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1.キャバクラ問答(2011/2/21)

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 八畳間の居間で二人、正座して向かい合っていた。
「安田くん。申し開きはあるかね?」
 片や蓮華柄のエプロンを身に着けた、壮健美麗な女・安田清美(やすだ きよみ)。つややかな黒髪は腰まで届き、切れのある目つきはさらに鋭く対面を捉えている。
「だから、何度も言ってるだろ? これは誤解だって!」
 片や背広を脱いでネクタイを緩めた、風体善良な男・安田義之(やすだ よしゆき)。くせっ毛の短髪はワックスが抜けてへたり、ただでさえ垂れ気味の目尻と眉がプレッシャーに当てられて「ハ」の字を作っている。
「そうかそうか。誤解か。ではきみの言う通り私の理解に何らかの誤りがあるとするならば……こんな物がきみの上着のポケットに入っていた経緯を、つぶさに、説明、してほしい、ものだなっ!」
 清美は大きく頷くと、台詞の一句一句を区切りながら手にしていたカードを一枚ずつ、畳の上へメンコのように叩きつけた。
 ばらけたカードにはそれぞれ、例えば《男は船、女は海 クラブオーシャン》とか《ミカでぇす お酒ツヨい人って大好き また一緒に飲もうネ》とか《出勤曜日は月、水、金》とか《シャチョさん、キテくれる、みんナうれしい》とかそんな、夜の酒場で客を引き留めるための常套句が散見していた。中には口紅が付いたものまである。
「いや、だからさあ清美、覚えが無いんだって。何かの間違いなんだよ」
 清美が追及すれば義之が否定をし、その度に彼女は溜め息を吐く。このやり取りが、今日は既に四回以上も繰り返されただろうか。
「頑なにそれを主張するのであれば安田くん。きみ自身はどう考える? きみの衣類に、いずれ知らぬ性風俗店の名刺が入れられていたというその状況が、どんな意図によって引き起こされたと予想する?」
「いやいや清美、誤解してるぜ。キャバクラってのはあくまで酒を呑む場所だ。エッチなことをする店じゃねえ」
「私が問いただしたいのは、そんな言葉の意味合いではない!」
 ずいっと得意げに前傾した義之だが、すぐに一喝されて姿勢を正す。
「とにかくだ。きみが持ち込んだのでなければ、どういうわけか、せめて想像でもよいから理由を答えてみたまえ、と言っているのだよ。合点のゆく答えがもらえれば、今回は不問にしようではないか」
「だったらそれは、きっと、あれだよ。会社の同僚か上司かが、俺にイタズラしたんだよ」
「なるほどもっともらしい回答だね、安田くん。では検証をしてみようか」
「け、検証?」
 義之が小首を傾げるや、清美はちゃぶ台の上に置いてあった彼の携帯電話に目をやった。
「ローラー作戦だ。まだ九時前だから、さして迷惑というほどの時刻でもなかろう? どれ、仕事先のフォルダは……」
「わわっ、待てまて、清美! さっきのは無しだ! うん、俺の会社の奴らはみんないい奴ばっかりだから、絶対にこんなイタズラなんかしねえよ!」
 触られる前に必死のダイブで携帯を掠め取り、ちゃぶ台に突っ伏す。ちなみに彼は正座させられ慣れているため、足は痺れていない。
「ふむ、そうかね。では次の言い訳を聞こう」
「……マッチ売りの少女ってあるだろ? あんな感じ」
 今度は清美が首を捻る。
「年端もいかない女の子がいてさ、その子の親父が酷いんだ。仕事はしないわ、酔って暴力を振るうわ。しかも自分の子供に酒代を稼がせるんだよ。でも家にあるものは殆ど売っぱらっちまって、あるのは親父が集めたキャバクラの名刺だけ。そこで女の子は、名刺を全部売るまで家に帰れなくなったんだ。泣けるだろ? この寒い中、薄着で、あかぎれた手を伸ばして言うんだよ。『お願いです。誰か名刺を、キャバクラの名刺を買ってください』って……」
「嘘を吐きたまえ、嘘を」
 とうとうと語られる話の概要を掴んだところで、清美は遮った。
「現代日本の生活保護制度において、そこまで困窮している児童がいるとは考え難い。それに何より、もしそんな子供に出会ったら、名刺を買ってやるだけでは気が済まないだろう? きっとその子をここへ連れてきて、こんな事情があるから泊まらせてくれと、私に頭を下げるような男だよ、きみは」
 だから嘘だと、義之の人となりに重きを置いて断ずる。
「そ、そうか。そうだよな。それじゃあ宇宙人が突然……」
「宇宙人が突然やって来てきみを拉致し、なんだかよく分からない手術を受けたので記憶が無い、などという馬鹿げた設定であれば二年前、映画を観に行く約束の時間に遅刻したときの言い訳として聞いたぞ」
「あれ、そうだっけ? じゃあえっと……」

 それから義之はあれやこれやと頭を回したが、その殆どが清美に先手を打たれて潰された。
 次第にネタも尽き、互いに押し黙り、時計の秒針がやけに大きく聞こえるようになった頃。清美は改めて口を開く。
「このまま泥仕合を続けていても仕方が無い。いっそきれいに決着をつけようではないか」
「どうする気だ?」
「私は今から、きみに一つの質問をする。それで手打ちにしよう。答えの如何に関わらず、終わればこの件についてそれ以上深く訊ねはしないし、また決して後で掘り返すこともしない。約束しよう。ただしその代わり、きみも正直に答えてくれ。もちろんそれが嘘だったとしても私は何も追及しないが、こればっかりは信頼関係だ」
「おう、分かった」
 義之は一拍の間を置いて返した。
「よろしい。次にこの質問に対しては、必ず『はい』か『いいえ』のどちらかで答えてくれ。なお黙秘権は認めない。いいね?」
 これにも義之は頷く。
「そして前もって言っておくが、その質問に『はい』と答えた場合、私はきみの頬を打つ。ただし……」
 清美は言葉を溜めた。義之は固唾を呑んだ。
「『いいえ』と答えても、やはり同じく頬を打つ」
「どっち答えても殴られるんじゃん!」
 不服を訴える義之に、清美は裁判官にも似た不動の姿勢で続ける。
「そうだ。ちなみにどちらにしても、叩く強さに違いは無いぞ。さあ選びたまえ。きみは家で私がご飯を作って待っているのを知りながら、夜な夜なキャバレークラブに通い詰めて遊んで他所の女に現を抜かしていた。『はい』か『いいえ』か」
「…………『はい』」

 観念した義之は正直に口を割ると、清美もまた宣告通り正直に手を出した。
 プロレス中継でもなかなか耳に出来ない、見事な衝撃音。
 剣の達人が抜刀で斬りつけるが如く、清美の右手の甲がしなやかに、したたかに義之の右頬を捉えた。膝立ちで踏み込んだ抜き打ちは一閃、義之の体勢を崩して床に倒す。
「では一件落着したことだし、ご飯にしようか」
 無言でのた打ち回る彼を尻目に清美は、実に晴れやかな面持ちで席を立ち、皿を並べて食卓を整えた。
 手を合わせて「いただきます」を言う頃には義之も痛みから立ち直ったらしく、もごもごと焼き魚を頬張る。
「考えたんだけどさ、清美」
「どうした?」
「ようやく、俺がどうするべきだったのか分かったぜ」
「そうか、分かってくれたか。それは嬉しいな」
 しかし安田義之という男は飄々と、この期に及び、腫れた口で言うのである。

「今度からは、名刺は持ち帰らないようにするよ」
「よーし安田くん。左の頬も出したまえ」
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