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クライマックス

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 彼女、京子さんは20XX年8月26日に必ず死ぬ。時間遡行術・中級を使って、数多のパラレルワールドを旅してきた私が保証する。
 でも、今の私ならその悲劇を変えることができる。京子さんの死、という時間的な崖を、時間遡行術・上級を使って飛び越えることができる。
 彼女の元へ行かなければならない。
 ここで私が選択すべきなのは、「どの」彼女の元へ行くのか、と言うことだ。
 もともとの私のいた世界では、彼女は林田助手の務める大学の、校舎の屋上から飛び降りて死ぬ。
 そしてパラレルワールドではいろんな死に方をする彼女がいた。
 私は選択する。
 「屋上から飛び降りて死ぬ」彼女の元へ行こう。
もともと私がいた世界だから、というのが一番の理由だが、他にも理由はあった。アイツと闘うなら屋上が良い、そう思った。



 果たして私は屋上にいた。もちろん私の通う大学の、イチ校舎の屋上だ。あと数時間待てば京子さんが来る。それまで私は色々と考えを巡らせることにした。

①本当に京子さんを救えるのか?
 これについては念のため確認をした。気の毒には思ったが、マウスを殺して実験をした。
 ある時間軸で私が殺したマウスは、他のパラレルワールドでも確かに死んでいた。死の原因こそ違っていたが。
 そしてそのマウスは、上級モードを発動した私と共にいれば、その死の崖を乗り越えることができた。
 死なずに済むのだ。
 京子さんがマウスと同じに行くかどうか確信は持てないが、基本的には実証済みと考えていいだろう。

②この状況は誰か仕組んだのか?
 直接的に「誰が仕組んだ」とは断定できないが、関係する者はわかる。
 空色オヤジだ。
 私や恭子さんに時間遡行術を教えてくれたあのオヤジが、無関係とは思えない。いずれにせよ、この状況を仕組んだ側の人間からすれば、私の絶望や希望は実に滑稽なものだったろう。
 自分の手のひらの上で踊る処女は、さぞ愉快だっただろうと思う。
 だが、窮鼠は猫を噛むし、追い詰められたら処女はオヤジを噛む。
 「その時」への心構えは十分だった。
 そんなことを考えているうちに、その時はやってきた。
 私の居る屋上に京子さんがやってきたのだ。その顔色は悪い。直後に自分が死ぬことを理解しているはずなので、仕方ないだろう。
 
 あー、辛いな、これは。

 何度見ても慣れない。死を覚悟した京子さんの表情。でもこれで終わりだ。全てを終わりにするために、私はここに来た。
「京子さん……」私は物陰から出て話しかける。
「っ!?……あ、さっきの……どうしたんですか、こんなところで」
 これから死のうとしているところに、つい昨日知り合った他人が現れたら、興も削がれるだろう。
 京子さんの口調に覇気は無い。彼女の心情を考えれば当然とも言える。
「話は後です。あなたがこれからしようとしていることを、私は知っています」
「な、なんのことですか……」
「だから話は後です。いいから私の手を取ってください」
 私は右手を差し出して言う。京子さんは怪訝な顔で私の手を見つめたあとに、
「い、嫌です……!」
 そう言って一歩下がった。
「私は……信じられないと思いますけど……もう何をしても死ぬんです!あなたが何をしようと!あらゆる世界で死ぬんですよ!」
 彼女が体験した彼女の死が、彼女の口から語られる。
「お父さんと……和希さんとこれから、ずっと幸せに暮らしていくはずだったのに。子供も作って、家族を作るはずだったのに……!」
 京子さんの目から、とめどなく涙があふれる。過去の世界で自分のお見合いを目撃して、その時の気持ちを思い出した。その時は違う涙を流している。
「私は、なれなかったっ……!」

「和希さんの居場所には、なれなかった……!」

 肩を落とす彼女に、私は一歩近づく。死から救うよりも先に、彼女に伝えなければならない言葉がある。
「嬉しかったって、言ってましたよ」
「……?」京子さんはわずかに目を上げる。
「『おかえりなさいって言葉は、言われ慣れてない人間が言われると嬉しいものだ』って、言ってました。
 あなたは今日死んでしまうのかもしれません。でも10年後の未来でも、林田教授の居場所はあなたのところだけなんですよ」
 一瞬の間があって、京子さんはしゃがみ込んだ。泣き顔のような、笑顔のような、そんな顔で、悲しいような、嬉しいような涙を流し続ける。
 そんな彼女が泣き止むまで、私はその場でそっと待っていた。



 そんな時、どこからともなく声が聞こえた。その声が、私と京子さんしかいない屋上に響く。
「お疲れ様。ようやくここまで来たね。長かったような、短かったような……」
 私と京子さんは、同時に声のする方へ顔をやる。私達二人とも、その声には聞き覚えがあった。
 視線にひっかかったのは、真っ青なシルエット。屋上の背景の青空に溶け込むような、空色のスーツだった。

「空色、オヤジ……!」

 私はその名前を初めて口に出す。空色オヤジは、それを聞いて少しだけ顔を歪めた。
「僕のことかな?ずいぶん嫌な呼び方をするね」
 言っていることとは裏腹に、その口調は楽しげだった。
「なんであんたがここにいるの?」
 私は問いかける。
「理由はおいおい伝えよう」
 そう言って空色オヤジは私の方へ一歩踏み出した。それを凝視していた私は彼の体の色合いがわずかに薄くなったのに気がついた。
 それは私が時間遡行術・上級を使っている時の姿に似ていた。
「時間遡行術・上級。もちろん身に着けてきたんだよね。ずいぶん時間がかかっただろう。お疲れ様」
 こいつが上級を使えることに驚きはない。初めからそれを示唆するように、私に初級と中級を教えていったのだ。
 しかし、今ここで上級モードになる理由はわからなかった。
 京子さんの姿を見るまでは。
「京子さん!?」
 私の呼びかけに、彼女は答えなかった。
 時間が止められている――。かつて京都の学会や、地下鉄で空色オヤジが現れた時と同じだ。
「時間遡行術を使える者は、時間を止めても意識が残ってしまう。君が地下鉄で体験した通りだよ。京子ちゃんも同じだ。ただし、上級モードに入った僕が時間を止めれば話は別だけど。彼女は上級を使えないからねえ」
 ますます私の方へ近づいてくる空色オヤジに、私は身構える。
「彼女には、これからの僕と君の会話を聞かれるわけにはいかないんでね。さあ、なんでも聞きなよ。知ってることは教えてあげる」
 あくまで余裕を感じさせる空色オヤジにイラつきながら、私は問いかける。
「……なんで、私に時間遡行術を教えたの?」
「なんだそんなことか。もう自分でもわかってるんだろ?……でもまあ、教えてあげようか」
 種明かしをする手品師のように、空色オヤジは楽しそうだった。
「お察しの通りだよ。君には時間遡行術・上級の理論を完成させてもらわなくてはならなかったんだ。ただそれだけの話さ」
「なんで、なんで私なんかに……!?他にもふさわしい人はいたはずだよ。時間遡行学をやってる人なら誰だっていいはず……」
 そこまで言ったところで、私は自分のセリフに、ハッと気づかれされた。

そうか、そういうことか。

「そうさ、誰でも良かったんだ」
 空色オヤジはあっさりと言い放った。

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「ただし、僕のいた世界――察しはついてると思うが――未来の世界では、『時間遡行術・上級の理論は君が確立したことになっていた』。だから、台本通りに僕がこの時代へ来て、そして君に時間遡行術・初級と中級を教えたってわけさ」
「ちなみにだけど、京子さんには時間遡行術・初級と中級を前編と後編といって教えたんだ。彼女に上級の存在を示唆する意味はないからね。所詮君をやる気にさせるための当て馬さ」
「そういう意味では、誰でも良かったってわけじゃないね。最初からそう決まっていた。君である明確な理由は、それだけだ」
 時間遡行を繰り返して、この「最初から決まっている」という感覚は嫌になるほど味わってきた。
 だから、嫌な気持ちはあるが、空色オヤジに反論することはできなかった。
「良いじゃないか。結果として京子さんを救うことができるんだから。君も時間遡行工学者として大成する。誰も不幸になっていないよ」
 確かにそうだ。確かにそうだが――。
「――やっぱり、腹が立つな。こんな悲しい繰り返しに巻き込まれて、全て台本通りなんて言われてもさ」
 私は腕を組んで空色オヤジを眺める。
「それに私が選ばれた理由、他にもあるよね?」
 空色オヤジは少し意外そうな顔をした。
「ふふふ、さぁ、どうだろうね。さて、腹が立った君は、じゃあどうするんだい?」

「そうだなー……一回、殴らせろ」

「……案外、乱暴だね。まあ一回くらいならかまわないよ」
「言ったな。よし、行くぞ」
 私は拳を振りかぶりながら空色オヤジの方へと歩み寄る。正直なところ、私のような小娘の一撃でどうにかなる空色オヤジではないだろう。
 なので、少しズルをすることにする。
「私一人あたり、一回ね」
 その瞬間、閑散としていた屋上が一気に混み合った。現れたのは、数百人の私だ。その数百人が一斉に空色オヤジに殴りかかる。
「これは……同時刻への多重時間遡行か……ぐふっ、ごふっ」
 私のような小娘の一撃ではどうにかならない空色オヤジも、数百撃となれば話は別のようだ。
 少しずつ腫れ上がっていく空色オヤジの顔を見ながらも、私の打撃の手は緩まない。
 最初から運命は決まっているのはわかっている。空色オヤジは運命に従っているだけなのだということも。
 それでも私は、彼に憎しみをぶつけた。
 それすらも運命で決まっているにも関わらず。

 しばらくの間の殴打も終わり、その場にいた数百人の私はある瞬間に一斉に消えた。さすがに手が痛い。『一回空色オヤジを殴ったら時間を遡る』という行為を500回繰り返したのだ。
 厳密に数えたわけではないが、だいたい500回くらいだったと思う。多分。
「気は、済んだかな……。これで気が済まないと言われても困るけど」
 空色オヤジは満身創痍で仰向けに寝転んでいた。
「許さないと言っても仕方がないよね……というより、あんたはここに私に殴られに来たんでしょ、多分」
「そう、だね。君にこんな運命を味あわせた、未来からのせめてもの償いだと思って欲しい」
 安い償いもあったものだ。
「でもね……僕は未来から公式に派遣されている。いわばこれはただの仕事だ」
 空色オヤジは諦観したような、達観したような声で言った。
「それでも、君に殴られにここへ来て、少しはスッキリしたよ。……君の気持ちはそりゃあもう分かるからね」
「わかる……? なんで?」
「こうして君に時間遡行理論を完成させた。当然ながら、この先の未来の世界は時間遡行術に溢れている」
 空色オヤジは息をすこし深く吸った。
「君が味わったような苦しみも、未来には溢れているということさ。上級を使えば突然の死は回避することができる。でも人はいつか必ず死ぬし、死ぬこと以外にも苦しみなんていくらでもあるからね」
「……そうだね。未来のことがなんでも分かる世界。そんなに良いものじゃないだろうとは思う」
 今日私は京子さんを救う。じゃあ、明日は?もとの時代に戻って林田教授とともに時間遡行工学の研究を続ける?続けるかどうか、未来に飛んで結果を確かめてから決めるのか?
 そんなことはしない。未来がわかるということは、ある意味で不幸だ。そこに希望は無い。
「まあ安心してよ。時間遡行理論は、これから君たち、この時代の人間が発展させていくものだ。それが完成するまでは未来はわからないし、君たちの明日に希望はあるさ」
「そうかもしれない。まあまあいいこと言うじゃん」
 そうなのだ。私は、私たちは、胸に希望を秘めて、明日には良いことがあるかもしれないと思って、生きていくのだ。少なくとも、しばらくの間は。
「……さあ、もう仕事は終わったでしょ。私はこれから京子さんを助けるから、さっさと帰った帰った」
 そこまで言って、私は空色オヤジに聞かなければならないことがあったのを思い出す。
「そうだ、最後に一つだけ教えて」
「なんだい?」
「……あんたの名前は?」
「ふふふ……もうわかってるんだろ? 僕、ドラえもん。さようなら、野比玉子君」
 最後に私の名前を言って、空色オヤジの体は消えていった。
「その名前で呼ぶんじゃないよ、まったく」
 なんの感慨も、悲しみもない。私の運命を決めた空色オヤジの体は、自然に消えていった。
 私と、動けるようになった京子さん。屋上にある人影は2つだけになった。

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