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第四話 カモたち

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 翌朝、勇が青白い顔で教室に入ってきたときは俺は多少狼狽した。なぜならこの男が体調を崩す事を見た事がなかったからだ。また小学校時代をずっと半袖で過ごしたという、名誉なんだか恥ずべき事なのか分からない記録を持っているからだ。
 彼が雪の降っている中歩いて登校してくるのを見た時には俺の幼心は意地を張る事のむなしさを感じた。彼は小学校一年のときだったか軽い気持ちで友達と約束してしまったのだ。ずっと半袖で過ごすと。そしてそれを馬鹿正直に守った。
 さて、俺が狼狽したのは勇の体調を案じての事ではない。ここを勘違いしてもらっては困る。むしろこれまで一度も学校を休んだ事がないという彼のささやかな自慢が一つなくなってしまうかもしれない事を喜ぶ。彼はことあるごとにこの事を持ち出してくるので正直うんざりしているのだ。
 俺が心配するのは、そんな健康優良児を絵に描いたような彼をここまで追いつめた病は一体何かという事である。
 頑強な彼でさえこの有様なのだから一般人が罹患してしまったらどのような惨事が巻き起こるのか心配でたまらなかった。腸チフスか、赤痢か、マラリアか、ペストか、はたまた人類が根絶したはずの天然痘がよみがえったのであろうか。知っている限りのありとあらゆる病名が俺の脳内を駆け巡った。
 そのためいつになく静かに隣の席に着いた彼に、俺はいたわるように尋ねた。
「勇どうした、具合でも悪いのか。顔色が悪いぞ」
 彼は息を深く吸ってから言った。
「落ち着いて聞けよ、新一。俺は昨日帰り道で上級生に出会った。近所の人で顔見知りだ。そして俺はその人から驚愕の事実を知ったんだ」
「驚愕って物々しいな。さっさと言えよ」
と俺は訝しげに言った。やはり今日の勇はおかしい。いやに冷静である。見ていて気味が悪いぐらいだ。俺のそんな気持ちもつゆ知らず勇は滔々と話し始める。
「その人が言うには実は昨日入部した文芸部というのはとんでもない部活なんだそうだ」
「とんでもない。確かに部員二人だし。寂れてるけど、そんなに悪そうじゃないけどな」
 俺の言葉にあきれたように彼は言う。
「そういうことじゃなくて、オタクの巣窟らしいんだ。」
「は」
 俺にはその言葉が理解できなかった。うんざりしたように勇は丁寧な説明をし始めた。
「なんでも文芸部は昔はごく普通の部活だったらしい。ところがいつの間にかオタク達に乗っ取られてしまった。連中絵を描いたり、パソコンをしたりで全然小説なんか書いてないらしいぞ。あの先輩も重度のオタクってことで有名らしい」
 俺は黙り込んだ。断っておくが、俺は年中必死に女子の尻を追いかけ回すような熟慮の足りない軽佻浮薄な男では決してない。むしろ恋愛に対して余裕を持って望み、高踏的な見方で捉えている。しかし嫌われたいわけではない。
 現代は昔に比べて比較的オタクへの風当たりは弱いだろう。俺は読まないがライトノベルというものは小説界で売り上げの面で大きな比重を占めるようになっている。まったく嘆かわしい事だが。また中学校の頃にはアニメの話を熱心にする人間を幾人も見た事もある。彼らはそろってモテなかったが……。
 勇の話は続く。
「文芸部にこのまま入っているとオタク扱いだぜ。さっさと退部しよう」
 確かに彼の言う事はもっともだった。このまま部員でいると周りの人々から軽蔑の目で見られる事はさけがたいだろう。やはり未だ現代社会はハードコアオタクを受容してくれはしないのだ。軽く触れている連中ぐらいならばいいかもしれないが……。
 俺は返事の代わりに黙って頷いた。こうなると話は早かった。

 俺たちはまた昨日のように俺たちは図書館準備室兼文芸部室の前にいた。中に入ると木曽先輩がいた。漫画を読んでいるようだった。彼女は言った。
「ちょっと、ノックぐらいしたら」
 しかし勇はずかずかと入っていきこれまでの経緯を話して退部の意思を示した。驚く事に木曽先輩は大して驚いていないようだった。
「そう、やめるのは自由、だけど退部料をもらうからね」
 俺と勇は同時に困惑の声を上げた。木曽先輩はくっくと笑って、先述の書類の束を伝家の宝刀であるかのように取り出した。そしてページをぺらぺらめくる。
「ここ見なさい」
そう言った彼女の指先には確かに卒業以外で退部するときは、退部料三千円を納めると書いてある。これには普段温厚な俺も怒りを禁じ得なかった。当然、勇も怒った。文句を言った。そのあと、侃々諤々の議論が始まったが平行線をたどった。
 結局数分後俺たちはこの言葉に屈した。彼女はこう言った。
「これ以上面倒な事にしたら損するのはあなた達。女の子につられて文芸部に入った阿呆は自分たちですって宣伝したいの」
 勇はなくなく三千円を机の上に置いて退部届けに判を押し出て行った。

 俺もそうしようとしたが、そんな金はなかった。財布をのぞいてみると千円札が一枚と小銭が少々あるだけでとても足りない。俺はがっくりして部長に告げる。
「残念ですが、そんなお金はありませんね。とりあえず、今日のところはやめないでおきますよ」
 その言葉を聞いて木曽先輩は少し落胆したようだった。俺は少し疑問がわいたので聞いてみた。
「どうして、そんなにお金を集めようとしているんですか。ここまですることないじゃないですか」
 部長は笑みを浮かべながらこう言った。
「しょうがないじゃん。漫画描くにはお金かかるんだから。いい道具を揃えるのも大変なんだから」
 
 さて、読者諸君はかの芥川龍之介の名作「羅生門」をご存知だろうか。そんなもの知っとるわい。馬鹿にするな。と言いたい賢明な読者の方もどうか黙ってあらすじを聞いてほしい。
 大昔の事戦乱やらなんやらで都が荒れ果てた事があった。そこに仕事をクビになった下人がいて、彼はなんだかんだで羅生門に着く。するとそこには死人の服をはぎ取っている老婆がいた。下人は正義心からそれを止めようとするが老婆にこう言われる。
「これは生活のためだ」
と、するとそれまで正義の味方だったはずの下人は考えを改め言うのである。
「ならお前を襲っても文句はあるまいな」
 だいたいのあらすじはこれであっていると思う。俺は部長の顔がその老婆のように見えた。うぶな俺をいちころにしたあの可愛らしい顔がだ。俺はそのとき
「なら小説のための金を奪っても仕方あるまいな」
 とでも言えば良かったのだが、素の顔に戻った部長にその言葉は言えなかった。 
 
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