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「卒業式… どうなんのかな」
 フライドポテトを気だるそうにつまんでいた木戸が、ぼそっとつぶやいた。
 僕の向かい側に座っている栗林が残り少なくなったコーラをズズズズッと音を立てて吸い上げてから、小首をかしげるがもちろん可愛くない。
 三つ目のハンバーガーにかぶりつくのに夢中な剣崎に至っては、木戸の言葉が耳に入ってすらいないようだ。
 
 親子連れの多い平日のハンバーガーショップの一番奥の目立たない席で、僕たち4人は遅めの昼食をとっていた。
 休校期間はなるべく家にいるように、とは言われていたのだが、暇を持て余す僕たちがそれを守るわけがない。
 推薦で大学の決まっていた僕とは違って受験真っ盛りだった他の3人は、昨日ようやく入学試験という荒波を乗り越えたのだった。
「卒業式はするんじゃないかな、さすがに」
 誰も返事をしようとしないので、仕方なく僕が木戸に答えた。植木はどう思うか聞きかけて、彼がこの場にいないことを思い出す。
 受験シーズンに入る前まではいつもこの4人でつるんでいたのである。僕以外は2月に入試スケジュールがつまっていたので、ここしばらくの間は僕は一人で行動することが多くなっていた。それが、気が付けば植木と一緒に行動することが多くなっていた。
 僕は、植木がここにいないことに違和感を感じるまでになっている自分に気づいた。

「コナン、キョロキョロしてどうしたんだ?」
「…いや、なんでもない」
「トイレならあっちだぞ」
 木戸は何かを勘違いしているようだ。木戸が指し示す方向に、何故か僕ではなく剣崎がおもむろに立ち上がり向かって行った。
「ほんと、どうなっちまうんだろうな。学校」
 木戸がぽつりとこぼす。
 今学校の周りは報道陣がひしめいていて、通りがかる人を捕らえては質問攻めにしている。おかげで、休校が明ける日の見通しは全く立っていない。人が三人も死んだのだ。報道陣の数は増える一方で、僕たち生徒は混乱の真っ只中に立たされているのだった。

「石田さえ見つかればなあ」
 栗林がのんきに放ったその名前にビクッとしてしまう。あの、うつろな魚のような目を思い出して、僕は身震いした。
 江崎が死んだあの日から、三日が経過していた。石田は未だに見つからないままだ。
 食べ終わったポテトの紙箱をつぶしてひょいっと真横にあったゴミ箱に投げ入れて、木戸がこちらに向き直る。
「しっかしさあ、まさか俺らのクラスから二人も死ぬなんてな」
「しかも殺人だろ? なんでこんな時期なんだよっつーのな。せめて卒業してからにして欲しいわ」
「でもさ、石田が犯人って決まったわけじゃないんだろ?」
「犯人みたいなもんだろー? まだ見つかってないんだから。何か後ろめたいことがあるから逃げてるに決まってるって! それとも木戸は他に犯人がいるって思ってんの?」
「そんなのわかんねーよ。俺だって何があったかあんまり事件のこと知らねーし」
「コナンはどう思う? 学校行ってたんだろ、何か知らないか?」
「…え?」
 突然自分に話題を振られて戸惑ってしまった。
 
 僕は、江崎と小野の通夜の席のことを思い出していた。
 肝っ玉母ちゃんだと、江崎が生前話していた恰幅のいい江崎の母親はずっと大声で泣いていた。一人で立っていられないらしく、江崎の父親が泣きじゃくる妻の肩をぎゅっと抱きしめていた。
 小野の方はうって変わって、小野の父親はプログラムされたロボットのように無表情に事務的に参列客へ頭を下げ続け、それに対して母親は座ったまま決して動かなかった。誰に話しかけられても応じず、枯れ果てた彼女はまるでぬけがらのようだった。
 大切な人を亡くしてしまったそれぞれの家族を見ていて、僕は十年前の母を思った。
 突然死んでしまった父の葬儀で、母は静かに涙を流していた。取り乱すわけでもなく、口をギュッと硬く結んだ母はまだ小学生だった僕の手を力いっぱい握り締めていた。
 新井が父の仏壇に手を合わせに来た時は泣きこそしなかったものの、やはり僕の手を握り締めていた。
 母を悲しませることだけは絶対にするまいと、あの時からずっと僕は心に決めているんだ―――――。 

「石田さえ見つけられれば事件は解決すると思うんだよなー。逃げてないで自首すりゃ罪も軽くなるだろうにな。なんで逃げてんだろ」
 …そうだ。
 栗林に言われるまで、石田が何故失踪したままなのかを考えてもみなかったのだ。
 江崎を殺したのが石田だったとして、僕に目撃されたことで思わず逃げてしまったとしよう。だが、どこかに隠れたままいつまでもいられるとは考えにくい。
 これはテレビで放映されていた情報をつなげて得た知識なのだが、石田は一度自宅に戻った時に着替えをしただけで行方をくらましたそうだ。血の付いたシャツとズボンがそのままの状態で発見された。心配なのは、江崎を刺した凶器もまた見つかっていないことだった。
 そして、気になることはもう一つ。財布以外の通帳やカードが家に残されていたのは何故だろう。普通、長期間潜伏するつもりなら全財産を持って逃亡するのではないだろうか。自首するでもなく、高飛びするでもなく、石田は何を考えているのか…
「石田なら俺、見たよ」 
 言葉に詰まってしまった僕の背後に、いつの間にか戻ってきていた剣崎が立っていた。
「マジで!?」
「どこで!!」
「いつ!?」
 木戸と栗林と僕は同時に立ち上がって叫んでしまった。店内の客の視線が一斉にこちらに集中してしまい、僕たちはそろって真っ赤になって腰を落ち着けた。

 一人だけ平然としている剣崎が、僕たち三人の一人ひとりに目を配らせてから切り出した。
「…昨日、受験が終わった報告しようと思って学校行ったんだよ。そしたら、なんか人がいっぱい門のとこにいて中に入れなくてさ。仕方ないからグラウンドの方に回って、林抜けて行くことにしたんだよ」
 僕たちは顔を見合わせた。
「お前、よく一人であの林に入ろうと思ったな! 」
 栗林がいたく感心したように剣崎の肩をバシバシ叩いている。
「だって、江崎がまたそこにいるわけじゃないんだし、近道にちょうどいいからさあ。」
「でもお前、石田が隠れてるって思わなかったの? 毎日ニュースで、まだ石田は見つかってないって言ってたじゃん」
「うちは木戸んちと違って、受験が終わるまでテレビは封印してたんだよ。新聞に出てたみたいだけど、俺が動揺しないように家族みんなが黙っててくれてたから事件がどうなってたのか全然知らなくてさ」
「それで、石田はどこに?」
 僕は噛み付くように聞いた。栗林も食い入るように剣崎を見つめている。
「ええっと、あ、そうだ。体育館裏の倉庫。あそこに入ってくの見たよ。ちょっと距離があったから声はかけなかったけど、あんなに身体が大きい男は石田以外にいないから間違いないよ」
「剣崎… それ、警察に言ったほうがよくない?」
 水分をたらふく摂取したはずの栗林の声が、少しだけかすれている。僕も同感だ。すぐに警察へ通報した方がいい。
「電話でもいいしさ、とにかくすぐに警察に言った方がいいよ」
「嫌だよそんなの。せっかく受験が終わって自由になれたのに」
 これがゆとりか。剣崎は、石田の狂気の刃の矛先が自分に向くとは思いもよらないのだろう。警察への目撃証言は、僕たちがやる気のない剣崎の代わりにした方がいいのかもしれない。

「石田と言えばさあ… ちょっと思い出したことがあるんだけど」
「何だよ木戸、もったいぶってないでさっさと言えよ」
「…石田ってさ、いっつも新井ちゃんの後くっついてたじゃん? でもさ、実は放課後はもう一人一緒にいた奴がいたの知ってた?」
 木戸は空手部だった。新井や石田の所属する柔道部と同じ道場で部活動を行っていたので詳しいのか。
「だから何だよ、誰だよそいつ」
「栗、さっきからせっかち過ぎるって。…で、まあ、そのもう一人ってのがさ、うちのクラスの植木なんだけど」
「!!!!!」
 木戸の口から思いもよらない名前が出てきて、僕は激しくむせてしまった。
「おいおい大丈夫かコナン?」
 剣崎が分厚い手で思い切り背中を叩いてくれるので、今度は息がつまって苦しくなった。気持ちは嬉しいが、痛い。
 呼吸困難になりかけている僕を剣崎に任せて、木戸と栗林は話を続けている。
「マジ? 知らんかったわー。ってことは、新井ちゃんと石田と植木の三角関係?」
「そんなことをふざけてネタにしてた奴はいたなあ。でもあくまでネタだったからな。」
「植木は何か知ってるかもしれないってことだねえ」
 痛がる僕に気づいた剣崎が、今度は大きく背中をさすってくれながら会話に参加し始めた。摩擦で熱い。
「どうだろうな。もしかしたら石田から植木になんらかのアクションがあるかも知れないかなっと思ってさ」
「怖い世の中になったもんだな」
「そうだねえ、俺らも気をつけないとね」
 言葉とは裏腹に、他人事のように言った剣崎はトイレ帰りに手にしていた包みを開いた。四つ目はチーズバーガーだった。




 腹ごしらえの後はカラオケで有意義に過ごして、僕たちはそれぞれ帰路に着いた。
 僕の頭の中では、木戸の話していた一つのことがずっと渦巻いている。植木のことだ。
 植木は新井のことも石田のことも僕に黙っていた。木戸によると、植木と新井と石田の3人は暇さえあればくっついて何かを話していたということだ。植木は何故それを隠していたんだろう。
 夕暮れの時間が終わりかけて、空はゆっくり暗くなり始めている。
 僕は、流れ行く雲を目で追いながらのんびり歩いていた。空は先日の大雪が嘘だったかのように気持ちよく晴れている。
 
 あの大雪の日、小野はどうして夜の公園なんかに行ったのだろう。

 僕を追い返した後、小野の家族が帰宅した。そして、小野の家にかかって来た電話で小野は呼び出されたらしい。
 必死で引き止める家族の制止を振り切って飛び出した小野は、そのまま公園で首を絞められ、殺されてしまった。
 電話は公衆電話からで、相手は特定できなかった。
 小野を呼び出したのは、やはり石田だったのか。それとも、別の………

 気が付くと、僕は学校のすぐ近くまで来ていた。
 さすがにこんな時間までマスコミは張り付いてはいないようで、周囲には人っ子一人いない。なんとなく不安が心に広がっていく。
 僕は、急に怖くなって逃げるように駆け出した。
 剣崎は学校の体育館裏の倉庫に入っていく石田を見たと言っていた。もしまだそこに潜伏していたのなら、この辺りを一人で歩くのは危険過ぎる。
 うかつだった………。
 もう少しで学校の敷地の横を通り過ぎる、という曲がり角で、僕はまたしても誰かにぶつかってしまった。
 激しい衝撃と痛みが僕に突き刺さる。僕はもんどりうって倒れた相手に駆け寄った。
「すみません! 大丈夫ですか!? ………ッ!!!!!」
 角を覗き込んだ瞬間、僕の足はすくんで動けなくなった。
 

 ゲッソリとこけてしまった頬。
 無精髭で埋め尽くされた顎。
 落ち窪んだ両目。
 ボサボサの頭。
 汚く薄黒く汚れているシャツ。
 頭を打って意識を失っているその男は、多少風貌が変わってしまってはいるが間違いなく―――――



 失踪した教師、石田だった。
 
 

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