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丁稚

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 人間というのは不思議なもので、命に危機が迫ると時間がゆっくりと感じるものらしい。それは相手を冷静に分析するには十分すぎる時間だった。二郎というこの若侍は前髪も取れていないからまだ元服もしていないのだろう。きゃしゃな体型から見て歳は十四、五といったところか。まだ幼さを残した顔は中性的ですらある。大きな瞳を半目にして(要はジト目)こちらを睨んではいるが、口の端には|御手洗《みたらし》のたれが付いたままだった。まだまだ子供のようだ。下之介がいくら素人でも子供に力負けするわけがない。二人の刀が十字にぶつかると、二郎の刀は中ほどから真っ二つに折れてしまった。
 両腕を高く上げ胴をがら空きにするこの構えをとるのは、よほど振り下ろす速さに自信のある達人か、剣術の型を知らない素人だろう。二郎が後者だったおかげで斬られずにすんだが、代わりに二郎の刀の折れた切っ先がせっかく伸びた頭頂部の髪をかすめて飛んでいった。反動で刀を落とした二郎はその勢いのまま下之介を押し倒した格好になった。胸元にぶつかる衝撃に備えて反射的に目を瞑るが、顔を覆ったのは着物の上からでも分かる柔らかい二つの膨らみだった。初めての感触だったが本能的にそれが乳房であることを理解することができた。生命の神秘である。
 子供子供と思っていたがなかなか良いものを持ってらっしゃる。もう少し味わっていたい気もするが、脱出するならば今しかない。何故あの二郎という名の女が男装をしていたか気にはなったが、今は逃げることに専念した。女と斬りあいなんてまっぴらだ。
 茶屋を飛び出した下之介は刀を握ったまま往来を駆けていったので、皆係わり合いを避けて道を譲った。いったいどこまで逃げればいいのか。どこもかしこも浪士組の手がまわっている気がした。
 河原町通を左に曲がって御池通に入り直進、高瀬川を越えたあたりで右に曲がり木屋町通を下っていく。京の町は碁盤の目なりに区画された計画都市であり、何度も曲がっていると方向感覚が麻痺してくる。住み慣れたものでもなければ、いったい自分がどこを走っているのか分からなくなる。また左折して三条大橋を渡りきったところで走りつかれて尻を付く。怖くて後は振り返らなかったがここまでくれば撒けただろう。
 息を整えながらあたりを見渡す。追っ手はいないようだが、嫌なものを見つけてしまった。橋のたもとに高札が立てられていて、その人相書には良く見知った顔が書かれていた。下之介は読み終わった人相書を高札から引き剥がし、丸めながら独り言をいった。
「上中|某《なにがし》、この者恐れ多くも御公儀転覆(御公儀は徳川幕府のことなので倒幕と同じ意味)を企みし大悪人なり。なんで清河から刀の処分を頼まれただけで、悪党扱いされねばならぬのだ」
 得体の知れない陰謀に巻き込まれ始めている。このまま京にいれば、いつかは路傍に伏し無縁仏となるだろう。鴨川の川原に打ち捨てられた攘夷浪士の死体を見ながら、明日は我が身と思うのだった。
 強い向かい風が山の方からカナカナカナとヒグラシの声を運んでくる。名前通り日暮れが近いのだろう。キョッキョッキョッという鳴き声はクイナのような水鳥の声だろうか。汗を拭いながら耳を潤わせ涼んでいたのに、シンミョウニシロやオナワニツケといった喧しいヒトの鳴き声がすべてを台無しにした。もう浪士隊が追ってきたらしい。仲間を呼んだのか十数人はいる。
 隊士のなりはてんでばらばらで、浴衣を着流しているものや、袴を脱いでいるものもいる。六月無礼という言葉よりはただのゴロツキといったほうがしっくりくる。
 六月無礼とは旧暦の六月、即ち七月ごろからの軽装が推奨されていることで、江戸時代版クールビズのようなものである。
 余談はさておき、下之介はまた逃げねばならない。この蒸し暑さの中を全力疾走しながら鴨川沿いを下っていくが、けして体が強いほうではないからめまいがしてすぐに失速する。湿気のある土がまるで絡め取るように体力を削っていく。浪士組に追いつかれるのは時間の問題かと思われたその時、商家の表間口から延びた手が下之介の手を引いた。絹のように柔らかくきめ細かい手だった。
 なすがままに菊屋という店に導かれると、中には綿織物の反物や呉服の見本が高い天井から吊り下げられ、庶民向けの反物が売り買いされていた。下之介の手を引いていた商家の娘は、水色の半襟の上に藤色の下地に真っ赤な牡丹の柄をあしらったの着物、黄色い蝶の紋の帯に朱塗りの下駄を履いていた。そして抜けるような白い肌としなやかな手。この時代、人前で女性の手を握るのはとても大胆な行為だった。我に返った下之介は慌てて手を離した。
 浪士組の喧騒が遠ざかり、熱風が下之介の脇をすり抜けていく。
「なぜ拙僧を助けてくださったのか」
 涼しげな着物の娘は帯の間から人相書を取り出して答えた。
「あなた様はこの攘夷志士、上中様でございますよね。京の商人はみな攘夷志士の見方なんですよ」
 もはや下之介の顔は京中に知れ渡ってしまっているようだった。これ以上誤解される前に早いとこ京を脱出したほうが良い。
「この恩にはいつか必ず報います。しかし拙僧は京を離れなくてはならぬので失礼いたす」
 恩を返すあてなどあるはずもない。適当なことを言って商家を出ようとしたが、今度は袖を引っ張られた。
「今外を歩くのは危のうございます。丁稚に調べさせて参りましょう」
 娘は丁稚に駄賃を握らせて使いに走らせた。とても手馴れている。
 下之介は泥だらけの足をたらいに入れられ娘に洗ってもらった後、客間に通された。上座に座らされ、無表情の番頭がすぐにお茶を運んでくる。
「わては|元〆《もとじめ》の菊屋与兵衛と申します。以後お見知りおきを。ぜひとも当家で事をなすまでおくつろぎくださいませ」
 驚いたことにあの娘は数えで二十歳の与兵衛の箱入り娘だと言う。今までこんなにも歓迎されたことがあっただろうか。ちやほやされることに慣れていない下之介は当然疑問を抱いた。
「なぜ一介の浪人にすぎない拙僧をこのようにもてなしていただけるのでしょう」
 与兵衛は「あんさんが勤王の志士だから話しますが」とまず前置きした。下之介は自分が勤王の志士ではないことを説明しようしたが、口ごもっている間に与兵衛が話を継いだ。
「幕府は函館、横浜を開港しましたが結局のところそれは幕府の利にしかなりませぬ。もし勤王の世となれば天下の台所の大阪が開港し、わてら商人の活躍の場が広がります。その利は庶民の懐にも必ず届きます。だから庶民はみな勤王の志士の方々を御味方するのです」
 ただ一人苦虫を噛み潰したような顔をしていた番頭がやたらとお茶のお代わり勧めてきた。それは早く帰れと遠まわしに相手に伝える京都式の作法なのだが、知る由もない下之介は勧められるままに茶を飲み干す。
「貴君の勤王の志には痛く感服いたしました。ただ武士とは必ずしも高潔な人間ばかりではありますまい。武士だ商人だと分けるのは人の方便であって、一皮剥けばどんぐりの背比べだ。追い詰められれば間違いも起こすでしょう。貴君は交渉する相手をよく選んだほうが良い」
 今度は下之介の方が遠まわしに言ったが、与兵衛の目には謙遜する慎ましい若者と映ったらしくますます気に入られてしまった。



 風鈴の音とししおどしの音が暑さを忘れさせる。透かし模様のはいった障子を大きく開くとりっぱな枯山水が広がっている。下之介にあてがわれたのはこの商家の奥の南に面する最上の部屋だった。床の間には値段の見当も付かない古壷と梅にウグイスの掛け軸がかかっている。
 江戸のタコ部屋は壁が薄く、隣から夫婦喧嘩の怒号や子供の泣き声、爺の咳に婆の屁が聞こえてきたものだ。夜中など屋根裏をネズミが走り回って、慣れるまでは眠れやしなかった。
 しかし、今となってはこの分不相応な部屋の方がよほど居心地が悪い。下之介は回遊魚のように落ち着きなく、十六畳の端から端まで言ったり来たりを繰り返したあげく、ついに耐え切れなくなって、桜が描かれた襖を開けて渡り廊下に飛び出した。
 丁稚たちが寝起きする部屋の前を通りかかった折り、さっきの苦い顔の番頭の声がした。えらい剣幕でまくしたてているので、悪いと思いつつも中を覗いてみる。
「お前、本当にかまどの火の始末をしたんかいな」
 番頭の顔はなまっちろいままで表情には表れないが、額には青筋が浮いている。怒られているおかっぱの少女は番頭の目も見れずに俯きながら小さく答える。
「はい」
「嘘付け。灰の上に手形が無かった。どうせ昨日の夕べ、かまどの始末を怠ったのだろう」
 江戸ほどではないが京でもことに商人の間では火の不始末にはうるさかった。最後にかまどの種火を消した奉公人は、証拠にかまどの灰の上に自分の手形を残すことが義務付けられていた。番頭はねちねちとそこを攻め立てた。
「使えない丁稚は出てけ」
 捨て台詞を残して無表情に戻った番頭はぴしゃりと襖を閉めて出て行った。赤い着物に涙が零れ落ちる。
 商人の世界は厳しい。十一歳ごろに親もとから引き離され奉公先に住み込みで働き始める。この少女は十二歳ぐらいにみえるから、まだ一年目ぐらいの新米なのだろう。十一歳から二十歳までのヒラの奉公人を丁稚と呼び、見習いなので給料はもらえない。八年から十年勤めた丁稚のうち二、三割が次のステップである手代に進むことが出来る。この丁稚から手代への最初の出世をとくに初登りと呼び、五十日の休暇と帰郷を許される。この時、旅費の他に小遣いまで貰え、立派な衣装を着て帰郷し、文字通り故郷に錦を飾るのである。二十代半ばで手代の中から特に優秀な者が管理職である名目役手代になる。恐ろしいことにここまですべて無給である。給料がでるのは四十をすぎたころで、結婚や自宅からの通勤も許される。奉公人のトップである番頭なれるのは全体の1%過ぎず、四十代半ばで抜擢されるから、四十前半のあの無表情な番頭はよほどの切れ者なのだろう。番頭はゆくゆくは店を譲られるか、のれんわけして新たに独立する。菊屋もかつては白木屋(居酒屋ではなく、老舗高級呉服屋。東急デパートの前身)からのれんわけしたそうだ。のれんわけは本店と同種の商いはタブーとなっているので、菊屋は庶民向け呉服屋にして競合を避けている。
 少女は声を押し殺してしゃくるように泣いている。下之介はこういう子供を見過ごせない。どうしても昔の自分に重ね合わせてしまう。汚い手ぬぐいで涙を拭ってやると、下之介を上役とでも思ったのか、奉公をやめて故郷に帰りたいと言い出した。
「うちはろくに台所の後始末もできまへん。番頭の助清様にいっつもしかられます。きっとうちは向いてないからお暇したほうが喜ばれます」
「あんないやみな番頭喜ばさずとも良い。あと一月で薮入りだろ、それまで頑張りなさいよ。薮入りには着物を新調してもらって、小遣いまでもらえるそうじゎないか。さらに一日休めるか、故郷に帰れるのだろう。その時に父母と辞めるかどうか話せばいいじゃないか。それにあの助清さんとやらも仕事の不手際よりも嘘をついたことに怒ったのだと思うよ」
 その時襖が大きく開け放たれて、助清と目が合った。
「あまり丁稚を甘やかさないでいただきたい。|元〆《もとじめ》はあんたを用心棒として使おうとしているらしいが、あんた本当に勤皇の志士か。どうにも臭い」
 下之介はつい着物の袖を嗅いでみてしまった。確かに臭い。さて、ここでもし本当のことをいえば危険な京の町中に放り出されるに違いない。かと言って舌の根も乾かぬうちに少女の前で嘘もつけない。
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