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3.

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「週に一度の礼拝の時間だよ」
 キュムの父は、キュムの部屋に入るとすぐにおだやかな口調でそう言った。
 片手にはお供えに使うのだろう、芋づるのようにして束ねたきゅうりが、手の揺れの後を追うようにかすかに揺れている。
 キュムは白い饅頭のような頭を軽く振って、三尺とちょっとの体を奮い立たせ、猫背になった父の背中を目でなぞりながら藁で出来た家を這い出た。キュムの棲むこの藁葺きの家は、三匹の子豚に出てくるような狼が出てきても吹き飛ばされないぐらいに大きく、ゆうに三十畳はあったが、この村では全体より少し大きいといったぐらいだった。その中には炊事場や居間があり、当然キュムの部屋もある。キュムの他にも、妹のテム、弟のヤムの二人の兄弟がいたが、二人には部屋が与えられてはいなかった。そのことで何度か癇癪を起こされたことがあったが、家の外にもうひとつの藁の家をキュムが建てることで、どうにか(いさ)諌めるたことがある。手先には自信があると思っていた。
 キュムは空を見た。キュムは目が良い。いつもはアルゴムという、北に広がるスプーンの形をした星座の中にある砂糖の一かけらよりよりも小さい星を、目をすぼめることなく見ることができる。しかし毎週この日だけは、白いもやが空を覆って見ることが出来ないのだ。きっと、町の中心では礼拝のために火を熾しているからなのだろう。
 毎週、木星の日には神への祈りを盛大に捧げる。そのために、村の周囲にある篝火をひとつひとつ灯し、さらに村の中央にある広場でも巨木を組み上げたものに一日中火を上げさせる。その火を見るとキュムは心が落ち着いたが、星を隠そうとするその火のいじましさに悲しい気持ちも持っていた。火は儚い。礼拝が終わってしまえば、どこへ行ってもその火を見ることはできない。
 広場へ向かう道中に、キュムの友達のユンが待ち構えていた。ユンは、キュムよりも体が小さく、その割にお腹が出ているので不恰好だ。ユンは、春の日差しの中で縁台に座り日向ぼっこをしている猫ぐらいの気持ちよさそうな目で、小気味の良い音を立てながらきゅうりを食べていた。上下に揺れる機械的な前歯二本は、イタチをを思わせる。
 食べることにとにかく夢中で、キュムが通り過ぎようかというところでやっとユンは気づくと、やあ、ときゅうりを持った手を掲げた。しかし、そのモーションの勢いが強すぎて、ユンの背後へブーメランのように空を舞った。
 一同がきゅうりの行方へ目をやった。ユンは顔を強張らせながら、きゅうりがどこへ行ったのか探す。きゅうりは神聖なものだからだ。その神聖なものを投げるなどもってのほかで、ユンの父親は村でも頑固親父で知られていたため、怒られるのは必至だ。
 突然、遠くで拍手喝采が起こった。
「なんだろう」とキュムが聞くと「わからない」とユンが青ざめた顔で返す。二人は体を三等分にしてもまだ小さい足で、よちよちとした動きをしながら走った。
「おおい、置いてくない」
 キュムの父が訛ってそう言ったが、キュムたちははやる気持ちを抑えられそうにない。結局、育ち盛りの少年たちに何もするなというのも酷なので、キュムの父のキュモンは独りぽつねんと取り残される形になった。
 村の中央に行くにつれて、ひとつだった焔が、ふたつ、そして三つ、やがては無数に広がっていく。それらを取り囲むように、数百もの白饅頭があたり一面を埋め尽くしていた。遠くから見れば、小さなシロアリの軍勢のようにも、巨大なカイコのようにも見える。その白い塊から、餅のようにこちらへ伸びてくる塊があった。
「おい! キュムやったな!」
 ユンの父が、弾ける寸前のヒマワリのような笑顔でキュムに近づいて行き、酒のせいで出っ張ったお腹で体当たりをした。キュムは、はて、と言った顔で黒胡麻のような目をぐりぐりと回して、何がおこったのか分からなかった。何か悪いことでもしたかと、頭を両手で押さえて考えてみたが、それがまた可笑しかったのか、キュムの肩を赤くなりそうなほど大げさに叩く。
「がははは。照れることはないぞ!」
 ユンが気まずそうな顔で横に立っていたことに、ユンの父が気づいた。
「どうしたんだ? お前たち、しょぼくれた顔しおって」
 ユンの父は、ユンよりも大きく出たどてっ腹を数回さすって、しわしわになった顔を両手で伸ばして、赤ちゃんをあやすような顔を作り上げた。
「お前たち、やったな! きゅうり神の台座に乗った上に、一番近かったのはお前たちだぞ」
 ユンがやった、そう言いたかったが、ユンの父のあまりの迫力に頷くしかなかった。
 きゅうり神とは、村の豊穣を願い、永遠の若さ、そして許しを与える神であった。その由縁は、ゴーヤのように太くなる前に刈り取るという、老いることを知らないきゅうりを表しているのだと、村長は言っていた。その、きゅうり神を木像として村の中央広場で台座に乗せて飾り、毎週「J曜日」に村人総出で集まって祈りを捧げるのだ。Jはjupiter、木星のJで、木星の日から来ているのだと、これも村長が言っていた。
 巨木をコケシの通りに削り、イースター島のモアイのような顔に造形をした、村を守る神様で、2メートルをゆうに超えていた。ハイカラなシャイニーを見に纏い、ゆだりそうな夏の暑さの時には麦藁帽子を被り、それ以外では頭を飾ることなく尖った頭を天に向けて大きく伸ばす。
 村長が生まれる前から、このきゅうり神の像は存在しているらしく、村長によれば数百年も数千年もこの地にあったのだと言うが、定かではない。
 きゅうり神が直る台座の周り四方には杭が打ち込まれ、その周りにジュートロープに似たもので囲ってある。これは侵入者防ぐためにあるのだが、それ以上に儀式に欠かせない聖域でもあった。キュムの目の前で、何匹もの白饅頭が、きゅうり神の居る台座の方へ手にしたきゅうりを投げ込んでいく。または、きゅうりを投げずに、気持ちの良い音を立てながら咀嚼する物も居た。この儀式の形式は、きゅうりを輪投げさながらの要領できゅうり神の膝元めがけて投げ込み、一番近く、そして一番高く積み上げたものが、来週の儀式まで幸運を手にするというものであった。
 ユンの父が、キュムとユンの背中をぽんと押した。
「お前たちの投げたきゅうりを見てこい」
 キュムの父はそう言うと、キュム達はどぎまぎしながら、いつもよりも尋常ではない喧しい集団の中へ分け入っていった。進めど進めど、キュムとユンは目の前の大人たちのせいで、きゅうり神がよく見えなかった。ひたすら、ごめんなさい、だの、僕らはまだきゅうり神を見てないんです、だの謝りながらもひたすら前へ人ごみを掻き分けていくうちに、幾星霜の時を経てコナラの樹の表面が乾いて(ひび)罅割れているのと同じような、きゅうり神の木像が見えてきた。生まれてから十余年と毎日、きゅうり神を見てきた彼らにとって、それは普段どおりの何も変わらない光景だと思った。しかし、今日は違った。
 キュムとユンは息を呑んだ。周りの人々はきゅうり神へ向かって、片方の手で指差し、片方の手で仲間を(こまね)拱く。
 キュムは今日だけは、彫りの深いきゅうり神の像が作り出す虚ろな影と、本体よりも大きな背後の影が、とてつもない何か妖しいものに見えて怖ろしくなってしまった。
 ユンを見た。ユンは、その情けないお腹を小刻みに揺らしながら、泣きそうになっている。キュムも本音では泣きたかったが、十三歳のときに父からお前は男だから泣くな、と言われてから自分で自分を律していた。
「僕の投げたきゅうりが、きゅうり神さまの、あ、頭に……」
 この世が何も無かったのかのように涼しく微笑んでいるように見えるきゅうり神の頭に、半分食いちぎられたきゅうりが刺さっていた。まさしくユンの食べていたきゅうりだった。
 ユンの父はこの不穏な景色に腹を抱えて笑っていたが、どう考えても罰当たりなことのようにしか思えなかった。火事や親父よりも、神の方が恐れ多いに決まっているのだ。
 儀式の間は聖域の中へ入ることは許されない。許されるのは、朝日が遠く山の上でかすかに光り、野畑を照らす時間になることだ。それは、大衆の面前で、きゅうり神の頭に刺さっているきゅうりを公開し続けることに他ならず、どこから見ても不遜極まりなかった。
 ユンはごめんなさいと何度も小声で呟く。
 二人は身を寄せ合うようにして震えていると、キュムの居る場所からそう遠くない物見櫓から、村長が村民に向かって、もしくはキュムに向かって、そうでなければきゅうり神に、天に向かって怒声を張り上げた。
「天誅じゃ、不吉なことがおこる!」
 村長が物見櫓に上っていることなど気づいていなかったせいか、一同が肩を揺すった。いつもは折り畳めそうなほど腰を屈め、杖のせいで転んでしまいそうなほど地面すれすれで歩いていた村長がよくも櫓の上に登ることができたことに一同は驚き、別人ではないかと疑った。キュムの一族は歯が二本しかないのだが、人間でいえば入れ歯の無い老人のように、村長はいつも何を言っているのか分からなかった。しかし、今日は千里を超えてもはっきりと聞こえるぐらいの発音と声量で圧倒した。
 それは見まごうことなく、村長であった。
 たぬきか、幽霊か、神か、何者かにとり憑かれたように、何度も何度も村長は訴え続け、ユンは止め処ない涙を流した。
 やっとキュムの父が群衆を掻き分け、キュムの方へ歩み寄ってきた後、その只ならぬユンの表情に少し戸惑ったが、ユンをなだめようと「ユンくんのせいじゃない。これは神様の注意なんだ」と言ったが、効果はなかった。
 キュムはきゅうり神の像を見上げた。弓張り月が像を優しく照らし、やはりきゅうり神はほのかに微笑んでいるようにも、ふととき者への敵意として憮然な表情をしているようにも見えた。
 キュムは考えた。もしも村長の言う不吉なことが起こるのならば、「悪い」と身を持って体感でき、なおかつそれは予想の斜め上を行くものではないのだろうか。
 天誅。それは何が起こるというのか。
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