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第一話 僕は死ぬまでごみ捨てに困らない

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 最初に言っておきたいことがある。それはこの物語の語り手である僕、金鍔収(きんつばおさむ)、17歳、高校二年生の特徴についてだ。
 こういった切り口で話し始めたものの、実際僕にはこれといった特徴はなかった。身長体重は平均的だし、髪の毛の色もただ黒いのみである。どうやっても直せないアホ毛が生えていたりとか、目の色が血のように赤かったりとか、全部の歯がとがっていたりとか、口から火が出るとか、そういうキャラ付けするのにあたって必要であろう特徴が一切無い。しいて言うならば、声のピッチが少し高いが読者の皆様には分かるまい。
 そんなわけで、こんな特徴の無い人間は平均的に苦労しながら、平均的に老いて、平均的に死んでいくのだろうと思っていた。
 でも違った。
 僕には特徴があったのだ。
 僕は平均の上か下か分からないが、とにかく中央値からずれた人間だった。
 僕にはキャラ付けがあったのだ。
 僕を表現するときに「金鍔収」というデフォルト名以外に「ああ、○○の人ね」と呼んでもらえるような、そういう個性があったのだ。
 でもまあ、それがうれしいかといわれると、なんとも言いがたいところではある。
 何せ僕の特徴は「体の中に地獄がある」なのだから。
 正確には、僕の中にあるのは「無間地獄領域番号三十二(未使用)」というらしい。
 それ以上のことは分からない。というか、ここまでペラペラペラリと喋ったものの、実際問題全く意味が分からないのだ。
 さらに意味が分からないのは、僕に「貴様の中には地獄があるのだ」などと偉そうに解説しにきた人物が、全くまばたきをしないことである。
 そいつ天国励子(あまくにれいこ)は、ちゃぶ台の向こう側で、彼女が発した「詳細な名称は無間地獄領域番号三十二(未使用)だ」というセリフに対して、僕が何らかのリアクションをするのをじっと待っている。
 僕は果たしてどんな反応を返したものか、と途方にくれながら、いつの間にか今日の出来事を振り返っていた。

―――――――――――――

 前もって転校生が来るなんて知らされていなかった我が二年三組のクラスメート達は、チャイムが鳴り止むと同時に入って来た担任の後ろに、謎の女子生徒が居る事に気が付くと、ざわめき出した。
「えー、静かに。彼女は今日からキミ達の新しい仲間になる、天国励子さんだ」
「天国励子、遠くから来ました」
 担任の横に並んだ、眼力だけで人が殺せるのではないかと言うような鋭い目にツインテール、赤いジャージを腰に巻き、ついでに裸足に直接上履きを履くという、やたらとキャラ付けされた彼女は、口だけ動かしてあいさつした。
「天国さん、黒板に名前、書いてくれるかな」
 担任は転校生へチョークを手渡した。
 天国は手の平に置かれたチョークを、わずかに首をかしげながら見つめたあと、
「お断りします」
 という一言と共に、握りつぶした。そして呆然とその様子を眺めていた我々へ向かって、自分の名前の説明をし出した。
「私の名前は天丼の天に、国立の国、励ますの励、子供の子の四文字で、天国励子です」
 いい終えた転校生は、黒板の前を離れると最後列に座る僕へ近づいてきた。クラス中の視線が集中するなか、彼女はいつのまにか僕の隣に置かれていた無人の机へ腰を下ろした。
「私の席、ここですよね」
 おそらくそのセリフは担任へ向かって言っているのだろうが、天国は一切担任へ顔を向けることなく、カバンから必要なアイテムを取り出し机の中へ入れ、そしてカバンを机の横へかけた。
「あ、ああ、そうだな、そこが天国さんの席だから、みんなも仲良くな」
 担任は、はは、と口を引きつらせながら言った。
「えっと、よろしくね、天国さん。僕、金鍔収って言うんだ」
 僕は天国の横顔へ向かって言った。
「知ってる」
「あ、ああ、そうなんだ」
 どうして僕の名前を知っているのかと彼女へ尋ねようかとも思ったが、どうにもとっつき難く、僕はそれ以上彼女へ話しかけることができなかった。たぶん前もって「キミの席は金鍔収君の隣にある空いた席だから」だとか、担任に説明されていたのだろう。
 こうしてクラスの一員となった天国励子は、たった一日で、さらにその異質さを確固たるものにしていった。物珍しさから話しかけてくるクラスメートへは、質問も説明含めて全て「へぇ」で応答し顔も動かさない。ノートを取らない。プリントが配られてもペンも手に取らず、名前すら書かない。弁当は三段の重箱。五十メートル走は四秒。まばたきをしない。もう特徴のオンパレードである。
 そんな奇怪な転校生が、一度も自発的に口を開かなかった転校生が、放課後になったとたん喋りだした。
「貴様に少し話がある、屋上へ来てもらおうか」
 あらあら、変な転校生に誰か絡まれちゃったぞ。などと考えながらその転校生の姿および話しかけられている相手を探した僕の視界に映ったのは、僕の隣で仁王立ちしている天国だった。
「え、僕?」
 正直話しかけられるなんてミジンコほどにも思っていなかった僕は、もう一度よく、天国の視線が向いている先を確かめた。角度、向き、および僕の後ろには誰も居ないところからするに、やはり彼女の話しかけている相手は僕らしい。
「そうだ、いいから来い」
 天国はそういうと僕の手を引っ張って強引に立ち上がらせた。
 そのまま天国に引きずられるようにして、僕は屋上へ続く扉の前までやってきた。天国は扉に鍵がかかっていることを確認すると、ポケットからクリップを取り出しそれを鍵穴へ差し込んだ。いやいや、そんな簡単に開くはず――
 と思考回路が末尾に到達する前に鍵はいとも簡単に開いた。
「うへえ、そんな事できちゃう人なんだ」
「いいから出ろ」
 天国は僕のリアクションを完全に無視して背中を押して屋上へ押し込んだ。
「うわっとと」片足でどうにかバランスを取り、僕はどうにか転ばすにすんだ。「なんだよ危ないな!」
 そうして振り返った僕を待ち構えていたのは、腰を低く落とした天国だった。
「っ!」
 僕は口を開くよりも先に体を動かせと脳からの緊急指令を送信した。
 すかさず両足の力を一気にぬいて、腰から地面に落下するようにしゃがみこんだ。その頭上を何かが音を立てて高速で通過する。目の前でゴムが焦げたようなにおいがしている。みれば天国の足元には黒いシミが続いていて、そこから煙が上がっている。顔を上げると、僕を見下ろしていた天国と目があった。彼女の右腕がさきほどまで僕の体があったであろう場所に伸びている。なんだ、この人僕のこと殴ろうとしました? それも、なにか尋常ならざるPowerをこめて。
「何も怖がることはない」
 天国の口がゆらりと動き始めたのを見た僕は、嫌な予感がして横へ転がった。
「少し確かめたいことがあるだけだ」
 天国の声と同時に、僕の右頬を再び何かが高速で掠めていった。
 ゴムの焦げるにおいと煙と、焦げた上履き。地面へ向かって左腕を伸ばしている天国。
「ちょっちょちょいちょい、落ち着いて話そうじゃないか」
「貴様はあれだな、うざいな」
 どっちがだよ、という僕のツッコミを待たず、天国は僕の放り出しっぱなしの足を掴んだ。そのまま僕は逆さづりにされてしまった。視界が真逆になる。頭が重い。目の前に天国のスカートが見える。ああ、ボーっとしてきた……。どんどん頭に血が上っていく。まずい、ワンステップで上履きを燃焼させるようなやつに捕まってしまった僕は、これで終わりなのか。死んでしまうのか。こいつが一体何者なのかも知らずに僕は天へ召されてしまうのか。
 頭上で天国は「ふむ」とかなんとか言っている。
 天国のスカートが目の前で風に吹かれてひらひらと揺れている。
 なにか、なにかこいつに一矢報いることは出来ないものか。そう考えている僕の眼前には天国のスカートしか映っていない。全世界は天国のスカートで支配されていた。
 そうか。どれだけ変わった奴でも、天国は女。さすがにスカートを下ろされるのは恥ずかしいはずだ。天国のスカートを両手て掴み、下ろす。慌てた天国は僕を地面に落とすだろう。きっと頭から落下してとても痛いだろうが、そこは我慢だ。僕は素早く扉から校内へ入り助けを呼ぶ。うむ、完璧だ。
 僕はいざ実行せんと、両手をスカートへ向かって伸ばし、そこで一つの嫌な考えが浮かんだ。
 もしスカートが下りなかったら、どうすればいいのだろうか。
 否、下りなかったら、なんて考えは甘い。おそらく、下りないだろう。
 ズボンがボタンでとまり、チャックでロックされ、ベルトでがんじがらめにされているのと同じで、スカートだって同じように複雑な仕組みで腰にくっついているはずである。まずはその安全装置を外さなければ、スカートを下ろすことは叶わないはずだ。行動に移した僕が、失敗したとき。スカートが下せなかったとき。そのとき僕はどうなってしまうのだろう。これほどのPowerを持った人物の怒りを余計に買ってしまった僕は……。
 とはいっても、僕の全エネルギーをスカートへ向ければ、さすがに下りるのではないか、とも思う。まあ、そのときはきっと破れたりしちゃうだろうけど、天国は僕に対して殺しかねない行為を働いているわけで、そこはトントンだろう。
 破るか、殺られるか。
 やるしかあるまい。やむおえまい。
「うおおおお!」
 僕は叫ぶとともに、いつの間にか悩みながら閉じられていた自分の瞳を開けた。
 僕は既に逆さづりではなくなっていた。
 地面に寝かされていた。両手を空へと突き出して。
「あれ……」
 天国の姿も、消えていた。
 僕は大変釈然としない思いを胸に秘めたまま帰宅した。
 いったい天国励子とは何者なのか。僕をどうしたかったのか。天国はどこへ行ったのか。天国は明日も学校へ来るのか。もしあのとき僕の手が天国のスカートを掴んだとして、本当に下ろすことが出来たのか。
 三つ目の疑問は僕が自室の扉を開けるとともに氷解した。
 天国は、僕の部屋で、腕を組み、足を組み、大変偉そうな態度でちゃぶ台に腰掛けていた。
 消失してから再登場までおよそ十行である。
「おい」
「僕はとりあえず天国の存在を無視して、カバンを壁にかけた――」僕は回想していた筈なのに自分の口が動いていることに気付いた。「僕、喋ってた? 今?」
 天国はうなずいた。
「ああ、ごめんね、あとちょっとで回想終わるから、ちょっと待ってて」
「嫌だね」
 天国は眉間にしわを寄せて、口をゆがめ歯をむき出しながら言った。勝手に人の家に上がり込んだくせに、なぜあんなに偉そうなのだろうか。
「金鍔収はカバンをかけたあと現実逃避しようとするが結局うまくいかず、天国励子にどうしてここにいるのかと問い、天国励子は屋上よりここのほうが落ち着いて話せるだろうからここにいるのだと答え、そして金鍔収の体の中には【無間地獄領域番号三十二(未使用)】があるのだと伝えた」天国は呼吸を挟まず言った。「以上だ」
「いやまあ、その通りですけど。ええっとそれじゃあ、さっきの屋上はなんだったの」
「本当に貴様の中に地獄があるのか確かめたのだ」
「はあ、それはどのようにして」
 という僕の問いに対して、天国はちゃぶ台にドンと音を立てて右手を置いた。腰を浮かした天国の上半身が僕に接近する。
「こういう――」
 左足のひざをちゃぶ台の上へ乗せる。空いた左手が僕の襟を掴んだ。天国の顔がどんどん僕に近づいてくる。
「えっと、こ、これはなんでしょうか」
 僕はなにやら自分がドキドキしていることに気付いた。
「――ことだ」
 ちゃぶ台に乗っていた右手が僕の体へ伸びてきて、胸の辺りに当た――
「んんんっ??」
 ――らなかった。
 天国の右手は、僕の体の中にめり込んでいた。ひじの辺りまですっぽり入っている。
「ななななななな、えええ!?」
 僕は自分の体を見下ろしながら叫んでいた。僕はもしや体を貫通しているのでは、と背中に手を回したが、そんな事は起こっていなかった。
「おい貴様」
 天国は僕の体の中に手を突っ込んだまま、掴んでいる襟を引き寄せた。顔が近い。息がかかる。恥ずかしい。しばらく眺めていたが、やはり天国はまばたきをしない。いや、もしかしたら僕がまばたきをしているときに、天国も一緒にまばたきをしているのかもしれない。
「おい、貴様、聞こえてないのか」
 体をゆすられて、僕は我に返った。
「え、はい、なんですか」
「私は今、貴様に対して二つの不満がある」
 鼻先にある天国の顔がさっき「嫌だね」と言ったときと同じようにゆがんだ。歯がギリギリ鳴ったのが聞こえる。何せそれは耳から三十センチも離れていない場所でしたのだから。
「一つ、五月蝿い」
「はい、ごめんなさい」
「二つ、汚い」
 天国は僕の体に突っ込んでいた手を抜き、それを顔の前にあげた。腕になにかキラキラした光り輝くものがついている。そのダイヤモンドのように煌くものは、おそらく僕の唾だ。
「はい、ごめんなさい」
 天国はその僕の唾液がつきまくった腕を、僕のワイシャツになすりつけた。今度はその手は体にめり込まなかった。完全に拭き終えると、天国はちゃぶ台の反対側へ戻っていった。
「そういうわけだから、貴様には今後、私の仕事を手伝ってもらう」
「うわー、なんかすごい話飛んだよね」
 なぜ僕の中に地獄があるのか。そもそも地獄とは一体なんなのか。未使用とは文字通りそのままの意味なのか。天国さんは何者なのか。まばたきは僕と一緒にしているのか。そしてどうやって家に入ったのか。
 仕事どうこうの話をする前に、このあたりは説明していただきたい。
「なんだ、まだグダグダ説明しなきゃいけないのか。もういいだろ、なにか自分の中にわけの分からない空間がある。そして人間離れした、もしかしたら人間ではないかもしれない生き物が突如現れた。その辺のパーツを組み合わせて、勝手に脳内補完でもして納得してほしい」
 なんというアバウトな納得を求めるんだこいつは。
「人間ではない生き物?」
 僕はとりあえず今天国が発したキーワードを確認した。
「そうだ」
 そういうと、自称【人間ではない生き物】は立ち上がり、テクテクとカレンダーの貼られた壁に向かって歩いていった。なんだ、もしや壁を殴って穴でも開ける気か。確かにそれは凄いPowerではあるが、別に力持ちのお相撲さんとかなら普通に出来るだろ。いやそれより穴開けるのはまずいだろ。隣は妹の部屋だ。
「ちょっと、穴はまずいかなー」
 手で壁を殴る。という僕の先読みに気付いたのか、天国は片足を上げた。
「いやあ、だから穴はまずいんだってば。殴っても蹴っても同じだっつーの」
 が、僕の制止を無視して天国の靴下をはいていない肌色の足が壁へ伸びていった。足裏が壁につかんとしている。僕は思わず顔を背けた。
 ドン、と音がして妹の部屋へのバイパスが完成する。その瞬間が僕の脳内にありありと浮かんでいた。なんということでしょう! 殺風景だった六畳間に、観るものに力強い野生的な印象を与えてくれる第二の出口が!
 そう、ドン、が来るのだ。
 しかし、僕の耳がキャッチしたのは、ドンではなく、テクだった。
 テク、テク。確かに天国のいるべき方向から、そんな音が聞こえる。
 僕は恐る恐る、天国の立っていたほうへ顔を戻した。
「あわわわ……」
 テクテクと天国は壁を歩いていた。体が地面に平行。壁に直角な状態で。記号の垂直を九十度回転させたといえば分かりやすいだろうか。いや垂直なのだから正しいもくそもなく正しいのだ。すいちょく「⊥」
 そのまま天井と相対する格好になった天国は、ついさっき壁に向かってそうしたように、片足を上げて足の裏を天井にくっつけた。
「あばばば……」
 テクテク、と天国は天井を歩いた。天国はこのデモンストレーションを行うにあたって、僕に背を向けて、僕の正面にあった壁を歩き、その上にあった天井を進んでいるので、つまり僕に向かって来ているのである。そのツインテールは垂れさがりまるで角のようになり、
 もちろんめくれていると思ったスカートは重力に逆らい、まったく中身を見せる気がない様子だった。なんだあれ、どうなってるんだ……。いやいや、今悩むのはそこじゃないだろ、僕よ。そこはとりあえず置いておくんだ。その辺に。
「ちょっとそれ、どうなってるんだよ……」
 この疑問にスカート的な意味はまったく含まれて居ない。
「絶対に天井を歩いてみせる。そういう気持ちが、私に天井を歩かせているのだ」
 その気の抜けた冗談のようなことを、逆さの顔で、クソまじめに言われた。
「へ、へぇー」
「これで私が人間ではないと、理解していただけただろうか?」
「うん」
 僕が頷くと、天国は天井に向かってしゃがみ込んだ。そしてそのまま、天井で逆立ちをして――天井に両手のひらをくっつけた状態でぶら下がり、突然重力が自分の存在を思い出したように、地球が天国を床に引き寄せた。
「あれか、重力とか磁力を操るみたいな、そういう能力の所持者なわけだな」
「違う」
 相手の能力を当てるのにあたって、人差し指を立てていた僕はすみやかにそれを引っ込めた。
「それじゃあ、なんなのさ。なんかあるんでしょ? 私はアロンアルファレディだみたいなさ、そういうのが」
「勤勉、それが私だ」
 勤勉? 頑張ることが能力? なんだかよくわからない。いや、分かることなんか何一つとして無いんだった。そもそもこの世にそんな能力者みたいなのが居るなんてことを今の今ままで知らなかったんだから、持ってる人が言ってることが全面的に正しいのだろう。
そういや僕だってその、地獄だかが体にある能力者なんだものな。僕は自分のおなかのあたりを手で触れた。しかし、特になにも起こらない。
「あのさ、僕のことなのに他人に聞くのもなんだけど、どうやったらさっきみたいに、体の中に手を突っ込めるんだろうか」
 僕はあらん限りの力をこめて、腹に向かって手をぐりぐり押し付けたが、やはり中に入る気配はない。
「【これ】を地獄の中に入れることを許可する。そう考えながらでなければ、入らないはずだ。ただ中がどうなってるのか知りたい、とか、そういう思考では入らない」
 言われたとおり、僕は右手を地獄の中に入れることを許可する。と念じながら右手を腹に押し付けた。するとどうだろう、さっき天国がそうしたように、僕の右手がするすると腹の中に入っていくではないか。
「ほわー! こりゃあすごいな!」
 僕は手近なところにあったジャンプを地獄の中へ投入した。ジャンプは一切の手ごたえも感触もなく、腹の中に吸い込まれていく。なるほど、ドラえもんの四次元ポケットみたいな感じだな、これは。僕は自分の腹の中からいろいろな道具を出している自分自身を想像しながら、ジャンプをとりあえず腹の中に収納した。本棚に入りきらず、部屋の隅で山積みになっていた雑誌群をどんどん地獄の中に収納していく。合計二十冊以上の本が、地獄の中に納まった。
 そうか、僕の所持品すべてをこの中に入れていけば、絶対に忘れ物をすることもなくなるんだな。僕はさらに、PSPとDSと定期入れと財布を入れた。携帯電話は着信が分からなくなるから、入れられないよな。
「一つ言い忘れたが」
 じっと僕の様子をみていた天国が、おもむろに口を開いた。ちょうど地獄の中に突っ込んだ手が、中で財布を手から放した瞬間だった。
「完全に投入したものは、出せないからな」
 ―――
 何か言ったか? いや、僕のログには何もないな。
 僕は地獄の中に右手を突っ込んだ。ドラえもんは果たしてどうやって中の物を取り出していただろうか。そうだ、叫んでいた。
「金鍔収の財布!」
 勢いよく腹から手を引き抜く。
 ここで効果音。
 金鍔収の手に効果線。
 そして金鍔収の手には財布が、
「なーい!」
 いやいや、ありえないでしょう。何を言っているんだ。僕は何をいれた? 定期入れと、財布と、PSPと、DSと、雑誌だぞ? 雑誌はまあいいだろう。でも定期はまだ四ヶ月くらい残ってるし、財布だって小遣いもらったばっかりだぞ。PSPにはセーブデータ入りっぱなしだし、入ってたゲームは借りたやつだし、DSに至っては妹のだぞあれ。
 もう一度腹に手を突っ込む。全神経を集中させる。
「金鍔収が入れたもの、全部!」
 山ほどアイテムが乗っている。という夢と希望を秘めた、引き抜かれた手は「あちらが東京タワーです」的な感じになっていた。もちろん手の上に東京タワーが乗っているわけではなく、何かアイテムが乗ってもいなかった。
「まあ、そうやって試し続けることを、私は否定しない。いつかは入れた物に触れることが出来る日が、来るかもしれないからな。ただ、貴様の中にある地獄の空間は地球の表面積の二十倍であり、突っ込むたびに入る場所がランダムに変わるのだ、とだけ言っておこう」
「とだけ言っておこう。じゃねえよ! 先に言えよ! 遅いだろ! 遅いでしょ! 遅いですよね……」
 叫ぶたびに天国の眉間にしわが寄って行くのが恐ろしくて、僕の訴えは尻すぼみになった。つまり僕の、体に地獄を持つという能力の使い道は、ゴミが捨て放題程度のものということか。
「まあ、私は説明の義務を果たしたことだし、帰ることにしよう」
 天国は眉間のしわを解放すると、立ち上がった。
「えっ! あれは、仕事がどうのこうのの説明とかないの?」
 もしかして世界中のゴミを捨てるとかいうのが、仕事の内容だろうか。
「それは必要になったらする」
 そういって、天国は部屋から出て行った。普通に扉から。そのまま後ろをつけていくと、天国は玄関に普通においてあった靴を履いた。ああ、その靴の存在には、帰ってきたとき全然気が付かなかったわ。
「鍵って、かかってなかったっけ……」
 僕が尋ねたときには、すでに天国はクリップを掲げていた。
「ああ、あそう」
 そういやこの人、ピッキングできたね。
 バタンと音を立てて玄関の戸が閉まり、天国の姿は消えていた。
 僕はいまいちど腹の、地獄の中に手を突っ込んだ。
「僕の、財布!」
 魂の咆哮は空しく響き、かざされた手はただ空を掴むのみであった。
 無念。
2, 1

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