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3話「なかった、不幸」

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「なんだ、コレ」
 箱の中に入っていたのはコンパクトタイプのカセットレコーダーだったのだが、時代の違いか吉野にはそれがなんなのかがいまいち把握できていない。だが、レコーダーについていた再生や録音、または早送りや巻き戻しのボタンには見覚えがあったのでとりあえずは吉野は再生ボタンを押してみる。
 キュルキュルと音を立てて中のテープが動いているのを見て、吉野はなんとなくカセットレコーダーというものを思い出した。確か、昔に見た覚えがある。
「やあ。吉野八雲。くれぐれも勘違いするな、これは脱出ゲームではない。これは贖罪のためのゲームだ。贖罪は多くの犠牲の上に成り立つ。黒電話は背中を削ればコードの差込み口が見つかるだろう。もっとも、壊れてしまっていたならどうしようもないがね」
 レコーダーから聞こえてきたのはテレビから聞こえてきたのと同じ、やけに高いボイスチェンジャーの声だった。
 声はそれだけを言うとザーという無音を残し、何も話さなくなる。
 そんな無音のレコーダーを片手に、吉野は呆然とする。なにせ、自分がこの箱を拾ったのはつい先ほどの出来事なのだ。だというのに録音された音声は、吉野が黒電話を壊すのを見透かしたかのように壊れていたら仕方がない。などと馬鹿にするように言ったのだ。
 もしかしてつい先ほど入れたのかと一応箱を拾った穴を覗き込み、外に繋がっていないかと壁をくまなく触り確認してみるが、当たり前のようにそこは密閉されており吉野の行動を見てから録音して設置したとは考えにくい。第一、この箱を開けるためには鍵が必要だったはずなのだ。そのくせ黒電話を壊さないと鍵は手に入らなかった。つまりは必然の会話だ。が、しかしどうか、箱の鍵がなくとも開ける事は可能だった。ただ、中の保障が出来なくるなる。
 考えれば考えるほど思考の深みにはまっていく。これじゃ手のひらの上で踊らされている。それが吉野の率直な感想だった。今頃、吉野の疲れきった顔でも見て腹を抱えて笑っているのだろうかとWebカメラを眺める。
 電光掲示板は残り十時間を切っていた。
 壊れてしまった黒電話は見たところ基盤は形は保っているものの、受話器と本体が別々になって使い物になるとは思えない。コードをつなぐ事に成功したとして、粉々に砕け散った破片が吉野に現実を突きつける。
 やはり壊すべきではなかった。頭を抱えながら吉野は壁にもたれかかるのだった。



 ガチャリ。
 無音の部屋にカセットテープの音が響いた。
 放心しぼんやりと時間を浪費していた吉野は何事かと顔を上げたが、テープのA面とB面が入れ替わっただけだった。時計はあれから一時間が経過、つまりこのテープは片面六十分の両面百二十分の物かとなんとなくまとまらない頭でそんな事を考えた。



「くそ」
 はぁ。と吉野の口からため息が漏れる。
 どうしてこんな事になってしまったのか。自分が悪かったのは既に思い知ったのだが、それを伝える術(すべ)がない。手詰まりとはこの事だった。
 不幸だ。不運だ。最悪だ。呪詛のように心の中で唱えた。
「今、君は幸運かい?」
 そんな吉野にタイミングを見計らったかのような問いかけが聞こえた。それはまだ動き続けていたテープレコーダーからだった。
「もし不幸だと思うなら、光りを感じられる事の幸運さを思い知るといい」
 それだけ言うとまたガチャリと音を立てて面が入れ替わる。
「やあ。吉野八雲。くれぐれも勘違いするな、これは脱出ゲームではない。これは贖罪のためのゲームだ。贖罪は多くの犠牲の上に成り立つ。黒電話は背中を削ればコードの差込み口が見つかるだろう。もっとも、壊れてしまっていたならどうしようもないがね」
 前回聞いたことのある台詞に、また最初に戻ったのかとカセットを止める。残り時間はあと八時間も無い。手詰まりだと思っていたのだが、先ほどのメッセージからはまだ何か手立てがある事を示しているのではないかと吉野は立ち上がる。
「光りを感じられる事の幸運さ?」
 後半に言っていたメッセージを思い出し、口に出してみる。この部屋で光るものといえば、電光掲示板とテレビ。
「電灯?」
 見上げる吉野を照らしていたそれ。そう。残るは電灯だった。いそいそと机を移動させ、電灯に手を伸ばす。
 長方形のカバーがかかっていたので、それを外すと側面に見覚えのある安っぽい鍵が貼り付けてあった。
「こ、こんな所に」
 やられた。と吉野は思ったが、後悔しても先には進めないとむき出しになった蛍光灯の周りを眺める。蛍光灯は一本だけで、もう一本は刺さっていない。なんとか蛍光灯を外そうとしてみるも、接着されているのかうんともすんとも動かない。
「む」
 蛍光灯に目を焼かれ、まぶしそうに目をこする。だが、探せども探せども何も無い。しかたがないので吉野は一旦机から下り、もう一度言葉の意味を反芻する。
「光りを感じられる」
 つまりは目が見えるということか。と吉野は解釈する。
「幸運さ」
 確かに、目が見えることは幸運なのかもしれない。と、言うことは贖罪ための犠牲に目を差し出せという事なのだろうか。そう考えて吉野は身震いをする。
 真っ暗な世界。何も見えない黒の世界。それはどれほど恐ろしいのか。吉野にはまったく検討がつかなかった。震える肩を抱きながら試しにまぶたをおろしてみると、ピーッというテレビの音と、自分の心音がうるさく聞こえ、なんだかとっても新鮮な気分になり、落ち着いてくる。
 大きく息を吸い込み、目を開ける。とりあえず暗闇というものを体感した吉野は、もう一度蛍光灯に向き直る。
「暗闇」
 先ほど体験した空間をそう表して光りと比較する。
「わからん」
 二つを並べてみても対極にあることくらいしか分からない。目標を変えるかと電光掲示板をコンコンとたたいてみたりするも、何も無い。そして、もう一つの光る物であるテレビをコンコンと電光掲示板同様軽く叩いた時だった。ブンと嫌な音を立ててテレビが消える。
 スイッチが切られたのかとあせって前面に向かうが、電源ランプらしきものはついていた。つまり、壊してしまったのだ。
 受話器に続いてテレビまで。ここにきて吉野は二つのアイテムを失ってしまった。そう思うとテレビのありがたさが身にしみる。先ほどまで電話番号を映し出していたモニタは、今では真っ暗な暗闇で、電話番号は地面の血文字のみとなった。
「真っ暗?」
 テレビを見つめ、そして思いつく。先ほどまでテレビが映っていたのが幸運だったという事に。そして、真っ暗になってしまった今はそれが不幸なのだという事に。つまるところ、なくしてからはじめて気がつく大切さというものである。
 じゃあやってやるぜと蛍光灯を見つめる。が、その前に一つ問題が浮上した。
 電話番号だった。生憎と暗闇で光るテレビはもう無いので、頼りは床に書かれた血文字だけとなる。だが、それも光りがなくなると見えなくなってしまう。とっさにYシャツに書く事も考えたが、それも見えなければ意味が無いし、何処かで無くす可能性がある。覚えてしまうのも手だが、どうも吉野には自信が無かった。なにせ、吉野は極限状態。どこで記憶があやふやになるか分からないのだ。
「ふぅ」
 大きく息を吸い、ポケットに手を入れる。握ったのはナイフだ。
 左手を腕まくりすると、もう一度大きく深呼吸する。
 ごくり。と生唾を飲む音がした。
 吉野は握ったナイフを震える右手で握り、ゆっくりと左腕に近づける。そう、吉野は自らの体に番号を刻もうというのだ。確かに、それならば無くす心配はないし、深く刻めば暗闇の中でもなぞる事で番号が分かるだろう。
「いっ」
 ナイフの穂先が吉野の左腕を刺す。もちろん、吉野には耐えがたい苦痛を与える。
 ぐりぐりと地面でもえぐるようにナイフをゆっくり進める。ありがたい事にナイフの切れ味がよかったので肌は豆腐をきるように滑らかに切れるのだが、苦痛がその切っ先をにぶらさせる。
「一つ」
 十分な時間をかけ、左腕に一桁目を刻んだ吉野はそう小さく言い終わってから、また大きく息を吸って吐く。このままでは無理だと判断したのか、服のすそを口に入れ、それを硬く噛み締める。口が塞がれたからかフゥーっ荒い鼻息が漏れた。電話番号は全部で十一桁。つまり、あと十回体にナイフを突き立てなくてはならないのだ。想像を絶する痛みに吉野は何度もナイフを捨てそうになるが、歯を食いしばって腕に番号を刻む。
 やがて、十一桁すべてを刻み終わると、吉野は右手からナイフを取りこぼし、その場に力なくへたり込む。
「っはぁっはぁ……」
 咥えていたすそは力を入れて噛みすぎたのか所々が破けていた。そして番号を刻んだ左腕からは電話をしたわけでもないのに電話番号を押したかのように左腕でリンリンと痛みを発し、挙句おびただしい量の出血が見られ、止血しないと危険だと告げている。
「はぁはぁ」
 肩で呼吸をしながら、口と右手を使って器用に左肩を破いたシャツで結び、止血する。右人差し指の血は止まっていたというのに、今回ナイフを握り締めすぎたせいかまたじんわりと血がにじんでいた。もちろん、地面に描いていた番号は吉野の新たな血によって上書きされ見えなくなっていた。これで番号は吉野の左腕に残るのみとなった。
「あと七時間」
 メモを取るのに一時間かかっていた。だが、これが限界だった。これ以上早く進めようとしていたならば、吉野は痛みと苦痛で狂っていたかもしれない。
 まるで焼いた鉄を埋め込んだみたいに左腕が痛んだが、かまうもんかと受話器を握り、机に上る。目的はもちろん傾向とを破壊する事だ。
「これで、暗闇だ!」
 そう言って吉野は血でどろどろになった受話器を蛍光灯に叩き付けた。
 パン。と蛍光灯の割れる音が響くと、部屋は暗闇に包まれた。 



 †須木



「おい須木ぃ。ジャンプしてみろよ」
 放課後、少年たちに囲まれ、いわれるがまま須木はその巨体を揺らす。
「お、お金なんて持ってないよ」
 音が鳴らない事をアピールしながら須木は飛び跳ねる。
「音がならないって事は小銭じゃなくて札なんだろ。頼もしいなぁ」
 ガスッと須木の膨らんだ腹に少年の拳が刺さった。
 ぐふぅと空気の抜けた風船のような声を出しながら、須木はその場にうずくまる。ちらりと顔を上げた須木の目には、何もしないでただ自分を、自分達をちらちらと見ながら何も無かったかのようにそそくさと教室を後にする一人の生徒がしっかりと刻まれる。
「また須木いじめ?」
「そ、そうみたいだね」
 教室から出たその生徒は、外で待っていた別の生徒に話しかけられそう答える。
「松屋(まつや)、須木と知り合いなんじゃなかったっけ?」
 もやしのような長身の生徒に指摘され、松屋と呼ばれた教室から出てきた生徒はびくりと肩を振るわせる。
 須木と同じように低身長ではあったが、松屋は細身だった。細い手足に細い体。まさに骨といった感じの風貌に髪は坊ちゃんがりだった。いかにも不健康そうなイメージを受ける松屋はせわしなく視線を泳がせ、挙動不審げに教室をちらちらと覗き見る。
「い、いいんだよ。ほら、いこう」
 急かすような松屋に背中を押され、のっぽの生徒と二人、松屋はその場を後にした。
「おーおーお友達の松屋君は我が身がかわいいらしいねぇ」
 教室と廊下などたいした距離ではなかったので、先ほどの二人の会話は地面でうずくまる須木と少年たちにばっちりと聞こえていた。
「何とか言えや、コラ!」
 反応の無い須木を不快に思ったのか、少年はサッカーボールでも扱うようにして須木の腹を蹴る。当然、須木は苦しそうな声を漏らす。
「おらおらおら」
 それを皮切りにしてかストレス発散とばかりに少年たちは寄ってたかって須木を蹴る。蹴られるたび、須木は蛙のつぶれたような声を漏らすのだが、少年たちはお構いなしで笑い声を上げる。
「ふぅ。いい運動になったわ」
 蹴って、蹴って、蹴って、後に誰か一人がそう言うと、それぞれよかったよかったと笑顔を浮かべて満足そうな表情を浮かべる。
「じゃ、明日もよろしく」
 ガスッと最後に一蹴し、少年たちは笑いながら教室を去っていく。
 部屋にはぼろぼろぞうきんのようになった須木だけが残されており、夕日で真っ赤に染まった教室が、悲壮感を盛り上げる。
「くそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそ」
 地面に横たわり、涙を流しながら須木はつぶやく。その姿はさながらしゃべるのろい人形といった所だが、本人にその自覚はない。
「でも、へへへ。へへへ」
 一通り気が済んだのか、それとも気が狂ったのか、須木は気味の悪い笑顔をうかべながらポケットに手を突っ込み、真新しい黒の携帯を取り出す。たどたどしい手つきでぽちぽちと太い指でボタンを操作すると、そこに映し出されたのは血まみれになりながら腕にナイフを突き立てる吉野の姿だった。
「えへ。えへ」
 本来なら悲鳴を上げかねない衝撃映像を前に、須木は笑顔を浮かべていた。
「いい気味だ」
 もう一度画面を嬉しそうに眺めると、鞄を拾い上げ、吉野の席を蹴飛ばして教室を出る。
「えへ。えへ」
 帰り道、須木は一人吉野の苦痛にゆがむ姿を思い出して笑うのだった。
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