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憧れ

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 昔々あるところに、傲岸不遜な態度で有名な王妃がおりました。
 彼女は若く、美しい人でした。しかし、豪奢な宮殿で誰しもうらやむ贅沢な生活を送る彼女は、「我慢」や「遠慮」といったものを知りません。また、する必要もありませんでした。自身の生活が国民の血税によって成り立っていることも、知識としては知っていても、それについてどう思うでもなく、当然のことだと考えていました。
 基本的に人を小馬鹿にしていて、口癖は「おまえは馬鹿か?」。使用人らにはもちろん、家庭教師としてやって来た高名な学者にも平気で言います。まわりの人間はそれをたしなめることができません。説教をしたが最後、それがどんな些細なことであっても彼女は癇癪を起こすからです。

 ある時、王様が流行り病にかかり、亡くなってしまいました。さすがの彼女も夫のことは敬愛しておりましたから、悲しみに暮れましたが、いつまでも落ち込んでいる暇はありません。国を運営する責任があります。ふたりに子供は無く、彼女は女王になったのですから。
 しかし女王は部屋に閉じこもって泣くばかり。大臣達は慌てました。大臣達の権限には限界があり、最終的に女王の認可が必要な執務を進めることができません。連日説得が行われましたが、「夫を悼む時間も与えてくれないとは、おまえ達はなんて残酷なのだ」と言って、結局、女王が執務を執行することはありませんでした。しかたなく、大臣達は法律が許す範囲で懸命に王国を運営しましたが、トップがそんな状態ではうまくいくわけがありません。流行り病の被害もあり、王国はぼろぼろになってしまいました。
 こんな状態で、もし他国に侵略されればひとたまりもありません。反乱が起こる可能性もあります。大臣達は悩みに悩んだ末、王の地位を別の人物に譲り渡すことにしました。女王の遠縁の遠縁、ほとんど他人のような男が次代の王として召し出されました。男は町人として生活しており、特別教養もありません。特徴としては人一倍素直であることくらい。こういった人物のほうが、大臣達には都合がよいのです。
 地位の移転はきわめて平和的に行われました。はじめはいやだ、いやだと繰り返していた女王も、大臣らをはじめ王宮内の人間が皆賛同していると言われると、やむなく同意せざるを得ませんでした。儀式は即日、厳かに執り行われ、女王は女王ではなくなりました。

 女王は王宮から追い出され、両親とは死別し帰る家が無かったので、小さな屋敷をひとつと、一人の若い男を使用人として与えられました。彼女は顔を覚えていませんでしたが、使用人は王宮で働いていた執事のひとりということでした。王宮の執事といえば、この国では、執事としての仕事だけでなく、非常に高いレベルの作法、教養など様々な能力を備えた、王族に仕えるにふさわしい完璧な者のみが名乗ることを許される職業です。執事をひとり育てるお金で、庶民が三代生きていけると言われています。
「手切れ金代わりというわけか。おまえも不運だな。王宮で続けて働いておれば、さらに出世することもあったかもしれぬのに。一生を棒に振るようなものだ。悔しいだろう?」
「いいえ女王様。女王様にお仕えできることは至上の喜びでございます。どうぞなんなりと、お申し付け下さいませ」
「馬鹿じゃないのか?」
 おべっかであるとするなら、権力を失った女王に媚びを売る意味はありません。本気だとするなら、もっと訳が分かりません。女王は呆れました。それから思い出したように付け加えました。
「私はもう女王ではない。女王と呼ぶな」
「ではなんとお呼びしましょう?」
「好きにしろ」
「は。では、『お嬢様』というのはいかがでしょう」
「……馬鹿め。好きにしろと言った」
 女王は顔を背けました。女王がそのように呼ばれていたのは、もうずいぶん昔の話です。久しぶりにそのような呼ばれ方をされて、なんとなく、こそばゆかったのです。
 
 屋敷の生活は平穏で、ともすれば退屈なものでした。屋敷には、女王と執事のほかには、安い賃金で雇った幾人かの下女しかおりません。そして、訪ねてくる者もありませんでした。権力を失った女王に利用価値はないのです。時折、好奇心からか、下心からか、貴族や金持ちの商人から舞踏会に誘われることがありましたが、女王の性格を知ると、皆それ以上深く付き合おうとはしませんでした。

 女王はいつも、小さな庭で読書をします。それ以外に特にすることがないからです。傍らには執事が立っており、女王のカップの乾き具合を見ています。椅子は対に二脚ありますが、片方の席が埋まることはほとんどありません。
「おい」
「はいお嬢様。いかがされましたか」
「よく理解できないところがある。おまえの意見を聞きたい。このあたりだ」
 女王は本の記述を指し示しました。執事はしばらくそれを眺めていましたが、やがて諦めたように言いました。
「申し訳ございません。私には分かりかねます」
「またか。わが王国の執事のくせに、おまえは馬鹿だな」
「よく、言われます」
「まあいい。この本を与えよう。よく勉強しておけ」
 そうして与えた本は何冊になったでしょうか。女王が、本の内容について語り合う相手がいないことに心底飽き飽きしてきたころ、ようやく執事も少しずつ自分の意見を述べるようになりました。女王は喜び、二人はしばしば、ともすれば日が暮れるまで、本について議論を交わすようになりました。
「おまえは、紅茶を淹れるのは下手くそだが、物語の解釈については面白い視点を持っているな」
「ありがとうございます」
 実際、執事の着眼点は、女王にとっては奇抜ともいえるものでした。経験の違いでしょうか。高級貴族の娘として生まれ、蝶よ花よと育てられた女王には思いもつかない意見を執事は言うのです。語り合いは、女王にとって有意義なものでした。

 ある日、女王に手紙が来ました。人手の少ないこの屋敷では、手紙の受け渡しも執事の仕事です。執事から手紙を受け取った女王は、目を見開きました。
「いかがされました?」
 女王は黙って、手紙を差し出しました。
「失礼します」
 それは舞踏会への誘いの手紙でした。もちろんそれだけなら、頻繁ではないにしろ、たまにあることです。しかし差出人の名前が執事を驚かせました。
「王……ですか」
 新しい王は、就任から数年、良王として評判になっていました。経済を振興し、民からの税金は少なく、かといって国力を損なうようなことはなく、国は豊かになりました。少し前まで町人であったとはとても思えません。大臣達の頑張りのおかげということもありましょうが、本人の努力も並々ならぬものであったのでしょう。
 ただし王にはひとつだけ欠点がありました。女と見ると目が無いのです。もちろん英雄色を好むと申しますから、一概にそれが悪いことであるとはいえませんが。
 問題はこの手紙です。王国にまことしやかに流れる噂では、独身女性への舞踏会の誘いは、王から直接されたものであれば、それは側室への誘いと同義ということでした。王と女王は、地位の譲渡の儀式の際に一度顔を合わせたきりです。もしかすると、王はその時から目をつけていたのかもしれません。新しい環境も落ち着き、側室を増やすことにしたのでしょうか。
「どう思う?」
「は。どう、とは?」
「どう思う、と聞いているのだ。この誘いの意味が分からぬわけではあるまい」
「は。おめでとうございます」
「馬鹿が!」
 女王は執事を怒鳴りつけました。
「私はこいつに王の座を奪われたのだ!おめおめと妾になるなど、私の矜持が許さん」
「申し訳ございません。考えが足りませんでした」
「ふん。しかし、悔しいが今の王はこいつだ。王に逆らえる者はこの国にはおらん。私を含め、な。誘いを断る手段は、ひとつしか無いだろう」
「と申しますと?」
「私は元女王とはいえ、今は下級貴族の扱いだ。もちろん身分は合わないが、執事とであれば、前例が無いわけではない」
「……」
「私が何を言いたいか分かるか?」
「……いえ。申し訳ありません」
 女王はしばらく執事の目を見ていましたが、やがて視線を反らして、言いました。
「なら、よい。下がれ」
「は。失礼いたします」

 女王は王の側室となりました。女王は後宮で暮らすこととなり、屋敷は引き払われました。

 それから数ヶ月が過ぎました。夜、いつものように王を迎えた後、女王は思い切って王に話をもちかけました。
「王様。お話があります」
「ん?なんだい、改まって」
「まことに身勝手なお願いなのですが。執事を一人、迎え入れたいのですわ。おそらくこの王宮で働いていると思うのですけれど、わたくしの専属にしたいのです」
「君がお願いなんて、珍しいね。そのくらい、かまわないよ。なんという執事だい?」
 女王は執事の名を伝えました。
「そんなに喜んでくれるなんてね。このあいだ首飾りを贈ったときとは大違いだ」
 王は笑いながら言いました。でも、女王にとっては本当に嬉しいことだったのです。王宮には、女王と本について語り合ってくれる相手はいなかったから。
 
 翌日、王は女王の部屋を訪れ、言いました。
「昨日の話だけどね。そのような名前の執事はいなかったよ。過去にさかのぼって調べさせたけど、やっぱりいない」
「……は?」
 そんなはずがありません。彼は、女王が王宮を追い出されるまでは王宮で働いていたと言っていました。
「下男になら、一人同じ名前の人物がいたけれど。関係はないだろう」
 女王は身を乗り出して言いました。
「その者、呼び出していただけないでしょうか?」

 さらに翌日。女王の部屋に、執事であったはずの彼が一人で訪れました。
「どういうことだ?」
 女王は尋ねました。
「……は。申し訳、ありません」
「謝罪などどうでも良い。何故身分を偽っていたかと聞いている」
 執事、いや、下男は、恐縮するばかりでいっこうに答えようとしません。代わりに女王が続けて口を開きました。
「私を哀れに思ったか?王宮を追い出され、ちっぽけな屋敷を与えられ。おまけに使用人は下男が一人などとなれば、厄介払いにしても程があるというところだからな」
「そんなことはありません!」
 下男が急に大きな声を出したので、女王は驚いてしまいました。下男が声を荒げる様子を初めて見たのです。
「すべて、私の邪な欲望によるものです」
「どういう意味だ。言ってみろ」
 下男は迷っている様子でしたが、やがて覚悟を決めたように喋り始めました。
「私は孤児でした。その日食べる物もなく、ボロを来て町をさまよっていました。ある時、王に連れられ、王妃様が町を視察にいらっしゃいました。王妃様は、私の姿を見て、ありがたくも城で下男として働くよう命じられたのです」
 そんなこと、あったのでしょうか。女王には思い出すことができません。前日に牧師のお説教でも聞いて、おおらかな気持ちになっていたのでしょうか。そんなことがあったとして、単なる気まぐれであったことは間違いありません。現に、城で働いていた下男の顔も覚えていなかったのです。
「王妃様が王宮から出て行かれることになったとき、下男の中で一人、王妃様のもとに従うことになったのです。希望者は複数いましたが、私が選ばれました。私は、王妃様の印象を少しでも良いものにしようと、貯めていた給金をすべてはたいて正装を買いました。その服を着て女王様のもとを訪れたとき、王妃様は私を執事と勘違いしていらしたのです」
 そういえば、そうだったかもしれません。
「私は、それを良いことに、王妃様の期待を裏切って失望されたくないという己の欲望に従って、嘘をついたのです」
 言われてみれば、思い当たる節はありました。下男の執事としての仕事は、紅茶の淹れ方をはじめ、及第点を下回るものばかりでした。城の雑用をしながら見ていた執事の、見よう見まねだったのでしょうか。
「だがお前は、本を読んでいたではないか。そんな出自では文字を読めるはずがない」
「それは、王妃様からいただいた本で勉強させていただきました」
「馬鹿な」
 確かに女王が下男に与えた本の中には、幼児に対する教育書のようなものも入っていました。しかしだからといって、たった数ヶ月で文字が読めるようになるのでしょうか。執事としての仕事もあります。寝る間を惜しんで勉強に励んで、あるいはというところでしょう。
「何故そこまでして、嘘を貫き通したのだ。恩義に報いるためか?」
「それもあります。それもありますが」
 下男はかぶりをふって、言いました。
「王妃様の笑顔を見たかったのです。あの時、町ではじめて王妃様の姿をお見かけして以来、私はずっとそう願い続けておりました」
「……」
 女王はすぐには言葉が出てきませんでした。数瞬のち、やっと一言、言いました。

「おまえは、本当に、馬鹿だな」

 数ヶ月が経ちました。今でも、下男は下男として働いています。女王のはからいにより、執事になるための教育を受けていますが、未だ執事と名乗ることは許されていません。ですが、近頃は他の執事達にも認められ、出自の差を感じさせないほど実力を伸ばしています。
 下男の仕事が休みの日は、女王から呼び出されることがしばしばあります。女王は自分の読んだ本を次々と貸して、次に来るときまでに読んでくるよう申し付けます。下男には本を読む時間はほとんどありませんが、律儀に読んできます。そうやって下男が読んだ本について、二人は語り合います。ささやかな時間ですが、下男にとっても、女王にとっても、それはそれは楽しい時間なのでしょう。二人で語り合うとき、女王の表情には笑顔が溢れているからです。
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