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プロローグ

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 ドラえもんなんかで、よくあるあれ。
 いろいろな事件が起こって、タイムマシンで過去に帰ってやり直そう!ってなって、最終的に過去を変えて問題解決。そんなパターン。
 最近だと涼宮ハルヒの消失でもいいけどさ。
 あのパターンを見たときに必ず次のようなことを言う人種がいる。
「これ、過去に戻る前の時間軸で問題が起こってるんだから、過去に戻っても何も変わらないだろ! そいつにしてみれば過去に戻る前の時間軸こそが現在なんだからさ。その時点でもうそいつに新しいその現在を生きることは不可能じゃん」
 こういうことを言う彼らは基本的にそんなに頭のいい方でないことが多いので、多少わかりにくい表現になってしまうことをお詫びしたいと思う。
 私に言わせてみれば、こんなことを言う連中というのはあまりにもロマンチズムに欠けている。
 このようなタイムパラドックスを起こそうとする無数の物語の本当の奥深さが全くわかっていないからだ。
 私はアインシュタインではないので、実際に過去に帰ることができるのかも、帰ってタイムパラドックスを引き起こすことができるのかどうかも全くわからない。
 ただしもしもそれが可能だと信じたならば、その瞬間に私たちの目の前には無限の大地が広がることがわかっていただけるだろうか。
 のび太やキョンは、過去に戻って歴史を変えようとした。
 何らかの問題が発生し、それを解決するために過去に戻る手段をどうにかして確保し、なんとかして過去の問題を解決して、ハッピーエンド。
 このハッピーエンドというやつが問題だ。
 このエンディングはハッピーだ。それは間違いがない。
 なぜなら誰も問題が起こったことを知らないからだ。主人公たちを除いてだが。
 はじめから問題など何もなかった。
 そういう風に一般人は思っている訳だから、この問題を思い返すのは主人公だけということになる。
 つまり、時間改変モノにおける一般大衆というものは、主人公たちの活躍も、過去に起こりえたとある問題についても、全く認識しないままそれまで通りの生活を続けるということなる。
 当然のことではあるのだが、あえて言わせてもらおう。
 私とあなたは、この一般大衆というものにカテゴライズされている。
 つまり、もしかしたら過去に本当にいたのかもしれないのび太やキョンについて、私やあなたは絶対に知覚することはないということだ。
 私が無限の大地と例えたのはこの点である。
 物語においては、時間遡行の術を所有しているのは主人公たちだけか、もしくはその敵の一派のみということが多い。
 ところが事実は小説より奇なりという言葉もまた示しているように、現実世界においてもしも時間遡行の術が開発されたならば、それは誰か一人の、または一団体やそこらの手の中に収まるだろうか。
 私はその答えはノーであると思う。
 「そんな技術を誰かが放っておくはずがない」とか「そんな技術はより多くで活用すべきだから」とかそんな理由でノーと言っている訳ではない。
 もしもコレから先、時間遡行の術が開発されたとしよう。
 人類はその瞬間無限の時間を手に入れる。
 その技術を開発した人間は「この技術は絶対に他人には公開すまい」と思ったしよう。彼らがこの決心を裏切る可能性は果たして何パーセントくらいだろうか。
 50パーセントか、20パーセントか、それとも0.0001パーセントか。
 この世のすべてのことに言えることだが、絶対に0パーセントではないと私は断言したい。
 無限の時間を持つ彼らにしてみれば、そんな確率と戦うこと自体ばかばかしい。無限の時間は0パーセントでないすべての事象をこの世に顕現する。
 だから私は時間遡行が可能になれば、その技術は必ず多くの手に広まり、数多の時間遡行者を生むだろうと思う。
 まあ実はこの理論は、時間遡行技術の開発者がすべての研究結果を処分してさっさと死んでしまえばそれで破綻する程度の児戯ではある。
 だが私はそう思いたいのだ。
 ロマンチズムを解する人間でいたいのだ。
 なぜならば、もしも多くの時間遡行者が実際に存在したとしたならば、今私たちが生きるこの時間が改変されていないなどとどうして言えるだろうか。
 人類が直面するはずだった数多くの問題が、事件が、それを危惧する未来人たちの手によって解決されていないと、どうして言えるだろうか。
 そう。私の言う無限の大地とは、この時間遡行者たちの無限の物語のことだ。
 私がどんな妄言のような時間遡行小説を書いて「コレは事実だ!」と言い張ったとしても、それを根っこの部分で否定することは誰にもできやしないのである。
 例えばだが、「実はあなたはこの星の支配者だった」というような話はどうだろうか。
 あなたは10代のときに人を多く引きつけるような宗教的な哲学に全くの偶然の産物として至ってしまい、それを人心掌握に用いることでこの地球の覇者となる。
 それを危惧した未来人たちはどうにかしてタイムマシンを開発。まだ年齢が一桁だった頃のあなたの頭をいじくり回して、何の痕跡も残さないまま立ち去った。
 そうでないとどうして言えるだろうか。
 この物語は、どうして未来人があなたを殺さなかったのか、という部分の理由付けさえすればきっときれいな話になるだろう。
 そんな時間遡行に見える無限の可能性。私はそんな可能性がたまらなく、本当にたまらなく大好きで――。

 そこまで考えた瞬間、私の頭に丸めた論文が振り下ろされた。
 研究室の長である教授の腕から教科書を伝わってやってくる衝撃に、私の頭はじんじんと痛みだす。
 午後のけだるい雰囲気が漂う国立大学の一研究室。
 私が今いる場所はそこだった。
 このときの私は、まだ無限の大地がどこにあるのか、それとはいつ出会えるのか。
 そんなことは全く知らなかった。
 しばらくの間私はじんじんと痛む頭を抱えて研究室の自分のデスクに突っ伏していた。研究室で机にほおづえをついて妄想にふけっていた私が悪いのはどう考えても明らかではあるが、それで頭の痛みが消える訳ではない。デスクの上で丸まった私の肩の小さな震えで、同じくデスクの上におかれたカップのコーヒーの水面が揺れていた。
 この痛みを与えた私の上司である林田教授は、今やもう自分の居場所に戻ってコーヒーをすすりながら書類に目を通していた。
 私はちらりと教授の方に目をやると、恨めしい視線を精一杯送りつける。もっとも私のかけている度の強い黒ぶち眼鏡の奥から、いったいどの程度の視線が届いたかは全くさだかではない。
 国立T大学工学系研究科時間遡行工学科、林田和希研究室。それが私が所属するこの部署の名称である。
 最近できたばかりの学科だから、あまりなじみの無い名前かもしれない。
 時間遡行工学科。それは読んで字のごとく時間を遡る技術の工学的な応用の研究を目的として作られた部署だ。
 『二度の世界大戦や、世界的な不況を経験した前世紀。そんな国際的な政治不安定に加えて、様々な環境問題、すなわち資源枯渇や地球温暖化、エネルギー問題などに追いつめられた人類の世紀末の閉塞感は、種としての終末が近いことを感じさせていました。
 ノストラダムスの大予言が的中してくれた方がまだ救いようがある。そんな風に考えてしまうような状況の中でも、人類は手に入れたある程度の文明を手放すことを嫌い、必死に体面だけを取り繕ってそれまでどおりの生活を送ろうと躍起になっていました。
 そんな暗闇の中で一歩踏み出すような形で始まった今世紀。前の世代が抱え込んだ問題をどう処理するかに頭を悩ませ続ける一世紀になるだろう。誰もがそう思っていました。
 一本の論文が世に出るまでは。
 みんさんご存知の「時間遡行に関する基礎研究とその理論」。日本で発表された研究ではあるが、もちろん原題は英語です。日本語訳するとこういった題になるのです。
 あくまでそれは可能性にすぎませんでした。可能性にはすぎなかったのですが、今まで何の糸口も見つかっていなかった時間遡行というサイエンスフィクションに対する確かな突破口となるのは間違いがありませんでした』
 私は目の前のパソコンに表示されたそんな文章を視線だけで追っていた。研究室のパソコンなので研究以外のことに使ってはいけないのだが、所属する学科のウェブサイトなら比較的後ろめたさは少ない。
 トップページに戻ると無駄にこったフラッシュで「時間遡行への確かな可能性」という文字が踊った。
 確かな可能性というほど世間の研究者たちは確信を抱いていた訳ではなかったが、この研究テーマはやはり人間の心をとらえて離さないものであるようで、うちの大学にもここ数年で急激にいくつもの時間遡行関係の研究室が設けられて、今に至るという訳だ。
 量の増加は質の低下につながるのは当たり前の話で、推進の波に乗って設けられたそれらの研究室の多くは資金不足に悩んでいる。
 我が林田研究室がこんなにも狭っ苦しい部屋に、教授一人の学生一人で細々と研究を続けている理由もそこにあるのだった。
 なんでまたそんな研究室にわざわざ所属したかというと、これもまたいろいろと理由があるのだが面倒なので割愛させてほしい。
 大事なのは、なぜ林田研究室に来たのかではなく、なぜ時間遡行工学を勉強しようと思ったのか、そちらの方だ。学問においてその根本となるモチベーションをしっかりを築くことは非常に重要だと私は思っている。
 というか、思っていた。過去形になってしまうのは、自分がなぜ時間遡行にここまでの興味を持っているのか全く覚えていなかったからだ。
 幼い頃からなんとなく興味はあったような気がする。中学高校と必死で勉強して、理学部物理学科に所属するために今の大学の門をくぐったのがつい最近のようだ。
 それでも、その幼い頃の興味の源泉はわからない。おそらくドラえもんとか、そういった子供向けのSFのおかげだとは思うが断言はできない。
 何はともあれ、私は時間遡行工学科に配属になり、現在ではこの林田研究室に所属しているというわけだ。
 学部の四年生の一年間をこの研究室で過ごしたにもかかわらず、私は林田教授の有無をいわせず人を叩く生態にいまだに慣れていなかった。
 修士過程の一年生として半年を経過した今になってみても、少しでも気を抜けば振り下ろされる論文や教科書にびくびくする日々はしばらく続きそうである。
 私は白衣に包まれた両腕を胸の下でくみながら、目を細めて自分の状況を嘆くのだった。
4, 3

  

「今週末、京都に学会に行くぞ。準備しておけ」
 私が自分のデスクでぼーっとしているように見えないように、必死になってぼーっとしていると、背後から突然にそんな声がかかった。
 振り返った私の目に入ったのは、半分以上白くなった短髪を右手でかきあげ、左手には教科書を持った林田教授だった。まあこの部屋には私と教授の二人しかいないのだから当然ではある。
「ポスター発表と、15分のプレゼンだ。ぼちぼち大きな学会だから、恥をさらさないようなものにしろよ」
「そ、それを今週末までですか…いえ! はいわかりました! きっちり準備しておきます!」
 締め切りの近い突然の大きな仕事に私の口は不満を噴き出しそうになったが、その瞬間林田教授が表情を変えないまま教科書を丸く握り始めたので、私は焦って取り繕う。
 ちなみにポスター発表というのは、自分の研究成果を模造紙くらいのサイズの紙に印刷し、それを展示することで進捗を報告し合う発表形式のことだ。
 今日はまだ月曜日とはいえ、週末までというのは作業時間としてはあまりにも短い。
「普段からまじめに研究をしておけば、この程度の分量の発表など余裕でできるはずだ。心してかかれよ」
「はいぃ……」
 丸めた教科書を解放しながらすごむ教授に、私はいつものようにすっかり萎縮してしまった。
 しんどい仕事ではあるが仕方が無い。まともに研究をしていれば、と言っても、まともな先行研究もない時間遡行工学の研究はなかなか進まないので、教授にとってはたいしたことのない分量でも私には致死量になり得る。
 週末までは家に帰れないかもしれない。私は頭の中で研究室に置いてある替えの下着の枚数を計算する。
 はじき出された答えは、コインランドリーに行かない限り毎日シャワーを浴びることもできないというものだった。
 私は肩を落としながら、自分のコーヒーのカップに手をかけた。
 一口コーヒーを飲むと、苦くて少しぬるい、優しい味が私の喉に広がっていった。
 教授無茶な要求に押しつぶされそうになった心に、なんとなく力が戻ったような気がした。
 私はコーヒーが好きだ。といっても銘柄にこだわりがすごくあるとか、自分で豆を挽いて飲むとか、そんなレベルでは決して無いのだけど。
 研究室の端っこにある、背の高い書類棚。その棚の目線くらいの高さの段には、年期を感じさせる薄汚れたコーヒーメーカーが収まっている。
 私がおいしいコーヒーを作るべく、他の研究室で使わなくなったものをもらってきたのだ。
 それまではインスタントコーヒーしか飲まなかった林田研究室だったが、私が渡来させたそれのおかげでいまやレギュラーコーヒーの香りが染み付いてしまっていた。
「物乞いかお前は。必要なものがあればきちんと俺に言え」
 私がそれを研究室に初めて持ち込んだとき、林田教授ははじめこそ私の頭を叩いてそんなことを言ったものの、うちの研究室にお金がないのはまぎれも無い事実であるので、なし崩し的にそのコーヒーメーカーは導入されることになった。
 去年の冬のある日、私が卒業論文に追われながらコーヒーを作っていると、林田教授が突然に、すん、と鼻を鳴らした。それまではこのコーヒーメーカーで作ったコーヒーは完全に私専用だったのだが、なぜかその日私は勇気を振り絞ってみたくなった。
 なんとなく教授の横顔が寂しそうに見えたからかもしれない。
 意を決した私は、普段よりも多めにコーヒー豆を奮発し、抽出したての暖かいコーヒーを来客用の紙コップに注ぎトレーにのせた。
 そうして私はそろり、そろりと教授のデスクに背後から近づいていった。
「何か用か」
 教授のサーチ範囲は予想以上に広かったらしい。コーヒーメーカーからほとんど離れないうちに教授の方から声をかけてきた。
 私はびくっとその場に立ち止まってしまう。動かなくなりそうになる体を奮い立てて、私はなんとか口を開いた。
「あ、あのっ。コーヒー、お飲みになりませんか?」
 絞り出すようなその言葉に、教授は読んでいた論文をそっとデスクに置いて私の方をじろりと見た。
 じろりではなく、せめてちらりと見てほしい。そんなことを私が考えていると、教授が少しの間黙って、それから少し口ごもった。ようやく声が出たのは、そのさらに少し後だった。
「そ、そのコーヒーは、うまいのか」
 教授の予想外の言葉に、私は目が点になり立ち尽くした。
 そんな様子の私に、私よりもむしろ教授が焦って、さらに言葉を重ねる。
「お、俺はインスタントのコーヒーしか飲んだことが無いからな。その機械で入れたコーヒーはうまいのか、と聞いている」
 その「機械で入れたコーヒー」という言葉が何となくおかしくて、どうにか我に返った私はどうにか返答を絞り出す。
「あ、あのっ。えーと、私も詳しいわけではないのでよくはわからないのですが、少なくとも違った味がすると思います」
「そうか。それなら試してみよう」
 私の要領を得ない説明に何か言うわけでもなく、教授はトレーに乗った紙コップを手にとると、一息吹きかけて冷ましてから、おそるおそる、と言った様子ですすった。
 そんな教授の動作を、私は固唾をのんで見守ってしまっていた。
 果たしてどんな反応をしてくれるのか。そう思ったとき、教授がぼそりとつぶやいた。
「インスタントよりも、酸っぱいようだな」
「あ、はい。少し酸味の強い豆を使っていますので……」
 せっかくならもっと万人に好まれるような味のものにしておけばよかった。私がちょっと後悔していると、教授がこちらに顔を向けた。
「だが、目が覚めるかもしれん。これからはたまに淹れてくれ」
 そういった教授の頬は、寒さのせいか少し赤みが差していた。
「え、あ、は、はい! いつでもお申し付けください!」
 そういって私は挙動不審にその場を立ち去った。
 なんだかすごく疲れてたような気がしたが、教授も思ったよりは喜んでくれたように思うので勇気を振り絞ったかいがあったかもしれない。
 胸の下に抱えたトレーが、私の心臓の鼓動で周期的に震えていた。
 それからというもの、私は教授に時々コーヒーを入れて持っていった。
 感想を言ってくれることはあまり無かったが、嫌な顔もしなかったので迷惑ではないのだろう。
 国立T大学工学系研究科時間遡行工学科、林田和希研究室所属、コーヒー係。
 たいして勉強のできない私にできることは、目下のところこんなことしか無いのだった。
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