Neetel Inside ニートノベル
表紙

俺とミケの一年
9月

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 9月も半ば、俺は一世一代のチャンスを迎えていた。
 俺には気になる存在がいる。今年の4月に入社した、大学を出たばかりのフレッシュな新人。教え甲斐のある後輩で、何でも良く学び、時々小さな失敗をしてくよくよ悩む。そして何よりかわいい。
 最初は俺も、先輩として出来るだけ厳しく接していた。あまり甘やかしても彼女の為にならないし、社会人としての覚悟をして欲しかった。それと上司も、俺自身の人材管理能力を試している節があったので、しっかりと仕事を教えた。決して個人的に彼女を気に入っていた訳ではない。……と言いたい所だが、意識していた事は否定できない。
 厳しくて怖い先輩だと思った事もあっただろう。嫌われているかもしれない。だけど俺は心を鬼にして、男として、先輩として、やるべき事をやった。
 するとどうだろう、
「先輩! 今日お弁当作りすぎちゃったんで持ってきたんですよ~。食べてください!」
 ついに俺にも春がきた。
 入社して約半年、仕事にも慣れて私生活も落ち着きが出てきた頃、そろそろ恋に興じてみてもいいんじゃないかい? 社内恋愛。なんて良い響きなんだ。
 彼女と2人で飲みに行った。俺の休日出勤に、後輩が駆けつけてくれた。家で飼っている生意気な猫の話に笑ってくれた。そんな後輩が、今度パソコンを初めて買うと言う。会社のパソコンと同じOSにするか、新しいOSにするか迷っているらしい。
 俺は勇気を振り絞って、こう誘った。
「もし良かったら、うち来るか?」
 うちのパソコンには新しい方のOSが入っている。もっとも、俺はほとんど使っておらず、ほとんどミケのおもちゃと化しているが、こうして彼女を誘えただけでも、買ってよかったと心から言える。
「え? 良いんですか?」
 思った以上に彼女も乗り気だ。俺は出来るだけ平静を装って、二つ返事をする。
 内心、よっしゃああああ、と心の中では叫んでいるが、そんな事は微塵も顔に出さない。
 それからすぐに日時が決まった。「今度」では無い所に脈がある。
 しかし俺には、彼女を家に呼ぶ前にしておかなければならない事があった。
「あー、ミケ。お前、今度の日曜日、なんか予定あるか?」
 ミケは鬱陶しそうに答える。
「は? 別にないけど?」
「どこか行ったりしないか?」
「別にどこも行かないわよ。何? 何か文句あるわけ?」
 この邪魔な猫さんをどうにかしなければ、俺に来た春はさっさと去っちまう。
 しかし俺には策があった。
「そうか。ならこれをやろう」
 取り出したるはチケット1枚。
「そ、それは……!」
 半年近く一緒に暮らしていれば、好みも分かってくる。
 ミケの好きな猫アイドルユニット「ニャンタクルス」のライブチケット。入手困難な品だったが、取引先の部長がプロデューサーと知り合いで、そのツテで手に入れてもらった。人脈はフルに使わせてもらう。それくらいに俺は人生かけてる。
「きゃー!」
 チケットを見たミケが悲鳴をあげた。どれだけ好きなのか。俺にはただの猫にしか見えないのだが。
「行っていいの? 本当に行っていいの?」
「ああ、行って来いよ」
「あんたもたまには気がきくじゃない!」
 こんなに嬉しそうにはしゃぐミケは初めて見た。ちょっと複雑な気分になるが、今は後輩をおもてなしする事だけに全ての労力を捧げよう。
 そして迎えた日曜日。
 昼頃に駅まで後輩を迎えに行き、駅近くのパスタ屋で昼食をとる。遠慮する後輩に対して先輩権限を使っておごり、そのまま家へとエスコート。
 これ、デート?
 そんな思いもきっとありつつ、家までの道で後輩は言う。
「先輩の家、猫ちゃんいるんですよね。楽しみだなー」
 俺は少し冷や汗をかきながら答える。
「あ、ああ。でもあいつ気まぐれだから、どこか行ってるかもしれないな」
「え、そうなんですか?」
 ちょっとした沈黙。
 ひょっとして、余り考えたくはないが、もしかして、後輩は猫がいるので安心してうちに来ると言ったのかもしれない。2人っきりになるとは思っていないのかもしれない。
 これは俺自身の名誉の為にもはっきりと言っておきたいが、別に2人っきりになったからといって、何かいやらしい事をしようとはこれっぽっちも思っていないんだ。ただ、良い感じになれたら良いなと思っただけで、流れでそうなってしまったら、それは仕方ないとしても、決してやましい気持ちがあって、ミケを追い出した訳ではなくて、でも後輩に全く魅力を感じていないかと言えば、それは嘘になる訳で……。
 ええい、もういい。ここまで来てしまったのだから、後は野となれ山となれ。
 俺は覚悟を決めて、自宅のドアを開けた。
 するとそこに、いるはずのない奴がいた。
「あら、おかえり。どこ行ってたのよ」
 ミケだ。ニャンタクルスのライブに行ったはずのミケが、寝転がってティーンズ誌を読んでいた。お前まだ年齢一桁だろうが。
「おま、ライブはどうしたんだ?」俺は慌てて尋ねる。
「え? ああ、なんか急に飽きちゃって。行く途中で帰ってきちゃった」
 なんという気まぐれ。こんな奴と暮らせる奴はとんでもない酔狂者だ。
「あれ? 猫ちゃんいるじゃないですか! かわいいー」
「はぁ!? 誰よあんた!?」
 これを修羅場と呼ぶには、俺の人生はしょっぱすぎるが、とにかく俺の予定は見事に狂ってしまった。
「……ははーん。だからわざわざチケットなんてよこした訳ね」
 無駄に察しの良いミケは、どうやら勘付いてしまったらしい。にやりと笑って、後輩に向けてこんな事を言い出した。
「ちょっとあんた、こんな奴に騙されちゃ駄目よ。こいつ、あんたが今日来る事隠して、あたしを追い出そうとしてたのよ?」
「ち、違う! いや、確かにそうかもしれないが、それはお前がうちにいるとうるさいからであってだな……」
 必死の言い訳も最早むなしい。
「さあ、本当かしら? 頭の中はいっつもエロなんだから」
 おいおいおいおい何を言い出しているんだこの猫さんは。
 口を押さえようとする俺をするりとよけて、ミケは後輩の肩にぴょんと乗っかって言う。
「こいつね、この前なんか、あたしが家にいないと勘違いして……」
「わー! やめろ!」
 これじゃ会社のクールなイメージが台無しだ。
「とにかくあんた、こんな男に騙されちゃ駄目よ。とっとと帰りなさい」
「おいミケ! 黙れ!」
「え? え?」
 後輩は混乱している。滅多に取り乱した事のない先輩が、1匹の猫相手にあたふたしているのを見たら、そりゃこうなる。
 結局、「なんだか今日は大変みたいなんで、帰りますね」と若干引きながら、後輩は帰ってしまった。
 俺は両手両膝を地面につけて、打ちひしがれた。
 ミケはそんな俺に一瞥もくれず、また雑誌を読み出しやがった。
 いつまで経っても俺が泣いているので、ミケが仕方なさそうに、「あーもう、めんどくさいわね」と言って、何やらポーズをとりだした。
 右手で胸を隠し、左手で股間を隠して、横に寝転がってウインク。誰も得しないサービスとはこの事だ!
 俺は涙混じりの声を振り絞る。
「お前いっつも全裸じゃないか……!」

       

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