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小説工場にて / 泥辺五郎

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『小説工場にて』泥辺五郎


「読書の秋」という古来からの慣習のせいで小説工場の秋は戦場となる。日々大量に送られてくる作家志望者の原稿を選別し、売れようが売れまいがとにかく書籍化させていかなければならない。ノルマは他の季節の数倍にもなり、工員の中には壊れる者や、この季節だけ長期休暇を取る者、終始薄笑いを浮かべる者などが出てくる。

 小説工場に勤めて一年近くになる。昨年は日雇いの派遣アルバイトで来ていたので何も責任はなかった。無茶な残業をすることもなく帰ることが出来た。好きな小説と一日中戯れていられるし、長く派遣で来ているうちに親しい人も出来たので、直のアルバイトに変更した。
「あ、明日面接しましょう、いや、明日は僕出張だから、あ、明後日、ちなみに仕事はいつから、は、入れます? 明日からでも? じゃ、じゃあ、もう面接なくていいから、履歴書だけ持ってきて、お願いします、タイムカード、作っておきますんで」
 派遣の常連だったので工場長とも面識があり、面接の必要すらなかった。長身痩躯でバイト上がりだという工場長は何を言うにもつっかえつっかえで、放送で重要なアナウンスを行う際にも基本何言ってるか分からないことが多い。
 そんなところが少し可愛い。

 本格的に勤め始めて分かったことがある。近隣から来ているパートの主婦はともかく、小説工場にフルタイムで勤める男手にろくな人間はいない。
 アル中で鬱病持ちの人がいて。
 楽な仕事ばかりしたがる癖に口だけはうるさい年配者がいて。
 元ヤクザがいて。
 目の前の仕事よりも人の顔色を伺うのに忙しい人がいて。
 いい歳して小説家になろうと夢見ている奴がいて。
 その他事情を詳しくは知らないけれどとにかく何かしら世間から外れた連中ばかりが集っている。そんな人達だから、小説なんていう麻薬めいたものに向き合っていられるのかもしれない。

 小説工場の一日と作業行程を紹介していこう。特定されるのも困るので詳しくは書かないが、そこそこ大手の取引先が複数あり、ここ数年、この工場から出荷された小説でベストセラーとなったものも幾つかある、とだけ記しておく。小説工場ランクがあるなら中の上といったところ。ちなみに出荷作品の中から話題作が出ようが大きな賞を受賞しようが工員の給料に影響はない。

・原稿倉庫
 様々な新人賞に各地方から投稿されてきた小説群はまずここに集められる。紙は重いので、小さめの段ボール箱に詰められ、丁寧にパレット(荷を置く台)に積み重ねられているのが理想的だ。しかし応募原稿の数が多い賞ではそうも言ってられず、大型の段ボールに乱雑に詰め込まれてくちゃくちゃになっているのも珍しくはない。後で読む際にいちいち皺を広げなければならず非常に面倒なのだが、運んできたトラックの運転手にクレームをつけても、「そんなん俺がやってるわけちゃうから知るか! 第一こんなに小説書く連中がおるのがあかんのやろが!」と切れられる始末。
 
・下読み
 僕はここで働いている。倉庫から出してきた原稿を作業台にぶちまけ、各員原稿を読み漁る。
 残念ながら応募者の原稿は全編読まれるわけではない。作家志望者達による膨大な小説群を本当に全部チェックしていたら、工員は皆発狂する。仕方なく簡略化して作品を読まざるを得ない。具体的に書くと、
 冒頭一ページ
 中間部分から一ページ
 後半部分から一ページ
 の三枚を抜き出して、「魅力があるか」「まともな文章を書いているか」「誤字脱字があまりに酷くないか」などをチェックする。ここでの審査は甘く、プラス要素を少しでも見つけられたなら次の行程へと送ることとなっている。つまり、「後半部分では誤字があったが、冒頭は魅力的だった」ならOK。ただし特にマイナス要素はなくても、「どのページの印象も平凡」ならここで落とされることになる。
 ちなみにうちの工場では小説のラストはあまり重要視されていない。そこに至るまでが魅力的であれば、終わりはよほど酷いものでなければ構わないとされる。変更の余地があれば後で作者に修正させれば済む話であるらしい。
 一作一作丁寧に読み込んでいた昔の名残で、勤続二十年のベテランさんなどは、たまに思い出したように時間をかけて取り組んだりもしているが、選考結果は結局「三ページ抜き出し」の場合と大差がない。
 肉体労働である。それはここに限ったことではないが。先述の通り原稿は重いし、読むのは三枚だけだといっても他のページを雑には扱えないし、余りの退屈さに眠ってしまうのを避けるため、常に立ち仕事である。何せ九割方の作品が箸にも棒にもかからない代物なのだ。だからこそ、少しでも光るものに出会えるといっぺんに目が覚める。
 かつては肉体労働なんて考えたことのなかった僕でも、ここにいるうちに三十から四十キログラムの物も軽く持ち上げることが出来るようになってしまった。壊れたくても体が壊れてくれない僕は、残業五時間を超えると妙に機嫌良さそうにフラフラと歩いている。朝昼晩とたらふく食べていても痩せていく。
 だけどそのうち脱落する。誰もが途中棄権するのが決定しているサバイバルレースの中で僕らは足掻いている。

・検品
 一次選考を通過した作品の梗概をチェックし、既存作品に似ていないかを確認する。また、下読み時よりも作品を読む量を増やし、既存の作家の文体に似すぎていないかなどを確認する。
 ここでのチェックが甘いと後々大問題になることもあるので、神経を使う辛い作業である。梗概から拾ったキーワードを過去作のあらすじデータベースに打ち込んで検索すれば、似通った作品は見つけられる。「この程度の類似なら問題はない」と判断されれば次の行程に送られる。
 下読みならまだしも、ここに日雇いアルバイトを入れるのはおかしいと思う。
 一次選考通過作のうちここで削られるのは半分くらい。しかし現在大ヒットしている小説があると、どうしても似通った設定や作風の小説が大量に送られてくる傾向があるので、その手のものをぽんぽんと一次で通過させてしまうと、検品と下読みの間で怒鳴り合いの喧嘩が始まることもある。手を出すと退職となるため、とばっちりを受けて原稿が破られたりする。
 下読みが「プラス」を探り出す作業なら、検品は「マイナス」をほじくる仕事である。ここの工員の半数は毛が薄い。

・本読み
 ここに至ってようやく本格的に投稿小説が読まれることになる。各賞の規模やジャンルの違いはあれ、概ね五~七パーセント程度の作品が生き残っている。担当からパート・アルバイトの割合が減り、正規な訓練を受けた正社員が物凄い速度で小説を読み込んでいく。
 とはいってもここでも全編読み通す必要はない。ここまで残った作品であるからどれもそれなりに読ませはするものの、それがイコール商品として通用するかは別の話である。「三分の一の法則」というものがあり、作品の三分の一を過ぎても一定の面白さの水準に達していないものは、最後まで読まれずに落選となる。後半からぐっと面白くなる話というのは新人の作品には向いていない。喩えるなら、初対面の印象が最悪だった相手に、その友達が「でもいい奴なんだよ。二十年付き合えば分かるって」とフォローされたところで困るだろう、みたいな話。
 そんなこと言う奴いないだろうけど。
 そこそこ質が保証された小説を毎日読み続けるだけでいいなんて、読書家にとっては理想的な職場! と思う人もいるだろうが、人間の記憶容量なんてたかが知れているので、読めば読むほど、過去に読んだものの記憶は失われていくという。その日の朝に読んだ小説の内容を覚えていること事態稀だそうで、そういった読み方に慣れてしまうと、「趣味の読書」が出来なくなってしまうとか。
 要するにどこも楽な仕事はない。
 こうして、投稿総数の数百分の一から数千分の一に絞り込まれた作品が出版社の元に送られる。そこで編集者なり審査員の作家陣なりに選考され、受賞決定の翌週には出版となる。
 これが素人の小説が書籍化されるまでの一般的な流通の仕組みである。新人賞を獲ってデビューしたところで、売れなければ誰にも名前を覚えられないまま消えてしまう。そういう人達は名前を変えて再デビューしても大概同じことらしい。

 そんなわけで小説まみれの日常を過ごしつつ僕らはみんな死んでいく。

 生まれつき心臓が悪く、子供の頃は「二十歳までは生きられないでしょう」と医者に宣告されていたという同僚のNは、成人してもしぶとく生き続けてたくさんの女性陣を食い散らかしてきたが、ついに三十半ばで力尽きて倒れ、応募原稿の山に顔を埋めて息絶えていた。
 心臓の話を聞いた時、僕らはこんな会話を交わした。
「ここってAED置いてたっけ?」
「駅まで行かなきゃないよ」
「じゃあ倒れたら急いで起き上がって駅までダッシュしてな」
「わかった」
 だけど倒れたNは二度と起き上がってこなかった。

 手慣れた働き手を一人失った穴は、派遣で埋まるものではない。バイト募集の広告を打っても、集まるのは何を勘違いしたのか貧弱な文学青年ばかりで半日も続きやしない。時を同じくして三ヶ月の入院生活から復帰した、アル中で鬱病持ちのKは、元エースの面影もなく超スローペースでしか仕事が出来ず、時折ゆらゆらと揺れている。
「げ、現在、仕事の量が大変多くて、それから、あ、お願いします、放送します、これは私からのお願い、あ、私は工場長のHです、お願いします、現在下読み部門の仕事量が大変多くなっておりお願いします、秋なので仕事量が多い、多いのでお願いします、検品、本読み、物流、は無理か、ですから、他の部署で余ってる人手、また、残業出来る方が、あ、はい私はHです、もし残って仕事出来る方がおられら、おら、おり、おられましたならば、是非そちらの方、そちら、は下読みです、現在読書の秋であるから、非常に仕事量が多くなっておりまして、もしそちらに」
 とにかく人手が足りないから余所から回してもらえないかと工場長に頼んでおいたところ、夕方このように彼は工場内にアナウンスをしてくれた。文字に起こすとまだ意味は汲めるが、実際にはこの数倍もどもりがちで、発音不明瞭な箇所も多く、放送を理解出来たものが誰もいなかったためか、人手は一人も増えなかった。
 残業が六時間を越えるのが当たり前になりつつあった。
 で、理性が飛んだ。

 工場には近隣からのパート主婦が多いと先程書いた。
 これからは人妻と言い換える。
 仲の良い人妻は数人居た。だけど心臓の都合で常時自暴自棄気味に生きられたNと違い、今では職場でそこそこの責任を持たされている僕は幾つかのルールで自分を縛っていた。
・ミスしたら誤魔化さずに認める
・人に物を頼んだ時はお礼を言う
・人妻には手を出さない
 それでどうにかうまくやっていた。しかしルールを守り、毎日的確に仕事をこなしたところで、仕事が楽になるわけでもなかった。要領よく仕事を片付けられるようになればノルマが増えた。壊れる前に逃げ出す人も増えた。僕の笑顔は段々と気味が悪くなっていった。人手が足りないからと、週六仕事に入っていたところさらに七日目の出勤を頼まれた。さすがに身体的にも労働基準法的にも危ないと思い、その日はフルタイムではなく九時から十五時までで勘弁してもらうことにした。
 そこで同じタイムシフトだった、以前から仲の良かった人妻のYと一緒に帰り……。
 いろいろあった。

 死者の話をすると生殖行動に移りたくなる。僕らはNの心臓について語り合った。
「本当に弱かったんだな」
「信じてなかったの?」
「ここで働いてる連中なんて誰一人信用出来ないよ。皆どこかしら後ろ暗い所を持ってる」
「でも村野君ってここで唯一真面目に仕事してるって、皆誉めてるよ」
「借金二千万あるし、昔の知り合いとは縁切ってるからプライヴェートで人付き合い一切してないよ」
「嘘?」
「嘘」
「ほんと?」
「ほんと」
 喋りが煩わしくなった僕らはまた唇を塞ぎ合って。

 その晩僕は久し振りに小説を書いた。
 Yをモデルにした人妻と僕が、二人で海底にいて他愛もないやりとりをするだけの話だ。鯨の腹を眺めたり、落ちていた鮫の歯を踏んで痛い思いをしたり、グロテスクな深海魚を「これ食べられるのかな?」と言いながら口に含んだりする。長く海底にいるせいでふやけてきたのと、水圧で少し小さくなって苦しくなってきたのとで、僕らは地上へ戻ろうとする。「お風呂に入りたいね」なんて言いながら。
 それはとても短い話で。二人がどうして海底でも生きていられるのかの説明もなくて。楽しく書けたことだけは確かだけど、どこに投稿するあてもなかった。Yにメールで送ろうかと一瞬思ったけれどやめにして、結局削除してしまった。

 翌日出社すると、僕とYが一緒に帰ったことが何故か職場中に知れ渡っていて、Nの死の話題に取って代わっていた。他人の不倫騒動は見ていて辛いものがあったけれど、当事者になってみると案外どうということもなく、少し遅れて会社に来たYとも、これまで通りの親しさで接することが出来た。
 年配の女性による小言も、男性陣のからかいの声も、せいぜい仕事が始まって一時間程度の話で、そこからはもうノルマに追われて誰もが余計な口をきくこともなく、応募原稿の下読みに没頭していくのだった。
 その中に、僕が昨晩書いた小説と似た話があった気がした。いや、僕が書いたもの自体、こうして毎日読んできた話のどれかから、無意識的に拝借したものかもしれなかった。一瞬手が止まったのは覚えているが、それを検品に送ったかどうかは、すぐに忘れてしまった。

 冬になって仕事が落ち着いてきたら、Yと一緒にNの墓参りにでも行こうと思った。
 Nの墓がどこにあるか知らないけれど。
 冬になるまで生きていられるか分からないけれど。

(了) 
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