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魔王が来た

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 魔王がコンビニに来る。
 ……何だろう。シュールレアリスムと称すべきなのか、それともただの素っ頓狂と切り捨てるか。魔界9丁目店オーナーという立場を踏まえると、魔王様が弊店にご光臨なされる、とするのが正しいのかもしれないが、どうにもそんな気分にはなれない。
 オープンして1週間。店の評判も上々で、客入りもようやく落ち着いてきた。トラブルに関して例をあげれば大小キリないが、それはまた折を見て語る事にしよう。とはいえ特に印象に残った物を簡単に述べると、間違えてお客様であるミミックを陳列してしまった事や、間違えて塩にんにく味のからあげをドラキュラに売ってしまった事くらいか。
 人間界の商品は魔物たちにも存外ウケているらしく、1日の売り上げは100万を超え、出だしはおおむね順調と言える。オープンしたてという事もあるので、この数字はおそらく1ヶ月ほどで半分くらいに落ち着くだろうとは思うが、それでも日販50万円のラインは決して割らないと古浪さんも予測していた。これは一般的なコンビニ経営におけるボーダーラインというやつで、これ以上ならまず間違いなく赤字は出ない。
 まずは一安心、といった所か。
「春日さん。気を抜いていませんか?」
 時間帯別の売り上げをぼんやりと眺めていると、古浪さんからそう尋ねられた。
「いや、そんな事はないですけれど……」
「もう少し緊張感を持ってもらわないと困りますよ。何せ、言ってみればこの国の王様が今日来店されるんですから」
 すると、ますます俺から真面目さが失われる。
 そもそも魔王と言われても。魔界に来てから何度か、近くに魔王城がある事には触れてきたし、来店される魔物にも最早すっかり慣れてはいるのだが、やはり魔王という言葉を聞くと、非現実さが浮き彫りになった気がして、いまいち本気になれない。
 俺も含め、大抵の人が「魔王」と聞いてまず思い出すのは王道RPGのラスボスとしての地位ではないだろうか。ゲーム内での魔王は悪逆非道で、人間を支配しようと侵攻してくるというのが定番というやつだが、往々にしてその目標は達成される事がない。身も蓋もない言い方をすれば、「分かりやすい敵」として必要なだけで、ある種やられる為だけに出てくるという悲しい定めを背負っている存在とも言える。
 だから心の奥底で舐めているのか、いまいちどうにも現実味が湧かないのだ。
 しかしそんな認識は、古浪さんがローソンの制服の袖に腕を通しているのを見て一気に改めざるを得なくなった。初日に本部からの社員が来ても、実の親である社長が来ても、スーツで通した古浪さんがついに初めて青と白のストライプを身に纏ったのだ。内心ビビる俺に、古浪さんは相変わらずのクールな口調で告げる。
「もしも何かあったら、大変な事になりますよ。潰されてしまうかもしれません。物理的に」


 昼のピークが過ぎた頃、いよいよ魔王様が弊店にご光臨なされた。果たして店内に入れるサイズなのだろうかという俺の心配は杞憂だったようで、大きいといえば大きいのだが、俺よりむしろ慎重は少し小さいくらいで、大きいの意味は人間基準で言う所のいわゆる「肥満体型」というやつだった。
 控えめに見積もってもBMI35はあるはず。そして肌はやけに白く、触らなくても分かる程にもちもちとしている。そして何より鼻の下に蓄えたカイゼルひげは、魔王というより魔王にぶっ殺されるどうしようもない成金という雰囲気をこれでもかと醸し出していた。
「おお、ここがローソンですか。すばらしい品揃えですなぁ」
 最初、魔王の付き人か何かだと思っていた俺も、周囲の魔物が平伏しているのと、高級感溢れる紫色のマントを見てようやく気づいた。「ご来店、心よりお待ちしておりました」と礼をすると、「まあまあまあまあまあ」と日本人的なあなあ感で親しげに肩をぽんぽんと叩かれた。
 古浪さんは既に会った事があるらしく、大して驚いた様子もない。事前に聞いていた、「山1つなら小指で吹き飛ばせる」だとか、「一声で死者を100人蘇らせる」といった眉唾ものの伝説は、実物を目にする事で更に湿り気を帯びてきた。
「あなたが店長さんですかな?」
 問いかけに、危なくまた気を抜きかけていた俺も恭しさを思い出しつつ答える。
「はい、私がローソン魔界9丁目店オーナー兼店長の春日です。何か質問があれば、何なりとお申し付けください」
「それは助かりますな。あまり人間界の事には詳しくないので、お恥ずかしながら分からない事だらけなのですよ」
 なんだこの良いおっさん。呑みに誘ったら手を叩いて嬉しそうについてきそうな人懐っこささえある。
「それと、今日は娘も連れてきたので、ご迷惑をおかけしたら申し訳ありません。ほら、セッちゃん。挨拶しなさい」
 言い終わると同時、魔王様の背後からぴょこんと出てきたのは小学生くらいの女の子だった。目に濃いクマがある所と頭に角が生えている所以外は、ほとんどそのままその辺を歩いている低学年の小学生であり、俺はどう反応していいものやら困っていると、横から古浪さんが助け舟を出してくれた。
「かわいいですね。いくつかな?」
「8217歳!」と、元気良く答える娘さん。
 むしろ8の後に小数点を入れるくらいでちょうどいいと思わしきその魔王の娘は、すっと古浪さんを指差すと、たった一言こう告げる。
「おばさん」
 ピキッと空気が凍ったのを感じ、俺は魔王に感じなかった威圧感を古浪さんから感じとる。


「えーこちらの方がお弁当ですね。サービスとして、レンジで温められます」
「ほう、この幕の内はなかなか安くて豪華ですなぁ」
「カウンターではフライドフーズを売っています」
「おすすめは何ですかな?」
「からあげクンですね。ローソンの目玉商品です」
「それでは、帰りにそれをいただきましょう。おや? この箱は何ですか?」
「あ……それはですね……あの、いわゆるコンドームという物で……」
「おお、これがコンドームですか。人間の増加を食い止めくれていると、魔界ではもっぱらの評判ですぞ」
 といった具合に、俺もあやうくため口をききそうになるのを堪えながら、店内を案内していく。魔王様はずっと大らかな雰囲気で、俺も思わず和んでしまった。本当は恐ろしい人物なのかもしれないが、異常なほどに接しやすい。昔不良だった先輩みたいな物か。
 そんな俺の庶民レベルの安心の隣では、一触即発の状態が続く。
「おばさん! おばさんおばさんおばさん!」
「こらこらセッちゃん。お姉さんだろう?」
 と、魔王様が注意をしてもまるで意に介さず、
「おばさんおばさん! ババァ! クソババァ!」
 張り付いたような満面の笑顔の古浪さんに、俺はこっそりと耳打ちするように、「まあまあ、子供の言う事ですから」と嗜めるも、「気にしていません」の返事には並々ならぬ怒気が篭っていた。
「ねえおばさん、あの店員さん何してるのぉー?」
「来た商品を並べてるんですよ。あとそのおばさんというのやめましょうか」
「なんでぇー? おばさんはおばさんじゃん!」
「あなたの方が8194歳も年上よ? うふふふふ」
「関係ないじゃん! おばさんのほうが見た目おばさんじゃん!」
 やべえ……殺されっぞ……と思う俺。空気のまずさを感じてか、「まあまあセッちゃん。そのくらいにして……」と魔王は宥め、俺も「古浪さん全然おばさんじゃないよ。若いよ」とむしろ聞こえるように言うも、焼け石に水だった。
 そして古浪さんが、あのいつもクールで、何の落ち度も見せた事のない古浪さんが、この重要な場面で、気の抜けていた俺よりも先にしでかしてしまう。やっちまったのだ。
「私がクソババァだとしたら、お壌ちゃんはクソガキね? ふふふ」
 恐怖映画さながらのフィアースマイルに、俺の寿命が5年ほど縮む。しかしもっと厄介だったのは、このクソガキ、ではなく魔王様のご令嬢の精神年齢は、実年齢よりも見た目の方に近かった事だ。
「あ? ……何だとぉ? お前生意気だぞクソババァ」
 一気に鋭さを増した目は、既に子供の物ではなかった。
 娘さんが目の前に出した両手を、何か丸いものを包むように広げると、そこに黒と紫と青を混ぜたような、何か禍々しい物が渦巻きだした。おそらく技名はダーク○○みたいな感じだろう。いやいや、そんなのん気な事を言っている場合ではない。社長の娘vs魔王の娘。少なくとも戦闘能力においてはその差は歴然。それを見て、魔物クルーも戦慄し、他のお客様は既に逃げ出している。今までの女の戦いに感じた危機感とは明らかに別の、命の危機感を明確に覚える。
 これはやばい。
「セッちゃん! それはまずいよ! お店吹き飛ぶよ!」
「うるせえ! 舐めたババァはぶっ殺してやる!」
 怖っ! 何この子怖い! 
 キィィィン……と高音を奏でながら、高速回転しだした丸い玉を前に、茫然自失の俺と古浪さん。そして悪の微笑みと共に、ダークスフィアが両手から解き放たれた。
 死。
 その気配を肌1枚隔てて感じ取った途端、ありえない事が起きた。魔王がコンビニに来た事よりも、その娘が社長の娘に喧嘩を売った事よりも、それを買って社長の娘がブチキレた事よりも、遥かにありえない事がここで起きたのだ。


 結果的に、俺の命は無事だった。もちろん古浪さんも、傷ひとつない。一体何が起きたのか。
 俺の見た物が真実だとするならば、古浪さんが右手で「弾いた」のだ。バシィン! と、凄まじくスナップの効いたあの時のビンタのように、事もなげに弾き出したのだ。
 弾かれたダークスフィアは1枚の窓ガラスを割り、外へ飛んでいき、遠くの方で爆発していた。まさしく漫画の世界の出来事だ。
「どぅえ!? 古浪ちゃん、ちょ、うぇえ!?」
 混乱して何が何やら訳が分からなくなっている俺だったが、古浪さんは古浪さんで自身の右手を見つめて、ぼんやりとしている。
「ふぅ、間に合ってよかった」
 と、店の入り口から現れたのは支倉SV。相変わらず事態の飲み込めない俺に、この魔人は笑顔で近づいてくる。
「おお、ハセックじゃないか! 元気してた!?」と、魔王様。
「どうも、おじさん。おかげさまで」
 おじさん? ぽかんとする俺に、支倉SVはまたいつものように衝撃的な事をあっさり言う。
「ああ、僕も魔王族の血が入ってるんですよ。ちょっとだけですけどね」
 ローソンのSVすげえな! その人材発掘能力に愕然とする。
「緊急のようでしたので、みつきちゃんの身体を僕が操らせていただきました。ごめんね、ミッちゃん」
 腰が抜けたようにへたれこむ古浪さん。おそらく彼女自身が1番驚愕していたのだろう。俺もちょっと気を抜けば腰が砕けそうだ。しかしどさくさに紛れて社長の娘をミッちゃんと呼んだ事に関してはきちんと後ほど本部に報告させていただく。
「ハセック! 会いたかったぁー!」と、魔王の娘が支倉SVに飛びついて抱きついた。
 魔王様と血縁関係があるという事は、当然その娘ともある訳で、これは自然な光景な訳だが、その切り替えの早さは実に子供らしい。
「セッちゃん。お店の中でのダークネスボールはやめようね? みんな困っちゃうから」
 おお、技名わりと近かった。
「うん! 分かったぁー」
 実に素直な良い子だ。1分前の光景さえ忘れれば。
「いやはや、娘が失礼しました。ほら、セッちゃんも謝って」
「ごめんね、おばさん」
 答えない、というより声が出せない様子の古浪さん。
「それでは、我々はこの辺で。また何かあったら寄らせてもらいますよ」
 そして恰幅の良い魔王様は、からあげクンレギュラーを1つ買う。
「は、はい。ありがとうございました。またの来店をお待ちしております」
 お辞儀をしつつ、内心もう勘弁願いたい気持ちで一杯の俺であった。
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