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準備編

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この頃から俺は、経営に関しての勉強をするようになった。勉強といっても、取材や収録が重なり休みもまともに取れない状況だったので、高校や大学には行かず、古本屋でよさそうな本を見つければ買う。といった感じであった。
主な目的は風俗の運営だったが、それは全体的な目的、つまりカルロスへの復讐への礎と考えていた。俺の目的は、知名度だった。もちろん、AV男優としての知名度ではなく、社会的な知名度であった。

俺は、移動時間のバスや、収録の合間を縫って、本をひたすら読み続けた。たまに有名な経営者と番組で共演することがあったので、多くの方から多くの知識を得た。もちろん、さりげなく親睦を深めることも怠らなかったが、とにかくこの頃は無我夢中であった。
もちろん寮に帰っても勉強であった。息抜きに山岡ともう一人、もしくは複数の女性で乱交をすることはあったが、一対一ですることはまずなかった。時間があれば本。山岡が女を連れてこれば乱交。そんな生活が、数年続いた。

26の誕生日、俺は誕生日と同時に、風俗店の経営に乗り出した。記念すべき会社名は、「パノチャ」であった。スペイン語でいう、「まんこ」の意味だ。もちろんこれは俺が男優として働いている、スペイン語で「チンコ」という意味の「ヴェルガ」と双璧を成すように仕向けたわけだった。これは最大限の会社への尊敬だった。ここまで俺が出来たのは、チョコレート三津が率いる「ヴェルガ」のおかげであり、その他の何でもなく、尊敬するということは、当たり前のことだった。

といった話をすれば、テレビで評判を得られると思ったので「パノチャ」にした。後に山岡も俺を追う形で「ナルガス」という喫茶店の経営に乗り出したが、残念なことにそれは「スカトロ喫茶」だったので、一度しか行かなかった。ちなみに「ナルガス」はスペイン語で尻という意味らしかったが、幸いにも一年ももたず衛生的な問題で政府からの規制が入ったため、スカトロ喫茶は取りやめとなり、全員がでん部の露出をする「おしり喫茶」へと変更された。
スカトロ喫茶に行ったのは、一度だけだった。カレーがスカトロをモチーフにしたカレーかと思いきや、本物の汚物だったことや、店内にパパイヤの香りが充満していたこと、便所が男女共用で、和式便所一個しかない上に水が流れない仕組みになっていて汚物が積もっていたことから、二度と行く気にはなれなかった。しかし、おしり喫茶には今でもよく顔を出している。特に性的な目的では無く、単に岡山から取り寄せた白桃を使用したフルコースが絶品だからである。

そして、山岡のおしり喫茶は最近18歳未満でも立ち入りできる家族向け、及び学生向けのコーナーも設置し、今や全国チェーンである。白桃のフルコースはシェフの都合で本店にしか出せない決まりがあるのが難点だが、それでもよく移動中に桃ジュースを買いにいったりはする。とにかく、すばらしい店である。
そして、俺の経営は、最初は完全に失敗としか言えなかった。歓楽街の一等地に建てて、目のつく看板も置いた。しかし、客の入りはあまり良くはならなかった。もちろん俺は、山岡のように突出した案を出せるわけではなかったので、いたって普通の、ただの風俗を経営していた。
結果としては赤字だった。ほぼ黒字、といっても過言ではなかったが、赤字だったことは事実だ。テレビに出ては告知し、有名な絵本作家に描かせた俺のキャラクター入りの看板も配置し、わかりやすくしていたが、赤字であった。
理由を考えた結果、やはり奇抜な案が抜けているという結論にたどり着いた。だが、奇抜な案はそうそう浮かんでくるものでは無かった。考えに考え、何も出来ないまま、27の誕生日を迎えた。経営は、火の車であった。

生本番を有りにして逮捕されるのはなんとも避けたいし、未成年の採用も無しとした。考えに考え抜いた結果、コスプレやSM、ソープから全て、地道に変更してきたが、赤字であった。
従業員に問題は無かった。都内各区の道行く人々への街頭インタビューを繰り返し、誰が風俗嬢だと店に行くか、を決定した。とにかく、問題は全く無かったと思っていた。
結果的に、問題は、友人の元経営者で、社会的大成功を収めた後に逮捕されて釈放された後に俺と知り合った友人のアドバイスから、発見することが出来た。

原因は、俺にあった。
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簡単なことだった。つまり、単純に客は、俺の陰茎を見たことによって、自信が削がれていたらしかった。つまり、俺の陰茎を行為の最中に思い出すと、自信を喪失して勃起しなくなるらしかった。リピーターが少ないのはこのためであった。
これは完全に、風俗嬢に相談をしなかった俺の責任であった。落ち込みはしたが、失敗してしまったことに対する悔いは、無かった。

改善策は思ったよりすぐに発案することができた。客の陰茎を全て俺の陰茎と同じサイズにしてしまえばよかったのだ。そこまで案が行けば、後はすぐに事が進んだ。
まずは深夜番組で得た有名オナホールメーカーのデザイナーと、バイブメーカーの設計士を雇用した。言えば賭けだったが、これは名案であるという、自信があった。
オナホールデザイナーには、各風俗嬢の陰部の特徴を隅々まで再現させ、バイブ設計士には、俺の陰茎と全く同じ形のバイブを設計させた。ここまでの費用は、少しですんだ。
だが、次の工程で、自己の全財産、親友である山岡をはじめとする知人達から借り出した莫大な借金を全て使い込むことになってしまった。

まず、バイブ専門のプラスチック加工工場にバイブメーカーに作らせた設計を基に、俺の陰茎と同サイズのバイブを一日に三本を生産できるラインを作り上げた。これには大して費用はかからなかったが、次の目的となるオナホールの開発は、非常に難しかった。
オナホールにはこだわりが無くてはいけない。そう思った。そもそも風俗嬢の陰部が忠実に再現されていなければ、俺の風俗に来る必要性がなくなってしまうからだ。これは、商品化をしても風俗に客が入るようにするための、戦略である。
しかし問題点は量産が出来ない。ということであった。しかし、これは大体一人につき一本に加え予備に二本といった状況が好ましいと感じたため、一人三本、風俗嬢が12人だったので36本生産するハメになってしまった。
とりあえず既にライン生産があるバイブの36本分、12日分との同時完成を目標に、開発を進めた。

開発は熾烈を極めた。現に、目標期間内にすることは明らかに不可能であった。完璧な鋳型を12個作るのに、1日1個が限界であり、11日を費やしてしまった。バイブは既に33本になっていた。
しかし、完成したのなら手っ取り早い話であった。あとは鋳型にゴムを流し、オナホールを作るだけであった。ゴムの注入作業に一日、冷却作業にも一日を掛け開発から13日目、ついに、オナホールが12個、完成した。
15日目、ついに36個のオナホールと、45本のバイブが用意された。バイブは思ったより安価な上に生産率が高いので、これは店内で販売するようにしたが、オナホールの大量生産は視野に入れていなかった。

とにかく、後は簡単なことであった。事前にバイブの付け根部分は、断面のようになっており、そこにはオナホールを入れることが可能になっており、そこにオナホールを入れる。オナホールは取り外しが可能になっており、洗浄をしやすくすることを可能にした。
そして、3m近くあるバイブは、基礎部分は軽さを重視し、亀頭部分及びその下部10cmは実際の陰茎を彷彿とさせる材質でデザインされている。そして、陰茎の付け根にはパンツ、つまり男性が感じる重さを軽減させるために、ペニスバンド形式を採用した。

これを装着することにより、あたかも使用者が俺のような陰茎を持っているかのように感じられ、なおかつ風俗嬢とも性交をしているかのような錯覚に陥らせる器具の開発に、成功した。

そして、発明品は、完璧だった。評判も、テレビやネットで話題となり、アメリカの有名なニュース記事でも紹介された結果、よく海外からも客が来るくらいの、有名な風俗店となった。
明らかに一店では足りないので、東京二号店、大阪支店、愛知支店、福岡支店の計四店舗を増設し、それによりバイブの生産ラインを5倍に増強、一日に15本のバイブを生産し、各店に毎日三本が行き届く仕組みとなった。
バイブの製造より少し遅れて新たな48個のオナホールの型と144個のオナホールも出揃い、開店となった。

もちろん前回の反省を活かし、風俗嬢との直接的な会話も取っていた。風俗嬢が、リピーターのことを覚えていないとリピーターから露骨に嫌な対応をされたと言っていたので、それにも対応した。
俺が取った対応は、顧客を全て番号で管理し、コンピューターに記録。高額ではあったが手相による認証システムをつけて、来店時には必ず両手の手相を取ることを義務としている。
そして、風俗嬢との行為の後、風俗嬢により、趣味、職業、性格などが事細かに報告される。その結果、リピーターの記録はパソコンに記録され、リピート時に風俗嬢はリピーターの詳細を知ることが出来る。
ちなみに個人の意思によりメールアドレスの登録も可能となっており、これを登録した場合には週に一回だけ俺の風俗、「パノチャ」からのメールマガジンが入るようになる。このときの広告収入は大きい。しかし、目的はそれだけではなく、風俗嬢のためでもある。
例えば、多額の金を有しているリピーターや、有名人であるリピーターは「貢物」を渡してくれるかもしれない。ただ、他の風俗嬢へと渡すわけにはいかないので、その時は風俗嬢自らメールをし、リピーターを喜ばせて、貢がせる。これは、パノチャの利益にはならないものの風俗嬢のやる気を上げさせている事象のひとつである。

しかし、そんな風俗嬢も、結婚や精神的、もしくは肉体的な都合で風俗嬢を辞めてしまう場合もある。そんな時に問題となるのは、オナホールの型である。いちいち作り上げたものを捨てるのは勿体無い。そういうことだから風俗嬢を止めた風俗嬢の陰部をかたどったオナホールの型は、量産サインへと以降され、世界へと"顔写真"付きで販売される。
もちろんそのことに同意する文章も書かせていたし、訴訟されても平気なように準備は怠らなかった。退職する風俗嬢も少なくなり、利益は増え続けた。

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