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犯行から逃走に至るまで

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 あの日。あの事件が起きた日。私は午前八時に起床した。
 まず顔を洗い、歯を磨き、風呂場に入って桶に冷水を溜め、みそぎを行った。
 それからいったん部屋に戻った私は、箪笥の一番奥に昔からずっと置いてある、黒い背広を羽織り、黒いネクタイを巻いた。喪服のつもりだった。
 次に離れの物置小屋に向かい、隠しておいた猟銃二式と日本刀を持って家を出た。日本刀は父が残していったものだ。
 外には誰もいなかった。なぜなら昨晩は、年に一度の収穫祭があったので、村の者はみな酔い潰れて眠っていたからだ。だから私はこの日を選んだのである。
 実に三年も前から周到に準備を進めてきたとはいえ、さすがに手と脚の震えが止まらなかったのを覚えている。しかし、やらねばならない、と、私は自分を奮い立たせたものだ。まったく村人にとっては姦計だろうが、私にとっては栄光への計画であったし、今でも後悔はない。
 まず最初に私が向かったのは、村の外れにある高い鉄塔だ。
 そこで、骨組みに脚を掛けて鉄塔をよじ登り、送電線を手当たり次第に切断した。なかなか上手い具合に切れず、これには心底てこずった。人の肉を斬るのもこれくらい難しければ、おそらく被害者の数はもっと少なかっただろう。
 やがて、ほとんど全部の電線を切り終わって再び地面に降りたころには、脚の震えは止まっていた。その代わりに、今までの十有余年の人生では感じたことのないような高揚が体を走ったのである。
 私はそこで一度、気持ちを落ち着けようと考え、曽祖父の形見であるという恩賜煙草をくわえたが、まだその時ではないと思い直して背広の内ポケットに戻した。そして、第一の被害者宅へ向かい、かねてからの計画を実行に移したのだ。
 私は律儀に玄関から屋内に入り、二階へ上って右側の部屋の襖を開けたがそこには誰も居らず、次に左の襖を開け、そこで間抜けに眠っている吉岡宗二を見つけるとすぐに、彼奴の喉を日本刀で突き刺した。おそらく即死だったのだろう。びくんと痙攣して固まる、あいつの死に顔は実に滑稽だった。
 元々、この家では吉岡とその家族だけを殺すつもりだったが、吉岡の隣で寄り添うように寝ている安藤美千代も日本刀で殺した。下世話な話になるが、なぜか男性器が勃起してしまってので、安藤の服を剥ぎ取って死姦した。まだ未発達な彼女の体は美しく、とても興奮した。これが私の初体験である。
 その後一階に下りて、幾つらかの部屋を見て周り、やがて吉岡の両親と、記憶が正しければ隣家の夫妻を発見した私は、まず吉岡の父親の胸を日本刀で刺したのだが、先に殺した二人の肉片が刀身にへばりついていて斬り難く、この父親が起きてしまった。
 慌てた私は背負っていた猟銃を構え、彼を射殺した。吉岡や安藤の時と違って、彼はしばらく苦しみながら死んでいった。きちんと急所を射抜けていなかったのかもしれない。
 絶命する間際の、彼の呻き声によって他の三人が目を覚ましたので、次はしっかりと心の臓を狙って引き金を弾いた。三人はすぐに動かなくなった。隣家の夫妻もここで殺せたのは運がいいと今も思う。
 私は彼らの脈を測ることもなくこの家を出て、道伝いに軒を並べる家から家へと片っ端に入ってゆき、虱を潰すように見つけた人間はすべて殺した。途中で日本刀が使い物にならなくなったので、いったん斧を取りに戻った以外は、二時間のあいだ休むことなく人を殺して回ったのだ。


 事件の経緯が少し長くなってしまったが、これは逃亡手記であるわけだから、村を出るまでと出てからの話をしよう。


 犯行を終えた私は家に戻り、妹と祖母を起こして、返り血に塗れた私の姿に困惑する二人を静めてから服を着させた。その間に私も着替えて、これからの長い旅路に向けて必要なものを纏めた鞄を担ぎ、やがて着替え終わった二人を連れて家を出た。この時、妹は泣いていた。
 私はかねてから計画していた通りに、国道まで抜ける雑木林へ二人の手を引いて走ったが、祖母は如何せん脚が悪い。早くこの村を去らねばならないというのに、少し歩いては休みを繰り返す。
 だが、祖母を置いていくわけにはいかない。この事件に関係がないとはいえ、犯人の身内ということで辛い思いをさせてしまうだろう。私は頻りに後ろを気にしながらも、祖母の手を離さなかった。
 しかしだ。ここで恐れていた事態が起こった。
 殺しきれなかった生き残り共が、私たちを追ってきた。彼奴らは手に斧や包丁を持ち、それを高く掲げて走り迫る。
 私は妹に雑木林の向こうまで走れと命じ、それから祖母を背負って力の限り逃げた。だがやはり途中で息が切れ、徐々に村人共との距離が縮まっていく。
 ここまでか。
 そう思い、せめて妹だけは救えたのだと自分に言い聞かせ、私は足を止めた。その時、背負っていた祖母が耳打ちをしてきたのだ。

「お前は逃げなさい。自分は大丈夫だから」

 と、確かにそう言った。
 私は無理だと答えたが、それよりも早く祖母は私の背中から降り、迫り来る村人共に振り返って叫んだ。

「貴方がたのお話は自分が聞きましょう」

 だが、あの村人共がそんな言葉で止まるわけもない。両手を伸ばして無抵抗を主張する祖母の首はすぐに撥ねられ、そして彼奴らの怒りの矛先は再び私に向かった。
 ここで私が死んだら、彼奴らはきっと、妹さえ見つけ出して殺すに違いない。
 祖母に手を合わせることも、転がる首を拾ってやることも出来ず、私は走った。決して一度も振り向かないまま走り、雑木林まで入っても走り、村人共の怒号が聞こえなくなってもまだ走った。
 そして国道に出て、バス停の待合室に妹の泣きじゃくる姿を見つけた時、ようやく脚を止めたのだ。

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