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07.ボクの塔

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*   ボクの塔                               *
*                                      *
*     難易度:EASY                         *
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*     プレイヤー:伊藤月子(超能力者)                 *
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*   ここは『ボクの塔』                          *
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*                                      *
*   塔の主はあなたを愛している                      *
*                                      *
*   誰よりも一途に想い続けている                     *
*                                      *
*   世界を飛び越え、ようやく彼女だけが舞台に上がることができた      *
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*                                      *
*   彼女の想い。あなたはどう応えますか?                 *
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22, 21

  

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*                                      *
*   ボクの塔                               *
*                                      *
*     最上階の暖かい部屋                        *
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「んっ……ふぁぁ、ふあああっ」

 大きなベッドに埋まるように眠っていた伊藤月子は、大きく、甘ったるい声のあくびをして目を覚ました。
 シルクのパジャマ、パリっと糊のきいたシーツにふかふかの毛布。どれもが心地良く、いつまでも眠っていたいとさえ思ってしまう。

 そんな伊藤月子に、誰かの声が直接頭に響いてきた。

『月子、月子! おはよう!』
「つっ……あんまり大きな声出さないで……頭痛い……」
『ご、ごめん……』

 しゅんとうなだれた様子が声から伝わった。
 伊藤月子はテレパシーの精度を落とし、調整する。
 聞こえた声は、女性の声だった。

「ええと、あなたは誰? あと、どうして私はここにいるの?」
『そうだね、説明しないといけないね。
 ボクはこの塔の主。ああ、ここの建物って塔になっているんだよ。
 詳しいことは秘密なんだけど、月子はそこから出口を目指すんだ』
「出口? ここから?」

 伊藤月子は目を閉じ、超能力を使用して塔全体を把握しようとする。慣れた様子で、手を伸ばすように“感覚”を広げていく。
 だがその瞬間、すさまじい疲労が全身を襲った。

「うっ、はぁ、はぁ……! なに、これ……!」

 心臓が爆発してしまいそうなほどに鳴っている。
 おそらく超能力の反動だろう。今までなかったわけでもないが、これほど大きなものは初めてだった。

『今の月子の超能力には制限があってね……使うほど体力が削られていくんだ。
 体力がつけばどんどん使えるようになると思うから、最初は辛抱してほしい。ごめんね……』

 伊藤月子はかけられていた毛布をそっと浮かす。ふよふよと、上下左右に動かして感触を確かめる。
 まるで階段を早足で上がっているように疲労が溜まっていく。たしかに、これでは自由自在に使えない。ちゃんと考えて使わなければならない。

「なるほど……うん、わかった」
『さすが月子、理解が早い!』
「あはは……」

 おそらく好意を持ってくれているのだろう。しかし自分にはちゃんと恋人がいるし、女性同士の関係にはそれほど理解がない。正直、ちょっと困ってしまう。

『それとね、ボクからプレゼントがあるんだ! そこの箱に入っているからぜひ受け取って!』

 ベッド脇に宝箱(装飾がとてもきれい)を開けると、真っ白なワンピースが入っていた。

「わぁ、すごいっ」
『そうでしょ? ぜったい月子に似合うと思って、がんばって作ったの!』
「手作り!?」
『うん! ほら、さっそく着てみて!』


【シルクのパジャマ → ワンピース】


 驚くほどに身体にぴったりだった。胸元のピンクのリボンがとても可愛くて、フリフリのレースが施されている。
 細かいところまで丁寧に作れられている。どんな想いが込められているのか、サイコメトリーを使うまでもなく感じ取れた。

「ありがとう……すごく、嬉しい……」
『そう言ってもらえるとボクも嬉しいな。
 ……感傷に浸るのはここまでにするとして、さあ月子、冒険の始まりだよ。そこの扉から、塔の出口を目指すんだ。
 モンスターはそれほどいないし、トラップもない。途中でこういう部屋もあるからしっかり休憩するんだよ。
 ……がんばってね、月子。ボク、待ってるからね』
「うんっ、私がんばる!」

 脱出の他に目的ができた。塔の主に会いたい、ちゃんとお礼が言いたい。そんな想いが伊藤月子を突き動かす。

 伊藤月子は部屋の扉を開けた。
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*                                      *
*   ボクの塔                               *
*                                      *
*     出口近くの塔の主の部屋                      *
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「ふふ、うふふふふっ」

 伊藤月子との会話を終え、塔の主はベッドの上をゴロゴロ転がり回った。

「しゃべった、しゃべっちゃった、月子とおしゃべりしちゃったぁ~!」

 まるでプールで泳いでいるように両脚をばたばたとさせ、真っ赤になった顔を枕に埋める。ぴっちりと着込んだ白いスーツが少々乱れてしまうが、そんなことは気にしない。

 塔の主はずっと伊藤月子に恋焦がれていた。この塔に来る前、前の世界からずっとずっと好きだった。
 それほど想い続けた相手がやって来る。興奮しないわけがない。

「さあて、忙しくなってきたぁ」

 塔の主は考える。

 どんな服を着てお出迎えしようか、とか。
 料理を作っておこう、月子は何が好きなんだろう、だとか。
 この部屋を改良して二人で暮らせるようにしちゃおうかな、なんてことも。

 そんな幸せいっぱいの未来図を思い描いていた。
 何も起きなければ(伊藤月子の気持ちにもよるけれど)それを迎えることができただろう。

 ――そう、こんな事態さえ起きなければ。


 トントントンッ


「……だ、だれ!?」

 ノックが聞こえた。塔の主は慌てて飛び起き、身構える。

 伊藤月子が到著した――なんてこと、あるはずがない。いくらなんでも早すぎる。
 まったく別の、意図しない来客。恐怖から手が震え、喉がカラカラに乾いてしまっている。
 鍵はかけていなかったので、扉はゆっくりと開かれた。


「やあ、こんにちは」


「おま、おまえは……!」
「おや? 月子は歓迎して、僕のことは歓迎してくれないのかな?」

 塔の主が嫌いで嫌いでたまらない男――神道陽太は肩をすくめた。
 塔の主は神道陽太を睨み、すぐに顔を背けた。もはや顔すら見たくないほどに嫌いなのだ。
 その理由はただ一つ。伊藤月子の恋人だからだ。

「そんな怖い顔しないでよ。ちょっとお願いしたいことがあるだけだから」
「……お願い?」
「うん。この塔、僕にくれない?」

 何を言っているんだろう……!? 塔の主はサァっと血の気が引いたことに気づいた。が、次の瞬間には怒りで爆発してしまいそうだった。

「怒った? でも考えてみてよ。僕は月子の恋人で、キミはただ片想いをしてるだけ。
 僕がキミ以上に月子を楽しませてあげるからさ。イロイロな意味でね。
 だから、さっさと出てってよ」
「ここでも邪魔する気……!?」
「人聞きが悪いな。前に邪魔したのはキミだったろう?
 たしかに、今回だけで言えば邪魔者はボクだけどね」

 クククと神道陽太は笑う。意地悪そうに、楽しそうに。
 話し合うことなんて無理だ。塔の主は理解した。そうなると最後の手段しかない。

『神道陽太、今すぐ死――』

 塔の主は『命令』を下す。
 制限はあるものの、フルネームさえわかっていればどんな相手でも操れる。
 神道陽太も同じように『命令』を使用することができる。しかも自分以上に便利で優れた『命令』を。
 だからこそ、先に使用したほうが勝てるのだ。

 しかし、神道陽太は塔の主が考えてもいなかった方法で回避した。

「ぐっ……!」

『命令』が始まったと同時に神道陽太は飛び出し、塔の主の首を両手で締め上げた。

「僕も同じ能力を持っているんだ。防ぐ方法ぐらい考えているに決まってるだろ?」
「こ、この……!」
「ああ同じじゃないね。キミのほうが相当劣っている。
 キミの『命令』ってさ、人間を対象にしかできないんだろ? 僕みたいに時間の巻戻しとかできる? できないよね?
 まったく、どうしようもない不良品だ」

24, 23

  



 逃げようと塔の主は暴れる。だが男女の体格差ゆえ勝てるはずもない。神道陽太は悠々と塔の主の身体を浮かせる。
 そのままベッドに組み伏せ、ぎゅうぎゅうと首を締める力が込めていく。

 塔の主は神道陽太の腕を何度も叩き、握り、振り解こうとする。もちろん、力は緩まない。

「このまま犯してあげようか? どうせ処女なんだろう?」
「……! ……っ!」
「ははっ、ウソウソ。僕は月子一筋なんだよ。
 それに、キミみたいな出来損ないになんて興味ないんだ。
 僕の真似をした、中途半端なポンコツ。
 ちゃんと言ってあげるよ。
 キミは、いらない子なんだよ」

 少しずつ抵抗する力が弱まっていく。顔の色はどんどんと白くなっていき、大きく開かれた目は濁っていく。

 塔の主の目からは涙が流れていた。悔しさ、苦しさ、そんな感情から泣いているのだろう、神道陽太はそう思い、せせら笑っていた。
 しかし実際は違う。塔の主にとって悔しさや苦しさなんていう感情は慣れたもので、神道陽太に抱いていたコンプレックスは計り知れないほど大きい。嫌悪はあるものの半ば諦めてるところもあった。
 涙の理由は、月子に会えないこと。何も結ばれたいとまで思っていない、ただ会いたかった。会って、話して、そして塔からの脱出を見送りたかった。
 けれどそんな願いも虚しく、こうして終幕を迎えようとしている。それだけが悔いだった。

「……、……」

 伊藤月子を求めるように伸ばしていた手がベッドに落ちた。
 塔の主は死んだ。

 神道陽太はすっかり痺れてしまった手を首から離した。首には赤くアザが残っていた。
 彼が再び塔の主を見ることはなかった。

「……さあて、忙しくなってきた」

 神道陽太は考える。

 まずは自分好みに改装しなければならない。
 トラップを設置し、モンスターを呼び寄せ、せっかくだからゲストも招いておこう。


「楽しませてね、月子」


 あまりにも冷たい笑み。それは、とても恋人に向けるようなものではなかった。
26, 25

  

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
!                                      !
!   塔の所有者が代わりました                       !
!                                      !
!   塔の名称と難易度が変更されました                   !
!                                      !
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*   ボクの塔 ―> 僕の塔                        *
*                                      *
*     難易度:EASY ―> HARD                 *
*                                      *
*     プレイヤー:伊藤月子(超能力者)                 *
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28, 27

  

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*   ここは僕の塔                             *
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*                                      *
*   僕は誰よりも月子のことが愛している                  *
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*   世界が変わっても月子を想い続けている                 *
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*   でもね                                *
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*   今の僕は異常なのかもしれない                     *
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*   トラップで                              *
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*   モンスターで                             *
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*   そして自分の手で                           *
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*   月子の死ぬところが見たいんだ                     *
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*   ねえ月子                               *
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*   僕の想い。キミはどう応えてくれる?                  *
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*   僕の塔                                *
*                                      *
*     薄暗いフロア                           *
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 そのフロアに降りた瞬間、伊藤月子は言葉を失ってしまった。
 雰囲気があまりに変わりすぎていたからだ。

 目を覚ましたあの部屋から出て、もう何階も降りてきた。これまでのフロアは多少迷路になっていたり、握りこぶし大のスライムがうろうろしていたりと、ほとんど散歩をしているような気分だった。
 部屋、通路にはランプが煌々と灯って明るく、暑くもなければ寒くもない。風通しも良く、とても住み心地が良さそうな造りになっていた。

 そして毎フロアに存在する休憩室。ベッドや食料、替わりの服がたくさん用意されていて、塔の主(伊藤月子は塔の所有者が変わったことを知らない)から向けられている感情が伝わってきた。
 顔も知らない塔の主。その相手にますます会いたくなった。

 そんなわけで伊藤月子はやや楽しみながら塔を探索していた。


 ――のだが。


 たった今降りてきたフロアは別世界だった。

 薄暗く、肌寒い。そしてすえた臭いが漂っている。床には淀んだ水たまりが溜り、不衛生極まりない。
 そして透視を使わずともわかる、モンスターたちの気配。いる、そこらじゅうに、ウヨウヨと。

「なによ、ここ……」

 かろうじて搾り出したのがこの言葉。
 まさかこんなフロアが待っていようとは。今までのフロアは何だったのだろう。上げ落としなのだろうか。
 少しずつ塔の主を疑い始めてしまう。が、ワンピースの肌触りを改めて感じ、すぐに疑念を振り払った。
 きっと何かがあったのだろう。自分の身の上を案じるよりも塔の主を心配していた。

 伊藤月子は目元に力を集中させる。
『透視』
 通常では見ることのできない光景を透過し、目視できる超能力。これはここまでのフロアでも使った手段で、迷うことなく階段を見つけることができた。
 ――が、使用する直前で伊藤月子はそれを解除した。

 ここで安易に超能力を使っても良いのだろうか。そう悩んだ。

 今までとは違うフロア。何が起きるか、まったく予想ができない。もしかしたら自分の身に危険が迫るかもしれない。そんなとき『透視』で体力が消耗していて『念動力』が使えなかったら――考えるだけ身体がすくんでしまう。
 なので超能力は不測の事態に備えて温存。探索ではなく自衛のために使う、そう決めた。


 これまでのフロアは塔の主の過保護すぎる配慮があったが、それはもう存在しない。
 つまり、ここからが伊藤月子にとって探索の始まりとも言えた。


 超能力をいつでも使えるよう気を引き締め、べちゃり、べちゃりと水に濡れ苔が生えた石畳の上を歩く。
 前後、左右。ゆっくりと確実に、真っ暗で先の見えない通路を進んでいく。
 とても狭い。両手を伸ばせば楽に左右の壁にくっついてしまう。

 前後左右。四方しか確認しない伊藤月子は上下への意識がまるでなかった。


 ぺちゃり


「ひゃっ」

 天井から垂れた雫が頭の上に落ちた。だが正体のわからない伊藤月子がパニックを引き起こすには十分すぎた。

「わぁ、わぁぁぁぁぁっ」

 あれだけ慎重に歩いていた通路を駆け出した。視界がまるでない道を走る、走る、走る。


 カチッ


 そのとき、足元の何かを踏んだ。

「ひ、ひっ、わあぁぁぁぁぁっ!」

 叫んでも、もう遅い。すでにトラップは起動してしまった。


 バシュ、バシュバシュバシュッ


 すぐ両隣の壁から刃が飛び出した。
 狭い通路、間隔の狭い両壁から無数の刃が襲いかかるトラップ。明らかな殺意が感じられるトラップに、伊藤月子はかすり傷一つ負うことはなかった。

 最初に叫んだ瞬間、無我夢中、目的地も定めないままテレポートしたのだ。

 不発に終わった刃のトラップは、静かに壁の中に戻っていった。



「はぁっ、はぁっ……う、ぐ……はぁ……」

 どこかの部屋にテレポートした伊藤月子は、全力で走った直後のような疲労で動けなくなってしまった。
 壁にもたれかかり、息を整える。しかし立っていることすらつらく、座り込んでしまう。息が荒いことはもちろん、手や脚がぶるぶると震えてしまっていた。
 これまで透視、千里眼、念動力、発火、放電、治療。役に立ちそうな超能力を使用して疲労度を確認していたが、テレポートは今回が初めて。どの超能力よりも疲労がひどい。

 幸いこの部屋にはモンスターはいなかった。しばらく休もう、そう思った。

 突如変貌したフロア、予期せぬトラップ、そして独りきりの部屋。
 この塔で目を覚ましてから初めて、孤独感が彼女を襲った。

「陽くん……」

 恋人――神道陽太の名前をつぶやいた。
 会いたかった。会って、抱き締めて、体温を感じたい、そして優しい言葉を囁いてほしい、この寂しさを埋めてほしい。
 やはり伊藤月子にとって、神道陽太という存在は塔の主よりも上だった。

「陽くん……!」

 どんどんと切なくなっていく。伊藤月子の頭の中には、優しく笑っている神道陽太が思い描かれていた。

 けれど、そんな甘い一時は長く続かない。


 ……ズチャ


「……?」

 ずぶ濡れの布が落ちたような、水っぽい重い音が聞こえた。


 ……ズチャ、ズチャ、ズチャ


 その音がどんどんと近づいてきている。

「な、なに……何よぉ……」

 集中するも、小石させ浮かすことができないほど疲労してしまっている。
 ただ震え、恐怖しながら待つしかなかった。
 それが来ることを。


 ズチャ、ズチャ、ズチャズチャズチャズチャズチャズチャ!


 音の正体が、部屋に入ってきた。

「い、いやっ、いやあああああああっ!」

 それの姿を見た瞬間、伊藤月子はあまりの嫌悪感に叫んだ。

 まるで深海を思わせるような藍色。そんな鈍い光沢のある肌に無機質な目玉。白い腹はぶくりぶくりと膨らんでは縮む、膨らんでは縮むを繰り返していた。

 巨大なカエルだった。自分と比べ数倍の体積はあるだろうその生物に、伊藤月子は恐怖で震えることしかできなかった。

 幼少のころはつかんで遊んでいたこともあった(もちろん緑色)。しかし目の前のそれは規格外。逃げようにもテレポートの反動で念動力は当然のこと、動くことさえままならない。
 できることと言えば恐怖に染まった顔を向けるだけ。当然カエルは怯む様子もない。べたり、べたりと平べったい手をついて伊藤月子に接近する。

「来ないで、来ないでよ……! 陽くん、助けて……!」

 奇跡的に願いが届いたのか。カエルはやや離れたところで止まった。

 いまだカエルと目が合ったままだったが、伊藤月子は胸を撫で下ろした。このまま硬直状態が続いて時間を稼ぎたい。体力が戻れば念動力で吹き飛ばす――と、伊藤月子は考えた。

 だが次の瞬間、拮抗は崩れた。
 カエルはがぱりと大きく口を開く。

 それは、すさまじい勢いで飛び出した。


 びゅるんっ


「きゃぁあああああ!」

 長い、そして不気味なまでにイボイボの舌は伊藤月子の脚、そしてぐるぐると腰にまで巻きついた。
 非常に粘度のある唾液が滴っている。ワンピースの生地に染み込み、その生ぬるい温度が肌から感じられた。

「そんな、そんなこと……ありえない!」

 それが何を意味するのか、すぐにわかってしまった。
 あのカエルは自分を餌と認識し、食べようとしている。

 つまり、捕食。
 カエルが、人を食おうとしているのだ。

「やめて、やめてやめてぇぇぇぇぇ!」

 巻きついた舌を外そうとするも、ぬるぬると滑ってつかむことができない。しかもゆっくりとだが引っ張られている。床との摩擦でワンピースが破れ、さらに踏ん張っていた手が擦れて血が滲み始めるが、そんなことは気にしていられない。

 今にも脚がカエルに食べられてしまう。ガシガシと蹴って抵抗するが――


 ガプリッ


 引き寄せられ、ついにカエルの口が伊藤月子の脚に噛みついた。小さな歯がびっしりと詰まった口は噛み砕くほどの力はなかったが、舌が巻きついてみしみしと伊藤月子の身体が軋ませる。
 しかし痛みなんてどうでも良かった。もっと別の恐怖、そう、『食べられる』という恐怖でいっぱいだった。

「はなせぇぇぇぇ! はな、してよぉ!」

 じゅる、じゅるり

 ろくに抵抗ができないまま、脚すべてが呑み込まれてしまった。腰から下がぬるま湯に浸かったような、けれど気味の悪さに鳥肌が立つ。
 小さな手を握ってボコボコとカエルを殴る。大した衝撃はない、ぬるぬるの皮膚を滑るだけ。
 濁った瞳がぎょろりと伊藤月子を見つめていた。


 がぷ、ジュルン


「ひっ、やめてよぉ……! うぅ……」

 むぐむぐと捕食が進む。腰から上昇し臍を超えてしまう。
 もはや体力は限界で、精一杯殴っていた手はカエルの口の上に置かれていた。

 捕食が進む一方で、口内では別の形で伊藤月子に危険が迫っていた。

「あっ、だめ……そこ、は……!」

 身体の半分を呑み込んだことで余裕が生まれたのだろう。脚に巻きついていた舌が離れ、べろりべろりと伊藤月子の身体を舐め始めた。
 腹、腰、内太もも。足の裏や指の間など、生温かな唾液とつるつるとした舌が丹念に、胆に責める。
 くすぐったさと気持ち悪さ、そして否定しがたい心地良さ。それらが伊藤月子の身体を駆け巡る。

「だめなのに、食べられちゃうの、イヤなのに……
 ひ、だめ、そこは、だ、め……!」

 舌が責める範囲が狭まっていき、ついに一点を責めるようになった。
 そこは、とても恥ずかしいところ。

「あつっ、熱い……あ、あああああっ!」

 舌先が肉の芽を押しつぶし、その衝撃にびくりと身体が震えてしまう。そんな様子をよそに、舌先は無遠慮に身体の中に入っていく。
 身体に異物を受け入れるのは初めてではない、恋人に何度も捧げた身体だが、もちろんそれは人間同士に限ったことで、カエルなどという異種は当然初めてだった。
 ローションのような唾液と自在に動く舌。それらが伊藤月子を刺激し続ける。

30, 29

  



「なんで、嫌な、嫌なはずなのに……! ふぁぁあ、ダメ、だめっ……!」

 快楽の波が押し寄せてきている。
 このままではいけない。恋人、神道陽太の顔を思い出し、我慢しようとする。

 だが快楽を知っている身体が我慢をするには、あまりに強い刺激だったのだ。

「イく、イっ、アアアあぁぁぁぁっ!」

 びくっ
 びくんっ

 大きく震え、そして小刻みに痙攣する。
 人外の、しかも身体半分を呑み込まれている、そんな異常な状態で彼女は絶頂を迎えてしまった。

「あっ、アッ……え、ダメ、そこ違う……」

 前を散々楽しんで飽きてしまったのか、舌はぬるりと滑って降下する。
 そこは、何も受け入れたことのない、場所。

「だめ、ぜったい……そこは、あ、アッ」

 恋人にすら触れられたことのないところを弄ばれている。だが、それとは裏腹に背筋が凍るような快感が襲いかかる。

「やだ、やだよぉ……ダメ、だ、め……! ……!」

 達したことによる倦怠感、そして化物に蹂躙されたことによるショック。そんな現実から逃避するように、伊藤月子の意識はブラックアウトした。

 完全に抵抗がなくなったことで、巨大カエルは口をもぐもぐと動かし――


 ぱくんっ
 ばくっ


 肩まで呑み込んだ。


 じゅるっ


 舌が包み込むように伊藤月子の顔に巻き込み――


 ごっくん


 伊藤月子を丸呑みにした。

 ・
 ・
 ・
 ・
 ・

「んっ……んん……」

 伊藤月子は寝心地の悪さに目を覚ました。
 そこはとにかく狭かった。それに加えて鳥肌が立ってしまいそうなほどに不快な感触の壁。
 押した分だけ跳ね返ってくる低反発の壁に囲まれ、少しも動けそうになかった。とにかく壁がぎゅうぎゅうと押しつけてくるのだ。
 さらにその壁から湧き出ているのか、鼻を刺す異臭を放つ液体。それはとても熱く、肌が焼けていまいそうだった。

「えっと、私は……うう、暗い……」

 そしてあまりに暗かった。目を凝らしても今自分がいる空間がまるでわからなかった。
 比較的体力は戻っていたので透視を使用することにした。

「……なにこれ?」

 伊藤月子が見た光景は、至って普通の塔の中だった。今まで暗かった周囲に明かりが灯った、その程度の変化だった。

 だが、少しずつ記憶が戻り始めていた。
 この空間に閉じ込められる直前の、あの悲劇のことを。

「……、…………!」

 透視の精度を落とす。すると、見てしまった。
 カエルの体内。筋肉や血管、臓器など、グロテスクな部位をしっかりと見てしまった。

「ウッ……お、ェ……!」

 激しい嘔吐感が伊藤月子を襲う。喉元まで酸っぱい液体が込み上げたが、かろうじて我慢し飲み込んだ。
 そう、そうなのだ。カエルに捕食、丸呑みにされてしまったの。しかも舌で散々弄ばれた上で!

「出ないと、早く、早く出ないと!」

 縮こまった両脚をぐいっと伸ばし、同時に両手でカエルの体内を殴った。
 しかしぶよぶよとした肉壁が多少形を変えただけで、とてもカエルへの攻撃にはなっていなかった。

 ここでテレポートを使えれば簡単ではあるが、それにはまだまだ体力が足りない。念動力で攻撃する、という選択もあったが、その一撃で身体を突き破ることができなければ詰んだも同然。

 テレポートが使えるまで待つか、一縷の望みを賭けて念動力にするか。二者択一であったが、実際のところ待てるかどうかも定かではない。
 今いるところはおそらく胃。つまり、そこは捕食したものを消化する部位。悠長にはしていられない。

「……? ……わ、うわ、うわっ」

 大きな選択に悩んでいたそのとき、体内がぶるぶると脈動し、伊藤月子はひっくり返ってしまう。

「なに、なになになに!?」

 尻餅をつくように座り込んでいた体勢から文字通り一転、仰向けになってしまった。
 どうやら足元にはぬるぬるの液体が溜まっていたようで、背中からびっしょりと濡れてしまう。
 せっかくプレゼントしてもらった服が汚れてしまう。それにいつの間にかボロボロだった。それがとても悲しかった。

 だが、ここからが始まりだ。


 ぽた、ぽたぽた

 べと……べと……


 上から雫が落ちてきた。
 肌に当たると、それは熱い。いや、痛い。
 その液体がなんなのか。考えるまでもなかった。

「うそっ、溶か、溶かされ――!」

 液体――消化液に触れた皮膚は引っ掻いたような痛みが走った。
 服は染み込んだ瞬間にずくずくと溶ける。

「いたっ、痛い、痛いっ……ヒィィィィッ!」

 もはや服は無残なもので、あれほど丁寧に作られていたワンピースはボロ布のようになっていた。しかし伊藤月子はそれを気にする余裕はない、ブンブンと手を振って消化液から身を守ろうとする。

「う、グッ……ああ、アアアアッ!」

 降りかかる悲劇は消化液だけではない。壁や床――胃がぐねぐねと動き出し、伊藤月子と溜まった消化液を混ぜ始める
 顔や身体が肉壁にぶつかる。大した衝撃はないがどんどんと体力が削られていく。

 ろくに抵抗もできないまま、消化液は身体半分が浸るほどに溜まっていた。

「アハ、はぁ。脚、あし、がぁ……」

 完全に溶解したわけではない、皮膚が灼けたことで感覚がなくなっているだけなのだが、伊藤月子の中では脚はとっくに溶解し、精神が崩壊してしまった。

「ごめんね、陽くん……もう、いっしょに歩けないや……」

 その言葉を最後に、伊藤月子の身体から力が抜けた。最後まで踏ん張っていた手脚が緩んだことで、頭の先まで消化液に沈んだ。

 全身が溶かされるよりも早く、伊藤月子は溺れ死んだ。



【ゲームオーバー】
32, 31

  

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*                                      *
*   僕の塔                                *
*                                      *
*     巡る巡る魔物の巣                         *
*                                      *
****************************************



 モンスターに殺される。気づけばフロアの入り口に戻っている。

 そんな異常な事態が起こったにもかかわらず、伊藤月子はいたって冷静だった。
 いくら泣こうが喚こうが、死んだという結果は変えられない。なら生かすしかない、経験を、記憶を。そう、なぜか死んだのに生きているのだから。
 もともと超能力なんていう異質な力を保有しているので、精神がタフだったのだ。


 まず、死んだらフロアの入り口に戻される――と考えていいだろう(推測)。
 身体や衣服の損傷は治っていて体力も戻っている。が、意識が消える瞬間までの記憶は残っている(これは事実)。
 戻ったあとでもフロアのトラップやモンスターの配置は変わっていない(再びカエルと出会ったときボコボコにした)。
 そして、超能力は思っている以上に使用することはできない。けれど体力さえつけば使い放題になるだろう(これも推測)。


 それらを把握し、慎重に塔の攻略を試みることにした。
 要領がわかれば比較的楽だった。ゆっくりと確実にモンスターを駆逐、トラップを解除してフロアを降りていく。
 次第に体力も向上し、全盛期にはほど遠いもののそこそこに使用できるようになっていった。

 しかし、そうそう楽に攻略できるような塔(しかも神道陽太の魔改造済)ではない。ちょっとした油断が命取りとなる。

 そう、今回のように。



「来ないで……イヤぁぁぁぁぁっ!」

 フロア中を逃げ回り、ついに行き止まりに到着してしまった伊藤月子は叫び、恐怖を隠すことができなかった。
 握りこぶし大の蜘蛛が通路、壁、天井、すべてを覆い尽くしていた。

 うっかりと踏み潰してしまった一匹の蜘蛛。すると辺りからじゃうじゃと蜘蛛が湧き出てきて、気づけばこんな有様だった。
 何度も念動力を使い、おそらく百匹以上は蹴散らしたことだろう。だが一行に減らない、それどころか増えてきている。いつしか戦うことを諦め、守ること、逃げることに専念していた。

「来ない、で……」

 体力は限界だった。もつれそうな脚では転ばないのが精一杯で、もはや普通に歩くよりも少し早い程度にしか動けない。
 そんな状態の伊藤月子を、蜘蛛たちが見逃すはずもない。


 ビュルッ


「うわ、あ」

 一匹から吐き出された糸がべっとりと身体に張りついた。動くほど服と肌にネバネバと絡みつき、とても取れそうにない。
 そんな糸が至るところから、シャワーのように降りかかってくる。

「わっ、う、ああああっ」

 叫ぶこともままならない。伊藤月子の全身には真っ白になるほど糸が巻きつき、まったく動けなくなってしまう。

「白くて、ネバネバして……気持ち、悪い……!」

 ガサガサと蜘蛛たちの音が近づいてくる。
 振り絞って使った念動力は巻きつく糸すら切ることができなかった。

 伊藤月子の身体に蜘蛛が到達し――


 バリッ


「い゛っ!」


 蜘蛛の牙が柔らかな肌に刺さり、食い破る。


 バリバリバリバリッ!

「ぎ、ぎゃあああああああああああああああああああ!!!!!」

 蜘蛛が身体中を覆い、伊藤月子を貪る。
 一瞬でショック死。そして伊藤月子は肉はもちろん、髪や骨を少しも残さず蜘蛛に食い散らされた。



【ゲームオーバー】
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*                                      *
*   僕の塔                                *
*                                      *
*     巡る巡る魔物の巣(2回目)                    *
*                                      *
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「あっ」

 次に目が覚めたときにはベッドの中にいた。
 このフロアは最初と同じで休憩室があり、どうやらスタート地点はここのようだった。

「ウウ……アアア……」

 怪我はない。けれど全身に這いまわった蜘蛛の感触と少しずつ削り取られていく身体の痛みはしっかりと覚えていた。
 目を閉じれば思い出してしまう。こうしたフラッシュバックは超能力が原因で何度も経験している。
 そんなときは寝るに限る。なので伊藤月子は半ば不貞腐れるようにベッドに潜り込んだ。

 が。


 ムニッ


 とても柔らかな何かが、顔を覆い尽くした。
 温かい。それでいて良い香りがする。

「これは……?」

 予想はついているが半信半疑。ゆっくりと顔を上げると――

「あら、寝ないの?」
「……! わ、わわわわわっ!」

 ベッドの中には自分以外に誰かがいた。驚き飛び起き、シーツをひっぺがして確認する。
 まず目に入ったのがウサミミ。そして胸元が大きく開いたレオタード(が崩れて胸がこぼれている)。カフスにストッキング。
 この衣装は知っている。

 バニーガール!

「えっと、えっとぁ、誰、ですか?」
「あー、はじめまして。私は」
「服、直してください……」
「……あらら、ごめんなさい」

 バニーガールはいそいそと胸を収納して、改めて自己紹介。

「はじめまして。私は立川はるか、職業はバニー。よろしくね~」
「はい……」

 伊藤月子も同じように自己紹介。差し障りのない程度に超能力のことを言っておいた。

「私も上から降りてきたんだけど、いい加減疲れたからゴロゴロしてたの。そうしたら月子ちゃんがここに戻ってきたわけ」
「そうでしたか……」
「あんまり可愛かったからチューしちゃった」
「え゛!?」
「ウッソ~」
「なぁんだ……」
「服を脱がしてネットリ見てただけー」
「え゛え゛!?」
「うそ嘘ウッソ~」

 どうにもこの軽いノリ、妙に甘ったるい声が苦手だった。
 それなのに――伊藤月子の鼓動は高鳴っていた。バニーの仕草や香り、魅力的な身体や表情のすべてが誘惑してくるようでドキドキとしてしまう。
 赤くなった顔を隠すように、伊藤月子はバニーから視線を逸らす。

「あら、怒った? ごめんね~」
「いえ、そんなことは……」
「ならこっち見てほしいなー、寂しいじゃない。
 ま、そんなことよりもさ。こうして巡り会えたのも何かの縁。
 いっしょに、脱出しない?」
「それってつまり」
「そっ、仲間ってヤツ」

 パチリッ。
 バニーのウィンクに、伊藤月子はボッと顔から火が出るほど熱くなった。

【バニーが仲間になりました】



 仲間が一人加入したことで、探索は飛躍的に順調に進んでいった。
 まずバニーが囮になるよう先陣を切り、隙をついて伊藤月子が念動力で一気に片をつける。ダーツによるバニーの的確なアシストも大きな助けとなった。

 とんとん拍子に降りていき、疲労を感じ始めていたところで休憩室を発見。休息を摂ることになった。

「はい、お水どーぞ」
「ありがとうございます……」

 ベッドに腰かけていた伊藤月子はバニーから水の入ったコップを手渡され、それをコクコクと飲み干した。
 妙に甘ったるい味がしたが、きっと疲れのせいだろうと思った。

「はぁー、私も疲れたし、座ろっと」

 さも当然のように伊藤月子の隣りに座るバニー。その拍子に腕が触れ、伊藤月子はやはりドキッとしてしまう。
 バニーの香りがする。とても濃厚な香り。初対面のときから感じている香りは甘く、酸っぱく、爽やかなのにどこか濃厚だ。
 ドキドキしてしまう。なぜだろうか、身体が熱い。

「ねえ月子ちゃん」
「はい?」
「キミは、処女?」

 どこか夢心地だった伊藤月子に、バニーはとんでもないことを訊いた。

「……えええっ!?」
「いいじゃない、女の子同士なんだし。それに、もっと知り合うのも大事かなーと思うんだけど」

 なんとも無理やりな展開だが、意識が朦朧としている伊藤月子がそれに疑問を持つことはなかった。
 先ほどから身体が熱い。バニーから漂う香りや艶っぽい仕草に脳が溶けてしまいそうだった。
 伊藤月子がその質問に答えるまで、そう時間はかからなかった。

「いえ、処女じゃ、ありません……」
「わはー、そうなんだ。じゃあ何人と寝たの?」
「……一人だけ、です」
「まあぁ、一途!」

 バニーは伊藤月子に抱きついた。そんな過剰なスキンシップにも、伊藤月子の抵抗はない。
 豊満な胸に顔が埋まり、くすぐったい吐息が耳をくすぐる。すべすべとした肌やじんわりと伝わる体温、一定のリズムを刻む鼓動に伊藤月子は思考を止めてしまう。

 されるがまま。もはや物事を考えられるような状態ではなかった。

「その幸運な男って、彼氏くん?」
「はい……陽くん、です」
「神道陽太くんでしょ? ちょっとお話したけどいい男よね。
“魅了”を使ってもキミに一筋で見向きもしない……イライラしちゃう」

 恋人の名前が出たことで、伊藤月子の思考は一瞬、戻った。しかし、戻らなかったほうが良かったかもしれない。バニーが、目を覗き込んでいた。
 じぃぃっと見つめる目を逸らすことができなかった。

「そう、そのまま私の目を見ていてね」
「はい……」
「うん、いいよ、そのままね……私の声以外は聞こえなくなる。私しか見えなくなる。ほら、いい?」
「……はい」

 まるで泥の中へ沈むように、伊藤月子の五感は停止していく。
 ニコリとバニーは笑う。そして、魔法を唱えた。

「魅了(チャーム)」



(な、なに、なんなのこれ……)

 正常な意識に戻ると、伊藤月子は自身に起きた変化に驚きを隠せなかった。
 もはや爆発してしまいそうなほどに鳴り響く心臓。自身を焼き殺してしまいそうに体温が高い。自然と荒くなっていく呼吸。
 それ以上に、もっともっとおかしなことがあった。

(どうして……私、バニーさんのことが……?)

 なぜ自分が、同性のバニーにときめいてしまっているのか。
 そしてなぜ、力いっぱい抱き締めているのか。
 そんな自分の行動を説明することができなかった。

「さっきのお水、おいしかった?」
「み、ず……?」
「ちょっと甘かったと思うんだけど……さてさて、何が入ってたと思う?」

 血の気が引いた。
 もちろん何が入っていたかはわからないが、バニーの意地悪な笑みから何か良からぬものが入っていたことはわかった。

「いったい何を」
「月子ちゃんの身体が素直になれる“おまじない”が入ってたの。
 気持ち自体はここに来るまでにそこそこ傾けることができたし……
 まあ“魅了”のかかり方を見るに、もう私のトリコ、かな?」

 バニーは笑う。その表情に伊藤月子の感情がグラグラと乱れ、非常に深い好意へと傾いてしまう。
 バニーの言う通り、伊藤月子はトリコになっていた。あろうことか神道陽太との記憶がおぼろげになるほどに。

「ウソだ……わたしは、陽くんのこと……」
「いやあのべつにさ、月子ちゃんの気持ちなんてどうでもよくってさ。
 今この瞬間、私と月子ちゃんが楽しくできるかどうかが大事なわけ。
 オッケー?」

 ベッドのスプリングを使い、バニーは抱きかかえたまま伊藤月子をベッドの真ん中まで運び、組み伏せる。
 体力は万全。超能力を使えば簡単に引き剥がせる。それなのに、伊藤月子は抵抗できない。いや、しない。

「ほら、キスしなさい」

 バニーは伊藤月子の顎を撫でながら、命令する。

(う、うううっ)

 かろうじて理性はやめるよう訴えかけている。けれど身体はまったくの逆、震える手がバニーに伸びていく。

「あっ、ううっ」

 腕はバニーの首に巻きつくように廻される。
 そして顔と顔が近づき――

「ンンー……!」

(わぁぁぁぁ、キスしちゃってる……)

 ただ触れ合うだけのキスではない。最初から舌同士が絡みあうキス。
 ぐちゃぐちゃと頭の音で唾液が絡む音が響く。興奮しているのかバニーの荒い鼻息が顔をくすぐる。

「ん、ぷはっ」

 バニーは顔を離す。唾液の糸が伸び、ぷつりと切れる。
 それまでは余裕のある表情を浮かべていたバニーだったが、今ではぜいぜいと息が荒くなっている。

「意外に積極的なのね……あの彼氏くんともそうしてるの?」

 自分の意思ではない。それなのに、こくりと、伊藤月子は正直にうなづいた。
 ふと考えてしまう。これは浮気になるのだろうか、と。
 もちろん浮気には違いないのだが、伊藤月子は疑問すら抱かない。

「ああもう、可愛い、すごく可愛いね月子ちゃん。
 腹いせにちょっと遊んで虐めてあげるつもりだったけど……本気になっちゃったかも」

 バニーはレオタードをずらし、自分の股間に手を当て、先ほどとは別の魔法を唱える。


「擬態 (トランスフォーム)」


「うわ……!?」

 伊藤月子は目を疑った。
 バニーの股間から突然、女性では有り得ないものが生えたからだ。

「素敵な魔法でしょう? 男の子になれちゃうのよ?
 ……もしかして、男の子になりたかった?
 だめ、ダーメ。私が、貴女を、食べちゃうの」

 バニーは伊藤月子の顔を掴み、そのまま偽りのペニスに寄せる。

「ほら、してよフェラチオ。彼氏くんにするようにさ」

 目の前でビクンビクンと脈打つそれ。
 魔法で生えた偽物のはずなのに寸分違わない造り。独特の臭いすら再現されている。
 それに、明らかに平均以上(恋人以上)のサイズ。

 伊藤月子にも当然性欲はある。が、痴女ではない。ごく一般的な程度である。しかし今はバニーの毒牙により、ペニスを前に生唾を飲んでしまっていた。

「……あんむっ」

 誘われるように、ぱっくりと咥え込んだ。そのまま口の中でぐりぐりと舌を使って亀頭を舐め回す。
 全体的に唾液が満たされたところで、吸い込むように喉奥まで飲み込む。トロトロになった竿はなめらかに伊藤月子の口で上下に動く。

「あ、あらぁ……? 想像以上に教え込まれてるのね……!」

 そんな予想だにもしないテクニックに、バニーの余裕は一瞬で掻き消えた。

「……そんなこと、ないです……」
「何言ってるのかな、この子は……うぅ、ああダメ、気持ちいい……!」
「私はただ、陽くんが喜んでくれるから……ぺろ、レロ……」

 もともと“擬態”は使用者の神経に結びつくため、本物以上に感覚が伝わってしまう。バニーは全身が性感帯になってしまったようで、びくびくと身体を震わせていた。
 いっそ一度ぐらい果てても良かったのだが、そこはバニーのプライドが許せなかった。主導権は常に自分が握っていたかったからだ。

「……そろそろ、このぐらいにして、と……」

 腰を引いて伊藤月子から離れる。
 唾液でベトベトになったペニス。熱く潤った瞳をした彼女。それらが、バニーの性欲を駆り立てる。

「――アッ」

 突き飛ばされるように、伊藤月子は押し倒された。そして脚を大きく開かされ、びっしょりと濡れた下着がずらされる。

「なんていやらしい……それに、オンナの匂いがする」
「見ちゃ、やだ……」
「そうやって顔をそむける姿もたまらないわ……
 認めたくないけど、私はもう、月子ちゃんに夢中。すっかり本気になっちゃった」

 バニーが伊藤月子に触れる。

(早く、早く挿れて……!)

 二人の間を邪魔するものはない。もはや伊藤月子は思考でさえバニーを求めていた。

「可愛い顔。すごく欲しがってる。
 ほら、召し上がれ」


 ずいっ


「あっ、あっ!」

 先端が入った。そこから、押し分けるように入っていく。

「アア、大きっ……ああああ!」
「ン……! こんな、こんなぴったりくる子、初めて……!」

 そして、すべてが入った。滾る肉棒が身体の中に埋まったことで、伊藤月子はとてつもない熱さを感じていた。

「ふふ、入ったぁ……さすがにきつい、かな。ねえ、どうかしら?」
「ひゃんっ」
「ねえ、彼氏くんとどちらがいーい?」

 服の上からその慎ましい胸を撫でる。快楽を得るというよりも伊藤月子を焦らすように腰をゆるゆると動かす。

「そ、それは……」
「ほぉら、どっち?」
「あっ、アアアアっ!」

 一瞬、激しく動いたかと思うと、すぐにバニーは動きを止めた。

「ど、どうして……」
「答えてくれたら続けてあげる」
「ウゥ……」
「ほら、素直になりなさい」

 バニーは顔を慎ましい胸に落とし、唇を押し当てる。
 ジュゥゥゥゥゥゥッ。鋭い音と共に肌が吸われ、キスマークがつけられる。
 何度も何度も繰り返され、無数の赤を残していく。さらにそれは首にまで及んだ。

「うふふ、私の印……アハッ、気分がいいわぁ」
「ウウ、ああぁ……!」
「切ないの? きゅんきゅん締めつけてくるよ? ああ、本当に、この身体は気持ちイイ……!
 ほら、早くっ。早く、どうしてほしいか言いなさい!」

 バニーからは余裕が消えていた。自分から求めるわけにはいかない。ここが、最後の正念場であった。



 ――伊藤月子の答えは一つだけだった。

 ほしい。
 もっと快楽がほしい。ペニスがほしい。狂うほどに快感を得たい。
 バニーに、蹂躙されてしまいたい。



 ――が。
 それ以上に。

 魔法を使用されても、薬を盛られても、偽りのペニスを刺されようとも。

34, 33

  



「……っ」
「ん? なあに聞こえない」
「陽くん、だもん……」
「なっ……!?」

 キッと目を開き、手を伸ばしてバニーの顔に向ける。
 バニーは動けない。まさかここで反逆されるだなんて思っていなかったからだ。

「私は、陽くんだけが、大好きなんだっ!」


 ――ボンッ!


 バニーの首から上が吹き飛んだ。ドバドバと血が噴き出し、バタリと後ろに仰け反って倒れていった。
 血が付着しないように念動力で身体を押しのける。ずるりとペニスが抜けた途端、その感覚が襲った。

「ウソ……!?」

 おそらく絶命と同時に達したのだろう。大量の精液が膣から溢れ出た。

 それが、伊藤月子をどん底に突き落とす。
 結局のところ、魔法を使用され、薬を盛られたとはいえ、身体を許したことは間違いない事実。身体は当然のこと、心も汚されてしまった。そんな後悔と罪悪感、神道陽太への謝罪の気持ちでいっぱいになってしまう。

 しかし、立ち止まるわけにはいかない。



 できる限り精液を拭い、伊藤月子は部屋を後にした。

36, 35

  

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*                                      *
*   ???                                *
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*     ???????????                      *
*                                      *
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「――先輩、伊藤先輩」

 ゆさゆさと身体を揺らされている。伊藤月子は重いまぶたをゆっくりと開き、ごしごしと目を擦った。

 ここはどこだろう。
 どうやら悪い夢を見ていたようで、とても目覚めが悪い。

 まだはっきりとしない意識のまま、ぼんやりとしている視界で周囲を見渡した。
 一人掛けの机とイスが等間隔に並んでいる部屋。向かって正面のホワイトボードには消し忘れられた英語の構文が残ったまま。
 どうやら講義の途中で居眠ってしまい、その間に終わってしまったらしい。そんな部屋に伊藤月子、そして呼びかけた相手。二人だけがそこにいた。

「えっと……おはよぉ」
「おはようございます。こんなところで寝てたら風邪ひきますよ?」

 親しげに話しかけてくるその女性に、伊藤月子は戸惑っていた。
 おそらく友達なのだろう。こうして面と向かっていることに悪い気はしない。しかし、この女性のことをまったく思い出すことができなかった。
 名前はおろか顔すら記憶に引っかからない。顔から少し視線を下げて大きく膨らんだ胸元を見て――これほど存在感のある身体の持ち主を覚えていないなんて――伊藤月子はいよいよ悩んでしまう。

「ところで伊藤先輩、時間は大丈夫なんですか?」

(誰だっけ……?)にそう言われ、伊藤月子は唐突に思い出した。今日はこのあと、恋人とデートの約束をしていたのだ。

「うん、行ってくるね。ありがとう」
「いえいえ、行ってらっしゃいませ。
 ……伊藤先輩、がんばってくださいね」

 講義室から飛び出すように(誰だっけ……?)と別れ、恋人の元へ急いだ。

 待ち合わせの場所、時間なんて少しも覚えていない。それなのに足は自然と待ち合わせ場所に向かっていた。

 そこに、いた。恋人である神道陽太がいた。何やら壁に向かってブツブツとつぶやいている。
 胸がドキドキと高鳴る。伊藤月子は上ずってしまう声を抑え、恋人に声をかける。

「……陽くん、誰と話してるの?」
「ん? なんでもないよ、独り言」
「壁に向かって独り言とか、気持ち悪いよ?」

 神道陽太は苦笑いを浮かべる。伊藤月子もそれにつられて笑ってしまう。
 穏やかな時間がそこに流れていた。

「そんなことより、早く行こうよ。私お腹空いちゃったよ」
「はいはい、ごめんごめん」

 今日はひさしぶりのデートなのだ、一分一秒も無駄にはしたくない。伊藤月子の心は弾みっぱなしだった。

「ああそうだ、今日はいいところに連れて行ってあげるよ」
「ほんと? 楽しみ!」

 伊藤月子は飛びつくように神道陽太の手を握った。



 いいところ。そう言われてすぐに連想したのが、水族館や動物園、遊園地などのアミューズメント施設だった。
 幼いころから超能力を持っていた。それゆえに精神は年不相応に育ち、早くに成熟してしまった。その反動からか、神道陽太と恋人同士になってからはその昔、素直に楽しめなかったところに行くようにしていた。
 なので、今日もそんなところに連れて行ってもらえると思っていた。

 ――のだが。

 手を引かれるままに繁華街の脇道に入り、暗くてじめじめとした路地裏を進んで行く。
 気づけば、今まで避けるようにしていた治安の悪い区域に入り込んでいた。道端で人が雑魚寝していて、ゴミが至るところに散乱している。
 昼間から酒を飲み交わしている数人の浮浪者(に見える人)からは冷やかしのヤジを浴びせられる。
 伊藤月子はすがるように神道陽太の腕に絡まった。

「よ、陽くん……どこに向かってるの……?」

 超能力以外はいたって普通の女の子なのだ。怖くて、不安で、今にも泣き出しそうになっていた。

「どこって、さっき言ったじゃないか。いいところって」
「本当に……? 私、ちょっと怖い……」
「大丈夫だよ」

 ニコリと笑って伊藤月子の頭を撫でる神道陽太。伊藤月子は目を細め、その感触を一身に受ける。

「はい、到着」

 恋人のことを信じ、伊藤月子は黙って付いて行った。そうして到着した場所は潰れたショットバーだった。
 窓ガラスは割れ、壁にはヒビが入っている。扉が外れていることで見える店内は居抜きのまま廃墟になっていてあまりに不気味だった。

「こ……ここっ?」
「そうだよ。さあ、入ろう」

 転がっている扉をまたぎ、神道陽太は中に入っていく。
 慌てて追いかけ、伊藤月子が店内に入ると、その中には数人の男たちがいた。見るからに素行が悪そうな出で立ちで、思わず言葉を失ってしまう。
 伊藤月子は神道陽太の後ろに隠れようとするが、肩をつかまれ、前に押し出されてしまう。

「こらこら月子、失礼だろう。僕の大事な友達なんだよ?」
「でも……」
「ほら、ご挨拶して」
「え、うん……えっと、はじめまして……」

 男たちは伊藤月子に注目する。頭から足元までじっとりと湿っぽい視線が注がれる。

「ヒッ……」

 伊藤月子はテレパシーを使って男たちの心を覗き見てしまった。そこでは程度や行為の差はあれ、全員から凌辱されていた。
 こうしている間もまるで裸体を晒しているように感じてしまい、全身が燃えてしまいそうなほどに恥ずかしかった。

「陽くん、帰るっ、帰ろうっ!」
「んー、ダメ」

 飛び出そうとするも、神道陽太に抱き締められる。
 いつもなら心地よい彼の体温。けれど今は不安が勝ってそれどころではない。

「いやー実はさ。前から頼まれてたことがあって、今日はそれをしてあげたいと思うんだ。これは月子がいないとできないことなんだ」
「私が? そりゃあ、できることならするけど……なあに?」
「あそこにいる僕の友だちと、セックスしてくれない?」

 一瞬何を言われているのかわからなかった。そしてその言葉を理解したとき、体温が急激に下がり、嫌な汗がどばりと出るようだった。

「僕が月子のことを自慢したらね、一度セックスしたいってさ。
 ああ、ちゃんと外に出して避妊するって言ってくれてるし。
 いいでしょ?」
「良くないよ! なんで!? なんでそんなこと言うの……!?」
「だって、僕の大事な友だちなんだもの。月子を自慢したいのさ」

 神道陽太が友だちと呼ぶ連中は、何度見てもどう見ても、友だちのようには見えなかった。
 それに自慢するために恋人を捧げるという行為は、伊藤月子の価値観には存在しなかった。

「きゃっ……! よ、陽くん!」

 抱き締められたまま、伊藤月子の服は神道陽太の手によって脱がされようとしていた。
 デートのためとオシャレをしたのに、乱暴に脱がされていく。二人だけならまだしも、見知らぬ相手の目の前で!

「やだ、やだっ、やだ!!!」

 身体をひねって神道陽太から離れる。上着はほとんど脱がされてしまい、その華奢な肩があらわになっていた。

「ははは、怖いのかい? 怯える月子もかわいいなぁ」
「うう……どうして……」
「怖がらなくていいよ。ちゃんと見ていてあげるから」

 震える伊藤月子に、男たちは迫り寄っていく。
 壁伝いに逃げる伊藤月子だが、やがて隅に追いやられ、ついに捕まってしまう。
 細い手首をつかまれたとき、伊藤月子の全身に鳥肌が立ち、そして恐怖は爆発してしまう。

「助けて、たすけて! きゃ、いやぁぁぁぁっ!」

 誰も助けようとしない。男たちはもちろん、神道陽太さえも。
 ボロボロのソファーに押しつけられ、伊藤月子の身体に複数の手が伸び、這いまわる。

 神道陽太はそれを楽しげに見つめていた。

 ・
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*                                      *
*   僕の塔                                *
*                                      *
*     幻覚クラゲの巣                          *
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「アッ」

 伊藤月子は小さく、鳴いた。

「アッ、アッ、アッ、アッ」

 何度も何度も、一定のリズムを刻む。

 そこはフロアの行き止まり。伊藤月子はうなだれるように座り込み、ビクン、ビクンと身体を震わせている。
 明らかに異常な状態だった。

「見ないで、陽くん……あ、アアアッ」

 伊藤月子の頭には半透明の生物が張りついていた。それはまさにクラゲ。半透明でぶよぶよとしたそれは、複数の細い触手を伊藤月子の頭に突きしていた。
 それはグネグネと動き、不気味な色の液体を送り込んでは頭の中を混ぜる。どうやら脳が液化しているようで、時おり鼻や耳から流れ出る。

「なんで、どうして……陽くんに見られてるのに……ふぁぁ、ああっ」

 触手の動きが激しくなるにつれ、伊藤月子から漏れる声は甘く甲高いものになっていく。 そして、伊藤月子は身体を震わせ――

「ア、アアアアアっ!!!」

 伊藤月子は絶頂に達した。クラゲに脳を弄られ、恋人の目の前で犯される幻覚の中、絶頂に達してしまった。
 しかしクラゲの触手は止まらない。

「えっと……おはよぉ」

 誰に言うわけでもなく、伊藤月子はつぶやいた。

「うん、行ってくるね。ありがとう」

 様子は変わらない。しかし彼女は会話をしている。

 ――再び幻覚が始まったのだ。



「……陽くん、誰と話してるの?」



「壁に向かって独り言とか、気持ち悪いよ?」



「そんなことより、早く行こうよ。私お腹空いちゃったよ」



「ほんと? 楽しみ!」



 そうして悪夢は繰り返す。



【ゲームオー×××××××××

38, 37

  

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*                                      *
*   僕の塔                                *
*                                      *
*     出口近くの塔の主の部屋                      *
*                                      *
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「『もっと続けろ』。ゲームオーバーにはまだ早い」

 まるで独り言のように“命令”を行う神道陽太。その顔は怒りに満ちていた。

「また寝取られエンド……! なんで、なんでそうなるんだ……!」

 まるでスクリーンのように壁に映しだされた、クラゲに脳を弄られる伊藤月子の姿と彼女が見せられている幻覚。神道陽太はその内容が気に食わないようで、怒りに任せて床――いや、床に転がるそれを踏み締めた。

「ウッ……あう!」

 神道陽太の足元にいたのは、バニーの立川はるかだった。
 トレードマークであるウサミミはなく、レオタードやストッキングはボロボロ。かつて伊藤月子を魅了した肌は擦り傷で血がにじみ、豊満な胸は神道陽太の足で押し潰れていた。

「そもそもこの不愉快さはお前が原因なんだよ……! 僕は軽く苛めるように言っただけなのに、なんだってあんな……あんなことするんだよ!」
「グッ、アアアアッ!」
「この幻覚だって、なんで超能力で抵抗しないんだ……くそ、クソ!」

 まるで床のようにバニーの身体をグリグリと踏み締める神道陽太。
 バニーは苦しげに、しかしどこか楽しそうに神道陽太を見つめていた。

「……なんだよ、その目は」
「キミの大好きな月子ちゃん……案外、そういう性癖があるんじゃないの?」


 グシャ!


 砂の城を踏み潰したように、バニーは粉砕し死亡した。
 立川はるかに刺さった足を引き抜き、神道陽太は“命令”を行う。

「『立川はるか、生き返れ』」

 逆再生されるようにバニーは回復し、復活した。身体に大きな負担がかかっているのか、バニーの息はひどく荒い。

 神道陽太とバニーはこの殺害、死亡、そして復活を何度も繰り返していた。

「はぁ……お前は何度殺しても楽しくない……住む世界が違うからだろうね」
「よくわかんないけど……私は、ちょっとガッカリだわ……」
「ん? 何がだい? ……もっと月子と遊びたかった、とか言うんじゃないだろうね?」
「それも多少あるけど、私は、キミにガッカリ」
「僕に?」
「そうよ……最初はイイ男って思ったのに……蓋を開ければこんなつまんない男だなんて……恋人だったら、全部受け入れてあげ」
「『立川はるか、潰れて死ね』」


 ぐちゃっ


 もう何度だろう、バニーは真っ赤な床の染みとなり、死亡した。
 神道陽太にはもはや、復活させる優しさは残っていなかった。

「『立川はるかにバッドエンドを与えろ』」



【立川はるか(バニー)――バッドエンド:脱出失敗】



「多少は気分も晴れたかな。さて……それはそれとして」

 怒りで歪んでいた顔に笑顔を浮かべ、神道陽太は壁に歩み寄る。

「ずっと黙ったままだけど、そろそろ反応してほしいなぁ。せっかく生き返らせてあげたんだから」

 そこにあるのは壁だけではなかった。あのとき、たしかに首締めによって殺されていた塔の主が立って――いや、大きな杭で両手を突き刺され、無理やり立たされていた。
 無残にも白いスーツは切り裂かれていて、スレンダーな身体、シルクのような肌、形の良い乳房が晒されている。

 どれだけ待っても返事がない、塔の主は黙ったまま。やれやれ、と言わんばかりに、神道陽太はその身体に触れる。
 指は艶かしい胸の曲線を沿い、膨らみを押し潰し、頂点をコリコリと引っ掻く。そのまま下がって脇腹。かすかに塔の主の身体が震える。そこからゆっくりと、焦らすように上昇して頬に到達。手のひらを当てたまま、親指で唇を何度もなぞる。

「……っ!」

 顔を振って抵抗を試みるが、神道陽太が逃がすはずがない。手はしっかりと拘束し、執拗に塔の主の唇を責め続ける。
 しかしその表情は、先ほどまでの機嫌の悪さを差し引いても、明らかに不満気だった。

「はぁぁぁ……キミでも楽しくない。まあ、似たような存在だしね。しかたないか」

 重い重いため息。塔の主の顔にもそれがかかる。

「……なに、あれ?」

 指が離れたところを見計らい、塔の主は神道陽太に投げかけた。

「ん? ようやく口を開いたと思ったら何を……」
「“命令”……お前の“命令”は、いったい、なに?」

 塔の主は、自分の“命令”と神道陽太の“命令”に大きな差があることに気づいていた。
“命令”によって対象を殺すことは自分でもできる。だが復活させることなんて不可能。そして何よりも、『塔のシステムである巻き戻りや結末を何者かに“命令”する』なんて、もはや理解の範疇外だった。

「はっきり言えば、性能の差だよ」

 ぐりぐりと唇を押し当てる親指に力が込められていく。次第に唇をこじ開けていき、唾液で濡れ始める。

「キミの“命令”は対象に働きかける……言ってしまえば脳に直接作用する。もう禁止しちゃったから使えないけどね。
 僕のは、基本的に制約は変わらない。対象がはっきりしている場合はその名前と、ある程度近づく必要があるけれど……
 でも、大きな違いは抽象的なことにも“命令”ができる。僕はね、僕やキミや月子の、いや、数々の世界の神様に“命令”ができるんだ」
「神様……ングッ」
「そう、神様さ。ちょっとわかりづらいかな?」

 思わずつぶやいてしまった瞬間、神道陽太の指がするりと口内に侵入した。
 暴れるわけではない。しかし異物が入ったことで吐き気を催してしまう。
 塔の主の目には涙が溜り、それは溢れて頬を伝って落ちていく。そんな嗜虐心をくすぐられそうな様子の塔の主にも、神道陽太はにこりともしない。

40, 39

  



「この世界を1つの小説としよう。
 月子は登場人物。主人公で、ストーリーの中心人物だ。
 で、僕たちはストーリーテラー。登場人物じゃない、小説の進行役を担っている。
 そして、神様は……シナリオライターさ。あらゆる物語を創造し、終わらせる、唯一の存在。
 僕はそんな神様に“命令”できる」


 ジュル、ジュルルルルルルッ


【ゲームオーバー】


 塔のどこかで、クラゲの触手が伊藤月子の脳をすべて吸い上げた。目から光を失った伊藤月子から触手が外され、グチャリと床に崩れ落ちた。

「おっと、巻き戻りが始まっちゃったか……まあいいか、そろそろ先に進めないと。
 もうここに来るまでは大した障害もないから……そろそろ僕の出番かな。
 それじゃあ、行ってくるね」

 塔の主から離れ、部屋の扉に向かう。

 出ていく神道陽太を、塔の主はただ見つめることしかできなかった。
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*                                      *
*   僕の塔                                *
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*     最後に待ち受ける者                        *
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 この塔の階段には、小さな窓が必ずつけられていた。
 伊藤月子は階段を降りるたび、そこから外を覗くようにしていた。
 探索を始めたときは、地上があまりに遠くてとてつもない絶望感を味わった。
 モンスターに殺されるたび、バニーに強姦されたとき、クラゲに脳を改造されたとき、いずれも泣きながら窓の外を見ていた。

 外を見る。
 それはつまり、階段を降りるということ。
 少しずつ脱出に近づいている。
 それだけが、伊藤月子を突き動かしていた。

 そして、どれだけ降りたことだろう。
 地面がとても近い。
 伊藤月子は知った。先ほどのフロアは2階。そして次は1階、最後のフロアということを。



 脱出は近い。



 階段を降りた先、つまり1階は、今までのフロアと比べて造りが大きく異なっていた。
 これまでのフロアは程度の差はあれど入り組んだ複雑な迷路、ありありと殺意が感じられるトラップやモンスターが配置されていた。
 しかし最後のフロアであるそこは、広い吹き抜け。しかも壁や床は綺麗に整備されていて、まるでホテルのエントランスホールのように思えた。

 ふと、頬を撫で、髪を後ろへ流す風に気づいた。
 探索を開始してから、初めて風を感じた。窓ははめ込みになっていて開けることができなかった。
 風を頼りに進む、進む。この塔で風が入る、つまり外に繋がっているところ――たった1つしか考えられなかった。

「で、出口っ!」

 いくつか通路を抜けた先、一際大きな部屋にあった。
 重量感のある、両開きの鉄の扉。手を大きく伸ばしてもそれ以上はあるだろう。それが壁に埋まるように閉じられていた。

「えっ……?」

 そんな扉の前に立つ、一人の姿。
 伊藤月子はその人物を知っている。知らないはずがない、わからないはずがない。

「陽くん……!」

 恋人の神道陽太。彼がそこにいたのだ。

 もちろん彼女は知らない。ここでの彼の本性を。

「陽くん!」
「やあ、月子……うわ、おっとっと」

 伊藤月子は走って神道陽太に飛びついた。神道陽太はその衝撃にたたらを踏むが、どうにか持ち直して恋人を抱き留める。

「会いたかった、ずっと会いたかったよ……! すごく、怖かった……!」
「うんうん」
「さっき怖い夢見たの……陽くんが、その……私を見捨てる夢……でも、陽くんはそんなことしないもん……ぎゅー!」
「ははは。ぎゅーぎゅー」

 熱烈な抱擁。神道陽太が頭を撫でると、伊藤月子は嬉しそうに目を細めて彼の腕の中で微笑む。

 このとき、伊藤月子は超能力を使用していない。
 が、本能的なもので感じたのだろう。
 彼女は静かに、彼から離れた。

 変。何かが変。でも、何が変なのかはわからない。

「どうしたんだい、月子」
「陽くん……変、変だよ、陽くん、変」
「変? 僕は普通だよ?」
「そう、かなぁ……」

 胸騒ぎがしていた。ざわざわと心が揺れている。
 目の前にいる恋人。見た目はいつもと同じなのに、なぜだろうか。
 とても恐ろしく感じられた。

「あはは、ずっと塔の中にいたから過敏になっているだけだよ」
「でも……でも……!」
「そんなことよりも月子、目を閉じて」
「え……?」
「ほら、ほらほら」

 急かす恋人に、伊藤月子が抱いていた疑念、警戒は霧散してしまった。
 恋人の前で目を閉じる。それはもう、ある1つの行為しか考えられなかった。

 伊藤月子はそっと目を閉じ、神道陽太に向けて顔を少しだけ上げた。
 そして唇をアヒルのように尖らせ、待つ。
 その顔はほんのりと、赤い。

 そんな伊藤月子には見えていないが、神道陽太は笑った。
 とても、邪悪に。

 彼は、彼女に応える。



 ゴッ



「ぴゃっ」

 すさまじい衝撃が鼻にぶつかった。伊藤月子の顔は前後に揺れ、驚いて目を開く。
 そこにいるのは、変わらずニコニコ笑っている恋人の姿。その右手はしっかりと握られていた。

 熱い。いや、冷たい。違う、やっぱり熱い。
 痛くない。でもジンジンとする。感覚がない、麻痺しているみたいだ。

 トロリ。
 温かな液体が垂れ、上唇にしたてっている。

 少しずつ理解し始めていた。
 誰に何をされ、どうなっているのか。それが、わかり始めていた。

 伊藤月子は震える手で、液体に触れる。
 ねっとりとした、赤い、それ。

「ぴっ」

 血だ。血が出ている。

「ぴ、ぴやぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 液体の正体がわかった瞬間、鼻を中心に激痛が広がった。
 恋人に、神道陽太に、殴られた。その握り締められた拳で鼻を殴られた! 驚き、悲しみ、どうしてそんなことをするんだろう――という疑問がグルグルぐるぐる渦巻き、ついには処理しきれずパニックに陥ってしまう。
 血は止まらない。両手で必死に抑えるも当然止まらない。悲惨なほどに真っ赤で、こぼれたそれが白いワンピースを汚していく。

「ははは、まるでヒヨコさんみたいな泣き声だね」



 バチュッ



「ヒャんっ!」

 両手の上から鼻を狙うように振り抜かれた右手は、まるで小さな花火のように血を弾けさせた。

42, 41

  



 事態を飲み込めない伊藤月子は力なく尻もちをついた。もちろん神道陽太がそれを見逃すはずもない、伊藤月子の長い髪を掴みあげ、無理やり起き上がらせた。

 神道陽太はまじまじと、血や涙でぐちゃぐちゃになった伊藤月子の顔を見つめる。そしてそんな無様な恋人の姿に、興奮のあまり身体を震わせた。

「いだ、いだい! がみ、いだいっ!」
「髪が痛い? 鼻は大丈夫なの? ああでも、それよりこっち、心配したほうがいいんじゃない?」



 ゴボッ



 鼻を抑えていたことで無防備になっていた腹部。そこに神道陽太の拳が叩きこまれた。

「――――!」

 容赦のない一撃はすさまじく、つかまれた髪はぶちりと切れて吹き飛び、伊藤月子は床に転がった。
 身体はくの字に曲がり、低いうめき声が漏れる。目を堅く閉じ、じっとりに脂汗をにじませるその姿はあまりに痛々しい。

「ンッ――エ、ウ、ェ……!」

 身体は何かを吐き出そうとしていた。しかし空っぽの胃からは何も出ず、ただえずくだけ。

『伊藤月子、立て』
「うえっ……え゛……?」

 伊藤月子は『命令』のことを知らない。自分の意思とは無関係に立ち上がってしまう身体に戸惑ってしまう。

「怯えた顔……すごく、可愛いよ」

 伊藤月子の顔を両手でそっと包み込む神道陽太。その表情はとても穏やかだが、伊藤月子には感情が見えない不気味な表情に見えていた。
 何か言いたいことがあるのだろう、伊藤月子は必死に口を動かすが何も声が出ない。


 ゴチュッ!


「アガッ……!」
「大丈夫、僕たちは何度だった巻き戻れる」


 グチュッ


「ァ……」
「まだ1回目。次はどんなことして遊ぼうかなぁ」


 どぷっ


「…………」

 腹部に3発、神道陽太の拳を受け止めたところで伊藤月子の意識はなくなっていた。粘っこい血を嘔吐していて足元を汚していた。
 かすかに息はある。が、目はうつろで光を宿していない。このような、反応が期待できない状態になってしまうと、神道陽太の興味はなくなってしまう。

「こうなるとおもしろくないよね。『伊藤月子、死ね』」


 ――びくんっ。


 伊藤月子は事切れた。しかし神道陽太の“命令”は継続したままだったので倒れることはなかった。
 塔のシステム上、ここから巻き戻りが発生し、伊藤月子はこのフロアのスタート地点へ戻される――



【ゲームオー「バーにはまだ早い。もうちょっと楽しもうよ」



 ――はずだった。しかし、神道陽太は巻き戻る寸前で塔のシステムを妨害した。
 マネキンのように立ちすくむ伊藤月子を抱きかかえ、神道陽太はあの部屋へと戻って行った。

44, 43

  

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*   僕の塔                                *
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*     出口近くの塔の主の部屋                      *
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「ただいまーっ」

 部屋に戻って開口一番、神道陽太は声高らかに壁に張りつけになっている塔の主に言った。
 塔の主は当然返事をしない。が、神道陽太といっしょに帰ってきた人物――伊藤月子の亡骸――を見た瞬間、まるで生気が戻ったかのように顔を上げた。

「つ、月子! 月子っ!」
「おーい、ただいまって言ってるだろー」


 ドスッ!


「う゛……えええ゛え゛え゛え゛っ」
「もう吐き出すものの残ってないだろう? そんなことよりも、ほら、見てよ」

 無視されたことに苛立っているのか、神道陽太は恋人の髪を撫でるように、自然な動作で塔の主の腹部をぶん殴った。
 塔の主の体内はからっぽで、どれだけえづこうとも何も吐き出すことはなかったが、それでも気を抜けば狂気してしまいそうなほどの激痛の恐怖でいっぱいだった。
 だが、塔の主は伊藤月子のことだけが心配だった。自分の身よりも、愛する人のことだけを想っていた。

「月子、月子……!」
「もう死んでるよ。ほら、『伊藤月子、立て』」

 神道陽太が言うとおり、伊藤月子はすでに死亡している。けれど“命令”により、あたかも生きているかのようにスムーズに動き、塔の主の前で立つ伊藤月子。
 しかしその姿は悲惨なものであった。鼻は潰れてひしゃげ、顔中が血と涙でぐちゃぐちゃとなっていて、真っ白だったワンピースは血や吐瀉物でドロドロに汚れていた。
 そして、伊藤月子がまとう様子、雰囲気。すでに死亡しているので当然だったが、目はうつろ、生気が感じられなかった。
 
「キミが会いたかった月子だよ。感想は?」
「お前は最低だ……ヘドが出る」
「結構結構。悪くないよ、その態度」

 神道陽太は伊藤月子を後ろから抱きしめ、慎ましい胸を撫でるように弄る。

「さっき死んだばかりだからまだ温かいよ。触れたい?」
「…………」
「まあ反応なんて最初から期待してないけど、こっちを見てくれないというのはあまりよろしくないね。『僕たちから目を逸らすな』」

“命令”された塔の主は顔を上げ、食い入るように二人を見つめる。抵抗しようとするものの身体は動いてくれない。怒り、悔しさ、悲しみ、様々な感情が入り乱れた表情を浮かべていた。
 そんな塔の主の様子を見てニタニタと笑う神道陽太。その手は伊藤月子の身体、下半身を這いまわる。

 もちろんここで終わるほど、神道陽太は正常ではない。

「『伊藤月子、服を脱げ』」
「……!!!」

 その正気を疑うような“命令”に塔の主は言葉を失う――が、目を逸らすことはできない。
 いや、きっと塔の主は“命令”がなくても目を逸らさなかったかもしれない。好きで好きで堪らない彼女が、目の前でプレゼントした服を脱ぎ、肌を晒そうとしているのだ。
 汚れたワンピースは床に落ちた。腹部は赤く腫れ上がっていて、どのような仕打ちに合ったのか想像するに容易かった。

 それでも、塔の主の目には、想い続けた伊藤月子の身体はとても美しく映っていた。
 黒い髪、幼い顔立ち、小さな身体に慎ましい胸。けれど、どこか成熟しているように見えるのはすでに男を知った身体だからだろうか。塔の主は身体の高揚を感じていた。

「どうだい、僕の月子の身体は。綺麗でしょ? キミは知らないだろうけど、温かくて……とても気持ちがいいんだよ。それに奉仕もすごく」
「うるさい……黙れ!」
「怒るなよ。見れただけラッキーと思わないとダメだろう?『伊藤月子、付いて来い』」

 神道陽太はベッドに向かい、そこに座る。伊藤月子はその隣に座った。
 恋人同士の男と女がベッドに座り、しかも女は裸。これからの展開を予想するのはあまりに簡単で、塔の主にとっては最悪のことで、さらに死体とそんなことをしようとする男に別の類の恐怖を感じていた。

「ちゃんと濡れるのかな……?
 口でさせるのはイヤだなぁ。バニーと同じじゃないか。
 ……あれ? もう濡れてる?」

 神道陽太がそこを撫でると、指はしっとりと濡れた。

「なんで濡れているんだろう……死は究極の快感なのかな?
 ……あ。
 ああ……
 そうか、これはバニーのアレか……まあ、いい。まあいいまあいい。『伊藤月子、中腰でまたがれ』」
「……!」

 のそりと動き、伊藤月子はベッドに上がって言われたとおりにする。
 神道陽太と伊藤月子は対面座位になっていた。塔の主は、伊藤月子の背中しか見ることができなかった。

「さぁて。文字通り、ここからが本番だよ」
「…………!」

 神道陽太はすでに硬くなったペニスを取り出した。塔の主は醜悪なそれから目を逸らそうとするが、もちろん“命令”の効果によりできるはずがない。

 そして、ついにその“命令”が下される。

『伊藤月子、そのまま腰を降ろせ』


 ズッ


 すでにバニーの体液で濡れそぼっていたそこは、やすやすと神道陽太は咥え込んだ。
 塔の主は悔しさのあまり目には涙を、そして下唇を噛み締めた。

「あぁ、いいよ……まだ温かい。それに避妊具なしという、この背徳感……たまらない」

 塔の主は口元に生温かな液体――噛みすぎたことで唇が切れ、血がにじんでいることに気づいていなかった。
 愛しい伊藤月子が蹂躙されている。だがそれよりも、憎らしいあの男は自身の恋人であり自分の想い人である伊藤月子を殺し、あまつその死体で性行為に及んでいる――死者を冒涜する行為が許せなかった。

「神道陽太……死ね……」

“命令”は禁止されているため発動しない。そんなことぐらい塔の主はわかっている。けれど、口にしていた。それほど神道陽太のことが許せなかった。

「おや? 羨ましいのかい?」
「死ね……死ね、死ね、死ね!!!」
「ははは、はははははっ! ごめんね、死なないんだよぉ! キミはそうして、僕らのことを見とけよ、なあ!」

 神道陽太の動きが早くなっていく。息が荒い。柔らかな笑みが少しずつ崩れていき、余裕がなくなっていく。
 何度も何度も腰を打ちつける。粘液が絡み合う下品な音が部屋に響く。
 そして、そのときが来た。

「あっ、アア、イ、くっ……ウッ!」

 神道陽太は伊藤月子に深く挿し込み――果てた。抱き締めたまま、神道陽太はゼイゼイと荒い呼吸を整えていく。
 伊藤月子をベッドに突き飛ばすと、ゴポリと精液が股の間からこぼれ出る。

 そんな初めての膣内射精の光景に、神道陽太の歪んだ精神はグツグツと煮えたぎる。達して間もないはずなのに、ペニスは屹立を見せていた。

「ククッ……いいな、中出しは……クセになりそうだ……
 でも、今回はここで一旦終わりだ。さすがに疲れたからね……
 よし、もういいよ」



【ゲームオーバー】



「さて、出来損ない。どうだった?」

 塔の主は何も言えない。涙目で睨み、唇を噛み締めるだけだった。
 そんな様子に神道陽太は心を弾ませる。

 当然である。彼からすれば、まだ始まったばかりなのだから。



「まだまだ続くよ、僕の活躍は。さあて、次はどうしてやろうかな」
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*                                      *
*   僕の塔                                *
*                                      *
*     最後に待ち受ける者(2回目)                   *
*                                      *
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「やあ月子、遅かったじゃないか」

 神道陽太はぷらぷらと手のひらを振って見せ、笑顔で伊藤月子を招いた。が、それとは対照的に伊藤月子の表情は優れない。
 顔色は青白く、生気が感じられない。それは無理もないことである、なにせ前回の記憶――恋人の神道陽太に暴行され殺されてしまった――を鮮明に覚えているからだ(死姦されたことは覚えていないようだ)。
 怪我や痛みは消えている。しかし心に負った傷は生々しく残っていて、ジクジクと化膿しているかのようだった。

「ん? どうしたの?」
「私ね……いろいろ考えたの」
「ふんふん。何をだい?」

 震える声で伊藤月子は話し始める。そんなカノジョに神道陽太は食い入るように聞き返す。
 神道陽太は非情なほどにこの状況を楽しんでいた。しっかりと伊藤月子のことを恋人として扱い、愛して、裏切って、なぶり殺しにすることにとめどない興奮を覚えていた。

「私さ……陽くんを怒らせること、しちゃったのかな……?」
「どうしてそう思うんだい?」
「だって! だって……陽くん、私のこと殴った……顔や、お腹を、いっぱい、殴った……!」
「そうだったね。何発殴ったっけ?」

 伊藤月子は言葉を詰まらせる。そして、ふるふると身体を震わせながら涙をこぼし始めた。
 相手を見据え、半ば恐怖に負けながらも真っ向から立ち向かう。そんな勇敢な姿は神道陽太にとってはあまりに滑稽で、死姦のとき以上の勃起を催す要因にしかならなかった。

「ねえ……どうして……!」
「どうして? どうしてって、何が? 」
「私、何かしちゃったの……? 教えてよ、怒ってるんだったら、ちゃんと謝るから……
 お詫び……になるかわからないけど、陽くんの好きな甘いカレー作るから……あと、メイド服着てご主人様って言うから……」
「むむぅ、それは甘い誘惑だなぁ」
「わからない……私、何も“わからない”の!」

 伊藤月子が言うように、彼女は神道陽太のことがわからなかった。
 伊藤月子は超能力者である。今でこそ体力によって制限はあるものの、すべての能力が使用可能。なのでこうして相手に質問するよりも、テレパシーを使うほうが早くて正確な情報を得ることができる。
 このフロアの入り口に巻き戻ったとき、彼女は申し訳ない気持ちになりながらも神道陽太に向けてテレパシーを発していた。ここで通常なら相手の思考や感情が文字や映像となって頭の中に流れてくる、そうすればだいたいの問題の解決方法が見い出せるのだ。

 だが、今ここにいる神道陽太は違った。何も流れてこない。少しの断片すら感じ取ることができなかった。
 
 何も流れてこないというのは特別めずらしいことではない。意識がない対象――死体や眠っている相手はもちろん、単純作業に没頭している相手など、思考を停止している状態であっても同じことだった。

 つまり神道陽太はいずれかの状態。おそらく何も考えていないのだろう。
 そう、何も考えていないのだ。

 あれだけひどいことをしたにもかかわらず!

「だから……教えて……」

 絞り出した声はとても小さかった。けれど、その声はちゃんと神道陽太に届いた。



「特に理由なんてない。強いて言うなら、やりたかったから」



 あまりに無慈悲な答え。その返答に、伊藤月子の理性は沸点をやすやすと飛び越えた。
 ざわざわと伊藤月子の長い髪が揺らめく。放電か、あるいは衝撃波なのか、パチン、パチンと周囲の空気が音を鳴らす。
 その目は憤怒に燃えていた。

「おお、おおっと」

 念動力により、神道陽太はふわりと宙に浮かされた。手をばたばたと動かしバランスを取ろうとするが、力は安定せずにぐらぐらと身体を揺らしていた。

「ああ、そうだったね。月子は怒るといつも念動力で浮かしてたね」
「いつも……?」
「いつだったかなぁ、天井にふっ飛ばされて、窓から放り出されたことがあった。
 空から落とされたこともあったね」

 懐かしむようにつぶやく。
 だが、伊藤月子はそんな神道陽太の横をスタスタと歩いて通過した。
 目すら合わせない。ふわりと、彼女特有の甘い香りが神道陽太の鼻をくすぐった。

「あれれ、無視かい? ……ああ、なるほど」

 神道陽太は伊藤月子の狙いに気づいた。
 伊藤月子が目指しているのは、扉。神道陽太の後ろにあった、外へと通じる扉だった。
 塔の主のことは諦め、さっさと脱出する気だったのだ。

「考えは悪くないよ」

 茶化すような言葉も無視。伊藤月子は扉に手を置く。
 ノブはない。押すしかない。

 けれど開かなかった。

「なんで!」

 怒りに任せ念動力をぶつける。が、開くことはおろか傷一つついていない。
 頑丈とかそんなレベルではない、特殊な力で守られているようだった。

「月子。その扉はね、開く方法が2つしかないんだ」

 ぷかぷかと浮かぶ神道陽太は、伊藤月子の背中に向かって指を1本立てる。

「まず1つ目。“塔の所有者が許可する”こと。これはアレだね、僕が『扉よ開け』と強く願えばいいんだ」

 ここでようやく伊藤月子は振り返る。
 おそらく1つ目の条件に対してだろう、半ば諦めているような様子だった。

「ふふふ、察しがいいね。そうそう、もちろん僕は許可なんてしないさ。
 そこで2つ目。こっちは簡単、おすすめだよ」

 2本目の指を立てる。神道陽太は満面の笑みを浮かべる。

「“塔の所有者が死ぬ”こと。“塔の所有者を殺す”こと、と言い換えればいいかな」

 ぐらり。

 念動力が乱れたのか、神道陽太は大きく揺さぶられた。
 最初こそジタバタとしていた神道陽太だが、今では悠然とした態度で立っている。それとは正反対に、伊藤月子は今にも倒れてしまいそうなほど、ぐら、ぐらとふらついている。

「何を動揺しているんだい? 月子、キミならそれが可能だよ。
 以前のように天井に叩きつけたらいい。今の僕はちょっと頑丈だから時間かかるかもしれないけど。
 ……僕のおすすめはここ。ここを狙うんだ」

 追い討ちをかけるように、神道陽太はあごを上げトントンと首を叩いてみせた。

「ギロチンみたいに斬り飛ばしちゃえよ。痛みは一瞬、僕も楽でいいし。
 グルグルねじるのもアリかな。これは痛くて嫌だけど……
 ああそうだ、バニーのように顔を消し飛ばすのもアリだよ」

 伊藤月子の身体の震えは止まっていた。

「ほら、月子。どうするんだい?」

 ようやく気づいたのだ。

「キミは、どんな方法で、僕を殺すんだ?」

 大好きな恋人がイカれている。

 その事実を知ったことで、伊藤月子は落ち着きを取り戻していた。
 もちろんショックは受けていたが、彼女は『なぜ』に対する答えが知りたかったのだ。
 それは最悪な答えではあったけれど、ようやく心の引っかかりを取り除くことができた。


 ミシッ


「ぐっ……!」

 そこからの、伊藤月子の行動は早かった。
 念動力を神道陽太の首に集中させ、それをどんどんとすぼめていく。すると神道陽太の首はみしみしと締め上げられていった。

「なる、ほど……ウグッ、苦しいけど、悪くない……!」

 神道陽太の表情から余裕が消え、苦痛に染まっていく。
 瞳はどんどん濁り、顔色も血の気が消え、身体からは力が抜けていく。

 神道陽太に死が迫っていた。
 あとわずかに念動力が強まれば、あるいはあと数秒拘束していれば、神道陽太は確実に死亡していた

 ――はずだった。

「無理、だよ……」

 念動力が弱まっていく。首への締めつけはなくなり、神道陽太の足は床に着いた。
 げほげほと咳き込み、それが収まった神道陽太は心底不思議そうに伊藤月子に見つめた。

「できない……できるはずないよ……!」

 伊藤月子は叫ぶ。握った手は爪が食い込み、噛み締めた唇は歯が押し潰し、それぞれから血がにじみ始める。

 超能力者である以上、普通の日常では考えられないような外敵の存在も考えたことがあった。もし身に危険が及んだとき、迷うことなく排除しようと思っていた。
 全盛期の半分にも及ばないが、それでもすでに人類中トップクラスの強さを保持している伊藤月子。そんな超能力者は、邪悪なモンスターや他のどんな人間を殺すことできても、恋人だけは殺すことができなかった。

「ゲホッ……なんだ、終わりかい? もうちょっとだったのに……『伊藤月子、浮け』」
「ひゃ……ひゃあああっ!」

 突然の浮遊に驚く伊藤月子。身体と共に、ぶわぶわと煽られるように服もなびく。
 超能力を使えば浮くことなんて容易いことが、他力で浮かされたのは初めてだった。自分の意思でコントロールができないため、勝手がわからずジタバタとしてしまう。

「なっ、なになになに!?」
「ん? どうやら“命令”のことは覚えてないのかな? だったら都合が……月子、白レースのパンツが見えてる」

 気づけばスカートは大きくめくれ上がっていて、小さなリボンであしらわれたレースの下着が丸見えになっていた。
 顔を真っ赤にして抑える伊藤月子。神道陽太は逸らしていた目の向け先を戻した。

 神道陽太は次の手を考える。超能力者を目の前にしては悠長とした様子だったが、どうせ伊藤月子は抵抗できないことを確信していたからだ。

 踏み潰してやろうか。それではバニーのときと同じでワンパターンすぎる。
 モンスターを召還して嬲り殺してみせようか。自分以外に触れさせたくないので却下。

 そうして神道陽太は思いついた。次の“手”を。

「こんな“命令”できるのかな……ちょっと怖いな」

 右腕を突き出し、言った。



 伊藤月子が『非現実』と感じることはそう滅多にない。
 自らが超能力などという『非現実』を帯びているため、大概の事象は許容できていた。この塔やモンスターたちの存在、そして死亡時の巻き戻る現象も、どれもまだ『現実』の範囲内と思っていた。
 神道陽太に裏切られたこと、これは『非現実』であり、夢であってほしかった。

 が、紛れもない現実の『非現実』が、目の前で発生していた。

「『僕の右腕を触手にしろ』」

 神道陽太の右腕が糸状に裂け、表面がぼこぼこと沸騰するように蠢き、1本1本がミミズのような触手となったのだ!

「……さすがにキツいなぁ。自分の腕が化け物になると……」

 ショッキングな光景なのか、それとも肉体的な負担があるのか、苦々しく顔を歪める神道陽太。しかし触手はせわしなくウゾウゾと動いていた。

「なに……なんなの、これ……」
「僕もびっくりだよ。でも、これはすごいな……こんなに生えているのに、すべて意のままに動く。
 このネバネバの粘液はなんだろう。汗でもないし……カウパー腺液かな?」

 触れるか触れないか、ぎりぎりのところまで触手が伊藤月子に迫る。
 触手の発する熱気があまりに高く、まるで肌が焼かれるようだった。

「さあ月子。やるなら今だ。もうこのあとにチャンスはないよ?」
「…………っ」

 神道陽太からは悪意しか伝わってこない。それでも伊藤月子は少しも抵抗しようとしなかった。
 そんな様子に、神道陽太はとうとう呆れてしまった。

「ほんと、意地っ張りだね」


 ガパリッ


「きゃあああああああっ!」

 触手は円状に大きく広がり、全身を包み込むように伊藤月子を襲いかかる。

「アアアアッ、あつ、熱いっ! ア、アあああ!」
「すごい、すごいな……! 無数の指で月子の身体を味わっているようだ。はは、ハハハッ!」

 溢れんばかりに粘液を分泌し、それを伊藤月子の身体に塗り込んでいく。
 服を溶かすわけでもなく、催淫効果があるわけでもない。単なるローションでしかなかったが、伊藤月子の全身を隈なく舐め回すには十分すぎた。

 自分の体温以上の熱を帯びた触手が身体中を包み込んでいる。溶けるどころか燃やされる、そんな錯覚さえ覚えてしまう。伊藤月子の意識は途絶える寸前だった、のだが。

「『伊藤月子、まだ死ぬな』。ここからがお楽しみなんだから」

 強制的に意識を戻された伊藤月子の顔の前に、数本の触手がちらついていた。
 それらの先端は、ふらふらとしながらも一点を狙っているようだった。
 伊藤月子の口。そしてその先の体内。伊藤月子は本能的な危機感でそれに気づき顔を背けようとしたが、いつの間にか後ろに回りこんでいた触手に押さえられ、顔を固定させられてしまった。

 ぐちゅり、ぐちゅりと粘液を撒き散らしながら伊藤月子の口を乱暴に撫でる触手。必死に歯を食いしばって抵抗するが、触手の力はすさまじく、ジリジリと開かれていく。

(やだ、ぜったい、それだけは……!)

 パニックと疲労で超能力を使うほど集中することもできない。そして口の抵抗も限界に近い。
 そのときが来た。


 ガボッ!


「ンーーーーーーーー!!!!!」

 わずかに開いた隙間から、触手は滑るように口内を進み。食道を通り、あっという間に胃へ到達した。
 あまりに異物感に伊藤月子は大きく目を開いた。苦しい、痛い、死んでしまう。もはや生きているのが不思議なほどに伊藤月子は満身創痍であったが、“命令”によって意識ははっきりとしていた。

「ああぁ、温かい……いつもは別のところを口でしてもらってるけど、さすがに胃までってのは初めてだね。
 胃液でピリピリするけど、それがくすぐったくて気持ちいいなぁ」
(やめっ、苦しい、ぐるじい!!!)
「テレパシー、漏れてるよ。痛いぐらいに聞こえてくる。
 大丈夫だよ、“命令”でぎりぎり死なないぐらいには生きれるからさ」

 神道陽太は胃の内部をグリグリと押し広げる。伊藤月子の腹はボコボコと膨れ、触手の位置、動きが鮮明に見て取ることができた。

「そうそう、小さいころさ」

 脈絡もなく、神道陽太は話しを始めた。

「僕は砂場で遊ぶのが好きでねー。大きな山を作って、向かい側からトンネルを掘るんだ」

 伊藤月子の下半身、自分でもあまり触れたことのないところに、一際太い触手があてがわれる。
 何を言おうとして、何をしようとしているのか、伊藤月子はわかってしまった。

「掘って、掘って、進んでいくとトンネルは開通。そこから自分の手と手で握手するのがすっごく好きでさ」
(やだ……やだ、やだやだやだ!)
「やりたいなー、握手。月子、やらせてよ」


 ブツンッ

46, 45

  



(―――――――――!!!!!!!)

 肛門から侵入した触手は、直腸などの器官を強引に突破し、排泄物を押し退け、あっという間に触手でいっぱいの胃へ到着した。

(いだ! アアッあ!! ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛っ!!!)
「ううう、ちょっと“声”大きすぎるよ。ここからなんだから。握手はさ」

 すでに限界近く詰められている腹部は、まるで身篭っているほどに膨らんでいた。
 その中を、身体中の臓器をぐちゃぐちゃにするかのように触手同士が絡まっていく。

(ガ、ゴガッ、アガガガガガガガ――――――あっ)

 伊藤月子は、身体の中で何かが割れ、爆発したような感覚を覚えた。
 胃が触手の圧迫に耐え切れなくなり破裂したのだ。

「あはは、握手握手……ん?」

 神道陽太が気づいたときには、伊藤月子は事切れていた。

「“命令”の効果が切れた……? いや、違う……
 さすがにやり過ぎたか。許容オーバーと言ったところかな」


 ぶちんっ

 ミシッ

 ブシュウッ


 ばきんっ
 ベキベキベキベキボキボキ、グシャッ


 体内を暴れ、何本も体内から外へ突き出たのち、身体を包んでいた触手をタオルを絞るようにひねって伊藤月子を粉砕した。

「楽しかったけど、思っていたよりも力加減が難しいなぁ。触手はもうやめておこう。
 さて、次はどうしよっかな」



【ゲームオーバー】
48, 47

  

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*                                      *
*   僕の塔                                *
*                                      *
*     最後に待ち受ける者(3回目)                   *
*                                      *
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 あらゆる超能力を使用できる登場人物、伊藤月子。
 シナリオライターに“命令”ができるストーリーテラー、神道陽太。

 仮に、お互いが殺意を持って敵対した場合、どちらに軍配が上がるのか――それは考えるに容易い。

 ほぼ間違いなく、伊藤月子の勝利である。

 神道陽太が勝利するには、伊藤月子に気づかれずに接近し、不意打ちで“命令”しなければならない。そう、チャンスはこの一点にしか存在しない。その好機を逃してしまうと、たちまち神道陽太に勝ち目はなくなってしまう。
 接近戦はまず無謀である。神道陽太は一言も発せずに念動力で八つ裂きとなる。そもそも、透視や遠視が可能な超能力者には接近することさえ不可能である。
 しかも伊藤月子は並外れた超能力者である。ほんの少し意識を向けるだけで遠く離れた神道陽太の首を斬り飛ばせてしまう。それは鍵のかかっていないドアを開けるぐらいに簡単なことだった。

 しかしこれは仮定である。最初に述べた通り、お互いが敵意を持って対峙した場合の話しである。

「うう……ああぁ……」

 伊藤月子は、階段を降りてすぐのところで泣き崩れていた。
 二度も神道陽太に殺されているにもかかわらず、彼女の心は人のまま。鬼になることができなかった。

「ああア……うわぁぁぁぁぁぁんっ」

 殺せない。彼女は彼を殺すことができなかった。
 許せない気持ちは当然ある。憎いし、恨めしい、そして悲しい。だが恋人であることには違いない。

 もう、伊藤月子は動けなかった。
 殺せない。
 塔から脱出することができない。

 伊藤月子は詰んでいた。
 誰がどう見ても、また彼女自身もそう思っていた。

 その声が聞こえるまでは。

“――月子”

 頭の中に響いた。
 この感覚はテレパシー。気づかないうちにテレパシーを使用していたようで、誰かの声が頭の中に響いていた。

“月子、返事をして、月子……!”
“誰……? 聞こえてるよ、誰なの?”

 伊藤月子も自分の“声”を発信し、相手に呼びかける。

“やっと気づいてくれた……良かった、本当に良かった……”

 テレパシーによる会話。距離が離れているのかノイズが走って聞き取りづらいところもあったが、それでも会話に支障はなさそうだった。

“ああ、可哀想に……つらかっただろうね……ごめん。月子は何も悪くない……”
“私のことよりも、あなたは? あなたはいったい、誰?”

 聞き覚えのある声。けれど、どうやっても思い出せない。温かくて優しいその声は、ずいぶん前に聞いたような気がした。

 その相手は答えた。



“ボクだよ。ほら……一番最初にお話しをした、塔の主だよ”
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*                                      *
*   僕の塔                                *
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*     最後に待ち受ける者(3回目)                   *
*                                      *
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 次はどんなことをして遊ぼうか。神道陽太は胸を弾ませながら伊藤月子を待っていた。

 先ほどは少々遊び過ぎてしまった。
 力加減が難しいということもあったが、あれほどあっけなく死ぬとは思ってもいなかった。
 今度は丁重に可愛がってあげよう。

 子供がおもちゃを壊してしまった、神道陽太はそんな程度の価値観しか持っていない。悪びれもしなければ高揚もしない、それはまさに邪悪そのものだった。

 そんな神道陽太の前に、伊藤月子はやってきた。

「やあ月子。今回はどんなことして遊ぶ?」

 神道陽太は楽しげに出迎える。伊藤月子は何も答えない。

「さっきの触手はどうだった? ちょっとやり過ぎだったかもしれないね。
 だから、今回はスライムなんてどうかな? 僕がスライムに変化して、月子の中を犯すんだ。血液の代わりに身体中を巡って、そうして1つになるんだ。
 今までは外からの交わりだったけど、本当の意味で1つになれるんだ。ロマンティックだと思わないかい?」

 もともと返事をされることになんて期待していない。神道陽太は挑発にも似た提案をけらけらと軽い口調で聞かせるが、伊藤月子はまるで動じていない様子だった。
 当然、神道陽太も伊藤月子の様子からそれに気づく。すでに2回、心をへし折ってやったのだ。なのに、なぜ、こうも平常心でいるのか!

 冷静になられると立場が逆転してしまう。純粋な戦闘では勝ち目がない、“命令”の前に拘束するぐらいのこと、この超能力者なら容易いことなのだ。

「月子、何か言ってよ」

 内心冷や汗をかきながら神道陽太は問いかける。些細なミスも許されない、隙を見つけてそこにつけいるしかない。
 しかし伊藤月子は答えない。そんな様子に、神道陽太はしびれを切らした。

「どうしたんだい? つ――」

 言いかけたところで神道陽太の口は閉じた。勢い良く閉じたためか、歯が歯がぶつかりカチンと鳴った。

 口を閉じた? いや、そうではない。

 口が、動かない。

 手でこじ開けようとしても、不可視の力で顎が押さえつけられ、まるで開きそうになかった。
 それが念動力ということにはすぐ気づいた。

 けれど、なぜ。

 なぜ、自分も塔の主に使ったような方法を知っているのか。

(お、おいおい月子……これはどういう)
「――“命令”」

 伊藤月子の言葉に、神道陽太は顔から笑みが消えた。それどころか、目を開き、汗が吹き出て驚いた様子だった。

「“命令”は対象を意のままに操ることができる。それはどんなことであっても」
(なんで……?)
「相手が登場人物である限り、“命令”は絶対。
 でも、防ぐ方法は簡単。“命令”させなければいい。だから、口を塞ぐだけでいい。
 そう、『ボク』がされたように」
(まさか……!?)

 伊藤月子が言った一人称。それを使う人間はたった1人しか知らない。

「うん、そのまさか。あの子からテレパシーで聞いた。効果も、条件も、防ぎ方も」

 伊藤月子は神道陽太がきまぐれで復活させた塔の主と、テレパシーで意思疎通を行なっていた。そして塔の主は自分の能力でもある“命令”のすべてを話したのだ。

 能力の全容が知られ、封じられた。その時点で神道陽太の勝機はなくなっていた。“命令”が使用できないとなると、一般人と変わらないからだ。
 もし伊藤月子がごく普通の人間であれば、力でねじ伏せることはできただろう。しかし相手は人類最強の超能力者である。触れることはおろか、近づくことさえ不可能だ。

(……これは、参ったな)

 わざとらしく困った様子を見せるが、伊藤月子が超能力を解くような気配は見られなかった。

 肩をすくめる神道陽太。だが、彼にとってみればこれはまだ予想された展開であった。巻き戻りを繰り返すうちに“命令”に気づき、なにかしらの対処をしてくるだろう――楽観的にそう考えていた。
 まさか塔の主からテレパシーで助言されるとは思ってもいなかったが、特別何か変わるわけでもない。予定が早まっただけに過ぎないのだ。

(で……次はどうするの? たしかに、ここまでは悪くない攻略法だと思う。でも、ここからどうやって塔から脱出するのかな?
 まさか、2つの条件を忘れたわけじゃないだろうね)

 結局、伊藤月子にとって事態は何も好転していない。神道陽太が“命令”を使えなくなっただけで、この塔から脱出できるわけではないからだ。

「忘れてないよ。私は、もう決めている」
(ふうん……じゃあ、僕のことを)
「殺さない」

 そのはっきりとした声に、神道陽太は言葉を失ってしまう。
 威嚇やひっかけなどではない、たしかな自信を持ち、勝機を見出している。それなのに、まるで見当がつかない。

(殺さないだって……? じゃあ、どうするっていうの? ……脱出は諦めたのかな?)
「諦めてないよ。むしろ、ちゃんと脱出するために殺さないの」
(わけがわからない……月子、キミはいったい何を考えている?)

 神道陽太は苛立ちを隠せない。同時に恐怖を抱いていることに、彼は気づかなかった。
 そんな恋人に、伊藤月子のとても優しい表情を向けていた。“前回”のときのように心から慕っている、そんな様子だった。

「良かった。やっと、陽くんらしくなった。
 やっぱり、私はちょっとしたことでムキになる陽くんのこと、大好きだよ」
(月子……)
「私ね、陽くんにお願いしたいことがあるの」





「時間を巻き戻して」





(それは……)

 忘れるはずがない。
 すべてをリセットするために、かつて自分が行った方法。それを目の前の恋人が口にした。

(……もしかして、思い出した?)
「思い出す? これも聞いただけだよ」
(ああ……そうだった、最初に言ったっけな……まったく余計なこと言うんじゃなかった)

 少し前――伊藤月子がこのフロアに来る前のことを思い出す。バニーの一件で苛立ちはあったものの、とんだ失言だった。

「私ね、もう一度最初からやり直したい、私はあの子と向き合いたいの。
 あと……陽くんには一切介入してほしくない」

 申し訳さなそうな様子の伊藤月子に、神道陽太はつくづく感心してしまった。
 たしかにこの方法なら誰も血を流さない、そして塔から脱出できる可能性はある。皮肉にも自分が行った手段と同じ方法である。

 ――のだが。

(それって、結局僕の意思一つじゃないの?
 つまりそれは、僕が扉が開くことを許可することと同じじゃない?)
「そう、だね……」
(例えば、僕が巻き戻しをすると言いつつも、いざ“命令”のときにまったく違うことを言ったらどうする?)
「……うん、どうしようもない。私は陽くんに『お願い』するしかない」
(その通りだ。このプラン、いまいち決め手に欠けていたね)

 伊藤月子は首を振る。

「だから、もし陽くんが変なことしたら、そのとき、私は死ぬ」

 彼女は欠けていた決め手を言った。

「私が死ねば、とりあえずこのフロアの最初からやり直せる。
 記憶も残っているから、何度だって同じことを繰り返せる。それに、あの子も覚えているみたいだし……
 でもね。
 こうして『お願い』をするのは今回だけ。
 次からはもう容赦しない。『脅迫』、する。
 でも私は、大好きな陽くんに『脅迫』なんてしたくない。
 だからお願い……」

 神道陽太は不可視な力が働かなくなったことに気づいた。口を押さえつけていた力がなくなっている。
 口はちゃんと動く。発声、そして“命令”ができそうだ。

(ふぅん……月子、僕は時間なんて巻き戻さないよ?)

 そう『言って』みたが、伊藤月子はまるで祈るように、すがるようにじっと目を閉じていた。
 どうやらテレパシーは使われていないらしい。

 完全に委ねられているようだ。

(なるほど、ここが僕の選択肢ってところか)



(時間の巻き戻しを要求されるというのは、さすがに予想外だったなぁ。あいつを生かしていたんだ、それぐらいのことは想定しておくべきだった。うん、これは反省。
 たしかに、最初からやり直して僕が介入しなければ、今と違ったストーリーは確実に送れる。これは間違いない。
 でも月子、次回も僕が介入しないなんていう保証、ないんだよ? 2回ヘマを打つほど僕はバカじゃない、そうなるともうチャンスはないよ?
 それに“命令”を甘く見すぎている。おそらく塔の主に条件を聞いたんだろう、だからこそ口を塞いだ。うん、間違いじゃない。
 でもそれは、塔の主の“命令”にしか有効じゃない。
 僕の“命令”は発声しなくてもできる。
 神様への“命令”なんだ、心の中で呼びかけるだけでいい。次の瞬間にも首を跳ね飛ばすことはできるんだ。まあ、これはあいつも知らないから無理もないね。
 そこらへんを考えると、本当に優位なのはどっちだろうね)



(けど、手持ちのカードでここまで追い詰めたのは見事としか言えないなぁ。
 もしここで僕が知らないカードを切ったとしたら、それはアンフェアだよなぁ……
 将棋をしているときに、突然チェスのクイーンを使うような……ちょっと反則ぽい感じがするよ)



(巻き戻す・巻き戻さない。
 従う・従わない。
 選択肢的にはこんなところかな。さて、どうしようかな……なんてね、もう答えは決まっている)



「月子」



「わかった、時間を巻き戻すよ」



(今だってテレパシーを使われていたら負けていたんだ。なのにそれをひっくり返して僕の勝ち、なんてプライドが許さない。
 ひとまずここは引くとするよ。でも、次回があれば、そのときは容赦しないからね)

「もし良ければだけど、今からでも扉、開けてあげようか?」
「ううん、開けなくてもいいよ」
「だろうね。じゃあ、巻き戻すよ」
「……ありがとう」

 伊藤月子が浮かべた笑顔は、神道陽太が好きな表情だった。そしてそれは、塔の主も好きな笑顔でもあった。

 このとき、神道陽太は心から笑った。悪意のない、純粋な笑顔を伊藤月子に向けた。

 神道陽太は“命令”する。



「『強くてニューゲーム』」

50, 49

  


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*                                      *
*   ボクの塔                               *
*                                      *
*     難易度:EASY                         *
*                                      *
*     プレイヤー:伊藤月子(超能力者)                 *
*                                      *
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52, 51

  

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*                                      *
*   ボクの塔                               *
*                                      *
*     最上階の暖かい部屋                        *
*                                      *
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「んっ……ふぁぁ、ふあああっ」

 大きなベッドに埋まるように眠っていた伊藤月子は、大きく、甘ったるい声のあくびをして目を覚ました。
 シルクのパジャマ、パリっと糊のきいたシーツにふかふかの毛布。どれもが心地良く、いつまでも眠っていたいとさえ思ってしまう。

 この光景には見覚えがあった。
 あの部屋だ。ここは塔の一番上にある部屋。探索はここから始まったのだ。

 けれど1つだけ違う。
 声が聞こえない。
 あの子の“声”が聞こえなかった。

 伊藤月子は遠視を使い、1階のフロアに観た。
 前のときと比べ、疲労感は少しもない。

(陽くん……残してくれてたんだ、記憶と、体力を……)

 最後の“命令”の意味がわかり、伊藤月子はじわりと感動してしまう。

 遠視で隅から隅までフロアを探し、ようやく部屋を見つける。
 そこで眠っている女性の姿。顔を見るのは初めてだったが、この女性こそが塔の主で、助けてくれた恩人で、ずっと会いたかった相手だとわかった。

 伊藤月子はベッドから降り、宝箱に入っているワンピースに着替え、部屋から出た。

 ・
 ・
 ・
 ・
 ・

 全盛期ほどではないとはいえ、ほどほどに超能力が使用できる伊藤月子にとって、この塔はあまりに簡単だった。
 伊藤月子は一度も巻き戻ることなく、1階の塔の主が眠る部屋の前にいた。
 この部屋に来るまでの途中、出口はあった。鍵はかかっておらず、押しさえすれば簡単に開くようだったが、それでも伊藤月子はこの部屋に向かった。

 ノックをせずに扉を開く。眠っていることはわかっていた。

 ベッドの中、穏やかな寝息を立てる塔の主。
 ようやく会えた。感動のあまり、伊藤月子の手が震えてしまう。

 起こさないように近づき、そっと頭を撫でる。
 そうして塔の主の目が覚めるまで撫で続けた。

「ンッ……え……?」

 しばらくして、塔の主は目を覚ました。
 すぐそばに想いを寄せ続けた相手がいる。そのことに塔の主は驚きを隠せない。

「おはよう。気分はどう?」
「つ、月子……どうして?」
「起こしたらいけないと思って、こっそり来ちゃった。
 ……気分は、どう?」

 塔の主は言葉を詰まらせる。
 言いたいことが山ほどあったのだろう。思考が追いつかず、喉をつっかえ、口をぱくぱく動かすしかできなかった。

「ゆっくりでいいよ。落ち着いて」
「あっ……あああ……」

 その言葉に、塔の主はぼろぼろと涙をこぼした。

「ボク……すごく怖い夢を見ていた気がする……思い出せないけど……う、うう……」

 そんな塔の主を、伊藤月子は抱き締めた。

「思い出さなくていいよ……いっぱい泣いてもいいよ。落ち着くまで、ずっとこうしているからさ」

 塔の主は伊藤月子の腕の中で、泣き続けた。

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「……落ち着いた?」
「うん……ありがとう」
「ここに来るまでの間ね、たくさん休憩室あったね」
「え、ああ、うん……」
「おいしいお菓子たくさん置いててくれたね。可愛い服もたくさんあったね。ありがとう」「……! ……知ってるの?」
「もちろん。お菓子、全部おいしかった。手作りだよね? お菓子も、服も」
「うん、全部手作りだよ」
「やっぱり。すごく嬉しかったよ……たくさん服があったけど、このワンピースが一番好き。だって、初めてもらったものだから……」
「……月子」

 塔の主は伊藤月子を抱き締める。
 伊藤月子もそれを抱き返した。

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「んっ……」

 伊藤月子は目を覚ました。
 もう見慣れてしまった天井。この部屋で過ごすようになって何日経ったことだろう。
 シーツの感触を肌に通しながら、もぞもぞとベッドから抜け出す。そしてベッドの外に脱ぎ捨てられたワンピースを念動力で引き寄せ、着る。

 ベッドに戻り、塔の主の身体を揺らす。

「起きて……朝、だよ」
「……んんん、ふぁ……あ、わあああっ」

 塔の主は顔を赤くして埋まる。
 こうなってしまうとなかなか出てこない。いい加減慣れてほしい、こちらはもうとっくに見慣れたのに……伊藤月子はため息をつく。

「服、そこにあるからね」
「う、うん……」

 いつの間にこんな関係になったのだろう。気がつけば惹かれて、肌を重ねてしまっている。
 しかし後悔はなかった。恋人とは違った感情が、塔の主に対してあったのだ。

 けれど、それも今日で終わる。

 ずっと決めていた、この塔から出ていく日。それが、今日だったのだ。

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 二人の前にある扉。外へと繋がる唯一の扉が、音もなく、静かに開いた。
 太陽の光が差し込み、草原が一面に広がっている。風もとても心地よい。

「じゃあ、行くね」
「……うん」

 伊藤月子は塔の主に背中を向け、歩く。
 その背後からひしひしと、塔の主の悲しみが伝わってきた。

 あと一歩踏み出せば、脱出となる。
 その寸前で、伊藤月子は立ち止まった。

「…………」



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*                                      *
*    塔から脱出する                           *
*                                      *
*    塔から脱出しない                          *
*                                      *
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*  ―>塔から脱出する                           *
*                                      *
*    塔から脱出しない                          *
*                                      *
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54, 53

  

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*                                      *
*    塔から脱出する                           *
*                                      *
*  ―>塔から脱出しない                          *
*                                      *
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 伊藤月子は振り返った。
 そこには、今にも泣きそうな表情をした塔の主の姿。

 伊藤月子はにこりと笑う。

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*    塔から脱出する                           *
*                                      *
*    塔から脱出しない                          *
*                                      *
*  ―>                                  *
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56, 55

  

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*                                      *
*    塔から脱出する                           *
*                                      *
*    塔から脱出しない                          *
*                                      *
*  ―>塔の主といっしょに脱出する                     *
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「ほら、行こうよ」
「え……?」

 手を差し出す伊藤月子。その意味がわからず、塔の主は動けなくなってしまう。

「いっしょに出ようって言ってるの」
「何で……?」
「私が、いっしょに出たいの」

 しかし塔の主の表情は暗い。

 伊藤月子は覚えていないようだったが、塔の主は“1つ前”の――神道陽太に危害を加え、伊藤月子を洗脳していたときのことを覚えていた。
 どれだけ伊藤月子と親密な関係になろうとも、そこに申し訳なさがあったのだ。

 だが、先ほど述べたとおり伊藤月子は“1つ前”のことなんて覚えていない。そんな伊藤月子にとって大事なことは、この今、この瞬間なのだ。

「もー、ウダウダしない! ほら、ほらほらほら!」

 手をひっつかみ、さらに超能力を使ってぐいぐいと引っ張る。


 抵抗していた塔の主だが、
 その力に負けて、
 外へ、
 出た。


 二人が外に出ると、塔の扉が閉まった。

 きっと、もう開かない。伊藤月子、そして塔の主もそう感じた。

「つ、つきこぉ……」
「え、ええっ?」
「うれしぃ、うれしいよぉ……」

 あれだけ深く、重く思い悩んでいたことをあっさりと崩されたからだろう、塔の主はまるで子供のように泣きじゃくっていた。

「もう、泣かないで。ほら、行こうよ」
「うん……!」
「目的とかないけど、それでいい? まー、そのうち見つかるよね」

 二人は手を繋ぎ、歩み出す。

 そんな二人の後ろで、扉が閉じた塔は変わらず静かに佇んでいた。



【伊藤月子(超能力者)・塔の主(ストーリーテラー)――トゥルーエンド:共に脱出】
58, 57

  

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*   ボクの塔 クリア!                          *
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 おつかれさまです。
 チョコです。

 クリアおめでとうございます!
 難易度EASYはいかがでしたか? ちょっと簡単すぎたかもしれませんね。
 ですが、トゥルーエンドに到達されるとは思いませんでした。
 最後の隠し選択肢は意地悪かなと思っていたのですが、杞憂でしたね。
 この調子でドンドンクリアしていってください!



 クリア特典・トゥルーエンド特典として以下が開放されました。
 ぜひ遊んでみてくださいね。

 ◆ボクの塔クリア特典
 ・伊藤月子の職業『魔法少女』が使用可能になりました。

 ◆ボクの塔トゥルーエンド特典
 ・伊藤月子の職業『大魔王』が使用可能になりました。
59

文:ひょうたん 絵:真純 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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