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第10章 祝霊の儀

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 錆び付いた扉を開けると、蝶番の擦れる音が響いた。
 この時間なら当然だが、礼拝堂内は真っ暗で誰もいない。ヨハネスは中央へと進む。
 天井を見上げると、ステンドガラスから月光が降り注ぎ、彼を幻想的な気分にさせる。
 「‥‥深夜の来客はあまり歓迎できないなぁ」
 声のした方を向くと、半開きの扉から、薄汚れた格好をしたこの教会の神父らしき男が姿を見せた。
 「大丈夫だ、ネスビット」 男は片手を上げ、ヨハネスの後方の空間に声を掛ける。
 振り向くと、修道女が両手に銃を持ち、ヨハネスに照準を合わせていた。
 「廃れた教会にしては、やけに用心深いな」 ヨハネスはニヤリと笑う。
 「物騒な世の中なんでね。野盗ならこのまま蜂の巣にさせて貰うんだが、招かざる客ってわけでもない」
 イヴ神父はそう言って振り返り、扉を開け放つ。
 「待っていたよ、魔族の末裔ヨハネス君。こっちの部屋で話そう」 イヴ神父は部屋へ入った。ヨハネスもそれに続く。
 部屋にはおびただしい数の書物が溢れていた。3人が入ると、ろくに足の踏み場もない。
 「ネスビットは来なくていいぞ」
 「ちぇっ」 彼女は舌打ちをして部屋を出る。
 神父は扉を閉める。 「こんなへんぴな教会にまで捜索隊が来たよ。何しろ聖帝が殺されたんだ、守護隊は血眼になって犯人を探している」
 「俺が来ることがわかっていたんなら、守護隊に待ちぶせさせれば良かっただろう?」
 「そうしても良かったんだが、友人から君への伝言を預かっていてね」
 「‥‥アンリが此処に来たのか」 ヨハネスが意外そうに呟く。
 「一昨日ね。彼は君のことを心配していたよ」 イヴ神父は机に腰掛け、アンリに話した内容と同じ説明をする。
 「腐っても神聖教会‥‥か。パイモンめ、ふざけやがって!」 ヨハネスは声を荒げる。
 「パイモンが君と契約した悪魔か。有名な大悪魔だ。はっきり言って、君の置かれた立場はかなり悪い。絶望的と言ってもいい。君が四大精霊に助けを求めてることを知ったら、パイモンは妨害をしてくるだろう。まあ、契約をしている以上大ぴらに邪魔は出来ないだろうが‥‥」
 「ふん。復讐を果たせれば、俺の命など二の次だ」 ヨハネスは吐き捨てるように言う。
 「君からしたらそのくらいの覚悟をしての行動なんだろうが、アンリ君は君を救うために動いているよ。いい友人を持ったな」
 ヨハネスは沈黙する。
 「しかし、エル・シド聖帝を倒して君の復讐は果たせたんじゃないのかい?」
 「エル・シドは駒に過ぎなかった。倒すべき相手は他にいる」
 イヴ神父は目を細める。 「知っていたか。誰から聞いたんだ?」
 「エル・シドの今際の言葉だ」 ヨハネスは微笑して答える。
 「そう、十字軍を編成したのはエル・シドじゃあない。先代の聖帝だ。彼は私怨から十字軍――魔族討伐軍を編成したのさ」
 「‥‥私怨?」 ヨハネスは眉根を寄せる。
 「君と同じ、復讐さ」
 「何故そんな事を知っている? 貴様は何者だ!?」
 ヨハネスが問い詰めると、イヴ神父は瞼を閉じる。
 「‥‥先代聖帝リオネル・オーギュスト・レオンは、俺の父だ」


 「ここがウンディーネの聖域か」 僕は船から降り、真っ白な砂浜に足を着ける。
 水の精霊ウンディーネの聖域は、直径5km程度の小さな孤島だ。ヒューマンの手は入っていないはずだが、というよりもむしろそれが理由なのか、とても美しい島だ。
 ウェンディが僕の手を取り、上機嫌に道案内をする。根が剥き出しになった細長い木々の間を縫って30分ほど歩くと、湖が見えた。動物の鳴き声と風が葉々を揺らす音だけが聞こえる。静かな場所だ。
 「綺麗な湖だな」 水は驚くほど透き通っているが、相当水深が深いのだろう、湖は濃い青色をしている。
 ウェンディが湖の畔に立つ。すると、水面がみるみるうちに膨れ上がり、中から竜が現れた。
 「お帰りなさい、ウンディーネ」
 水竜がウェンディに頭を垂れ、僕をちらりと見る。
 「おお‥‥お相手を見つけられたのですね、おめでとうございます。すると、本日は祝霊の儀ですね」
 「うん」 ウェンディが照れくさそうに答える。
 「では神殿へどうぞ」
 水竜がそう告げると、湖が二つに割れ、中から階段が現れた。
 「‥‥もしかしてこの階段を降りるの? ウェンディ」
 僕が聞くと、ウェンディは頷く。
 ウェンディに続き、ひやひやしながら湖底への階段を降りる。
 暫く進むと、湖底神殿に到着した。どういう理由なのか、湖底まで光が届いている。水面を見上げると、光が神秘的に煌めいている。
 「さっきの水竜が神殿の守護者なのかい?」
 「うん。それと、シードラゴンは私達の親代わりでもあるの」
 「そうなんだ。ウェンディの家族のこと、聞いてもいいかな?」
 「家族といっても、姉が一人いるだけ。普通は祝霊を受けたら会うこともないけど‥‥」
 「お姉さんは自分からヒューマンの元にとどまったんだよね。一体どうしてなんだろう‥‥?」
 「きっと、姉には姉の考えがあるのよ」
 そう言って、ウェンディは神殿へ入る。僕も彼女に続く。
 神殿は大理石で出来ているようだ。白と黒のマーブル模様が壁全体を覆い、等間隔に火が灯っている。
 ウェンディの言うように、神殿には僕らのほか誰もいないようだ。神殿内を真っ直ぐ進み、一室に入る。
 「祝霊の儀式って、どんな感じなの?」
 僕が聞くと、ウェンディは僕に向かい合い、ためらいがちに告げる。
 「契りを結ぶの」
 「契りって‥‥?」
 ウェンディは恥ずかしそうに僕を見ると、ローブを脱いで床に落とし、象牙色の衣一枚になった。
 「まさか‥‥」
 彼女の真っ白な素肌が視界に写り、僕は慌てて視線を逸らす。
 「‥‥嫌なの?」
 「嫌じゃない‥‥けど、こんな突然」
 僕は何かに足元をすくわれ、仰向きに後ろへ倒れる。
 すると、僕の身体が空中で停止した。
 目を開けて真下を見ると、水の膜がクッションになり、僕の身体を支えている。
 ウェンディが僕に跨がり、接吻をした。
 ――う‥‥‥。
 頭の芯が痺れるような感覚。
 僕は思わず身体を入れ替え、彼女に覆い被さる。
 長いまつ毛と海色の瞳が僕の目の前にあり、彼女の少し荒い息遣いが聞こえる。
 「ウェンディ‥‥」
 「伴侶と口付けを交わすのが、ウンディーネの祝霊の儀式なの」 ウェンディが言った。
 「‥‥え、口付け‥‥だけ?」
 僕が呟くと、彼女は首をかしげる。僕は慌てて身体を起こす。
 「そ、そうなんだ! いきなりだったから、驚いたよ」
 彼女は頬を染める。 「ごめんね」
 僕はほっとしたような、がっかりしたような気持ちだ。慌てて水の支柱から降りる。
 ――別にローブを脱ぐ必要はなかった気がするけど‥‥。
 「もうこれで祝霊の儀は終わり?」
 「うん」
 外見上、特にウェンディの何かが変わった様子はない。
 僕がそう告げると、ウンディーネは生まれてから死ぬまでずっと同じ姿であり、外見が変わることはないとウェンディから説明を受けた。
 しかし、これで幼精から精霊に変わったらしい。
 「ウェンディ。早速だけど、お願いがあるんだ。ウェンディは会ったことがなかったと思うけど、僕の知り合いが悪魔と契約をしていて、彼を救うために四大精霊の助けが必要なんだ。ウェンディの力を貸して貰えないかな‥‥?」
 僕がそう言うと、ウェンディは二つ返事でOKをした。
10

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