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森の中での決意

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 将太とお爺さんは、森林の奥まった所にひっそりと建てられた、杉造りの社の前までやってきた。
 頭上の高い松の木の枝に、カッコーが止まって鳴いている。
 お爺さんが将太の背中を押したので、将太はぬかるんでツルツルと滑る土の上を歩いて、三段ほどの階段を登り、社の中に入る為の扉の前に立った。将太が不安げにお爺さんの顔を見上げると、お爺さんは社の扉の取っ手を片手で引いて、門を開けた。

 中は広い、お座敷になっていた。天井には大きな金色の鈴がある他、何も物は置いていない。だが、人が居た。
「お友達だよ」とお爺さんが声をかけてやると、その人たちは一斉に飛んできて、将太を取り囲んだ。
「あなたも死んだのね!」と短い黒髪を無理やり二つに結わえ、ブルーのワンピースを着た、小さな女の子が将太の手をとって言った。
「どういうふうに死んだの?」とイガグリ頭で、きらきらと光る大きな目をした、綿がいっぱいついたパジャマ姿の男の子が聞いた。
「いたかった?」と薄い色の髪の毛が綺麗にカールした、一番小さい男の子も聞いた。彼は緑色のパーカーを着て、黒と白のストライプのタイツの上に、赤い半ズボンを履いていた。
 将太は、唯、ウン、と頷いた。だが、そうやって、質問を頭に考えてみると、自分が死んでしまった事や、母に殺されたのだと言う事を思い出して、辛くなり、涙があふれてきた。
「可哀そうにね!泣いているよ!きっと凄く痛かったんだね!」と一番小さな男の子は言うと、将太の腰に飛びつき、腕を絡めて、将太の尻に顔を埋め、自分も一緒に泣きだした。
「どうしてあおちゃんが泣くの?」と女の子が言った。「あおちゃんは痛いのを味わっていないのよ?だから、泣かなくていいのよ?泣くのは変よ?」
「だって、だって」あおちゃんという、小さな男の子は、将太の尻から顔を上げた。「可哀そうでしょ?あおちゃん、どんな痛みを味わったのかは知らないけど、凄く痛かったってなら、それは、そーとー痛かったんだから、あおちゃん、それ考えて、痛いなあって思って、痛い時の気持ちになって、泣くんよ」
「でも、あおちゃん、自分が死んだ時は痛くなかったって言ったじゃん。それなのに痛いのを思い出せるの?」と、女の子が眉根を寄せる。
「あおちゃんは優しいんだ」とイガグリ頭の男の子が感心して言った。
 将太は、尻に顔を埋められ、大きな涙のシミを造られようが、どうだってよかった。それよりも、
「お家帰らせて!」と将太は、お爺さんの腕を引っ張って揺すり、訴えた。
「帰られん。帰ってはいかん」お爺さんは、怒った声で、首を横に振りながら言った。「お前は死んだのだ。死んだら、あそこに行ってはならんのだ。だが、悲しい事は何もない。さあ、みんなと遊びなさい。これから楽しい事を考えるのだ。そうしなくてはいけない。暗い気持ちになってはいけない。自ら心を汚す必要はないのだ」
 そんな事を言われ、将太は激しく首を横に振った。帰られないと言われても、家に帰りたい。
「やだよー!ママに会いたい!ママに聞きたいんだッ!どうして、僕を叩いて、それで、殺してしまったのか!?それから、僕、ママに謝らないといけない!許してもらわなきゃいけないと思うの!僕、悪い子だから、ママも怒ったんだッ!だから、謝るの!早く謝らないと、ママは許してくれなくなっちゃう気がするの、急いで、お家に戻らなきゃいけないの!」
 将太は自分の尻に顔を埋めていた少年を振り切って、社を飛び出し、カッコーが鳴いている木の下を通り抜け、森の奥へと走って行った。
 だが、どんなに走っても森から抜ける事は叶わず、目の前に広がるのはずっと、草木ばかりであった。将太は疲れて、走るのを止め、足を崩し、地面を抱くように蹲ると、わんわんと咽び泣いた。
 そこへ、いつの間にかお爺さんが傍らに立って、将太を抱き起こした。
「出られぬ」と、お爺さんは将太の掌に付いた泥をほろってやりながら言った。「死んでしまったのだ。もう戻れんのだ」
 将太はしゃくりあげた。
「やだよ……ママに会って……聞いてッ……ゆるして……もらうっ」
「何を聞くと言うのかね?どうしてお前を母が殺したのかを聞くと言うのかね?それは、わざわざ聞きに行かずとも、わしが教えてやる。お前の母はアパートの住人達に、寄ってたかって子供の声が煩いと文句を言われたのだ。侮辱し、脅迫してくる者もおった。病気になったのはお前のせいだと言って、罪の意識を植え付けようとする者もおった。お前の母は弱かった。今まで親しくしていた者共が突然敵になり、自分を責め立ててきたのだ。信頼を裏切られたのだ。その原因は我が子という。自分の事なら果たして耐えられたかもしれん。しかし、我が子である。自分の意志では制御できない、いわば他人なのである。自分のせいでない事を必要に責められ続け、そして、グループという席から、子供のせいで放り出されてしまった孤独に耐えられんかったのだ。不安や悲しみは、大きな怒りとなり、その怒りの矛先は、自分を責めたて苦しめるアパートの隣人ではなく、彼らが悪の元凶だと囁く、我が子に向かった。そうだとも。お前の母は、自分を信じず、隣人を信じたのだ。グループに混ざっていなくてはいけないと、常から脅迫的に思っている節があったようだ。お前の母は外されてなるものかと強く思った。追い出されない為なら何でも言う事を聞くじょうたいのご婦人に、我が子を殺すよう仕向けるのは、実に容易かった。これは、仕向けられた事だ。将太、お前の様に純粋で、汚れていない者は、いち早く手を下される。奴らが動いているのだ。お前は悪くない。ただ、仕向けられていた事だからこそ、理由など些細な事でよかった。考えてもみれば不思議な事である。生きているからこそ音は鳴り、耳があるからこそ音は聴こえるのだ。音を聴きたくないのなら耳を塞げば良い。そして、自分の心臓の音だけ聴いていれば良いのに、そうはせず、音そのものを壊そうと考える。おかしな事だ。だが、これは仕向けられていた事だからこそ、成立したのだ」
「僕、悪くない?悪いのは……奴らって人なの?」
「そうだとも。全ては奴らが悪かったのだ」
「奴らって誰?どうして僕やママに意地悪したの?」と将太が聞くと、お爺さんは息を詰まらせた。そして、一度目を瞑ると、また開けて、将太の肩に両手を置いた。
「奴らは……わしの友……いや、悪だ」お爺さんは悲しそうに言った。「奴らの目的は人々を混乱させ、破滅させ、食い物にする事である。奴らは汚れを愛していてな、そうやってとことん社会や人を汚し、好き勝手に暴れ、いたいけな人間の反応を見て喜んでおるのだ。不幸が蜜の味なのだ。意地汚い嗜好を持っておってな……」
「そんな!やめさせないといけないよ!」将太は思わず叫んだ。「だって、それは悪い事じゃないか!悪い事をしているなら早くやめさせないと!」
「どうやって辞めさせるというのかね?」とお爺さんは将太に聞いた。「奴らの好きは簡単には変えられんぞ?」
「悪い事だから、やめてって言えば良いじゃん!」と将太は大きな声で言った。
 お爺さんは首を振った。
「やめてという言葉だけでは変えられん。なぜなら、それは、奴らが目的、好きの為に動いているからである。動きを止めるというのは、奴らの目的を失くしてしまうという事である。目的を消すというのは並大抵の事では出来ぬ。それなりの物が必要である。言葉の一つでは変えられん。お前が母を好きなのを嫌いになれと言って、出来ぬようにな」
「じゃあ、やっつけてやろう!こうやって!」将太は拳を我武者羅に振り回した。「もう悪さが出来ない様に、こってんぱんにやっつけてやるんだ!」
「それはいかん」とお爺さんは言って、何度も将太の肩を叩いた。「やっつけるという事がどういう事であるか!……いや、お前には力がある。それをやれるだけの。だから、わしはお前に目をつけて連れてきたわけでもあるが、だが、その考え方は違うのだ。誰かを負かして惨めにしてやろうという事は、汚れた思考なのだ。奴らと同じ汚れた考えだ。奴らに勝つには美しいままでなくてはならない。しかし、美しいままで居るのなら、勝負はできん。わしは戦いなど望んでおらん。お前は正義の為に戦いたいのかもしれんが、そうさせる訳にはいかんのだ。汚れてはいかんのだ。お前は汚れることなく、純粋で居る事に意義があるのだ。汚れるとは即ち、わしの手から離れ、自滅するという事、何も良い事もなく、悪い事で終わをつけてしまう事である。お前はそうならなくて済む道があった。わしの存在こそが道であった。わしは救える魂は救いたい。わしは間違った苦しみなど見たくもないのだ」
「じゃあ、どうしたらいいの?ママはどうなるの?」
「汚れは消えぬ。一度汚れた者は、その汚れを纏い、更なる汚れに突っ込み、苦しんだ末、死ぬのだ。それは自然の成り行きである。わしにも手に負えん。わしが救ってやれるのは、汚れる前の、力のある純粋な魂だけだ。わしはお前が闇に食われる前に救った。それだけで、もう既にやることは、全て終わったのだ」

 将太は涙を拭い、顔を上げた。
「僕、奴らにやめてって言いに行って来る。ママ苦しめないでって」
「場所は分かるのかね?」
 将太がまた肩を揺らしながら静かに泣きだすと、お爺さんは将太をあやす様に、頭を何度も撫でてやった。
「よしよし、泣くでない。もし、お前が、家に帰りたいと、母に会いたいという願いを諦めるのなら、わしが場所を案内してやらんこともない。どうだ?」
 お爺さんの提案に将太は何も返事をせず、唯シクシクと泣いていた。
「家に帰り、母親の姿を盗み見るのが良いのか、母親の命を不幸から救うのが良いのか、どちらかを選びなさい」
「そんなの決まってるじゃないか!」将太は憤慨して言った。「僕、どっちかなんて選べない!でも、どっちかだけなら、ママを助けられる方を選ぶ!」
 それを聞いて、お爺さんは満足したように頬笑み、将太の手を取って歩き出した。
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