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第二話『夢の図書館(ライブラリー・ヴィジョナリー)』

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 シャープエッジリーダー、芝村奈胡討伐後。
 計は呆然と立ち尽くすメンバー達を置き去り、電車に乗って帰路へついた。背中の刺し傷は意外と酷い。早く治療してもらおうとしているのだ。
 横浜に隔離されている月光症候群持ちには、それぞれ担当医師がついている。仮出所が許された犯罪者に保護観察官がつくような物だ。
 計についている担当医師は、桜木町駅近くにあるマンションで計と同居している。エントランスを抜け、計は血をだらだらと垂らしながらエレベーターで一五階へと登り、廊下を自室のドアへと向かう。
 ドアを開き、「ただいまー」と叫べば、まっすぐ伸びる廊下の一番奥から一人の女性が出てくる。
 彼女は私服である深緑の肩出しセーターに黒のタイトスカート。計を見るや否や、彼女の額にシワが寄る。計の担当医師である森城散(もりしろちる)。茶髪のセミロングを後頭部でまとめており、化粧っけのない少女然とした顔。しかし見た目はともかく、ベテランの月光症候群専門医師である。
「……あんたね。ホント、なんでいっつもいっつも怪我して帰ってくんの? やんちゃ坊主じゃあるまいし」
「血が流れすぎて死んじまうんで、早くしてくれたら死なずにすむんだけど」
「はあ……。そこで待ってな。血で中汚されても困る。治療道具持ってくるから」
「はいよ」返事をした計は、盛大な溜息を吐いた。血が流れすぎて、そろそろ足りなくなってきているのである。
「計ーおまたせ。さ、服脱いで。傷口見せなさーい」
 振り向いて肩越しに後ろを見ると、救急箱を持って、計に見せびらかす散が立っていた。ただの救急箱ではない。医療都市最新の技術を結集した薬などが入った物で、大怪我もすぐに治療できるほどの優れものだ。
 計は破れていた学ランを脱ぎ捨て、上半身裸になり、傷口を露出させる。背後に座った散が救急箱を取り出し、何かの薬品を傷口に塗った。効くという証明なのか、やたらとしみるそれに、計は思わず「ってえ!」と叫んでしまう。心の奥からエレジーのイライラも感じ取る。基本的に感覚は共有しているので、痛みを不快に思っているのだ。
「我慢しな。やめろって言ってんのに、そこかしこで喧嘩売るあんたが悪いんだから」
「……たしかにな。傷負っちまうとは、俺もまだまだだ。けど安心しろよ散さん。次はもっと上手くやるから」
「そもそもやんなって言ってんの!」
 巻いていた包帯で思い切り計の体を締め上げる散。再び悲鳴を上げるが、しかしその瞬間、計の瞳が紅くなり、人格がエレジーにチェンジして、勢いよく振り返る。
「痛いぞ馬鹿者!! もっと優しく扱わんか! 計の体は文化遺産と等しく扱え。我が入っているのだぞ!」
「あらエレジーちゃん。久しぶりー。あんまり私には姿見せてくれないじゃないの」
「貴様は苦手だ。なれなれしい。それに人の話を聞かんし――」
「あらやだ。これでも私、心療内科医よ? 人の話を聞くのが仕事だもの。ただ言う通りにしないだけだってば」
 そう言って、ふたたび彼女は包帯をきつめに縛る。「きゃあああ!」と甲高い悲鳴。
「あはははは! 相変わらずエレジーちゃんになると声変わるんだから」
「笑うな! ――くそ!」
 盛大な舌打ち。そして、計の瞳が元のブラウンに戻る。
『計! 貴様からも何か言え! 少々我に対して扱いが雑すぎるのではないか。この女は!』
『散さんはしょうがねえって。つーか、俺らのお母さんみてえなもんだろ。ちょっとは仲良くしろって』
『計は散に対して少し甘いぞ!』
「あらら。戻っちゃった。嫌われたもんねえ私も」
 少し残念そうに笑いながら、計の肩を叩く散。包帯が巻き終わったらしい。脱ぎ捨てた学ランを持って立ち上がると、散から「それは洗濯機に入れときなー。後で穴も縫っといてやるから」という指示を受け、廊下にいくつかあるドア一つを開けて、脱衣所にある口を開いた洗濯機へ血塗れのワイシャツと学ランを投げ入れた。
 洗濯機の隣にあるパジャマ用のプラスチックチェストからスウェットの上下を取り出すと、スラックスも脱いで寝間着へと着替える。
 その後、夕飯ができているとダイニングへ呼ばれ、先ほど散が出てきた一番奥の扉へ。そこにはリビングが広がっており、キッチンの前にあるバーカウンターでは散が先に座り夕飯と共に待っていた。夕飯はハンバーグとパンプキンスープとパン。散の隣に座って、いただきますと手を合わせ、それらを勢いよく口に放り込んでいく。
「で、計。今日は誰ぶっ倒したのよ?」
「んー? シャープエッジとかいうグループのリーダーで……あ? 名前なんだっけ、エレジー」
「芝村奈胡だろう」
「そうそう、それそれ」
「ああ、『電網力場(マグ・マグネット)』の? 結構大物じゃない。もしかして治っちゃったかな……」
 顎に手を当てながら思案をする散。芝村奈胡はそこそこ有名な患者であり、研究対象としての価値から、治っていればそれなりの損失だと考えているのだろう。
 月光症候群唯一の治療法はその心を折ること。しかしそれがわかっていながら未だに多くの月光持ちが治療されずにいるのは、異常化した心を折るということがほとんど不可能だからだ。それ故に現在では、月光症候群は月光症候群にしか治せないとまで言われている。
「どうだか。あの野郎がこんなことで心折れると思えねえ」
 あの間延びした癪に障る喋り方を思い出しながら、計はまだ半分以上残っていたハンバーグを口に頬張る。
「けど、それでリベンジしてくるってんなら、俺はそれが一番だね。そっちが一番おもしれえ」
「あんま危ないことはやめなさいよー。そこまでしなくても、あんたは充分強いって」
「まだ足んねえよ。夢月の野郎に勝つ為には、まだまだ足りねえ」
 十年前、計を誘拐した男。人類で初めて月光症候群の感染が確認され、横浜で大量殺人と誘拐を行った。感染が拡大した当時。まだ医療都市がその影すらなかった頃、彼に影響され月光症候群患者による犯罪が社会問題となった。日本史上、一番大量の模倣犯を生み出し、初めて月光症候群を患った男として、歴史に名を残す犯罪者。
「ふう……。まあ、あんたの大口は今に始まった事じゃないけどね。でも、夢月はどこにいるかわかるの?」
「俺が、俺自身が納得行くまで強くなったら、探しだしてボコる」
「……あんたって子は、ホントにもう」
 散は人差し指で計の額を突いた。その顔は、まるで母親の様に慈愛で満ちていた。十年前に両親の元から離され横浜にやってきて以来、計にとっては彼女が母親なのだ。というより、もう実の両親の顔は覚えていない。どこでどうして生きているのかも知らない。
「ところで、計。あんたはエレジーちゃんの協力無しじゃ発病も出来ないんだから、エレジーちゃんを出さなければいつだって退院できるのよ? ――その気はないの?」
「無い! エレジーは確かに夢月の野郎に植え付けられたけど、俺の半心だ。夢月の野郎をぶっ倒すには、こいつの力が必要だしな」
 自身の胸に親指をつきたて、そう宣言すると、計は再び夕飯へと向かう。甘いパンプキンスープを一口で飲み干すと、「ごっそーさん!」と手を合わせてリビングから出た。
 暗い廊下に出ると、心の中でエレジーが呟く。
『……礼など言わんぞ』
「どういたしまして」
『礼は言わないと言っておるだろう!』
 それっきり拗ねてしまったのか、エレジーが心を閉ざす。起こす理由もないので、そのまま寝かせることにして、計は寝支度を整える事にした。


  ■


 翌日。計はすっかり元通りに戻っていた学ランを身に纏い、あくびをしながら家を出る。
 エレベーターで一階まで降り、エントランスを抜けてマンションの外へ出ると、マンションの前に理穂が待っていた。
「おはよう、計くん」
 いつもの光景に少しだけ安心しながら、計は片手を挙げて「よう」と挨拶を返す。
 理穂は計の隣に立ち、共に学校へと歩いて行く。
「昨日はどうだった?」
「ああ。楽勝だったぜ。で、新ネタはなんか――」
「昨日の今日であるわけないでしょ。計くんもそろそろ強くなってきたし……計くんが満足できる相手となると、そうはいないんだよ」
「なんだそうか。……ま、もうしばらく頼まあ」
 予定が崩れた。計は内心でそう呟いて、さてどうするかと考える。とは言え、もうすでにやることは半分程度決まっているのだが。


 学校に着くと、計はすぐにエレジーと人格を交代し、心の奥で眠る事にしていた。瞳には茶色のカラーコンタクトを入れて、エレジーが授業を受けるのだ。計は勉強が昔から嫌いで、その手の事はエレジーに一任している。エレジーは勉強が好きなのだ。
 計に出来ないことはエレジーが。エレジーに出来ないことは計が。二人はそうして生きてきた。
 計的に言えば寝てる間に放課後がやってきて、エレジーと交代する。コンタクトレンズを外し、決めていた予定の為に学校の部室棟へと向かう。横浜に入院していながら、清く正しく部活動に勤しもうなんて生徒はほとんど居らず、空き教室ばかり。そこをちょうどいいと根城にする女生徒が一人。
 一つの部室をノックすると、中から「はい……」と小さな声。
 ドアを開くと、そこに居るのは黒髪にポニーテールで、やたらと前髪が長く目が隠れてしまっている少女。たくさんの本が散らばる八畳ほどのそこに、本の上に座って、分厚い本を読んでいた。セーラー服の上からもわかるほどスタイルは女性的だ。彼女の名は葉山瀬玲奈。計の学友である。授業をサボって常にこの本で散らばった場所で本を読み耽る本の虫。
「お前、相変わらず教室には来ねえのな」
「うん……。教室に居ても、みんなうるさいから……」
「ま、したくねえことする必要はねえよ。どうせ、この横浜じゃ退学とかねえし」
 横浜には、月光症候群持ちか医療関係者しか居らず、さらに月光症候群患者は完治しない限り横浜から出る事を許されない。なので、高校なども退学にはならず、ほぼ義務教育と化している。
「――けどよ、俺ここ来ていいのか? 毎回思うんだが、邪魔だってんなら出ていくぜ」
「いいよ。榊原は、わかりやすいし……。それで、今日はどんな夢を見たいの……?」
 瀬玲奈は本に栞を挟み、膝の上に置く。
「強いヤツと戦わせろ」
「私はそういうのわからない……ああ、でも、最近出回ってる噂でどう、かな……?」
「噂?」
「え、っと……。榊原って、月光症候群狩りの『緋色の炎』とか、呼ばれてるんだよね?」
「らしいな。ま、どうせなら名前がそのまま広がってくれたほうが良かったんだけどな。強いヤツが集まってきそうだし」
「今もう一人、偽の『緋色の炎』が現れてるって噂があるんだけど……」
「へえ! それは面白そうだ!」
『計。我は面白くなどない。我が炎の名を語るとは、無礼すぎる。不愉快だ』
 エレジーがイライラすると、計の後頭部辺りがざわざわとする。それが嫌いな計は、頭を掻く。
『いいんだよ。俺と戦ってくれんなら、偽物だろうがなんだろうが』
『貴様は名に拘らなさすぎる。名は名誉。それこそ我達が我達である証ではないか』
『そういうの俺にはわかんねえ。いいじゃねえの。喧嘩の大義名分が出来たと思えば』
「……榊原? どうしたの。エレジーさん、何か言ってる……?」
 エレジーと会話する時は傍目から見ればボーっとした状態になってしまうので、エレジーを知っている人間なら、計がボーッとしていることがエレジーと会話しているのだとわかる。
「いや、その偽物を探す事に意見が一致しただけだ。そいつについて知ってること、話してくれ」
「話すより……、こっちのが早いよ」
 瀬玲奈は前髪を上げ、隠れていた目が露出する。大きく、長い睫毛の黒い瞳は、黒真珠の様に濡れた光を宿していた。
「お前、姿見てたのか」
「うん……。じゃあ、開くね……『夢の図書館(ライブラリー・ヴィジョナリー)』」
 ジッと瀬玲奈の瞳を見る計。そうすると、段々頭がぼんやりとしてきて、もう意識があるかないかわからないくらいになると、計は本の上で倒れていた。


  ■


 目を開けば、計は夜の繁華街に立っていた。桜木町駅近くの高架下。
 瀬玲奈の症状『夢の図書館(ライブラリー・ヴィジョナリー)』の力だ。彼女は自らの目を見たモノに、任意の夢を見せることができる。その症状はどんなに現実離れしていても、頭の中ならすべて実現可能という便利な物で、彼女は人に頼まれてよく夢を人に見せていた。しかし、その意地汚さに疲れてしまい、人嫌いとなって部室棟に篭り延々と本を読んでいる。計とは同じクラスで、その縁もあって、よくイメージトレーニングに付き合ってもらっている。
「……さって。どこかな、偽物!」
 自分の偽物というシチュエーションに少しわくわくしている計は、辺りを隈なく探してみる。すると、駐輪場の中に五人ほどの男が、一人の少女を囲んでいるという非道徳的な光景が計の目に飛び込んできた。
 茶髪のショートカットで、額に包帯、頬に絆創膏と怪我いっぱいの少女は、黒い無地のダボダボなTシャツにホットパンツを穿いており、バンテージを巻いた拳をファイティングポーズで構えている。その拳を走らせて男の顎を撃ちぬくと、一撃で気絶させた。膝から崩れるその少年のこめかみを、黒い編みこみブーツの爪先で蹴り抜いた。
「おお!」
 興奮して大声を出す計。一瞬、しまった見つかると思ったものの、ここは瀬玲奈の作った夢の中。見つかるはずがない。
 少女は似たような動作で男たちを潰していき、ふうと一息をついた。
「アンタら弱すぎ!! 一発も貰わないまま勝っちゃって……。なんの為に戦ってんだかわかんないでしょうが!」
 と、倒れる男たちに向かって叫ぶ少女。もちろん、彼らは気絶かその寸前まで行っているので、話は聞こえていない。
「いい、アンタ達。私は『緋色の炎』! 誰に倒されたって聞かれたら、そう答えなさい! ――っ! 誰!?」
 どうやらここで、この光景を見ていた瀬玲奈が何かして見つかったらしい。
 計の意識が急速に薄れていく。そんな中で、『あの女が偽物か』とか『いいな。殴り合いとかばっちり好みだ』とか、そんなことばかり考えていた。
 
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