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敗北

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パラーダ・ジ・ルーカス駅で電車の屋根から飛び降りたナシメントとマチアスは
乗客たちにじろじろと見られながらも、ブリョエス・マルシャル通りの方へと続く
スロープを降りていた

通りへ降りた直後にタクシーを拾い、
フェルナンデス大尉がパジーリャの一味を連行した警察署へと彼等は向かった
彼らを署で待ち受けている人物がいるとも知らずに

彼らを署の入り口で出迎えたのはフェルナンデス大尉であった

「待たせたな」

フェルナンデスはナシメントとマチアスが自分に近づいてくるのと
左手を右脇で挟み、右手をこめかみをかきながら、2人の方へと歩いていった
このポーズは何か嫌なことがあった時、フェルナンデスがよくやる癖である
さらに足取りは重く、苦虫を噛み潰したかのような表情になっていることから
マチアスですら、彼の態度から何やら予期せぬことが起こっていることを
読み取ることが出来た

「何かあったのか?」

「ああ、すまんが 会議室へ来てくれ」

お世辞にも綺麗とは言えぬ軍警察署の廊下を歩く3人
彼等の足取りは会議室に待ち受ける嫌な現実を知りたくないかのように重く、
床へと刻まれていく

会議室の扉が開かれた先には、軍警察の佐官3人とスーツ姿の男が
飲茶のような黒茶色の机を挟んで向き合っていた

「失礼します」

部屋に入るなり、フェルナンデス大尉は右手で佐官たちに敬礼した
フェルナンデスはそのまま正面の席へと座っていった

「おお、来たか」

(……確か ヴェルダデイロ中佐、バンデイラ少佐……
そして司令官のエステヴァン大佐)

(軍警察の佐官たちが勢ぞろい……?一体 どうして?)

「久しぶりだね ナシメント警部 マチアス警部補」

口を開いたのはエステヴァン大佐だった
彼は口の端を少しだけあげ、微笑んだ

「お久しぶりです 大佐」

ナシメントとマチアスは久々に会う佐官たちにそれぞれ握手を
していきながらも、挨拶をしていく

「まあ、かけたまえ」

二人が正面の席へと着席し座ったタイミングを見計らうかのように、
大佐がスーツ姿の男に掌を向けた

「こちら 弁護士のネルソン・カルバーリョ氏だ」

カルバーリョは無言のまま冷たい目をしながら、ナシメントに向かって握手を求めた
その手をナシメントは無言で握った

(ネルソン・カルバーリョ……!
犯罪者共の人権擁護に携わる左派の敏腕弁護士か)

「よろしくお願いします」

左派の弁護士にとって、警察官とは敵である
カルバーリョの目は完全に敵意むき出しであった
ナシメントとマチアスはフェルナンデス大尉の隣へと座った

「それでは始めます 私は
 パジーリャ氏からの依頼を受け、
 同氏の弁護士としてここに参りました」

(やはりか……)

「まず、今回の逮捕は極めて不当だと言わざるを得ません
 彼等はナシメント警部、およびマチアス警部補を
 今晩開催されるアフロサンバのライブに招待しようと
 していました ところが、ナシメント警部およびマチアス警部補は
 彼らに向けて発砲……今回のような悲劇となりました」

カルバーリョの言葉にはこの部屋にいる警察官全員に対する怒りが秘められていた
顔にこそ出さぬとはいえ、ナシメントとマチアスの名を呼ぶ彼の口からは不快感に満ち溢れた空気が噴出していた
だが、ナシメントもマチアスも怒りを感じた 自分達がパジーリャ一味に対して執行したことが
正義のためではなく、自分達の勘違い、不注意で引き起こされたものだと言われたのだ
自分の正義を信じる警察官として、これほど屈辱的なことはなかった
そんなカルバーリョに対抗すべく、両名は口を開いた

「そいつは事実と違う
 俺たちはサンチェス事件の犯人に関する手がかりを追い、
 奴等のアジトへ聞き込みに行った その帰り道
 奴等に囲まれたんだ」

ナシメントの言葉に続き、マチアスが話す
それはまるで、突撃した仲間を援護する立派な兵士のようであった

「彼等は我々を取り囲み、"例の場所に運べば好きにしていい"と
 話していました 更に彼等は我々を"袋のネズミ"と呼んでいました
 我々を人目につかない場所へと運び、殺す気だったことは間違いありません」

マチアスの言葉はナシメントのそれと違い、冷静さでは上回っていた
それはきっと、ナシメントほどこの仕事にまだ熱心に取り組めていないせいかもしれないと彼女はふと思った
カルバーリョを見つめるナシメントの顔は憤りを隠した顔になっていたのだ
こういう人権をやたら主張している連中を犯罪から守っているのは警察官である自分である筈なのに
それを分かってもらえない そういう憤りである

当然、その2人の反論にカルバーリョは不快感をむき出しにした声で反論したのは言う間でもない

「彼等はそのようなことは一言も話していないと主張している」

明らかな嘘を真実であると肯定するカルバーリョに、
ナシメントの何かが切れたのをマチアスは彼の瞳を見て察知した
そして、ナシメントがその切れた何かを直ぐに結び、自分を抑えようと必死になっているのも
彼女は感じ取った

さすが、ナシメントのパートナーといったところか
彼女の読みは当たっていた

カルバーリョの言葉にナシメントの怒りは噴火寸前であった
だが、彼はすんでのところで怒りを噛み殺した
今、ここで感情に任せて怒り狂えばボロを出してしまうことは明白である

「嘘だ」

だが、怒りを抑えて搾り出した彼の一言はあまりにも鋭く響き、彼の怒りは会議室中の空気を怒りで染め上げた
無論、場は険悪な空気になった 
マチアスは言葉とほぼ同じぐらいの冷静さでカルバーリョを見つめている
その様子を見て、エステヴァン大佐とヴェルダデイロ中佐は気まずそうに閉じた口からため息を漏らした
そんな空気の中、ふとマチアスはフェルナンデス大尉は視線だけを下ろしていることに気付いた
まるで、カルバーリョを前に成す術も無く諦めているかのように彼女には見えた
そんな中、静寂を切るかのようにカルバーリョが透明なビニールパック
で包まれた証拠品を鞄から取り出した

「彼等のポケットから発見されたアフロサンバのライブチケットだ
 君たちをライブに招待する気だった」

カルバーリョが机の上に置いたサンバチケットを見つめ、
ナシメントは 開けた左手を縦にしてチケットを指して反論した

「こんなものただの状況証拠だ。いくらでも、でっち上げられる
 それより、連中が銃を懐に忍ばせてたことについては
 どう説明するつもりだ?」

「彼等の所有していた銃はあくまでも自衛のためのモノだ 
 彼等のコミュニティーを守るためのね」

「だが、銃の不法所持であることに変わりは無い
 先生もご存知の通り 
 ブラジル連邦法 銃規制条例では
 登録無しの銃器の所有は1年から3年の懲役と罰金だ」

ナシメントは内心、スカッとしていた
警察官であるナシメントにとって、弁護士のカルバーリョは天敵である
その天敵が得意としている法律で彼の理論の揚げ足を取ったのだ
法律のトーシローと見くびっていたナシメントに痛いところを
つかれたのはやはりカルバーリョに屈辱的だったようだ
先ほどまで眉間に刻まれていなかった
皺がザキッと刻まれているのが何よりの証拠だ

「……それなら、こちらは正当防衛を主張する
 事件現場はヴィガリオ・ジェラウ
 かつて警察官による無実の人々が殺された悲劇の町だ
 そこで暮らす彼らが、日頃から警察に対して
 恐怖を抱き、自己防衛のために銃を所持していても止むを得ない
 そして、いきなり銃を突きつけてきた警察官に対し、
 自らの身を守るために発砲したことは正当防衛として、
 充分に情状酌量の余地がある」

追い詰めたはずの天敵に思わぬ形で反撃されたことで、
ナシメントは改めて天敵の強さを思い知った
そして、それと同時に何が何でもコイツを負かしてやりたいという
征服欲に彼は駆られた

「お前の依頼人がやったことは犯罪だ
 何処だろうとな
 法廷に出て白黒つけてもいいんだぞ」

征服欲が焦りにつながったのか、それとも彼の正義感が耐え切れなくなったのか
ナシメントはドスの鋭い怒りのこもった口調となっていた
そのドスの鋭い口調に呼応したのか、
カルバーリョの口調もまるで日本刀のような鋭く冷たい怒りのこもった口調にになっていた

「私としてはお薦めはしない 
 なぜならあなた方にとって不利な裁判になるからだ
 事件現場がヴィガリオ・ジェラウである以上、
 世論は我々の味方だ そうなれば、
 君たち警察の受ける社会的打撃は計り知れない
 もし、事を荒立てたくなければ
 パジーリャ氏の保釈金30万レアルを素直に受け取り、
 彼らを解放していただきたい」

会議室の空気は険悪だった
まるで噴火を続ける火山と、ブリザードの引き荒れる氷山が
互いに一歩もひかず、ぶつかり合っているようなそんな息苦しさであった
そんな息苦しさにうんざりした様子か、エステヴァン大佐は次に来るであろう
ナシメントの言葉を遮ろうといち早く口を開いた

「というわけだ ナシメント警部
 我々としてはカルバーリョ氏の要求を
 呑む以外に方法は無い」

遂にナシメントも我慢の限界が来てしまった
同じ警察官のエステヴァン大佐に、自分の主張を認めてもらえなかったのだ
味方に裏切られた時のような心境である。

「待ってください 大佐」

もし、エステヴァンが軍警の大佐でなければ、
ナシメントはそのまま怒鳴り散らしていただろう
しきりに怒りを抑えるかのように何度も瞬きをする
ナシメントの顔は、完全にその苛立ちを抑えているのを明白にしていた

「ナシメント警部 
 氏の言った通り、現場がヴィガリオである以上
 我々に勝ち目は無い」

「大佐 たかが30万レアルの保釈金で
 サンチェス事件の参考人を見逃せと
 おっしゃるつもりですか?」

ナシメントの暑苦しさに内心呆れているような表情を見せつつも、
なんとか説得させようと試みるかのような表情で、
エステヴァン大佐は言った

「彼らがあの事件に関わっているという
 決定的な証拠はあるのかね?」

ナシメントは、心を抉られるような不快感を覚えた
味方である筈の同じ警察官から自分の捜査方法に
疑問を抱くような質問をされたのだ
そんな不快感を押し殺さなければ、大佐を殴りかねない
そんな憤りを必死に抑えるかのように、
ナシメントは何度も瞬きをすると、苦し紛れの反撃に出た

「……ですから、それは捜査中です
 連中が事件に関わっている証拠を必ずあげてみせます」

ナシメントの理論など圧殺するかのように、
中佐が質問を投げかけた

「それは危険な賭けだ 警部
 もし冤罪だったらどうするのかね?
 そうなったら、首が飛ぶのは君だけではない 
 ここに居る我々もなのだよ」

続いて大佐が言葉を投げかける

「ナシメント君 
 君が言ってることは"自分も地雷原を歩くから 我々にも歩け"と
言っているのと同じことだぞ」


「そこまで言ってません! 私はただ犯人を捕まえたいだけです!」

「ジョアン」 

先ほどまで口を閉じていたフェルナンデス大尉が、口を開いた

「落ち着け」

親友のフェルナンデス大尉の言葉に、
もはや今の自分では成す術も無いと悟ったのか
ナシメントはそのまま無言で席にもたれたのだった



ナシメントとマチアスが昼間訪れたシュハスカリアには
またもや彼等の姿と、フェルナンデスの姿があった
彼等のテーブルにウェイターが近づき、串に刺さったリングイッサを
皿の上へと滑らせていく

「では、ごゆっくり」

「おう ありがとよ」

去っていくウェイターにお礼を言うと、ナシメントは
リングイッサにフォークをブッ刺し、口の中へと放り込んだ
リングイッサを放り込むナシメントに、フェルナンデスは口を開いた

「……迷惑かけたな お前等の獲物を逃がしちまって」

謝罪の気持ちからか、彼は皿の上のリングイッサに
手を出すことはなく、ただ机の上に載せた両手を組んでいた

「……悔やんでも仕方ない 
 逃げたらまた捕まえる
 警察官ってそういうもんさ」

そういいながら、ナシメントはフォークに刺した
リングイッサをフェルナンデスに手渡した
それを受け取り、フェルナンデスはリングイッサを齧り取った

「会議室で一番カッカしてたとは思えない台詞だな」

「あー 事件のことになるとついな・・・・・・
 悪い癖だ」

「これからどうする? 何か次の手は?」

「全く思い浮かばねェな・・・・・・
 あの弁護士先生に土下座でもするかね・・・」

「そうはいきそうにないですよ
 見てくださいよ これ」

先ほどからI-phoneでインターネットの検索エンジンを起動させていた
マチアスは弁護士カルバーリョに関する情報を開いていた
そして、カルバーリョに関する情報の書かれたホームページを開くと
ナシメントの右手にI-Phoneを手渡した
ナシメントがそれを読み上げる

「ラファエル・カルバーリョ……
 担当した事件の9割で依頼人の無罪を勝ち取る敏腕弁護士
 さらに スラム住民の人権保護団体(PDMF)の理事長も兼任……」

PDMFという団体名をナシメントが口にしたと同時に、
フェルナンデスの口から出た言葉にはある議員の名前が
含まれていた

「PDMFはアンゼルム・バルボーザの息がかかってる団体だ」

「バルボーザって言うと・・・あ~ あの
 次期州知事選挙に立候補した政治家か!」

少し政治に疎いナシメントではあったが、
肉を食ったせいか頭が冴えていたためか
議員に関するニュースをナシメントは思い出すことが出来た

「ああ、元は大学教授だが、
 ヴィガリオ・ジェラウ事件で同情的な演説をしまくって
 世論を味方につけ 選挙戦で議員になった男だ」

流石は日頃から新聞を読んでいるフェルナンデスといったところか
それとも、日頃から対立している相手だからだろうか、
彼の口からはバルボーザに関する情報がすらすらと出てきていた

「要するにスラムで暮らす皆さんの味方・・・・・・ってわけか」
 
皮肉のこもった独り言をぼやきながら、
ナシメントはページを下の方へとスライドさせながら、
言った

「・・・・・・・週末にはバルボーザはカルバーリョと会食やレジャーを
 楽しむほどの仲か・・・・・・」

「そいつは仲睦まじい」

彼等の仲の良さにやや引きつつも、
自分達の仲の良さも似たようなもので人のことも言えず、
彼等はそのまま無視した

「次 奴等に接触しようとしたら
 確実にコイツも出てくるぞ」

パジーリャ一味にこうまで手が出せないのを
フェルナンデスに知らされ、彼は右手で自分の髪の毛を掴み、
机の上で肘をついた

「……まいったな~
 直接会って話も聞けないんじゃあ
 捜査にならねぇぞ」

その台詞を聞いて、マチアスは何故かある言葉に引っかかり、
それを自分の口で言葉にした

「直接会う・・・・・・?」

「?」

「・・・・・・直接会うのがダメってことだから…
 え~っと・・・・・つまり、それとは逆の・・・・・・」

マチアスはナシメントの直接会うという言葉に
何かひっかかったようだった そのまま彼女は考え込む

「どうしたんだ? モニカ」

ナシメントの声がしたと同時か直後か、
彼女は一つの結論を導き出した

「・・・・・・!!
 ・・・・・・センパイ 
 間接的に会えば大丈夫なのでは?」

"間接的に会う"という未知の言葉に
ナシメントもフェルナンデスも何のことだか分かる筈も無い
だが、彼女のその言葉に深い意味があることを
二人は察知していた そして、ナシメントがマチアスにたずねた

「・・・・・・何が言いたいんだ? モニカ」

いつも以上に真剣な眼差しをするナシメントの顔を見て考え直したのか、
マチアスは右手を顔の前に翳して振った 
自分の言ったことは忘れてくれという仕草である

「いや、でもやっぱり……これは……」

意見を引っ込めようとするマチアスの意見をナシメントは聞き出そうと試みた

「何だ? 言ってみろ!」

自分達の考えの及ぶ範囲では新しいアイディアなど一つも
思い浮かびはしない 最早マチアスのアイディアが頼りである

「いや、やっぱり ダメです……
 署長にバレたら大変なことに……!」

そんな貴重なアイディアを躊躇して殺そうとするマチアスを
叱責するかのように、ナシメントは必死に言った

「言え! 何かあったら 責任は俺が取る!」

ナシメントの余りにも懸命で情熱に溢れた顔に
押し負けそうになったマチアスだが、
憧れの先輩のナシメントのクビだけはどうしても守りたかった

「だったら 尚更ダメです!! 
 センパイのクビを飛ばしたくありません!
 ダメです! 言えません!!」

ナシメントのパートナーとして、マチアスは何としても
彼のクビだけは飛ばしたくはなかった 
彼ほど警察官という仕事に命を賭けている男はいないと感じていたからだろう
だが、ナシメントはそんなマチアスの気遣いに対して、
握った拳をテーブルの上へと叩き付けた

「構わん・・・・・・!
 死んだ連中の仇が取れるなら安いもんだ・・・・!」

ナシメントの顔は遺族の無念をかみ締めていた
そして、そんな彼等の無念の大きさに比べたら、
自分のクビなどちっぽけなものだと胸を張ってこれからも反論してやる
そんな自信と情熱に満ち溢れた顔をしていた

「……センパイ」

仕事をクビにされてでも、事件を解決したい 
これほどまで 純粋でわがままで真摯で

誠実な警察官の姿を目の当たりにして、

彼女はこんな立派な人とコンビが組めて嬉しいと改めて感じていた

「・・・・・・モニカ もしもの時は俺も協力する
 だから、安心してくれ」

そして、そんな警察官の親友というこんな心強い味方もいる
モニカは頷き、重い口を開いた

「……分かりました 
 ですが、一つだけ約束して下さい・・・・・・
 責任とる時は私も一緒ですよ」

モニカの立派な言葉を聴いたナシメントは
彼女の立派な警察官振りにどこか嬉しそうな顔をし、返事をした

「OK」

23, 22

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