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 橋の上

 何かが起こって欲しい。明日からの人生が変わるような何かが。
今の暮らしに不満があるわけではない。就職も決まった、将来への希望が無いわけでもない。
ただふと何かが起こって欲しいと思ってしまう。人生が変わるような、世界が変わるような何かが。
 そんな事を考えながら歩いていた夜中の1時。終電を逃して普段利用している駅から2駅手前で降りることとなってしまった。
1時と言う時間も正確ではない。携帯の電池は切れてしまったし、こういう日に限って腕時計をしていないんだ。
いや、飲み会に時間なんて…と思ってわざとしてこなかったのだったかな。
 家に帰るには川をこえないといけない。A川と言う大きな川だ。
とりあえず線路沿いに歩けばいい。1時間も歩けば家、遅くても一番家から近いN駅には着くだろう。
まずはA川を目指そう。10分も歩けば川の前に出るはず――
そう思っていたのにまだ川が見えない。もう10分以上は歩いただろう。
知らない街ではない。かと言って知った街でもない。
そんな場所を1人夜中に歩くのは寂しい。時間が長く感じる。
人通りもほとんど無い。
車の通りは多いが、車から人気は感じられない。
車の中と外は別世界なのだ。
孤独。
 孤独孤独孤独。
 車道から目を外すと、ショーウィンドウに映った俺がいる。
ようJ-boy、お前は俺が見れるか?今の俺が。今の俺はお前の望んだ姿か?なあJ-boy…。
 1人で浜田省吾っぽく語りかけながら歩いていたら、ようやくA川の土手が見えた。
橋の端から土手沿いにいくつか青いビニールで出来た家が見える。
いつもどおりだ。夜になっても変わらない。
橋も車どおりが多い。
もう夜の1時半は過ぎただろうに、自家用車みたいなのがビュンビュンと通って行く。
車の音に混じって川の音が聞こえる。
A川は今朝までの雨で増水していた。
橋の脚に当たった川の水が渦を巻いている。
 あんな渦に飛び込んだらどうなるだろう。
…飛び込んでみるか?
…飛び込んだら何か変わるか?
…変わるな。本当に、どんな形で変わるかはわからないけれど。
 橋の真ん中に立っていた。
少し遠くに電車の走る鉄橋が見える。
貨物列車のライトが鉄橋の上を照らすのを眺めながら、俺は立ちほうけていた。




何かあるわけでもないのに常につきまとう鬱屈感。
そんな中で俺は週に2、3回、橋の上を電車に揺られながら通過し、大学で卒論と残った単位を消化していた。

休日や放課後はバイトに行き、何もない日は友人と遊ぶ。変化があるようでいて、いつの間にかルーティン化した日々だった。

「何か楽しいことないかな…胸躍るような…」
また、いつものように金のない友人Tと、ファミレスでドリンクバーだけで粘っていた。
「良くないよな。小中学校のときはナンデモデキル感がずっとあったのに。あの頃は漠然と夢だけはあってさ」
ミルクを多めに入れたアメリカンコーヒーをすすりながらTがつまらなそうに話す。
こんな時間を過ごしながら年を取っていくのだろうか。
わかっている。学生が終われば仕事に忙しくなり、こんな時間も取れなくなっていく。
そうして俺は、あの頃にもっと色々なことをしておくんだった…、なんて振り返るつまらない大人になるのだ。
そうだ、それがわかっているから残りの学生時代を消化するだけの日々が憂鬱で堪らないのだ。

そんな毎日が過ぎ、梅雨に入りかけた頃。
親戚の武彦おじさんが死んだという知らせが入った。
2, 1

  

 紫陽花の咲く庭を眺めながら、武彦おじさんの遺品を整理していた。
生涯独り者を貫き通した叔父。身内の中では変わり者扱いをされていたが、僕は叔父のことが好きでよく一人でこの家に遊びに来ていた。
叔父はきっちりとした性格だったのだろう。衣類や仕事で使っていた道具などはまとめて押し入れの中にしまわれていた。まるで自分の死のタイミングを予想していたかのように部屋は片付けられており、私が手をつけるところといえば、叔父が使っていた古い木の机くらいだった。
ほとんどの引き出しの中には鉛筆や定規など、簡単な筆記用具がいくつか転がっているだけ。これはこのまま処分してしまってもいいだろう。問題は一番下の大きな引き出しだった。
鍵が掛かっているわけではないが、何かが詰まっていて開かなくなっている。無理に開けようとすれば中身が壊れてしまうかもしれない。どうせ捨ててしまうものだから、そのままにしておいてもいい。そう思ったが、何が入っているのか妙に気になってしまい、無理やり開けることにした。
 力を込めて取っ手を引っ張る。ビリっと紙の破けるような感触があった。挟まっていた本でも破けたのだろう。急に軽くなった引き出しは勢いよく開き、そのまま畳の上へと落ちた。畳の目を少し傷つけたその箱の中には古い手帳が入っていた。さっきの破れた感触もこれだったのだろう。手帳の終わりの方らしいページが数枚散らばっている。


「そろそろ休憩にしたら? お茶いれたよ」
 秋美おばさんが呼んでいる。とりあえず、手帳の破れたページを集めて、居間へと行くことにした。
 居間のテーブルにはおばさんが淹れたらしいお茶と、タッパーに入った野沢菜の漬物が用意されていた。
「あまり片付けるものも無かったでしょ」
「うん。おじさんがほとんど先に片付けていたみたいだね。机の中とか、細かいものを分別したくらいかな」
「そう。やっぱり、そろそろだなって武彦さんもわかってたのかしらね。その手帳も武彦さんの?」
何となく机の中から出てきた手帳を持ってきてしまっていた。
「おじさんの机あったでしょ。古い真っ黒なやつ。あの引き出しの中に挟まってた」
「へぇ。ちょっと見せて」
秋美さんはパラパラと手帳のページをめくると、不思議そうな顔をした。
「日記かしら…」
「叔父さんの字にしては丁寧だね」
毎年、達筆すぎて読めないような年賀状を送ってきていた叔父のものとは思えなかった。
「これも処分しちゃう?」
「叔父さんが最後に書いた日記かもしれないよ。とりあえず、僕持って帰るよ」
人の日記を読むなんて啓もあんまりいい趣味してないわね、とニヤニヤするおばさんをよそに、俺は叔父の日記を持ち帰ることにした。
叔父の日記
――――3月9日 曇り
最近不思議な夢ばかり見る。
いや、夢ではないのか。夜中にふと目が覚めてトイレに行こうとすると誰かが呼んでいる気がする。
一体誰なんだろう。


――――3月20日 晴れ
俺を呼んでいたのは彼女だったのか。


――――4月3日 晴れ
昨夜もあの人に呼ばれる。
橋に着いたとたん、彼女の声が止んでしまった。
ここに連れて来たかったのか?


――――4月5日 雨
不思議なものだ。あちらで雨が降ると翌日にはこちらも雨が降る。
川の水が随分と増えていた。
橋の上から眺めているとまるで吸い込まれるようだ。
どうやら彼女はこの橋まで俺を呼ぶと満足してしまうようだ。


――――4月10日 雨
雨が続いている。
ついに川の水が足元まで来るようになった。
明日はどうなるのだろうか。



叔父の日記はこの日を最後に終わったようだ。
4, 3

  

 叔父の身に何が起こったのか。
日記を読んだ俺はそればかり考えるようになった。

「これ、どう思う?」
いつもと変わらないTとのファミレスでの雑談会。そこに俺は叔父の手帳を持ち出していた。
「どうって…随分と使い込んだ手帳だな。就活にでも使ってたの」
「違うよ、俺の叔父さんのだ」
手帳の革の使い込み具合を撫でるように確かめていたTが、不意に手を止める。

「もしかして、この前亡くなったって言ってた」
「そうだよ」
「形見か。そんなもの気軽にさわらせるんじゃないよ」
「別にいいだろう。殺されたりしたような人のものじゃないんだ。さわったって呪われやしないよ」

「で、その手帳がどうしたのよ。中に血痕でも付いてた?」
「それこそ他人にさわらせたりしないよ。中に書いてある日記が変わっているんだ。読んでみてよ」
「お前…他人の、しかも亡くなった人の日記読めっていうのか。あんまりいい趣味じゃないな」
そう言いながらもTはパラパラとページをめくり始めた。

「確かに、手帳というよりは日記なんだな。予定よりも一言その日の感想みたいなのが多い」
「今年の3月くらいの部分開いてみてよ」

「夢日記、でもないのか。夢遊病ってわけでもなかったんだよな」
「たぶん。この頃叔父さんと会う機会なんて無かったからな。通夜で随分と久しぶりに顔を合わせたんだ」

 そうだ。叔父は近くに住んでいた割にここ最近めっきり会うことがなくなっていた。
別に仲が悪かったわけでは無い。高校の頃からバイトを始めた俺は学業にも遊びにも忙しく、ここ数年は叔父が家に来ていても単純にタイミングが合わなかった。
中学生ぐらいの頃には叔父の家にあるCDを借りに行くくらいの仲だったのに。
 よもや再会したのが叔父の葬式だなんて。
 自分の言った言葉に後悔のような何とも言えない感傷に浸っていると、日記に目を通し終えたTが口を開いた。

「叔父さんは別に川の底から見つかったりしたわけじゃないんだよな」
「あぁ、亡くなってたのは家でだよ。部屋で寝てるような形でね、心筋梗塞じゃないかって聞いてる」
「なんだろうね。叔父さんを呼んでたのは誰だったんだろうな」
「やっぱり気になるよな。これを読んでから、何があったのか気になってる」

「で、どうするの」
「うん…」
「叔父さんに何が起こったか知りたいんだろ。調べてみればいいじゃん」
5

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