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ヒーロー、前田優人

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 泉野鏡太郎の1件が、八戸心理に良くないインスピレーションを与えたのは言うまでもない。
 今回、この冒頭にて、私はスカウトマンの経歴と拙い野球暦から批判も承知であえて言わせてもらうとしよう。
 才能とは、思い込みである。
 その全てが、とまで言い切る程の勇気はないが、かなりの部分がそうであると私は確信している。思い込み。自分は出来る。やれば結果が出るという思い込み。これは何も野球に限った話ではなく、何をやってもダメだと思い込む人間が、実際何をやってもダメなのと同じように、万能感を感じている時、人は実力を十二分に発揮する。かのモハメドアリが試合前にKOを宣言して自分を鼓舞していたのはあまりにも有名な話であるし、勝敗のある競技を本気でした事のある人間ならば大なり小なり心の中で大口を叩いて奮い立たせた経験があるだろう。プラシーボ効果、意識下予兆。思い込みの持つ力は計り知れない。
 ただし、結果は結果である。
 いくら勝てると思い込んだ所で、時が経てば結果が出る。そしてその結果は、必ずしもその思い込みを立証するとは限らない。勝負には常に勝ちと負けがあり、予言は当たる時もあれば外れる時もある。
 つまり才能のある人物というのは、思い込み続ける事が出来た人物である。1度も負けた事の無い者などいるはずもないが、しかしいわゆる天才と呼ばれる人物が、他の人間より遥かに多く勝っている事は紛れもない確実であり、。また負けた時でも、それは挫折という一つの重要な経験として都合よく吸収し、更に成長してしまうのがこの人種の特徴でもある。
 反対に、才能の無い人物。言い換えれば、自分には才能が無いと思い込んでいる人物は、当然人より多く負けている。たまに得た勝ちも、相手のしたミスが目についたり、「勝負は時の運」といった言葉を都合悪く解釈して、まったく自分の身にしようとしない。才能を発生させる思い込みの機会を、自ら放棄してしまっているのである。
 人類の長い歴史を振り返れば、いたはずなのだ。ほぼ同等の肉体的ポテンシャルを秘め、似たような境遇、チャンスをもらいながら、伝説になった人物、何者にもなれなかった人物。その差は当然精神性であり、とどのつまり、思い込みである。
 そしてここに、1人の青年がいる。
 名前を前田優人(まえだ ゆうと)と言い、実に名は体で優しそうな人物ではあるものの、むしろ内気、気弱、臆病といった言葉が前に出てきてしまう痩男である。昼休みは不良達にパシりにされ、放課後は人目を避けてそそくさと帰る。人間という動物の群れでも、最下層に位置するような人物。彼がこの項の主役である。
 スポーツ経験も皆無な彼が、何故八戸心理に目をつけられたのか。
 きっかけはある日の体育の授業から始まる。


 その日、前田優人は体育の授業の途中で腹痛を訴えて切り上げ、保健室に向かうと見せかけてプールに隣接する更衣室近くの茂みに潜んでいた。手には先日買ってもらったばかりのスマートフォンを握り締め、顔面は蒼白で、今にも吐きそうに身体は震えていた。
「いやだ……なんで僕が……うう……」
 芹高夏の体育授業において、プール授業は男子と女子が交互に行う事となっている。普通の高校に比べれば遥かに大きなプールがあるので、合同での授業も当然可能なのだが、思春期である生徒に配慮してか、男子がプールの時、女子はバレー。女子がプールの時、男子はバスケという具合に配分されるのが慣習となっている。
 そのシステムに目をつけたのが、前田優人と同じく2年1組に所属する不良だった。
『お前のスマホで女子の着替えを盗撮してこい。今月の友達料はそれで勘弁してやる。出来なかったらいつもの5倍な』
 不良達の要求は馬鹿馬鹿しくてシンプルだった。前田優人は当然断ろうとしたものの、少しでも意見を述べよう物なら暴力が襲ってくるのは目に見えていたし、かといって近頃急激に増えた出費は家族から不審の目で見られていた。それまでは久我修也に月々5000円を払うだけで、他の不良には絡まれずに済んでいたのだが、最近その用心棒が野球を始めてしまった事によって、中途半端に悪ぶる連中が台頭し始め、どんどん無茶な要求をするようになっていたという背景もあった。
 なんとかしなければならなかったが、なんともならなかった。
 彼は自分が不良達に対抗しうる力を持っているなど思い込まなかった。
「……よし」
 やがて前田優人は決意した。……仕方なく、悪い方向に。
 女子達がプールの授業から戻ってくる前に、更衣室に忍び込む。ロッカーの上に、水泳部が使っているのであろう段ボールを発見し、その物陰にスマートフォンを録画状態でセットする。そして誰にも見られないようにと気をつけながら、更衣室を後にする。
 仕事自体は簡単だった。だがリスクは大きい。何せ盗撮用カメラと化したスマートフォンはもちろん彼の私物であったし、発覚すれば持ち主が誰か分かるのは時間の問題だった。そして一度盗撮がバレれば良くて停学、普通は退学、最悪の場合は逮捕まである。不良達もそれが分かっていたから彼自身のスマートフォンを使うように指示したし、もしもバレた場合に自分達の名前を出せば殺すと釘を刺しておいた。
 楽しげな女子の声を茂みから聞きながら、前田優人はひたすら待った。うずくまり、震えながら、犯罪者になってしまった自分を憂い、そしてこの盗撮がバレないようにと強く願った。
 約20分後、更衣室周辺は完全に静まっていた。プールの授業の後は昼休み。ほとんどの生徒が昼食を食べているはずであり、もしもカメラが見つかっていたらもっと大騒ぎになっているはずだ。
 ――助かった。
 前田優人はひとまず安堵し、盗撮を完了したはずのスマートフォンを回収しようと動き出した。
 再び更衣室に侵入し、仕掛けた場所を見る。
「へ?」
 確かに、この段ボールとこの段ボールの間にあった隙間に、こちらに向けて置いたはず。本体が見え辛いように近くにあったタオルを被せ、レンズだけ出した。前田優人の記憶は確かだったし、間違えるはずもなかった。
 だが、無い。どこにも無い。煙のように消えて、無くなってしまった。
 その時、焦る前田優人の背中に声がかかった。
「探しているのはこれか?」
 振り向くと、スマートフォンを持った八戸心理がそこに立っていた。


「良く撮れてるじゃないか。慣れているのか?」
 八戸心理がスマートフォンを横に持ち、関心しながらそう言う。対して、命じられるでもなく地べたに正座した前田優人は、質問された事すら気づかずに、ただただ自らの過ちを後悔し、その人生の悲惨さにえずいている。
「誰かに売るつもりだったのか? それとも自分1人で楽しむつもりだったのか? ……おい、答えろ」
 ようやくそれが問いである事に気づいた前田優人は、しどろもどろになりながら言い訳を始める。
「ち、違うんです。ぼぼぼ僕その、あの、いじめらてて……それで同じクラスの人に、撮ってこいって脅されたんです! 決して悪気があった訳じゃ……」
「だがやったのはお前だろ。悪気があったかどうかは関係ない」
 自分の裸が映っているにも関わらず、奇妙な程に冷静な八戸心理に、前田優人は恐怖を覚える。何せ証拠は彼女の手にある。力で奪い返そうにも、そんな勇気は出てこない。例え女子相手であっても。ましてや相手はあの狂犬ハチ公だ。
「さて、どうしたものか……」
 と、八戸心理はつつつーっと他人のスマートフォンを操作しながら思索する。常識で考えれば、すぐに教諭もしくは警察に相談する所であるが、そうする事に何のメリットも無い事を八戸心理は知っている。盗撮を発見された相手が八戸心理だった事が、前田優人にとって幸運だったか不運だったかについては議論が分かれる所だ。
「おや、こいつ見覚えがあるな」
 八戸心理が呟く。何やら勝手に画像フォルダを見ていたようで、既に盗撮の話からは離陸している。
「おいおい、よくよく見てみればこいつの画像だらけじゃないか。お前ホモか?」
「え? い、いえ……」立ち上がりたくても、勝手に立って良い物か迷いつつ、八戸心理の質問は否定する。
「誰だったかな……確かカタカナの名前の……」
 とはいえ持ち主である。今更わざわざ見なくても、中身は知っている。
「えっと……『イチロー』です……か?」
「ああそうだ。イチローだ。野球選手だったよな?」
 イチローの名前を出して、野球選手だったかどうかの確認をする事自体、非常識にも程があるが、そんな人物が野球部のマネージャーをやっているのが芹高第二野球部だ。
「ファンなのか?」
「はい!」と、即答し、これには何の遠慮もなく立ち上がる。「小さい頃から大好きで、僕にとってのヒーローです」
 この危機的状況を一旦忘れたかのように、目は燦々と輝いている。
「という事はお前、野球経験があるのか?」
 選手の獲得。最近の八戸心理にとって1番の優先事項が、弱みを持ってやってきた。……と思われたのはほんの一瞬で、
「い、いえ……その、僕は運動音痴ですし、ただの憧れと言う奴で……はい。ボールを握った事もありません」
 八戸心理はその答えに失望し、
「よし、お前に利用価値はない。大人しくブタ箱に入ってろ」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 何でもしますからこの事は……!」
「お前は何も出来ないクズだろ」
「た、確かにそうですけど……あ、イチロー。イチローの事なら何でも答えられます」
「は?」
「えー本名鈴木一朗。1973年生まれ。誕生日は10月22日。血液型はB型。1991年にドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団。2001年からはメジャーのシアトル・マリナーズで活躍し、10年連続200安打を……」
「そんな事はどうでもいい」
 ばっさりと斬り、侮蔑に満ちた瞳で見下し、吐き捨てるように言う。
「別にお前がイチローとやらをここに呼べる訳ではないんだろ?」
 前田優人は使い慣れた卑屈な笑顔で笑い、それでも通報はしないようにと哀願に満ちた瞳で見る。
 その時、八戸心理に天啓が降りた。多くの人にとっては凶兆にあたる天啓である。
「お前、どのくらいイチローが好きなんだ?」
「それはもう大好きです。日本にいた時は何度も試合を見に行きましたし、マリナーズに行ってからも年に1度、家族で旅行に行く時はアメリカにしてもらうように頼み込んで、見に行ってるんです。今までイチローが出た全部の試合を録画して保管してます。それと本も、イチローをちょっとでも取り扱っている物は収集しています。あと新聞の切り抜きに、テレビでのインタビュー、イチローが過去に使用した野球道具もいくつか……」
「憧れているんだな?」
「はい! 当然です!」
「という事は、イチローになりたいんだな?」
「え……? えっと、まあ、なれるものなら……」
「はっきり言え。なりたいんだな?」
「は、はい! なりたいです!」
「よし、お前にはイチローになってもらおう」
 困惑する前田優人。
「さっき何でもするって言ったよな?」
 そう確認する八戸心理の表情は、酷く気味の悪い笑顔だった。
 少年にとって、その男の登場は神風だった。
 テレビの野球中継を通して初めてその姿を見た時から、少年はその男の虜だった。彼はいつもクールで、スポーツマンの鑑のように爽やかで、そして信じられないようなプレーを連発した。少年のみならず、誰もが彼に夢中だった。周囲の人間が尊敬しているという事が、誰も口に出さずとも伝わってくる。その成長は進化と呼ぶに相応しく、彼は常に前進していた。
 彼は現代における英雄だった。野球という競技を制したと言っても過言ではないスーパースターだった。
 少年はその日から彼の背中を追いかけ始めた。スポーツは野球に限らず苦手だった為、あくまでも彼のファンとして、試合を録画し、球場に出向き、サインを求め、夢にまで見た。学校でどんなに嫌な事があっても、彼のプレーを思い出せば辛くは無かった。彼の言葉に勇気をもらった。彼の出ているCMの商品を贔屓にした。少年が彼の事を考えない日はなかった。
「イチローになれ」
 ある日、突然目の前に現れた少女は、少年にそう言った。
 彼にとって、憧れ、崇拝、尊敬、その全ての対象である人物に、自分自身がなれるだろうか。そんな想像は頭に過ぎった事すらなかった。また、常識的に考えれば不可能な事だった。
 しかしその少女は方法を提示した。
 限りなくアンフェアな、スポーツマンシップをないがしろにした行為。ルールを破り、結果だけを求める悪辣なやり方。きっと彼のヒーローが知ったら激怒するだろう。しかし弱みを握られた前田優人に拒否権はなく、心焦がれる程になりたかった人物に少しでも近づける可能性は彼を魅了した。


 その日、第二野球部の部室には3人の人物がいた。
 1人はマネージャーの八戸心理。
 もう1人はその八戸心理に身柄を確保された前田優人。
 そして最後の1人は、八戸心理の兄、兼第二野球部のメディカルトレーナーである村木荘助だった。
「お前にはこれから催眠術にかかってもらう」
 八戸心理はそう宣言すると、カーテンを締め切り、電気を消して、小さなランプをつけた。前田優人は椅子に座らされてガチガチに緊張していたが、村木荘助も少なからず似たような状態だった。
 村木荘助は薬科大に通う薬剤師の卵である。成績は優秀で、好奇心は旺盛、妹とは違ってやや内向的な性格をしていたが、似ていたのはとにかく手段を選ばないという性質だった。催眠術に関して、村木荘助はこの時ほとんど素人のような状態だったが、昔から興味はあったという。研究の対象でもあった。ただ、実際の経験などあるはずがなかったので、妹に命じられた通りにうまく出来るかを不安に思っていた。
「えっと、これから僕が言う事を良く聞いてください。あ、緊張はしないで。身体の力を抜いて、そう、ゆっくりゆっくり、肩から順番に下へと……全身をリラックスさせてください」
 指示されても、そうやすやすと弛緩出来る物ではない。
「おい、力を抜けと言っているんだ。早くしろ」
 と、プレッシャーをかける八戸心理は明らかにこの分野に向いているとは言い難かった。村木荘助に指を立てて沈黙を示され、八戸心理は不機嫌に黙る。
「心理さんの事は気にしないで、あなたに危害は加えません。ゆっくり……ゆっくり……目を瞑って、力を抜いていってください。楽な格好で、自然に……そう、段々よくなってきました」
 その効果は、何も村木荘助の話術にのみよる所ではなかった。術を開始した時より、部室内には村木荘助が独自にブレンドした「香」が焚かれていた。リラックス効果のあるアロマは、前田優人の好きな香りを事前に調べた上で用意された物であり、その効能は抜群だった。
「さて、そろそろ身体がほぐれてきましたか?」
 前田優人は黙ったまま頷く。
「では、そろそろ……」
 と、村木荘助が懐から取り出したのは、ケースに入れられた何粒かの錠剤だった。


 古来より、薬物と催眠には深い関わりがある。世界中が精霊信仰だった時代、シャーマンは最も強大な権力者であったし、大抵の場合、彼らは人間の精神に働きかける植物やアルコールを巧みに使って奇跡を起こし、無知な人々を支配した。
 ヴードゥー、スピリティズム、アーユルヴェーダ、クンダリニー。村木荘助は偉大なる先人達の知恵を借り、そして現代薬学の知識を混ぜて1つの禁忌に挑んだ。
 脱法ドラッグによる洗脳。催眠術。マインドコントロール。
 これまで何度も繰り返し述べてきた事だが、急造の第二野球部が正規野球部に勝つには、並大抵の努力や幸運ではまるで足らず、発想を飛躍させる必要性がある。その点で言えば、前田優人の精神改造は悪い手ではなかった。運動音痴のいじめられっこで、野球経験の欠片もない。しかしイチローの知識だけは豊富で、彼の身体の動かし方の特徴は頭に叩き込んである。
 この項の冒頭で、才能とは思い込みであると断言したのを覚えていただけているであろうか? 前田優人は自分がイチローであると思い込んだ。思い込まされた、と言ってもいい。村木荘助のかけた暗示は、前田優人の頭脳の奥深く、精神の不可侵な領域へと刻み付けられ、薬物はその助力を見事に果たした。


 前田優人がユニフォームを着てグラウンドに出る。まずは準備運動から行うが、素人とは思えない程に手馴れた様子で、普段からしているように自然だった。
「前田先輩。……あの、前田先輩?」
 芦屋歩がそう声をかけたが、前田優人は反応を示さない。当然の事だ。今、彼は彼にとっての理想に心の底からなりきっている。
 いつもと表情が違う。と、かつては前田優人から金を巻き上げていた久我修也は感じていた。やけに自信に満ちていて、話しかけ辛くすらある。只者ではないオーラを感じた、とは泉野鏡太郎の弁だ。
「さて、実力を見せてもらおうか」
 準備運動を終えた前田優人に、八戸心理がバットを差し出す。それを受け取った前田優人は一言。
「僕のバットはないですか?」
 ここで指すバットとは、おそらくイチローが普段使っているバットの事であり、イチローはオリックス時代からメジャーでの活躍に至るまでバットを変更した事がない。彼はバットを自分に合わせるのではなくバットに自分を合わせるというのがもっぱらの噂だ。
「無い。今日はこれで我慢しろ」
「……分かりました」
 前田優人はそのバットを受け取り、バッターボックスに入った。投手に起用されたのは当然芦屋歩。まずは小手調べに適当に投げろと八戸心理から指示されている。
 前田優人のフォームは、まさしくイチローのそれだった。バットを縦に構え、ピッチャーを見据える例の事前動作から、スイングを何度か繰り返し感触を確かめ、真剣な表情で構える。肩の開き方、軸足の角度、バットの握り方、体格の違いこそあれど、何から何まで生き写しのようにそっくりだった。
 キャッチャーミットを構えた内海立松の後ろから、八戸心理が声をかける。
「やれそうな雰囲気じゃないか」
「まあ、雰囲気はね」
 芦屋歩が1球を放る。
 見送り。
 次は空振り。
 最後も空振り。
 結果、三球三振。甘い球を見逃したかと思えば、球がミットに収まってから2秒近くのタイムラグがある振り遅れし、あからさまなボール球に手を出しての三振であり、良い所が1つもない初打席。最悪である。
 おかしいな、とでも言うように小首を傾げる前田優人の肩を、八戸心理がぽんぽん叩く。
「やっぱりバットが違うと……」
 言い訳をしようとした瞬間、皮膚と皮膚が弾ける良い音が響いた。
「真面目にやれ」
 今までそこに立っていた八戸心理が視界から消え、一瞬、何をされたのか分からなかった前田優人は頬の痛みを感じ始めると同時におおよそを理解した。
「なんだこのザマは。お前は10年連続200本安打を達成した大選手じゃなかったのか?」
 煽られる前田優人。その涙目の表情に、既にイチローの面影はない。今までかかっていた暗示が解け、素の前田優人が現れる。
「ぼ……僕は……」
「心理さん。まだ早いですよ」
 一部始終を見ていた村木荘助が庇うように前に出る。
「暗示の方はほとんど完璧ですが、身体能力がついていってないんです。筋肉量、体幹、それと反射神経。これからトレーニングでそれを鍛えつつ、暗示もより深めて潜在能力を引き出していきます。1ヵ月後には本物のイチローの半分程度の実力は出せると思います」
 それは前田優人を不憫に思っての行動ではなく、村木荘助にとっても、この実験は是非とも成功させたかったという理由に基づく物だったが、結果的に前田優人は救われた。この試みが失敗した事を確認し次第、八戸心理は盗撮の件を警察に通報する予定だった。
 前田優人。ポジションはライト。レフトである泉野鏡太郎と同じく、これから努力する必要のある選手が、第二野球部に加わった。
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