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泥恋変(でいれんべん)

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 子供たちが無邪気に作り上げた泥人形に命が宿ることがある。
 それが私だ。
 今年の台風三号は多くの泥人形を産んだ。
 私と同じ田んぼで産まれた泥人形は八人居た。幼稚園帰りの園児たち八人がそれぞれこねあげたものだ。四人はすぐに園児たちに潰された。二人は翌日干からびた。生まれてすぐに私は隣にいた泥人形と恋に落ちた。乾燥を防ぐためにお互い愛し合い、求め合い、混ざり合い、溶け合った。結果二人は一人になり、恋は愛になり、命は続いた。
「これからどうするの」私の胸の中で恋人が言う。
「人として生きるのだ」私が答えると、恋人は少し悲しそうな声を出し、再び私の中の泥に沈んだ。

 私は幼い子供の姿となり、私たちを生み出した園児たちのいる幼稚園へと通い出した。送り迎えしてくれる保護者のいない私ではあったが、先生も生徒も私を追い出しはしなかった。毎年のことなのだ。泥人形が園に出入りするのは。私は一体何度目の私なのだろう。私は一体何百人目の泥人形なのだろう。
「気にすることないのよ。みんなと一緒に楽しく遊んで」園長先生が言う。
「今年もあなたを愛しているわ」私の中の恋人が呟く。初めての命も初恋も全て錯覚で、私はかつて何度も私であった。代替わりしてきた園長先生たちに許されてきた、そう信じられた。同じクラスの子供たちは「ドロウ君。おはよう」と呼びかけてくる。昔からずっと呼ばれていたように私も笑顔で挨拶を交わす。

 だがその生活も長くは続かない。幼稚園は夏休みに入る。
狂騒の消えた幼稚園で私は一人泥にまみれて転げて遊ぶ。幾人もの私の模造品を作り、命を宿らせる。雨が降ればそれらは散り散りになり、日照りが続けば干からびる。私は胸の中の恋人への想いを抱いて命を長らえさせているが、恋人からの返答はない。

 新学期が始まる頃私の意識は既に途切れかけており、人の形態ではもはやない。私の上で遊ぶ園児の幾人かが「ドロウ君は?」という声をあげる。「夏休みの間に引っ越しちゃったの」と先生の誰かが言う。「またあ?」と誰かが言う。私に関する会話は長くは続かず、新しい遊びが始まり、別の新しい誰かが編入してくる。それは人なのだろうか。泥人形なのだろうか。
「どっちでもいいじゃないの」久しぶりに恋人の声が聞こえる。他の泥人形の声も混ざる。「そうだね」私の声も想いも泥にまみれてもう自他の区別がつかなくなる。私は私を見失い、それでいて多数の私を獲得する。
 また遊びたいな。
 遊び足りないな。
「遊ぼうよ!」もう泥の声か園児の声かはわからないしどちらでもいい。

(了)
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