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自殺事件

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 そこかしこで自殺が行われていた。

 とある岬の波打ち際に立つ二人の男女も、一世一代の自殺に向け、今まさに最後の一歩を踏み出そうとしていた。

「寒くないかい?」男が女に尋ねた。
「そりゃ寒いですよ」女が白い息で答えた。
 季節は冬。こう寒くては心も冷える、光熱費はかさんで懐も冷える、金の無心をすれば人間関係も冷える。自殺にぴったりの季節だった。

 女は手足を擦り合わせ、少しでも寒さを紛らわせようとしている。
「暗いからあまり動くと危ないよ」
「危ないったって、今から死ぬんですから……」
「それにしたって、中途半端に怪我でもしたらつまらないだろう」
 時刻は夜。本当は昼間のうちにさっさと死ぬつもりだったが、未練たらしく死に渋っているうちにすっかり辺りは暗くなった。こうなると気分まで暗くなる。ムードは最高、これ以上ないぐらいの死に時だった。

「死ぬなら失敗のないようにしよう。死に損なって半身不随なんてのは避けたい」
「そうですねえ。いざ飛び込んだら、近辺の住民に見つかって助け出されるなんてことも……ちょっと人通りがないか見てきましょうか」
 道路に向かって歩き出そうとした女の手首を男が掴み、もう暗いから危ないと諫めた。女は日が明るいうちから何度も人通りを確かめ、そうこうしているうちに時間が経った。そもそも男女が立っている場所の背後は絶壁で、道路からは死角になっており、人目に触れる心配は無用だった。

 男女はとうとう話題も尽きたのか、しばらく黙って立ちすくんでいた。
 沈黙を破ったのは男の腹の音だった。男は照れくさそうに腹を押さえて言った。
「こんな時でも腹は空くんだなあ」
 その台詞が妙に芝居がかっていて、女はつい吹き出してしまった。二人でひとしきり笑った後、男がそっと女の体を抱いて言った。
「帰ろうか」
「ええ」
 男女が体を離しかけた時、絶壁の上から何かが降ってきた。それが人間であると気づく間もなく、男女の意識は途切れた。

 そこかしこで自殺が行われていた。
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