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その1

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 テディリアの宇宙船が保健室へ突っ込んで丸二年が経つ。
 始まりは、何事もなく穏便に、というわけにはいかなかった。太陽系第三惑星調査船員として派遣されたテディリアは地球人と同じ顔を作り、宇宙船を認識防衛する菌を散布させ、不時着現場の地域に潜んで問題ない名前を考え出し、そして失われた保健室を補う手段を思いつけなかった。幸い真夜中で誰もいなかったからいいものの、座薬形の宇宙船はちょうど廊下に鼻先をくっつける格好で校舎に埋もれていた。どう取り繕ってもなかったことにはできそうもなかった。今から引き返せば自分の存在は地球人たちにはバレず、これはただ保健室内の化学薬品か何か(テディリアはその時にはもう、ぶっ壊れて廊下にぶちまけられた備品類の欠片からそこがどういう場所か知っていた)が超爆発を起こした原因不明の悲しい事故ということでカタがつくかもしれない。だがその時、自分に待っているのは母星での任務失敗という汚名と屈辱だった。刑罰はない。だが弱虫と蔑まれる。野蛮人の生態ひとつ調べてこれんのか貴様は、とみんなが言う。無言で、あるいははっきりと。
 それは、虫を触れず木にも登れない小学生くらい惨めなことだった。
 テディリアは考え、そしてひとつの名案を思いついた。本来ならば自分は宇宙船にステルスをかけてこの星を隈なく調査しなければならないが、大切なことは調査という主体であって、別に地球全土をいつまでに調べなければならないという期限もないことだし、なにより宇宙船にはテディリアたち以外の生命体を完全に騙しおおせる認識防衛菌があった。
 その時、テディリアは保健室の先生として生きることを決めた。



 ○


 三時間目の途中だった。
 天堂帝梨は自分の椅子に腰かけて、未成年者の喫煙と飲酒に関する本を読んでいる。一週間後までに、青京学園内での生徒たちの飲酒喫煙に関する実態と傾向、それに対する対策を書いたレポートを書かないと天堂帝梨の口座に日本銀行券が振り込まれない。別に金などなくてもいいが、定期的に数字が増えるというのは見ていて心地いいので、天堂帝梨は今日も大人しく椅子に腰かけている。ちょっと変わった点があるといえば、その椅子が生きていることくらいだ。
 天堂帝梨たちの文明でモノを作る、と言えば下等種族を配合して望みの形質を得ることを指す。椅子がほしければ安定した土台になりそうな低く這う生き物を、のろまで寝てばかりしているできれば光合成などをする半植物的な生命体と配合させる。そうして調整された生き物が、天堂帝梨たちの文明を支えている。天堂帝梨が乗ってきた宇宙船の配合にも十五世代ほどかかっているらしい。
 そういうわけでつまるところ宇宙船内は生き物の体内なのだが、空中を漂う認識防衛菌によって今、一年C組の時任はるかは自分が保健室にいると疑わず、ベッドを使うまでもないと言って細長い緑色のけむくじゃらの上に横たわっている。
「先生」
「なんだ」
「あたし死ぬのかな……」
 天堂帝梨は本から顔も上げない。
「だからあたし嫌だって言ったんだよね、ちいこちゃんにさ、だって消費期限と賞味期限は違うんだもん。テレビで言ってた。賞味期限は味が落ちるまでの期間だけど、消費期限は食べられる限界までの時間なんだって。コンビニの廃棄の弁当をちいこちゃんはいつも食べてるから平気なんだろうけど、でも絶対ちいこちゃんって胃が常人じゃないもん。そんなの、あたしまで付き合ってたら、あたしおなか絶対もたない」
「そうだな」
「だからね、先生、今度ちいこちゃんに会ったらさあ、言っておいてよ。ちいこちゃんあたしのこと馬鹿だと思ってるから、何言っても聞いてくれないもん」
 問題は、消費期限が過ぎていたということよりも、おにぎりを丸呑みできるかどうかを十五にもなって確かめようと言い出したこいつらのシナプスの連結具合にある、と天堂帝梨は思うが口には出さない。飲む方も飲む方だがいざとなったら吐けばいいと言ってのけた千代崎も相当イカれている。酒じゃあるまいに。
 当初の調べでは、地球人というのはもっと賢い生き物のはずだった。少なくとも月面に旗を突き刺すぐらいには重力に喧嘩を売っている。しかし今ここで緑色のけむくじゃらに横たわっているのは、文明人というよりも、ただの柔らかくていい匂いのする生き物だ。
「なにか飲むか?」
「余はグレープフルーツを所望するぞよ」
 余ってなんだよ。
 天堂帝梨は赤いけむくじゃらから立ち上がって、壁にべったり寄生した生き物に近づいた。空のコップをその口とも筒とも言えない場所へかざしてぼこっと殴るとドボドボと液体がコップに注がれた。
 もちろんグレープフルーツではない。
 表向きは、「生徒たちの純粋な欲求を親身に検討する」姿勢を示すために青京学園が設置したドリンクバーだったのだが、天堂帝梨一味の魔の手によってその中身も性質も大幅に捻じ曲げられてしまった。この生き物から出て来る液体のレパートリーは天堂帝梨も正確には把握していないが、いまその手にあるのはただの眠り水だ。
 起き上がったはるかにグラスを突き出して、
「飲め」
「ありがとーてんてー」
「ちゃんと先生と呼べ。そんなだから馬鹿扱いされるんだ」
「みんな言ってるもん、てんてーって」
 はるかは目を逸らしながら両手でグラスを傾けた。
「ぐぬぬ……小賢しいやつらめ」
 天堂帝梨。
 略して天帝。
 しかし青学の生徒はみんなその発音に畏怖や尊敬よりも先にからかいの情を込めてくる。何度注意してもてんてーてんてーと三歳児のように繰り返す。天堂帝梨はその度に故郷にいた時には味わったこともないような激情に駆られる。
 突然、はるかの首がかくんと落ちる。
「あ……れ……?」
「どうしたおねむか。十五にもなってお昼寝か。いいご身分だな。私はまだ糞つまらん仕事が糞たくさんあるというのにな」
「お昼寝じゃないもん……」と言っている傍からコテンと毛むくじゃらに倒れ伏す。天堂帝梨ははるかのデコを二、三発指で弾いて(う、うぅん……?)、確かに眠ったことを確認すると、変幻自在の指を伸ばしてはるかの身体をベッド型けむくじゃらに移した。触手と化した指でご丁寧にかけ布団までかけてやる。
 カーテンを閉めて、また瞬きひとつしない読書に戻る。



 ○



 最近の子どもは賢い、と学年主任は言う。なぜなら彼らはイジメをしない。それが自分のメリットにならないことをちゃんと知っているからだ。人を小突くぐらいなら男女混ざってカラオケにでも行った方がよほど賢明だし、いつ正義のガサを食うとも知れないカツアゲなどをするくらいなら社会経験を積むためにも大人しくバイトをしていた方がよっぽど有意義で新たな出会いもある。
 そう、彼らはきちんと知っている。何が得で何が損かを。紙切れと一万円札の違いを。羽目を外すことと道を踏み外すことの違いを。
 だから、ちゃんと知っている。
 別に助けられたわけでもなし、弱いものを助ける義理も債務も、自分たちにはハナからないのだと。
 イジメはしない。
 その代わり、無関心だ。



 三神拳治は差し出されたプリントを見つめながら、いま突然おれがこいつを破いたら、坂崎はどんな顔をするのかな、と思った。が、もちろんそんなことをして学級委員長を泣かせるわけにもいかずに、大人しくそれを受け取る。毎日のことだし、いまさら苦にしても仕方ないとは思うのだが、どうしても胸に淀んだ苛立ちの火が残る。
 なんでおれが。
「それじゃ、お願いね。ごめんね、手間かけさせちゃって」
 と坂崎は片手拝みに謝って来る。黒髪ロングの眼鏡っ子にしては明るい子だ。
「いいよ」三神は笑顔を作ってプリントの束をひらひら振ってみせる。
「おれが一番、家近いし坂崎が悪いわけでもないっしょ。ま、届けても無駄だとは思うけどさ」
「そんなこと言っちゃ駄目だってば。宙木くんだって一応うちのクラスなんだし」
 一応ね。
「でも紙も無駄だろ。入学して一ヶ月ちょい丸々来てないんだぜ? なんのために受験したのかって話じゃん?」
「うーん……まあ、人それぞれいろいろあるしね。頑張ろうって思ったのはいいものの、いざ家出ようとしたらへなへなってなるのかもよ? あたしも覚えあるもん。体育の日とかみんな死んで休校になればいいんだよ」
「坂崎さん本音漏れてます」
 あ、しまった、と坂崎はへらへら笑って、
「ま、そういうことだからよろしくね」
「あいよ」
「それじゃ、あたし部活だから」
 坂崎は教室を出かけて、教卓に尻を預けている三神を振り返る。
「三神くんってさ」
「うん?」
「見た目ほど怖くないよね」
 三神が瞬きしている間に、坂崎はもういなくなっていて、強く閉められた拍子にバウンドして戻った引き戸が居心地悪そうに揺れていた。三神は誰もいなくなった教室の中で腕を組み、思った。
 坂崎か。
 好みじゃないけど、まあつまみ食いならしてやらなくもない。
 どういうわけか、三神はとにかく女にモテる。自分ではそれほど女好きだとは思っていないし(嫌いでもないが)、服装だって兄貴の真似をしてチャラチャラさせているだけだが、どうもその気取らなさがウケているらしい。女ってたいへんだなあと三神は思う。自分が女だったら、絶対自分なんか鼻にも引っ掛けたりはしない。
 が、それでも三神は女の鼻に引っかかりまくる。
 振り返ると、いつの間に来ていたのか、右飼と左池がにこにこしながら立っていた。窓が開いているので外の犬走りから入ってきたのだろう。
「おまえら、窓は使うなって言ってんだろ。パンツ見えるぞ」
「拳しかいないからいいのー」と右飼がウェーブした髪をいじながら言う。
「………………………………」と左池はいつものように何も言わない。
 三神はため息をつきながらも、口の端が緩んでいる。放課後に女の子二人が自分を探しに来てくれて喜ばない野郎はいない。三人で教室を出る。
「拳、今日部活は?」と右飼が三神の右腕を取りながら言う。部活があるのか、という意味ではなく部活にいくのか、という意味だ。
「いかねーよ。顧問来ない日はいってもやってねーもんうちの部活」
 左池が無言で三神の左手を握る。
「へええ、空手って結構シビアなイメージあったけどなあ。なんか残念」
「競技はシビアでも先輩があれじゃな。あいつらチェインスモーカー過ぎて胴着に着替えただけで息切れしてるし」
「うわあ、やだやだ、そういうのがあるからなあ煙草。だめだめ絶対」
 そういう右飼は髪を赤に染めてアイシャドウを何かの呪術かと思うほど塗りたくっている。ピアスは両耳に二対ずつ。放課後は三神が贈った指輪を左手の薬指にはめる。それは三神が買ったことになっているが、本当は兄貴が失恋した際に部屋の隅に投げ捨てたものを再利用したものだったりする。
「拳は煙草やんないでよね。あれ服臭くなるから絶ッ対イヤ。運動能力も落ちるし歯も黄色くなるしいいことないよ」
「あいよ」
 たかがそれぐらいで柔らかいクッションが手に入るならお安い御用だ。
 その時、左手をぐいぐい引っ張られた。
「なんだよ左池」
「…………」
 左池は無口な子だ。背丈は長身の三神の三分の二しかない。こざっぱりとしたショートのおかっぱ頭は地味なように見えるが、自分で切っているので実は努力の結晶だったりする。これでも実は繁華街にシキを持つ新進気鋭のやくざ者の令嬢で、正直三神は穏便に左池とはとっとと縁切りしたいと思っているのだが、もちろんそんなことはおくびにも出さない。
「どうした。おれが右飼とばっか喋ってるから妬いてんのか? そうだろうそうだろう」
「ばあか拳! さっちゃんはそんな薄汚い心根をした子じゃないんだからね」
 ばしばし背中を叩かれながら、わかったわかったと右飼をなだめすかし(すまん失言だったおれが悪うござんした!)黙りこくったままの左池を振り返る。
 左池は三神の右腕を指差していた。正しくは、指先を。
「ああ、これ。例のやつ」
 プリントを振る。
 父兄あての体育祭のお知らせやら月刊の学級通信やら提出しないと補修を喰らう数学のプリントやらなにやらが一週間分。どうせ学校に来ない人間には無用の長物だ。
 宙木雲雀。
 歌手みたいな名前だが本名だ。男。一年C組出席番号十二番。
 誰も顔を見たことがないクラスメイト。当たり前だ、こいつは入学式にさえ来ていない。何があったのか知らないが、金食い虫もいいところだ。
 本来ならば歯牙にもかけてやらない。
 だが、困ったことに、宙木の家から一番近いのが三神の家なのだった。
 まさかこの太平の時代に引きこもりにプリントを持っていくのはイヤですとも言えない。デメリットしかない。イメージはナマモノであって、金では決して取り返しがつかない。品位は金で買えないというのは真実だ。だから、三神は持って行きたくもないプリントを持って通り過ぎたくもない自宅を過ぎて毎日三百メートル歩いて宙木の家の郵便ポストに紙束と貴重な時間を突っ込んでいる。
 右飼も左池もたまにそれぞれ部活へ顔を出しているので(右飼は手芸部、左池はオカルト研究会)、プリントを持って一緒に下校するのはこれが初めてだった。といっても、この二人と付き合い始めたのがそもそも二週間前で、何をしてもだいたい初めてということになるのだが。
「届けるの?」
 問う左池の目が奇妙に澄んでいて、ふいに三神は逆らいたくなった。
「いや?」
 二人の手をそっと振り払って、プリントを束ね、
 一気に引き裂いた。脇で二人が息を呑んでいる。だからどうしたというのだろう。ずっとこうしてやりたかった。別にこれはイジメでもなんでもない。だって本人はこの場におらず、三神は二ヶ月間プリントを届け続け、そして宙木は学校に来ない。どうせ三神が面倒迷惑この上ないと思いながらも届けた紙きれなんぞはそのままゴミ箱へ直行しているに違いなく、それなら今ここで三神が引き裂いてしまってもなんの問題もない。
 唯一、問題があったとすれば、その現場を天堂帝梨がばっちり目撃していたというその一点に尽きる。
 おまえら何してる。


 ○


 昼休みになって時任はるかが回復し、戦犯の千代崎が迎えに来て、そこから先の記憶が天堂帝梨にはない。眠ってしまったらしい。人間を調査するために、肉体の代謝や欲求を平均的な二十代初めの女性に設定しているためか、とにかく腹が空くしいつも眠いし服から露出した部分が寒くて寒くて仕方ない。
 目が覚めた時にはもう放課後で、いつの時代も元気に白球を打ち上げている野球部のドラ声とブラスバンド部の下手なんだか上手いんだかさっぱりの練習がBGMになっていた。天堂帝梨は一発伸びをかまして首をコキコキ、手元にあった未成年の飲酒と喫煙の実録本を机に叩きつけて今日の仕事は終わったことにした。目標していたページ数の半分にも満たないが、天堂帝梨は知っている。この野蛮な星の学生でさえも、宿題の制覇や日記の捏造を一日そこらでやってしまえることを。天堂帝梨はそれを『夏のちから』と呼んでいる。いまはまだ梅雨前で夏まではまだまだ遠いが、星の銀河を股にかけてやってきた種族としてはたかが未開人のガキに遅れを取るわけにはいかない。だから運命の一日前がやってくるまで天堂帝梨はずっとずっと放課後なのだ!
 ひとしきり言い訳を終えて、ふらっと校内でも彷徨おうと宇宙船の口から出たところで、その光景に出くわした。
 天堂帝梨は地球人ではない。
 それでも、そのオスが倒錯的な残虐性を瞳に宿していることはわかった。
 場合によっては殺さざるを得ないかもしれない、と思った。
 種族のマイナスになる亜種が生まれているなら、間引いてやるのが宇宙種の勤めというもの。どうせ放っておいたって死ぬのだ。毒にしかならないなら殺してやった方がいい。そう思っていても、天堂帝梨の指はなぜか動かず、そのオスが手に持った紙を二人のメスの前で引き裂くのを黙って見終えてから、声をかけた。
「おまえら何してる」
 びくっと肩を震わせたのは茶髪のメスの方だった。テディリアに戻っていた目が天堂帝梨の物に戻り、それが一年B組の右飼結花だということに気づく。別に何もしていないはずなのにびくついている。対してもう一人の女子、左池羽葉希は氷のような目でまっすぐに天堂帝梨を見返してくる。こいつの方がよほど宇宙人みたいだ、と内心で毒づいて天堂帝梨は気合を入れなおす。三対一でもびびったりするものか。
「おまえ」憮然としたオスを顎でしゃくり、
「1Cの三神だな。なんでプリントなんか破ってる?」
「べつに」三神はにへらっと笑って、
「ちょっと嫌な気分になったもんで。ほら、よくあるでしょ? 魔が差すっていうか。なんかイケないことしてみたいなー? みたいな?」
「そんなのない」
「あはは、天堂てんてー、そこは嘘でもあるって言っとかないと。親近感ってやつ、生徒に持ってもらえないっすよ?」
 そんなもんいらん、と天堂帝梨は思う。少なくともおまえは最初から持ってないじゃないか。
 グラウンドへ続く出口から、風が吹いて、三神が破ったプリントがふわふわ浮いた。天堂帝梨は足元へ漂ってきたそれを拾い上げ、
「三神、おまえ学校やめるのか」
「――――は? いやべつに」
「そうか。これはおまえのプリントなんだよな」
「そうだけ、」どと言い切る前に三神はアタリをつけたらしい。顔を歪めて吐き捨てるように舌打ちする。右飼は何がなんだかわからずきょろきょろしている。左池は微動だにせず、身代わりの術ですでに帰宅していたとしても誰も驚かないだろう。
 天堂帝梨は紙切れを指の背で伸ばして読んだ。
「転校のご相談……なあ三神、私だって受け持ちのクラスはなくてもこの学校の先生だ。この紙がなんであったかは一目見ればわかるんだよ」
「…………」
「これ、たぶんC組の宙木の――」
「だったらなんですか?」
 途端に冷えた三神の声に、天堂帝梨と右飼結花が固まった。
「はっ。そうですよ。それはおれが預かった宙木へのプリントです。でもだからなんだってんですか? 先生だって知ってるでしょ。あいつは学校になんか来ないンですよ。そりゃあそうだ、いまさら来れないよな、だってもう学校は始まってて、人間関係だって出来上がってるし、それに第一あいつは――」そこで口を一回つぐんで、
「とにかく、おれの身にもなってほしいですね。結構、ストレスなんですよ。どうせ来ないやつにプリント届けるのって。やったことあります? なんかね、自分のせいかなって思って来るんですよね、だんだん。関わってるだけで」
 それは嘘だろ三神、と天堂帝梨は思った。が、口には出さない。
「このこと、誰かに言います? 別にいいですよ。たぶんみんなおれの味方になってくれると思うし。こう見えて、先生受けがいいってのは自覚してるんで」
「私からの受けはよくないぞ」
 その一言で三神がキレた。
 大股に一歩二歩と進んで、天堂帝梨の白衣の胸倉を掴み、宇宙船の閉じた口に叩きつけた。
「あんまりなめてんじゃねえぞ」
 ぞっとするほど冷たい目だった。
「あのな、黙ってればなんでもないことだろうが。あんたが見なかったことにすれば済む一幕だろうが。ここで揉めておれとあんたに得があんのか? 宙木に得があんのか? ないだろ、ちっとも。おれを責めたってあんたの給料は上がらないし、誰も喜ばない。それなのにどーしてあんたみたいのが湧いてくるのかなーおれにはいっつも不思議なんだよなあー」
「黙っ……てれ、ば」
 天堂帝梨は苦しいフリをしながら聞き返した。呼吸など一日に一吸いで充分だが、さすがに喉を潰されながら無表情でいると不気味だということくらいは、ここ二年間で学習済みだ。
「誰、も、こ、まらな、い……?」
「そうだよ」
「ばっ、か言う、な。そら、きが困、」
 ると言い切る前に腹に拳が飛んできた。が、途中で止まる。
 胸倉をぱっと放されて、天堂帝梨はずるずると宇宙船の頭の前でへたりこんだ。
「げほっ……がっ……」
「これ以上ガタガタぬかしたらマジで殴んぞ、貧乳」
「――ふう」
 ちょっと演技が大袈裟すぎたか。
 天堂帝梨は何事もなかったかのように立ち上がった。怪訝そうに三神が眉をひそめる。まさか効いていないとは夢にも思っていないだろうから、何をこの期に及んでやせ我慢など始めたのか、と呆れているのだろう。
 猿が。
「三神、おまえは間違っている。なぜなら私が正しいからだ」
「……はあ?」
「おまえは宙木が学校に来ないからプリントを破っちゃってもいいんだと言う。そうだな?」
「……まあ」
「だったら」息を吸い込み、
「宙木が学校に来たら、おまえの負けだな?」
 沈黙が下りた。右飼がおずおずと、
「て、てんてーってば。いつから勝ち負けの話になっ」
「ちょっと今だいじなところだから静かにしてろ」びしりと指を突きつけて右飼を黙らし、
「いいか三神。おまえも男だったら自分で言った言葉には責任を持て。確かに宙木がもう学校へ来る気がないんだったら、プリントを届ける意味もないな。転校願いもどうせすぐに学年主任のハゲが一報入れるだろうしな。だが、もし宙木に学校に来る気がまだあったら――」
 睨みつけてくる男子を前に、天堂帝梨は一歩も退かず、
「おまえは間違っていたということだ。間違ったことをしたらどうする? 幼稚園児でもわかるよな」
「今時たとえに幼稚園児とか言う?」
「本題から逃げて揚げ足を取る馬鹿よりマシだ」
 目の色変えて何か言おうとした三神の先を取り、天堂帝梨は言う。
「いいか、逃げるなよ。これは勝負だ。私とおまえの真剣勝負だ。私はこれから宙木を学校に来させる。なにがなんでも来させる。もし、宙木が学校に来て、おまえの前にやってきたら、おまえはきちんと謝るんだ。みんなの前でな」
「なんでそんなこと、おれがしなくちゃならない!」
「できないか」天堂帝梨は目を逸らさない。
「自分の言葉を信じられないか? 所詮、デカイ口だけ叩いて何もしないガキってことか。ちょっと上背があるからなんだ。女を突き飛ばして楽しいか? そんなのおまえが勝って当たり前じゃないか。勝つとわかって売る喧嘩なら猿でも迷わんわ」
「おまえ……!」
 こめかみに青筋を立てて、今にも暴力に訴えてきそうな三神を前にして、天堂帝梨は顔を上げてはっきりと誘った。
「どうだ、賭けるか三神。宙木が来れるか来れないか。私は私が勝つと思う。おまえは?」
 それはどうやっても断れない誘い方だった。
 三神は、歯の隙間から大儀そうに息を吐き出しながら、
「おれが正しいに、決まってる」
「そうか」天堂帝梨は頷く。「かもな」
「その代わり、あんたが負けたら代償を払ってもらうぜ」
「代償?」
 天堂帝梨は素っ頓狂な声を上げた。本当に自分が負けるなんてことは念頭になかったらしい。
「代償ってなんだ?」
 三神は鼻を鳴らし、ちら、と右と左の二人を見やってから、天堂帝梨の耳元でぼそぼそ何か囁いた。
 瞬間、
 天堂帝梨の顔が完全沸騰した。
 脱兎のごとく飛びのいて、三メートルほど距離を取る。取らざるを得ない。
「なななななななな! おまっ、おまえぇ!!」
「おまえが言い出したんだろ! おまえが!!」
 三神は怒りのままに指を突きつけ、そのまま踵を返して下駄箱から出て行った。
「あっ、拳!」右飼が慌てて後を追う。
「ちょっ、あんた靴! 上履きのまんま! おーい!」
 後には。
 白衣に包まれた腕で真っ赤な顔半分を押さえた女医と、1B唯一のおかっぱ頭が残された。おかっぱはとことことこ、と天堂帝梨に近づいて、
「先生」
「な、なんだ」天堂帝梨はいまもって性的混迷から抜け出せていない。
「ルールを決めましょう」
「る、ルール? って?」
「この勝負、根幹にあるところはたったひとつです。つまり、妨害工作がありかどうか」
 おかっぱの向こうから、底の知れない目で女医を見上げる左池。
「この際、なんでもアリ、というのはどうでしょう」
「だ、駄目だ駄目だそんなの。おまえ宙木をなんだと思ってるんだ」
「べつになんとも。いいですか、先生。先生がどう足掻こうと、こうなってしまった以上、わたしと三神くんと結花ちゃんは宙木くんが学校に来れないように動きます。それは避けられないことです。だったら最初に、認め合った方が早いです。それに大口を叩いたのは先生ですし、わたしたちの妨害に勝てないぐらいならどうせ宙木くんは長続きしないでしょう。そう思いませんか」
「悪いが私はおまえの彼氏がへんなこと言うから正直おまえの言ってることの半分もわかってない」
「……。何言ったんですか三神くんは。まあいいです。それならこういうのはどうです?」
 左池は額を付き合わせるように天堂帝梨に顔を寄せて、



「宙木雲雀は、絶対に学校には来ません。仮に来れても、その日だけ。
 だったらわたしは、彼にそんな辛いことはさせたくない。だから妨害する。
 すべては彼のためを思ってのこと。
 さあ、先生。
 どうします?」


「知るか」

 
 答えは明瞭簡潔だった。


「私は正しい。絶対負けない」


 夕暮れの廊下で、誰かの笑い声を背景に、
 宇宙人とおかっぱ頭が睨み合う。










(解説)


 保健の先生を出しておけばなんとかなると思ってました。
 テーマは「日常っぽいラノベを書く」
 手なりで書くことを第一として、気分がノッていようがノッていまいが書けるようにするための習作兼、投稿用にと考えていたものです。
 いつまでも眠らせてくすぶらせるより晒してさっさと忘れちゃおうと思ってうpするに至った所存です。

3

顎男 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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