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2.旅客機の夢

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くぐもった様な重低音が腹の底に響き渡る。
あぁ、僕はあの怪物に食べられてしまったんだ。
これから胃酸で溶かされるのだろうか。

そんな事を考えながら僕は恐る恐る目を開けた……。
そこは旅客機の中だった。

「まだ……夢の中なのか?」

僕は窓際の席に座っていた、試しに頬をつねってみると確かな鈍痛を感じた。

「痛い……やっぱりまだ夢の中か
まぁあの怪物はいないみたいだし、まだマシか……」

まだ寝ぼけた脳味噌の状態で
何も無い空間を見つめる。
まるで悪夢から目覚めたのに
これから悪夢が再び始まるみたいだ。

旅客機といえば幼少の頃に両親に連れられ何処かへ旅行したっけ。
たしかミザリーも一緒だった。

ふと周りを見回すと、今は夜なのか乗客全員が深い眠りに落ちていた。
チラリと旅客機の窓が視界の端に入り、そちらを見て僕は確信した。

「やっぱり……まだあの夢の中だ……」

そう、旅客機の窓に映るはずの
僕の姿はなく外の真っ暗闇な空だけが延々と映し出されていた。

僕は溜め息をつき、この現状をどうにかしなくてはと客席を立つ事にした。
その時先ほど周りを見渡した時はほぼ満員だった旅客機の客席に
一つだけ空きができている事に気付いた。

「おかしい……この夢……前も観た事があるぞ……」

僕は丁度端の通路側にある空席を調べる事にした。乗客が寝息をたてる中
起こしてしまわない様極力足音を消し端の空席まで移動する。

「何だコレ……血?」

端の空席にはカバーに血文字の様なもので『Casper』と綴られていた。
僕の脳裏に電撃が走った。完璧に思い出した、あの旅客機の夢だ。
この通路の奥に行けばあの白髪の少女がいるかもしれない。
僕は何か期待めいたものを抱き通路の奥へと駆け出した。

「そうだっ、よくよく考えればあの声はミザリーの声だ
もしかしたら彼女がいるかもしれないっ……」

僕は通路を遮るカーテンをくぐり、乗降口付近の部屋に入った。
辺りを見回すと乗降口の近くにしゃがみ込み
こちらに背を向ける白髪の少女を見つけた。

その少女は純白のワンピースに
身を包んでいた。その肩口からすらりと出た白く病的に細い腕。
真っ白で絹の様な腰まで伸びた髪は夢で見た通りだ。
僕はいてもたってもいられなくなり彼女の名前を叫んだ。

「ミザリーッ!ミザリーだろうっ!?」

少女はゆっくりとしゃがんだまま振り返ると
やれやれといった表情で眉を顰め笑顔をこぼした。
6, 5

  


「やあ、キャスパー。久しぶりね、まさか貴方も此方側にきてしまうなんて」

ミザリーはまるでつい最近会ったかの様な口ぶりで言う。

「ミザリー……君に会えて嬉しいし話したい事は山ほどあるんだけども……」

「貴方の言いたい事はわかるわ、キャスパー
 でもね時間がないの、掻い摘んで簡潔に説明するわ」

僕の言葉を遮ってミザリーが話しだす
彼女はペンダントから一枚の紙切れを取り出し
床に置くとこの悪夢についての説明を始めた。
紙切れには血文字で図などが書かれていた。

「いい?率直に言うわ。ここは虚夢世界。
 つまり貴方は虚夢症にかかり此方側の世界に来てしまった。
 虚夢世界はほぼ現実世界と変わらない、つまり痛みも感じるし
 致死的な外傷を負えば死に至るわ。」

僕は心の何処かで虚夢という悪夢でない事を祈り
その確信めいた気持ちを心の奥底に閉まっていたが
ミザリーの言葉によってその閉じ込めていた堅牢な牢は
いとも簡単に崩れ去ってしまった。

ミザリーは僕の動揺も気にせず淡々と説明を続けた。

「この虚夢は階層に分けられていて今私達がいる所は二階層。
 全部で恐らく四階層あるわ、それをクリアすれば晴れてゲームクリア。
 現実に戻れるって訳」

「どうやって……?」

僕の当たり前の様な疑問にミザリーは溜め息をつきながら答える。

「虚夢は階層ごとに目的があって、それを満たせば貴方ならペンダントが光るわ。
 私も同じね、目的は個人個人で異なっているのよ」

僕はミザリーが何故こんなにも虚夢について
詳しいのか疑問に思い聞かざるを得なかった。

「君はちなみに何巡目なんだい?
 階層の説明と目的については大体理解できたけど
 そもそも2巡目になるには階層を一通りクリアしなきゃなんじゃ……」

ミザリーはその可愛らしい唇の両端を吊り上げ、ニヤリと微笑った。

「いい所に気付くわねキャスパー
 その通り何巡するという事は何回繰り返したかを意味するわ。
 つまり、全階層をクリアする。虚夢世界で死んでしまい虚無世界の役者となる。
 それ以外に一つだけルートがあるのよ、繰り返す為のね」

ミザリーはどこか哀しげな表情で言う。

「方法って……?」

ミザリーは小さな口から
健康的な桃色の舌をベロッと
出し、その舌を人差し指と中指で挟み切る仕草を見せた。

「舌をね……噛み切るのよ」

僕はゴクリと生唾を呑み込んだ。
痛みは現実世界同様に感じるのに自分で舌を噛み切るだって?
冗談じゃない。想像しただけで背筋が凍りそうな悪感が走った。

「……そんな事したら
 死んじゃうじゃあないか……」

僕は蚊が鳴く様なか細い声で呟いた。

「いいえ、死にはしないわ。
 この虚夢世界で唯一残された逃げ道よ。
 他殺なら虚無世界へ堕ちて死んだも同様だけど
 自殺なら1階層に戻されるだけで済むのよ。まぁ、少し痛いけどね。」

ミザリーが説明する中、先程まで静まり返っていた機内が騒ついているのに気付く。

「いい?キャスパー、貴方の目的は恐らく旅客機からの脱出。
 私が一巡目そうだったようにね。」

「きっ、君の目的はっ?」

鼓動が早くなる中、どもりながらもミザリーに聞いてみる。

「旅客機内の乗客の皆殺し、ただし一巡目の人間は除いてね」

そう言い放つとミザリーの肩甲骨あたりから白い甲殻の様なものが飛び出し
皮膚もゴツゴツとした堅牢な白い甲殻に覆われはじめた。

「……ひっ」

僕は情けない声を漏らし
尻餅を付く。

「そういえば、答えてなかったわね。私は667巡目よ、667回舌を噛み切ったわ」

可愛らしいミザリーの声で
言い放ったのはミザリーならざる何か…
まるで恐竜を連想させる様な真っ白な甲殻に覆われた人の形をした怪物だった。

「うおっ!?何だテメェッ!!」

気付くと僕の後ろに上下黒ずくめで覆面を被った四人組が立っていた、猟銃を構えて。

「なっ、何だよこいつ…敵か?撃っちまっていいのかっ?」

動揺している四人組を尻目にミザリーはゆっくりと彼等に近づいてゆき
僕の横を通り過ぎる。その外見からは想像もつかない様な
可愛らしい声色で問いかける。

「貴方達、何巡目?」

どうやら言葉が通じる事に安堵を覚えたのか、四人組の一人は
猟銃を降ろし強張りながら答えた。

「おっ、俺等は全員八じゅっ―……

――ボンッ

という鈍い破裂音に近い何かが
僕の後方から四つ聴こえた。

僕の上から生温かい鮮血の雨が降り注ぐ。
殺したのだ、ミザリーは何の躊躇もなく。
彼が喋り終わる前に、まるでオレンジの果実をもぎ取るかの如く。

横に目をやると四人組の内の一人と目が合う…
といっても彼だったものに過ぎない頭部と。

「……っう、えぇえぇぇ……っっ」

機内の床一面に吐瀉物をぶち撒け、嗚咽している僕に対してミザリーは囁きかける。

「いい?キャスパー。私も自我がなくなりそうになれば舌を噛み切るわ
 貴方も危なくなったら躊躇わず舌を噛み切りなさい」

そう言うとミザリーは悠然と客室の方へと消えていった。

客室から阿鼻叫喚の悲鳴が轟く中、僕は何も出来ず蹲っていた。

「――旅客機から脱出って……
 パラシュートみたいな物がどこかにあるって事?
 どこに?それにさっきみたいな人達に出会したら殺されてしまう。
 そもそもミザリーが僕を殺さない保証だってないじゃあないか……
 乗客を皆殺しにしてペンダントが光らなかったら僕を殺しに来るんじゃ……」

様々な思考が交錯する中、背後に人の気配を感じた。
もう駄目だと思いつつ恐る恐る振り返る。

「ねぇっ!アンタ!その様子だと一巡目でしょ!?」

そこには少女が一人立っていた。
背丈は僕より少し高く、髪は金髪、いかにも寝巻きといった様な
上下灰色のジャージに身を包んでいた。

「驚かせてごめんね、あたしの名前はハンナ・アスタロッテ。
 一巡目四階層よ!つまりここをクリアすれば目が醒めるわ!」

少し興奮気味な彼女がその大きな目を忙しなくパチクリさせながら言う。

「ぼ……僕はキャスパー、キャスパー・クルーエル。一巡目二階層……」

挙動不審な僕に対して彼女は手を差し伸べる。

「やっぱりね!なら話は早いわ、この階層の目的は旅客機からの脱出よ!
 パラシュートは操縦室、つまりこの客室を抜けた先にあるわ。
 行きましょ、キャスパー!」

「でっ、でもそっちにはミザ…かっ怪物がいてっ…!」

僕の言葉など御構い無しにハンナはグイグイと手を引っ張る。

「大丈夫だって!聞いたのよあたし、あの怪物は一巡目の人間は襲わないってね」

言われるがまま僕はハンナに手を引かれ客室に入った。

―もし、僕がこの時彼女を止めていれば…
あの様な凄惨な結末を辿らずに済んだのかもしれない。
いや、気付くのが遅過ぎたんだ何もかも―……


                    *


客室に入ると噎せ返る様な血生臭さが室内に充満しており
先程までは満席に近かった客席はほぼ空席となり
床に夥しい数の頭部のない死体が転がっていた。
その様はまるで人間の屠殺場だった。

ミザリーは残りの一人を尋問……
いや、拷問と言った方が正しいだろうか。
その逞しい腕で乗客を鷲掴みにしていた。

「貴方は何巡目?」

乗客が苦しそうな声色で絞り出す様に漏らす。

「……はっ、いっ……一巡目だっ……」

しかし乗客を掴む手は緩む事なく、むしろ締め上げる力が強まってる様に見えた。

「……がっ……あっ……」

乗客が悶え苦しむと共にミザリーのペンダントが眩しく輝く。

「不思議ね、じゃあ貴方を握り潰そうとすると
 ペンダントの輝きが増すのは何故かしら?」

まるで鮫の様な生気の篭ってない濃紺な瞳の怪物が言い放つ。

「最後のチャンスをあげるわ。
 もし一巡目でないなら三秒以内に舌を噛み切りなさい
 でなきゃあと少しで貴方の口から臓物が飛び出るわ」

掴まれている乗客の顔色が蒼ざめていくのがはっきりわかる。

「……3」

カウントダウンが始まった。

「…2」

「キャスパー、見ない方がいい」

ハンナが忠告するも僕は眼を反らせずにいた。

「……1」

乗客は舌を口から出してはいるが噛み切れずにいた。

「……0」

逆流しそうになる胃液を呑み込み
僕はハンナの手を振り切り精一杯の声を振り絞った。

「ミザリーッ!ダメだっ!!」

ブチュッ……

鈍い何かをひり出す様な音が響き鮮血と臓物が乗客の口から噴き出す。
ボタボタとそれらが真赤に染まった床を更にグロテスクに染めていく。

乗客は口から臓物をダラリとぶら下げピクリとも動かない。
どうやら絶命したようだ。乗客をゴミの様に横に放り投げると
ミザリーは此方に目線を向けた。

僕は何かを言おうとしたが、この異常な状況で何を言えばいいか分からなかった。
困惑している僕を横目にハンナはミザリーにゆっくりと歩み寄っていった。

「初めまして、貴方ミザリーっていうのね。
 あたしはハンナ・アスタロッテ、一巡目よ」

二人の間にピリッとした嫌な空気が張り詰める。

「あたしと彼処にいる子の目的は貴方も知ってるでしょうけど、機内からの脱出。
 パラシュートが操縦室にあるのよ、そこを退いてくれないかしら?」

「……そう、私の目的は機内の一巡目以外の人間の皆殺しなんだけど
 恐らく生きてる人間は貴方とキャスパーだけだわ」

ハンナが肩をすくめる動作をする。

「つまり……何が言いたいの?」

ミザリーはその恐竜の様な白い顔の眉間に皺を寄せ
通路の両端の座席に手をかけた。

「目的を果たした筈なのにペンダントが光らないのは何故かしら?
 貴方……嘘をついてない?」

ハンナの頬から冷や汗が一滴滴り落ちる。
短いようで永い殺伐とした沈黙が訪れた。

痺れを切らしたのか、座席においたミザリーの手がゆったりと前方に向いた。
ビクッとハンナは体を震わせる。

「面倒だわ、だって体に直接聴けばわかるもの」

そう言い放つと悠然とその逞しい腕はハンナとの距離を詰めていった。
まるで蛇に睨まれた蛙だ、ハンナは石の様に固まって動けないでいる。

その時、脳裏に浮かんだのはハンナの死ではなく僕自身の死だった。
ハンナを殺したとしてペンダントが光らなければ次の標的は自分かもしれない。
僕は苦し紛れの嘘を吐いた。

「ミザリー……ペンダントが光らない理由……僕知ってるよ」

「……へぇ」

ミザリーの声をした白い怪物は虚を突かれた様な顔で腕を止めた。

「僕……見たんだ、乗降口の通路の奥に動く人影を」

まるで駄々をゴネる子供の様な嘘だ。
言った直後自分が助かりたいからという理由が僕の心を罪悪感で染める。
暫く沈黙が続いた後、白い怪物が端まで裂けた口を開いた。

「可愛い嘘ね、いいわキャスパー。信じてあげる、行きなさい」

そう言うとミザリーは通路の端に寄り道を開けてくれた。
ハンナは生きた心地がしなかったのだろう、その場に崩れ落ちた。

「行こう、ハンナ」

彼女の肩に手をかけると、まだ小刻みに震えているのがわかった。

「え……えぇ、死ぬかと思ったわ」


                    *


旅客機の客室の奥まで通路を進むと、そこには操縦室があった。
重く無機質な扉を開けるとそこに操縦桿や座席はなく無線と死体が二つ転がっていた。

「どっ…どういう事よ…聞いた話と違うじゃない!」

ハンナは声を荒げ慌てふためいている。
僕は無線を手に取りどうにか彼女を宥めようと試みる。

「……ハンナ、落ち着いて。もしかしたら無線で誰かに繋がるかも……」

「繋がってどうするわけ!?私達は袋小路に追いやられた鼠なのよ!
 もうすぐ奴が戻ってくるわ!ああもうっ!この際だから教えてあげるわよ!
 あたしの本当の目的は……」

やはりハンナは一巡目ではなかったのだと僕の中で疑いが確信に変わったが
何か可笑しい。ハンナの表情が強張り蒼ざめていくのが分かる。

彼女の視線を追い背後に眼をやると、そこにはもう一つの無線を
鋭利な爪で器用に持つミザリーがいた。どうやら僕達の会話は筒抜けだったらしい。

「また会ったわね」

そう言うとミザリーは扉の鍵を施錠し取手をグニャリとひん曲げた。
再び張り詰めた空気が漂い、僕はいてもたってもいられなくなり
ミザリーに駆け寄った。

「ミザリー、パラシュートが無かったんだ……君が隠したのかい?」

僕は完全に疑心暗鬼に陥っていた。
ミザリーの顔に眼をやると口角を下げとても悲しそうな表情をしており
僕の心臓が、きゅうっと締め付けられる感覚がした。

「いいえ、パラシュートは私じゃあないわ」

刹那―― ミザリーが僕に覆い被さった。
後方で乾いた発砲音が反響し、鉄と鉄がぶつかり合う様な音が僕の両耳を支配する。

「……じゃあッ!誰だっていうのよ!パイロットは貴方が殺した!
 無線も奪ったのは貴方!パラシュートも貴方に決まってるじゃないッ!!」

ようやくハンナが銃を発砲したのだと気付いた。
恐らくミザリーが惨殺した乗客の上着から抜き取ったのだろう。
しかし幸いミザリーの甲殻には傷一つ付いてなかった。
その時ミザリーが蚊の鳴く様な声で囁いているのに気付く。

「キャスパー、恐らくこれは別ルートだわ。
 パラシュートはない、さっき乗降口まで虱潰しに行ったけど確信した。
 奴がいたわ、少し足止めしてやったけどもう追い付かれるわね」

「それは……目的が違ったってこと?」

「ご名答」

ハンナが痺れを切らしたのか、銃弾を装填し此方に向かって構える。
ミザリーは呆れた様に溜息を着くと口を開いた。

「ハンナって言ったっけ、もう時間がないのよ。
 結局貴方が何巡目かだなんてどうでもよくなったの。
 早めに舌を噛み切った方が身の為だわ」

ハンナの鼻息が荒くなるのがわかる。

「うるっさいわねェッ!あたしはあと一層でッ……」

――ドンッ

ハンナの言葉を遮る様に鈍い金属音が操縦室に響き渡る。
ミザリーの後方の扉がひしゃげているのだ。
恐らくミザリーは僕達を逃がさないようにではなく
この為に扉を施錠したのだと悟った。

「来たわね……キャスパー、飛ぶわよ」

「えっ!?飛ぶってパラシュートはっ…」

僕の言葉を気にも止めず、ミザリーは操縦室の窓をその逞しい腕で叩き割った。
外の凍てつく様な暴風が僕の頬を撫でる。

――ドンッ……

―ドンッッ……

次第に扉を何かで叩く音は増してゆく、まるで死のカウントダウンであるかの様に。

「なっ、なんなのよっ!この音ッ!教えなさいよ怪物っ!!」

ミザリーに抱えられながらハンナの方に眼をやる。
顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっている彼女はとても混乱している様だった。

「だから……いずれにせよ、貴方は助からないのよ。
 奴が来る前に舌を噛み切りなさいって。私達はもう行くわ、じゃあね」

そう言うとミザリーは勢い良く操縦室の窓辺を蹴り空中に飛び出した。
――と同時に鈍い轟音をたて扉が開いた。

「グブブブブ……」

「なっ、なんなのよ貴方!?」

ミザリーに抱きかかえられながらも、僕は操縦室を凝視していた。
扉を壊して出てきたのは、この世のものとは思えないほど醜く奇怪な姿をした生物だった。
頭は牛、といっても頭部が異様にでかく身体はというと無いと説明した方が
正しいのだろうか。その巨大な頭から直接手が二本、足が二本生えており
片手には巨大な金槌を持っていた。
そして額に数字の二の刺青らしきものがでかでかと入れてあった。

直後、鈍い果実を潰した様な破裂音と共に操縦室が真赤に染まった。

「ミザリー……あれは……」

怪物のから徐々に元の人間の姿に戻るミザリーに問いかける。

「……あれはね、額に数字の二が見えたでしょう?
 その階層を示す数字は虚夢症患者にはつかない。
 まぁ要するにアレは虚無世界に落ちた役者ってとこね」

「……なるほど、ってミザリー、結構冷静だけど
 このままだと僕達地面に叩きつけられて死んじゃうんじゃ……」

完全に人間の姿に戻ったミザリーは無邪気に笑いながら僕の質問に答える。

「あはははっ、そういう貴方も冷静じゃないキャスパーっ。
 大丈夫よ、ペンダントの輝きが増しているでしょう?」

チラリと胸元に目をやると一階層をクリアした時の様に
ペンダントが眩い光を放っていた。

「本当だ、でも結局僕の目的は何だったんだろうね」

「……恐らく旅客機からの脱出ね、パラシュートは条件に入ってなかったみたい。
 私は目的を果たしたからそろそろ眠くなるわ、少しの間お別れね」

「ミザリーは何でも知ってるね、凄いや」

眠たそうな瞼を擦りながら彼女はふふんと鼻を高くした。

「何回繰り返したと思ってんのよ、いい?キャスパー。
 もし……地面が近くなっても眠くならなかったら舌を噛み切りなさい」

「目的が違ったってこと?」

「そうなるわね、まぁペンダントの光が徐々に増しているから
 十中八九この階層はクリアだと思うけど」

空中を垂直に滑降する中ミザリーの身体全体が光を帯び始める。
僕は次第に重たくなる目蓋が閉じない様に必死だった。

「キャスパー、次の階層で会いましょう」

「うん」

返事をするとミザリーの身体が徐々に透けていくのが分かる。

「キャスパー、虚夢の中では誰も信じちゃ駄目よ。例えそれが自分であってもね」

その言葉を最後にミザリーは完全に消えた。
次の階層に行けたのだろう。僕も次第に眠さが限界に達し目蓋を閉じた。

真夜中の暗闇に包まれ風を切りながら僕の意識はそこで途絶えた。
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