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ゴリラ・アンダー・マイ・ネック(2022/2/18)

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 ある朝目を覚ますと、首から下がゴリラになっていた。

 最大の問題は、首から下が『ゴリラの首から下』ではなく五体満足の完全なるゴリラ、すなわち『フルゴリラ』である点だった。
 ゴリラの頭頂部に俺の生首が生えている状態は、客観的に見なくても激ヤバなルックスだろう。輪をかけて激ヤバなのは、『フルゴリラ』が俺自身とは完全に別個の意思を持っていることだ。
「ぎゃああああああああああああああああ」
 母ちゃんが叫び声をあげた。そんな大声を聞くのは初めてだった。
 まぁ、やっと部屋から出てきた引きこもりの息子の首から下が『フルゴリラ』になっていたら、そんな声も出るだろう。
「ウホウホウホウホウホウホウホウホ……」
 俺は何か弁解の言葉を言おうとしたが、その前に『フルゴリラ』が鳴き声を上げながらドラミングをしたので、母ちゃんは白目を向いてその場に倒れた。俺は今さら言い訳をしようとした自分に少し驚く。10年間引きこもりを続けたあげく、最後は首から下が制御不能の『フルゴリラ』になって親を悶絶させるなんて、どれだけ親不孝なのだ。 
 そんな感傷に浸っている間も、『フルゴリラ』は母ちゃんをまたぎ、玄関を破壊して家の外に出ていた。
「ぎゃああああああああああああああああああ」
 近所の主婦がそう言って叫び声を上げた。俺が引きこもり生活を続けている間に町内に引っ越してきた若い夫婦で、多分年齢はそんなに違わない。
「ごいあー、ごいあー」
 腰を抜かした主婦の隣では、幼い子供が『フルゴリラ』を指さして笑っていた。
 同年代の相手が、結婚して、家を買って、子供もいる。かたや俺は首から下が『フルゴリラ』のヒキニートだ。泣きたくなってくる。そんな俺の感傷を引き裂くように、勇ましい『フルゴリラ』のドラミングが空気を震わせていた。
「ウホウホウホウホウホウホウホウホ……」
 どかーん!!
 背後で爆発音がしたのはそのときだった。熱風とともに周囲が炎に包まれる。
 気づくと『フルゴリラ』が主婦と子供を守るようにして、地面に伏せていた。あたり一帯は焼け野原だ。
「ふっ、今の攻撃を耐えきるとは悪運だけは強いようだな」
 声をしたほうを振り向くと、空中に男が浮かんでいた。
 正確に言えば、首から下が炎を纏ったゴリラ、いわゆる『バーニングフルゴリラ』になった男だった。『バーニングフルゴリラ』の両足からはパワフルな炎が絶えず噴き出しており、それで飛行しているらしい。
 もちろん俺は初対面の相手にどう話しかけていいか分からなかったので無言だった。10年間引きこもっていた弊害だ。
(気をつけてください、やつも私たちと同じ『ゴリラ能力者』――最強のゴリラを決める『デス・ゴリラ・ロワイヤル』の参加者です)
 その声が『フルゴリラ』が直接俺の脳内に話しかけているのだと理解するのに、10秒かかった。我ながらよく10秒で理解できたものだと思う。
 混乱する間もなく、『バーニングフルゴリラ』男が口を開く。
「さぁ、残る『ゴリラ能力者』は俺とお前の二人だけだ。10年にわたるこの『デス・ゴリラ・ロワイヤル』に決着をつけようぜ。とは言っても、たった今『ゴリラ能力』に目覚めたゴリラレベル1の雑魚が、ゴリラレベル999のこの俺の相手になるはずもないがな」
 男が高い笑いするのに合わせ、『バーニングフルゴリラ』部分はドラミングを奏でる。
 ツッコミを入れる気にはならなかった。こんな頭のハジけた世界観の中ですら、10年引きこもった人間には落ちこぼれの烙印が押されるのだという事実が、俺はただただ悲しかった。
(正面からでは太刀打ちできません。やつに勝つ唯一の方法は、こちらも『ゴリラ覚醒』して、固有の『ゴリラ能力』を使えるようになることです) 
 『フルゴリラ』が脳内でそう言った。
 次の瞬間、『バーニングフルゴリラ』がこちらに向かって滑空してきた。組み合いになった『フルゴリラ』はそのまま空中へと連れ去られる。
(ここは私が何とか持ちこたえます!! あなたは『己の中の内なるゴリラ』と対話して、『ゴリラ覚醒』を起こすことに集中してください!!)
 脳内に話しかけてくる『フルゴリラ』に『己の中の内なるゴリラ』と対話しろ、と言われ俺はどうすればいいか分からなかった。戸惑っている間にも、『バーニングフルゴリラ』の容赦のないパンチが『フルゴリラ』を殴り続ける。
 瞬間、脳裏に浮かんだのは、10年前にパック寿司にプラスチックの葉っぱを乗せるバイトをしていたときのことだった。
 ベルトコンベアーで流れてくる弁当に葉っぱを乗せるだけ作業は、単調ではあるがコツを掴めば簡単だった。仕事をしながら「ああ、自分は社会の歯車になったのだな」と思ったが、湧き上がってきた感情は窮屈さではなくむしろ安寧だった。俺は自分の居場所を見つけることができたのだ。ささやかな幸福がそこにはあった。
 しかし、バイト初日の午後、事件は起こった。
 手元にあった補充用のプラスチックの葉っぱが尽きたのだ。
 俺はあたりを見回すが、周囲の人間は皆自分の手元で黙々と作業に集中している。そうしている間にも、目の前ではプラスチックの葉っぱを欠いた不完全なパック寿司が次々と通り過ぎていった。
 今に誰かが助けてくれる。優しく声をかけてくれる。俺はそう信じていた。初日だもんね、ちょっとぐらいの失敗は大丈夫だよ、と。
 しかし、そうはならなかった。
「何やってんだお前!! 葉っぱが入ってねぇじゃねぇか!!」
 怒声を上げたのは現場主任だった。「新人さん、がんばりなよ」と言って優しく肩を叩いてくた今朝の態度が嘘のような豹変だった。俺は弁明をしようとしたが、ショックで声が出なかった。その様子を見た主任は舌打ちをして、「最近のは葉っぱすらまともに入れられねぇのかよ……」と独り言のように呟き去って行った。
 その後のことはよく覚えていない。
 気が付くと俺は自分の部屋にいた。日付が変わっていて、次のシフトが始まるまで残り30分を切っていた。だが、部屋を出る気にはなれなかった。
 以来、俺はずっと引きこもりを続けていた。首から下が『フルゴリラ』になるまでは。
 どうすればいいかは分かっていた。
 すいません、葉っぱなくなっちゃんたんすけど。回りの誰かに声をかければ、それで済んだのだ。
 だが、俺にはそれができなかった。話かけて無視されたらどうしよう、聞き返されたらどうしよう、迷惑そうな顔をされたらどうしよう。そんな些細な不安のために、必要なことを先送りにした。先送りにし続けたあげく10年も無駄にした。いや、無駄ならまだいい。何もしない、何もできないままでいるということは、存在するだけで周りに迷惑をかけるということだ。
 それに気づいたときには、全てが手遅れになっていた。
(お願いです!! 早く、『己の中の内なるゴリラ』との対話をしてください!!)
『バーニングフルゴリラ』の猛攻に耐えながら『フルゴリラ』が脳内で叫んだ。
 俺なんかに期待するのはやめてくれ。補充の葉っぱがどこにあるのかすら質問できない無能野郎が、『己の中の内なるゴリラ』と対話なんてできるはずがないだろ。
 そんな弱音などお構いなしに、『バーニングフルゴリラ』の強烈な一撃が『フルゴリラ』にクリティカルヒットする。
 隕石のように空中から叩き落された『フルゴリラ』は、道路上にクレーターを作って墜落した。
(ぐはっ!! ……早く……『己の中の内なるゴリラ』と対話を……)
 瀕死状態の『フルゴリラ』は、『バーニングフルゴリラ』に首を掴まれ、体を宙吊りにされた。念のため言っておくが『バーニングフルゴリラ』に掴まれたのは俺の首ではなく『フルゴリラ』自身の首だ。
「ふん、ゴリラ自体は悪くはなかったが、残念だったな。腰抜けの『ゴリライダー(※ゴリラ能力者のこと)』を引いた己の運の無さを恨むんだな」
 男がそう言うと、『バーニングフルゴリラ』の首を掴んでいるのと反対の手のひらにゴリラから発せられる炎、いわゆる『ゴリラバーニング』がチャージされる。 
 そのとき、そのゴリラの炎の揺らめきが、俺には一瞬ゴリラの顔に見えた。一匹だけではなく、何匹もいる。ゴリラの炎の中に、ゴリラの群れが見えたのだ。
 群れのゴリラたちの頭頂部には、もれなく人間の頭が乗っていた。
 間違いない。それは今まで『バーニングフルゴリラ』に倒されてきた他の『ゴリラ能力者』たちの怨念が形になったものだった。
 俺は畏怖した。
 馬鹿げたゴリラの怨念にではなく、俺が無為に過ごした10年間の間に、それだけ多くの人間の首から下がゴリラになり、戦い、散っていったことに。世の中は変わっていく。人やゴリラもまた、変わっていく。変われなかったのは俺だけだ。俺だけが取り残されている。取り残されたまま、ここで『フルゴリラ』と共に死ぬのだ。
「……母ちゃん、ごめんよ」
 口からは自然と謝罪の言葉が漏れていた。俺の首の下の『フルゴリラ』のドラミングに驚いて、白目をむいて気絶した母ちゃん。あれが最後の別れだなんて。
 同時に、俺はあることを思い出した。
 ゴリラのドラミングとは威嚇ではない。むしろ『争いをやめよう』という和解のサインなのだ。
 小学生のころ、母ちゃんに買ってもらった動物図鑑にそう書いてあった。その本を読んだ幼い俺は、将来獣医さんになることを夢見た。自分でもすっかり忘れていた記憶だった。
 つまり、『フルゴリラ』は母ちゃんや近所の主婦を驚かそうとしたのではなく、仲良くなろうとしていたのだ。
 自分の頬を、一筋の涙が流れるのが分かった。
 結局は相手を気絶させてしまったのだから、『フルゴリラ』のやり方は間違っていたことになる。でも、こいつは母ちゃんを気絶させた後、主婦にもドラミングをした。めげずに挑戦を続けたのだ。不器用なやつだが、『フルゴリラ』は自分から一歩踏み出すという勇気を持っていた。それは俺に足りなかったものだ。ずっとずっと、欲しがっていたものだ。
 そして今、俺の首から下は『フルゴリラ』になっている。俺の一部である『フルゴリラ』が、俺が欲しがっていた勇気を持っていた。
 それは自分で気づいていなかっただけで、欲しがっていたものは俺の中にずっとあったということではないだろうか。
「くっくっくっ、これで終わりだ!!」
 男が叫ぶと、『バーニングフルゴリラ』の手のひらに中にある『ゴリラバーニング』が輝きを増し、次の瞬間視界は炎で覆われた。
 俺は目を閉じる。
 そして、次に目を開いたとき、自分が弁当工場のコンベアの前にいることを発見する。間違いない。10年前のあのパック寿司の工場だった。
 視線を下げると、手元の補充用の葉っぱはなくなっていた。
 どうすればいいかは分かっていた。
「ウホウホウホウホウホウホウホウホ……」
 俺は自分の胸を叩き、声高らかにドラミングを開始した。
 作業をしていたアルバイトたちが顔を上げる。以前の俺だったなら、彼らの視線には耐えられなかっただろう。でも、今は平気だった。だって俺は、10年以上も親の脛をかじり続けた恥知らずなヒキニートなのだから。
「ウホウホウホウホウホウホウホウホ……」
 俺は無心でドラミングを続けた。駆け付けた現場主任が口を開けてこちらを見ていたが関係はなかった。俺は居場所が欲しかった。存在を認めてもらいたかった。そして、皆と仲良くしたかった。その願いを阻んでいたのは自分自身だ。だから変わらなくてはいけない。ゴリラになって、ドラミングをしなくては。
「ウホウホウホウホウホウホウホウホ……」 
 ずっとドラミングをし続けているせいで、腕はパンパンになっていた。胸も痛いし、声もかすれている。もしかしたら、こんなことをしても無駄かもしれない。何やってんだと、現場主任にまた怒鳴られて終わるだけかもしれない。
 でも、それでいいのだ。誰かに何かを伝えることはそれほど難しい。
 挑戦する勇気とは、同時に失敗する勇気だった。失敗を乗り越え、同じ挑戦を繰り返す勇気だった。そうやって人は変わっていく。ドラミングをしたからと言って、人間はいきなりゴリラにはなれない。だが、この先の人生で何百回、何千回とドラミングを続けていけば、やがて腕の筋肉も太くなって、男性ホルモンで毛深くなって、限りなく本物のゴリラに近づくことはできるかもしれない。そのためには、今ドラミングを始めるしかない。たとえ、へなちょこなヒキニートのドラミングだとしてもだ。 
「……ウホ、ウホ……ウホ……」
 限界を迎えた俺は、ドラミングを止めてその場に膝をついた。もう指一本動かす体力も残っていないと感じた。滝のように全身から汗が流れている。
 誰かがそばにしゃがみ込んだのはそのときだった。
 それは俺の隣のレーンで葉っぱを補充していたバイトの先輩だった。
 こちらに差し出された彼の手には、補充用の葉っぱの束が握られている。息絶え絶えの俺はやっとの思いで腕を上げ、それを受け取った。
「おめでとう」
 葉っぱを分けてくれたバイトの先輩は、そう言って拍手をした。すると周りにいた他のバイトたちも次々に「おめでとう」と口にして拍手を始める。その中には、俺を怒鳴った現場主任がいた。母ちゃんや、父ちゃんもいた。近所の主婦とその子供も。
「……ありがとう」
 俺はそう言って目を閉じる。
 そして、もう一度開いたときには、何もない真っ白な空間に立っていた。
 正面には『フルゴリラ』がいた。
「対話できたんですね――『己の中の内なるゴリラ』と」
「……ああ……ありがとう。『フルゴリラ』がドラミングをしてくれたおかげだ。君がいなかったら、俺は『己の中の内なるゴリラ』に気づくことなんてできなかった」 
「でも、ドラミングを始めたのはあなた自身ですよ。誇ってください。あなたはもう立派なゴリラです」    
「……勝てるかな、『バーニングフルゴリラ』に」
「どうでしょう、手ごわい相手ですから……でも、勝率は上がったと思います。あんな立派なドラミングができる『ゴリライダー』がいれば百人力ですよ」
 そう言って『フルゴリラ』は微笑んだ。
 少し照れくさくなってきた俺は、返事をせずに目を閉じる。
 そして、再び目を開いたとき、場面は『バーニングフルゴリラ』が『フルゴリラ』の顔面に向かって『ゴリラバーニング』を発射する直前に戻っていた。
 どうすればいいのかは分かっていた。
 俺は『フルゴリラ』の身体を操り、炎を纏った『バーニングフルゴリラ』の片腕を掴む。
「なっ、なんだと!?」
 予想外の展開に『バーニングフルゴリラ』の上の男の顔に驚愕の表情が浮かんだ。すかさず顔面(※『バーニングフルゴリラ』の顔面)を殴りつけると、発射された『ゴリラバーニング』は『フルゴリラ』の頬をかすめて明後日の方向に飛んでいった。
 それまで自立した意思によって動いていた『フルゴリラ』の肉体は、今や完全に俺の意思によって制御されていた。同時に、『フルゴリラ』の頭頂部にあった俺の頭はすでに姿を消している。ここにいるのは、完全にして純粋なるゴリラだ。 
 それが『ゴリラ覚醒』により発言した俺自身の固有の『ゴリラ能力』、『ゴリライダー』とゴリラが完全に一体となることでゴリラの持つ潜在能力を100%発揮する『フルシンクロゴリラ』だった。
 つまり、俺の『ゴリラ能力』とは俺自身がゴリラになることだったのだ。
「ウホウホウホーーー!!!!」
 雄たけびを上げながら『フルシンクロゴリラ』、すなわち俺は『バーニングフルゴリラ』をジャイアントスイングで放り投げた。空中を舞った『バーニングフルゴリラ』は近所の民家に突っ込み爆発を起こす。背後ではそれを見た主婦が「あああああ……ローンが……」と絶望の声を上げていたが、それはゴリラの戦いによる不可抗力的な犠牲、いわゆる『コラテラル・ゴリラ・ダメージ』だった。この犠牲を無駄にしないためにも、俺は何としても『バーニングフルゴリラ』を倒さなければならない。
 半壊した民家から火柱が上がり、中から空中に浮遊する『バーニングフルゴリラ』が現れる。頭頂部から生えた男の眉間には青筋が走っていた。
「ふん、自らゴリラに飲まれることで力を得たか……だが、それがお前の限界だ。ゴリラとは即ちパワー!! 支配し制御することができて初めて意味があるのだ!! ゴリラに身を捧げることでしか力を得られない貴様など、所詮は畜生以下よ!!」
「ウホウーホ……ウホウホウホウッホウホウホウホホー!(※「哀れな……真にゴリラに飲まれているのはお前のほうだ!」の意)」   
「黙れ!! ゴリラ風情が!!」
 男の怒鳴り声と共に『フルバーニングゴリラ』の纏う炎はいっそう大きくなる。そして、両腕の上げたやつの頭上には、まるで太陽のような巨大な炎の塊が形成された。
「これが俺の『ファイナル・ゴリラ・ディストラクション』だ……!!!」 
 多分、『ファイナル・ゴリラ・ディストラクション』とは『ゴリラ能力者』が持つ全ての『ゴリラ力』を一点に集中させ放つ最終奥義的なやつだ。ゴリラレベル999の『ゴリラ能力者』である『バーニングフルゴリラ』の『ファイナル・ゴリラ・ディストラクション』を食らえば、いくら『ゴリラ覚醒』によって固有の『ゴリラ能力』を得た『フルシンクロゴリラ』と言えども、ひとたまりもないだろう。
 だが、『フルシンクロゴリラ』となった俺に――いや、俺と『フルゴリラ』、完全にひとつとなった二匹のゴリラに焦りはなかった。  
 俺たちは思い出す。
 最初に登場したとき『バーニングフルゴリラ』がドラミングをしていたことを。ドラミングとは『争いをやめよう』という和解のサインだ。
 そして俺たちは気づいている。
 『ファイナル・ゴリラ・ディストラクション』の炎を構える『バーニングフルゴリラ』がとても悲しそうな、だが同時にとても優しい目をしていることに。
 ゴリラとは森の賢者、本来争いを好まない生物だ。そもそも、最強のゴリラを決める『デスゴリラロワイヤル』自体が愚かな人間のエゴだったというわけだ。
 全てを理解した俺たちは、もちろんどうすればいいかも分かっていた。
「ウホウホウホウホウホウホウホウホ……」
 俺たちは自分の胸を叩き、高らかにドラミングを開始する。
 それは『フルゴリラ』が褒めてくれたドラミングだった。
 葉っぱを分けてくれたバイトの先輩が、現場主任が、母ちゃんと父ちゃんが、近所の主婦とその子供が拍手を送ってくれたドラミングだった。
 同時に、以前とは違う点もある。
 これまでのドラミングは、自分を変えるための、自分自身のためのドラミングだった。
 だが、今回のドラミングは自分以外の誰かのためのドラミングだ。
「ウホウホウホウホウホウホウホウホ……」
「……うぐっ!!? ……何ぃ!!? ……馬鹿なっ!! ゴッ、ゴリラが動かん!!……」
 『フルバーニングゴリラ』が炎の『ファイナル・ゴリラ・ディストラクション』を持つように、『フルシンクロゴリラ』にもまた固有の『ファイナル・ゴリラ・ディストラクション』が存在する。 
 否、それは破壊(ディストラクション)ではなく思いやり(コンパッション)――我が『フルシンクロゴリラ』の『ファイナル・ゴリラ・コンパッション』とは、ドラミングにより己以外のゴリラとシンクロすることで、全ての争いを終わらせる対話の能力だった。
「……まっ、まずい!? この状態は……がぁ!!? 焼ける!! 頭が焼けるように熱い!!! 」
 『フルバーニングゴリラ』の頭頂部で男が叫んだ。『ファイナル・ゴリラ・ディストラクション』の炎を頭上に構えている状態が続けば、露出した男の頭部は長時間高熱に晒されることになる。俺たちのようにゴリラと人間が完全に一体化していればこんなことにはならなかっただろう。皮肉にも、ゴリラを道具としか見做さない男の姿勢が、やつ自身を追い詰めていたのだ。
「ウホウッホー!! ウホホーホウホウホウホ!? (※「諦めろ!! そのままでは本当に死んでしまうぞ!?」の意)」
 ドラミングを続けながら俺たちは叫ぶ。
 『フルバーストゴリラ』を操る男が攻撃の意思を持っている以上、俺たちの『ファイナル・ゴリラ・コンパッション』では相手の動きを止めるのが限界だった。
「……ぐうっ!!……ゴリラに屈するなど……死んでも御免だ……ぐっ!!? ……がぁああああああああああああああ!!!!!」
 叫び声が聞こえた瞬間、『バーニングフルゴリラ』の頭頂部にあった男の頭は蝋燭の炎のように真っ赤に炎上した。同時に『ファイナル・ゴリラ・ディストラクション』の炎の玉は萎んでいき、最後には消えてなくなる。
 『ゴリライダー』を失った『バーニングゴリラ』はゆっくりと地上に降り、その場に膝をついた。
 優しさを湛えた彼の両目には涙が浮かんでいた。俺たちはすでにドラミングをやめ『バーニングフルゴリラ』との精神的なシンクロを解除していたので、どんな意味の涙かは想像するしかなかった。望まぬ争いから解放された安堵か、主人を失ったことへの悲しみか、多くゴリラと『ゴリラ能力者』の命を奪ってきたことへの後悔か、あるはそれら全てか。
「……ウッホウホウホウ……ウホホウホウホ(※「……誇り高き二匹のゴリラよ……本当にありがとう」の意)」
 最後にそう言うと、『バーニングフルゴリラ』は短いドラミングの後、身体全体が燃え上がって粉々に砕け散った。あたりに炎を纏った風が吹き荒れるが、攻撃の意思は感じない。
 上を見上げると、炎の風の中には百体以上のゴリラが混じり、空へと飛び立っていく様子が見えた。それは『デス・ゴリラ・ロワイヤル』によって犠牲となったゴリラたちの浄化された魂だった。
 そして、気づくと『俺』の目の前には『フルゴリラ』が立っている。
 自分の身体を触ると、いつの間にか首から下は人間に戻っていた。
「――どうやら、お別れみたいですね」
 『フルゴリラ』の優しい声がそう言った。
「……そんな、なんで……俺たちは勝ったじゃないか」
「『デスゴリラロワイヤル』が終結し、私たちは役目を終えました。ゴリラたちの魂は、全てのゴリラの根源『グレート・ゴリラ・ヴァルハラ』へと還ります――私もその例外ではありません」
「まっ、待ってくれ……俺たち、まだ出会ったばかりだろ? いっしょにいられるなら、何でもする。家に住まわせてもらえるよう母ちゃんたちを説得するし、就職してバナナ代だって稼ぐよ……だから頼む、俺にはまだ『フルゴリラ』が必要なんだ。見てくれ、このヒョロヒョロの腕を。こんなんじゃ、とてもじゃないけどひとりでドラミングなんて――」
「大丈夫ですよ」 
 『フルゴリラ』が微笑んだので、俺は言葉を続けることができなかった。すでに両目からは滝のような涙が溢れていた。最後に泣いたのはいつだったか思い出せない。少なくとも10年以上前だ。もしかすると、この涙は俺の中で止まっていた何かが動き出した証拠なのかもしれない。なぜだか俺にはそう思えた。
「――言ったじゃないですか、あなたはもう立派なゴリラだって。」
 そう言った『フルゴリラ』の身体は空中へと浮き上がっていた。引き留めようとしたが、伸ばした腕は雲を掴むように『フルゴリラ』をすり抜ける。
(会いたくなったときは、胸を叩いてください。あなたほどのゴリラのドラミングなら、その響きはきっと私たちのいる『グレート・ゴリラ・ヴァルハラ』に届きますから――)
 最後に脳内に直接話しかけると『フルゴリラ』の声は聞こえなくなった。あたりを見回すと、炎の風とゴリラの魂たちはどこかへと去った後だった。
「ウホウホウホウホウホウホウホウホ……」
 気づくと俺はドラミングをしていた。それ以外に今の自分の感情を表現する術はなかった。
 ドラミングをしたからと言って、人間はいきなりゴリラにはなれない。俺はもう『ゴリラ能力者』ではないのだ。
 だが、この先の人生で何百回、何千回とドラミングを続けていけば、やがて腕の筋肉も太くなって、男性ホルモンで毛深くなって、限りなく本物のゴリラに近づくことはできるかもしれない。そうやって人は変わっていく。
 そのための最初のドラミングは、今始まったのだ。
「ああっ! あんんた!! 大丈夫かい!!」
 後ろで声がしたので、振り向くと血相を抱えた顔の母ちゃんがこちらに走ってくるのが見えた。手を振りながら、就職活動をすることを伝えたら母ちゃんはどんな反応をするだろうかと考えた。
 それから就職活動自体に思いをはせる。面接では何を聞かれるだろうか。アラサーの元引きこもりなんて、履歴書の時点でアウトかもしれない。世間は社会不適合者だった俺のことを簡単には受け入れてはくれないだろう。
 でも、そんなときどうすればいいかは『フルゴリラ』が教えてくれた。たとえ偏見の目で見られたとしても、俺はあなたと仲良くなりたいのだと伝え続けるのだ。
 ゴリラのように逞しいドラミングを、何度でも。
「ウホウッホ……ウホウホウホウホ(※「『フルゴリラ』……俺、頑張るよ」の意)」
 俺は『己の中の内なるゴリラ』にそう呟いてから、母ちゃんの元へと戻っていった。 
 


 翌朝。
 目が覚めると、今度は首から上がゴリラになっていた。
 最大の問題は、首から上が『ゴリラの首から上』ではなく五体満足の完全なるゴリラ、すなわち―――。 
「ぎゃああああああああああああああああ」
 叫び声を上げると、母ちゃんはまたもや白目を向いて気絶した。


 やれやれ。
 どうやら、俺の就職活動はもう少し先の話になるらしい。 

 
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