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 人はとても驚くと心臓が止まりそうになるという。オーバーな表現だと思っていたが、今、自分がそんな事態に直面して、初めて本当の事なんだと実感した。
 というのも、今、俺の眼前で白昼堂々と犯罪が行われているからだ。いわゆる誘拐というやつだった。三人の大人の男たちが、一二歳ぐらいの小学生の女の子を、無理やり何処かに連れて行こうとしている。
 なにをしてるんだ、そう言おうとして俺は声をとめた。考えてみればおかしい。こんな人の目の前で堂々と誘拐するバカはいないだろう。これはきっとあれだ。不登校の子供を学校に連れて行こうとしてる、親戚か教師の一団だろう。
 なんといっても今は平日の真昼間。まともな子供なら学校で勉強をしているはずである。こんな時間にフラフラしている子供は、不登校児か仮病のやつに決まっているのだ。
 くだらない。公園の散歩を邪魔されて、俺は機嫌が悪くなった。できれば人に会うことなく日光浴を楽しみたかったのだ。そのために寂れた公園を歩いていたというのに。
 横目で例の一団を見てみると、男たちが女の子の身体を抱え上げようとしていた。女の子は泣き顔で必死に抗っている。ふと、俺の視線と女の子の視線がぶつかった。女の子の唇が動こうとした。
「――!」
 しかし、その声は言葉になる前にひとりの男に塞がれてしまった。その男が俺を睨んだ。余計な詮索をするなと言っているようだった。
 男に気圧された俺は、靴のつま先をよそに向けた。背後から、男たちが遠ざかる足音が聞こえた。
 ほんの一瞬、もう一度、俺は背後の集団に目をむけた。やっぱり女の子は泣いていた。必死に首を捻り、俺のことを見ていた。
「くそ!」
 俺は自分の頭の悪さを再確認した。あんなの誘拐に決まってるじゃないか! 深く息を吐きだし、俺はズボンのポケットを探った。警察に携帯で電話をかけようと思ったのだ。しかし、すぐに俺は思いだした。そういえば俺は先月携帯を解約したのだった。
「どうすればいい……!?」
 そんなことも忘れるほどテンパっている自分が心底情けなかった。女の子の方に視線を向けてみると、男たちは公園の出口の辺りを歩いていた。抱え上げた女の子が暴れているものだから、移動に手間取っているのだ。
「!」
 俺の視界に不吉なものが映りこんだ。公園を出たところに黒いワゴン車が止まっている。いかにも誘拐に使いそうな感じのやつだ。ご丁寧にスモークが万遍なく貼られている。
 あの車に乗り込まれたら終わりだ。自分は、車はおろか免許すら持っていない。俺は情けない目で女の子を見た。彼女は助けを求めている。
「……」
 どうすればいいかは分かっていた。しかし動けなかった。相手は三人の男だ。ひょろい上に運動不足の俺に何ができる? 何もできるわけがない。無駄な事はしないのが俺の生き方だった。だいたい女の子を助けて俺になんの得があるっていうんだ
 と、そこまで考えて俺は自分の頬を殴りつけた。俺はなにを考えていたんだ。すべてやらない言い訳ばかりじゃないか。痛みが俺を正気に戻してくれた。
 もう頭で考えるのは止めにし、俺は無心で身体を動かした。男たちに向かって全力で走った。なまった身体が悲鳴をあげた。すぐに息が荒くなる。しかし足は止めない。
 俺の足音に気づいたのか、ひとりの男がこちらに目を向けた。警告の声を発しようとする。だが遅い。
 ドン、と鈍い音と衝撃がした。俺の体当たりがひとりの男を捉えたのだ。その衝撃で、女の子が地面に投げ出される。男たちは咄嗟の事態に動き出せない。その一瞬のタイムラグを、 俺の行動が埋めた。
 倒れている女の子を拾い上げ、再び全力で走りはじめる。背後から男たちの怒声が聞こえた。我に返った男たちが追いかけてくる。
「ハハ」
 自然と笑みがこぼれた。何だ、俺だってやればできるじゃないか。そう思った。
「ん?」
 俺に抱き上げられている女の子が身じろぎした。泣きはらした赤い目と俺の目がぶつかった。
「あ……あなた、さっきの」
「いや、あの……」
 女の子に見つめられ、俺は適当な言葉を探し当てられなかった。本当ならこんな時、安心させるようなセリフを言うべきなのだろう。でも、俺は人と話すのが苦手だ。
 俺の身体越しに女の子が男たちを見た。顔が恐怖に引き攣った。
「あれ、あの、あの人たちが私を……」
 恐怖で混乱をきたした頭で、女の子は必死に言葉を紡ごうとする。俺は分かっているというように、無言で頷いてみせた。これが一番効果的だと思った。
 男たちと俺との距離はどんどん詰まっている。だが、もう大丈夫だろう。この公園を出てしまえば、すぐに住宅街に出るのだ。誰かに助けを求めればいい。警察を呼んでもらえばいい。
 俺は公園の出口を抜けた。そして、
「あっ!」
 待望の通行人を見つけた。携帯を片手に歩いている男子高校生だった。俺は安堵して声をかけようとした。
 警察を呼んでくれ、俺がそう言おうとした瞬間、空気が激しく震えた。運動会やなんかで聞いた事がある音がした。
「嘘だろ……」
 俺の声は女の子の絶叫にかき消された。目の前で血を吹いて男子高校生が倒れた。背後の男のひとりが手に握った拳銃で撃ったのだ。
 これは現実かと俺は疑った。まるで映画の世界に入りこんだようだった。この平和な日本で拳銃などあってはならないのだ。
 迫りくる男たちから、俺は必死に逃げた。もはや疲労など吹き飛んでしまった。撃たれる心配は恐らくない。高校生を撃って俺を撃たないのは、この女の子に当たるのを恐れているからだろう。
 無我夢中で走る俺の視界に、幸運がまいこんできた。鍵のかかっていない自転車が置いてあった。俺が来た時にはなかったから、たぶん先ほどの高校生のものだろう。脳裏に彼の死ぬ瞬間が浮かんだ。
「くそったれ!」
 こんなとこで死んでたまるか。俺は女の子を自転車に跨らせ、全速力でこぎはじめた。最初の別れ道を右に曲がる。住宅街に逃げるのは止めだ。こいつらはまともじゃない。助けを求めた相手を殺してしまうかもしれない。そんな奴を人の多い場所に連れて行きたくはない。そこには俺の家族だっているんだ。
 目指すのは一番近くの交番だ。さすがに警察までは撃たないだろう。
「消えた」
 女の子の声に俺は後ろを見た。男たちの姿が見えなくなっていた。振り切ったらしい。
「少しは安心か……」
 安堵の息を吐き、俺は背中に当たる体温に初めて気が付いた。女の子が俺にしがみついているのだ。急に血の気がひいた。さりげなく姿勢を前傾にして言う。
「あの……あんまり俺に触らないでいいよ。心配しなくても落ちないから」
 不思議そうに女の子が俺を見た。何で、と無言で聞いているようだった。俺は答えなかった。不細工な俺に触りたくないでしょ、なんて口が裂けても言いたくはない。俺はいつも人に避けられるほどの不細工だった。通行人にクスクス嗤われたことも一度ではない。
 この女の子だってきっとそう思っている。だから、馬鹿にされる前に距離をとったのだ。
 情けない気持ちが胸を絞めつけたが、そんなことを思っている暇はなかった。背後からけたたましいエンジン音がした。見覚えのある車が視界にはいった。
「あれは」
 さっきの男たちの車だ。走っても追いつけないので車に戻ったのか。
「掴まって!」
 心の中とは正反対のお願いをして、俺は自転車を加速させた。自転車はグングンとスピードを増していくが、やはり車の方が速いに決まっている。
 男たちの車が隣に並んだ。窓から黒く光る拳銃が突きだされた。男が何かを言っているが、俺には意味が分からなかった。日本語ではないのだ。だが、男の言いたいことは予想できた。
 停まれ、そう言っているに違いなかった。しかし、俺は停まらなかった。背中に感じる体温が、それを躊躇わせている。安っぽい正義感か、と自分でも思った。どうせ誰に感謝されるわけでもないのに……。
「停まらないとお兄ちゃん撃たれちゃうよ……」
 泣きそうな声で女の子が言った。停まったら自分が連れて行かれるのは分かっているのに、それでも女の子はそう言ってくれた。
「停めない、から」
 どうせ生きてたってろくでもない人生だ。死ぬ時ぐらい、カッコつけてみてもいいか。ほんのちょっとの勇気と諦観の念が心を満たした。
 男の指が引き金をひこうとし、
「きゃあああ!」
 女の子の悲鳴と銃声が耳をつんざいた。激しいスリップ音と慌てた声が聞こえる。
「どうなってるんだ!」
 撃たれたのは俺ではなかった。男たちの車がガードレールにぶつかって停まっている。その周りを何台もの車が取り囲んでいる。それも大勢の人間が男たちに銃を突き付けていた。
 ひとりの金髪の外国人が俺たちに近づいてきた。
「王女様、ご無事でしたか」
「王女だって!」
 すっとんきょうな声で叫んでしまった。男の説明によると、女の子は日本にお忍びで旅行に来ているとある国の王女らしい。日本人にしか見えないし、日本語も流暢だから分からなかった。どうも母親の方が日本人だかららしい。
 すべての説明を聞き終えるころ、たくさんのパトカーがやってきた。俺たちを追っていた男たちが連れて行かれる。
「それで――」
 さきほどの外国人が俺に向きなおり言う。女の子は彼らの乗ってきた車で何かを話しているようだった。
「あなたには是非ともお礼をさせていただきたい。なので、お名前や住所、一応ご職業も聞いていいですか?」
「名前は荒木裕也。住所は――」
 住所まで答えて俺の言葉は止まった。訊ねた男が怪訝そうに眉を寄せ、ふと何かに気づいたように口を歪めた。
「お仕事はしていらっしゃらな――」
 侮蔑の意思が込められた言葉を言い終える前に、さっきの女の子が走ってやってきた。
「王女様! 困ります」
「この人にお礼を言いにきただけです」
 女の子がペコとお辞儀をしてから、手を差し出してきた。握手を求めているようだ。俺は反射的に手を引いて、外国人の男も、
「こんなやつと――」
 握手する必要はない、と暗に言った。確かにそうだ。自分でもそう思う。不細工でコミュ障、おまけに無職のニートだ。仮に人助けしたとしても、それを素直に感謝されるとは思えなかった。あーあ、どうせならカッコイイ人に助けてもらいたかった、そう思われるのがオチだ。
 自分の善意が他人に素直に受け取られるとは思えない。この子だって儀礼的な義務感から握手を求めてるだけだと思った。
 自然と視線が地面にさがった。俺は下を見て歩くのが似つかわしい。そう思った瞬間、乾いた音が大気を揺らした。顔を上げてみると、女の子が男の頬をビンタしたようだった。男は茫然とした顔をしている。
「この方は私を助けてくれた方です! 侮辱は許しません」
 清廉な瞳が男を睨みすえていた。威に気圧されたように男は後ろにさがった。
 女の子が俺に向きなおり、再び頭を下げて、それから柔らかく微笑んだ。
「この者の無礼は代わってお詫びします。すみません」
 と、女の子は言って、不意に距離を詰めて俺の手を握った。
「さきほどはありがとうございました」
 俺は慌てて手を離そうとしたが、彼女がそれを許さなかった。がっちりと手を繋いで俺を見つめた。
「あなたはどうして人との接触を怖がるのですか?」
 直球の質問だった。俺はたじろいで目を逸らしたが、女の子が逃げを許さなかった。たどたどしくも質問に答える。
「だってさ……あの、ほら、俺さ。不細工でしょ。だから、誰だって触れたくないんだよ。当たり前だよね。みんなおぞましいモノを見るようにしてさ……」
 言ってしまった。他人に包み隠さないことを言ったのは初めてだ。きっと彼女も、心の中で憐れみつつ嗤っている、と思った。
 が、彼女は真摯な瞳を崩さずに俺に言った。
「私はあなたを素敵な人だと思います」
「お世辞はよしてくれ」
 あまりに現実とかけ離れた世辞は馬鹿にしてるのとかわらない。
「どうしてお世辞だと思うのですか?」
 彼女は訊いた。俺が答えた。
「だって、俺は不細工だから……」
 手に加わる女の子の力が強くなった。
「人の醜美は私には分かりません。好みもありましょう。しかし、あなたの心根の優しさは、誰にとっても普遍的な価値がある。そう私は思います」
 嘘だ、お世辞だ、そう言おうとした声は言葉にならなかった。まっすぐな彼女の瞳が、手の平から伝わるぬくもりが、嘘ではないと教えてくれているように感じた。
「あなたの勇気に私は救われた。私の言葉を信じられたかったとしても、どうかそのことだけは誇りに思ってください」
 ありがとうございました、そう言って彼女は手を離して去って行った。俺は茫然と立ち尽くしていた。ずっと立ち尽くしていた。彼女たちが全員立ち去った後もだ。
 ふいに雨が降ってきた。そう思ったら、それは俺の流した涙だった。何故か涙が止まらなかった。初めて他人に認められたことが嬉しかったのだ。今まで、こんな自分が他人に認められることがあるとは思ってもいなかった。
 右手で涙を拭うと、ほんの少しだけ彼女の手のぬくもりを感じた。俺は家に帰ろうと歩きだした。視線が少しだけ上を向くようになっていた。
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