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イントロ ~沢松頼の場合~

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 テレパシーというのは果たしてこの世に存在するのだろうか。

 そんな問いを投げかけられたのならば、僕は、ノータイムでノーと答えるだろう。僕は超能力云々の類を全て信用していない。現代科学の力を以てして解明できない、というところで信用ができないのだ。

 日本人の信仰宗教は、第2次世界大戦の終焉と共に、科学に移ったと言う人がいる。半分は反対で半分は賛成だ。

 死後の世界や教唆の存在しない科学を宗教というのなら宗教の定義が曖昧になってしまう。やはり、科学は宗教の範疇に含まれないと考えるのが妥当だと思う。

 しかし、一方で僕自身を含む日本人の多くは、科学でイエスと出たものはイエスだと信じ、ノーと出たものはノーであると信じている。科学者からすれば、不変の事実であるから、科学が絶対であることに疑いはないのであろうが、宗教家からは、宗教が絶対であることと変わりないと言われてしまうだろう。

 普遍性という面において、科学に圧倒的に軍配が上がると思われるが、自分が理解することのできない事象に対して、ただ盲信するという点において、宗教と科学はそう遠くないかもしれない。

 話が逸れてしまったが、とりあえず僕は科学というものを信じている。

 だから、自称超能力者が大量にいるのにも関わらず、未だ能力もその根拠も科学的に提示されていない超能力というものを信じることはできないのである。
 そう、信じることはできないのである。
 しかし、今、目の前で、テレパシーで会話しているとしか考えられない二人組がいるのである。

 まず、男の方だが、茶色の短髪、細身だが筋肉質に見える。長身で顔も整っている。自分は嫉妬心をあまり感じない方だと思うが、それでも多少妬けてしまうくらいの容貌だ。
 次に女性だ。黒髪のロングで前髪は綺麗に揃えられている。隣の男性と対照的に低身長で、透き通るような白い肌をしている。

 少し年は離れているかもしれないが、お似合いな二人だ。

 男性は大きな身振り手振りとともに、ハハハっと豪快に笑う。それに合わせて女性も、耐えきれないといった感じでふふふっと笑うのだ。
 
 本当にお似合いな二人だ。

 しかし、言葉がないのだ。

 これほど幸せそうにしているのに。
 
 僕は、現代日本の、というか人間のコミュニケーションにおいて、会話というものは絶対的中心に位置すると考えている。アイコンタクトでお互いを理解しあったり、あれと言うだけで醤油を取ってくれたり、会話のないコミュニケーションというものは、稀であるからこそ美しいのだ。

 それなのに、僕の眼前では、ノンバーバルコミュニケーションが至極当然のごとく行われている。そして、二人がお互いに何度も笑っていることから見て、談笑と呼ぶことができるほど高度なコミュニケーションがなされている。

 興味が湧く。

 今日は出かけてみて良かった。


 やることもないし精一杯追跡してやろう。
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