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第二話「???」

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 「怠け者は勤勉な者に追い越される」この言葉を聞いて、あなたは何を思い出すだろうか。
 多くの人はある童話を思い出すのではないだろか。
 そう、「ウサギとカメ」である。
 あの童話には、圧倒的な実力を持つが傲慢なウサギと足は遅いが勤勉なカメが登場する。ゴールの直前で昼寝を始めてしまったウサギは、着実に歩を進めたカメに追い越されてしまうという寸法だ。
 しかし、ここで私はあなたたちに問いたい。
 この物語はおかしくはないだろうか。
 いくらウサギがカメよりも圧倒的に足が早かったとしても、果たして競争の途中に寝たりするだろうか。
 実力ではるかに劣るカメに敗北したならば、きっとウサギはその立場を危うくするだろう。そんな状況で、彼は果たして居眠りをしたりするだろうか。
「これは教訓的な説話なのだから、これでいいのだ」
 あなたはそう思うかもしれない。
 だがしかし、ああ、事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ。真実はもっと合理的でありかつ残酷だ。

 唐突ではあるが、ここで私の自己紹介をしよう。
 私はオッサンである。これだけではなんのことかわからないだろうが、こうとしか言いようがないのだ。
 かつて私は浦島太郎と呼ばれる、漁師の若者であった。しかしひょんなことから一瞬で一気に年老いて、今はもうかつて浦島太郎であった、ただのオッサンだ。
 問題なのはその「ひょんなこと」の部分なのである。私がこのような数奇な運命をたどることになったのは、あの憎きカメが原因なのだ。
 私がたどった悲運に関しては皆さんよくご存知であろうから詳しくは説明を省くことにするが、これはあまりにも理不尽ではないだろうか。
 私はただいじめられていたカメを助けただけだ。その礼にと竜宮城で素晴らしい歓待は受けたものの、それとオッサンになってしまうことはあまりにも釣り合わない。
 私は海岸で玉手箱を開けてしまった後、よく考えたのだ。こんな仕打ちを受ける云われは私には絶対にない。
 決意を胸に、私は立ち上がる。曲がった腰をいたわりながら。

 私はカメに苦情を付けに行く事にした。今にも天寿を全うしそうな体に鞭打って、私は海岸に向かった。
 ここはかつて若かった頃は、よく釣りをしていた場所だ。今やかつての面影はなくなりつつある。懐かしむように、惜しむように、私はゆっくりと歩を進める。と言うよりも早くは歩けない。
 ほどなくしてカメを助けたあたりに差し掛かった。カメに会うための手段を、私はこの場所を訪れることしか知らなかった。
 当然ながら確証があったわけではない。
 確証があったわけではないが、予感はあったのかもしれない。カメは昔いじめられていたその場所にいた。
 ふてぶてしく腹ばいになっているその姿は、今や私に苛立ちしか与えなかった。憎い、憎くて仕方ない。
 私が開きにくい目でカメを睨みつけてると、カメが口を開いてしゃべりはじめた。
「何をしに来たんだ……? お前はもう竜宮城で十分にいい思いをしただろう……」
 その振る舞いにかつての卑屈な色はない。下から見上げるカメの視線は私のことを完全に見下していた。
「何がいい思いなものか……! お前を助けた見返りが、こんなジジイの姿だというのか……!」
 私は震える唇を必死に震わせて反論する。
「はっはっは……、一体何を勘違いしているのか知らないが、ずいぶん傲慢なんだな。浦島太郎も所詮この程度の人間か……」
「……なんじゃと……!」
 激昂する私にも構わず、カメはおもむろに懐から葉巻を取り出して口にくわえた。湿ったライターに手こずりながら、やつはそれに火をつけて一服する。
「そもそも見返りなどという考えがおこがましいのだ。おおかた浜辺でいじめらていた俺を助けたとでも思っているのだろう……」
「どういうことじゃ……」
「いじめっこたちを十分図に乗らせておいてから叩き潰そうという私の楽しみを、お前は邪魔しただけだということだ」
 私は絶句する。カメのその言葉に驚愕したのはもちろんのこと、同時にカメが懐から取り出した大口径の銃が私を狙っていたためだ。
 あまりにも唐突な展開に、鈍った私の頭は完全に置いてきぼりをくらう。もしもあの場で私がこいつを助けなければ、この銃がいじめっこたちを襲っていたということだろうか。
「まあそうは言っても、俺も鬼ではない」
 撃鉄まで立てた銃を再び懐中に納め、カメは声のトーンを変えて言った。心不全寸前の私の心臓はいくらか落ち着きを取り戻す。
「いくらかの働きをしてくれれば、お前を元の姿に戻す箱をくれてやってもいい」
「本当か……!」
 私は多少安堵する。しかし同時にカメの要求がいったい何なのか、それが私の不安を煽った。
「なぁに……簡単な仕事だ……」
 ニヤリと片頬で笑うカメの顔は、どこまでも醜悪だった。

 以上のような経緯で、私は今こうして草むらに身を潜めている。しゃがみこんだ私の足元には催眠ガスを発生させる箱があった。カメから支給されたものだ。
 これから私はここを通るウサギを眠らせなければならない。
 箱と同じようにカメから渡されたガスマスクをかぶり、私は競争のコースを見つめていた。若干の息苦しさを感じるが、これがなければ私まで眠りに落ちてしまう。そうなれば年老いた私の体は永遠の眠りに落ちてしまう可能性すらある。多少の不快感は我慢するしかなかった。
 おそらくもう間もなくウサギはここを通りかかるはずだ。わずかの辛抱である。
 罪悪感はない。競争に負けたところでウサギが失うのは名誉だけだ。若さを取り戻すことを目的とする私とは、背負っているものが違う。
 果たしてウサギは現れた。全力疾走しているウサギは、怠けなどとは無縁のように思えた。
 私は躊躇しなかった。ウサギは居眠りを始める。
 意識と共に、その名誉も失いながら。

 悠々とゴールするカメを私は物陰から見守っていた。やつは多くの動物達から祝福を受けている。
 その姿こそが「怠け者は勤勉な者に追い越される」という教訓を子供たちに伝えるのだ。
 しかし私は見逃さなかった。奴の口元は悪意に満ちて歪んでいることを。
 やつは物陰にいる私の方にちらりと視線を送った。その瞬間だった。
 私の心臓は一気にその鼓動を早めた。ひどい動悸が私の呼吸を早くし、額からは脂汗が滴り落ちた。
 やばい、間違いない、死ぬ。
 走馬灯は、死を覚悟した脳が最後の力を振り絞って見せるものだという。
 私の場合その最後の力は自分の死因を明らかにするために使われたようだ。
 ガスマスク。あれだ。あれに遅効性の毒を仕込まれたのだ。ガスマスクをした時の妙な息苦しさを疑わなかった自分が憎い。
 閉じていくまぶたの裏には、いつまでもカメの醜い笑みが焼き付いていた。
 
 こうして私の人生は幕を閉じた。
 私は、居眠りの準備をするオッサンとして最期を迎えることになったのだった。
 
 お題「居眠りの準備をするオッサン」・終
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