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第一話 『俺の彼氏』

ちなみに俺は佐藤。
ごく普通の高校二年生だ。
放課後、さて帰ろうかと校門に向かっている道中、後輩の女子に引き止められた。
なかなか可愛い女の子だ。
それに頬を赤らめ、モジモジしてやがる。
俺は察した。
これが、

告白

だということを…。
俺は、乱れてもいない髪を無駄にかきあげ、これでもかと言うくらいに格好をつけて言った。
「…何?」
するとツインテールの女子が、
「あの……先輩……」
じれったい。ひじょうにじれったい。
告白なら早くしてくれ。
人を待たせてあるし、それにこちらの答えは既に決まっている。
痺れをきらした俺は、真っ赤な顔をしてモジモジしている後輩女子の頭をいかにもイケメン風の仕草で優しく撫でながら言った。
「俺、付き合ってる奴いるんだわー。ごめんな」
俺が申し訳なさそうな表情をしていると、後輩女子が、
「あッ……そうじゃなくて、先輩のズボンのチャックから…モノが…」
「……えッ!?」
チンチンが出ていた。
しまったぁぁぁああああああ!!!
さっきのトイレで仕舞い忘れたんだ。
「ジィィィーザァァァァァァス!!!!!!」
と俺は慌ててチンチンを仕舞い、言い終えた女子は颯爽と走り去っていく。
周りにいた数名が笑っていた。
なんでもっと早く教えてくれなかったんだぁあああああああああああああああああ!!!!!!!
俺もその場から逃げた。

校門には、いつものように鈴木が俺を待ってくれていた。
一見、亜麻色の髪の美少女が男子の制服を着ているように見えるが、鈴木は歴とした男で、俺の彼氏だ。
「ごめん、待った?」
「ううん。僕も今来たところだから」
綺麗な声が俺の耳をくすぐる。

途中で会話が途切れてしまい、ネタに困ったので、さっきの出来事を鈴木に話した。
「さっき後輩の女子に廊下で呼び止められちゃってさー」
すると鈴木は、
「……えッ?」
と困惑した表情を浮かべ、上目遣いで俺を見上げる。クリクリした大きな瞳がウルウルしている。
鈴木は、俺が後輩の女子から告白されたと思っているようだ。
俺も流石に、チンチンが出ていたことを指摘された。とは言えず、
「バカ! ちゃんと断ったよ」
優しい嘘をついた。
「よかったぁ」
鈴木の暗い表情が一気に明るくなる。
向日葵の様な笑顔だった。

人目が少なくなってきたので鈴木と手を繋いだ。
柔らかくて温かくて小さな手。
鈴木の家に着くまでの短い距離だけど、俺は幸せだった。
鈴木も俺と同じ気持ちでいてくれたら嬉しい。

匠が手掛けたかのようなオシャレな一軒家が視界に現れる。
鈴木の家だ。
俺は毎日、こうして鈴木を家まで送り届けている。
鈴木が変質者にレイプされてしまうからだ。
以前、そういう事が起こりかけたからである。
「佐藤、また明日ね」
「うん。また明日」
鈴木は俺の手を離れ、玄関に向かう。
その途中で振り返り、
「好きだよ」
と言い残し、玄関の扉を閉めた。
一人残された俺は、
「俺も」
と呟き、黄昏の中、歩き出した。



































第二話 『タイム・イズ・クロック』


俺は佐藤。どこにでもいる男子高校生(二年)だ。
五限目の後、せっかくの休み時間だというのに、俺は便器にまたがり、強烈な腹痛に顔を真っ赤に歪めながら息んでいた。
かなりの難産だった。
六限目に間に合わせる為、必死に格闘していると、数人のヤンキーがトイレに雪崩込んで来た。
ここは比較的人の往来が少ないトイレだったので、落ち着いて用を足せると思い、少し遠いのにも関わらず、わざわざ足を伸ばしてみたというのに、全くもって失敗だった。
ヤンキーが悪い事をする為の場所だったのだ。
現にタバコの臭いが漂い始めている。
悪徳に満ちたヤンキートークがトイレ中を飛び交い、カチャカチャとベルトを外すような音がした。
そして、一番悪そうな奴がこう言った。
「さっさとしゃぶれよ!」
すると他の連中が「早くやれよオラ!」とか「順番に犯してやっかんなー!」とか「デカ過ぎて顎外れんじゃね?」だとか穏やかではない声を上げた。
俺は察した。

ヤンキー達が女子を連れ込んでレイプしようとしてる。

と。
そんなこんなで無事出産を終えた俺は、『どんな面下げて出ればいいんだ…』とか『助けようとしたらボコられっかな?』とか考えながら糞を流し、トイレットペーパーに手を伸ばす。
すると、

カラン

嫌な音がした。
トイレットペーパーがありませんでした。
全身からドッと冷や汗がにじみ出る。
どどどどどどどどどどどどうする……!?
頭の中が真っ白になり、無様に狼狽していると外から、
「嫌だッ!」
という声がした。聞き覚えのある声だった。記憶を巡らすまでもなく、俺は顔面蒼白になった。

鈴木だ……。鈴木が陵辱されそうになっている。

「じゃあ、ケツだせ! ほら…早く出せオラ!! オイお前ら抑えろ!」
一番悪そうなヤンキーが言った。
「やめてよ! …やッ…あぁ……っ!」
ヤバイ! このままでは鈴木のバージンが奪われる!
ガチャ。
気が付いたら俺は扉を開けていた。
ヤンキー達の視線が一斉に俺へと向けられる。
上履きの色から察するにヤンキー達は三年生だった。
「さ…佐藤ッ!」
驚いた顔をした鈴木が言った。
その、男性とは思えないほど美しい顔をした俺の嫁(彼氏)は無理やりズボンを下ろされ、綺麗な脚線美をあらわにした状態で捕らえられている。
「佐藤、僕の事は気にしなくていいから、逃げて!」
不覚にも鈴木の姿に見とれていた俺は鈴木の声で正気を取り戻し、言う。
「そこで待ってろ! 今助けてやる」
俺のセリフに憤怒したヤンキー達が怒号を上げる。
物凄い威圧感だ。
怖くて足が震える。
でも、鈴木がこいつらに犯されるくらいなら、俺は何度だってボコられてやるぜ。
覚悟を決めた。
「そいつ、俺の嫁(彼氏)なんすよ。」
今にも襲いかかってきそうなヤンキー達の数を、何故か俺は冷静に数えていた。4人だった。
恐怖心を振り払うように俺は続ける。
「寄ってたかって、ダサいっすね」
さぁ気が済むまでボコってくれ! 
「取り敢えず、お前死んどけやー!!」
と一番悪そうなヤンキーが俺の顔面に右ストレートを放ってきた。
次の瞬間、事件は起きた。
俺に殴りかかって来たヤンキーが、
「ぐはぁああああああああああああああああああああああああああああーーーーー!!!!!」
と叫びながら後方に吹っ飛び窓ガラスを突き破って落下していったのである。(ちなみにここは二階)
そして、何故か俺の拳が前方に突き出されていた。
「……え?」
全く状況が掴めない。鈴木もヤンキー達もみんなポカーンとその場で立ち尽くしている。
しかし、殴りかかって来たヤンキーが一瞬スローモーションになったような…等と考察していると、
「おい、お前…これシャレになってねぇぞゴラァアアアアアアアアア!!!」
「何さらしとんじゃワレェエエエェェェエエエ!!!」
残った三名の内、二名のヤンキーが鬼の形相で同時に襲いかかってきた。
その時、アレが発動した。
『タイム・イズ・クロック(時間加速)』である。(←後で俺が名付けた)
二人のヤンキーの動きがスローモーションになる。もう一人のヤンキーも、俺の嫁(鈴木)も、全てがスローモーションだ。
何故このような現象が起きたのか?
これは後で解った事だが、鈴木が他の男に寝取られそうになっている場面に直面した時、俺の脳内エンドルフィン、ノルアドレナリン、セロトニン等が爆発し、脳と身体の反射スピードが一時的に跳ね上がった結果、こうなったらしい。
よくわからんが、取り敢えず二人のヤンキーの攻撃を軽く避け、鈴木をお姫様抱っこして、その場から脱出した。
必死に走った。
途中でタイム・イズ・クロックが解除された。危機的状況が去ったからだろう。
「ここまで来れば、もう大丈夫だろ」
と不思議そうな表情を浮かべた鈴木を廊下に降ろした。
「……あれ? 此処は?」
まぁ無理もない。俺は適当な嘘を考えてその場をしのぐ事にした。
「トイレから逃げてきたんだよ。お前、気が動転してたから覚えてないのかもな」
鈴木はしばらく腑に落ちないような顔をしていたが、直ぐに元気を取り戻した。
俺は一生懸命イケメン風を装い、格好つけて、天使の様な鈴木に言った。
「もうお前の側から離れないから。怖い思いさせてゴメンな」
すると、
「ううん。僕も気をつけるよ。ありがとう。……でも佐藤、それどうするの?」
鈴木が俺の下半身を指差す。
「あらッ……!?」
フルチンだった。
しまった! トイレの個室にズボンとパンツを忘れてきたらしい。
「仕方ねぇッ! 六限目はこれで受けるか! 鈴木、急ぐぞ!」
「ハハハ!」
俺たちは子供の様に笑いながら手を繋いで走った。
流れていく廊下の窓からは、みせつけるような青空。
このまま授業なんてサボってやろうか、って気分になる。
「佐藤!」
「なんだ?」
鈴木に呼ばれて振り向くと、
「格好良かったよ!」
水精(ニンフ)の様な笑顔だった。
「お…おう!」
きっと俺は赤面していただろう。
こんな日々がずっと続けばいいのに。と俺は思った。

俺たちはまだ知らなかった。
この後、学園中で勃発する『鈴木争奪戦争』に巻き込まれる事になろうとは……


つづく








2, 1

  

第三話 『中間テスト』


朝のホームルームの後、俺はズボンのポケットから一通の封筒を取り出し、一時限目の準備をしている鈴木にソレを見せてこう言った。
「今朝、下駄箱にこんな物が入っていたんだが…」
律儀に赤いハートのシールまで貼ってある。
俺は瞬時に察した。これが、

ラブレター

である事を。
鈴木もコレが何なのか察したらしく、
「ソレって、もしかして……ラブレター!?」
と驚いた顔をしたかとおもったら、すぐに眉根を寄せ、片方のホッペを可愛く膨らませている。
どうやら俺の嫁(鈴木)は嫉妬しているらしい。
それにしても、怒った顔もとってもキュートだ。
鈴木は天使だ。否、多分天使以上だ。
俺は思わずその可愛く膨らませた、シルクの様な肌触りのホッペを軽~くツネって、
「…バカ。ちゃんとフルよ」
と格好つけて言うと鈴木が、
「……約束だよ?」
と上目遣いで瞳をウルウルさせてくる。どっからどう見ても超絶美少女だが、鈴木は男だ。
(畜生ッ……! 抱きしめてぇ……!!)
という衝動に駆られる。しかし、皆が見てるから抱きしめられない。焦れったいこの想いを振り払うように、
「指切りげんまんだ!」
と小指を差し出した。すると鈴木の表情が一気に明るくなり、
「うん!」
と、百万$の笑顔でその細くて綺麗な小指を俺の小指に絡めてくる。
俺は痛いくらいに勃起した。

「せっかく貰ったんだし、一応読んどくか」
と俺は封筒の中から花柄の便箋を取り出し、目を通す。
鈴木は落ち着かない様子でチラチラ俺の顔を見てくる。手紙の内容が気になっているようだ。
その手紙の内容はこうだ。

『佐藤へ。話がある。放課後、体育館裏まで来い。』

送り主は数学教師の湯川先生(♂)だった。
「紛らわしいんじゃぁあああああああああああああ!!!!」
俺は泣きながら便箋を破った。

放課後。
体育館裏に行くと数学の湯川先生が待っていた。俺は怪訝そうに、
「あのぅ。話って何ですか?」
と投げかけると、
「来たか……」
湯川教諭はキザな言い方をして、
「君は、あの鈴木と交際しているらしいじゃないか?」
「……えッ?」
こないだのヤンキーとの一件でバレたか…。しかし、バレたところで我が平梵学園の校則に恋愛禁止の文字はどこにも無い。 
何も後ろめたいことはないのだ。
「それが、何か?」
俺は堂々と言った。
すると湯川教諭はキザな仕草でメガネをクイッと上げて、
「一週間後の中間テストで私と勝負したまえ!」
「……はい?」
「その数学のテストで100点を取れば君の勝ち。ただし問題数はたった一問だけ、君は一問正解するだけでいいんだ。」
「あの…先生、何を」
「そして、もし私が勝ったら、鈴木を貰う!」
俺は絶句した。
今すぐタイム・イズ・クロック(時間加速)で目の前にいる変態にトルチョック制裁をくわえてやりたいところだが。相手は教師だ、下手に手を出したら退学を余儀なくされてしまう。
「もし…俺が勝負を拒否したら……?」
俺が恐る恐る質問すると、
「クックックッ」
湯川教諭は不敵な笑みを浮かべ、
「鈴木をレイプする」
冷たく悪意に満ちた声だった。
「佐藤。君に選択の余地はないんだよ」
「クッ……!!」
突然の予期せぬ不条理を突きつけられた俺はギリっと強く歯を食いしばり、湯川を睨みつけた。
「まぁ。せいぜい頑張りたまえー! ハーハッハッハッハッハッハー!!」
湯川は高笑いしながらキザな仕草で俺の肩を軽く叩き、去っていった。
「クソォォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
俺は激昂し、石ころを蹴り飛ばした、までは良かったが勢い余って身体が反転し後頭部から大地に突き刺さった。
「ぐはぁあああぁぁぁあああぁぁぁあああぁぁぁあああ!!!!!!」
額から一筋の汗が流れた。


つづく








第四話 『難問』


あの後、どうするか迷ったが、結局俺は鈴木に湯川との一件を正直に話した。話を聞いた鈴木は、
「そんなのヒドいよ!」
とプンプン怒った。

ということで、中間テストまでの間、放課後は毎日鈴木の家に寄って勉強を教えてもらうことにした。
今回に限り、止む終えず他の教科は全て捨て、数学だけの一点集中講座だ。
俺は猛勉強に勤しんだ。
そんな中、俺は鈴木に言った。
「すまん。鈴木。ポテチを食べさせてくれんか? 右手に鉛筆、左手には消しゴム。これでは両手が塞がっていてポテチが食えんのだ」
鈴木は腑に落ちない顔をしていたが、
「仕方ないなぁ」
とポテチを拾い上げ、
「はい、あ~~~ん」
食べさせてくれる。
鈴木は優しいし、可愛い。鈴木こそがナンバーワンだ。
「かたじけない」
そんな鈴木に俺はちゃんとお礼を言いながら考える。神は何故、鈴木を男として創造なされたのか? 
きっと神は嫉妬しているんだろう。鈴木の美しさに。
「手が止まってるよー!」
鈴木に怒られて正気に戻る。
こんな調子だから、嫌いな勉強も楽しいと思えた。

しかし、勉強中とは言え鈴木と部屋で二人きり。距離もかなり密着している。鼻先をくすぐる鈴木の甘いシャンプーの香り。妖精(オンディーヌ)の様な横顔。
それだけで俺の男根はギンギンに勃起し、思考回路はショート寸前である。
高校二年生のリビドーを舐めてもらっては困る。
(この流れで、どうにか鈴木とファーストキス出来ないだろうか?) 
(なんなら押し倒して鈴木とペッティングまで済ましてしまおうか?)
と俺の精神に住み着く淫魔が囁く。
しかし俺は、
「そいやぁあああッ!!!!」
と自らの太ももにコンパスを突き刺し、それらの雑念を振り払うことに成功した。

あっという間に、テスト当日。
体調も万全。
後は全力でやるだけだ!

鈴木から習った事をひたすら反芻していると数学教師の湯川(♂)がバレリーナみたいな動きで教室に入ってきた。
そして、ミュージカルの様な手振りでテスト用紙を配り終えると、俺達にこう言い放った。
「皆さん! 実はと言うと、これは只のテストではありません…………。そう……。これは女神(鈴木)をめぐる聖戦なのです!」
流石、演劇部顧問だ。一方、クラスの皆は口を半開きにしてポカンとしている。
「傍観者を決め込むのも、剣を手に立ち上がるのも、君たちの自由だ!」
俺は、早く終わんねぇかなーこの寸劇。と周りを見渡してみる。ウトウトと船を漕いでる奴が2~3人いた。余程退屈だったらしい。
「剣を取るものは、決して死を恐れてはならない!」
ヤバイ! 鼻ちょうちんを膨らませて船を漕いでる奴が7人に増えた! 湯川の一人芝居が相当退屈らしい。
「生きたければ、知を解き放つのです!」
だんだんムカついてきた。早く終わってくれ!

「それでは……始めぇえええええええええええええええええッ!!!!」

という湯川の声が鳴り響くが否や、皆一斉に問題用紙を表に向ける。
直後、クラス全員が凍りついた。
しかしソレはすぐに溶け、どよめきに変わる。
「何だよコレー」
「こんなの習ってませーん」
皆口々に文句を飛ばす。
すると湯川は、
バチコーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!
と教卓を叩きオペラ調にこう言った。
「口を慎みなさいッ! カンニングとみなしますよッ!!」
その風変わりな迫力に皆、ビクッとして静まり返る。
もうやるしかないのだ。
問題数はたった一問。

Q.ある三乗数を二つの三乗数の和で表すこと、あるいはある四乗数を二つの四乗数の和で表すこと、および一般に、二乗よりも大きい冪の数を同じ冪の二つの数の和で表すことは不可能である事を証明しなさい。

「何じゃぁあああこりゃぁぁぁあああぁぁぁあああぁぁぁあああ!!!!」
と柴田純(ジーパン刑事)の殉職シーンさながらに叫んだ俺は、もう何がわからないのかが、わからなかった。
要するに全くのお手上げ状態ってことだ。
このままでは湯川に鈴木を寝取られてしまう。
俺の天使(鈴木)があのキモいオッサン(湯川)に……ッ!
俺がハンカチを噛み締めながら悔しがっていると、一番後ろの席に座っているコスプレイヤーの山田が呟いた。
「フェルマーの大定理ですか……」
今日の山田はデス○ートの○ルのコスプレで、三杯目のチョコパフェをお茶漬けみたいにかきこんでいる。(ちなみに昨日は幽白の蔵馬だった)
俺は、
(糖尿病にならないといいがな…)
と同級生を心配したが、すぐ我に返り、問題用紙を睨みつけて、
(どうやって解く!? 考えろ! 考えるんや!!)
と何度も自分に問いかける。
仄暗い深淵に突き落とされた気分だった。


つづく






















4, 3

  

第五話 『脳オブ・ザ・ブレイン』


テスト開始から30分が経過した。
問題を必死に解こうとしている者、既に諦めて寝ている者、問題用紙の裏に落書きをしている者、教育委員会に電話でこの事を暴露している者。クラスは完全に崩壊していた。
そして、数学教師兼演劇部顧問の湯川(♂)はナルシスト全開な立ち姿に、完全に勝ち誇った表情を浮かべこちらに視線を向けている。
俺は、耳と鼻の穴から脳汁を垂れ流しながら考えたが、結局何もわからなかった。
ただ時間だけが過ぎていく。
俺は、俺の敗北を知らせるチャイムをただ惨めに指を咥えて待つしかないのか?
焦燥に駆られた俺の脳裏を或る言葉がよぎる。

(もう、アレをやるしかないのか!?)

しかし、アレに俺の脳が耐えられる保証はどこにもない。アレは最後の手段なのだ。
でも、鈴木(嫁)があのキモ過ぎるオッサン(湯川)に寝取られてしまうよりは……
「きッ……ちきしょぉぉぉおおおう!!!!」
と俺は机を殴り湯川を睨む。
湯川は顎をシャクれさせ、腹立たしいドヤ顔でもって迎撃してくる。
その顔を見て俺は決意した。
奴に勝つために! アレを発動させる、と。
もう迷ってる暇はない!
ゆっくりと目を閉じ、深く深呼吸し、そして唱える。

「脳オブ・ザ・ブレイン(知能指数上昇)……発動ッ!!」

脳オブ・ザ・ブレイン(知能指数上昇)とは、タイム・イズ・クロック(時間加速)の要領で、鈴木(Мy嫁)が他の男に寝取られてしまうのでは? というNTR値(寝取られ値)が上昇した時に俺の脳内エンドルフィンやらノルアドレナリンやらセロトニンやらその他もろもろが粉塵爆発を起こして一時的に知能指数を跳ね上げるという裏テクである。
『智』の激流が頭の中に流れ込んでくる。
「らめぇぇぇええええええええええええッ!!!! 壊れひゃいましゅぅぅぅううううううううううううううう!!!!!」
俺は叫んだ。
脳みその中をレイプされているみたいだった。
むしろ脳みそがオナホールになった気分だった。
激流の中、溺れまいと必死にもがいた。
物凄い長い時間に思えた。
終わりは来るのだろうか? 
途方もない時間だった。二年ぐらいに感じた。
「もう……駄目……ッ…なのか!?」
力尽き、死を覚悟したその時、大時化だった激流が急に穏やかな海に変貌する。
脳オブ・ザ・ブレイン(知能指数上昇)が成功したのだ。
心なしかイケメンになった気分だ。
IQ200ともなると人はイケメンになるらしい。

残り時間はたった5分。
俺はゆっくりと開眼し、
「……さてと」
と問題用紙に目を落とす。そして、
「なーんだ。簡単じゃん」
イケメン声で言って、鉛筆を走らせ始める。
「まずはガロア群を楕円方程式に応用して、と」
残り4分。俺の鉛筆は絶え間なく動き続ける。
「そんでもって楕円方程式を無限の要素に分解し……」
残り3分。クラスの皆がザワザワし始める。
「おい、佐藤がなんか始めたぞ!」
「もしかして解いてんじゃね!?」
「やだ……気持ち悪い……」
「何かよくわからんが頑張れ佐藤ー!」
そして、鈴木の声が聞こえた。
「佐藤ッ! 信じてるよ! だから、勝って!!」
俺は鈴木を真っ直ぐな眼で見つめながら声援に答える。
「当たり前だ!」
鈴木が涙ぐむ、俺の胸も熱くなる。
「お前は誰にも渡さないッ!!」
すると綺麗な瞳に涙をいっぱい溜めた天使(鈴木)が微笑みながら、
「……うん。絶対に、だよ?」
宝石の様な涙が流れ落ちた。
教室が意味不明な喝采に包まれ、俺は再び問題に挑みかかる。

残り2分。鳴り止まない佐藤コール。
俺が全ての楕円方程式はモジュラーだということを証明し終えた頃、ついに奴(湯川)が動いた。
テスト中とは思えないほどのお祭り騒ぎに加え、教室中に渦巻いている異様な空気。まるでこれから歴史的な何かが目の前で起こってしまうのではないか? と思わせるムードだった。
その空気を奴(湯川)も察したのだろう、
「そんな、まさかな。ありえない」
等と、くさい演技みたいな口調で吐き捨て、パリコレみたいな歩き方で俺の答案用紙を覗きに来た。
「……ッ!! なん……だとッ!!!?」
湯川は驚愕する。
まぁ無理もないだろう。
平々凡々な男子高校生がフェルマーの大定理の証明を九割がた完成させているのだから。
残り1分。
「佐藤貴様ッッッ!! どんなトリックを使ったぁぁぁあああ!!!!?」
湯川は悲鳴のような怒声を張り上げ、俺の襟首を掴む。感情を剥き出しにしている湯川に俺は氷の様に冷たく言い放つ。
「先生……放して下さい。これから岩澤理論をコリヴァギン・フラッハ法で補うところなんですよ」
すると湯川は、
「クソォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!」
と咆吼し俺を突き飛ばすと、教室から矢のように飛び出していった。
俺は鈴木とクラスメイトに言った。
「ラストスパートだ!! 皆、応援してくれ!!!!」
天井を突き破るような歓声が上がる。
物が飛び交い、紙吹雪が舞う。
「ウゥゥゥオオオォォォォォォオオオオオオオオォォォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」
俺の鉛筆が勝利に向かって駆け抜ける。

残り30秒を切った頃。事件は起きた。
教室から飛び出していった湯川が消化器を抱えて戻ってきたのである。
鬼の形相の湯川が、
「佐藤ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
マンドレイクみたいに叫びながら俺に襲いかかってくる。
後少しで完成する。
もう少しだけ待ってくれ……!
湯川が消化器を振りかぶる。
この攻撃を躱すためには、一旦机から離れなければいけない。しかし、そんな事をすれば即座にタイムアップで、俺の負けだ。今鉛筆を止めるわけにはいかない。
「死ねぇぇぇええええええええええええええええぇぇぇえええぇぇぇええええ!!!!!!!!!」
湯川がこの世の者とは思えないような奇声を上げながら俺の脳天目がけて消化器を振り下ろす。
音速を超えた俺の鉛筆からはソニックブームが発生し爆発音が轟く。
衝撃波が窓ガラスを叩き割り、女子生徒のスカートをめくり、テスト用紙を巻き上げた。
そして、みんなの声援が聞こえた。
その中にちゃんと鈴木の声が混じっていた。
最終コーナーに差し掛かり後は駆け抜けるだけだ。
迫る消化器。
耳と鼻から、血液と混ざり合ったピンク色の脳汁が吹き出す。
「これで終わりだぁぁぁあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

景色が変わる。

暗く長いトンネルを抜け、光り輝く景色が目の前に広がっていくような感覚。
証明を完成させた俺は行儀よく鉛筆を置き、晴れ晴れとした笑顔で鈴木にこう言った。

「俺も世界で一番、お前が好きだ」

直後、

ゴリッッッッッ!!!!!!

鈍い音を立てながら消化器が俺の脳天に直撃した。
体中の力が一気に鼻の穴から抜け出て、視界が回転する。
薄れていく意識の中で鉄を裂くような悲鳴とチャイムの音を聞いた。


つづく




























第六話 『俺と女神(ヴィナス)と操り人形(マリオネット)』


数時間後。
「あれ……ここ、何処?」
夕暮れに染まった保健室のベッドの上で、俺は意識を取り戻した。
「俺……生きてる……?」
と最終電車で寝過ごしたサラリーマンの様な仕草で、ボヤけた視界に自分の掌をかざしてみる。
すると、
「佐藤ッ!!」
と俺の嫁(男子)の声がした。そう、鈴木である。
鈴木は俺の手を握ってくれていた。
俺が眠っている間、献身的な看護をしてくれていたに違いない。何故ならナース服を着用していたからである。
「ブフゥーーーーッッッ!!」
その悪魔的な魅力を放出しているナース姿の鈴木を見て大量の鼻血が吹き出す。ソレを見て、
「うわッ! 大丈夫か?」
即座に鼻血を拭いてくれる鈴木は白衣の天使、否、それ以上の何かに違いなかった。
鼻血を拭かれ終えた俺は頭をポリポリ掻きながら照れくさそうに言った。
「その……。心配かけて、すまなかった……」
するとナース鈴木は小柄な体で俺に飛びつき、
「佐藤のバカッ!」
可愛らしい怒り声でプンプンと俺の耳元で言い、
「もうこんな無茶しないで……」
涙声に変わる。
ナース鈴木の鬼フェロモンと甘いシャンプーが混ざり合った神話的な香りに脳がヤられ、意識が再び遠のく。そして俺の倅がありえないほど固く勃起する。
飛びつかれた時、大きなタンコブにズキッと強烈な痛みが走ったが、それどころでは無い程の勃起具合だった。
今すぐ、この猛り狂った陰茎をナース鈴木の秘部へぶち込みたいという衝動に駆られ、気がおかしくなりそうになる。悲しい男の性だ。
しかし、俺はソレを鎮め、言った。
「それは約束できない」
するとナース鈴木は、
「え……」
と殺人的に可愛い困り顔で俺に問いかけてくる。
すると胸部を殴られているような強烈な鼓動(もう殆ど動悸)が俺をいためつける。
激しく胸が張り裂けそうだったけど、ナース鈴木に悟られぬよう、努めながら言った。
「お前を守るためなら、俺は何だって……」
最後の言葉を遮るようにナース鈴木が俺に抱きつく。
そして何も言わず、恋しさ(いとしさ)と切なさと心強さの中に、ちょっとだけ悲しい色を混ぜた表情で、俺の首筋にキスした。
地上のモノとは思えない程やわらかな感触、そこから全身に強烈な電流がほとばしる。

俺は射精した。



翌日、教室に入ると黒板にデカデカと俺と鈴木の相合傘が描かれていた。
とてもカラフルで、その周りを赤色のチョークで塗りつぶされたハートが幾つも飛んでいる。俺はソレを、
「ちょッ……! や~め~ろ~よ~!」
と怒りながら慌てて消す。照れくさいのか、気恥ずかしいのか、なんなのか、首から上が充血し始める。すると、

ピュゥゥゥウウウウウウゥゥゥイイイイイイィィィィィィィィイイイイイイイイッッッッッ!

何者かの指笛が鳴り響き、俺達をからかうようにさざめく一部のクラスメイト。
「ほんとに誰だよー! これ描いたのー!」
と中々消し終われない俺の傍らには、口を尖らせて頬を赤らめている鈴木がプンプンしている。
俺は黒板消しを置き、こめかみの辺りをポリポリ掻きながら振り返る、
「まぁ、なんだ」
鈴木の肩を抱いて皆にこう言った。
「そーゆーことなんで!」
すると、からかっていた連中がもう一度沸き、鈴木が、
「えへへ」
と女神(ヴィナス)のような笑顔を浮かべて鼻の下を人差し指で擦った。
ソレを目の当たりにした7~8人の男子が、
「あぁッ……!!」
ビクンッ、ビクビクッ! と涎を垂らしながら痙攣したかと思うと、
「……ふぅ」
糸を断たれた操り人形(マリオネット)の様にその場でへたり込んだ。

どうやら射精したらしい。
言わんこっちゃない!



あの後、湯川は解雇された。
当然、数学のテストもやり直し。
(今回は赤点擦れ擦れだった)

後でわかった事だが、実は俺の他にもう一人あの問題を解いた人物がいたらしい。
コスプレイヤーの山田である。
毎日、漫画やアニメのコスプレをして学校に来ている、なんともエキセントリックな奴だ。人畜無害だが、性別もどちらかわからんし、なんとも謎めいた奴である。極力関わらないようにしようと思う。

こうして、俺と湯川の戦いは幕を閉じたのである。


つづく


6, 5

  

第七話 『七月七日の願い』


放課後。
第一話で俺のチンチンが社会の窓から出ていたことを教えてくれた、なかなか可愛いツインテールの女子(後輩)と廊下でバッタリ遭遇した俺は、
(そういえばあの時、ちゃんとお礼言ってなかったっけ?)
っつー事で、勇気を振り絞って話しかけてみた。
「あの……ちょっと、いいかな?」
すると、路上に撒き散らされた吐瀉物でも見るかのような表情で、
「うわッ、キモ……」
と一言だけ言って、一度も振り返らず全力疾走で逃げていった。
「あ……あは……」
取り残された俺は過度なストレスによって顔面麻痺を発症させてしまい、只々表情をヒクつかせながら、イースター島のモアイ像の様に立ち尽くすことしか出来なかった。



いつものように校門で落ち合った俺と鈴木は商店街の文房具屋で買い物をした。
俺はHBの鉛筆を1ダース、それにジャポ○カのノート。鈴木はシャープペンシルの芯と、ルーズリーフの用紙200枚パックを購入した。
そのあと俺達は、
「暑いですし、アイスクリームでも食いますか?」
「いいですな~佐藤君」
という事で商店街の中央広場へ移動した。
中央広場には何本も笹が立てられており、それぞれに幾つもの短冊が飾り付けられている。ソレを見て俺は無頓着に言った。
「あー。そう言えば今日、七夕だったか…」
すると鈴木は俺の手を引っ張って、
「佐藤ッ! 僕たちも願い事、書こうよ!」
と水の妖精(ルサールカ)の様な美しい笑顔を浮かべて走り出す。
「……おぅッ!」
俺は頼りない返事をして、何度も転びそうになりながら、必死に走った。



それぞれ一枚ずつ短冊に願い事を書き、笹に飾った。
俺は、
『鈴木とずっと一緒にいれますように』
と書いた。
鈴木は、どんな願い事を書いたんだろう? 凄く気になるけど、俺は見なかった。なんとなく、見てはいけないような気がしたからだ。



近くのタコ焼き屋でソフトクリームを購入した俺達はベンチに腰掛け、雑談を交わした。
ソフトクリームは少しだけ牛乳風味がして、冷たくて美味しかった。
「七夕の雨って催涙雨って言うらしいな」
俺が以前、深夜アニメで得た知識を披露すると鈴木は、
「へ~。佐藤は物知りだな~」
と感心した様子で、ソフトクリームを根元から頭頂部に向けて、綺麗なピンク色の舌で舐め上げた。

ドキッ!

そのあまりにも官能的な鈴木の仕草や表情を見て、俺は思わず勃起した。
直後、俺は瞬時に察した。
近年稀に見る『硬さ』だと。
まるで職人さんが時間と手間暇をかけてじっくりと鍛え上げた業物の様だったのだ。
鈴木に勃起している事を悟られないように、俺は片方の手をズボンのポケットに突っ込み、然り気なく男根を押さえ込んだ。
そしていかにも意味ありげに笹を見つめながら、イケメン風に言った。
「願い事……叶うといいな……」
すると鈴木は、
「うん……」
と返した。
言い終えた鈴木が、ほんの一瞬見せた物憂げな表情を俺は見逃さなかった。
しかし、その表情に込められた意味までは、この時の俺に知る由もなく、大して気に留めようともしなかった。
(ちなみに、鈴木がソフトクリームを舐めているシーンは全て脳内HDに録画した。こうしておけば後で脳内再生が出来るのである)



帰り道。
アーケードが終わると、そこには満天の星空が広がっていた。
大小様々な星達が溢れんばかりに散りばめられ、その中心を横切るように淡く美しい光の帯が架かっている。

天の川だ。

ソレを見た鈴木は瞳を宝石の様に輝かせ走り出す。そして、
「わぁあああああ! 綺麗ー! 佐藤も早く!」
幼いフェアリーみたいに感嘆の声を上げた。
「あぁ! 今行く!」
と俺も鈴木に続く。
アーケードの灯りが遠のくと、より星々の輝きが増し、その圧倒的なスケールを誇る、天の川銀河がその頭角を現し始める。
「綺麗だ……」
俺が呟くと、鈴木はこの大銀河をも曇らせてしまいそうな程の笑顔をこちらに向け、言った。
「この景色、ずっと覚えていような!」
思わず胸がキュンとなる。
そして、そっと鈴木の手を握り、言った。
「あぁ……ずっと忘れないよ」
すると鈴木は
「えへへ」
と愛くるしい表情を浮かべ、人差し指で鼻の下を擦った。

流れ星が一つ。まるでヴェガ(織姫)とアルタイア(彦星)を引き裂く一筋の矢ように貫いて、消えた。


つづく














第八話 『進撃のハワイアン力士』


ジリジリと照りつける狂気じみた太陽と、意味もなく叫びながら走り出したくなる様な青空の中に、ソフトクリーム型の巨大な積乱雲がどっかりと盛られている。
そんな夏休みも目前に迫った或る日の昼休み。弁当を食べ終えた俺と鈴木はいつものようにクラスメイツの目もはばからずイチャイチャと乳繰り合っていた。
「大丈夫だって! ほら鈴木、大丈夫だーかーらー」
「もうッ! やめろよー! 佐藤ー」
鈴木は美しい森妖精(フルドラ)の様に恥じらう。
その危険な誘惑に理性がグチャグチャに掻き乱され、理性が吹っ飛びそうになるも、自らの内腿を思いっきりつねった事で生じた激痛によって、やっとの思いで繋ぎ止める。
「ぐッぅおおおおおおおおおおおー!!!!(訳:ファイトー、イッパーツ!)」
と、まるで滋養強壮剤のコマーシャルみたいに。

俺はソレもコレも全部、この絡みつくような夏の暑さの所為にすることにした。
夏は人の感情を昂らせる季節だからだ。
周りの生徒達もそれぞれの昼休みを楽しんでいて、教室はとても賑やかだ。
夢や希望、漠然とした将来への不安や、根拠のない自信。それらがひしめき合い、蒼い混沌が生まれる。
そこに行き場を無くしたフラストレーションや、溢れ出たリビドーが流れ込み、訳の分からない塊となって室内に充満していく。
多分これが俗に言う、『若さの爆発』なのだろう。

しかし、そんな平和で活気のある、俺達のいつもの日常が、一瞬の内にぶち壊された。
突如として現れた何者かが、何の前触れもなく発した、

「邪魔をするでゴワスッッッッッ!!!!!!!!!」

という大砲の様な蛮声によって。
教室に居合わせた全員が驚きの余り言葉を失い、一気に静寂が訪れたかと思うと、何人もの巨漢が机や椅子を吹き飛ばしながら俺達の教室に雪崩込んで来る。
彼らは全員、我が平梵学園のロゴがあしらわれた浴衣のような着物を着用していた。
ソレを見た俺は瞬時に察することが出来た。彼らが、

相撲部(相撲レスラー)

である事を。
そして俺達は更なる謎に直面する。
ポカーンとダラしなく口を開けて呆然と立ち尽くしている俺達に、力士達が大量の荒塩をブチまけたかと思うと、突然その巨大なモンスター達が、ぶつかり稽古をし始めたのである。
「どっせぇええええええええええいッ!!!!!」
「せぇいやぁあああああああああッ!!!!!」
「ごっつぁんでぇええええええええええすッ!!!!!」
「どすこぉおおおおおおおおおおおおいッ!!!!!!」
高校生力士達の怒号のような掛け声が教室に木霊する度に、俺達の頭上に浮かぶハテナマークが増殖していく。
全く状況が把握できない。
「これは一体……何が始まるんだ?」
意を決した俺は藁にもすがる思いでクラスメイトの高橋に小声で訊いてみると、
「わからん……」
彼は「俺に聞かれても……」といった表情で肩をすくめ、首を小さく横に振った。
俺は傍らで怯えている鈴木の手を握り、
「大丈夫だ」
とイケメン風なウインクを飛ばす。
その気持ち悪い行動に対し鈴木は、
「うん……」
と無理に作った笑顔で答えてくれたが、それでも震えていた。
余程、お相撲さん達が怖かったのだろう。

目の前で繰り返される、壮絶なぶつかり稽古。
ソレは俺達に言いようのない不安と恐怖を植え付けるには充分過ぎるデモンストレーションだった。
飛び交う蛮声。豚骨ラーメンのスープみたいな汗。降り注ぐ荒塩。

俺達の精神状態がメタメタに打ちのめされた頃、この意味不明な(ぶつかり稽古的な)サプライズ・パフォーマンスに、やっと終止符が打たれた。或る男が発した、
「ハイ、やめぇええええええええええええええええええええええええイッ!!!!!!」
という一言によって。
その声の持ち主は、2メートルを超える長身に鋼の様な筋肉を纏い、いかにもVシネに出てきそうなバタ臭い顔立ちをしていた。
彼こそが我が平梵学園の相撲部主将、チャド・ファウリ・ペニタニ先輩だ。
ハワイからやって来た特待生で、全国トップクラスの強さを誇っている。しかも優しくて力持ちで頼り甲斐がある、と来れば人気者じゃない訳がない。
後輩達からは「チャドの海先輩」などと気軽に四股名で呼ばれている程だ。
「やっと終わった……」
俺達は安堵の溜息をついた。ヒーロー的存在のチャドの海先輩が、突然訪れた異常事態から俺達を救ってくれた、と。
誰もがソレを疑わなかった。
しかし、現実は違っていた。

チャドの海先輩は悪鬼の様な表情で、
「この中に佐藤というマザーファッカーはいるかッッッ!!!!? いたらカムヒアッッッ!!!!!!!!!」
凄まじい怒声を上げた。
俺達はその猛獣の様な声にビックリして凍りつく。
そして、突然自分の名前を呼ばれた俺は、失禁&脱糞しそうになる程の緊張に襲われ、たじろいだ。そしてゆっくりとチャドの海先輩に目を向ける。
いつもの優しくて気さくな先輩とは、まるで別人のようだった。
教室内は再び不穏な空気に包まれ、皆がざわつき始める。
「サトォーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!! 早くカムヒアーッナァァァアアアアウッッッ!!!!!!!!!!!!」
追い討ちをかけるようなチャドの海先輩の咆哮に足がすくみ後ろに倒れかけも、なんとか体制を保つ。
その強烈な威圧感に、数名の男女が気を失い、鼻面から床にブッ倒れると、

メキョッ!!

鼻が折れる音がした。
ソレを見て耐え兼ねた俺は、
「はいッ! 私が佐藤です。私が……佐藤です」
と挙手して、恐怖で千鳥足になりながらも前に出た。

向かい合う俺とハワイアン力士。

「ほぅ……貴様が佐藤か……」
チャドの海先輩は今にもビンタしそうな表情で俺の爪先から頭の天辺まで、舐め回すように見渡した。
一種のストックホルム症候群的状態に陥ってしまった俺は従順な三等兵の様に敬礼し、質問した。
「チャドの海……先輩閣下ッ……私は、今から……こ、殺されるのでしょうか?」
緊張で声が震えた。
するとチャドの海先輩はゆっくりと、低く重い声で言った。
「貴様が……鈴木とステディな関係だというのは、本当なのか……!?」
その一言で、俺は全てを悟った。チャドの海先輩が此処に来た理由。そして、これから何が起きるのかを。
目を閉じ、ゆっくりと深呼吸して、覚悟を決め、挑むような視線を向け、そらすことなく、俺は目の前の『敵』に言った。
「本当です」
と。
それを聞いたチャドの海先輩は赤鬼の様な形相で、
「ガッデェェェェェェェェエエエエエエエエエエエエエエムッ!!!!!!!!!」
憤怒し黒板に張り手を叩き込むと、

バチコォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!!!!!!

稲妻のような音を立てて叩き割れ、木屑が散乱する。中央にはマウンテンゴリラの手形みたいなクレーターがポッカリと空いていた。
それを目の当たりにした数十名のクラスメイツが失神し、後頭部から勢い良く地面に倒れこむと、

パキョッ!!

嫌な音が鳴る。おそらく頭蓋骨が陥没した音だろう。
しかし、そんな事はお構いなしに、チャドの海先輩は人差し指で俺を指し、シャウトする。
「放課後、稽古場に来いッ! エンジェル(鈴木)を賭けて、相撲で勝負だーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!」
そう来ると思った。これは予想の範囲内だ。俺は心を落ち着かせて、冷静なネゴシエーションを試みる。
「ちょっと待って下さいチャドの海先輩。俺は生まれてこの方、運動場の砂場以外で相撲を取ったことの無い、いわゆる素人(ビギナー)です。」
「何が言いたい? ミスター佐藤ッ……」
チャドの海先輩は明からさまに狼狽している。それを見た俺は含み笑いを浮かべ、続ける。
「不公平だと言っているんですよチャドの海先輩! 全国屈指の貴方と、ヘッポコ・ビギナー(ど素人)の俺。そんな二人が同じ土俵で雌雄を決する事自体が武士道精神に反する行為だッ!!」
「ぐぬぬッ……」
と、たじろぐ先輩を見て、勝ち誇った俺は気持ち悪いドヤ顔で続ける。
「より公平なジャッジを求める為に、相撲以外で勝負する、というのはどうだろうか? 例えば、そうだな……マリ○カート、とか……?」
密室トリックを暴いた名探偵の様な口調で言うと、俯いていたハワイアンが何かを思い出したかの様に顔を上げ、言った。
「ソレは駄目だッ!」
その予定外な返答に、俺は豆鉄砲で米神を打ち抜かれた鳩の様に、
「えッ……?」
素っ頓狂な声を上げると、チャドの海先輩は、
「相撲以外は許さないッ! 断じて許さんッッッッッ!!!!!!!!」」
早口で畳み掛けるように言って、
「その代わり、三回チャンスを与える。その内、一回でも拙者に勝てたら貴様の『勝ち』としようッ!!! これはハンディキャップだ」
やがてトンカツソースみたいな顔が冷笑に変わり、
「しかし、拙者が勝ったら……鈴木は私のマイ・ワイフ(嫁)だ!!!!!」
と付け加えた。
俺は数分考えた後、ウスターソースみたいな顔のチャドの海先輩に言った。
「もし、勝負を拒否したら?」
答えは、クロスカウンターの様に、唐突に帰ってきた。
「エンジェル(鈴木)をレイプする」
と。
血の気が引き、俺は思わず、近くにあった椅子にどっかと座り込む。しかし、座る時の勢いが強かったらしく、そのまま後頭部から床に落下する。
「だはぁあああああああッ痛ぇえええええええええええッ!!!!!!!」
と頭を抑え悶え苦しむ俺の周りでクラスメイツ達が小波の様にざわめき始める。
「放課後、楽しみにしてるでごわすよ」
「尻尾巻いて逃げんなよ~佐藤」
「ごっつぁんでぇえええええす!」
「今からちゃんこ鍋食おうぜー」
「グワッハッハッハッハッハッハ!」
等と高笑いを撒き散らしながら教室を去っていく相撲部員達。
チャドの海先輩は去り際に、手馴れた感じの投げキッスと垢抜けたウインクを鈴木に飛ばした。それに対し鈴木は、
「フンッ!」
と少しも物怖じした様子は見せず、小悪魔的に片方の頬を膨らませて、プイッと顔を背ける。
その素っ気ない態度に、お好み焼きソースみたいな顔のチャドの海先輩は「やれやれ、まいったな」といった欧米風なジェスチュアで紳士的に応じた。

相撲部員が去った教室で、
「あの……そろそろ授業始めても……いいかな?」
完全に忘れ去られていた現国の森田教諭が言いにくそうに頭を掻きながら言った。
誰一人として気付かなかったが、とっくに五限目は始まっていて、既に40分もの時間が経過していたのである。
死にそうな顔をしている森田教諭に、
「あと10分しかないっちゃ☆ もう諦めるっちゃ☆」
と言い放ったのは、『うる星』のラ○ちゃんのコスプレ(友引高校制服バージョン)をした山田だった。
意外と可愛かった。


つづく





















8, 7

  

第九話 『シコ踏んじゃって』


その日の放課後。
人生初の廻しを締め、気合充分の俺は相撲部稽古場中央にある土俵を前に、怒り狂った牛鬼の様な表情をしたチャドの海先輩(ハワイアン力士)と対峙していた。
どこから聞きつけたのか、物凄い数のギャラリーが詰め掛けていて土俵の周りを囲んでいる。
相撲部2年の花田が土俵に上がり、相撲取りの様な声でこう言った。
「そろそろ始めましょうかッ!」
公式の取組ではないので、彼が主審(行司)を務めるらしい。
それを聞いたチャドの海先輩は、
「ヒィィィイイィウィィィイィィゴォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオウゥゥゥッッッ!!!!!!」
バズーカ砲の様なデス声を張り上げ、立ち上がる。
すると忽ち、200名を超える観衆から嵐のような大歓声が巻き起こる。
俺も負けじと、
「シャァァァアアアアル、ウィィィイイイイイ、ダァァァアアアアアアアアアアン!!!!!?」
意味不明は言葉を、思いっきし腹の底から出して、土俵と言う名の険しいジャングルへ足を踏み入れた。
その瞬間、少しだけ(否、かなり?)座がしらけたが、俺は気にしなかった。

次に、チャドの海先輩はゴリラみたいな手で塩箱から荒塩をすくい上げ、俺に向かって放り投げてきた。
雪だるまみたいな塩の塊が綺麗な放物線を描いたかと思うと、俺の脳天に直撃し、
「いでッッッッッ!! ……塩っぱッ!!!!」
放射状に砕け散り、口や目に入って、あわや大惨事になりかけるも何とか切り抜けた俺は、人生初の塩撒きに感動しつつ、遂に立会線の前に立った。
誰に向けたものなのか? 声援がさらに盛り上がり、俺の緊張がピークに達した。
目の前に立ちはだかるは、獰猛なるハワイアン・ビッグフッド。
その人知を超えた巨体を前に、恐怖の余り冷たい汗が全身から滲み出し、足が震え始め、意思とは裏腹の16ビートを刻みだす始末。BPMは210くらいといったところか。
少しでも気を抜けば前と後ろから同時に失禁してしまいそうだった。
それでも俺は逃げなかった。
こんなUMA野郎に鈴木(嫁)を寝取られるぐらいなら、死んだほうがマシだからだ。

「三本勝負です。一回でも佐藤が勝てば佐藤の勝ちです。いいですね?」
主審の花田から簡単な説明を受け、そろそろ取組が始まろうという時、不意に、
「佐藤ーーーっ! 頑張れーーーーっ!! 絶対負けるなーーーーーっ!!!」
大歓声の中から鈴木の声が聞こえた。この耳障りのいい清涼な調べは鈴木の声に間違いない。
確信した俺は声がした方へ目をやり、鈴木を探す。
しかし、探すまでもなかった。
俺はこの大観衆の中から、一瞬で鈴木を見つけ出すことができたのだ。
それは何故か? 

鈴木がチアガール姿だったからである。

赤と白を基調にしたデザインの、ヘソ出し&ミニスカート。両手には黄色いポンポンを携え、亜麻色の綺麗な髪は可愛くピンでとめられていた。
そんなチアガール鈴木がピョンピョン跳ねながら俺を応援してくれている。
その姿は、男性でもなく、女性でもない。言葉で表現するのも難しく、定義もし難い。
正に、人を超えた、人外の美しさ(可愛らしさ)だった。
その鈴木の姿を目の当たりにした男達は、
「ひでぶッ!!」
鼻血を吹き出す。
かくいう俺も、
「あべしッッッ!!!!!」
鼻血をぶちまけた。
チャドの海先輩はと言うと、
「オプティマスッッッ!!!!!」
と大量の鼻血をぶっぱなした。

そんなチアガール鈴木の隣では、
「ダーーーーリーーーーンッ☆」
『うる星』のラ○ちゃんコスの山田がこちらに手を振っている。そして、
「そんなマザコン野郎ッ!! ケツの穴に〈バキューーン!〉した後に〈ピーーーーッ!〉そんでもって〈イヤーーーン!〉から、挙げ句の果てに〈ワァーーーオ!〉して、奥歯ガタガタ言わせてやるっちゃ☆」
等と放送禁止用語を連発しながらキャピキャピと、完全になりきってやがる。(罵詈雑言以外は)
しかしながら、鈴木のチアガール姿はおそらく奴の仕業だろう。山田、何はともあれ、グッジョブ! 俺はラ○ちゃん(山田)に親指を立てた。

「では、手を付いてッ!」
花田の掛け声に俺とチャドの海先輩は体勢を低く構え、片手を着き、睨み合う。
すると、何故か後方から、
「汚ぇえええええええええええええッ!!!」
「やだ……気持ち悪い……ッ!!!」
「おぇええええええええええええええええッッッ!!!!!」
「きゃぁああああああああああああああああああああああッ!!!!」
「夢に出るぅうううううううううううううううううッ!!!!!」
等という声が上がり始める。何やら嘔吐している奴もいる模様だ。一体何が起こった?
俺が思考を巡らせていると主審の花田が、
「廻し、待ったッ!!」 
と言い、こう続ける、
「佐藤、廻しからモノ(チンチン)が出てる。巻き直せッ! 可及的速やかに、だ!!」
まさかの事態に、
「マジかよッ!?」
俺は慌てて股間を確認する。

完全に出ていた。

「全部出とるがなッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
俺は半泣きで叫んだ。
それが精一杯の言葉だった。
出来る事なら、サンダーバードのジェットモグラで地面に深い穴を掘って、その穴に身を投げたかった。

半笑いの相撲部員達に廻しを締め直してもらい、再び土俵へ。
気を取り直して、
「腰を落としてッ!」
と花田の掛け声。
再び低く構え、片手を着き、チャドの海先輩と睨み合う。
物凄い眼光だ。
正にこれが、蛇に睨まれた蛙の状態だ。
しかし、落ち着け俺よ。こちらのチャンスは3回。一回目は様子を見るのがセオリーだ。
相撲部主将といえど相手は同じ高校生なのだ。それがどれ程の強さなのか、一旦見極めよう。
それにこちらには秘策がある。タイム・イズ・クロック(時間加速)と言う名の秘策が。

「はっけよい……」
花田の声に場内は水を打ったかのような静けさに包まれる。
いよいよ始まる。
鈴木を賭けた取組(デュエル)が。
そして、俺とチャドの海先輩の、もう片方の手が地に着いたと同時に、
「残ったぁああああああああああああああああああッ!!!!!!!!」
悲鳴のような花田の掛け声が上がる。
俺は渾身の力で踏み込み、全体重を込めて、チャドの海先輩へ挑みかかった。
このまま先輩と組合って力比べを行う予定だった。のだが、その予定は無残にも打ち砕かれる。

チャドの海先輩の張り手が俺の顔面に向かって放たれたのである。
凄まじい踏み込みと共に、音速で空気を切り裂きながら迫り来るソレは通常の高速張り手とは異なり、コークスクリューや空手の正拳突きの様に『捻り』が加えられたものだった。

「ハワイアン砲ッッッ!!!!!(音速螺旋張り手)」

チャドの海先輩が叫んだ。
それは一瞬で俺の顔面に到達し、轟音を伴い、爆発する。
「ぐわぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
俺はセスナ機のプロペラの様に回転しながら、有り得ないスピードで後方へと吹き飛ばされる。
同時に場内は、土俵を中心とした渦状の強烈な突風に見舞われ、
「きゃぁああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!」
スカートをめくられた女子達の黄色い悲鳴が上がり、色取り取りのパンツが辺り一面に咲き乱れる。
オーソドックスタイプ、スパッツタイプ、ドロワーズ、ブルマー、毛糸のパンツ、Tバック、ハイレグ、紐パン、ふんどし、貞操帯、Tフロント、Oバック……等等。形状も様々だ。
それ等を目撃し、鼻の下を伸ばした男子達が、
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」
歓喜し、ダンシングし始めた時だった。チャドの海先輩の放ったハワイアン砲によって吹っ飛ばされていた俺は、地面から垂直に10m程離れた高さの稽古場の壁に、

ドガッシャァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンッッッッッ!!!!!!!!

と壮絶な音を立てながら、大の字の状態でめり込んだ。
「どぉッグふぉッッッ!!!!」
その瞬間、全身の骨の軋みと共に物凄い衝撃に見舞われ、至る所に激痛が走る。そして、
「ハッ……がッ! ……ごふぉッ……こッ……!」
息が出来なくなる。
意識が遠のくも、何とか引き戻す。といった、意識消失発作との格闘を一人で繰り広げていると、
「おいアレ見ろよ! 佐藤が嵐山の大文字みたいになってんじゃねーか!!」
何処かのお調子者が俺を指差して言った。
あろう事か、全員の視線がこちらに向けられ、ひと呼吸おいた後、爆笑に包まれる場内。
「く……ッ!」
俺は、満員電車で強烈な痴漢被害に遭った女性の様な、屈辱と恥辱に塗れた表情で、

「一回戦目、チャドの海先輩の勝ちッ!!」
ドドンッ!(太鼓の音) 

という主審花田の声を聞いた。


つづく










第十話 『トロピカル・クラッシュ』


15分間のトイレ休憩(トイレ休憩とは名ばかりで、賭け金の清算や、どこぞの祭り好きが出店した屋台(フードやソフトドリンク類)での買い物が主だった。)を挟み、二回目の取組が始まった。
そもそも、こんな短いインターバルで俺のHPが回復する訳もなく、
「ここは本当に地球かッ……!? へクキネラックス第二惑星じゃないのかッ!?」
って程の重力を感じながら土俵に舞い戻る。なんとか全身の激痛は和らいだが、とにかく体が重い。先程のダメージが相当深かったらしい。
土俵の上では、既にスタンバイ済のチャドの海先輩が、
「ハリィアァッッップ!! ミスター佐藤ッ!! ハリィアァァァーーーーッッップ!!!!」
等と地響きのような咆哮を繰り返している。
そんな、東京タワーによじ登ったキングコングみたいになっている相撲部主将へ、キッとした眼差しを向けた俺は、

次で決めてやる! 

と固く心に誓い、再び土俵中央の立会線の前に立った。
再度対峙する平凡な高校二年生の俺と、全国区の高校生ハワイアン力士(三年)。
「これより第二回戦を始めるッ!!」
と主審花田が関取のような声を張り上げた直後、待ってましたとばかりの大歓声が場内に巻き起こる。
明らかに一回戦の時より勢いを増している観客の熱をビリビリ感じながら、また交互に塩巻きをした。すると、
「待ったなし……」
舞台役者の様な花田の声。どうやら花田もノリに乗っているらしい。まぁ、この大歓声だ。仕方あるまい。
俺達はゆっくりと体勢を低くし、片手を着き、互を睨み合う。
すると観客の盛り上がりが最高潮に達した。
「はっけよぉぉぉぉぉぉぅい……」
歌舞伎役者の様な花田の掛け声に、場内がしんと静まり返ると、蜘蛛の糸の様にピンと張り巡らされた緊張感に包まれる。
そこにいた誰もが息を飲んだ。
稽古場の外からは、部活動に勤しむ者達の熱情的な掛け声と、命を燃やす蝉時雨。飛行機が空を横切る音。
不意に鳴り響いた、カキンッ! というバッティング音と共に、
「残ったぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!」
花田が叫び、戦いの火蓋が切って落とされた。
するとすかさず、

「ハワイアン砲ッッッ!!!!!!!(音速螺旋張り手)」

と容赦なく必殺技を放つチャドの海先輩。
それと同時に俺も、

「タイム・イズ・クロック(時間加速)……発動ッ!」

呟いた瞬間、俺のモノアミン神経伝達物質やらその他の色々な物質が壁みたいなものを突破(ブレイク・スルー)し、身体と思考のスピードが超絶的に加速する。
すると、周囲がまるで動画をスロー再生しているかの様な、なんとも不可思議で少し気味の悪い世界へと変貌した。
全ての人達がスローモーションで動いている中、自分だけが普通に身動きしている。
パラレルワールドに迷い込んでしまったかのような孤独感と、異音に対する不快感に苛まれながら、(無論、音もスローなので形容し難い奇っ怪なノイズで満たされているのだ)
「さて……と……」
と「よーし、一丁やったるか!」といった仕草で首をコキコキ鳴らし、肩をグルグル回しながら、超スローモーションでハワイアン砲を放っているチャドの海先輩の横手に周った。そして、その顔を見るや、
「うわぁ……すげぇ形相……まるでエンマーゴ(閻魔怪獣)だな、こりゃ」
思わず漏らし、更に、
「なんか、こうして見るとシュールだな」
という感想を述べ、一人で吹き出した。

『いつ解除されるか分からない』という、この技の短所を思い出した俺は、
「さっさとヤっちまうかッ!」
と、仕事に取り掛かろうとしている土木作業員みたく、
「ペッ、ペッ!」
両掌に唾を吐きながら言って、
「せいやぁああああああああああああああッッッ!!!!!」
サイドから渾身の力を込めてチャドの海先輩に挑みかかる。
取り敢えず、転ばすか、土俵の外に運び出せればいいのだ。
「ぐぅおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!!」
顔面の毛細血管が次々に破裂していく。自分でもそれがわかる程だ。
更に力を加える。
「だぁぁぁりゃぁぁぁああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!!!!!」
もし、大腸に老廃物がストックされていたなら、一瞬で解き放たれていただろう。それ程の力に達していた。
脳の血管が切れ始めているのか、頭の中がサイダーみたいにシュワシュワと泡立っている感覚。それでも続ける。
「きぃぃぃえぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッッ!!!!!!!!!」
眼球が飛び出しそうになりながらも、力を加え続ける。が、
「…………ぶはぁぁぁああああああああああッ!!!!!!」
力尽きる。
「畜生ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおうッッッ!!!!!!!!!!!!」
ビクともしない。
俺はフルマラソンを走り終えたランナーの様に息を切らしながら、次の手に打って出る。
今度は後ろ(バック)からフルネルソン(羽交い絞め)の状態でチャドの海先輩の大木の様な巨体を捕え、力を加える。まるでドラゴンスープレックスをかけるかのように。
しかし、
「クソぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぅうッ!!!!!!!!!!!」
どんなに頑張っても駄目だった。
ドロップキックを喰らわせても、ジャンピングヒップアタックを喰らわせても、シャイニングウィザードを喰らわせても、微動だにしなかった。まるで青銅の巨人(ゴーレム)の様に重く、強固で、パワフルだった。
そんな中、残酷にもソレは、何の前触れもなく訪れた。
それはスローモーション世界の終わりだった。
タイム・イズ・クロック(時間加速)が解除されたのだ。
急速に時間が流れ始める。とは言え、通常の時間速度に再び飛び乗っただけなのだが、それでも俺にとっては絶望的な事態だった。
それは、この巨人に立ち向かう術を失った事を意味し、同時に敗北をも意味していた。

術が解けた時、俺はチャドの海先輩の背後で立ち尽くしていた。
俺に炸裂する筈だったハワイアン砲が音速で空を切り裂き、それでも、

ッパァァァアアアアアアアアアアアアアアアンッッッ!!!!!!

強烈な破裂音を伴い、小さなつむじ風を生む。
空振りしたことで少し体勢が崩れるも「おっとっと……」といった感じで、すぐに立て直す。流石だ。毎日欠かさず行ってきた稽古の賜物だろう。
直後、場内が冷たく異様な沈黙に包まれたかと思うと、徐々に驚愕に変わり、一時騒然となる。
「佐藤が……消えた……!?」
「今、一瞬消えたよな……?」
「なん…………だと…………ッ!!?」
「やだ……気持ち悪い……」
「キモッ……!!」
「瞬間移動……した……のか?」
「空間を飛び越えたのか? それとも……単に座標を移動しただけなのか?」
「さ、佐藤は……デ○オだったのかッ!?」
チャドの海先輩もたこ焼きソースみたいな顔で驚きの表情を浮かべている。
場内の皆には、ハワイアン砲を喰らう瞬間、俺の姿が消えた様に見えただろう。そしてすぐに、チャドの海先輩の背後に現れた、と。
「佐藤、貴様……。どんな巧妙なマジックを使ったッッッ!!!?」
チャドの海先輩は顔面蒼白だった。無理もなかろう。目の前で人が消えたのだから。しかし、顔面蒼白といえど、ウスターソースくらいの『濃さ』はキープしていた。敵ながら天晴れだ。
かくいう俺も顔面蒼白に変わりない状態だった。それは何故か……? もう、打つ手が無いからである。それでも、
「視覚と心理を利用した、ちょっとしたトリックですよ」
等と適当な嘘を並べて強がって見せた。
楽勝感を装ったが、声は震え、裏返り、全身冷たい汗でビッショリだった。
もう後がない、という事がバレバレだった。
いち早くそれを察したチャドの海先輩は、
「ヘイヘイヘイ……どうした? ジャパニーズドール? 震えてるぜぇ~?」
嘲るように続けて、
「さてはミスター・ミラクル佐藤。先程のイリュージョン(瞬間移動)はビギナーズラック(童貞の強運)だな~?」
みるみるうちに血色を取り戻し、すっかり焼きそばソースみたいな顔になる。まるでバナナを得たゴリラだ。
そんな自信満々で詰め寄ってくるマウンテンゴリラ(チャドの海先輩)の迫力に俺は、
「……えッ? それは……その……」
思わず明からさまに狼狽する。情けなくモジモジと。まるで、うっかり捨て忘れた風俗嬢の名刺を、事もあろうか、鬼嫁に差し押さえられてしまった、哀れな恐妻家の末路を見ているかのようだった。
その姿を見て、完全に安心を取り戻したチャドの海先輩は、
「もう逃げられないねぇえええええええええええええええええええええええええええええええッ!!!!!!!!!」
獲物を捕らえる猛禽類の様な表情で、猛然と飛びかかってくる。
そして、いとも簡単に捕らえられる。
全てがスローモーションだった。
俺の動きも、チャドの海先輩の動きも。
それは、タイム・イズ・クロック(時間加速)の仕業ではなかった。
恐怖感は十二分にあった。
しかし、不思議と俺はソレを受け入れようとしていた。

俺の身体が逆さまになり、静止する。

自然界での『死』は、正にこんな感じなのだろう。
蛇に飲まれる直前の蛙の様な心境で、
「あぁ……俺、死ぬんだ……」
心の中で呟く。
もう何も考えられない。

その時、不意にスローモーションが解除される。と同時にチャドの海先輩が声高らかに、こう叫んだ。

「トロピカル・クラァーーーーーーーーーーーーーーーッシュッッッ!!!!! (脳天カチ割り投げ)」

直後、信じ難いスピードで落下し、

グショッッッッッ!!!!!!!!

土俵に脳天から突き刺さった。
最早痛みは無かった。
只、少し意識がボーッとする。
さんざめく場内に鉄を切るような悲鳴が飛び交い、主審花田の「二回戦目。チャドの海先輩の勝ちッ!!!!」という狂言者みたいな声と、チャドの海先輩のマンモスの咆哮の様な勝利の雄叫びが遠くの方で聞こえた。
空き缶や、ペットボトルや、フランクフルトが刺さっていた串や、バナナの皮や、亀の甲羅、焼きそばが入っていたであろうプラスチックの容器等が雨あられと土俵内に投げ込まれた。
そんな中、ふと稽古場の窓に目をやると、四角く切り取られた先に限りない紺碧の空が広がっているのが見えた。
すると、思い出したかのようにゆっくりと視界が反転していく。
景色が回る。
逆さまに突き刺さった俺の身体が漸く倒れ始めたらしい。
一瞬、チアガール鈴木が視界に入る。
泣きそうな表情で何かを叫んでいる。
その姿は、俺を深い眠りに誘う深緑の妖精(ダーム・ベルトゥ)のようにも見受けられた。
そんなチアガール鈴木を目の当たりにし、やっと理性を取り戻した俺は、
(……嫌だッ!! 死にたくないッ……!!)
声に出せず、胸の中で叫ぶ。
何故、死を受け入れようとしていたのだろう? 俺がチアガール鈴木を守らなきゃいけないのに! と、身体を動かそうともがいてみても、手足への感覚が一時的にシャットアウトされているらしく、その願望は呆気なく潰えてしまった。
一瞬たりとも勝負を諦めてしまった事には変わりない。あの時、諦めていなければ。あの時、最後の力で足掻いていれば……。等とどんなに悔やんでみても、既に手遅れだった。
そして俺は、

「鈴木ッ……ごめん……」

と言い残して、無様に意識を失った。
テレビの電源を切ったみたいに、又は、電気の使い過ぎでブレーカーが落ちたみたいに、漆黒の世界が訪れた。


つづく





10, 9

  

第十一話 『攻略法』


もう既に二回戦目を終えた俺達は、グッタリとベッドに倒れこむ。
再び二つに切り離され、恍惚とした表情を浮かべる俺達の周りには、使用済みティッシュがまるで水面に浮かぶ睡蓮の様に散りばめられていて、少し赤みがかった薄暗いライトがそれら全てを照らしている。
何度も絶頂(エクスタシー)を迎えた鈴木は、その美しい顔を扇情的な薄桃色に染め、シルクの様な柔肌にキラキラと汗を浮かべながら息を切らしている。
「佐藤の……ハァ……すごぉ……ハァ……さッ、佐藤の……凄ぃのぉ~」
太くなく、細過ぎない、なんとも男の欲情を掻き毟る艶かしい身体の曲線(ライン)と、汗と体液に濡れた柔らかく艶やかな亜麻色の髪(ヘアー)。薄茶色の大きな瞳は涙で濡れている。そんな鈴木を見て再び俺の男根が屹立したので、
「鈴木……もう一回しよ……ッ!」
鼻息を荒げて覆い被さり、その剥きたての茹で卵の様な肌に、時に強く、時に優しく舌を這わせると、
「あ! ちょッ……やっ、佐藤……だめぇ……あ……あっ!」
鈴木は生娘のような喘ぎ声を上げて身をよじらせる。やがてソレは鈴木の秘部に達し、
「佐藤……らめぇ! ……そこッ……らめぇ……!」
官能的に反応しながらベッドのシーツを握り締め、必死に快楽を受け止めている。
その姿に、俺は堪らず、
「……んッ! ちゅッ……ん」
「んんッ……! ……くふぅ……ちゅぱッ……」
柔らかい鈴木の唇にむしゃぶりつき、舌を絡め、吸い、濃厚なキスをする。
すると不思議なことに、カクっと鈴木が脱力する。
それをいいことに、俺はすかさずカッチカチに勃起した男根を鈴木の秘部へ押し当て、
「入れるよ……? 力抜いて」
「ちょ……ッ、まだ……早っ……あ!」
嫌がる鈴木の両手を押さえ込み、ゆっくりと中へと押し進むと、
「あッ! やぁぁぁぁああああああああああああああああああああああッ!!!!!!」
鈴木はエロティックに表情を歪め、喘ぎながら、身体を仰け反らす。
俺の男根が根元まで挿入され、再び一つに合体(ドッキング)すると、
「あッ……!! ぉ、奥……すごぃぃぃ……」
甘えるような声で言った鈴木はトローンとした(なんとも虚ろな)表情で、快楽によってもたらされた痙攣に耐えていた。
俺も思わず、
「あったけぇぇぇ~!」
と洩らした。
そして、俺は鈴木の前立腺を擦るように肉棒の角度を調節しながらピストンし始める。
最初は優しくゆっくりと。滑らかな腰使いで。
すると男根の先っぽから、とろけてしまいそうな快楽が全身へと広がっていく。思わず昇天しかけた俺は、
「うあ……っ!」
と倒れ込み、鈴木の首ずじに顔をうずめ、乱暴に舌と唇で愛撫すると、
「あんっ……! ん……ッう……あぁぁんッ!」
そんな鈴木のセクシーでチャーミングな喘ぎ声に鼓膜まで勃起しそうになる。
何度も押し寄せてくる快楽を共有し、まるで何かを確かめ合うように体液を交換し合う。
やがて、鈴木の甘くイヤらしいフェロモンの香りが部屋に充満していく。
本能が赴くままにお互いの身体を擦り合わせ、打ち付け合い、絡み合わせる。ソレは徐々に激しさを増して、溺れたように息が荒くなる。
脳みその中をグチャグチャに掻き混ぜられているか様な快楽に身体が溶けていく。
ドロドロになって、俺と鈴木は一つに溶け合う。
「あぁッヤバイ!! イキそう! 鈴木ッ……中で……出すぞッ!!」
俺が必死に言うと、
「来てぇッ! ……佐藤のッ……イッパイ……イッパイ出してッ……!」
鈴木は多淫なフーリー(天女)の様に求め返してくる。
そして背徳的な感情が全身の快楽を頂点まで押し上げる。キャパシティーの壁を、何度も突き破って。
物質の束縛から漸く解き放たれる事を知った俺は、消失していく快楽と意識の中で、思った。
「これが……俺達人類が出した『答え』……だったのか……?」
と。
身体が、白い光に消えていく……。
すると、

「ダーリンッ!! いつまで寝てるっちゃ!!!!?」

という声がしたかと思うと、
バチチチッ! という効果音と共に全身に強烈な鋭い痛みが走り、
「ぐわぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!」
絶叫しながら飛び起きた俺は、
「……あれッ!? ……ここは? セックス……え?」
等と夢と現実の狭間で完全にパニック状態に陥ってしまっていると、そこへ、
「保健室だっちゃ☆」
ピョンと現れたのは、スタンガンを両手に携えた『うる星』のラ○ちゃん(のコスプレをした山田)だった。
その姿に俺は一瞬、うっとりと目を奪われた。
それは、友引高校のセーラー服から、虎縞模様のビキニ&ロングブーツ(憧れのスタンダード・フォーム)にドレスチェンジされていて、とてもグラマーだったからである。
込み上げる感情を必死に理性で押さえ込み、
「ラ○ちゃんの電撃をそんな物騒なモンで表現するんじゃないッ!!」
とツッコミを入れると、ラ○ちゃん(山田)は、
「うちに、不可能はないっちゃ☆」
とウインクして舌を出した。
不覚にも萌えた。

すっかり夜になっていたので、慌てて保健室の時計に目をやると、既に23:00を回っていた。
急に現実が押し寄せてくる。
愛する鈴木を賭けた、チャドの海先輩との相撲対決で喫した完全なる敗北。
「くそぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!!」
悔しさの余り、泣きながら壁を殴るも、パキッ! っと情けない音がして、
「痛てぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええええええええええええええええ」
面目丸つぶれになる。
(鈴木を……守れなかった……ッ!)
只情けなくて、自分が許せなくて、ベッドにうずくまり、絶望に打ちひしがれながら、俺は嗚咽を洩らした。
そんな俺とは裏腹に、元気ハツラツとした○ムちゃん(山田)が、
「ダーリン、何してるっちゃ? 時間ないから早く行くっちゃ☆」
といつまでもクヨクヨしている俺に言った。
「へッ……?」
素っ頓狂な声を出す俺に、ラ○ちゃん(山田)が顔を近づけて、
「まだ放課後(今日)は終わってないっちゃ☆」
その可愛い表情と仕草に思わずドキッとしていると、

パパパァァァンッ!!!

外から車のクラクションが鳴り響いた。
ほぼ同時に、○ムちゃん(山田)はクルッと回転し、可愛らしく片足を上げたポーズで、
「今から三回戦目を執り行うっちゃ☆」
と言った。
それは最早、仄暗い闇と深い静寂のみを併せ持つ地下牢獄に、一筋の光が差し込まれたかのようだった。
自らの血肉が熱く滾るのを感じた。

ラ○ちゃん(山田)に促され、玄関前に出てみると、白と黒のツートンに仕上げられたスプリンタートレノが停車していた。その車のシャーシのサイドに、
『藤原と○ふ店(自家用)』
とペインティングされていた事に気付いた俺は思わず、
「うわぁッ! やっぱ生で見ると格好良いけど……ある意味痛いな……」
たじろぎ、額に一筋の汗が流れる。一方ラ○ちゃん(山田)は、
「頭○字D(イ○シャルディー)だっちゃーーーッ!」
キャピキャピしながらはしゃいでいる。すると、
ウィーーーーーーーーーーン
運転席側のパワーウィンドウが淡々と開かれ、中から、
「時間がないッ! 早く乗りたまえッ!!」
劇団○季かッ!? って程のミュージカル口調が聞こえ、運転手の顔があらわになると、俺は驚愕し、

「ゆっ……湯川ッ!!!? 何で……!?」

元数学教師を思わず呼び捨てにする。唖然とした表情で後ずさりしている俺に、
「ラ○ちゃん(山田)からあらかた話は聞いたッ! 阿呆面をぶら下げてないでさっさと乗りたまえッ! 決着を付けに行くんだろッ!?」
湯川が相変わらずの口調で急き立てると、ラ○ちゃん(山田)は後部ドアを開きながら、
「ダーリンッ! 早く早く~!!」
こちらに手招きしている。
それらに対し俺は、
「お……おうッ!!」
と返し、後部座席に飛び乗った。すると、
「しっかり掴まってろッ! とばすぜぇえええええええッッッ!!!!」
湯川が舞台役者ばりの声量で叫び散らし、
「レッツゴーだっちゃ☆」
ラ○ちゃん(山田)が無邪気にはしゃぐので、
「あ、安全運転で……お願いしますッ!!!!!」
シートベルトを締めながら俺も叫んだ。

ドヤ顔でハイウェイをぶっ飛ばす湯川。ルンルン気分のラ○ちゃん(山田)。
カーステレオからはひたすらサイバートランスが爆音を立てている。
そんな中俺は、流れていく夜景をボーッと眺めながら、ある事を考えていた。
すると、ラ○ちゃん(山田)が俺の顔を覗き込み、
「ダーリン、どうしたっちゃ? そんな浮かない顔して」
その困り顔に思わず萌えるも、
「あぁ……あんなクリーチャー(チャドの海先輩)どうやって倒せばいいのかな? ……って」
俺は正直に答える。二回戦ったが何をやってもびくともしなかったのだ。たとい今から戦っても、勝てる確率は皆無に等しい。
「正直……勝てる気がしないんだ……ッ」
悔しさに顔をクシャクシャにした俺が八つ当たりする様に言い放つと、湯川が間髪いれずに、
「佐藤、貴様は本物の阿呆(アンポンタン)かッ!!!?」
叱咤し、よく通る声でこう続ける。
「私を倒した時の、あの奇妙な技を忘れたのかッ!!!!?」
「はッ……!」
それは的確な助言だった。以前、湯川との戦いで使った『脳オブ・ザ・ブレイン(知能指数上昇)』でIQを跳ね上げ、チャドの海先輩との戦い方を、倒し方を考え出す、というものだ。
「そうかッ!!! その手があった!!!!」
曇っていた俺の表情が一気に晴れ渡る。そして、
「みんな……えっと、その……」
鼻の下を右手の人差し指で擦りながら、
「ありがとな!」
すると、
「フン! 負けたら許さんぞッ!!」
ピッ○ロやベ○ータみたいに湯川がぶっきらぼうに言い、
「ダーリン! 勝つっちゃ☆ 鈴木の為にっ!!」
ラ○ちゃん(山田)が可愛くウインクしてきたので俺は思わずデレデレと頬を赤らめたが、直ぐに表情を硬いシリアスモードにチェンジし、
「あぁ……絶対勝つッ!!!!!!」
イケメン風に誓った。

高速を降りると、田舎町特有の幽暗な街灯に包まれる。その頭上には大きな満月が煌々と懸かっていて、幼い頃、走行中の車内から月を見ると、追いかけてくる様に感じたなぁ、等と昔の事をふと思い出した。
「さて、もうすぐ着くぞッ!!!! いいか諸君ッ!!? トイレに行きたい奴はコンビニで済ましておけッ!!!!!」
運転席には舞台役者風の元数学教師、
「お月様、綺麗だっちゃ☆」
隣にはラ○ちゃんのコスプレをした謎のクラスメイト、そしてどこにでもいる平凡な高校二年生の俺。
「ハハハッ!」
なんとも奇妙な組み合わせに思わず笑えてくる。
そんな俺達が目指す先は、高校生ハワイアン力士・チャドの海先輩のホームステイ先。そこで最終決戦を行うのだ。
もう敗北は許されない。
俺はゆっくりと目を閉じ、息を吸い、コンセントレーションを高める。
感覚作用八識の内、第六層深くまで達すると俺はゆっくりと目を開き、

「脳オブ・ザ・ブレイン(知能指数上昇)……発動ッッッ!!!!!!」

パチンと指を鳴らしながら叫んだ。
直後、精神世界に何かとてつもなく巨大な何かが流れ込もうとしてくる感覚に襲われる。
まるで、怪物の性器を無理矢理ア○ルにぶち込まれているかのようだった。
「こんなの……は……入らない……ッ!!!!!」
どんなに抵抗しても、
「やッ……! こんなの……嫌ッ!!!」
拒絶しても、
「あッ! ……はいって……入って来りゅぅぅぅぅうううううううッ」
それでも、入ってくる。
このままでは精神の入れ物が裂けてしまう。
こんな事になるならやらなければ良かった。こんな事になるだなんて聞いてなかった。なんて終電を逃してラブホに連れ込まれてしまった女子大生みたいに後悔しても、後の祭りだった。
「こッ……こッ……壊れちゃいましゅぅぅぅううううううううううううううううううううううう!!!!!!!!!!!」
もう逃げられない。
まさに成功orDIE(成功か死か)なのだ。

あれから、どれだけの時間が経っただろう? 
兎に角長く、途方もない旅に思えた。
自分では三年位に感じたかもしれない。三年といえば結構な長さだ。中学校に入学したお子さんが受験勉強やら高校入試やらを経て晴れて御卒業するまでの時間だ。
しかし、そんな旅路も漸く終わりが来たらしい。
どんなものにも終わりはあるものだ。
遂にそれら全て(巨大な何か)が俺の精神に入り終えた。
すると、
「……コポォッ!!!!!!」
耳と鼻と眼低から脳汁が噴き出し、
「ぶはぁぁぁッ!!!!!!!」
意識が現実世界に引き戻される。
どうやら『脳オブ・ザ・ブレイン』が成功したらしい。
IQが200近くまで引き上げられた。
運転中の湯川が、「フン! どうやら成功したようだな」
隣のラ○ちゃん(山田)は「くたばったかと思ったっちゃ☆」
等と声をかけてくれた。
IQが高まりすっかりイケメンになった俺は、
「ふぅ……さてと」
面倒くさそうに呟き早速考えた。チャドの海先輩(クリーチャー)の攻略法を。
するとどうだろう。流石IQ200だ。考える暇もなく、二秒で答えが出てしまった。その簡単さにすっかり興を削がれた俺は、
「俺をなめるなよ……」
イケメン口調で呟いた。

そして時計は23時28分。 

湯川がサイドブレーキをギッ! と引き、言った。
「着いたぞッ」
俺達は車内から見上げる。
「ここが、チャドの海先輩のホームステイ先か……」
なんともコメントし辛い、田舎ならどこにでもある、瓦葺屋根で木造二階建ての、一般的な日本家屋だった。
そんな事はさておき、
「ゴフッ……ブシュ!!」
俺は鼻血を噴射した。
何故かと言うと、窓を覗き込んでいるラ○ちゃん(山田)の柔らかくて豊満な胸が、俺の二の腕に押し当てられていたからだ。
童貞の俺には、どうやら刺激が強過ぎたらしい。
「ん?」 
しかし当の本人は気付いてない。
その素っ頓狂な表情に、不覚にもまた萌えた。


つづく








第十二話 『ファイナル・アクセラレイト』


ティッシュで鼻血を吹きながら車から降りた俺は、早速チャドの海先輩のホームステイ先のインターフォンを押した。
暫くすると、
「はーい。こんな時間に……どちら様かしら?」
御婦人と継る。おそらくこの家の奥さんだろう。シャム猫が似合いそうな気品溢れる声だったが、いきなりの訪問に少々戸惑っているような雰囲気が感じ取れたので、インターフォンのカメラにキチンとお辞儀して、失礼のないようできるだけ丁寧に言う。
「平梵学園二年の佐藤と申します。夜分遅く申し訳ありません。チャドの海先輩はおられますでしょうか?」
すると御婦人は、
「はぁ……居りますけど……チャド君、もう寝ちゃってますのよ」
そして困ったような声でこう付け足す。
「明日も朝早くから相撲の稽古に行かなくちゃいけないから……」
遠回しに、さっさと帰ってくれ、と言っているようだったので、
「あ……えっと……」
俺は口篭りながら、どうやったらチャドの海先輩を引き渡して貰えるか考えていると、急にラ○ちゃん(山田)が横からクイッと顔を出してきて、
「決着をつけにきたっちゃ!」
曇りなき真っ直ぐな眼(まなこ)で言った。
「……え!? け……決着ッ? っていうか、あなたその格好……ら……ラ○ちゃん!?」
いきなり飛んできた意味不明な言葉と、山田の出で立ちに御婦人は困惑している。
「愛する者を賭けた、男と男の真剣勝負だっちゃ☆」
「ちょッ……おま……!」
慌てふためく俺なんぞ歯牙にもかけず、ラ○ちゃん(山田)は熱く語った。御婦人は当然の如く、
「……愛する者? ……男と男の真剣勝負? あなた何言って……」
不審そうな声で言った。しかしその直後、信じられない事が起こった。
「……でも、なんかロマンチックな匂いを感じるわね……とにかく、それは大事な事なのねッ!?」
御婦人の心が動いたのだ。
「そうだっちゃ☆」
ラ○ちゃん(山田)は向日葵の様な笑顔で応じると、
「わかったわッ! 少しお待ちになってて。今起こしてくるからッ」
青春っていいわね~。と言いながらインターフォンは切れた。
その一部始終を第三者的視線から眺めざるを得ないでいた俺は、
「うそ……だろ……ッ?」
只々阿呆面を浮かべて呆気にとられていた。その横で突っ立っていた湯川がホッと溜息をついて、
「御婦人が変な人で助かったな……」
大して眩しくもないのに眩しそうに目をしかめながら銀色に輝く満月を仰いだ。

10分後、薄いグリーンの可愛らしいパジャマを纏ったチャドの海先輩が眠そうに目を擦りながら現れた。先端にポンポンが付いたナイトキャップまで被っていて、クマのヌイグルミを大事そうに小脇に抱えている。
そんな相撲部主将は欠伸混じりにこう言った。
「ふぁあ……こんな時間に、一体……何の騒ぎだ……?」
すると、
「何だその格好は……? 何でそんな可愛いパジャマを着ているんだッ!!!!? 答えろッ!!!!!」
声優のアフレコみたいな口調で言った湯川は、ピ○コロとかベ○ータみたいに腕を組んで、格好付けながら壁にもたれかかっている。
それを見たチャドの海先輩は、
「あッ! こないだ問題起こしてクビになった数学ティーチャーッ!! こんなトコで何油売ってんのッ!?」
湯川を指しながら、眠気も吹っ飛んだという様子で叫び、
「あぁッ! ジャパニーズ・コスプレイヤーッ!!! ソークール!!! ベリーキュート!!!! ジャパニメーション!!!!!」
今度はラ○ちゃん(山田)を指さしながらテンション高らかに叫んだ。その姿は凄く楽しそうで、まるで無邪気な子供のゴリラみたいだったので、話しかけ辛かったが、もう時間もない、と俺は意を決して、
「この辺でゴリラが現れるって聞いて、僕達、ゴリラ狩りに来たんですが……」
するとチャドの海先輩は呆れた様子で肩をすくめて、
「ミスター佐藤、ここはヴィルンガ国立公園じゃないんだ。ゴリラなんてものがいるはずないだろー? 遂にイカレたのかー?」
欧米風に笑いながら言った。しかし俺は、
「でも……」
真顔でチャドの海先輩を真っ直ぐに指さし、
「ここにいた」
言うと、チャドの海先輩のエビス顔が、見る見る内に鬼神の様な形相に変貌を遂げ、
「……ホワッッッッッツ!!!!!!!!!!!!!!!!?」
雷鳴の様な怒声を上げた。その凄まじい怒りで逆立った頭髪がゆらゆら揺れている。
その度を超えた威圧感に失神しかけるも、なんとか自分を奮い立たせ、
「あーそう言えば、相撲対決の三回戦目……まだでしたよね?」
飄々と続ける。
「土俵の上でゴリラ狩るってのも中々楽しそうですねー」
面倒くさそうに鼻糞を掘じりながら言い捨てると、それに憤怒したチャドの海先輩は、
「キルユゥー……アイル・キル・ユゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!」
裂帛の叫びと共に象のような右足を思い切り地面に踏み下ろした。すると、

ベキベキベキキキキキッ!!!!!!

という不気味な音を立ててアスファルトが裂けていく。
その人為的に起こされた天変地異を俺達三人は只呆然とハニワの様な顔で眺めるしかなかった。
同刻、近隣区域で『震度3』の地震が観測された。
この地震大国日本において、今回の『震度3』という、さほど大したことのない数字に戦慄を覚えたのは、おそらく俺達3人だけだっただろう。
数分後、この地震による津波の心配はありません、と報じられた。

23時55分。
「これより、三回戦目を始めるッッッ!!!!!!」
湯川がアカデミー賞級の雄叫びを上げた。
廻しを締めた俺とチャドの海先輩は、アスファルト上にチョークで描かれた即席の土俵に入るや、無言で淡々と、まるで倦怠期の夫婦が惰性で行う房事の様に塩を撒き、同じくチョークで描かれた立会線の前で再び相対した。
チャドの海先輩は恐ろしい程静かな殺意を放ちながら、獲物を前にした肉食獣(シンバ)の様に佇んでいる。
不意に、
(地面は硬いアスファルトだ。叩きつけられたら、100%死ぬ……)
脳裡をよぎる。
すると言い様のない『死』への恐怖が全身に絡みついてくる。
そこへ湯川が、
「待ったなしッ」
殆どギャグみたいなミュージカル口調で言うと、俺達は深く身構え、体制と呼吸を整える。そして、
「はっけよぉぉぉぉぉい……」
湯川がブロードウェイ顔負けの口調で言う。
俺はゆっくりと目を閉じ、瞑想状態に入る。非物理的フィールドと共鳴する為だ。

精神世界に降り立った俺は、先ず六つの表層意識を一気に駆け抜けた。
ここまでは謂わば幻想に過ぎない世界で、コツさえ掴めれば誰でも突破(ブレイク・スルー)が可能らしい。
しかし、ここからが本番だ。
七つ目からは、深層意識の領域に入る。
ここから先を掌握するのは至難の技で、想像を絶する集中力と妄想力、並びに人並みならぬ変態性が必要とされる。まず、リア充と呼ばれる方々には到底辿り着くことは不可能だろう。
それは何故か?
第七層を掌握するには、『外界』との繋がり、及び『自我』の否定と滅却が必要不可欠であり、主とされているからだ。この様な諸行、リア充の方々には到底出来ますまい。
不意に景色が、何処かの平原に移される。そのどんよりとした空を眺めながら、
「ここが精神世界ってやつか……結構広いな……ってか不気味」
等と呟き、辺りをグルッと見回してみる。すると目の前に今まで見た事もないほどに巨大で歪な石造りのモニュメントが現れた。何故かわからないが、それは七層への入口だという事が直ぐ解った。
「これが入口か……あれ? うぇッ……おえぇえええええええええええええええええええ」
巨大建造物恐怖症の俺は、その場で嘔吐した。

何度も嘔吐しながらも、なんとか超巨大建造物の中に潜入することができた。
中は薄暗くて広大な空間だった。天井は信じられないほどに高く、下にはだだっ広いプールが広がっている。
プールには水が張られていて、深さは暗くて分からない。
沖の方へ目を凝らすと直径20m程の穴が排水口の様にポッカリと口を開けている。
「アレが扉か……おえぇええええええええええええええええええええええええええええええええええ」
また嘔吐した。

仕方なく、嘔吐しながらプールに飛び込んだ。
底は深すぎて光が届かず、確認できなかった。
恐怖で溺れそうになりながらも、必死で泳いだ。
まるで誰もいない夜のダムで泳いでいるかの様な感覚だ。
想像の遥か斜め上をいく不安と恐怖に身体の震えが止まらない。
顔面蒼白で、もう殆ど瀕死状態の俺は、
「ごふぉッ!! ……ばッ……ゴボ、ゴボッ!! おえ……ッ」
死に物狂いでもがいた。

なんとか穴まで辿り着く。
そこには巨大な排水口があるものだと思っていた。しかし、その予想は外れた。
どういう原理かは解らないが、とにかくそこで水が途切れているのだ。
只そこに、プールに、ポッカリと大きな穴が空いている。
その非科学的な現象を前にしても、驚く事が出来ない程に俺は衰弱していた。
(もうどうにでもなっちゃえッ)
大失恋をした20~30代女性が、一時的な気の迷いを起こし、行きずりの情事に身を投じるかの様に、どこか諦観しながらも、その巨大な穴へ、虚無へ、力なく飛び込んだ。

そこからは、一切の『無』だった。
『自我』も『外界』も、何も無い、真の『無』。
そんな『無』の中で、ひたすら『無』に徹さなければならない。
それが、この第七層の攻略法だ。
しかし、第七層の主(ボス)はとても幼稚で狡猾らしい。しばしば俺に誘惑(罠)を仕掛けてくる。
『自我』を持つという悦楽と、『外界』と結びつく快楽を、さも素晴らしいものの様に、又それら全てがあたかも存在しているかの様に、耳元で囁いてくるのだ。
まるで減量中のボクサーの目の前で、ビーフステーキみたいなご馳走を、ワザと見せつけるように食すのに等しい行為だ。
だが、俺はそんな誘惑に負ける様なリア充じゃあない。
腹の減りも、ムラムラする性欲も、溜まるイライラも、ストレスも、怒りも、殺意も、痛みも、悲しみも、絶望も、全ては幻影なのだ。
運がいいことに俺はこれらの事をよく理解していた。以前読んだ漫画に載っていたからである。幸福感、高揚感、多幸感、といったものも、所詮幻影に過ぎないということも。
その御蔭で、七層の主が仕掛けてくる数々の罠をシカトし続ける事が出来た。
つまり、俺は第七層を完全攻略することに成功したのである。

完全な『無』の最中、第八層への扉も、当然の事ながら『無』だった。
実体は然ることながら、時間も空間も、全てが『無』なので、当たり前だが、第八層への移動は物質の相対的移動では行われない。
只々、そこは『無』で、紛うことなく最深と呼ばれる、万物と、真理と直結した世界。即ち第八層の世界だった。
語彙豊かな日本語をもってしても『無』に対しては乏しく無力で、なんとも表現し辛いが、八層目はとても質の良い『無』だった。
こう言ったら変だが、夏休みにクーラーをガンガンに効かせた部屋でサイダーを飲み、ポテチを食いながらファミコンをやってる様な感じだった。

ここで、我々が『現実世界』と呼んでいる世界に引き戻される。一瞬、ハッとなるも、
(あぁ、そう言えば俺、相撲やってたんだっけ……)
直ぐに思い出す。そして次の瞬間、

「のこったぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!!!!!」
まるで映画のワンシーンを再現しているかの様に、湯川が全力でシャウトした。すると、
「サノバッビィィィイイイイイイイイイイイィイイイイイイッチ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
チャドの海先輩が猛悪な形相で襲いかかってくる。おそらく俺の身体を捕らえた後、手っ取り早く『トロピカル・クラッシュ(脳天カチ割り投げ)』で硬いアスファルトに俺を脳天から叩き込み、一気に決着を着ける気だ。
しかし、俺は微塵も臆することなく、叫んだ。
「タイム・イズ・クロック(時間加速)発動ッ……更に、ファイナル・アクセラレイト(最大加速)ッッッ!!!!!!!!!!」
全ては、一瞬だった。

「佐藤……拙者は……負けたのか?」
チャドの海先輩は力なく、少し震えながら言った。それに対し俺は神妙な面持ちで、
「はい……」
とチャドの海先輩が、ついさっきまで撒いていた廻しを、静かに、ただ静かに、一糸纏わぬチャドの海先輩に歩み寄り、手渡した。するとどうだろう。
「そうか……」
チャドの海先輩はまるで憑き物が落ちたかの様に晴れ晴れとした表情でソレを受け取った。その姿は先程とはまるで別人で、否むしろ今まで通りの、皆から慕われている優しいチャドの海先輩が戻ってきた、といった感じだった。
「勝負規定、第十六条……」
横で見ていた湯川がトレンディ俳優みたいな口調で喋り始めたかと思うと、
「前褌がはずれ落ちた場合は、負けである。か……フッ」
キザな含み笑いをし、何処の劇団員ですか!? って程の大振りな仕草で俺の右腕を掴み、
「三回戦目ッ! 佐藤の勝ちッッッ!!!!!」
天高く突き上げたかと思うと、近所迷惑にも程があるやろ! ってな大声で、
「よって、鈴木争奪相撲対決ッ!……勝者、佐藤ッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!」
叫びながらもう一度、俺の右腕を乱暴に天に突き上げるもんだから、危うく右肩が脱臼しかけるも、俺は歓喜のあまり、近所迷惑についてもう一度深く考え直す必要があるレベルの大声で、
「よ、よっしゃぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
勝利の雄叫びを上げた。
ありふれたガッツポーズを決めている阿呆面の俺に、
「ダーリン☆彡 おめでとう! だっちゃ☆彡」
観戦していたラ○ちゃん(山田)がピョンっと抱きついてきた。
同時にフワッと甘いシャンプーの香りがして、ラ○ちゃん(山田)のたわわに実ったバストが、俺の身体にムニュっと押し当てられる。
その柔らかな感触に思わず、
「あぁッッッ!!!!!!!!」
情けない声を上げて勃起した愚息を両手で押さえ込んだ。すると、チャドの海先輩のホームステイ先のご婦人と思しき、わりと綺麗な(若い頃はさぞモテたであろう)女性が、
「あらあら。元気ねッ。若いって良いわ~」
と笑った。つられて皆も笑った。
一体いつから居たんだ!? 
でも……
ま、いっか! 
「はは……は、ハハハッ!」
俺も笑った。
その後、俺達は全員でラーメンを食いに行った。

斯く斯く然然で、俺は鈴木を奪われることなく、無事に夏休みを迎えることができたのだった。


つづく

 









12, 11

  

第十三話 『花火大会』


 遂に、待ちに待った夏休みに突入。
 という事で、今夜は地元の花火大会である。
 田舎ゆえにいつもは人通りの少ない駅前も、花火大会ともなればとても賑やかだ。
 街の所々に掛けてある提灯がアンニュイな光を放ち、夏祭り独特の幽暗な雰囲気を醸し出ている。
 屋台の匂いや、往来する人達の艶やかな浴衣姿、ハネた太鼓のリズムと、篠笛の旋律に心が踊る。
 これぞ日本の夏だ。

 ちなみに俺は今、浴衣を装着し、駅前で突っ立っている。
 待ち合わせの18:00まで、まだ30分もあるというのに、
 それは何故か……?
 ……そう。

 鈴木と花火デートだからだ。(お互い浴衣着用という約束で)

 そもそも浴衣なんて物を持ってなかった俺が浴衣ゲットに至るまでの道程は、そう簡単なものではなかった。
 ジャ○コでも最低、約3000~4000円はするメンズ浴衣。一介の高校生にとって3000円の出費というのは万死に値する。
 しかし、そんなことで諦める俺ではなかった。
 警視庁捜査一家か? って程の聞き込みと調査を三日三晩寝ずに行った結果、『西海岸』という古着屋さんでなんとワンコイン、即ち500円で手に入れることが出来たのだ。
 しかも、そんなに不味くないデザインだ。
「ふぅ……準備、完了だッ」
 意味は無いが、なんとなくイケメン風に呟いてみた。するとそこへ、
「佐藤君。こんばんは」 
 紺色を基調にした大人っぽくセクシーで、それでいて落ち着いたデザインの浴衣に身を包んだ見知らぬ女の子が声を掛けてきた。
 わりと可愛くて、艶やかな黒髪を綺麗に纏めている、胸はおそらくEカップ、しかもメガネっ娘だ。
 しかし一体誰なんだ!? この萌え要素満載の女の子はッ!!? 瞬時に記憶を辿ってみても皆目見当がつかない。
 俺が挙動不審になっていると、
「げッ!!!」
 ドリアンを嗅いだ様な表情で現れたのは、第一話と第七話に登場したツインテールの後輩だった。薄いピンクを基調にした明るく元気なデザインの浴衣を着ている。そんな後輩は青汁を飲んだ様な表情で俺を見ながら言った。
「お姉ちゃん……この人と知り合いなの!?」
 すると見知らぬメガネっ娘は、
「うん。クラスメイトだもん」
 とアイドル声優みたいな可愛い声で言った。
「えッ……!?」
 クラスメイトにこんな娘いましたっけ!? 俺としたことが迂闊だった。今度再チェックしておこう。
「ふーん。そうなんだ。……キモッ」 
 ツインテール(妹)が吐き捨てると、
「こらッ。女の子がそんな言葉遣いしちゃメッ」
 メガネっ娘(姉)が躾ける。
「フンッ!」
 膨れるツインテール(妹)。なんて対象的な姉妹なんだ。と俺が感動していると、
「じゃあ、佐藤君。私たち行くね! 鈴木くんに宜しくネッ☆」
 メガネっ娘が去り際に飛ばしてきた悩殺ウィンクに危うくハートを射抜かれそうになるも慌てて、
「あ……あぁ。また学校でッ!」
 上擦る声で返し、手を振った。 
 二人の浴衣美人姉妹は人混みに消えていった。

「佐藤~ッ! 待った~!?」
 鈴木の声がした。18:00ピッタリに到着したらしい。
「いや、今来たとこだよ~」
 言いながら声がした方に目を凝らし鈴木の姿を探すも、
「あれれ……おかしいなぁ……」
 見つけられない。
 目の前には花火会場を目指す大勢の人の流れと、浴衣を着たアイドル顔負けの超絶美少女がいるだけだ。キョロキョロと鈴木を探している俺に、
「ここだよッ! 僕だよ!」
 浴衣を着たアイドル顔負けの超絶美少女が口を尖らせてプンプン怒りながら言った。
「おま……鈴木……なのか……ッ!?」
 
 彼女……否、彼は鈴木だった。 
  
 涼感漂う白地をベースに繊細で鮮やかな青い花々がお淑やかに散りばめられている。完全に女の子専用浴衣だった。
 それに加え、上品な薄めのお化粧と、爽やかなコロンの香り、少し歩きにくそうな下駄の音、可愛い髪飾りと、凝った変わり結び、手には浴衣と同じ柄の巾着。それら全てが鈴木をより完全な存在へと近付けていた。
 その木花之佐久夜毘売の様な御姿。その御前で俺は只呆然と立ち尽くし、そして、エレクトした。
 すると鈴木が、
「お姉ちゃんのお古なんだけど……変じゃないかなぁ?」
 可愛らしい仕草で袖を広げて俺に見せてくる。俺は鼻血をドクドク流しながら、
「へ……変なもんか!」
 思わずムキになる。そんな俺に鈴木は悪戯な上目遣いで、
「じゃあ何なのさ……ちゃんと言って……」
 甘えるように俺の浴衣の端をクイクイと引っ張りながらせがんでくる。俺は堪らず顔をクシャクシャにして、
「あーもうッ!」 
 仕方ねぇなー! といった投げやりなアクションで、
「可愛いよッ!!!!!」
 言い放ち、小石を蹴った。でも心の中では、宇宙一可愛いよ! って叫んでいた。顔がカッと熱くなる。 
 完全に機嫌を直した鈴木が、
「でへへ~」
 人差し指で鼻の舌を擦った。それを見た俺はパンツの中で白濁を散らした。

 花火大会が行われる河川敷には数え切れない程の屋台が軒並みを連ねていて、とにかく人でごった返していた。なんでも、20:00から打ち上げられる6000発の花火を目当てに訪れる人出の数は毎年10万人を超えるらしい。
 そんな祭りの雰囲気に感化され、すっかりテンションを上げた鈴木が、
「焼きそばも、タコ焼きも、イカ焼きも、お好み焼きも、カキ氷も、綿飴も、フランクフルトも、アメリカンドッグも、全部食い尽くすのが今日の目標なッ! これもう決定だからー! 佐藤、早く早くーッ!!!」
 水精(ニンフ)を連れて野山を駆け巡るお転婆な月の女神(アルテミス)の様に急かすので、
「そんなに食ったら、死ぬぞッ!! 待てッ!!!」
 鈴木を追って俺も走り出す。
   
 河べりの石段に腰掛けて焼きそばと、たこ焼きと、お好み焼きを平らげた俺と鈴木は、早々にデザートのカキ氷を探す旅に出た。 
 鈴木はフランクフルト、俺はイカ焼きを片手に暫く歩くと、鈴木が、
「あそこで何かやってるよ!」
 何か見つけた様に指を差している。
「おや?」
 その先に目をやると、『大食い大会』と掲げられたステージの周りに人集ができていて、汗臭くて熱苦しい喧騒に包まれていた。
 物凄い熱気が立ち込める中、ステージ上では三人の男達が巨大な寸胴鍋を抱きかかえるようにして、中からラーメンを吸い上げている。
 向かって左側の男はガリガリに痩せていて銀縁メガネを曇らせながら飄々と箸を動かしてる。この男、色が白くて一見貧相に見えるが、時折銀縁から覗かせる鋭い眼光が只者では無いという事を物語っていた。
 中央の男は猪首で、やや小太りに見えるが、よく見るとガッシリと分厚い筋肉をまとっている。よく日に焼けた褐色の肌が生命力に満ちていて、綺麗に巻かれたアイパーと爪楊枝みたいな眉毛がヤンキーだという事を物語っていた。
 すると鈴木が、
「あれッ!?」
 何かに気付き、
「ねぇねぇ佐藤、あの右側のでっかい人って……」
 何やら指差している。その方向に視線を移した俺は、
「……あれまッ!!!」
 思わず素っ頓狂な声を上げた。
 その向かって右側の男は、いかにもVシネに出てきそうなバタ臭くて彫りの深い顔を鬼の様な形相に変え、圧倒的なスピードでラーメンをバキュームしている。そのマウンテンゴリラみたいな巨体がハワイアン力士だという事を物語っていた。
 俺と鈴木は、
「チャドの海先輩……ッ!!!!!?」
 と二人同時に顔を見合わせた。
 先輩の豪快で粋な喰いっぷりにギャラリーから驚嘆の声が飛び交う。
「まるでアトモスだな……」 
 と俺が噴き出しながら言うと鈴木が、
「あんなの誰も勝てっこないよ」 
 呆れた様子で返す。俺はスキを突いて鈴木の食べかけフランクフルトをひとかじりして、
「ジャイ○ント白田でも?」 
 と言って子供みたいに駆け出す。すると、
「こらー! 勝手に食うな!!」
 鈴木が追ってくる。
 気付いたのは少しあとだった。これが間接キスだったって事に。

「あー。そう言えば湯川がカラオケ大会に出るって言ってたっけか?」
 こないだ世話になった事だし、見に行ってやるか。という事でカラオケ大会のステージを目指す道中、俺達はカキ氷をゲットすることに成功した。
 俺はハワイアンブルー、鈴木は全部ミックスだ。
 キーンとした米神の痛みに表情を歪めながら下駄を鳴らしていると、

「愛にッ~気じゅいてッくだッ、しゃッ、いぃ~ッ♪」

 と、大音量のカラオケ音が聴こえてきた。どうやらもう始まっているらしい。
 その歌声に俺と鈴木はその場で腹を抱えて爆笑した。
「こいつッ、完全になりきってやがるッ!!!」
「笑いすぎてお腹痛いよー!」
 別に下手だから笑った訳ではない。気持ち悪いから笑った訳でもない。むしろリズムもピッチも安定していて、強弱や感情の入れ方も相当なものだ。かなりの上級表現者だと言えよう。
 現にpenicillinのロマ○スを完璧に歌い上げている。 
 しかし、どういうわけなのか解らないが、面白い。どうしてこんなに面白いんだ!? 聴いていると何故か爆笑してしまう。
「早く見に行こうぜッ!」
 鈴木が俺の手を引っ張ってステージに向かって歩を早める。
「お……おぅッ!!」 
 俺もそれに続く。普段履き慣れない下駄にもやっと慣れてきた様だ。

「うわぁ! 凄い盛り上がりッ!」
 鈴木が感嘆するのも無理はあるまい。何故ならカラオケステージの周りにはたくさんのギャラリーが詰めかけていて、まるでプロのミュージシャンがライブをしているかの様な凄まじい盛り上がりを見せているからだ。
「えぇッ!? マジかよ……」
 それに続き俺も声を上げた。 
 ステージ上でスポットライトを浴びながらパフォーマンスしていたのが、あの湯川だったからだ。
 自己陶酔のし過ぎでマスターベーションをしているかの様な表情に、ナルシスト全開のクネクネしたステージング。
 途中の間奏(ギターソロ)に差し掛かるや否や、イキそうな(天にも昇るような)顔でエアギターを弾き始める始末だ。
 本来なら失笑を買う筈のオナニー・リサイタルだが、その現実離れした成りきり感と意味不明なカリスマ性によって観る者は只々圧倒され尽くし、ソレはやがて熱狂に変わったのだ。
「あそこまで成りきってると逆に格好良いなッ」
「うん。確かに。さすがは元演劇部顧問だね」
 曲がアウトロに突入したと同時に、俺達はソっとその場から立ち去った。優勝は出来ないだろうが、審査員特別賞くらいは獲れたに違いない。湯川の新たなる一面を垣間見た気がした。
 
 その他にも、ミス浴衣コンテスト(駅前で会った黒髪のクラスメイトが優勝していた)とか、腕相撲大会とか、クイズ大会とか、色んな催しが行われていた。片田舎の花火大会にしては、かなり頑張ってくれている方だと俺は思う。だから毎年、皆ここに集うのだろう。
 輪投げ、お面屋、風船を紙でできた糸で釣るやつ、射的、金魚釣り、林檎飴、と様々な屋台を巡り、
「花火まで、少し休憩するか」
 という事で二人で腰掛けられる場所を探していると、

 ピュゥッ!

 不意にからかう様な口笛が鳴った。それを聞いて初めて自分達が人里から外れてしまっていることに気付いた俺は、
「しまった……チッ!」 
 思わず舌打ちする。
 路地裏の闇から冷酷な笑みを浮かべたヤンキー達が、一人また一人と現れ始める。まるで処女の匂いを嗅ぎつけた淫獣の様に。
「はーい、止まれ~。死にたくなければ止まれ~」
「おいおいマジかよ。アイドルみてぇ……」 
「スゲー可愛コちゃん連れてんじゃん。超ムカツク」
「へいへい~ちょっと俺らと遊ぼうやー」
「チンチンしゃぶってよ~」
「先っぽだけでいいからヤらせてッ!」
「誰にでも出来る、チンチンを使った簡単なゲームなんだけどー。興味あります~?」 
「もう我慢できないッ!! おマ○コ貸してッ!!?」 
 等と、それぞれバカにした様な口調で俺達を嘲りながら、見るもの全てに言いようのない威圧感を与えるヤンキー特有の歩行術で姿を現す。それに対し俺は、
「これだから田舎のお祭りは……ッ」
 緊張で顔を引き攣らせながら呟いた。鈴木も横で青い顔をして怯えている。テンションを上げたヤンキー達が普段より活発に悪さに興じる。それが田舎のお祭りにおいて唯一の短所だ。
 あっという間に俺達は1ダース程のヤンキーに取り囲まれてしまった。
 よく見るとチャドの海先輩と大食い大会に出ていた猪首のアイパーヤンキーも混ざっていた。というより、雰囲気的にそいつ(猪首のアイパー男)がこの一団のボスらしい。テキパキと指示を出している。
「取り敢えず喚かれたら面倒だから、両方拉致って、男の方は記憶無くなるまでボコって後で捨てるから! 早く車回してッ!」
 猪首のボスから指示を受けたヤンキー達が嘲笑しながらゾンビみたいにゆったりと襲いかかってくる。それに戦慄した鈴木が、
「うわぁあああああッ!!!」 
 悲鳴を上げる。一方、俺は鷹揚と指をパチンと一つ鳴らし、 
「タイム・イズ・クロック、ファイナル・アクセラレイトッ!!!!!(超時間加速)」
 取り繕ったドヤ顔にイケメン声で叫んだ。
 
 直後、俺は猪首男の背後に瞬間移動していた。

「……えッ!!?」 
「何で? ……何で何でーッ!?」
「あれ? 疲れてんのかな俺……」  
「気味悪ぃよ! 俺こういうのダメなんだってマジで!!」
「お前、マジシャンだったのッ!?」
 顔面蒼白のヤンキー達がてんでに悲鳴を上げる。 
 そんな中、俺は余裕の表情を浮かべながら猪首男の正面に周り、ドカっと、ホッカホカの塊を手渡してやる。その塊はブリーフやトランクス、ボクサーパンツにTバック、等といった男物のパンツで形成されていた。
 それを見たヤンキー達は、困惑し、一瞬の間を置いた後、急に慌てて、
「……ッ!!!!!!!!!!!!!」
 各々、自らのズボンの中に手を突っ込んだり、覗いたりしながら確認する。 
 そして一同、更に顔を青くさせる。さっきまで興奮で赤みを帯びていたのに、まるで鯖を食ったザリガニみたいだな、等と下らない事を考えていると、
「お前……一体、何者だコラ!? ってか、どんな手を使ったッ!!?」
 二日酔いのサラリーマンみたいに青ざめた顔の猪首男が声を震わせながら言った。それに対し俺は余裕の表情で、
「どんな手って、PKだよ。サイコキネキス(念動力)とアポーツ(物品引寄)、それにテレポーテーション(瞬間移動)、これらを応用しただけさ」
 大嘘を言って、更にハッタリをかます。
「今度はお前ら全員のポークビッツ引き千切って、それぞれの口に放り込んでやろうか~?」
 それを聞いたヤンキー達は震えながら後退りし始める。ヤンキーというのは純粋で率直な奴らなのだ。
 そんな中、手下ヤンキーの一人が猪首男に話しかける、
「黒田さん……こいつ、まさかアノ方と同じ……」
 それを聞いた猪首は冷や汗でビッショリの顔を掌でぶっきらぼうに拭って、
「あぁ……」
 意味深な相槌をうった。そして少しずつ後退りしながら、
「お前……名前は……?」
 と聞いてきたので、
「教える必要ないでしょ」
 俺は不機嫌な態度で返した。
「まぁいい。調べればすぐわかる事だ。覚えてろ」
 猪首男が言うと、ヤンキー達は散り散りに夜の闇にスっと消えていった。
 
 危機が去った。 
 
 徐々に状況を理解し、緊張の糸が切れた俺と鈴木は、
「怖かったぁあああああああ」
「マジ焦ったぁああああああああ」
 等と安堵の溜息を付きながら抱き合って、その場にへたりこんだ。
 
 メインイベントの打ち上げ花火に備え、『楽園の泉』という名のデパートの屋上に移動した。ここは地元民御用達の絶景ポイントで、わりと混雑してはいるが、都心部の満員電車(ラッシュアワー)に比べれば空いている。
 なんとか場所を確保した俺達は、
「そろそろ始まるよッ!」
「だな!」 
 その時を待った。
 俺はゆっくりと鈴木の手を握った。少しひんやりしていた。
 すると鈴木は、その柔らかな手で優しく握り返してくる。胸の鼓動が高鳴った。
 今か今かと待ちわびるギャラリーの姦しい話し声が、

 ヒュルルルルルルルルルル……
  
 という打ち上げ音に、シンと水を打ったかのように静まり返ると、

 ドドドドドドドドドドドドドドドドドォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!!!!!!!!!!!!!! 

 20:00丁度、夜空に大輪の花が咲いた。
「たーまやーッ!」
「わぁああああああ」
「綺麗~ッ!」
「きゃぁあああああああっ」
「スゲー、まじスゲー!」 
 ギャラリーから感嘆の叫びが上がる。それぞれの、様々な言葉で。
 最初の五尺玉を皮切りに、次から次へと空に花火が放たれ、凄まじい爆音を上げたかと思うと、美しく巨大な光の花弁が開く。
 そして、壮大な一夏の夜に儚く散っていく。
 素晴らしい情景だった。
 
「佐藤、キスしよ」

 不意に鈴木が言った。心臓が一度だけドクンと大きく脈打った。ゴクッと唾を飲み込んで、ゆっくり隣へ視線をスライドさせていく。
 鈴木は薄化粧の下で頬を赤らめて、両手の人差し指どうしをくっつけたり離したりしながらモジモジしている。その姿はとてもチャーミングで、まるで愛の女神(アプロディテ)の様だった。
「うん」 
 俺は少年の様な返事をして鈴木と向き合い、その華奢な肩に手を置いた。肩に手が触れた瞬間、ピクっと鈴木の身体が震えた。
 そして、鈴木が目を閉じた。 
 なんて可愛いんだろう。と思いながら顔を近づけていく。プルンとした唇に照準を合わせる。なにせファースト・キスだ。上手く出来るだろうか?
 このまま軌道を保ち、真っ直ぐ顔を動かしていけば、『高校二年の夏休みにファーストキス』というメモリーが俺のアカシックレコードに刻み込まれる。
 俺はゆっくりと目を閉じた。ファーストキスに向かって。
 しかし、
「佐藤ぉおおおおおおおッ!! 鈴木ぃいいいいいいいいいいいッ!!! こんな所にいたのか!!!!? 探したぞーッ!!!!!!」
 猛獣の咆哮の様な声に呼ばれた俺達はビクッと身を強ばらせながら、慌てて互いの身を離した。 
 胸の高鳴りが尾を引いている。
 悔しいやら悲しいやら、なんともやりきれない気持ちと、腹立たしい気持ちをごちゃ混ぜにしながら声のした方へ目をやると、
「パジェロ貰ったから、みんなで海行こうぜッ!!!!!!!!!」 
 屋上の入口付近でチャドの海先輩が、黄金に輝く鍵型の巨大なプレートを頭上で掲げている。
 そのプレートには『三菱・パジェロ』という文字が燦然と輝いていた。
「先輩……さては大食い大会で優勝したな?」  
 呆れて言う俺に鈴木が、
「水着、買わなきゃねッ!」
 小悪魔的なウインクをして、チャドの海先輩がいる方へ走り出した。それを目の当たりにした直後、パンツの中にカウパー腺液(我慢汁)が溢れた。
「ちょ……待てよッ!!」 
 俺も鈴木の後を追って走り出す。 
 キスはお預け。でも、夜空には光の花が咲き続けていた。
 生まれては消えてゆく。それはまるで生命に満ち溢れる夏の象徴の様に思えた。
 夏は、人生は、あっという間に過ぎていく。


 つづく


 第十四話 『海水浴』 


 突き抜けるような青空に巨大な入道雲、その下に広がるのは見晴かす限りの大海原。水鳥達の陽気な鳴声と濃厚な潮の香り。
 俺達は海水浴場にやって来た。
「熱ッ!!」
 灼熱の太陽に焼かれ、フライパンみたいに熱くなった砂浜の上で俺は飛び上がった。
「ハハハ! サンダルを脱ぐのが早いんだよ」
 地元のワイキキでビーチ慣れしたチャド先輩がニッカと白い歯を見せて笑った。アロハシャツとサーフパンツがとても様になっていて、脇に抱えた長いサーフボードとバタ臭い顔立ちとの相性が抜群だった。 
 ビキニを纏った水着ギャル達を尻目に慌ててサンダルを履き直していると、
「やーねダーリン。ランちゃん先に泳いでるよー☆」 
 ピンク色の髪にピンク色のビキニを着けた山田が豊満な胸を揺らしながら、波打ち際目がけて駆けていった。
 その健康的でセクシーなボディラインを興味深そうに眺めていたチャド先輩が口を開いた。  
「佐藤、あれは何のアニメのキャラクターだ?」 
 その問に俺は、
「うる星○つらっていう作品のランちゃんってキャラです。こないだのがヒロインのラムちゃんで、こっちも結構人気あるらしいっすよ」 
 にわかは、にわかなりの説明を返しておいた。するとチャド先輩は、
「ふーむ……日本のカルチャーは奥が深い……」
 と哲学的な表情で漏らした。
 水際ではしゃぐランちゃん(山田)の姿が可愛くて、不覚にも萌えた。

「お待たせー」 
 背後から鈴木の声。漸く水着に着替え終えたらしい。俺はすかさず、
「もう! 遅いぞー」
 等とプンプン怒ったような声でおどけながら振り返る。すると、
「ドぷフォぉッっ!!!!!!」 
 俺は、致死量に届きそうな程の鼻血を散らした。一方チャド先輩は、
「センチネルプライムッ!!!!!!」
 と、バケツをひっくり返したような量の鼻血をビーチに放った。

 天使が渚に立っていたからである。

 純白のキャミ・ワンピース型水着から眩しいほどに艶かしい手足が伸びていて、亜麻色のショートへヤーは右サイドだけ大きめに編まれ、花飾りの付いたバレッタで止められている。その姿はまるで羽衣を纏った女神(エスニャ)の様で、どっからどう見ても女の子だった。
 しかも、とびっきりキュートな女の子だ。
 ヘアアレンジと水着のチョイスは、おそらく山田の仕業だろう。
 何はともあれ山田、グッジョブッ! お前、天才だよ! 俺は心の中で叫んだ。

 チャド先輩は感動で声を震わせながら、
「オーマイガー……」 
 と欧米風な仕草でリアクションした。 
 俺はガッチガチに股間を勃起させながら只呆然と立ち尽くしていた。
 そして、俺は察した。
 硬さ、太さ、長さ、反り具合、それら全てが、今までの人生で、一番だという事を。
 そんな中、鈴木が何か言いたげな表情でモジモジしている事に気付く。その姿を見た俺は、今更何恥ずかしがってんだよ! 等と思いながらフッと含み笑いをして、思いっきり格好付けて言った。
「どうしたの?」
 すると鈴木は俺の股間を指さし、
「出てるよ」 
 言った。それでも俺は平静を保ちつつ、イケメン風に、
「そんな馬鹿なッ」 
 自分の股間を見る。 
 三日月みたいなオレンジ色のブーメランパンツからチ○コがはみ出していた。
「畜生ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」 
 俺は半泣きで叫びながらチ○コを隠した。 
 さっきからやけに水着ギャルが俺の事を見てくるなぁーと思っていたら、原因はコレかよッ!
 ボーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ
 遠くで船の汽笛が鳴った。

 午前中、しこたま遊び、腹ペコになった俺達一行は
「そろそろ腹減ってきたな~」
「ご飯食べよー!」
「ちゃんこ鍋あるかな?」
「おんどりゃー! 飯食わせんかいワレー!」
 等と口々に訴えながら、昼食をとるべく海の家に訪れた。 
 俺はキムチラーメン、鈴木はナポリタン、ランちゃん(山田)はカレーライス、チャド先輩はちゃんこ鍋を注文した。

 皆、余程腹を空かせてたらしい。
 目当ての品が来るやいなや、
「いただきますッ!」
 早口で手を合わせ、勢い良く喰らい始める。
 海の家で食べる料理は、何故かいつもより美味しいような気がする。
 空と海のブルー。有線からは夏の音楽。賑やかな人の声。
 シチュエーションって大事なんだなぁ。とか思いながら、キムチ味の熱くて辛いスープを啜って、滲んだ額の汗を左手で拭った。
 
 ちょうど全員が食べ終える頃、ビーチに或る異変が起こった。
 
 所々で無数の悲鳴が上がったかと思うと、海で遊んでいた人達が一斉に浜辺に逃げ帰ってきたのである。
「え……ッ!?」
「何だ何だッ?」  
「うそ……だろ……!?」 
 一時騒然となるビーチ。
 俺達が目を白黒させていると、長い頭髪を後ろで一つに結わえ、真っ黒に日焼けした五〇代前半位の、海の家のオーナーらしき人物が腕を組みながら、
「クソ! うちもヤられたかッ!!」  
 と怒りと悔しさのこもった声を上げた。そのオーナーらしき男はこう続ける、
「シャークテロだ! まだ犯人捕まってなかったのかッ!!」 
 苦虫を噛み砕いたような表情だった。
 俺はまるで映画のワンシーンを見ているかの様に呆然とその光景を眺めていた。

 黒と白の巨大な影が目の前の沿岸域を、ゆっくりと、不気味に泳いでいる。
 
「オーマイガー……ホ、ホオジロザメだ! 軽く10メートルはあるぞ!!」  
 戦慄したチャド先輩が叫んだ。その言葉を聞いてやっと実感が湧いてきた。最近ニュース等で話題になっている『シャーク・テロ』だ。
 『シャーク・テロ』というのは、どこぞの非常識なサイコパスが、どっかしらでサメを捕まえてきては海水浴場に解き放つという、非常識極まりないテロ行為の事で、日本各地の海水浴場で被害が相次いでいるらしい。海上保安庁も今年の夏は大忙しだ。

「怪我人は出てないみたいだよ。よかったぁー」 
 現場の様子を見に行っていた鈴木とランちゃん(山田)が安堵しながら帰ってきた。
「でもこの状況だと、今日はもう泳げそうにないわね……」
「うん。残念だけど……」 
 二人は急にションボリと肩を落とした。俺はそんな二人を元気づけようと思い、
「まぁそう落ち込むなって。サメは海猿(海上保安庁)の方々に任せて、午後は海岸線をゆっくりドライブしながら帰ろうぜ! FMでも聴きながら、ねぇ先輩ッ」 
 格好つけた仕草で振ると、先輩は欧米風な仕草で、
「佐藤の言う通りだ。それに海なんていつでも来れるさ。また皆で来よう!」  
 と言って垢抜けたウインクを飛ばした。その憎たらしいほどの頼もしさに二人はケロッと元気を取り戻した。
 それを見た俺は嫉妬した。チャド先輩の男子力の高さに。
 
 そうと決まれば善は急げ、だ。話が纏まったところで、早速俺達は行動を開始した。
 海の家からシャワーコーナーに向かう俺達一行。そこへ、
「待てッ!」 
 行く手を阻む者が現れた。両手を広げて通せんぼしている。海の家のオーナーらしき中年親父だった。その威圧的な雰囲気を瞬時に察したチャド先輩が、 
「どうかされましたか?」 
 冷静に対応する。それに対しオーナーは、
「どうもこうもねぇよ! 逃げる気か?」
 意味不明な事を言って眼光を冷たく光らせた。おそらくオーナーは、自分が担当している海岸にサメが放たれたショックで気が動転し、一時的に思考回路がイカレてしまっているのだろう。
「逃げる? 何を言ってるんですか? 我々は今から帰ろうとしているだけです! 落ち着いてください!」 
 チャド先輩が状況をわかってもらおうと一生懸命説明するも、オーナーは
「聞き分けのねぇ野郎だな……」 
 と言った後、

 ピュイィイイイイイイイイイイイイイイッ!!!!!

 ビーチ中に響き渡るような指笛を鳴らした。
 すると、真っ黒に日焼けした男達がどこからともなく現れてきては、俺達の周りを取り囲んでいく。それぞれ鉄パイプや木製バットといった物騒な物を持っていた。中にはモリやコンバットナイフを持ってる奴もいた。
 男達は見る見る内に数を増やしていき、気がついた頃にはサッカーの紅白戦が出来る位の人数が集結していた。
 突如降りかかってきた危機的状況を前に、鈴木とランちゃん(山田)は身を寄せ合って互を励まし合っている。俺とチャド先輩は、その二人を護るような陣形で立ち、そして構えた。
「佐藤、やれるか?」
「やろうと思えば……でも、こんな所で暴力沙汰起こしたら洒落になんないっすよ。多分停学じゃ済まないっす……」
「だよな……クソッ! 万事休すか……」 
 緊張と焦りで嫌な汗が滲む。何か手立てはないものか? とフル回転で思考を回していると、男達を従えているオーナーが口を開いた、
「あのサメを釣ったら許してやる」
 海岸を指差している。その先には巨大なツートンカラーの影がグルグルと不気味に泳いでいる。俺とチャド先輩は呆れて溜息をつく。
「……いや、サメは海上保安庁に任せて、こ」
 俺の説明を遮るようにオーナーが、
「もし断るようなことがあったら、その可愛娘ちゃん達をレイプするぞー!」
 トローンとした眼差しで鈴木達を指差している。そして、
「そんでもって、お前らには強烈なリンチをくわえてやる」 
 面倒くさそうな声で俺とチャド先輩に言った。こんがりと焼けた褐色の顔は無表情で、木彫りのお面を思わせた。
「くそッ……!」 
 俺は拳を握り締めながらオーナーを睨み、近くにあった椅子を蹴飛ばそうとした。しかし、俺の蹴りは勢い良く空を切り裂いた。そして体勢を崩した俺は後頭部から地面に落下した。
「あッ……!!!!」
 鼻からスコンッ! と空気が抜け、目の前で星がチカチカと点滅する。そのまま仰向けの状態でボーッとしていると、
「こいつ……俺達が手出しできないって事に感づいてやがる……」
 怒りに満ちたチャド先輩が低い声で言った。 
 その言葉に、鈴木とランちゃん(山田)は更に強く互の身を寄せ合った。
 シンと静まり返った、ただならぬ午後のビーチに、ノイズ混じりの有線放送と穏やかな波の音だけが、只悠然と音を立てていた。


 つづく





14, 13

  

 第十五話 『シャーク・フィッシング』 

 長さ約五〇メートルのワイヤーの先端には手の平くらいある大針がしっかりと固定されている。サメを釣り上げるための仕掛けだ。チャド先輩は器用な手付きでコレをこしらえると、
「よし出来た!」 
 と頭上に掲げて少年の様な声を上げた。すると周りを取り囲んでいたギャラリー達から、
「おおおおおおおおぉぉぉぉぉッ!」 
 という期待に満ちた歓声が上がる。そこへ、
「持ってきたぞ」 
 オーナーが巨大な肉塊を抱えてやって来た。今回のサメ釣りで使用する餌だ。無理を言って特別に用意してもらったのである。それを目の当たりにしたギャラリー達から、
「うおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉッッッ!!!!!!」 
「もったいねぇえええええええええええ!!!!!!!!!」
「勿体無いオバケが出るぞぉおおおおおおおおえええええええ!!!!!!!!」
「食いてぇええええええええええええええええええええええええええええええ」
「それ、どんだけぇええええええええええええええええええええ!!!!!?」
「まーぼーろーしーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
 等といった驚きの悲鳴が上がる。まぁ無理もあるまい。超高級和牛フィレ・ブロック(3kg)がサメの餌食になろうとしているのだから。
「ごっつぁんですッ!」
 チャド先輩は礼儀正しくソレを受け取り、慣れた手つきで針に付けた。すると、
「佐藤ッ! 準備できたぞ!!」
 笑顔で親指を立てている。そのVシネ俳優みたいなバタ臭い顔の中で、真っ白な前歯が爽やかな閃光を放った。
 その眩い閃光に俺は顔をしかめながら、
「いつでもどうぞー!!!」
 言って、野球のグローブみたいに分厚い革手袋を装着した。(ちなみにチャド先輩にもコレと同じものが支給されている。ワイヤーを引く際の摩擦に対応するためだ)
 すると、ギャラリー達から歓声が上がり、異様な熱気に包まれる。もう完全にお祭り騒ぎだ。その中に、俺達を不安そうに見守る鈴木と、ランちゃん(山田)の姿も混ざっていた。
 
遂にサメ釣りが始まる。

「じゃあ、行くぞッ!」 
 チャド先輩が照り焼きソースの様な顔で俺にアイコンタクトをよこした後、釣り針が仕込まれた肉塊を、その強靭な筋肉に覆われた巨体で大きく振りかぶり、 
「ぐぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」 
 咆哮しながら海へ放り投げた。肉塊は緩やかな放物線を描きながら、サメが泳いでいるポイントへ物見事にキャスティングされた。着水の瞬間、ドボン! と飛沫が上がり、
「ナイスキャスト!!!」
 という声がギャラリーの中からちらほら飛んだ。すかさず俺とチャド先輩はワイヤーを握り締める。
 いつ来るとも知れない巨大人食いザメの脅威に足がすくみ、変な汗が流れる。隣にいるチャド先輩のゴクッという生唾を呑み込む音がはっきりと聞こえた。
 餌の着水からややあってから、それは唐突に訪れた。
 ビンッ!!!!! 
 という音と共にワイヤーが強烈なテンションで張られたのだ。
「かかったぁあああああッ!!!!!!」
 ワイヤーの向こうから伝わってくる尋常じゃない力に俺は叫んだ。
「佐藤ッ腰落とせ!!!!!!!!!」
 チャド先輩も叫ぶ。
 周囲からは怒号のような叱咤激励が飛んでくる。その俺達に宛てられた一つ一つの熱いメッセージに思わず奮い立つ。
 この時、ギャラリーの盛り上がりは最高潮に達していた。
「ぐゥおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
「ふぁあああああああああああああああああああああああああっく!!!!!!!」 
 負ける訳にはいかない! 俺達は顔面を真っ赤に充血させながら、死ぬ気でワイヤーを引き続けた。

 しかし、戦況は悪化する一方だった。見る見る内に波際まで引っ張り込まれてしまった。
 ホオジロザメと人間……力の差は歴然としていた。
 その圧倒的な力を前に俺達は思い知らされていた。大自然の脅威に晒された生身の人間というモノは余りにも無防備で、無力だということを。
 俺達はそれでも諦めることなくワイヤーを引き続けた。歯を食いしばり、眼球が飛び出しそうな程に目を見開き、髪は逆立ち、体中の穴という穴全てから何か謎の変な汁を出しながら、只我武者羅に力を込めた。
 最後の瞬間は、まるで導火線を伝う火花のようにじりじりと訪れた。
 遂に、全てのワイヤーを奪い取られてしまったのだ。握りしめていたワイヤーを引き抜かれた瞬間、俺とチャド先輩は勢い良く後方に吹っ飛んだ。そして、そのまま仰向けになって倒れ込む。 
「くそぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!」 
「おぉぉぉまいがぁぁぁああああああしぃぃぃぃぃッッッッット!!!!!!!!」 
 
 サメに負けた。
 
 悔しさの余り、チャド先輩は砂浜を殴った。俺も悔しさを表現しようと思い、砂を握って放り投げた。すると投げた砂が潮風に返され、俺の顔面に降り注いだ。
「ぐわッ……! ぶはぁぁぁ……ッ!!!」 
 砂が目や口に入り、情けなく悶えた。 
 そして俺は思った。「さっきまでの歓声は一体何だったんだ!?」と。いつの間にかギャラリーの方々から物凄いブーイングが巻き起こっていたからである。ギャラリー達のエネルギッシュな感情が、俺達の敗北によって行き場を無くし、ベクトルを真逆に向けるという単純な解決手段を選んだ結果だろう。これは仕方のないことで、誰も彼等を責めることは出来ない。
 凄まじい罵詈雑言が飛び交う中で、鈴木とランちゃん(山田)は「自分達はこれからどうなってしまうのだろう?」という不安の中で、互いに身を寄せ合っている。その姿はまるで囚われの小妖精(エルフ)の様だった。
 失意のどん底に這いつくばっている俺とチャド先輩の前にオーナーが現れた。赤ちゃんみたいな千鳥足で、目はトローンとしている。片手には飴色の液体が入った瓶、おそらくウイスキーだろう。オーナーは顔を真っ赤にして酔っ払っていた。
「あーあ……お前ら、負けちゃったねー」 
 オーナーは冷たく言い捨てた。
「くッ……」
 俺達は切歯扼腕しながらオーナーの言葉を聞いた。そして、いち早く身の危険を察知した鈴木とランちゃん(山田)は素早く俺とチャド先輩の元に駆け寄る。
「約束通りの事、させてもらうわー」
 オーナーは感情のない声で言い終えると、ヒヒヒヒッと不気味に笑った。そして、オーケストラの指揮者のように両手をかざす。すると、ギャラリーの人混みを掻き分けてヌルっと円の中央へ無数の人影が躍り出る。一人、また一人と次々に現れてくる。
 先程、海の家で俺達を取り囲んだ連中だった。各々物騒な得物を携えていて、悪徳に満ちた冷笑を浮かべながらジリジリと詰め寄ってくる。
 俺とチャド先輩は脱糞する程の強烈なリンチにかけられ、鈴木とランちゃん(山田)には吐き気がする程の壮絶なレイプが待っているのだ。想像しただけで発狂しそうだった。
 ギャラリーのブーイングは更に勢いを増し、ゆっくりと襲いかかってくる男達。
「殺せ殺せ殺せぇえええええええええええええええッ!!!!!!!!!」
「もうヤッちまえぇええええええええええええええええええええええええええええ」
「犯せ犯せぇえええええええええ!!!!!!! 犯しちゃえッ!!!!!!」
「無茶苦茶にしろ!!!!!!!! そいつら無茶苦茶にしろー!!!!!!!!!」 
 まさに絶体絶命のピンチだ。助かる手立ては無いのか!? 必死に考えるも気が動転して思い付かない。
「……ママぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」 
 挙げ句の果てに、チャド先輩が泣き叫び始めた。まるで赤ちゃんみたいに。
 鈴木とランちゃん(山田)は迫り来る恐怖の漣に怯えながら、只々その身を震わせていた。
 一方、こんな状況にもかかわらず、何故か俺の息子はギンギンに勃起していた。それは何故か? これは後でわかった事なのだが「もう死ぬかもしれない!」という極めて危険な状況に直面したことによって「なんとか子孫を残そう」と思った俺の本能が色々と先走ったり空回りした結果、取り敢えず生殖器をジャッキアップさせてみました、という事らしい。
 恥ずかしいやら怖いやらで訳が分からなくなりながらも「童貞のまま死ぬってのはチョット嫌だなー」等と、どこか妙に冷静に物事を捉えている自分も確かに存在していた。
 この時、既に冷静な方の俺が自らの深層世界を開く準備をしていた。ゆっくりと身体と思考の時間を加速させる。
 とその時、突如俺達を取り囲んでいる円の中央に関西弁の男が現れて、こう言った。
「アホやな~! あんなでっかいサメ、人間の力だけで釣れるわけないやろ~! ほんまアホやで~」
 そして、俺達に襲いかかろうとしている男達に視線を向け、
「ちょっとタンマ! 待ったって~」
 言いながら掌を向けると不思議な事に男達の動きがピタリと止まってしまった。一体何者だ? もしかしてメンタリストか!? 等と考察していると、
「しかし、今時ブーメランて……」
 関西弁の男は鋭いナイフの様な視線を俺の股間に向けていた。
「家にコレしか無かったんだよッ!」
 と俺がプンプンと怒ると、
「プッ!」
 謎の男は吹き出して、
「お前、意外とおもろいなー! どら、ここは一つ特別にあのサメの釣り方、教えたろか?」 
 ニコッと笑いながら俺に言った。なるほど! さてはこの男、釣り名人だな!? サメ釣りのコツか何かを伝授してくれるらしい。という事で、
「マジっすか!? 是非ッ! よろしくお願いします!!」
 俺は礼儀正しく頭を垂れた。何処の誰かは存じ得ないが、折角のご厚意、ここは一つありがたく受け取ろう。と、俺は思った。
 歳は俺と同じくらい、身長は173cm程で、体型は少し細身だが引き締まっている。そんな謎の関西人は、
「よっしゃ! 決まりやなー。」
 と笑みをこぼした後、
「……ッちゅう事やから! 少しの間、コイツら借りるけど、ええかな?」
 関西人は俺達の方を指しながらオーナーに訪ねた。するとオーナーは眉根だけを寄せて、
「良いわけないじゃん。何勝手な事言っちゃってんの!? ねぇ? お前バカなの?」 
 冷淡にあしらい、
「お前ら何突っ立てんの!? この関西人も一緒にやっちゃって!!」
 吐き捨てるように指図し、手下共を急き立てる様に尊大な仕草で手を叩いた。それを受け、ハッと気を取り戻した男達は再び進行を開始させる。その言動や立ち振る舞いに霊長類としての美徳は微塵も感じられなかった。
 そんな中、ソレは何の前触れもなく起こった。そして、ソレは一瞬の出来事だった。
 目に見えない、生ぬるい突風(濃密な空気の塊?)の様なモノが突如吹き荒れたかと思うと、(おそらく)その場にいた全員の身体をすり抜けていったのである。
 ソレが身体を通り抜ける瞬間、意識がとびかけるというか、魂が抜けていくような、変な感覚に襲われた。
 しかも驚いたことに、その風のようなモノが過ぎ去っていった直後、そこに居合わせた全員がその場で尻餅をついてしまったのだ。ただ一人を覗いて。
 尻餅をついた人々が織り成す円座の中心で、確かに一人だけで立っているその男は、
「ええやろ?」  
 目の前で無様に尻餅をついているオーナーに言った。その声は穏やかだったが、彼の漆黒の前髪から覗く一重瞼の三白眼には名状し難い程の凄まじい光が宿っていた。
 その悪魔的なプレッシャーを前にオーナーは、
「わ……わかった……」
 震えながら答えた。いとも簡単に懐柔させられてしまったオーナーの表情は恐怖というより、畏怖の念を抱いている様に感じた。謎の関西人は俺達の方に再び向き直ると、
「ほな行こか!」
 満面の笑みを浮かべて言った。先程の、蛇王(バジリスク)の様な邪視をオーナーに向けていた彼とは、まるで別人だった。
 俺達四人は途方に暮れながら、
「どうする?」
 的な表情で互の顔を見交わした。しかし、選択肢は一つしかなかった。
 俺達は訝しげな表情を浮かべながらも男の後に続いた。
 その先に、あの巨大人食いザメを釣り上げるヒントが有ると信じて。 


 つづく


 第十六話 『お豆腐』

 謎の関西人に誘導されるがままに、俺たち一行は、サメが泳いでいるポイントから100m程西にずれたビーチに移動した。  
 到着迄の間、よく晴れた午後のシー・サイドだってのに、俺達は一言も言葉を交わさなかった。紫外線の攻撃に顔をしかめながら黙々とビーチの砂を踏みしめて進んだ。
 断っておくが、別に誰も怒ってないし、不機嫌だったわけでもない。勿論喧嘩もしていない。では何故、誰も喋らなかったのか? それは、おそらく緊張していたのであろう。と、燦然と輝く裸の太陽(鈴木)を眺めながら思った。
 そんな中、沈黙を破ったのは関西人だった。
「さて、この辺でええやろ」
 さっき会ったばっかりだが、相変わらず爽やかな笑顔をしやがる。笑顔だけは……。そんな謎の関西人に対し、タルタルソースみたいな顔のチャド先輩が額の汗を拭いながら、
「一体、これから何が始まるんだ? それにさっきのは一体……」
 極めて紳士的な態度で聞くと、関西人は、
「まぁまぁ、そう慌てんと」
 軽い物腰でそれを右から左へ受け流し、さっきからチャド先輩の影に隠れて、まるで拾われてきた子猫の様にそわそわしている鈴木とランちゃん(山田)に申し訳なさそうな表情と仕草で、
「少し暇かもしれんけど、堪忍な。二人共、少しだけ待っとって」
 言うと、
「もし、ええ子して待っとってくれたら……」
 直ぐに爽やかスマイルに切り替え、
「後でアイスおごったるわ!」 
 と付言した。すると、ショボンとしていた鈴木とランちゃん(山田)の表情が一気に明るく花開いた。
「ほんとに? やったー☆」
「アイス、アイスーッ!」
 俺はそんな燦々と輝く二人の笑顔にウットリと見蕩れながら、
「まるでハイビスカスみたいだ……」
 と漏らすと、チャド先輩がニンマリとほくそ笑みながら、
「佐藤、ハイビスカスの花言葉は『新しい恋』だぞ」
 と言って、ゴリラみたいな掌で俺の背中をひっぱたいた。
「ごふぉッ……!!!!」
 俺はその場で崩れ落ちた。30秒程、息が出来なかった。この時背中いっぱいに刻み込まれた真っ赤な紅葉は二週間消えなかったのだが、その話はまた別の機会に。

「じゃあ取り敢えず、コレを見てもらおかー」
 関西人は淡々とした口調で言いながら、砂浜に落ちていたコンクリートブロックを重そうに左手で拾い上げた。
「ここに硬~いコンクリのブロックがあるわな」 
 それを顔の高さで掲げ、
「この硬いブロックが……」
 少し腰を落として空手の構えみたいなポーズをとる。そして、
「よう見といてや」
 言って、短い深呼吸の後、
「……ハッ!」 
 左手のコンクリートブロックに向かって、何とも気の抜けた軽い感じの右ストレート(へなちょこパンチ)が放たれた。
 しかし、にも関わらず、
 バコォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!!!!!
 コンクリートブロックは凄まじい音を立てながら粉々に四散した。まるで爆薬で吹き飛ばしたかの様に。
 その瞬間、俺達四人の心に衝撃が走った。関西人の一挙手一投足を半ば半信半疑で見守っていただけに、そのショックの大きさは甚大なものとなった。
 俺に至っては、完全に舐め腐った態度で鼻糞を掘じっていた為、驚いた際に指が有り得ない深さまで刺さってしまい、
「ひでブゥッ!!!!!!!!!!!」
 凄まじい激痛とともに大量の血液を失うはめになった。
 唖然と立ち尽くしている三人と、鼻血を流しながら喘いでいる俺に関西人は爽やかな笑顔でこう言った。
「『輪』に『気』を通すとこうなる」
 関西人の切れ長の鋭利な眼は、笑うと一本の線になるらしく、それによって他者にはコミカルで親しみやすい印象を与えているようだ。しかしこの男、只者ではない。

「『輪』というのは具体的にどういうモノなんですか?」
 チャド先輩が子ゴリラの様に眼を輝かせながら興味津々に食いついた、その問に関西人は、
「『輪』は『気』を通すための、謂わば『門』みたいな役割を担う中枢やねん」
 と言った後、意味深な表情で、
「その『輪』はコツさえ掴めれば、誰でも開くことができる」
 言った。ポカーンと立ち尽くしている俺と鈴木とランちゃん(山田)。そんな三人をよそに、
「なるほど」
 チャド先輩はメモを取りながら、
「じゃあ『気』というのは何なんですか?」
 インタビューすると、関西人は口笛の様な軽い口調で次のように述べた。
「『気』っちゅうのは、まぁ簡単に言うと『宇宙のパワー』みたいなもんかな~」
「う……宇宙のパワー!?」 
 これには流石のチャド先輩も面食らっているようだ。
 言うまでもなく、俺、鈴木、ランちゃん(山田)以上三名の顔は死んでいた。話についていけてないのだ。
「そ。『ブラフマー』やら『エーテル』やら『空』やら、言い方や解釈は仰山有るみたいやけど、基本中身は一緒や」
 関西人は続ける。
「宇宙にはこういう滅茶苦茶な『力』が渦巻いとる、謂わば『力』の海みたいなもんやねん」 
 完全に取り残された俺達三人とは裏腹、チャド先輩は、
「要するにそのパワーを何らかの方法で取り込み、利用するということか……」
 必死に食らいつく、その回答に関西人は、
「まぁ、大体あってるわ」 
 まずまずの満足度を得た様子で、砂浜に落ちていたロケット花火の残骸を拾いながら言うと、
「という事で、今から『輪』を開いて、『気』を通し、それを『放す』特訓をやるでー!」
 拾った物で真っ直ぐに俺達の方を差し、快活に言った。それに対しチャド先輩は、
「オスッ!!!!」
 焼肉のタレみたいな顔で気合を入れた。俺も負けじと、 
「何か難しくてよくわかりませんが、宜しくお願いしますッ!!!!」 
 腹から声を張り上げ、深々と頭を下げた。関西人はせっかくの時間を俺達の為に割いてくれている。感謝の言葉も見つからない程だ。しかし、こんな事を言ったら失礼かもしれないが、彼の言動には余りにも現実味が無く、常軌を逸したもので、ひょっとすると連日の暑さで頭がイカれちまってるんじゃないのか? と、この時の俺は思っていた。
 
 特訓開始から10分程経過して、
「ポテイトマスッッッッッ!!!!!!!!」
 と味噌バターコーンみたいな顔で咆哮したチャド先輩の掌の中でコンクリートブロックが、
 バッコォォォオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!!!!
 大きな音を立てながら砕け散った。なんと、あんなに硬いものを片手で握り潰したのだ。
「おー! 上手い上手いッ!」
 笑顔を浮かべた関西人が拍手している。横で見ていた俺も、
「スゲェ……さすが、ハワイアンゴリラ……!」
 驚嘆の声を上げた。チャド先輩は蒸したジャガイモにオリーブオイルをたっぷりかけた様な顔で照れていた。
「あんたは既に『輪』が開いとって『気』も通せとったみたいやな。充分に鍛錬が積まれとるわ~。普段何やってる人? 空手? 柔道?」
 関西人の問にチャド先輩は、
「相撲を少々」
 謙虚に答え、豚骨ラーメンのスープみたいな汗を拭いながら、
「それに俺はハワイの戦士だ。四大神から加護を授かっている。これくらい出来て当然だ」
 満足げに付言した。妙にふてぶてしい言い方だったが、何故か憎めなかった。それに対し関西人は、
「四大神の加護かいな! まぁ、それも一つの解釈やな……ハハハッ!」
 と愉快そうに笑った。しかし、それが人を嘲る様な嫌な笑い方ではないという事くらいはチャド先輩も俺も、ちゃんと気付いていた。
 
 少し離れた場所で幼女の様な声を上げながら楽しそうに砂遊びをしている鈴木とランちゃん(山田)に、
「サメがいるから海には近づくなよー!」 
 まるで熱心な父親の様に注意を促すと、
「ハーイ!」
「はーい!」
 帰ってきた声に危機感らしきものはコレっぽっちも含まれていなかった。父親の心配を煙たがる娘の様だったので、
「……ったくアイツら」
 念の為にもう一言二言加えておこうかと適当な言葉を探していると、
「ほら、よそ見しとらんと! 次は兄ちゃんの番やで!」  
 俺が関西人に注意されるハメになった。そのため俺は、
「はぅ……!」
 等と情けない声を上げながら鈴木達がいる方へ未練がましい視線を一度向け、
「すんません……」
 諦めた様に再び向き直る。続いて、
「頑張れ佐藤ッ!」 
 チャド先輩はバルサミコソースのようなハンサム顔で俺を激励した。その声に促され曲がっていたた背筋がピンと伸び、気合が入る。そして、 
「オスッ!!!」
 俺は体育会系な返事をした。

「まず第一の『輪』は肛門と男性器の間にある。精神を集中して、その『輪』を開き『気』を取り込むんや。」
 関西人は丁寧な説明を続ける。
「『輪』は背骨を沿って計7箇所ある。二番目は性器、三番目は臍、四番目は胸、五番目は喉、六番目は額、七番目は頭の天辺や。そこに『気』と言う名の風を通して車輪を回すようなイメージやな」
 言葉だけでは今一イメージが掴みにくかったが、
「はい!」 
 俺は元気よく返事した後、適当に身構え、意識を集中させる。深層意識の虚無の中にダイブするイメージで。すると、いつもの癖で時間加速してしまう。
 周囲の時間がスローモーションになっていく。海の動きが止まり、人や動物の動きも止まる。いつもの、異音に包まれた、不気味なスローモーション世界だ。
 そんな世界の只中で俺は、
「あれまッ!」
 どうしたものかと、首を傾げる。意識を集中させ、精神の深層に語りかけると、どうしてもこの時間停止状態になってしまうらしい。
「癖になっちゃってんのかなぁ……」
 苦笑しながら頭をポリポリ掻いていると、信じ難い事が起きた。
「なんやこれッ!?」
 誰もいないはずの、正しくは、俺以外誰も動かないはずの、超スローモーション世界に闖入者が現れたのだ。
「え……!? 何……で……」 
 俺は驚きの余り言葉を詰まらせた。関西人は、
「へぇ~!」
 等と感嘆しながら俺に、
「これ、君がやってんのか?」
 訊きながら停止した世界を観察している。
「あぁ……集中したらこうなるんだ」
 なんとか答えると関西人は少し強目の口調で、
「自分、無茶苦茶か!?」
 言うと、熱心に説明を始めた。
「完全に時間と空間を切り離して捉えとる。『気』が時間に傾き過ぎや」 
「時間と空間?」
 俺の頭上にハテナが浮かぶ。  
「そう。光があれば闇があるように。男と女がおるように。人が生まれたら、いずれ死ぬように。二つあって一つのもの。全てはバランスやねん」 
 関西人が熱弁をふるい終えると俺は自分の掌に目を落とし、
「バランスか……」
 呟いた。ややあって関西人が腑に落ちない表情を浮かべながらこう言った。
「でも、君……ホンマけったいやなぁ。普通『気』いうもんは外から借りてくるもんやで。なんで内っかわから溢れ出とんねん? それも結構深い所からやなぁ」
 その後、考えにふける様な仕草をしたかと思ったら、直ぐに閃き、
「さては別ルートから汲み上げとんな? それはアカン、邪道やでー……」
 俺は関西人が何を言ってるのか全然理解できなくてタジタジになりながらも、
「なんとかならんのですか?」
 訪ねた。すると関西人は、両の掌を合掌させ不吉な印相を結びながら、
「君の第一の『輪』から俺の『気』を叩き込んで流れを整えるか」
 言った。俺は顔を引き攣らせながら、
「あのう……まさかとは思うけど……」
 声は上ずっていた。
「そのまさかや!」
 快活に答えた彼の両掌は所謂『カンチョー』の型を成していた。

「お願いだから……痛くしないで……下さい」
 ケツを突き出しながら処女のような声で懇願すると、
「大丈夫やって! 一瞬で終るさかい」
 後ろから元気の良い声が帰ってくる。
 ややあって決然たる想いを胸に宿した俺は、
「バッチ来いやぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
 もうどうにでもなれ! と言った感じで、マッチョな囚人にケツを掘られる直前の優男の様な形相で叫んだ。
 それに対し関西人は、
「ほな行くで~」
 とコンビニに出かけるような軽さで答えると、
「3ッ! 2ッ!」
 という残酷なカウントダウンを始める。急に怖くなった俺は、
「優しくしてぇえええええええええええええええええええええええ」 
 泣きながら哀願する。そんな中、
「1ーッ!」
 カウントダウンが終了した。同時に俺は自分の上腕二等筋を噛んだ。これには二つの理由があった。それは、痛みに耐える為と、舌を噛まないようにする為だ。
 直後、
「おりゃぁあああああああああああああああああ!!!!!!!」
 という関西人の叫び声と共にカンチョーが放たれた。それからカンチョーが俺の尻に到達したのは一瞬だった。
「あぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
 尻から脳天に突き抜ける激痛に俺は叫んだ。それは例えようのない痛みだった。しかし、それは一瞬で俺の身体を貫き、昇り龍のように脳天から空へ消えていった。
 それらと同時に、殆ど停止していた時間が再びゆっくりと流れ始める。やがて、世界を取り巻いていた不快な異音が心地のいい波の音に変わり、人や海鳥もその活動を再開させる。
「ん?」 
 さすがチャド先輩だ。彼にとっては一瞬の出来事だが、いち早く異変に察知したらしい。
「佐藤……お前、まさか」 
 そのケチャマヨソースみたいな顔に関西人が、
「そのまさかや」
 と風鈴の様な涼しい調子で言った後、意味深な微笑を浮かべながら、
「ほれ」
 俺にコンクリートブロックを差し出した。俺は無言で頷き、差し出されたものを左手で受け取った。受け取った時点で何かヤレる気がした。
「軽く撫でるだけでえんやで」 
 関西人は悪魔のような笑顔で言った。
 俺はそれに従い、
「……ふぅ」
 短い深呼吸の後、左手のコンクリートブロックを右手で軽く撫でた。すると、
 バチコォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!!!!!!!!!
 強烈な破裂音を伴いながら粉々に爆発した。ダイナマイトで吹っ飛ばしたみたいだった。
 波の音をバックにちょっとした沈黙があった後、
「すげぇ……」
 珍しく呆れた顔でチャド先輩が言った。 
「豆腐みたいに柔いやろ?」
 関西人は、契約によって人に禁断の魔術を教える悪魔(バアルベリト)のような笑みを浮かべていた。切り傷みたいな鋭い目をして。
「……あぁ」
 その三白眼に対し、俺はあまりに平板な返事をしたが、決して心中穏やかではなかった。コンクリートの塊が本当にお豆腐の様に脆かったからだ。 


 つづく


16, 15

  

 第十七話 『オン・ザ・ビーチ』 

 特訓を終えた俺達一行は、先程のビーチに帰還した。既に太陽が西に傾きかけていて、その落ち着いた午後の雰囲気が妙に俺を憂鬱にさせた。
 例の人集に到着するや関西人が、
「いや~皆さんお待ちどうさんです。この通り、のこのこと帰ってきましたわ~」
 ナニワの商人みたいに言いながら
「さぁー気合入れてサメ釣るでぇえええええええええ」
 と日本人独特のコミカルな仕草で群衆を割っていく。
 先人をきる関西人から半馬身差で着いていく挙動不審な俺、その後ろに鈴木とランちゃん(山田)が手を繋いで続き、そんな二人を守るようにチャド先輩が殿を務めていた。
 人集の数は目立って増減している様子は無かったが、俺達の姿を確認するや否や、道端の下痢糞を見るような視線をこちらに向けてくる者や、不運にも野生化してしまい人間を信じる事が出来なくなった飼い犬の様な表情を向けてくる者もいて、俺達一行は実に様々なスタイルでの歓迎を受けた。
 群れの中央付近まで行くと、
「おう!?」 
 例のオーナーが俺達に気付いた。オーナーの足元にはウイスキーの空瓶が数本砂浜に突き刺さっていた。結構な量だ。
「何だお前らー……生きてたのー?」
 赤ちゃんに語りかける様な口調で言い終えたオーナーは煙草の煙をゆっくり燻らせながらトローンとした虚ろな目でニターっと笑った。更に酒を飲んで酔っ払った所為かオーナーの印象が先程と少し違って見えた。何やらデレデレしてるし、目の下のホルモンタンクがパンパンに膨らんでしまっている。一体何があったんだ? と俺が一人で訝しんでいると、
「なんやオッサン、ジョイント吸ってんのかいな?」
 関西人が飄々と言うと、まるで時間がズレているかの様な間を置いて、
「ちょ……おまッ……何言ってんの? 馬鹿じゃねぇの?」
 オーナーはヘラヘラしていたが、少し動揺の色がみられた。 
「ガンジャか……」 
 チャド先輩が深刻な表情で言った。その額に一筋の汗が流れた。その聞き慣れない言葉に俺は、
「ガンジャって何ですか?」
 呆けた声で先輩に質問する。すると、答えは直ぐに帰ってきた、
「大麻(マリファナ)だよ……」
 何かを軽蔑するような口調で答えた先輩は俺の方には目もくれず、真っ直ぐにオーナーを見ていた。その眼光は、人の自由を一瞬で奪える程の凄まじい光だった。
 続いて関西人がテレビドラマとかに出てくる探偵の様な仕草で自分の顎を触りながら、
「なるほどな~」
 不気味な半笑いを浮かべてこう言った。
「さては……ここ、薬浜(ドラッグ・ビーチ)やな?」
 また聞き慣れない単語が飛び出す。しかし、今回は質問を控えることにした。それがどんな意味を孕んでいるのか、言葉の響きで大体察しがついたからだ。全身に冷たくて嫌な汗がにじみ出る。
 鈴木とランちゃん(山田)もその意味を理解したらしく、硬直した表情をゆっくりと蒼白に染めていった。その水着を身に纏った二人の海の女神(サイレン)が絶望する様を見て、何故か俺のチ○コはガッチガチに勃起していた。この夏一番の仕上がりだった。誰にもバレない様、俺はソレをそっと両手で隠し込んだ。
 チャド先輩ですらそのオイスターソースみたいな顔を戦慄の色で染め上げ、額には豚骨スープの表面を覆っている背脂の様な汗を浮かべているというのにも関わらず、関西人は余裕綽々といった感じで続ける。
「せやから行政機関(海猿)を呼ばれへんかったわけや。ようやく話が繋がったわー。バレたら洒落にならんからなぁ」
 その演説は、それを聞いていたオーナー含め、その場にいた多くの者を狼狽させた。それ以外の者は、恍惚とした表情で身悶えていたり、テンション高らかに叫んで奇妙なダンスを踊っていたり、目を三角にしてひたすら歩き回っていたり、涎を垂らしながらひたすら奇言を並べていたり、黙々と性行為に励んでいたりと、目の前に展開する自分の世界に没頭している。要するにこの人達は既に『キマっていた』という事だ。
 関西人は、そのキマった状態の者を一人一人指差しながら、
「コカイン、ガンジャ、シャブ、アシッド、うわぁーヘロイン、バツ、キノコに、アヘン……」
 楽しそうに点呼していく。最後にオーナーにたどり着くと、
「明日の朝刊一面トップ、間違いなしやな!」
 屈託のない笑顔で宣告した。しかし、彼の三白眼には残酷な冷たい光が宿っていた。
 関西人が指差す先に居たのは、先程の弛緩しきっただらしない顔をまるで屍食鬼(グール)の様な形相に変えたオーナーだった。小刻みに震えながら、瞼は極限まで見開かれ、眼球は充血して真紅に染まっていた。彼は、
「サメ、釣ってくれよ~……」 
 言った。やる気がなくて、所々呂律が回っていなかったが、迷いのない、何処か自信に満ちた声だった。この状況で何故そのような余裕の表情をしていられるのか? 俺は不思議に思った。
「頼むわー……マジでー」
 オーナーは色んな感情が欠落したような調子で言うと、懐から或物を取り出す。 
 
 俺達に向けられた、その漆黒の鉄の塊は『拳銃』だった。
 
 その拳銃が本物かどうか、という疑問を抱く暇はなかった。
 パァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!!!!!
 という耳を劈く様な音と共に俺達の足元の砂が派手に飛び散った。
「…………ッ!!!!!!!」 
 突然の事態に俺達は悲鳴も上げられずに身を竦ませ、表情を引き攣らせた。
 想像を絶する恐怖に後退りする顔面蒼白の俺達一行。砂浜に足を取られた俺は一度醜態を晒したが、直ぐに立ち上がる。恥ずかしがっている場合ではない。
 慣れた仕草で両手を上げたチャド先輩に習って皆両手を上げる。この時ばかりは、常に陽気に振舞っていた関西人もその表情を曇らせていた。
 正直、銃を向けられるという事がこんなにも怖い事だとは思わなかった。映画やテレビドラマではたまに見かける光景だが、いざ同じ立場に立ってみると、それがどんな事なのか、自分が今までどれほど平和ボケしていたかを思い知らされ、無様に打ちのめされた。
「こ……こわい……」
 と、身を寄せる鈴木とランちゃん(山田)。下半身の感覚が曖昧になる程の戦慄にその華奢な身体を震わせている。周囲を取り囲んでいる麻薬常用者達は、そんな俺達を見て乾いた嘲笑を上げた。
「交渉成立……みたいだな」
 オーナーは冷笑を浮かべ、おもむろに左手のジョイントからたっぷりと煙を呑み込んだ。そして数秒間息を止め、
「ぶはぁああああああああああ~」
 だらしないアヘ顔で一気に吐き出す。そんなイキそうな目をしたオーナーの一挙手一投足を俺達は砂漠に立ち尽くすサボテンの様に只呆然と見守った。
 周囲を取り囲んでいる麻薬常用者の群れは、もはや腐海の深淵で奇声を上げながら蠢く一匹の巨大な怪蟲(ワーム)の様だった。その群体の中心で――ピストルの照準は、真っ直ぐ俺達をとらえている。   
 
 夕暮れが迫る中、二回目のサメ釣りが始まった。

 有り難い事に――ワイヤー、釣り針、餌(肉塊)といった――先程と同じアイテムが、再び支給される事になった。それに対し、
「えらく必死なんだな」
 チャド先輩が皮肉を投げつける。口調こそ穏やかだったものの、その眼光は凄まじいものだった。
 それでも、チャド先輩は紳士的な態度で――向けられたピストルの銃口にストレスを感じながら――それらを受け取った。
 見守る会衆(ジャンキー共)からの罵詈雑言の猛襲を浴びながら、巨大人食い鮫と再び対峙する。俺達のすぐ目の前の海域で、ツートンカラーの巨大な影は今なお不気味な遊弋を続けていた。

「よし、出来たぞーッ!」
 仕掛けを組み終えたチャド先輩が肉塊を頭上に掲げてこちらに知らせると、
「こっちはいつでもオッケーです!」
「よっしゃー! さっそく行こかー!」 
 俺と関西人が元気よくそれに応じる。 
 今回ばかりは事が事だけに、関西人もサメ釣りに協力してくれる事になったのだ。
 正確に言うと、今回のサメ釣りは俺と関西人の二人で行う事になる。チャド先輩はと言うと、餌をキャスティングした後、すぐに鈴木とランちゃん(山田)の護衛に回ってもらう事にした。ここはジャンキー(薬中)共の巣窟。俺達がサメ釣りに集中している間、二人がレイプされてしまうおそれがあるからだ。
 鈴木とランちゃん(山田)の前に――まるで双子の女神(サイレン)を守護する巨神(ティーターン)の様に――立ちはだかっているチャド先輩は特性ソースみたいな濃い顔で、
「では行くぞぉー!」
 と大声でこちらに合図するや否や、さっそく例の肉塊をドッジボールみたいに持つと、
「チャーーー、シューーーー……」
 懐かしい掛け声に合わせ、ゆっくりと振りかぶる。すると、隙のない完璧な筋肉の鎧が美しくしなり、流れるように収縮する。そのガッチガチに張り詰められた――今にも弾け飛びそうな――人工のバネが、
「メェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエンッ!!!!!!!!」
 という咆哮と共に、全てを――チャド先輩の『気』を――解き放った。
 肉塊は――前回のような放物線ではなく――凄まじ勢いで、海面を、空気を切り裂きながら、一直線にサメに向かって飛んでいく。
 空気が切り裂かれ真空になったところへ、たちまち空気が流れ込む。それが凄まじい爆音を生み、海を割る。そして、
 
 ズドォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!!!!!!    

 にわかに信じ難い程の重低音と共に巨大人喰いザメの横っ面に見事命中した。ビックリしたのか、サメは凄まじい水しぶきを上げながら身を翻した。
「ようやったぁあああああああああああああ!!!!!」
「ナイスキャストぉおおおおおおおおおおお!!!!!」 
 俺と関西人だけが先輩を労い敬った。見事に仕事をやり遂げた先輩は、
「後は頼む!」 
 勇壮に答え、即座に鈴木とランちゃん(山田)の護衛に回る。
 周りのジャンキー共は、そんな事には目もくれず、相変わらず自分の、自分達の世界に――まるでゾンビの様に――没頭している。
 その直後である。目の前の海面からサメの巨大な身体が空に向かって打ち上げられた。
 そして、その絶句する程の巨大な体躯を中空でしならせ、少し黄色がかった空をバックに、不気味な漆黒の三日月を形成したかと思うと、真っ逆さまに海へ帰っていく。自分を痛めつけた元凶へ、逆襲という名の咀嚼を行う為に。
 先程とは違い、サメはその巨大な体躯を上手くコントロールし、殆ど水しぶきを上げることなく着水した。俺達は只放心状態でそれを見送った。そして、それは俺の精神にとてつもない重圧を与えるには充分過ぎるパフォーマンスだった。
 直後――握っていたワイヤーに強烈なアタリを感じ、ハッと我に返る。即座に反応した関西人は、
「かかったぁああああああああああああ!!!!!!」
 断末魔の様な声を上げ、
「引けぇえええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!」
 ワイヤーに力を込める。俺も負けじと、
「がぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
 裂帛の気合と共に全力でワイヤーを引いた。
 少し離れた所から、
「二人共頑張れぇえええええ!!!」
「ダーリン達ーッ! 頑張ってーッ!!!」 
 鈴木とランちゃん(山田)が必死に応援してくれていた。そんな二人の女神(サイレン)から放たれる色香を嗅ぎつけたのか、麻薬常用者の群れが徐々に集まりつつある。そして、まるでゾンビの様に二人に襲いかかろうとしていた。
 その命知らずのゾンビ達を前に、
「先に言っとくが、俺の稽古はしんどいぞ」
 チャド先輩は勇壮なドヤ顔で身構えた。
 
 一方、
「おいッ! にーちゃん! 何やっとんねん!!! 早う『輪』を開かんかいッ!!!!」必死な形相で叫び散らす関西人。
「くっそぉおおおおおおおおおおおおおおおお……ッ!!!」強烈なプレッシャーに苛まれた俺は、未だ『輪』を開けないでいた。
 絶体絶命のピンチだ。


 つづく

 第十八話 『黒曜石』

 戦況は極めて厳しい状態にあった。
 
 ジリジリと、少しづつ、確実に――ワイヤーをサメに絡め取られていく。そんな中、
「このボケザメがぁああああああああああああああああああああああああ」 
 額に汗を光らせながら関西人が叫んだ。低く腰を落とした彼は、苦しげに表情を歪めながら、その渾身の力でもって、右から左へ自由自在に動き回るサメの猛攻に耐えている。先程までの飄々とした風体からは少し想像し難い姿だ。それもこれも全部俺の所為に他ならない。
 どういうわけか、先程習得した筈の『輪』の開放が出来ないのである。
 この為体の原因に心当たりがあるとすれば、あの時だろう。サメが巨大な三日月を中空に描いた時――それを見せつけられた時だ。あの想像を絶する光景が、俺に軽いトラウマを与え、一時的に精神を萎縮させてしまったのではないだろうか。
 唯一の必勝法を、切り札を失ってしまった。
 しかし、そんな事で諦める俺ではなかった。
「はがぁああああああ!!!!!! 回れ回れ回れぇえええええええええ」  
 顔面を真っ赤に充血させ、ひょっとこの様な表情の俺は――肛門括約筋が緩めの方なら、もうとっくに脱糞してるよ。って程の――もてる全ての力でサメに立ち向かった。そして、考えた。
「何か……絶対に、まだ何か方法はある筈だ……ッ!!」 
 ワイヤーの残量がまた少し、また少しと減っていく。その度に俺達の体から流れ落ちた汗が乾いた砂浜に疎らで小さなドット柄をこしらえていた。
 次の瞬間、ポツっと何かが肩に落ちた。すると関西人が、
「マズイな……」 
 ギリっと歯を鳴らした。見る見る内に砂浜全体がドット柄に染まっていく。
「夕立や……ッ! ワイヤーが滑るぞ……」 
 関西人から放たれたこの言葉に、俺は絶望した。
 無情にも大粒のシャワーが降り注いだ。冷たい雨だった。それなのに、空はお構いなしに晴れていた。

 悪戦苦闘の最中、俺は――ゴハンをねだるワンちゃんの様な表情で――チャド先輩に視線を送ってみた。
 チャド先輩は非常に忙しそうだった。
 鈴木とランちゃん(山田)をレイプしようとチンチンを出して襲いかかってくるゾンビ共(常用者達)を『ハワイアン砲(音速螺旋張り手)』で迎撃していたのだ。
 上気したゾンビ共が、かすれた呻き声を上げながら次から次へと張り倒され、宙を舞い、薙がれていく。
 その一方的で圧倒的な大量殺戮活動はアクション映画というより、むしろゲームみたいな光景だった。 
 相手が麻薬常用者の犯罪集団という事がわかった以上、学校からの処罰云々も気にする必要がなくなった。――つまり、正当な防衛行為に徹することが出来るという事だ。 
 まさに『バナナを得たゴリラ』とはこの事だ。そのバタ臭い顔を涼しげにして「フンフフン~ッ♪ フンフフ~ンッ♪ フフフフ、フフフフ、フフフフ、フフフ~ッン♪」等と食パンのCM曲を鼻歌で歌いながら、ゾンビ共をちぎっては投げ、ちぎっては投げの繰り返し。まさに無敵の単純作業である。
 チャド先輩が意気揚々といった感じで侠仕事(おとこしごと)に精を出していると、
 
 パァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンッ!!!!!!!!!

 不意に銃声が鳴り響いた。同時に――まるで時が止まったかの様に――皆、竦み上がる。
 ゾンビ共の狼藉に業を煮やしたオーナーが空に向けて発砲したのだ。
「お前、調子乗りすぎー」
 冷淡な口調で言ったオーナーは冷たい苛立ちを宿した視線をチャド先輩に向けた。そして、虚無へと向けられていた銃口がゆっくりとチャド先輩に向けられる。
「クソがッ!!!!!」 
 苦渋に顔を歪めながら、チャド先輩はその震える両手を頭上に上げた。
「オイお前ら! 何やってんのー? ねぇー? さっきから何遊んでんのー!?」
 オーナーは石化しているゾンビ共を気怠そうに叱咤し、チャド先輩を顎で差しながら、
「その生意気なゴリ公、存分に可愛がってやれー」
 ネットリとした冷笑で吐き捨てた。
 主人に促されたゾンビ共は再び活動を開始させる。その行動や仕草、言動、表情、声色、その全てが常軌を逸しており、不気味で妖異だった。
「あぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」 
 と恐ろしい呻き声を上げながら次々にチャド先輩に襲いかかっていく。その姿はまるで血肉を求め彷徨うゾンビそのものだった。
 無抵抗を強いられ、なすすべもなく立ち尽くすチャド先輩に、無情にもゾンビ共の猛襲が雨あられと降り注いだ。
 3フィート程の鉄パイプ、木刀、80cm木製バット、二尺八寸程度の角材、バール、テーピングが施された拳――これらが物凄い勢いで飛んでくる。
「グッ! ……がぁ!! まだまだッ!! くそっ……あぁ、何の……うッッッ!!! いっ! それでもッ……ぶはぁあぁあっ!!!」
 チャド先輩は耐えていた。掲げた両手を下ろすことなく、襲い来る激痛に震えながら耐え、倒れそうになるも自らを又奮い立たせ、立っていた。
 しかし、驚くべき事は、そんな状況下に置かれながらも、彼が笑っていたという事だ。強烈なリンチに身体中が腫れ、裂け、出血し、それでも彼は笑っている――ニッカと白い歯を輝かせて。そして、その笑顔は――垢抜けたウィンクは、俺達に向けられていた。
「佐藤……ッ! ふ……フォアグラッ……ッ……楽しみにしてるぞ!! だから、そんなファッキン・シャーク……早く釣っちまえぇえええ!!!!」
 血みどろのチャド先輩が快活に言った。 
 その言葉が、俺の『輪』の門を激しくノックした。  

 バケツをひっくり返した様なスコールの中、状況は更に――まるで転げ落ちるジェットコースターの様に悪化していく。
「いやぁあああああああああああああああああああああああああ」
 それは、やかましい雨音を切り裂くような、ただならぬ悲鳴だった。不安に駆られた俺は、直ぐ様その方向へ視線を移す。すると、そこにはとんでもない光景が広がっていた。
「う……嘘でしょ……ッ!?」 
 雨で滑るワイヤーを引っぱる傍ら、言葉を失う俺。
 鈴木とランちゃん(山田)がゾンビ達に襲われていたのだ。
 鈴木は数人のゾンビに掴みかかられるも――それらの手を必死に振りほどきながら勇敢に抵抗している。その姿かたちは、どっからどう見ても美少女そのものだった。しかし彼も男の子、あと暫くは持ちこたえられるだろう。 
 俺が思わず目を見張ったのは、実はもう一方の――ランちゃん(山田)の状況だった。
 何故か上半身素っ裸になっている彼女。そして自らの胸を両手(手ブラ)で隠しながら――四方から伸びてくるゾンビ共の手をすんでのところで身を翻し、躱している。おそらくあの迫り来るゾンビ集団の一人にビキニのトップスを剥ぎ取られてしまったのだろう。先程の悲鳴もそれによるものだ。
 冷ややかな片笑みを浮かべながら――まるで淫れた遊戯に興じる淫獣の様に――ランちゃん(山田)に襲いかかるゾンビ達。逃げ惑う彼女の――その雨に濡れた桃色の髪と白い肌が、なんとも名状し難い魔性の魅力を放っていた。 

 そんな中、遂に鈴木が敵の手に落ちてしまった。
「……くそッ……はなせよ!!」 
 必死の抵抗も虚しく囚われの身となった鈴木の前に一人の男がヌッと現れたかと思うと、気だるそうな声で言った。
「お前……スゲェ可愛い顔してんのなー。こんな女、滅多にありつけねぇわー」 
 オーナーだった。右手の拳銃(チャカ)は相変わらずチャド先輩に向けられていて、その銃口の先で行われている惨劇もまた未だ継続中だった。 
「僕は男だ!!」 
 怒った鈴木は言下に言い、体を振り解こうと必死にもがくも――二人のゾンビに両脇からガッチリとロックされている為、簡単に逃れることは出来ないでいた。
 そんな鈴木に、オーナーは――チョコレートみたいに日焼けした顔にトローンとした目を浮かべて――香ばしい大麻の煙を吐きながら、冷然と言った。
「あっそ」
 そして彼は、おもむろに――鈴木の眼前へ――チンチンを出して、こう述べた。
「しゃぶれよ」
 何の感情も無い、虚ろな声だった。それに対し鈴木は、
「……うわッ!!!」
 慄然と声を上げた。その視線は真っ直ぐにオーナーの股間へと向けられている。鈴木が驚くのも無理はあるまい。社会の窓から外界に解き放たれたオーナーの陰茎――その異形さたるや――これを眼前に差し出され驚倒しない者は中々おるまい。
 その次元を飛び越えた複雑怪奇な形状を地球上の言語で表現することは不可能だった。只一つ言えるとしたら――普段からしっかりと使い込まれている為だろうか? まるで黒曜石のように全体が黒光りしていた。
「よし、来い」  
 オーナーが淡々とした声で言うと、鈴木を捕らえているゾンビ達が――目の前の異形へと向かって――鈴木の顔をゆっくりと近づけていく。 
「嫌だぁああああああああああああああああ」 
 悲鳴を上げて嫌がる鈴木に、
「ちょっとでも歯ぁ当てやがったらチャカでドタマ弾くからなーしっかりやれやー」 
 仁王立ちのオーナーは平板な――故に残酷な口調で、
「チンカスも綺麗に舐め取ってくれよーぅ」
 言って、腰を前に突き出した。
 このままではオーナーのチ○コが鈴木の可愛いお口の中に入ってしまう――。 

 その時である。俺の『輪』の門に楔を打ち込んだ様な衝撃が走った。直後、髄液が沸騰したかの様に背骨が、芯が――脳天を貫くように――熱くなる。 
「遅いわぁーアホッ!!!」 
 異変に気付いた関西人が苦渋の表情を少しだけ笑顔に変えた。今まで、ほぼ一人でサメの猛攻を耐え切ってくれた――そんな関西人に、俺は感謝の意を込めて、
「おまたせ!」 
 笑顔で返事した。
 遂に、俺の『輪』に『気』が通った。凄まじい力が体中に漲る。 
 そして、ふと手元に目を落とすと――ワイヤーは、もう後がなかった。
 しかし、それでも俺達は絶望していなかった。先程まで心の中にたちこめていた暗然たる感情は既に何処かへ消え去ったようだ。――この冷たい銀色の夕立と共に。
 薄い金色の夕焼けに包まれ始めたビーチで、
「反撃開始だッ!!!!!!!」
 俺は言った。


 つづく
 
 




 
18, 17

  

 第十九話 『アット・ザ・ドライブイン(道の駅)』

 まずは落ち着いて、できるだけ多くの『気』を体内に取り込んでみる事にした俺は、
「……ハッ!!!!!」 
 意識を第一の『輪』へと集中させる。――すると、俺と関西人の『気』が共鳴し合ったのか、 
 ズドンッッッッッ!!!!!!
 と、目に見えない力の波動が放射状に分散し、重たい烈風が巻き起こった。同時に、俺と関西人の周りにいた数名のゾンビが――その波動に薙がれ、吹き飛んだ。 
 それを見て、漸く何やら手応えを感じた様子の関西人が、
「佐藤ッ! そのまま全力で、ワイヤーに『気』ぃ叩き込めぇえええええッ!!!!!」
 最後の力を振り絞るように叫ぶ。俺は無言で頷き、そして、力尽きる寸前の関西人が、
「いけぇええええええええええええええええ佐藤ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
 分厚い布を引き裂くような声で叫んだ。その声が、俺の背中を押してくれた。
「ぐぅぅぅううううううううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」  
 思いっきり、全力で、頭の中は真っ白で、只我武者羅に、その全身で、全身全霊で、持てる全てを、全ての『気』をワイヤーに込めた。
 直後――巨大な10メートル級の人喰いホオジロザメが、目の前の海面から物凄い勢いで打ち上げられた。
 そして、サメが天空を――俺達の頭上を翔けた。ツートンカラーの鮫肌が沈みかけの太陽光を反射させて、キラキラと輝いていた。
 それは、現実のものとは思えない程恐ろしく、圧倒的な光景だが、同時に、或る意味幻想的で、神秘的でもあった――。
 その巨大飛行物体は――程なくして、オーナーが経営する海の家に真上から突き刺さった。
 言うまでもなく、海の家は凄まじい音を立てて全壊した。
 その場に居合わせた男女数百名、皆絶句し、呆然と立ち尽くす他なかった。
 
 ――もう、この砂浜で起きた出来事について、あまり物語る事はない。
  
 まるで死んだ魚の様な目をして――蟹みたいに泡を吹きながら――その場に崩れ落ちたオーナーと、閉ざした世界に没頭し続ける麻薬常用者達の目をはばかって――疲れ果てた関西人を鈴木とランちゃん(山田)が、怪我を負ったチャド先輩の体を俺が支えながら――金色のサンセット・ビーチをバックに――逃げるようにこの場を後にした。
 幸いな事に、チャド先輩の怪我はそこまで酷いものではなかった様だ。わりと派手に出血したように見えたが、額の生え際の辺りが少し切れていただけだった。頭皮は手足に比べて血管に富む為、小さな外傷でも派手な出血を起こす傾向があるらしい。その他は、蚊に刺されたような軽い打撲が数箇所に見られるのみ。流石はハワイアン力士――凄まじい防御力だ。

 五〇〇メートル程離れた駐車場にたどり着くや関西人が、
「ほな、俺はここでッ」
 疲れ果てた様子だが爽やかな笑顔だった。そんな彼に向かって俺は直角に頭を下げた。そして、 
「ありがとうございましたぁああああああああッ!!!!!」 
 試合後の甲子園球児みたいに言った。続いて、負傷したチャド先輩も三つ手刀を切った後、
「ごっつぁんですッッッ!!!!!」
 と頭を下げた。それに対し関西人は日本人独特の、恐縮そうなジェスチュアでそれらを受け流しつつ、
「とんでもない。それはお互い様やろ!――それに、なんやかんやで、めっちゃ楽しかったわぁ!」
 相変わらず鎌のような細い目で笑って、俺とチャド先輩の肩を叩いた。その仕草、表情、口調、全てが凄まじい勢いで爽やかだった。 
 爽やか関西人は最後に――今日一日色々有り過ぎてミイラの様にゲッソリと痩せこけた――鈴木とランちゃん(山田)の前に、両手の小指を其々に差し出して、こう言った。
「約束のアイス、また今度な! 次、絶対ご馳走するから!」
 なんとしたものか! それを聞いた鈴木とランちゃん(山田)の憔悴しきった表情が、見る見る内に爛漫と、美しく輝きだしたのである。そして、
「うん!」
「はい!」 
 同時に答えた女神(サイレン)達は、
「えへへッ☆」
 と屈託のない笑顔で、関西人と指切りげんまんをしたのである。俺は、そんな可憐極まり無い鈴木とランちゃん(山田)を見ながら、しみじみと溜息を漏らしながらこう言った。
「まるで夏に咲いた日々草みたいだ……」
 すると、ニヤニヤと含み笑いを浮かべたチャド先輩が、肘で俺の事を突っつきながら、
「佐藤、そのニチニチソウってのはどんな花言葉があるんだ?」
 俺は少しだけ記憶を巡らして――そして、国道を隔てた先で、金色の夕暮れをゆらゆらと反射させて煌く、蒼茫たる大海を眺めながら、
「『楽しい思い出』です。」
 言った。すると、それを聞いたチャド先輩は、
「上手いッ! これは一本やられたわいぃいいいいい!!!」 
 哄笑を上げながら、そのマウンテンゴリラの様な掌で、俺の背中を再びビンタした。俺は、その凄絶無比な威力に対し(このハワイアンゴリラは俺を殺そうとしているのか? それとも――)等と思慮の翼を広げながら、
「がはっぁあああぁぁぁッ…………!!!!!!」
 と壮絶なダメージに身を任せ――軽い吐血も伴いつつ――その場に崩れた。この時、背中に刻み込まれた巨大な紅葉模様は、三週間も俺の背中に居座り続けたらしいのだが――それはまた別の機会に。
 そんな中、指切りを終えた関西人が去り際に――ポムッと二人の天使の頭を軽~く撫でて、
「また、どこかでな――」
 名残惜しそうに、それでも風のように音もなく消えていった。
 その背中を見送った後、思い出したかのように、
「あーっ……!」
 情けない声を上げたのは俺だった。そして、こう付け加える。
「関西人の名前聞くの忘れた……。」 
 真夏なのに、何故か木枯らしが吹いた。タンブル・ウィードがカサカサと音を立てながら目の前を転がっていく。
「そんなぁ……。」 
「確かに……。」
「アイス……。」
 しばらくの間、駐車場の一角が静寂に包まれ、一同愕然とその場に立ち尽くした。

 帰りの車内で、
 ギュルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルゥゥゥゥゥゥッ!
 という壮大な四重奏を奏でたのは我々の腹の虫だった。
「腹、減ったな」
 切り出したのは助手席の俺だった。後部座席で戯れていた二人の天使達は、
「お腹ペコリンだよー!」
「ランちゃん、このままじゃ、飢え死にしちゃう~!」    
 手足をバタバタさせながら駄々をこねた。その死ぬほど可愛い姿を助手席からチラ見した俺の胸は、キュンとときめいた。
 例の薬浜から10キロ程パ○ェロを走らせた辺りで、
「おおっ!?」運転しながら何かを見つけたらしいチャド先輩が「この先にドライブイン(道の駅)があるぞ!」と、デミグラスソースみたいな顔で言った。 
 後部座席の鈴木とランちゃん(山田)は、
「ご飯食べて帰ろうー!」 
「そうですわね☆」  
 一様に喜びの声を上げた。
 ふと、助手席の車窓から海を眺めてみる。
 燃え盛る落日が、その殆どを地平線に呑まれながらも眩く、世界を茜色に染めている。その天上では数多の星星が薄ぼんやりと輝きはじめていた。俺は、なんて壮観な光景だろう、と嘆息を漏らした。
 カーステから流れるゆったりとしたレゲエ・ミュージック(ジミークリフというアーティストらしい。後でチャド先輩に訊ねた)に身を委ねながら、開け放たれた車窓から少しだけ顔を出し、目を閉じて、風を感じた。夏の、海の匂いが鼻先を擽った。

 この後立ち寄ったドライブイン(道の駅)でクルーザーを牽引した4WDが駐車してあり、
「おぉ! 何やってんだお前らー!?」 
 それを運転していたのがなんと、偶然にも湯川で、
「最近ニュースとかで話題になってるシャークテロ。あれな、実は俺がやってんだよ――スゲェだろ~」
 と、どこぞの劇団員ですか!? って程の口調で言った後、急に小声になって、
「どうやったかって?」訊いてもないのに続けて「特殊な音波球で誘き寄せるのさ――」仕草はミュージカルみたいに大袈裟だった。犯行の動機は「アベック共がムカつくからだよ。言わせんな恥ずかしい」だそうだ。
 その後、ドライブイン(道の駅)のトイレ裏手で――チャド先輩と二人がかりで――湯川をリンチにかけた時のエピソードは、またの機会に話すとしよう。
 何はともあれ、ドライブインで食ったカツ丼、最高に美味かった。
 

 つづく
19

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