね、と頭をかいた。歩道にずらりと並ぶ観客が一斉に笑い、小人が嬌声をあげた。クラッカがマシンガンのようにかき鳴らされ、空中に長く伸びた紙テープは大蛇に生えた翼のようだった。
「うわぁ……」
 と先輩は呟いた。それ以上の言葉は見つからないようだった。
 須田は無言で泣いていた。馬鹿なので泣いていた。しかし、それも無理はないな、と思った。
 象がラッパを鳴らし、空気が金属質にビリビリと震えた。どこからかライオンの吠え声が聞こえ、馬がいななき、鳥たちがぎゃあぎゃあとわめき出す。巨人の後ろに坐禅をくんだ苦行僧が見えた。彼はふわふわと宙に浮いており、この狂乱のなかにおいてなおその精神の静謐をくずしていなかった。両脇には西欧人のバニーガールがいて、その僧の腕にしがみついてブラリと垂れ下がったり、やけに挑発的なしぐさで観客を沸かせたりしている。鼻をなくした道化師がダルマから降りてそのバニーガールをナンパしにかかるのだが、すげなく断られる。その景色を見て小人が笑い、観客が笑い、先輩が笑い、須田が笑い、僕が笑った。その瞬間だった。
 歓声が爆発した。爆風に混じって、拡声器越しの声が聞こえる。いささか興奮した、愉快愉でたまらないといった風情のよく通る声。死を告げる予言者の声に、それは似ていた。
「レディース、アンド、ジェントルメーン! 猫に杓子にお婆ちゃん。よってらっしゃい見てらっしゃい。どうぞご覧になってちょうだい。奇跡を目撃しちゃってちょうだい。無視する阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら見なきゃ損損! やあやあやあ。ここにおわすは稀代の幻想、人類の仇敵。かの大詩人、ノストラダムスが予言せし終末。ザ・キング・オブ・アンゴル=モア! 私めがわざわざ言わずとも、あなたがたは彼の名前をご存じのハズ。さあ、今、この瞬間、みなさんは真の恐怖と畏怖を知る! ……ドラゴン! 出来るものならば是非ご喝采を!」
 大きな一枚布が取り払われる音がして、瞬間、歓声が止んだ。すう、とまるで申し合わせていたかのように、一切の音が消えていった。ただ、狂気の行進曲だけが虚ろに響いた。沈黙の手触りをひしひしと肌に感じるほどだった。
 続いて、金属が勢いよく引きちぎられる爆音がした。なにかわけのわからない耳をつんざくような鳴き声がして、意識が真っ白に染まった。強く風が吹いている。一定の周期をもって、飛ばされてしまいそうな嵐が吹き荒れている。吹くごとに、吹くごとに風は勢いを増していく。
 そして、それは僕たちの目の前に降り立った。通りを挟んで向かい、老朽化して立っているのがやっとといった態の、幽霊ビル。その上に荘厳が舞い降りた。巨大な体躯の重みを一切感じさせない、ふわりとした挙動だった。いや、もしかしたら本当に体重などないのかも知れない。ビルは、今にも崩れてしまいそうなビルは、なおそのかたちを保っている。
 それは黒い布で目隠しをされていた。鱗のかわりに白銀の剣を生やしていた。腹が血で赤くただれていた。身体には冷たく霜が降っており、熱い炎の吐息が青い空を愛撫する。おそらくは龍神教の信者なのだろう。老若男女を問わず幾人ものひとびとが慌ててひざまずき、不可解なハンドサインでその壮麗を称えた。
 最後にもう一度だけ翼を羽ばたかせ、それは高らかに謳いあげた。自らの偉大さを。溢れんばかりの神性を。恐怖を。この世には到底あり得ない交響をその喉から吐き出して。
 誰もかもが無言だった。時が止まっていた。どうして歓声が止んだのか。今なら分かる。見とれていたのだ。その力強さに。美しさに。
 ああ、どれだけ言葉を重ねようと、決して形容など出来ない。ドラゴン。それはただそこに在るだけだった。恐怖、歓喜、悲痛、憤怒、哀切、悦楽、激情、詠嘆、慈愛、憎悪、殺意、思慕。ありとあらゆる感情を白銀に塗りつぶして、そこに在るだけだった。
 ……いや、わずかにノイズが混じっている。それはドラゴンの肩の上、翼の付け根にぽつんと座っている。まっくろな、女の子。笑ったような気がした。いや、睨まれたのかもしれない。思考が正常に作用しない。少女が僕を指差すと、ドラゴンが頭をふり、無数の剣で目隠しを引き裂いた。瞳。赤い。満月のように、赤い。視線が交わる。瞳。赫い。流れる血のように、赫い。世界のすべてが遠くなっていく。僕と、瞳と、それだけになっていく。やがて自分すらも消えていき、全ては瞳の赤色に収束していく。
「みなさま、ご安心ください! これらはすべて演出でございます! ご安心ください!」
 かすかに、瀕死の雛のさえずりのごとくかすかに、声が聞こえる。けれど、言葉の意味を認識できない。それは単なる音の連なりにすぎない。ゲシュタルトが崩壊し、アイディンティーは儚く散る。代わりに満ちるのは虚無だ。まっしろな、虚無だ。
 身体の感覚が消えていく。立っているのか、座っているのか、それすらも分からなくなる。衝撃。赤い瞳。消える。世界が、消える。さようならみなさん、さようなら先輩、さようなら僕。そしてこんにちは虚無。意識が完全に途切れ、お後はよろしいようです。

       

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