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出会い

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(お前には落胆させられてばかりだ)
 父に浴びせられた言葉を思い出して、上川真琴は弄んでいた野球のボールを強く握り締めた。
 厳格な父から課せられた課題に、ことごとく落第してきた真琴。その度に、厳しい言葉をぶつけられてきた。夕方の神社の境内に一人でいるのも、出来る限り父と顔を合わせたくないからだ。
 にもかかわらず、課題として渡された野球のボールを携えているのは、その練習のためであった。
 段々と日が沈んできた。いつまでもここにいるわけにも行かない。
 ――帰る前にもう一度、父上から申し付けられたことを試そう。
 彼女は立ち上がり、仰々しいモーションで、小さな手の中にあるボールを放った。
 それは、それはゆったりと放物線を描き、推進していく。
(時よ……)
 真琴は心の中で念じる。
(止まれ)
 父からの課題、それは、『物を放った後に、時を止める』ことであった。
 しかし、その願いは聞き入れられることなくボールは邁進し、
「!?」
 ちょうど向こうから歩いてきた女性の左手に納まった。

 この世界には古くから、科学的には説明できない能力扱う人間、いわゆる超能力者が存在する。そのことを、超能力を扱えない人間から秘匿するために、超能力者たちは秘密裏に組織『世界超能力協会』を形成してきた。
 その中でも、上川の血統は、時間を操る能力者の家系として、境界の日本支部において強い影響力を保持してきた。
 真琴はその長子であり、将来協会幹部として迎え入れられる予定となっている。しかし、彼女は超能力の資質にかけていた。十三歳を迎えた今でも、時間能力者の最も有用にして基本的な攻撃手段、『時を止めた後に、四方八方からの投擲による攻撃』、通称『時の棺』すら、未だにマスターしていなかったのだ。おそらくこのままでは、第二子第三子以下が、上川の代表として協会の幹部につくであろう、というのが、協会内部での大方の予想であった。
 
 ボールを受け取った女性は、体操服を身に纏い、運動鞄と80cm程の長い筒のような物を背負っていた。髪をポニーテールにし、日に焼けつつも決めの細やかさが損なわれていない肌と、ややきつそうでありながらもどこかあどけなさの残る容貌と召し物からして、ティーンエイジャーであることは間違いないであろう、自分の外見とかなり乖離はあるが、もしかしたら同い年かもしれない。と真琴は踏んだ。
 しばらく二人は見つめあった。
(そうだ、お詫びをしなくちゃ……)
 真琴がしばらくその発想にたどり着けなかったのは、超能力の練習を見られてしまったショックだけではなく、ボールを受けた女性に見とれていたからでもあった。
「あ、あのごめんなさ……」
「みぃ~つけたっ!」
 真琴の侘びの言葉が終わららない内に、女性は、獲物を見つけた肉食獣のような笑みを浮かべ、そう言い放った。
(見つけたって……まさか)
 自分を狙う刺客か、と真琴は女性の態度から解釈した。超能力協会の幹部の長子である真琴は極稀に、協会に属さない超能力者から狙われることがある。
(『共鳴』……)
 真琴は心の中でそう呟いた。『共鳴』とは、相手の持つ超能力の概要を大まかに知るための行為である。しかし、
(……超能力者じゃない? じゃあ『見つけた』って……)
「野球少女、みーつけたっ!」
 その答えは、本人の口から発せられた。
 彼女は笑みを絶やさないまま、真琴に駆け寄り、
「まさかこんな近くに野球やっとる女の子がおるんなんて気づかんかったわ! 灯台下暗しっちゅうやつやな! たまには神社で練習でもしてみよか、なんて思ってよかったわ! もしかしてこれって神さんの思し召しかいな? ここには打撃の神様か代打の神様でも祭られてんとちゃうか! あ、嬢ちゃんは代打の神様っちゅうと誰思い浮かべる? うちはもちろん八木裕やな! 生まれたときからトラやったからな! でもニワカのトラファンの間では桧山思い出す人のほうが多いか? それにしても嬢ちゃん、こんなところで一人で練習しててさびしくなかったん? それにそろそろ暗くなるしここらへんも変なんがうろうろしてるらしいから危険とか考えなかったん? あ、それに関しちゃウチもこんな時間から練習しようなんちゅうのは危ないか! ウチも嬢ちゃんくらいな可愛らしさはないにしてもそこそこいけるみてくれしとるからな! がはははは!」
 と矢次早に、一方的に言葉のノックを浴びせた。
「あ、あの、そんなにいきなり……」
「ん、ああすまんすまん。ウチはおしゃべりが過ぎるのがタマニキズやな。ウチは小田原 縁(おだわら ゆかり)。よろしゅうな!」
 と、縁は真琴に右手を差し出した。喋りの勢いに威圧された真琴は、そのままそれに応じ、自らの右手も差し出した。縁に握られた右手は、かなりの圧力を覚えた。
「わ、わたしは、上川 真琴」
「まこと、か。字はどう書くん? あ、ウチはミドリ色のミドリでユカリや。どうせ色なら『タテジマ』が良かったけどな」
「え、『緑』と『縁』って似てるけど違う字だよね?」
「……おお、このボケに気づいてくれたんはマコちゃんがはじめてや」
 『マコちゃん』と、いきなり真琴にあだ名をつけた縁。訛りや話の進め方からして、わざとらしいほどの大阪娘のようだ。真琴は落ちていた木の枝で、地面に自分の名を書いて見せた。
「おお、良い名前やん!」
「そうかな?」
「『真芯』に字面が似とるからな! 気持ちええ名前やわ!」
 どうやら縁の頭の中は、野球関連のことがほとんどを占めているようであった。
(実は、わたしそれほど野球って好きじゃない……野球のボールで『時の棺』の練習してただけ……)
 などとは、協会関係者に課せられている守秘義務とは無関係に、言い出せない真琴であった。
「そういや、マコちゃんっていくつなん?」
「十三歳、中学一年生だよ」
「え、ウチと同じか……嬢ちゃんなんて言ってすまんな」
 縁は心底驚いた様子であった。
「それって、わたしがちっちゃいって、遠まわしに言ってない?」
 真琴は、身長140cmに満たない。小学五年生の平均身長以下である。縁が見間違えたのは仕方のないことだった。
「い、いや、ちゃんと出るとこは出てる、良い感じの身体やで? うん」
 ……時を操る超能力者は、その力の副作用なのか、身体の成長や老化が遅いか早いか、はたまた部分的に違いが著しいか、とにかく極端である。
「……小さいこと、否定されてない」
「まあ、まだ中1なんやし、これから大きくなるって。別のところが大きくなったら大変そうやけどな」
「……セクハラって、同性の間でも認められるみたいだけど」
「! いやや! この年で前科持ちは! ……なんて、冗談はさておき、中学生ならウチらのチーム入れるな」
「チームって、野球の?」
「そうや、由利丘シャークス! 鮫さんやで」
 今度はわざとらしく歯を剥き出しにして笑う縁。鮫のようだった。歯並びは歯医者に『理想の歯列』として掲載されてそうなほど整ったものではあったが。
「でも、わたし、野球ってあまり……」
「大丈夫や! ちゅうのも、女子の目ぼしい奴はほとんど中学のソフトボール部に入っちまって、外部の野球チームに入ってくるっちゅうのはあまりおらへん。中学から始める子でもノープロブレムや!」
「は、はぁ……」
 今、真琴は縁に惹かれつつあったが、自分の家庭の事情が理由で、これ以上のかかわりを持つことにためらいを感じていた。そのため、あいまいな返事を返す他はなかった。
「ま、まずは見に来るだけでもええ。大体市営の運動場で練習しとるから、気が向いたら見にきいや。……おっと、気付いたらもうこんなに暗くなっとるやん。ちっとだけ素振りしてからかえろ。マコちゃんはどないする?」
「わたしは、そろそろ帰るよ」
「ああ、ほな、車や変な人に気いつけて帰りやー」
 帰路に着く真琴。
(こんなに人と喋ったのは、久しぶりだな)
 自分が『時の棺』を出来ていないことも忘れ、その足取りは軽やかだった。

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