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1.怪物竜の夢

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塩っ辛い潮風が鼻腔をつく。
今にも落ちてきそうな蒼空では
ニャアニャアと海猫が鳴いている。足場はぐらぐらと不安定で
少しでも気を緩めれば堅い甲板に尻を打ち付けそうになる。
そう、僕は大海原の船の上にいた。

「うわぁ、今日の夢は凄いな」

眼前の少し丸みがかった地平線に見惚れていると
背後からギシギシと甲板を踏み鳴らしながら
誰かが近付いて来てる事に気付く。

「よぉ、あんた。この夢は初めてかい?」

振り返るとそこには一人の青年が伸びた無精髭を弄りながら立っていた。
背丈は随分大きく筋骨隆々、いかにも船乗りといった風貌である。

「俺の名前はゲイリー・フェルナンデス、62巡目で今は二階層。
ちなみこの夢は四回経験してる。あんたは何巡目だい?」

青年は訳のわからない事を口走り初めたので
僕は再びこの壮大な大海原に視線を戻した。
夢じゃよくある事だ、夢に意味を求める事自体可笑しいのだから。

しかし、僕に無視された事が気に食わなかったのか
青年は余計つっかかってきた。唇を忙しなく動かし続け
意味の分からない単語を呂律し続けている。

「五月蝿いなぁ、ここで殺してしまおうか」

と脳裏に浮かび銃を具現化しようともしたがこんなに素晴らしい景色を
台無しにしてしまうのも口惜しい気がしたので
僕は大海原を滑空する事に決めた。

これは唯一僕の特筆すべき特技であると言っても過言ではないだろう。
そう、夢の中でなら大抵の事は出来てしまうのだ。

「じゃあね」

そう言い残すと僕は助走もつけずに
船の手摺を思い切り蹴り大海原に飛び出した。

「おっ、おい!待て!あいつが来るのはあの小島を過ぎてからだぞ!」

青年が何か叫んでる気がしたが潮風の心地よい風によって全て掻き消された。



                 *



……何かがおかしい、夢の中で風の様なものは感じた事はあるが
潮風の様な嗅覚が刺激される事が今まであっただろうか?

そんな疑問を抱きながら水面まで残す所3メートルほどになった時
疑問は確信めいた何かに変貌を遂げる。

船に打ち付けられた荒波が跳ね返り飛沫となって
僕の頬に着いた時確かに感じたのだ、冷たいと。

「っっう、わっ!」

声にならない声というのは今みたいなものを指すのだろう。
後悔先に立たず、海面を低空飛行できるはずもなかった。
僕の身体は乾いた発砲音を湿らせた様な音をたてて無残にも海面に打ち付けられた。

痛い、痛い、痛い。
よくプールで飛び込みが下手な人は水面に腹を打った経験があるだろう。
その痛みが僕の全身を支配する、と同時にやはり呼吸が出来ない事にも気付き
必死に手足を右往左往させ海面を目指す。

「違う!臭いも感じた、痛みもある、呼吸が出来ない。
 これは夢なんかじゃあなかったんだっ!!」

僕は完璧にパニック状態に陥っていたが
この行動を起こさなければもしかしたら
死んでいたかもしれないと思うと今でもゾッとする。

「ぷはっ」

海面から勢いよく頭を出し、塩っ辛い空気を肺が一杯になるまで吸い込んだ。
と同時に船の方向から悲鳴と轟音が入り混じった何かが聞こえた。

「ぎゃあぁああっ!なっ、なんでもう来てんだよ!はっ早過ぎ……」

先程の青年が空高く持ち上げられたかと思うと闇の中に消えていった。

「はは……何だよあれ……」

そこにはこの世のものとは思いたくもない程の怪物がいた。

大きさは鯨三頭分ほどあるだろうか、真っ黒で小さな翼を背中から生やし
その巨躯に収まりきらなかったかの様な長く逞しい尻尾を左右に降っている。
手足はその巨躯と反比例するかの様に小さく水掻きがついており
そして先程の青年を丸呑みにした口は頭部の端まで裂けていて
そこから見える堅牢な牙達は隙間なく敷き詰められている。
なにより頭部には二つあるはずの目が一つしかなく
そのギョロリとした大きな単眼が僕を恐怖で支配するまでには
そう時間はかからなかった。

「やばいやばいやばいッ」

僕の脳味噌が危険だという信号を大音量で垂れ流している。
怪物は甲板ごと人を喰らい続けている、逃げるなら今のうちだ。

辺りを見回すとポツンと小さな小島があることに気付く
泳ぐのはあまり得意ではないがそうも言ってられない。
僕は全力でその小島めがけ泳ぎ始めた。

「とりあえずあの小島に身を隠そう
 あの巨体なら狭い所には入ってこれないはずだ……
 洞窟みたいなのがあればの話だけど……」

小島まで残すところ100mほどになった所で後ろの悲鳴が静まり返っている事に気付き
僕は泳ぐのをやめ恐る恐る振りかえってみた。

「嘘だろ……」

僕はゴクリと生唾を飲み込んだ。
先程まであったはずの船が跡形も無く消えており、怪物の姿もなかった。

「こっちに気付かず何処かへ行ってくれてればいいんだけど…」

しかし僕のそんな杞憂も一瞬で絶望へと変わることになる。
周りの海面が不自然に波立っている事に気付き下に目をやると
僕の下の周り一面が真っ黒だった。奴が追って来たのである。

「~~~~っっ!!」

僕は一目散に小島への残り100mを泳ぎだした。
頭の中が『死』という単語で埋め尽くされる。
あと数十秒後僕は奴に噛み砕かれるか海水と一緒に丸呑みにされて死ぬんだ。
キノピオよろしく胃袋の中でも生活出来ればいいが、これは紛れもない現実だ。

そんな事を考えながら夢なら醒めてくれと心の中で繰り返している内
に小島の浅瀬に爪先が付く感触がした。おかしい…奴が追って来ない。
もしかしたら逃げ惑う僕を追い回して遊んでいたんじゃあないか?
いや、そんな事はどうでもいい。
小島に上陸すると僕は辺りを見渡した、何処かに身を隠せる様な場所はないかと。
小島は砂浜以外は木々がうっそうと茂るジャングルの様で
それを掻き分けてまるでここを登りなさいと言わんばかりに岩肌が露出しており
その上部には切り立った崖の辺りに洞窟らしきものが見える。

「あそこしかない、木々に隠れた所でこの狭い小島じゃ
 すぐに見つかってしまうのがオチだ。一か八かあそこに賭けてみよう…」

ヘトヘトで力の入らない脚に鞭を打ち僕が砂浜を蹴り走り出そうと
――刹那、背後で荒々しい波が地面に叩き付けられる様な轟音が聞こえた。
3, 2

  

「やっぱり追って来ていたっ……!」

走りながらチラリと後ろに目をやると
奴はその大きな単眼でギョロリと僕を睨みつけ端まで裂けた口で大きく息を吸い込み―

「ゴアァアアァアァッ!!」

―と逃した獲物を威嚇する様に咆哮した。
腹の底まで響き渡るその重低音は僕の冷や汗の量を滝の様に増加させた。

僕は一目散にゴツゴツと隆起した岩肌を踏みしめ洞窟への道を登り始めた。
裸足という事もあり足のあちこちを擦り剥き鮮血が滲み
爪が幾つか剥がれ落ちたが今はそれどころではない。

「……よし、大分差をつけたぞ」

どうやらあの怪物は専ら海で活動するらしく、巨体と不釣り合いなほど小さい腕は
陸上には不向きらしい。僕が洞窟への道のりの中腹まで差し掛かった所で
奴はまだ登り始めたばかりだった。
しかし、そうも言っていられない。途中何かしらの不測の事態が起ころうものなら
死あるのみだ。痛みは感覚が麻痺しているのかあまり感じないが足が重い
僕は息を切らし汗と冷や汗の混ざり合った液体を滝の様に流しながら
だが着実に隆起した道を登って行った。

「ぜぇ……ぜぇ……やっと着いた」

ゴツゴツとした岩肌の道のりを登りきると、そこには予想通り小さめの洞窟がポツンとあった。
僕は満身創痍になりながらフラフラとその洞窟の闇に吸い込まれるように足を運んだ。
中は真っ暗という訳ではなく微かに太陽の光が射し込んでいた。
といってもまだ目が慣れていないのか全体の広さは把握しきれずにいた。



                 *



「少し目が慣れてきたな……縦横5m弱の高さが2mぐらいか……これなら奴は入ってこれないだろう」

そう言って束の間の休息をとるため、僕は近くの岩に腰を降ろした。
洞窟というのはジメジメした印象だったがこの小さな洞窟は風通しがいいのか案外快適である。
まぁこの最悪の状況でなければのはなしだが。

10分ぐらい経っただろうか、奴の腹を引きずりながらこちらに向かってくる音が
徐々に大きくなってきている。死が近づいてきているのだ。
僕はほぼ放心状態にあった、洞窟の空間をただボーッと見つめている。
その時、僕の胸元でうっすらと光る何かを視界の端で捉えた。

「何だ……これ……?」

うっすらと光を纏っていたのは、ミザリーから貰ったペンダントだった。
不思議そうに手にとってみると少しだけ光が増した気がした。
追ってきている怪物そっちの気で僕はペンダントを手に持ち
あちこちに翳してみた、どうやら場所によって発光の強弱が変わるらしい。

「何を意味しているんだ?なぁ、ミザリー……」

瞬間、ペンダントが今までにない程の眩い発光を見せた。
そこに照らし出されたのは、何か時代外れな感じの円錐上の機械だった。
それは洞窟の窪みにすっぽりと埋まっており、今まで注意して見なかったため
見つからなかったのである、周りが薄暗いという事もあるが。
ペンダントでその巨大なタイムカプセルの様な機械を照らしてみる。

「何かを転送する機械?それとも毒ガス装置か?
 数字の1が記されているな……1号機ってこと?
 どっちにしろこの中に入っていた方がばれないかもしれない。」

円錐上の機械の中に入るとプシュッと音がし、前面の入り口が
プラスチック製の扉で閉まった。中にはスイッチの様な物はなく
外にレバーの様な物が見えた。外から手を加え中の人間を殺すなら毒ガス装置かな。
そんな事を考えていたが、あまりにもペンダントが眩い光を放つため
これではせっかく隠れたのが一目でバレてしまうと思いペンダントをポケットに突っ込んだ。

「あぁ……僕の短い人生もここで終わるのかな……」

そう呟いてしゃがみ込むと洞窟の入り口が黒い何かで覆われ外からの光が遮断された。
奴だ……僕がよく目を凝らして入口を凝視すると光を遮っていたのは奴の頭部で
大きな単眼の黒目が忙しなく洞窟内を見渡していた。

「気付いていないのか……」

その瞬間僕のポケットにしまったペンダントが今までにない程の輝きを放った。
ポケットの中なのでぼんやり光る程度だったのだろう、しかし奴がコレに
気付くのには十分すぎる程の光だった。

「ゴアアァアガァァアアァァアッッ!!!」

奴の耳を劈く重低音の咆哮が洞窟内で反響する。
パラパラと天井から小石が落ちてくる。
――終わった、何もかも……。

奴は洞窟内に入れない事を知ったのかその小さな腕……
といっても5mはあるだろうか、その腕を洞窟内に入れてきた。
僕は生きる事を諦め目を瞑った……。

「カリッ……カリカリ……」

何の音だ?食べるならひと思いにやってくれよ……。
そう思いつつ僕は薄目を開けた。奴の水掻きの付いた手がすぐそこまできている。
プラスチック製の扉を爪で引っ掻く音だった。ギリギリ届いていないのだ。

「はは……といっても結末は変わらないか……
 根競べした所でこっちが先に餓死して終わりさ……
 いっその事舌でも噛み切ってしまおうかな……」

諦めかけた瞬間、奴の手の爪が機械の外側のレバーにかかった。

――ガコンッ!

機械は作動したかどうかわからない、だが不意に睡魔に襲われた。
ペンダントが今までで一番の眩い発光を見せている。
毒ガス装置だったのか……わからない……どうでもいいか……。
僕はこのまま眠ってしまうのも悪くないと思った。
あぁ……この悪夢がどうか覚めますようにと……。

目を閉じる瞬間、怪物の方にチラリと目をやると
奴の首元が微かに光っているように見えた。
いや、見間違いだったのかもしれない。

途切れ行く意識の中で聞き覚えのある、あの声が聞こえた。



―――『キャスパー、次は旅客機の夢よ……。』―――



そこで僕の意識はプツリと途絶えた……。
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