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ジャスコ、できました/蝉丸

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ジャスコ、できました

「なお! なお! 大ニュースだ! 今度の日曜日にジャスコがオープンするんだぞ! すげえだろ! ジャスコだぞ!」

 中学の卒業を目前に控えた1月末、友人の里林翔子が鼻息も荒く私に大ニュースとやらを報告してきた。その声が大きかったから、斜め前の席でおしゃべりをしていた女子グループは振り返ってくすくす笑うし、ストーブの蓋に何秒さわっていられるかを競っていたアホ男子たちまで、こちらを見て一瞬固まったあと、げらげら笑い転げる始末だった。

「どんだけ情報古いんだよ。去年からみんな知ってるっての」
「なにぃ? じゃあ、なんでみんなそんなに冷静なんだ? ここは主要な野菜ならご近所間で需要と供給のサイクルが完結してしまうような閉鎖空間だぞ! 「遊び行こうぜ?」「どこ行く?」「山」なんて会話が成立してしまう日本の秘境だぞ! そこへ世界に名だたるジャスコが店を出すというんだ。岡田社長の大英断に対して、お礼の手紙を送るぐらいの機運が高まってもいいようなことじゃないのか?」
「大げさなんだよ。ここはインドの山奥か。野菜だって商店街で買うこともあるし、山に遊びに行くのは小学生までだ」

 地元の現状を誇張なく口にしてみると、ジャスコもよく出店を決めたもんだと改めて思ってしまう。翔子は口を尖らせ、体をぐねぐね動かし始めた。

「……くそー、どいつもこいつもクール系気取りやがって。ジャスコだよ? 嬉しくないの? 未開の地に井戸ができたってレベルだよ? 私なんか今朝のチラシ見てトーストくわえたまんま「ガタンッ!」って立ち上がったんだぞ」

 鬱憤のやり場を求めて、机に頭突きをゴンゴンくらわせ始めた翔子は、やがて突っ伏したまま動かなくなった。ツインテールにした長い髪が横に流れて、フックに掛けてある白い給食袋まで届いている。
 一応、断っておくと、みんなジャスコ出店が嬉しくないわけじゃない。というか、あり得ないほど浮かれていると言ってもいい。ジャスコ出店の話が広まり始めた頃、教室のあちこちからジャスコ、ジャスコという単語が聞こえてきたし、オープンを目前に控えた今では、教室だけにとどまらず、家でも町でもジャスコの話題で持ち切りになっている。翔子がそれに気付かないのは、基本的に見たいものしか見ていないことと、中学生以上ともなれば、翔子のような喜び方をする人間は稀少になってくるということを学んでいないからだ。まったく、小学生男子か、おまえは。

「まあ、楽しみは楽しみだよ。服も気楽に見に行けるし、本屋も商店街のよりは大きいのが入るらしいし」
「そんなのは大したことじゃない」

 せっかく人がフォローしてやったのに、ばっさり切り捨てやがった。おでこを赤くした翔子は私にチラシを突きつけ「ここを見ろ」と指さしてきた。

「出店テナント……マクドナルド」
「そう! マック! 夢にまで見たマック! 若者の社交場! 文明の象徴! インターネットでしか存在が確認できなかった絶滅危惧種!」
「絶滅を危惧されるどころか、増えすぎなくらいだろ」
「じゃー、なおはマクドナルド行ったことあんのかよー?」
「……ないけど」
「そーらみろ、そーらみろ、やーい、田舎もーん、田舎もーん。あ、いたい、いたい、やめてやめて、ごめんなさい、ごめんなさい」

 我慢の許容量を超えたので、翔子のツインテールを掴んで引っ張り上げると、腕をパタパタさせながら可哀想な顔で謝ってきた。嗜虐心が満たされた私は手を離す。翔子はずれた髪ゴムを直しながら言った。

「そんなわけでさ、一緒にジャスコ行こうぜ!」
「いいよ。どんなもんか見てみたいし」
「よーし! 目指せオープン一番乗り!!」
「はあ? 普通に行けばいいじゃん」
「何言ってんだ。前日夜から並んで一番乗りしてテレビ出るんだよ」
「凍死するわ」

 マイナス何十度まではいかないにしても、今の時期、毎朝水道が凍るぐらいには冷え込む。冬山登山レベルの装備でなかったら自殺行為だ。

「普通にバスで行こうぜ。車でも30分以上かかるんだし」
「そこは気合いを入れてチャリで!」
「やだよ、雪積もってんのに」
「だってバスじゃ着くの昼前になっちゃう」
「いいじゃん、別に」
「ダメだって! マック売り切れたらどうすんだよ!」

 売り切れ……るのかな? マックはこの地域の住民にとって、存在は知っているけど実際に見たことはないタモリのようなものだろう。もしもタモリが我が村にやってきたらみんなが押し掛けることは想像に難くない。つまりマックも……。

「……でもさすがにチャリは無理だって。国道はトラックガンガン走ってるし、コケたらマジで死ぬぞ」
「うむ~、じゃあそれはなんとかするよ。お父もジャスコジャスコ言ってたから車出してもらうように頼んでみる」

 なんとなく話がまとまりかけたところで、担任が教室に入ってきた。あちこちに散らばっていたクラスメートたちが慌てて自分の席に戻る。 

「じゃあ詳しいことは後でな。ビッグ・マック」

 翔子は親指を立ててウインクらしきものをしてみせた。なんで口開くの? ビッグ・マックって何? グッド・ラックみたいな感じ? それともオールド・スポートみたいなもののつもり? ツッコミたいところはいろいろあったけど、次の休み時間までには賞味期限切れになってしまうのが、もったいないような、どうでもいいような。


 * * * * *


 ジャスコオープン日の早朝7時半、私は家の前で迎えを待っていた。結局、翔子のお父さんが車を出してくれることになり、肝心の予定到着時刻はオープン1時間前の9時で落ち着いた。翔子父は「確実に一番を狙うなら前日入りだろう。テントとシュラフならあるぞ」などと主張していたそうだが、お母さんに一喝されて諦めたらしい。翔子母、ナイス。
 それにしても寒い。外に出て5分もたってないのに早くも足下が冷えてきた。上半身はコートにマフラーと耳あてで完全武装しているのに比べて、下半身はキュロットにタイツとスニーカーで心もとない。ロングスカートがあれば、もさっとした厚めのタイツを履いてても隠せるんだけど、そういうかわいい系は似合わないから持ってないんだよね。
 寒さをごまかそうと、ポケットに手を入れたまま体を上下に揺さぶってみた。吐いた息が白く膨らんで、外側から消えていく。7時半でこの寒さなんだから、徹夜なんてやっぱり狂気の沙汰だ。寒さに弱い私は沖縄とかハワイに生まれたかったとよく思う。でもそんなことを考えてもしょうがないから、シベリアとか北極に生まれなくてよかったと思うようにしている。
 どこかで雪が落ちた。ドサッという音が他の音を吸い込んでしまったみたいに静けさが増す。雪かきをしなくていい日曜の朝は、人の気配がまったくなくて時間が止まっているみたいだ。見渡す限りに田んぼが広がり、その向こうには青くかすむ山々。ここにはなんにもないな、と改めて思った。
 こんな景色をぼんやり見ていると、おばあちゃんから聞いた根殺しの話が頭に浮かんできてしまう。冬の間、途切れることなく雪が積もっていると、土が凍って、それが木の根を凍らせ、栄養が取れずに木は痩せていく。でもすぐに枯れたりするわけじゃなくて、少しずつ衰えて、気がついたときには手遅れになっている。不思議なことに、ここより雪が多くても少なくても根殺しは起こらない。ある程度積もった雪は布団みたいな働きをするかららしいけど、私にはまるで、ここが呪われているみたいに思えた。それはきっと、こっちに引っ越してきて間もない頃に根殺しの話を聞いたせいもあるんだろう。いまだにこの話を思い出すと少し不安な気持ちになってしまう。

 なんとなく下を向いていた私を呼ぶように、遠くの方から「パーーーーーー!! パーーーーーー!!」というクラクションの音が鳴り響いた。顔を上げると、田んぼの向こうに見覚えのあるゴツい車が見えて、私は別の世界から帰ってきたような気分になった。舗装されていない山道でも楽々と走れそうな黒くて高さのある車は、低いエンジン音を響かせてみるみる近づいてきた。
 
「ごめーん! 遅れちゃったよ。待った?」

 車が止まるのを待ちきれなかったぐらいの勢いで後部座席のドアが開き、中から翔子が飛び出してきた。なんでそんな前のめりなんだ。ジャスコは逃げないぞ。

「なっかなかエンジンかからなくてさー、ほんとゴメン。申し訳ない」
「いいって、車出してもらってんのに。それよりなんで今日はそんな殊勝な態度なんだよ。結構いつも遅れてくるくせに」
「いや、だって、こんなだだっ広いところで、なおがぽつーんと立っててさ、なんか下向いてしょんぼりしてるのが見えたから、「やべぇ! なお泣いてる!」とか思って、慌ててお父にクラクション鳴らしてもらった」
「泣くか! 寒かっただけだ! 近所迷惑だ!」

 翔子のくせに鋭いことを言うから焦ってしまった。根殺しの話とか思い出してて、たしかに少ししょんぼりしていたかもしれない。

「ま、とりあえず乗れよ。早くしないと時代の波にも乗り遅れるゼ」

 なんだろう、すげえムカつく。翔子の無防備な後頭部にチョップ入れてやろうかと思ったけど、翔子父もいるしやめておいた。後部座席のドアは乗るのに一苦労するくらい高い場所にある。先に乗り込んだ翔子に手を引いてもらって、私も車に乗りこんだ。

「なおちゃん、遅れちゃってごめんね」

 運転席には穏やかな顔をした翔子父がいた。穏やかな顔すぎて、寝てるんじゃないかと思うくらい目が開いていない。会うのは1年ぶりくらいだ。

「いえ、迎えに来てもらってありがとうございます。よろしくお願いします」
「……なおちゃん大人になったね。うちでジュースこぼしてわんわん泣いてたのに」
「会うたびにその話するのやめてください」
「……すみません」

 ほんとに翔子父は翔子父だな。翔子母はびしっとしててかっこいいのに。

「よし! いざ行かん! 約束の地、ジャスコニアへ!!」

 なんか翔子が痛いことを言った。

「取り舵いっぱーい!」
「ラジャー! 取り舵いっぱーい!」

 ピーッ、ピーッという音とともにバック。

「面舵いっぱーい!」
「面舵いっぱーい!」

 もと来た方向に向き直る。なんだこのやり慣れた感じ。

「全速ぜんしーん!」
「全速ぜんしーん!」


「「 よ う そ ろ ーーーーー !!! 」」


 ……この人たち怖い。

 あー、なんか、車んなか、暖房効きすぎであっちーなー。


 * * * * *


 ジャスコニアの地で私たちを待ち受けていたのは驚愕の事実だった。


  も う 1 0 0 人 ぐ ら い 並 ん で る


 駐車場に入った時点で、ずいぶん車が多いなとは思ったけど、入り口から伸びる行列の長さは予想をはるかに超えていた。並んでいても10人くらいだろうという見通しはかなり甘かったようだ。

「な! だから父さん言ったんだよ! 1時間前に来て一番なんてありえないって!」
「マック……マック売り切れたらどうしよう……マック……」
「こんなに暇人がいるんだ……」

 三者三様の感想をつぶやき、列の最後尾に並ぶ。

「いちばんの人、何時ぐらいに来たんだろうな」
「聞いてくる」
「あ、おい」

 私の何気ない疑問を耳にするやいなや、翔子は列を離れて走っていく。あいつ、すげえな。

「5時半だってー」
「さすがに前日入りはないか」
「テントもシュラフも固形燃料もあったんだけどな……」

 翔子父がまだ言っている。仕事でよく山に行くから、道具がいろいろ揃っているらしい。ジャスコに一番乗りしたかったのか、アウトドアが大好きなのか、いまいちわからん。

「あ! テレビ来てる! テレビ!」

 翔子が指さした方に列のみんなが顔を向ける。リポーターらしき女の人と大きなカメラを抱えた男性の2人組。「おおー」という声が自然に上がる。私もその内のひとりだったのがなんか悔しい。

「ああ……先頭の人にインタビューしてる。いいなあ、いいなあ、テレビ出たかったなあ……」
「その気持ちはわかんないなー。テレビとか恥ずかしくないか?」
「恥ずかしくない! 目立つの大好き! 東京に生まれてたら芸能事務所とか絶対入ってた。そしたらAKBとか、ももクロのポジションに私がいたんだぜ。あーあ、昔だったらモーニング娘とか、オーディションでメンバー決めてたらしいんだけどな」

 まるでオーディションがあったらデビューできていたかのような物言い。どっからくるんだ、その自信。

「昔……、それならそのまた昔はスター誕生っていうオーディション番組があったぞ。小泉今日子とかそれで出てきたんだ」
「誰それ?」
「なっ……小泉今日子知らないのか。そうか……知らないのか」

 なんだか翔子父が凹んでしまった。私も小泉今日子って知らない。

「あっ! カメラがこっちくる!!」

 先頭の人にインタビューしていたテレビの人が、列に沿ってこちらにやってきた。時々、並んでいる人にマイクを向けているみたいだ。

「こんにちはー。ケーブルテレビなんだけど、ちょっとお話してもいいかなー?」

 私たちのところまでやってきたリポーターの女の人がにこやかに話しかけてきた。不快感を与えずに初対面の相手と話せるのって羨ましい。才能の問題なのかな。

「なんなりと! なんでも聞いてください!」
「元気だねー。どう? ジャスコができて嬉しいですか?」
「超嬉しいです! これから毎日来ます! っていうか住みます!」
「あはは、住んじゃうかー。熱烈だねー。あなたはどう?」

 うげ、私にマイクが向けられた。男の人の肩に担がれたカメラのレンズもこっちを向いている。あのレンズ、正面から見ると怖い。

「あ、えっと、嬉しいです。今まで服とか気軽に見るところがなかったので」
「じゃあ今日はたくさんお洋服が見られるね」
「あ、はい」
「他には、どこか楽しみにしているところはありますか?」
「えっと、マクドナルドでハンバーガーを食べるのが楽しみです」
「そうですか。楽しんでいってくださいねー」

 カメラとマイクが離れてほっとする。たったいま何を話したのか、よく覚えていないくらい緊張してしまった。

「今日の地域ニュースとかでやるのかな? 映るといいな! 映るといいな!」
「……映らないといいな」

 緊張感がまだ抜けきらないうちに、列の前の方がざわざわし始めた。拡声器を持った店員さんがジャスコから出てきたのが見えた。

「えー、本日は早朝からのご来店、まことにありがとうございます。間もなく開店いたします。扉が開きましたら、順に中へお進みください。なお、危険ですので店内では走らないようお願いいたします」
「いよいよ来たか! 開店と同時にマクドナルドへ猛ダッシュだ! 遅れるなよ!」
「店員さんの話聞けよ! せめて急ぎ足くらいにしとけ」
「でもマックが……」
「ここにいる全員がマック目当てだったとしても売り切れはないって。少し並ぶかもしれないけど、そのくらいいいだろ」
「絶対か? 絶対売り切れないと言い切れるのか? 命かけるのか?」

 ツインテールの片方を掴んで引っ張り上げると翔子はおとなしくなった。たしか側頭部の突起物を攻撃するとおとなしくなるみたいなマンガがあったよな。

「ところでマックの場所知ってるのか?」
「今日がオープンなのに知ってるわけないじゃん。なおってばバカじゃないの?」
「ほれ、店内地図。ホームページにあったから印刷しといた。これで少しは時間短縮できるだろ? で、誰がバカだって?」
「私でありますぅ! なお殿ぉ!!」

 翔子が姿勢を正して敬礼してきた。よろしくないオタクみたいだからやめろ。

「2階奥か。この情報がなかったら大変な時間ロスだったぜ」
「なおちゃん、用意周到だねぇ」
「いや、万が一食べられなかったら嫌だなあと思って」
「どうしてもマックが食べたかったんだねえ、うんうん」
「蹴っ飛ばしますよ」
「……すみません。あ、オープンしたよ」

 ジャスコの大きなガラス扉が開き、先頭集団が店内になだれ込んでいく。え? こら、大人ども、猛ダッシュしてんじゃねえ。子供が真似するじゃないか。

「なお! なお! みんな走ってる! 奴らマックを買い占める気だ! 私たちも行くぞ!」

 ほらー。

「大丈夫だって。マナーの悪い大人の真似しちゃだめだ」
「えー、だってー……」
「でも、普通に歩かせてもらえないっぽいぞ」

 翔子父の言葉に振り返ってみると、私たちの後ろに並んだ人たちから凄まじい「早く行け」オーラが発せられていた。なるほど、ここで普通に歩くのは、法定速度で道路を走るようなものか。

「……仕方ないですね」
「決まりだ! ゴボウ抜くぜ!」
「とりあえず広い場所まで……とか無理だよな。いいよもう、私もマックまで駆け抜けてやる」

 目の前にジャスコの扉が迫る。

「じゃあ、マックで会おうぜ! ビッグ・マック!」
「はいはい、ビッグマック、ビッグマック」

 後ろから押されるようにして店内に入った私たちは、周りに飲み込まれるように駆けだした。こうやって人は墜ちていくんだろうな……。


 * * * * *


 マックに行列はできていたものの、心配するほどではぜんぜんなかった。10人以上、20人以下ってところだ。

「はぁはぁはぁはぁ……やっ……やっ……たな……。マッ……マックに……・はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ…………」
「ちょ……・ちょっと……・おちつ……・落ち着こうぜ……」

 要するに喋れなくなるほど全力疾走する必要はまったくもってなかったということだ。

「いやー、若いっていいねえ」

 涼しい顔をしている翔子父が憎い。同じスピードで走ってきたはずなのに、あなどれん、この親父。

「な……なお……この列って何?」
「は? マック入る列だろ?」
「だってこの列、カウンターにつながってる。席はけっこう空いてんのに」
「あれ? ほんとだ。水も出てないな」

 席についてるのは2、3組ぐらいで、店員を呼ぼうときょろきょろしている。この列に並んでいていいものかと考えていると、店長らしきおじさん店員が出てきた。

「申し訳ございませーん。カウンターの方にお並びいただいて、お先にご注文とお会計の方、お願いいたしまーす。商品の方は順番にご用意させていただきまーす」

 店長さんの説明に、席についていた人たちがぞろぞろと立ち上がって列に並ぶ。

「マックはレストランとかと違って先にカウンターで注文するんだよ」

 翔子父がしれっという。知ってるなら先に言えよ! ちょっと半笑いな気がするんだが私の被害妄想か? 元からああいう顔だったか?

「……まあ、一般常識だよな」
「はぁ? 「この列って何?」とか言ってただろ」
「なんだよ、なおだって「水が出てない」とか言ってたじゃんかよ」
「まあまあ、初めてだったらわからなくてもしょうがないよ」

 うわ、翔子父、ほんっとムカつく。

「なお、いよいよだぞ。私たちの番だ」
「お、おう」

 前の人が注文を終えて、順番が回ってきた。

「いらっしゃいませ、店内でお召し上がりですか?」

 店員のお姉さんが噂の¥0スマイルで出迎えてくれる。やばい、緊張してきた。

「は、はい」
「ご注文をどうぞ」
「ハ、ハンバーガーをくださいっ!!」

 翔子が気合いの入った注文を伝える。

「はい、ハンバーガーがおひとつ」
「あ、ハンバーガーもうひとつ」
「はい、ハンバーガーがおふたつですね」

 今のは翔子父だ。お姉さんが私の顔を見る。

「なお、臆するな。マックのお姉さんだって同じ人間だ」
「わかってるよ。……あ、あの、チーズバーガーでお願いします」
「はい、チーズバーガーがおひとつですね」
「チーズ……あ、す、すいません。さっきのハンバーガー、チーズバーガーに変えてください」

 翔子が割り込んできた。ちょうどいい、あとは任せる。

「はい、かしこまりました。それではハンバーガーがおひとつに、チーズバーガーがおふたつでよろしいですか?」
「はい」
「ご一緒にポテトとドリンクはいかがですか?」
「ポ……ポテト……? ど、どうする、なお?」
「ど、どうするって……た、頼むか、せっかくだから」
「そ、そうだな。すみません、ポテトをつけてください」
「かしこまりました。サイズはMでよろしいですか?」
「え? あ、は、はい! はい!」
「ドリンクはどうなさいますか? セットにするとお得になりますが?」
「お、おねがいします」
「それではドリンクをお選びください」
「ふえ? な、なにがあるんですか?」
「こちらからお選びください」

 カウンターにメニューが出された。なんで最初から出してないの?

「え、えっと……コーラ、コーラでお願いします。なお、なお、ドリンクを選ぶんだ」
「あ、うん。わ、私もコーラで」
「もうひとつはホットコーヒーで」

 そうだ、いたんだ、翔子父。笑っている。間違いなく翔子父が笑っていやがる。

「それではご注文繰り返します。ハンバーガーのMセットがおひとつ。チーズバーガーのMセットがおふたつ。ドリンクはコーラがおふたつに、ホットコーヒーがおひとつ。以上でよろしいですか?」
「……は、はい」
「ではお会計1400円になります」

 財布を出そうとしたら翔子父に「いいよ、いいよ」と言われたので、ありがたくご厚意に甘えることにする。いまは強く遠慮するだけの気力を持ち合わせていない。

「それではこちらの番号札を持って、お席でお待ちください」
「……」

 渡された番号札を持って空いている席に座り、思いっきり息を吐いた。……疲れた、すっげえ疲れた。

「……ハンバーガー食うのって大変なんだな」

 翔子が天を仰いでいる。私も同じ感想だ。

「一見さんお断りって感じなのかな。なんか次から次へといろいろ言われてわけがわからなくなった」
「ほんとそうだよな! あのお姉さん、優しげな顔して容赦ないぜ! 「それではこちらの借用書にはんこを押して頂けますか?」とか言われたら勢いで押しちゃうところだった、あぶねぇあぶねぇ」
「結局なにがくるんだ? チーズバーガーとコーラと、あとなに? ポテト?」
「でもいつの間にかセットになってたぞ。セットってどうなんの?」
「わからん。お得になりますとか言ってたから、ハンバーガーとポテトとドリンクで値段だけ安くなるんじゃないの?」
「うん、それで合ってる合ってる」
「……楽しんでますよね、さっきから」

 翔子父はもう取り繕いもせずに、ニヤニヤニヤニヤしている。車出してもらって、ハンバーガーも奢ってもらってなんだけど、今日、私の中で翔子父の株はだだ下がりだよ。

「慌てるのなんて最初だけだって。メニューも上にちゃんと出てるし」
「あ、ほんとだ。もー、教えてよ、お父ー」
「いやー、ふたりがあわあわしてるのが面白くてさ。ほら、来た来た。ハンバーガー来たよ」

 さっきのお姉さんとは違うお姉さんが、四角いお盆を手に私たちの席へやってきた。うわー、すげー肉のいい匂いする。

「お待たせしましたー。チーズバーガーのMセットをおふたつと、ハンバーガーのMセットおひとつになりまーす」

 お姉さんがテーブルにお盆を並べていく。黄色い紙に包まれた丸いハンバーガーとフライドポテト。ポテトってフライドポテトのことだったのか。そう言ってくれれば「ポテト? サラダ?」とか焦らずにすんだのに。

「いよいよだなあ。やっとハンバーガーが食べられるんだ。なお、心の準備はいいか?」
「おおげさな……いいから食おうぜ」

 黄色い紙をがさがさ開いていくと、中から丸いパンに挟まれたハンバーグの横顔が姿を見せた。いっそう強くなった肉の匂いに、思わずつばを飲み込む。ハンバーグの上からはとろけた黄色いチーズが飛び出していて、パンの方まで垂れてきていた。やばい、ちょっとドキドキする。
 私と翔子は顔を見合わせ、頷きあい、そしてチーズバーガーにかぶりついた。


「「  う  、  う  め  ー  !!!  」」


「なんだこれ?! すっげえうまい!! こんなの食べたことないぞ!! こんなうまいものが、これからはいつでも食べられるのか! すげえ! マックすげえ! ジャスコすげえ!」
「おい翔子! ポテトと一緒に食ってみろよ! 最高だぞ!」
「マジで?! ……うっわー!!! すげー!! うめー!! たまんねー!!」

 私も翔子もチーズバーガーとポテトをむさぼり食っていた。家で食べるような手作り感がまったくなくてインスタントとも違う。ハンバーガー1本でやっているプライドっていうか、匠の技っていうか、そういうプロの仕事を味わったような気がする。最高、とにかく最高。翔子じゃないけど、マックすげえ! ジャスコすげえ! としか言えない。
 私たちはあっという間にチーズバーガーを食いつくしてしまい、恍惚の表情を浮かべ、幸福の余韻に浸っていた。

「……わたし……生まれてきてよかったよ……」
「……そうだな……」

 きっと、いま世界一幸せなのは私たちだろう。この時間が永遠に続けばいい。そうじゃなかったら、この瞬間に世界が消滅してしまえばいいぐらいに思った。

「本当に若いっていいよなあ……」

 翔子父のひとことで、こっちの世界に呼び戻されてしまった。もう少しこの幸せ気分を味わっていたかったのに。私と一緒に極楽浄土を漂っていた翔子も、現世に戻ってきて文句を言い始めた。

「ちょっとお父、いい気分だったのに水差さないでよ。ていうか、こんなうまいものをひとりでこっそり食べてたなんて、ひどい裏切りだよ。大人は汚いよ」
「いや、初めて食べた時は俺も旨いなって思ったけど、すぐ慣れちゃうって」
「ハハン! ない! それはないね! そんな舌先三寸でごまかそうったって、大人の階段昇っちゃった私たちはもう騙せないよ」
「フフフ……そうかい。……ああ、目に浮かぶようだよ。次にマックで同じものを食べた時「あれ?」みたいな顔をする君たちがね……」

 もう、翔子父、サイテー。……でも、そうなのかな? 心の底からこんなに旨いものないって感動したのに、次はないのかな? ……ああ、もう、完全にあの幸福感がどっかいっちゃったよ。幸せな時ってほんと一瞬なんだな。

「ところでこの後どうする? 2人でいろいろ見てくるなら、適当に時間つぶしてるけど?」
「なおと服とか見てくるよ。どうしよう、2時間くらいかな?」
「うん、それくらいでいいんじゃないか」
「じゃあ1時までで」
「了解。1時に入ってきた入り口のところで待ってるから」
「はいよ。じゃあ行くか、なお!」
「ん、ちょっと待って。コーラ飲んじゃう」

 私は残っていたコーラを一気に飲み干した。

「食べ終わったこれってどうするんだ? 店員さんが片付けてくれるのかな?」
「みんな自分たちで片付けてたぞ」
「なるほど」

 翔子はお盆を持ってゴミ箱の前に立ち、注意書きを見ながら、紙コップやストローなんかを分別して捨てた。私も同じように片付けていく。

「トレイは捨てちゃダメだよ。ゴミ箱の上に重なってるでしょ」
「トレイ?」
「その四角いやつ」

 翔子父が私の手にしたお盆を指さす。そうか、これはトレイっていうのか。それにしても幼児を見るような翔子父の視線がどうにも腹立たしいな。

「よし! 完了! これで私も立派なマックマスターだ!!」
「私もっと」

 トレイを片付けた翔子が拳を握ってガッツポーズを取った。ガッツポーズこそ取らなかったけど、まあ、私も同じような気持ちだったよ、うん。


 * * * * *


「だいぶ混んできたし、そろそろ帰ろうか」

 翔子父はそう言って腕時計に目を向けた。時刻はもうすぐ4時になるところだ。夕方が近くなって、ジャスコにはお得な食料品を買い求める奥様方が続々と集まってきた。浮かれた雰囲気はだんだんなくなっていって、ジャスコは戦場へと変わりつつある。
 結局、2時間じゃぜんぜん足りなくて、お昼をはさんであちこち見ていたら、こんな時間になってしまった。文句の一つも言わず、戻ってきた私たちにアイスを買ってくれた翔子父の株は、私のなかで少し持ち直した。
 外に出ると、あたりは夕焼けで真っ赤になっていた。駐車場の車に光が反射して目を細めずにはいられないほど眩しい。そんな中でもひときわ目立つゴツくて黒い車に乗り込み、私たちは柔らかなシートに体を沈めた。

「あ~、ジャスコ楽しかったよ~。また来ような~」
「やっぱり自由に服が選べるのっていいな。商店街の洋品店とかだと入るだけでもハードル高いし」
「なお、そのスカートぜったい履けよな」

 翔子が私の紙袋を指さして念を押してくる。マックやらジャスコやらでテンションの上がってしまった私は、なにを血迷ったのか、ロングスカートなんてものを買ってしまったのだ。しかも、おとなしめなのを選ぼうとしたら「ババくさいな」と言われて、やたらとかわいい花柄にしてしまったし……。

「履くよ。…………たぶん」
「来週、ジャスコ行くときに履いてこいよ」
「はあ? また行くのかよ? スカート買っちゃったし、そんなに金ないって」
「うーん……そうか……金か……金か……」

 翔子が腕を組んで考え込む。私の3倍は買い物をしていたし、フトコロは翔子の方が間違いなくさみしいはずだ。

「春休みになってからとかにしようぜ。そしたら雪も……さすがにまだ溶けてないか」
「雪がなかったらチャリで行けるのになー。そしたらバス代もかからないのに。でも、雪が溶けるまで待ってたら、私ら高校生になっちゃうな」
「まあ、いいんじゃないか。ほとんど持ち上がりで、受験なんてあってないようなもんだし。高校なんて中学4年生みたいなもんだろ」

 この地域は中学と高校が1つしかない上に、クラスもそれぞれ1つしかない。つまり中学と高校で、ほとんどメンツが変わらないのだ。何人かが県外の高校へ進学するために去っていくだけで、新しい人が入ってくるなんてことはない。

「いやいや、中学生と高校生は明らかに違うだろ。なんてったってバイトができる。これがどういうことかわかるか?」
「自分で金が稼げるってことだろ?」
「あってるけど違う!」
「意味がわからん」
「いいか! 私が言いたいのはなあ、「マックでバイトする女子高生」になれるってことなんだよ!!」
「ここまで通うの辛くないか?」
「うぐぅ…………そうだ! この近くに住めばいいんだよ! お父! 私は高校生になったらひとり暮らしするぞ!」
「別にいいけど、ここから学校まで通うの辛いぞ」
「……ぐぬぅ! 万策、尽きたかぁーーーー!!」

 翔子ががっくりしておとなしくなったので、私は窓の外を眺めた。さっきまでいたジャスコが少しずつ小さくなっていく。沈んでいく真っ赤な太陽がジャスコの影に隠れようとしていた。

「なお、なにぼーっとしてんだ?」
「ん、太陽が沈んでくなーって見てた」
「ポエマーだな」
「やかましいわ」

 私は少しずつ沈んでいく太陽から目が離せなかった。珍しく翔子もちょっかいをかけてこようとしない。疲れているせいもあるのか、こうしていると自分がなくなっていくみたいで気持ちがよかった。

「このまま、どこにも着かなかったらいいのにな」

 眠りかけていた私の横で、翔子が意外なことを言った。それは私がなんとなく考えていて、言葉にできなかった気持ちだった。

「ポエマーだろ?」
「やかましいわ」

 目を合わせると、翔子はおどけてみせる。いつも通りの私たちだ。
 太陽は止まることなく沈んでいくし、車は家に向かって走っている。
 きっと明日は変わらずにやってきて、いつか私たちはどこかにたどり着くんだろう。

 それでも、もうしばらく、
 このままどこにも着かなければいいなって思った。

 ……ポエマーだろ?

(了)
3

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