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お題③/名前で人は輝かない/田中是宇栖

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 彼はボルトだが決して足が速いとは言えなかった。というかすごい遅かった。
 彼はボルトだがその容姿は黒人のそれではなかった。彼は生粋の日本人である。
 彼はボルトだが正確には歩流斗という名前だ。フルネームは川島歩流斗と言う。
 日本人とは思えぬ名前である。彼の両親曰く、かのウサイン・ボルトが100メートルで世界記録を出した日に生まれたから、彼のような世界に名を轟かす人間になってほしいという思いを込めて名付けたとのこと。別にボルトじゃなくてもいいだろうに。
 ちなみに彼の両親はどちらも学生時代はテニス部だったという。

 歩流斗との出会いは小学四年生のときだった。私は彼のいる小学校に転入したのだ。
 当時、彼はその名前から多くの生徒の笑い者だった。しかし、当時の私は彼の名前を笑うどころか、むしろカッチョイイじゃないかと憧憬の念を抱いたのだ。
 当時大好きだった漫画の主人公の必殺技がサンダーボルトだったからという単純すぎる理由ではあるが、とにかく私は歩流斗に――性格には彼の名前に――憧れたわけである。
 今でもよく覚えている。みんなの笑い者で友人がいなかった歩流斗に私はこう話しかけた。
「君ってもしかして苗字はサンダー? サンダーボルト?」
「いや、川島だけど」
「あっ、そうなんだ……」
 初対面だったためその時はなんとも気まずい空気のまま会話が終了してしまったが、それがきっかけとなって彼とはたびたび会話をするようになり、いつしか仲良くなっていた。
 小学校を卒業する頃には、私は歩流斗を親友だと思うようになった。
 その後は歩流斗と同じ公立中学に進学。この頃になると歩流斗の名前をおおっぴらに馬鹿にする輩も減ってきた。入学当初は違う小学校出身の生徒たちには馬鹿にされていたが、すぐに受け入れられていった。
 周りの成長もあるが、それ以上に歩流斗の成長もあったのだと思う。彼は元々大人しい性格で、彼は馬鹿にされても言い返すことができない程度に小心者だった。
 入学直前、歩流斗は私にこう言った。「俺、中学になったら変わるんだ」と。
 馬鹿にされ、笑われても黙っていた小心者の自分との決別。さぞ勇気がいることだっただろう。そして、その宣言通り彼は変わった。ひょうきん者というポジションの人間に。
 笑われる側のままじゃないか! と思わず私は突っ込んだのだが返ってきた言葉は的外れなものだった。
「俺は気付いたんだよ。ボルトって名前、すごくおいしい」
 とにかく、歩流斗は中学から自分の名前をネタに笑いを取りにいくようになった。結果、彼は昔のように馬鹿にされることはなくなった。
 入学して半年ほどで、彼はそれなりの人気者として学年内での地位を確立した。
 おかしな方向に行ってしまったが、なんだかんだで彼の変化は親友としては嬉しかった。

 あれは中学三年の秋だったと思う。
「俺、好きな人できちゃったよ」
 放課後、河川敷で寝転がりながら雑談をしている最中、歩流斗はそんなことを言った。
「もしかして、長瀬さん?」
 心当たりはあった。ここ最近、歩流斗が積極的に声をかけている女子生徒、私の脳内美少女ランキングで学年四位に位置する美少女。長瀬百合子という。もしやと思いその名を出して見ると、歩流斗は恥ずかしそうな表情で頷いた。
「確かに長瀬さん可愛いもんな。人当たりもいいし。でも彼氏とかいないのかな」
「いないって言ってたよ。百合子本人から聞いた」
 軽い衝撃。すでに歩流斗は学年四位の美少女と名前で呼ぶほどの仲にまで進展していた。なんてやつだ。俺は未だに女子を苗字+さん付けでしか呼べないチキンだというのに。
 羨望と嫉妬が混ざり合い、私にボディブローを叩きこむ。
「自分でいうのもアレだけど、けっこう百合子とはいい感じだと思う。だから、そろそろ告白しようと思ってるんだけど」
 親友の私を差し置いて彼女いない歴=年齢の呪縛から解き放たれようというのか。
「す、すればいいんじゃね」
「どう告白したらいいか分かんないんだ。普通に好きですっていうだけじゃつまらないだろ。ほら、俺っておもしろキャラで通ってるわけだし」
 めんどくさいやつである。小学生の頃の面影が何一つ残ってはいない。そこまでいうのならばアドバイスをしてやろうじゃないか。
「ならば俺がとっておきの告白方法を伝授しようじゃないか。まだ好きな人がいなくて封印したままだったが、親友のお前に譲ろう」
 見栄を張って好きな人がいないとは言ったが、私は結構長瀬さんのことが好きだった。あくまで結構でありガチで好きだったわけではない。断じてない。
「まず最初に聞くが、お前は長瀬さんのどこが好きなんだ。外面か、内面か?」
「そりゃあ内面に決まってるだろう!」
 嘘つけ。顔の方が好きだろうが。と口に出しそうになるが、なんとか堪える。
「よろしい。ならばまず、長瀬さんの内面――つまり心を魚に置き換えてみようじゃないか。今回は……そうだな、ヒラメにしよう。彼女の心はヒラメだ」
「えっ。ヒラメ?」
「黙って聞け。お前は長瀬さんの内面が好きだというが、彼女だって人間だ。内面全てが良くできているわけじゃない。醜い部分だってある。魚も同じだ。美味しい部位もあれば美味しくない部位もある」
「ほう、それで?」
 だんだんと食い付きが良くなってきた。私の術中にはまりつつあるようだ。
「お前は長瀬さんの内面でも特に良い部分が好きなわけだ。ヒラメで言えばえんがわが好きなわけだ。その思いを直接ぶつけるといい。あなたの心のえんがわにむしゃぶりつきたいと」
 まるで衝撃が走ったかのように、歩流斗の表情が切り替わる。その表情から半信半疑の色は完全に消え、その目を輝かせる。
「なんだよそれ! 超斬新だな! それの告白方法でいくよ!」
 かかったな、馬鹿めが! そんな告白をされて喜ぶ女子がいるものか。自滅せよ歩流斗!
 親友の幸せの芽を摘もうとする醜い自分を見て見ぬふりで、私は「頑張れよ」と彼の背中を押した。

 結果、歩流斗の告白は成功した。意味が分からない。
 どうやら長瀬さんの感性は歩流斗と似通っているらしい。元々歩流斗との仲も良かったということもあり、あっさりと告白を了承した。晴れて二人は恋人同士になったわけである。それを聞かされた日の給食のまずさは今でもよく覚えている。
 二人が恋仲になって一カ月ほど経った頃だっただろうか。久々に一緒に帰ろうと誘われた。ははん、何か相談でもあるんだな糞野郎と思ったが態度には出さず快く了承した。
 いつもの河川敷で寝転がりながら、歩流斗はまたも衝撃的な言葉を発した。
「今日、百合子の家に泊まりに行くんだ」
「マジすか!?」
「マジっす。大人の階段を上ることになりそう」
 なるほど。私にそれを自慢したかったのだな。よろしい、ならば今ここで息の根を止めてやろう。
 友情を捨て、殺人拳の構えを取ろうとした直前、歩流斗がまた言葉を紡ぐ。
「親友のお前には伝えておこうと思ってさ。百合子と付き合えるのはお前のおかげだから」
 その純粋な言葉が私の心の中にあった殺意を打ち砕いた。歩流斗は自慢するつもりなどではなく、本心からそう言っている。ずっと彼の隣にいた私だから分かる。分かってしまう。
 歩流斗は純粋に親友として接してくれているというのに私はどうだ、親友相手に醜い気持ちを抱いている。本当に情けない。
「なあ、ボルト……」
「ん?」
「その、なんだ。頑張れよ」
「ああ……ありがとう」
 歩流斗と握手を交わす。友情とはなんて美しく尊いものなのだろうか。
「それじゃ、俺行くよ。着替えて百合子の家に行かなきゃ」
「ハメ撮りの方、頼みます」
「えっ、やだよ。何言ってんの」
「ですよね」
 私の最後の邪念が打ち砕かれた瞬間だった。

 翌々日、歩流斗に呼び出されて私は河川敷に向かった。
「どうだったよ」
 挨拶もなしに、私は単刀直入に聞いた。
「超エロかったよ」
「そっか。羨ましいな。童貞卒業おめでとう」
「それなんだけどさ。俺まだ童貞なんだ」
「!?」
 歩流斗の話はこうだった。
 あまりに興奮しすぎて少し触られただけで発射。それ以降は情けなさで勃たなかった、と。
「ボルトお前、フライングしちゃったのか」
「うん。ボルトフライグしちゃった」
 男が自分のことを名前で呼ぶのは気持ち悪いなと思ったが、口には出さない。
「まあ、しょうがねえよ。初めてだもんな」
「ありがとな」
 それから無言のまま空を見上げた。大きな雲が流れていく。
「あの雲、おっぱいみたいだな」
 歩流斗が言った。
「長瀬さんのおっぱい、どうだった?」
「柔らかかったよ」
 長瀬さんの乳房を想像する。思わず勃起した。ふと歩流斗を見ると彼も勃起していた。

 一週間後、歩流斗は長瀬さんと別れた。どうやら性交を試みるたびにフライングし続けたらしい。それで愛想を尽かされたのでは、と私は思った。
「付き合ってみると彼女の心の違う面が色々見えてさ、その扱いが難しかった。俺は彼女の心のえんがわにむしゃぶりつけなかった」
 まるでフライングを繰り返したことが別れた理由ではないとでも言わんばかりに、歩流斗は語った。
「彼女の心のえんがわは、誰もむしゃぶりつけはしない。俺だけじゃなく他の男もきっとそうだろう」
 歩流斗は消え入りそうな声でそう言った。
 その一週間後、長瀬さんは別の男と付き合い始めた。
「ちくしょう! 糞ビッチめ!」
 いつもの河川敷で、歩流斗は空に向かって叫んだ。
「元気出せよ。次は高校でいい女を見つけようぜ」
 そうだ、まだ私たちには高校という未来がある。
「そうだな。高校で新しく彼女を作ればいいんだもんな」
「高校、楽しみだな」
「エロい子がいるといいな」
 綺麗な空を見上げながら、私たちは未来に思いを馳せた。

 同じ場所で大学という未来に同じような思いを馳せることになるのはまだ先、三年後の話である。
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