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5-9 人形は静かに眠り続ける

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 まさか、と思った。
 ヒナ子は生来生まれつきのクサナギ式である。
 生まれた時から既に成長の余地がない程に完成されたESPは改造によって伸びることもなく、結果として怪人に匹敵する身体能力を得ている(ニナカワとして見れば特に強いわけでもない)。
 ESP能力のエキスパートであるが、他人の精神そのものを自分の思うがままに操ることは不得手であった。これは本人の過去のトラウマが影響しているらしい。
 そういうわけで、こいつに『洗脳』は不可能だ……精神を『壊す』ことなら得意中の得意であるが。
 だが、違った。
 レイジが洗脳装置を必要としているのは、それが人の意識に強く影響し、尚且つ悪の組織で手に入るものだったからである。
『洗脳』そのものが重要なわけではないのだ。
「……『気付け』か!」
 頭の悪い俺でも、ヒナ子にできることくらいは知っている。
「ええ、そうです。レイジさんの彼女が眠ったままだと言うのなら、雛ちゃんがショックを与えれば、あるいは……」
 がたん、と立ち上がったのは無表情の男だった。一筋の希望を見て尚、その瞳に輝きは生まれない。
「起きるの、か?」
「……気持ち悪いとは思っとった。あんた、アホな変態のふりして……いや実際ほんまもんのアホな変態やけど……顔の皮膚の一枚下が、全然笑ってなかったもん。感情を表現したくても表情が作れないベル姉とは、真逆や」
 やはりと言うべきか、レイジの異常性についてヒナ子は感づいていたらしい。
 まあ、そうでもなければいくら変態とは言え初対面で『影槍』は出ないだろう。普通に蹴っている。
「あんたはキモくて嫌いやけど、ベル姉の頼みなら断れんわ。はよ案内しい」
「頼む……こっちだ」
「……別に、うちはどっちでもええんやけどね」
 奥の扉を開けて先に進むレイジ。
 その足が、ヒナ子の一言によって止まった。
「二階にいるのは……本当に、人なん?」
「……俺の、彼女だ」
 そこから先は、誰も何も言わなかった。
 レイジ、ヒナ子、俺、ベル子の順番で階段を上る。
 通い慣れた『Hide out』の、入ったことのない二階。
 その、奥の部屋へと。

 部屋主の性格なのか、それとも寝ているだけで彼女の自室ではないのか。どちらにせよ、女が寝る部屋にしては殺風景だった。
 本棚も箪笥も、化粧台すらないそこにはベッドだけが存在し、空いた窓から流れる風でカーテンは揺れていた。沈みかけの陽光もベッドの下半分を照らしていた。
 寝心地は悪くなさそうなそこに、レイジよりは年下に見える女が瞼を閉じて横たわっている。
「……綺麗な方、ですね」
 確かに、綺麗な顔だった。
 艶のある長い眉毛が印象的な、顔だけは整ったレイジにお似合いの……お似合いすぎる、女だった。
 だが、よく見ればわかる。

「こいつが……アキだ。俺を庇って、ずっとこのままなんだ」

 皮膚は度を超えて滑らかすぎる。鼻孔には一本も毛が生えていない。
 明らかに、それは人間ではなかった。
 生気がない、どころの話ではない。脈がない。息をしていないのだ。
 それを、ずっとこのままだと?
 腐敗防止の匂いはしない。腐敗臭など、するはずがない。
 俺も、ヒナ子も、ベル子も。
 彼女……アキが、『人工物』であることがわかっていた。
「まさか、これ……」
 とまで口に出したところでヒナ子が訂正した。
「……これ、は失礼やったかな。彼女、全身機械なん……?」
 頷くレイジ。

「出自は言っても信じてもらえないだろうが……アキは一から造られた独立駆動人形だ」

 ――自立式アンドロイド、だと。
 確かに怪人手術の中には、体の大部分を機械化しサイボーグ化するようなのもあるにはある。シュターゼン式はその流れを汲んだ技法だ。
 だが、思考し、行動し、怪人と同等の力を持つアンドロイドなど聞いた事がない。明らかに、怪人技術から一歩も二歩も外側の存在である。
 それで狙われた、と言うわけか……。

「なら残念やけど、うちにできることはないわ。うちはPKやなくてESP。『精神』を持つ動物やないとなにもできへんもん」
「……いや、アキのCPUには人工のだが、生体部品が使われている。洗脳装置を使おうとしたのも、機械部分ではなく生体部分に作用させるつもりだった……機械部分は、一応の反応はするんだ」
「人工の、生体部品……?」
 それなら知っている。まだ理論だけが先行している状態ではあるが、怪人技術の範囲内だ。
 ベル子の疑問に、俺が応えた。
「雑に言うとクローンだ。生身と機械にはそれぞれ弱点がある。機械に対して機械、生身に対して生身のバックアップを用意しても、強い衝撃で両方いっぺんに壊れたら意味がねぇ。
対して弱点が異なる生身と機械でバックアップを取り合えば、どっちかがぶっ壊れても、片方が残ってれば記憶と意識は復元がきく」
「……詳しいんだな」
「聞きかじりだ」
 レイジはアキの首筋にコードを接続しながら声だけで感心する。
 悪の組織なんざ潰して回ってたら、浅い知識くらいは身につく。
「なるほど……そりゃうちの天敵かもね。万全やったら」
 ヒナ子は電池が切れたように動かないアキの額に手を置く。目を瞑る。
 傍目には、ただそれだけだ。知らない奴が見れば心霊治療にも見られかねない。
 十数秒の沈黙。その果てに、ヒナ子は僅かに眉を顰めた。
「あー……そっかー……そんならねー……」
 一人で何やらわかったかのように呟き、小さく首を動かしている。
 そして目を開く。赤い瞳でレイジの目をしっかりと見て、口を開いた。
「……良い知らせと悪い知らせがあるわ。どっちを先に言うた方がええ?」
「結論を先に言ってくれ」
 即答だった。
 ヒナ子は少しだけ考える素振りをして、それから言いにくそうに、躊躇いがちに、伝えた。

「……彼女。生きてるし、深い所で意識もあるけど、起きる気ないわ」

 それはどういう……
 と、レイジが言うより早く、ヒナ子が続ける。
「あんた、相当酷い目にあったみたいやね。アキさんは責任を感じとる。自分のせいであんたが傷ついたって」
「そんな……違う、守れなかったのは俺の方だ……」
 レイジに戦闘能力はない。客観的に見れば、とばっちりを受けたのは奴の方だ。
 だが、本人はそうは思えないだろう。
「あんたがどう感じようと、アキさんは心に決めとる。二度とあんたが酷い目に合わないように。……独立駆動しない、ただの人形でいる、って。

……自分には、もう……恋人でいる資格がない。そう思うとるよ……」 

「……馬鹿……野郎……」
 心を閉ざしたアキに、ふらふらとレイジが近寄る。
 亡骸に等しい細い身体を、弱々しく抱きしめた。

「お前がただの人形になっちまったら……俺だって人間になれないだろ……!」

 人間として悲しむことのできないその姿は、あまりに痛々しいものだった。 
 かけられる言葉などない。
 俺たちはすれ違う二体の人形を置いて、静かに部屋から出た。

 ――もう少し、あとほんの少しだけ、自分が強ければ。
 
 ……ああ。
 そうだな。
33

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