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直腸兄弟

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 小学校四年の頃だったと思う。私は、家の都合で遠い親戚の家に預けられた。叔父兄弟と、兄の方だったか、弟の方だったかは忘れたがその奥さんの三人だけの家だったが、とても広い和風の屋敷で多くの部屋を持て余していた。私は子供用の物が何もないその家が退屈で仕方がなかったので、外に飛び出した。季節も定かではないが、どんよりとした曇り空が私を地面に圧しつける様だった事は覚えている。
 私があの家から出てきたところを見たのか、同学年くらいの子供が二、三人揃って、何か罵声を浴びせながら私に石を投げつけてきた。余所者だか、変態の親類だかそういった趣旨のことを言っていたと思う。私は当時負けん気が強かったので、すぐさま殴りにかかった。二人には逃げられたが、一人を捕まえて後ろ頭を力一杯殴りつけるとその子供が泣き始めたので、首を絞めて泣き止ませ事情を聞き出した。
 あの子供が意味を分かって言葉を発していたかはわからない。ただ、親からの受け売りに過ぎなかったのかもしれない。だが今でも私の脳裏に焼き付いている。
「直腸兄弟の家の者には触れてはならない」
 私は、もちろんそれを全て言葉のまま理解した訳ではないが、何かおぞましい噂が私の宿泊先にはあると確信した。私はあの家にあと二日もいなければならないのだ。私はべそをかきながら蹲っている子供を措いて、ふらふらと家とは反対の方向に歩き始めた。
 たった数日寝泊まりするだけだ。何だったらあの広い家のどこかにずっと隠れていてもいい。私は只管に帰りたくなかった。しかし、変に問題を起こして目を付けられるのも避けたかった。もしあの大人たちが変態趣味でも子供の私には関係がない。そう自分に思いこませて、何とか足を家に向けた。
 私が家に帰ると、おばさんが愚痴を零しているところだった。
「イヤだわ、あの人ったら急に変な声を出すんですもの」
 直腸兄弟と呼ばれた叔父兄弟はまだ帰ってきていなかった。私は止せばいいのに、叔父たちの行方をおばさんに尋ねた。おばさんは受話器の話し口を手で押さえながら答えた。
「養豚場に行っているわ。あの人たちったら週末には捌いたばかりの肉を食べなくちゃ気が済まないんだから。あ、養豚場というのは、豚を飼っているところね」
 それを聞いて、噂が他愛も無いことに思えた。直腸というのがどこかは当時知らなかったが、腸というから内蔵のことだろうと予想していた。私の両親はホルモンが好きで、家畜の内蔵を食べることにはそれほど抵抗もなかった。ただ、父の話によれば、私たちの食べている物は癖が強いので嫌いな人もいるということだったので、あの子供たちはホルモンが嫌いで坊主憎けりゃ袈裟まで憎い方式で、私の叔父たちを非難していたのではないかと考えた。私はまた謂われの無い非難に腹が立つ思いがむらむらと湧き上がって来るのを感じた。
 おばさんは電話を切ると、私に妖艶な笑顔を向けながら、食事の時間が近いことを告げた。その言葉で立てていた腹が空いている事に気付いた。子供の特性か次の瞬間にはその理由どころか、腹を立てていた事自体を忘れていた。
 次の日、また午前中から外に出ようとしていた私は、玄関で八の字に垂れ下がった眉を真ん中に寄せあげている中年女性に話しかけられた。
「坊や、ここの人かい。ここに、私の息子はいないかね。二十歳で、背の高い、坊主頭の男なんだが」
 彼女は私に掴みかかって捲くし立てる。私は当然知らないし、そう主張するが、異様な力で肩を押さえられてどうにも動けずに困っていた。そこへ、都合よくおばさんが出てきた。おばさんは幸薄げな女に食いかかられている私に驚いて、引き剥がしてくれた。
「ちょっと、作山さん、何度来られても同じですよ。気の毒とは思いますけれど、居ない者は居ないんです。それにこんな年端も行かない子供に掴み掛って、怯えてしまっているじゃないですか。少しは自分の行動を省みてください」
 怯えてなんかいない、と反発しようとしたことは覚えているが、実際に反発したかは覚えていない。面長の、痛んだ長い髪を後ろで纏めていた老け顔の女は、納得がいかないようではあったが、何度もこちらを振り返りながら、すごすごと帰っていった。
 私はその後も、めげずに外へ出て何か宝物でもないかとあちこちを散策して回った。
 その日、まだそこでの滞在の予定はあったはずだが、おじさんの家へは帰らなかった。警察官がきて、私を両親の元へと連れていった。
 両親はもう随分前に事故で亡くなってしまったから、当時のことを聞こうにも聞けないのだが、小学校を卒業した日にその時のことを話題に出したところ、私を親戚に預けたことなどない、何か夢でも見たのだろうと、強く否定されたことを記憶している。

◇  ◇

 本文中に断った以上に、記憶が曖昧なところが多い。文章に起こすに当たり、読みやすさを考慮して付け足した内容、人名も含まれていることを断っておく。はたして、あの約二十センチメートルの肉塊を愛好する兄弟が実在するのか、私には知る術がない。


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