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木の下の邂逅

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一 木の下の邂逅

 
 ぶらーり ぶらーり

 
 とある町の外れに位置する山の中。
 すっかり日の暮れた森の小道を、なんともなしに歩いていた光田柔斗(こうだ にゅうと)は思わず足を止めてしまった。生い茂る草木を時たま照らす月光の元で、奇妙な光景が広がっていたのだ。
「なんだ……あれ」
 
 何かが、揺れている。
 
 自分の認識する光景にいささかの疑問を抱きつつ、何かの見間違いだろうかと柔斗は目を凝らした。だが、やはり彼の視線の先には黒い影が一つ、確かにそこでゆらゆらと揺れているのだ。
 木の下にぶら下がっているのは大抵リンゴやみかんなどの果物だろうが、はて、あれほど大きな果物がこの世に存在したものかと彼は首をひねる。それは果物というよりも、なんだか精肉工場で吊るされているような肉の塊に近い、細くて長い影だった。
 と、その時雲の合間から、その木の部分だけにピンポイントで、スポットライトのように月の光が差し込んだ。
 黒い影の正体が、十メートル離れた柔斗にもよくわかるように照らされてゆく。
「……おいおい」
 その細長い影は、どうも人間で間違いないようだ。
 細い腕に、細い足。
 そして、彼の記憶の片隅に残る、見覚えのある制服。
 その制服が包んでいるのは、長い黒髪の女の子だった。
 ロープのようなもので首をくくられ、足は宙を浮いている。
 うなだれた顔には黒髪がかかっており、その表情はうかがうことが出来そうにない。
 月光の元だからだろうか、異様に白い肌からはその女の子が不健康そうな印象が、柔斗にはありありと感じられた。
 もちろん、死んでしまえば健康も不健康もない。
 我ながらつまらないことを考えてしまったな、としかめっ面をして彼は迷う。
「どうすりゃ、いいのかな」
 上は白ワイシャツ、下は黒ズボンという学生にありがちな格好で、柔斗はしばらく首吊り死体を眺めていた。
 時折降り注ぐ月光が彼の立っている辺りを照らすと、足元の小さな切り株が透けて、再び暗闇へと消えていく。
 静かな静寂が、柔斗と女の子を包んでいた。
 警察にでも通報した方がいいのだろう。
 だが、彼にはそれが出来ない。
 とある理由があるために、電話をすることも誰かを呼ぶことも出来ない。
 別にそれは彼が犯罪者として世を追われる身だから、というわけではないが、やはり『そういうこと』は出来ないのである。
 もどかしさから生まれた諦観が柔斗の心を満たした頃、彼は小さく口の中でつぶやいた。
「ごめんな」
 そして、逃げるように体を背けて歩き出そうとした、その瞬間。
「……って」
 風の中に混じるかすかな声が、彼の耳に入ってきた。
 最初は空耳だろうかとも思ったが、どうせ他にすることもなく暇なので、少しの間動きを止めて耳をそばだててみることにする。
「……まって」
 すると、かすかではあるが、確かに再び声が聞こえてきたではないか。
 待って、と言っているらしいその声は女声のようにか細くて高い。
(ってことは……!)
 ハッとして、柔斗はすぐ後ろの首吊り死体の女の子に目をやった。
 しかし、彼女は相変わらずゆっくりと揺れているだけである。
 何も、変わるところは無い。
「まさか……な。ホラー映画じゃあるまいし」
 昔テレビでやっていた、ゾンビの出てくる洋画を思い出して彼は苦笑する。
 吹き替えの声が映像の俳優と全く合っていなくて、雰囲気を完全にブチ壊していたのには思わず笑ってしまった。
「また、いつか見てみたいなぁ」
 映画を見ていると、自分が現実では有り得ない世界の中に入り込んでいける気がするのだ。
 だから、柔斗は映画が好きだった。
 今は、ほとんど見ることも無くなってしまったが。
 彼はそんな映画のようなワクワク感を思い出しながら、女の子の元へ近づいていった。
(もしかしたら、俺と同類の可能性もあるけど……それはないか)
 歩きながら、柔斗は浮かんだもう一つの可能性を吟味してみる。
 もしかしたら、生きているのではないだろうか。
 この子は実はマジシャンの見習いで、一人でこうして奇術の特訓を夜な夜な積んでいる。
──そんな設定を作り出してみた。
 しかし、その可能性もすぐに打ち砕かれる。
「いや、やっぱありえないな」
 柔斗は目の前に立ってよくよく女の子を眺めた
 ロープは首にしっかりと食い込んでいて、彼女の首をしめつけているし、足も間違いなく宙に浮いている。この子を見つけてから少なくとも三分は経っているから、この状態では生きているはずがない。
 声も、恐らくというか、やはりというか、空耳だろう。
 自分の頭をコツンと叩いて、柔斗は目線少し上にある女の子の顔を見上げた。
「…………」
 やはり黒髪がかかってよく見えないが、もしかしたら風が吹いてちらとでも垣間見ることができるかもしれない。
(人形の可能性もなきにしにもあらず、だよな)
 一応、確認しておきたい気持ちと共に淡い期待をよせて、柔斗は女の子の頭を凝視した。
 しばし待つ。
 すると、突然強めの横風が吹いて、女の子の髪が大きく揺れた。
 柔斗は思わず彼女の顔を、のぞき込む。
「あ」
「あ」
 その時、髪の奥で目をぱっちりと開けている女の子と目が合った。
 しっかりと開かれた眼球が、彼の顔を見据えている。
 それは一瞬のことだったが、あまりにも予想外な出来事に柔斗は驚いてド派手にその場へ尻餅をついてしまった。
「うわっ!」
 まさか、本当にゾンビか何かの化物とかじゃ――
 必死に手をまさぐり、なんとか逃げようと試みる。
 しかし、生気に満ち溢れたつややかな瞳が自分を見下ろしているのに気付いて、柔斗はもうそのまま動くことすら出来なくなってしまった。
 対する女の子は、そんな彼から視線を外さず
「待ってくれたんですね」
 と、くぐもった声で言って、あろうことか体を動かし始める。
 首を締め付けるロープの辺りまで腕をゆっくりと持って行き、その感触を確かめるかのように何度かさすってゆっくりと息を吐いた。それから片腕をスカートの中に突っ込んでまさぐると、果物ナイフのようなものを取り出して首の後ろに持っていく。どうやらロープを切り落とすらしい。
「もうちょっと待っててくださいね。今降りますから」
喉が閉められているからなのだろうか、やはり押し殺したような声で言うが早いか、女の子はどさりと木から落ちてしまった。
 どしんと鈍い音が聞こえた方に柔斗が目をやると、彼女もまた木の根元で彼と同じように尻餅をついていた。彼はその隙に逃げようと思ったが、腰が抜けたのかどうも動けない。我ながら情けないもんだと、柔斗は力無くうなだれたのだった。
「いたた……ちょっと失敗しちゃいました」
「な、なんだななんだお前」
「あっ、噛みましたね」
「う……うっさい!」
  そこでようやく体が思うように動かせるようになったので、彼は立ち上がりながらすぐさま女の子と距離を取る。
 今の今まで首を吊って死んでいたはずなのに、生き生きとおしりをさする女の子が目の前にいる――理解することの出来ない恐怖が柔斗を戦慄させた。
 何が起きているのかわからないが、少なくともこの子は生きている。
(生きている、はずがないのに、生きている)
 心の中で現状を把握する一句を詠んでみたが、精神状態は何も変わらない。
「どうなってんだ……?」
 険しい表情を浮かべる柔斗に、女の子は笑いかける。
「ええと、怪しくないですよ」
「怪しすぎる!」
 思わず声を荒らげる柔斗を前にしても、彼女は全く動じない。
 むしろ、顔に笑みを広げていく。
 顔は気味が悪いほどに青白いが、表情の色は桃色の上機嫌のようである。
 「無視してもよかったのに、こうしてここにいるじゃないですか。もしかしてあなたはツンデレさん?」
「ま、待てってって言われたら普通待つだろ?」
 言って、また噛んじまったと悪態をついていると、女の子は木の根元に座り込んだ。
「正直者さんですねー。ちょっと落ち着きましょう。大丈夫、ひどい目にあわせたり馬鹿を見させたりはしないですよ」
「もう俺の見てるこの状況が馬鹿げてるよ」
 言って、柔斗は頭を抱えた。
 ケタケタと笑う女の子の前で、情けないとは思いつつもうずくまってしまう。
 と、突然とんでもない言葉が彼の頭の上に降ってきた。
「幽霊さん、元気出してください」
「……!?」
 女の子の言葉に、柔斗は勢い良く頭を上げた。
 ――なぜ、それを知っている。俺が、幽霊だということを。
 こうして話せている時点で気付くべきだった点に、彼はようやく意識を向け始める。
「お前……どうしてそれを?」
「あれっ? それよりも私が生きていることに驚くのはもうやめたんですか?」
 いや、それにももちろん驚いてる、と彼は首を振った。
 こんな奇妙奇天烈な状況も、こうしてすぐに受け入れられる、その理由。
 それは、まず柔斗自身が置かれている状況が既に異常であることに端を発する。
 彼は、それを確かめるように言った。
「俺は、幽霊だ」
「はい」
 表情を一切変えず、女の子はうなずく。
 その様子を凝視しながら、柔斗は続けた。
「お前が幽霊じゃないってことは、その透けてない体を見ればよくわかる」
「そうですね。私は幽霊じゃありません。だって、これで首が吊れますから」
 彼女は手に持っている千切れたロープを軽く振った。
「じゃあ――お前は一体何者なんだ?」
 懇願するような、追いすがるような視線を女の子に這わせて彼は尋ねた。
 彼女は、その問いに静かに答える。
「キョンシーです」
「……キョンシー?」
 まるで異国に迷い込んだ外国人のようにぎこちなく、柔斗は聞き返した。
「キョンシーって、どういうことだよ」
 柔斗の頭の中で、キョンシーという言葉のイメージが展開されてゆく。漫画やアニメで見たことがあるキョンシーは、皆青い肌で顔に札を貼って手を前に突き出していた。だが、今目の前にいる自称キョンシー少女にはそんな特徴の欠片もない。顔色が著しく悪い事を除けば、普通の細身の女子高生である。その女子高生は、今彼の隣で眠そうにあくびをひとついていた。
「ふぁあ……」
「話を聞け、話を」
 とりあえず近づいても害があるようには見えなかったので、柔斗は誘われるままに彼女の隣に座っていた。
「馬耳東風って言葉知ってますか?」
「知ってるけど、それがどうした」
「なんで東の風なんでしょうね。私は南風の方が耳には心地いいと思うんですけど」
「知らねえよ! てか、東風で春の風って意味だからそれでも十分暖かいだろ」
 柔斗は高校生の割には幼げな顔をにらみつける。
 すると、女の子は大きな目がキョロキョロとせわしなく動かした。
「……そ、そうだったんですか!」
 どうやら驚いているらしい。
 それが普通なら気持ち悪いと感じる所なのだろうが、なぜか可愛く思えるのが不思議だ。
 女の子だからだろうか。
 尊敬の眼差しにも見えるその視線を受け止めながら、柔斗は照れ隠しに頭をかいた。
「……国語の辞書を引けば載ってるって」
「あ、そうだ」
 だが、その言葉をまさしく馬耳東風して、女の子は思い出したかのように言う。
「私の名前は、霊元(たまもと)れもんっていいます」
 柔斗の顔をのぞき込みながら、れもんは「改めてこんばんわです」と小さく頭を下げた。
「なんだか美味しそうな名前だな。お腹減ってきた」
 幽霊だから腹が減ることはないが、イメージが柔斗の脳内で勝手に展開されていく。
 カラッと揚げられたサクサクのカツに、濃厚な中濃ソースをとろーり。
 隠し味にはレモン汁。
 これが重要なのである。
 忘れてしまったら勿体無い。
 なんてことを想像していたら、れもんは柔斗の心の中を読んだかのように、ためらい無く言い放った。
「でも私、トンカツにはレモン汁かけない派です。ニュート先輩」
「そりゃもったない……ってえぇ!?」
 突然名前を呼ばれ、柔斗は困惑する。
 だが、当のれもんはそんなことを気にすることもなく、真顔で首を振った。
「だから、レモン汁はかけたら負けですって」
「そうじゃない! そこじゃないだろ!」
「このこだわりは譲れません!」
 人差し指を突き出して、これが私のアイデンティティーとばかりに意気込んでいる。
 食い違った二人は、それからしばらく本筋からそれてトンカツの話しで盛り上がった。
 キャベツは千切りか、粗切りか。
 ソースは犬の顔が印のものがいいのか、それとも能面が印のものがいいのか。
 そんな全くもって不毛な話をしていたところで、突然れもんが木の幹に拳を打ち込んだ。
 柔斗の「レモン汁をかけないのはお子様説」でついにキレてしまったのだ。
「むーっ! それは許せません!」
 その拳は、まるで発泡スチロールを殴った時のようにぼこんと木の中にめり込む。
「あっ」
 その手の先を、れもんも柔斗も息を呑んで見つめた。
「やっちゃった……」
 だが、れもんはいつものことのように手に力を入れると、そのまま軽く引っこ抜いてしまったのだ。

 ――恐ろしい、怪力。

 手を叩いて木くずを落とすれもんを見ながら、柔斗は言葉を失った。
「失礼しました。何が失礼なのかよくわかりませんけど」
 コキコキと、れもんはこれ見よがしに曲がった腕の骨を戻している。
 普通の人間なら痛みで叫んでしまいそうなところを、顔色一つ変えずにやっているのだ。
「す、すげぇな……」
「まぁ、キョンシーですからこんなもんです。生身の人間なら一捻りで殺せますよ」
あっけらかんとしているれもんから、柔斗はそろりそろりと身を引いた。
 今更になって、なんだか恐ろしくなってきた気がする。
「これでまぁ、少なくとも人間じゃない――キョンシーだってこと信じてもらえました?」
「あぁ……俺が生きてたら今すぐ逃げ出してたぜ」
「だから幽霊のあなたに声をかけたんですよ」
 どこか悲しそうに口元を歪ませながら、れもんは柔斗に向き直る。
 それから、もう一度彼の名前を呼んだ。
「ニュート先輩。あなたが来るのを待っていました」
「ま、待ってたのか?」
「はい」
 さも自信あり気に、れもんはうなずく。
「首を吊って?」
「はい」
 痛々しく首に残った跡を見ていたら、ふいに柔斗は冗談を言ってしまった。
「俺はキョンシー姫を助けにやってくるのか?」
「そんな物語があってもいいじゃありませんか」
 まぁ、そういうのがあっちゃいけないことはないよな、と柔斗はうなずいた。
(ガマガエルの王子様の逆パターン……いや、あれは王女さまがガマガエルだっけ?)
 謎は深まるばかりである。
 いや、謎といえばまず、なぜれもんが柔斗の名前を知っているのかが目下最大の謎だ。
「……ちょっと待ってくれ、れもん」
「なんですか、プリンセスニュート」
 とても嬉しそうな表情で、れもんはそんな事を言った。
 ちょっと背筋がゾクゾクするような、気味の悪い横文字に柔斗は思わず突っ込む。
「俺をどう見たらプリンセスになるんだ? じゃなくて、どうして俺の名前を知ってる」
 自分からは一度も名乗っていないし、れもんと面識があるわけでもない。
 幽霊になっても生前の記憶はハッキリと残っているから、忘れたわけでもないだろう、と首をひねっていると、れもんはさも当たり前のように言った。
「だって、私柔斗先輩と同じ高校なんですよ。先輩とっても有名人だから、学校の人はみんな知ってます」
「な、なんだって!?」
 俺にプライバシーというものは無いのか、と言い返そうと思ったが、よくよく考えてみれば死者に対してプライバシーが保護されるなんて聞いたこともない。この国の法律は穴だらけじゃないか、と柔斗は落胆した。
「じゃあ俺は、登校中に車に跳ねられて死んだ馬鹿で哀れな人間として、悪名高くなっているというわけか……?」
「自虐的が過ぎますよ。理由はどうあれ、死んでしまったものはしょうがありません」
「しょうがをすって目に入れて泣きたいよ、俺は……」
 トホホ、と泣いているマネをしていたら「しょうがを目に入れたら単純に痛いと思います」とれもんは真顔でつぶやいた。
 そりゃそうだよな、と柔斗はさらに落胆した。
 それから顔を上げると、れもんの青白い顔が不思議そうにしながら彼に近づいてきた。
「どうしてそんなにネガティブになるんですか。私だって色々嫌なことがありますけど、首を吊ってリフレッシュしてるんです」
 スッキリ、スッキリ、と魔法の呪文のようにそんなことを唱えている。
 怪しすぎる、と柔斗は率直に思った。
「その解決策には異論を唱えざるを得ないが……まぁくよくよしててもしょうがないよな」
 うなずいて──そういえば、なぜにれもんは首など吊っていたのだろう、と疑問が頭をよぎる。
「なぁ、どうして首を吊るんだよ。いくら死ななくてもさ」
「だから嫌なことがあるんですって」
 夜空に浮かぶ月を、目の敵のようにれもんは睨みつけている。
 月明かりに照らされる白いほっぺたが、四角い切り出し餅にも見えなくない。
 あの、スーパーでお徳用にパックされているあんまりおいしくないやつだ。
 れもんはふいに手を出して、細い指を折り曲げながら数え上げてゆく。
「ひとーつ、学校が嫌いでーす。ひとーつ、隣人さんも、ちょっと嫌いでーす」
「おま……」
 とんでもないことを、平然と言い出すれもんであった。
「ひとーつ、自分が嫌いでーす。ひとー」
「いつまでひとーつなんだよ。もういい、もうわかったからやめてくれ」
 放置しておいたら、それこそ朝になるまで言い続けそうな勢いだ。
 とてもじゃないが、こんな悲しくなるような口を隣で聞き続けたいとは思えない。
「…………」
 れもんはキョトンとした顔で、柔斗の必死な顔を見つめていた。
「ふたーつ」
「そうこうことじゃない!!」
「ほへ?」
 何をそんなに慌てているんですか、とでも言いたげにれもんは頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。
「そういうことじゃ、ない」
 柔斗は精一杯の笑顔で、理解を示すように大げさに手をあたふたと振る。
「キョンシーにもキョンシーなりの悩みとかあるんだよな! 大変なんだよな!」
「あ、はい。まぁ、一応、思春期ですからね。色々あるんです」
 色々、という言葉の裏にどんなおぞましいモノが隠れているのかは分からない。
 分かりたくも無かったので、柔斗は話題をそらす。
「隣人さんって、友達なのか?」
「はい、一応」
「なんだ、友達がいるならいいじゃないか」
 学校が嫌いなどと口走るので、孤立でもしているのかと思ったが、そういうことはないらしい。
 柔斗は心をなでおろす。
「いい友達なのか?」
「おせっかいを押し売りしてくれるいい友達です。いつでもおせっかいのバーゲンセールですよ。ホントに」
「……楽しそうな日常を送ってるな」
 きかなきゃ良かった、と心の中で舌打ちする。
 でも、れもんから見ておせっかいなら、多分普通の人なのかもしれない。
「ところで、幽霊の日常って退屈ですよね」
 青白い唇が、柔斗の鼻に触れようとして、するりとすり抜けた。
 大きな目が、迷いなく彼の眼球をとらえている。
「ま、確かに退屈だな」
 同じ幽霊がそこら辺にいるのはまれで、大抵は無言のまま一日を終えるのが柔斗にとっては普通だった。
「ふらふらと街をさまようだけで、何もすることが無い。生きている人間に話しかけても無視されるのが関の山。あまりの孤独感に、死にたくても死ねない。天に召すことすら、許されない」
 ぶつぶつと、れもんは続ける。
「なんだよ急に」
「だから私、柔斗先輩にもっとアクティブな日常を送って欲しいと思って、提案します」
「……提案?」
 得体のしれない気迫を前にして思わず尻込みしてしまう柔斗に、れもんは言った。
「ニュート先輩に、生き返ってもらおうと思います」
「な……!」
 思いがけない言葉に、柔斗は絶句した。

2, 1

  


「生き返る……って、黄泉がえるってことなのか?」
 いつぞやか見た、映画のCMを柔斗は思い出す。
 確か黄泉がえりには期限が付いていて、結局死んでいかなければならない悲しい物語だったことを覚えている。
「違います。黄泉がえりなんて、そんな奇跡はキョンシーに起こせません」
「でも生き返るって」
「だから、肉体を与えるということです」
 れもんは自分の肌を指差した。
「私だって、先輩と同じ既に死んでいる存在です」
「どう見ても生きてるようにしか見えないけどな」
「それはそういう風に繕っているだけです」
 この肌を見てください、とれもんは自分のほっぺたをつんつんとつついた。
 張りのない、硬そうなほっぺたである。
「この体は入れ物です。要するに死体です。死体の形を崩さず保つためには色々手を加えないといけません」
「そりゃそうだな。放っておいたら腐っちまう」
「だから、どうしても見た目に落ち度が出てきてしまうんです。中身はどうにでもなるんですが」
「それでそんなに顔色が悪いのか」
「顔色っていうか、全身こんなもんなんですけどね」
 見ますか? とセーラー服の襟に手をかけた女の子を柔斗は慌てて制止する。
「やめてくれ、俺は別にそんな趣味は持ってない」
「全裸になるとでも思ったんですか? エッチですね」
 くすっ、とれもん小さく笑った。
 エッチだなんて今時の女の子は言わないような気もするが、この子が言うと説得力がある。
「魂と肉体は別物だっていう話は聞いたことがありますか?」
「あぁ。肉体が箱、っていうやつだろ」
 よくオカルト番組でやっていた除霊実況でも、こんなことを言っていたように柔斗は思う。
 インチキ臭いこともあるが、なにせキョンシーが真顔で話しているのだ。
 信じてみるのもいいだろう、彼はうなずいた。
「そうです。肉体は所詮入れ物。だから、死んで魂の抜けた死体――空箱に魂を封入することは別に無理な話ではありません」
「つまり、それを俺にやろうってことか」
「はい。詳しい話はまた今度でいいですか? 喉が乾いちゃいます。それより、とりあえず形から入りましょうよ」
「なんだよ形って」
「ついてきてください」
 れもんは突然立ち上がった。
「どこに行くんだよ」
「家に帰ります」
「家?」
 スカートをはたきながら、れもんはうなずいた。
 細い足が、月明かりに照らされて神秘的に光っている。
「まさか私が土の中からつくしんぼみたいに生えてくるとでも思ってました?」
 にょきにょきと言いながら、れもんは体をくねらせる。
 そんな光景を想像したら、思わず柔斗は吹き出してしまった。
「シュールだな」
「キョンシーにはシュールもなにもありません。行きますよ」
 れもんはずいずいと先に進んで行ってしまう。
 立ち上がり、柔斗は彼女についていきながら質問をなげかけた。
「……あぁ。この近くに住んでるのか?」
「えぇ。そこの丘を下ってすぐです」
「近いな! そんな近いところで首吊ってたのか」
 世間体というものを考えた場合、もっと離れた方がいい気がする。
 散歩がてらに家の近くを歩いていたら首吊り死体を見つけちゃった、ではもう遅いのだ。
 まぁこいつにはいらぬ心配か、と柔斗はそそくさと行ってしまうれもんの後を追う。
 少し暗い茂みの中には、確かにゆるやかな下り坂があった。
 階段ではなく、草の生えていない獣道のような道である。
「足を滑らさないように……って、そんなこと言う必要もありませんでしたね」
「最初から自重しておいてくれたら俺も言うこと無かったな」
 迂闊でした、と頭をさすりながられもんは一足先に暗闇を抜けていってしまう。
 続けて柔斗も暗闇から出ると、突然開けた場所に出た。
「こ、こんなところがあったんだな……」
 どこかのキャンプ場のような空き地が広がっていて、その両端に建物が立っている。
 右側にあるのは四角い箱を組み合わせたようなデザインの、三階建てのごく普通な一軒家、
 左側にあるのは――どうもその『はなれ』のように見える。
 いや、トイレだろうかと柔斗は目を凝らした。
 すると、彼の視界にれもんが入ってきて、そのトイレらしき建物に向かって行くではないか。
「こっちです、先輩」
 立ち尽くす柔斗の方を振り返って、彼女が手を振る。
 それを見ながら彼は声を張り上げた。
「あのさ、幽霊だからトイレに行く必要はないんだけど」
「トイレ? 何言ってるんですか」
 これから家にご案内しますから付いてきてください、と言ってれもんは再びトイレらしき建物に向かう。
 柔斗の中で、悪い予感がふつふつと煮立ち始めた。
 まさか、あの建物に住んでいるとでも言うだろうか。
 一階建ての、粗末な平屋に――れもんは慣れた感じで入っていった。
「マ、マジかよ……」
 れもんが首を吊っていた理由がわかった気がして、少し同情しつつ柔斗はその建物に近づいた。
 木でできた、鍵もついていない扉を横目に、中を覗くとれもんが立っている。
 薄暗い照明の元だからだろうか、さっきよりも大分顔色が悪く見えるが、その顔は笑っていた
「ようこそ、ニュート先輩」
「あ、あぁ」
 そろそろと、柔斗は家の中に入る。
 すると、彼はれもんの手元に小さな壺が握られているのに気づいた。
 ハンドボールほどの大きさの、小さな壺である。
 何だろう、と彼は確かめるように近づく。
 それと同時に
「そして、おやすみなさい」
 壺の先を柔斗に向けて、れもんがコルクの栓をぽこっと開けた。
「は?」

 そこで柔斗の記憶は途切れた。


3

ムラムラオ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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