トップに戻る

<< 前 次 >>

撃てよ撃たれよ

単ページ   最大化   

 時は東西冷戦時代に遡る。ある国にそこそこ名うての殺し屋がいた。彼は第二次世界大戦中、狙撃手として軍役につき、そのまま兵隊として終戦を迎えた。学も浅く、他に割の良い仕事も見つからなかったこともあって、同じ連隊にいた上官に手筈を整えてもらったのである。そうしてある思想集団の下っ端として彼は活動を始めた。戦時中に感じたあの切迫感――脳髄から何かが溢れ出し、銃を握る手に思わず力が漲る。視野がだんだんと狭まり、血走った眼球はズームを続け標的のみを映し出す――あの精神状態を感じることは無くなった。しかし、恐怖とそれに釣り合った興奮の代わりに、現在はきわめて冷静に銃を向けることが出来るようになった。復員して程なく雇われたことも奏効した。一般の生活や日常を送る暇も無く人を殺すという非日常的作業を日常的なものとし得たこともまた、彼には好材料であった。

 順調に、いたって順調にその日も任務を遂行していた。来週末には報酬が入る。またしばらくは行きつけの飲み屋に入り浸ることができそうだな、と彼は口元を緩めた。
 そんな頃だった。同僚たちから、彼は良からぬ噂を聞いた。
「お前を殺そうとして何処かの組織が殺し屋を送り込んでいるらしい」
目には目を、殺し屋には、殺し屋を……という訳だろうか、とにかく彼は自分を殺そうと策動する者がいることに不安を覚えた。敵との撃ち合いなら、戦時にも経験が無い訳では無かった。しかし、戦闘からは多分に遠ざかっていたし、何より互いに闇討ちを行なうことが、経験を積んだ身にもそら恐ろしく思われた。
 彼の属する組織では「逃亡すべきだ」と密かに彼に声をかける者もあったし、彼も実際迷っていた。ただ、殺し屋というキャリアを引っ提げてみたところで、何処で新しい職に有り付けようか。金を得る手段が無ければ、戦後間もないこの状況では死んだにも等しい。ならば組織に残るべきではなかろうか。
 色々な思いが巡ったが、結論は出なかった。

 幾許かの不安を抱えながらも、彼は毎日引き金を引いた。仕事の終わりに、アジトへ向かう。空気の澱んだ裏通りにある、白いコンクリのビル。白い、といっても薄汚れていて、加工のなされていない象牙の色をしていた。夕方ではあるが薄暗く、アジトのある二階を仰ぎ見ると蛍光灯が点いたり消えたりを繰り返している。
 階段を上る足音だけが高く響く。ドアは開いていた。中には、幹部と呼ばれている中年が数人いて、その中に嘗ての上官の姿もあった。上官が来るなんて珍しい。何かあったのだろうかと考えていて、ふと自分のことだと思い当たった。自分を狙う殺し屋のことであろう。
 白髪混じりの幹部から封筒を受取り、中身を確認した後、やはり上官に呼び止められた。
「少しいいだろうか。お前を狙う殺し屋がいるという話は知っているな?」
上官は彼をドアの近くまで連れて行き、再び話し始めた。
「組織は必ずしもお前を守ろうとはしないだろう。ただ、一つ良いことを教えてやろう。」
上官は少し低い声で続ける。
「お前を殺そうとしている人間もまた、別の組織に雇われた殺し屋だ。お前のように多くの別件を抱えていて、知らぬ間に別の組織に恨みを買うことだってある。そこでだ。こいつを殺そうとする人間がまた別にいるらしい。連絡を取ってみるのはどうだろうか? お前がいるところに標的が必ず現れるということなら、向こうも嫌な話ではないからな。」

 かくして彼は、「その殺し屋」に「彼を狙う殺し屋」を殺してもらうことになった。
 時と場所とを連絡し、その付近で銃を構える男を殺してもらう、という訳だ。都合のいいことに、丁度同じ時間にその付近である男から別件を頼まれている。ビルの最上階のアジトを狙い撃つ仕事だ。窓にはカーテンも無く、ただある時間帯に集まって話し合うだけの場であるらしい。白髪の髭面の男を撃て、とのことであった。

 「お客様一名様でございますね。遊具券はございますか? はい、ではごゆっくり」
スーツで観覧車に乗り込む。いささか可笑しい風体ではあるが、そんな客もいないことはないだろう。
 観覧車があるというのは、この頃なかなか珍しい事だった。出来たばかりの観覧車に乗って、その天辺から標的を撃てというのは、また粋な発想だと彼は思う。観覧車はゆっくりと上がっていく。殺し屋にとって、粋が良いものか悪いものかは知らないが、こういう依頼も悪くない、などと思っていると、もう天辺まで八分目の地点へ差し掛かっていた。
 胸元からスッと銃を抜き、弾を込める。観覧車の窓は、ガラスか何かであろう。これなら、大丈夫だ。
 もうすぐ、例の時刻である。俺がアジトの男を殺すと同時に、俺を狙う何者かも同時に撃ち殺される。少しずつ、天辺に近づく。
 スコープを覗く。レティクルの十字の中心に標的を据える。見ると、標的の男も銃を構えている。危ない、と一瞬思ったが、銃はこちらには向けられていないようだ。男は左側、彼から十時の方向を向いている。その油断が命取りだと言わんばかりに彼は引き金を握る手に力を込めた。

 バキューン
 自分が撃った銃声がビルにこだまでもしただろうか、相当大きな銃声になっているように彼には感じられた。
 そして同時に、意識が遠のいていった。



以下新聞記事より抜粋。
「◯月×日、I町において六人の男性が一斉に射殺さる。被害者は皆公園を中心とする六角形の頂点に位置するようにして銃を構えたまま死亡しているのが発見され、いずれも銃口の先は他の被害者の方を向いていた。警察は殺し屋複数人での闘争が行なわれたと見て………」
5

江口眼鏡 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る