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 男はゆっくりと目を覚ました。視界がぼんやりとしている。そしてまたゆっくりと深呼吸をする。毛布の香りがする。
体を起こそうとすると酷い頭痛にみまわれる。背中の方も強く打撲したような痛みがある。思わず目を閉じた。
「うっ…」
 もう一度ゆっくりと目を開けると、少しずつ視界がクリアになっていく。一色ずつ色を取り戻すように、目の前にあるものを見つめていった。部屋の天井は低く、男は少し暗い印象を受けた。部屋の中央には大きな柱が縦にのびており、そしてまた立派な梁が横にのびていた。どうやらここは屋根裏部屋のようだ。ベッドと対角線上にあるドアは閉まっており、物音はなかった。屋根裏部屋の割には綺麗に掃除が行き届いている印象を受けた。壁には小さな窓があり、そこから陽が差し込んできている。陽にあたった空間には埃が踊っている。
 もう一度体を起こそうと試みる。痛みに耐えながらベッドに腰掛け、深呼吸を何度かしたのち、ゆっくりと立ち上がる。膝はガクガクと揺れ、一歩を出そうにも脚が上がらない。無理やり右脚を出そうとすると、急に左脚の力が抜けた。
「うぉっ!」
バタン!
そのまま仰向けに倒れてしまった。幸い怪我はないようだが、この調子じゃ起き上がれそうにない。男は脚の震えが止まるまで待つことにした。窓の外には青々とした空が広がっていた。
「良い天気だ…」
 下からバタバタと階段を駆け上がってくる音がする。勢いよく開いたドアから、女が顔を出した。
「まぁ!大変!」
 女は男に駆け寄り、男の顔を覗き込む。
「すごい音したわよ。大丈夫?」
「君は?」
「そんなことより、怪我はない?」
女は男の傍に座り込んだ。
「ああ、怪我はない」
「あなたベッドで寝てたはずよね?何してたの?」
「空を、見ていた」
男は女から窓へと目線を移した。
「父さーん!彼、目を覚ましたわ!倒れてるの!早く来て!」
「や、やめてくれ」
「え?」
「頭が痛い」
「あ、ごめんなさい!」
「おーぉ。目を覚ましたかの」
 初老の男が部屋に入ってきた。
「どうしてベッドで寝ないんだね?」
「空を見てたんですって」
「さよか」
「起こしてくれないか?脚に力が入らないんだ」
「無理するからよ」
男は赤茶の髪の女と、初老の男の肩をかりてなんとかベッドに移った。
「ルチア、水を替えてきなさい」
「はい」
女はベッドの足元にあった洗面器を手に、階段を下りて行った。
「体の具合はどうかの?」
「頭が痛い。背中もだ」
「さよか。暑くはないか?」
「言われてみれば、暑い。気づかなかったが体中が火照っている感じだ」
 男はすでに全身に大量の汗をかいていた。
「うん。今ルチアが氷水を持ってくるからの。まずは体を拭こう」
「それはありがたいんだが、ちょっと、わからないことがあるんだ」
「おうおう。これは失礼したな。わしらはもう幾日もお前さんと一緒にいるが、お前さんはわしらを見るのは初めてなわけだ。わしはネッサン。皆にはネスと呼ばれとる。君もそう呼んでくれて構わんよ。さっきのはわしの娘で、ルチアという名じゃ。ここはわしの家の屋根裏部屋にあたるの」
「わかった。ありがとう。しかし、それよりどうも気になることがあるんだ」
男は怪訝な顔をして自分の手のひらを見つめた。
「私は誰だ?」



「すると、ルチアは私の命の恩人というわけか」
冷えた氷水で絞った白いタオルで、優しく男の背中を拭きながらルチアは答えた。
「うん…。そうね」
「そうか。ありがとう。」
ネスは小さな窓から外を眺めて言った。
「君は丸2日寝ておったからの。これだけ天気が良ければ体を動かしたくなるのも無理はないが、その体で動き回る方が無理というもんじゃ。今はゆっくり休まれるがええの」
「ああ、情けないが長くは立っていられそうにない。…ところでルチア、君が私を見つけた時は、私一人だったのか?」
「ええ」
「私は何か荷物は持っていなかったのか?」
「あなたの物かどうかはわからないけど、あなたが倒れていたそばに茶色い鞄が1つあったわ」
 ルチアは背中を拭き終わり、男に服を着させた。
「その鞄は今どこに?」
「この家にあるわよ。心配しないで。中は開けてないから」
「そうか。今見せてもらうことはできるか?」
「ええ。できるけど、あなた本当に記憶がないの?何も思い出せない?」
 ルチアはタオルを絞り直し、男の手のひらを拭き始めた。
「ああ。自分の名前も、家族も、自分がどこの人間で、何をしていたかも思い出せない。とにかく頭痛がひどいんだ。何かの拍子に頭をぶつけたんだろう。それで記憶を失ったのかもしれない」
 ルチアはタオルを洗面器に入れ、男に毛布を掛け、横になるよう促した。
「自分探しも良いけど、父さんも言ったように今は休んだ方が良いと思うわ。お腹すいたでしょう?食べやすいもの作るから、栄養つけてね。食事が済んだら、鞄を持ってくるわ」
「ああ。ありがとう」
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