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第一章 WEB探偵しゃかりき

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.1章 WEB探偵しゃかりき
 夜明け

自分がいつもどおり我が家の布団の上で目を覚ますことができて、これほど嬉しかったことはない。時刻は午前10時を過ぎている。金曜日の1限目はとっくに終わっている。2限目ならまだ間に合う時間だがどうやらそんな気にもなれない。今自分はまだ生きている、その実感と余韻に浸ることに精一杯でほかの事を考えたくない。
悪夢のような夜が明けて初めて、俺はこの世に生を与えられたことに感謝した。昨日は何時に家に戻ったかも良く覚えていない。とにかく一心不乱に逃げ帰った俺は玄関の扉の鍵を真っ先に内側から閉め、チェーンまで装着したのだった。ベランダへの出口も雨戸で完全に封鎖し、外から内部が全く見えない状態にした上でようやく安心して眠りについた。何はともあれ、自分はあの恐怖から生還したのだ。
とりあえずメールでもチェックしておこう。蹌踉とした足取りで起き上がり、思い切り背伸びをした。もともとひどく猫背であり骨ばった体つきをした自分は、背伸びをしたときだけ本来の上背を取り戻すことができる。傍から見ると栄養が不足した野良猫みたいに見えるかもしれない。一応成人男性の平均身長はあるはずなのだが、どうも小さく見られることが多いのはこの姿勢とボディのフォルムによるところが大きいと自覚している。
「あれ?携帯どこやったっけ?」
 携帯が見つからない。そういえば昨晩この部屋に戻ってきたときに持ち帰ってきたかどうかも疑わしい。最悪どこかに落としてしまったのかもしれない。しばらく探して見つからなければ解約する必要があるな。そう判断するまでは迅速だったが、その後疲れからか逡巡してしまい、腰がくだけた形でベッドにしりもちをついた俺は、そのままの体勢で天井を見上げた。
「つかれたなぁ・・・」
 おもむろにPCをつけようとベッドのすぐ横にある本体のスイッチに手を伸ばしたが、指の先端がそれに届く前に体ごと固まってしまった。もう今までのように気軽にネットサーフィンできる日は来ないかもしれない。
気分が削がれたため再び立ち上がり、今度は玄関のほうに歩き出す。郵便が来ているかもしれない。そう思って部屋の郵便受けを開けたその瞬間、俺は恐怖のあまり声を出すことすら忘れた。
郵便受けに入っていたのは、浜辺に打ち上げられた海草のような重く湿った女性の長い髪だった。
 とある部室の幕間劇

 翌朝俺はとある大学の部室に来ていた。昨日、一昨日と立て続けに精神的なショックを受けた俺は、昨晩、大学の先輩に相談をもちかけていたのだ。昨晩のやりとりはこうだ。
「お前それは全然笑えないな・・・。誰かに相談したのか?」
「いえ、誰にもこのことは言ってません。あまりに怖くて家からも出られないもんで。」
「お前の言ってることが本当だとしたらお前いったいその子にどんなことやらかしたんだ?」「・・・それは・・・」
「まあいいや、わかった。明日お前ん家行くわ!午前中授業あったか?」
「いえ、俺は3限からなんで。」
「俺はもう教養科目はとり終わってるから明日は完全フリーだ。お前をある場所へ連れて行ってやるよ。」
「ある場所?」
「まあ口では説明しにくいからとりあえず俺について来い。いいな?」
「わかりました。」
 結果、先輩に自分の部屋まで迎えに来てもらった俺は、とくにその場で話すこともなくそのまま連れられて先輩の友人が在学しているという大学の部室に来ていた。正直こんなレベルの高い大学に形だけでも入ることになるとは思っていなかった。俺が通っている大学は地元のそこそこの学力を持っている学生が集まる私大で、先輩は2学年上の3年生。俺は1年生だ。今おれがその敷地を踏みしめている大学は、全国的にも有名な国立大学であり、ドラマの撮影現場にも幾度となく使われているはずだ。そんな大学にまで足を運んで案内されたのは、広大なキャンパス内でも北東の端っこにある小さな古びた部室だった。
入り口のすぐ横の壁にかかっていた札には「ウェブ探偵事務所」と書いてあった。これはなんなのかと質問をしようと足を止めたのだが、先輩が先に部屋の中に入ってしまったのであわてて俺も後を追い部屋に入った。
外観に似合わず内部は非常に洗練された空間だった。物があるわりにこざっぱりとした印象を受けるのはおそらく棚や机の配置の問題なのだろう。あらゆる場所に普段から掃除が行き届いているのか清潔感が漂っている。
部屋の広さは10畳ほどだが、それ以上に広く感じる。入り口から入るとちょうど正面に書斎机が構えており、ブラックのコーヒーに、わずかなフレッシュを混ぜたようなダークブラウンの色は重厚感と威圧感を携えている。机の上には小型のノートPCがおかれており、その横でアロマデューサーが青い光とともに何か不思議なにおいを放っている。華に詳しくない俺には何のにおいなのかわからない。
机の両脇には電気スタンドがそれを挟んで左右対称に構えており、まるで机に仕える執事のように、机の中央に向かってその頭を垂れている。机の前にはガラスのテーブルが置かれており、その左右にこれまた対称で黒い客用ソファが向かい合っている。
机とともにある黒のベルベット生地のチェアの後ろには本来大きな窓があるのだろうが、今は黒いカーテンで姿を遮られている。
3, 2

  

カーテンの端から左右の壁にかけて書棚が並んでおり、種々の大きさの本が並んでいる。向かって左側に2つ。左右対称に並べられれば右側も2つ並ぶはずだが実際は1つしか置かれていない。右奥に扉があるためだ。扉がなければ中央の机に対して完全な対称となっていたかもしれない。
部屋にはだれもおらず静まり返っている。奥の扉の向こう側に人がいる気配もない。一通り部屋を見渡した後で、右側の壁にかかっている絵画を眺めていた先輩に声をかけた。
「誰もいないですね。」
「そうだな。でもそろそろ1限が終わるころだから来るはずだ。そういう約束だからな。」
 先輩は視線をとなりの絵画に移しながらそう答えた。
それにしても、と思う。この部屋の主の趣味なのか他の部員の趣味なのかはわからないが、全体的に内装はシックにまとめられている。向かって右の壁は油絵で描かれた風景画で彩られ、左の壁にはモノクロの写真が2色の濃淡でグラデーションを形成している。
そんな中に一人佇む先輩の姿がやけに渋く、先輩も含めてこの部屋全体が時間とともに切り取られた1つの絵画なのではないかと錯覚してしまう。
先輩は彫が深く地中海付近で見るような白人に近い顔のつくりをしている。面長で鼻が高く、口は大きい。深い堀の奥にある目は優しそうな垂れ目で、男から見ても良い顔をしていると思う。体格もがっしりとしており、身長はジャスト6フィートだと言っていた。 絵画の前でじっとしていると有名な造形師によって作られた石像のようだ。地味なパーツにより薄く構成された顔、猫背でボリュームのない体つきの俺とは正反対である。
「お知り合いなんですよね?」
「そうだよ。おれもお前みたいにちょっと人には相談しにくいような悩みを抱えたときにここにきて解決してもらったんだ。」
「先輩が?悩み?」
 意外だった。先輩とは大学のサークルが一緒なのだが、そこでの先輩はまさしくリーダーであり、統率者である。人望が厚く誰に対しても快活で、やんちゃな兄貴分といった感じである。人に打ち明けられないような悩みがあるということにまず驚いてしまった。
「おいおい、おれだって人間なんだから悩みの1つや2つはあるっしょ。ま、俺の中学のときの後輩なんだよ。そのときから周りとは違う雰囲気だったけど、今は・・・外の札見たよな?」
「はい・・・見間違え出なければウェブ探偵事務所と書いてありました。」
「OK。全く見間違ってないよ。要はお前の悩みを解決してくれる探偵をやってるんだ。」」
「は、はぁ・・・。」
 全くピンとこない。探偵?探偵といえば多くの人は漫画や小説にあるような殺人事件解決を生業とする人間を想像するが現実世界の探偵は聞き込み、尾行、張り込みなど脳以外の部分をふんだんに使った肉体的調査が主だと聞いている。この部屋の雰囲気からして連想されるのは前者のほうだが・・・。
「結構頼りになるぞ。俺が保証する。」
 先輩がそう言うなら・・・などと考えていると後ろの扉が開いた。人が入ってきたようだ。 振り返って確認すると見目麗しいという表現が似合う美しい少女の姿に目を奪われてしまった。
 女性にしては長身なのだろう、目線が自分とそう変わらないため、真正面からお互いの顔を見つめあう形になってしまった。大きく開かれた左右の目は非常に澄んでいて大きな黒目は研ぎ澄まされたブラックサファイアのようだ。小さくとがった上品な鼻の下には、薄くボリュームには乏しいものの綺麗な形で桃色をした唇がゆるやかな弧を描いている。あごは比較的シャープで現代的な美人の典型例といった感じだが、顔の輪郭自体は丸みを帯びていて割合的に目が大きいことから小動物的な可愛さも備えている。
そんな風に見惚れていると、横にいた先輩に突っ込まれた。
「何じろじろ見てんのお前(笑)」
「え?いや、っそそそんなことは。」
 思わず焦って声が上擦ってしまった。先輩は右の口角を吊り上げ不適な笑みを浮かべてこちらを見ている。先輩のこんな顔を見るのも珍しいかもしれない。普段から表情の変化に富んでいる人ではあるのだが。
「あはは。いらっしゃい。すぐにお茶の準備をしますのでそちらのソファにかけておいてくださいな。」
 煌びやかな笑顔を見せながらその美人は俺の脇を通り抜け、奥の扉に消えていった。俺がその場で立ち尽くしていると、
「お前面食いか?」
と先輩にからから笑われた。
「いや、あの・・・はい・・・。」
 あんな美人に極上の笑顔を見せられて平常心を保てるやつなんて・・・結構いるかもしれないが、俺みたいに免疫のついてないやつにはきついんですよ先輩。
 ドアから向かって左側に俺と先輩が二人で腰掛けてお互いに数分間無言でいると、奥の扉が開き再び美人が戻ってきた。その両手で抱えていた、小さなマグカップを2つ乗せた木製のトレイを、天井に向けた左手のひらに載せ直し、空いた右手で扉を閉めた。ウェイトレスさながらの無駄のない動作だった。いや、この部屋の雰囲気からすると敏腕秘書か。
そんなことを考えていると、その心を読んでのことか先輩が、
「彼女は助手なんだ。もちろん探偵の。」
と彼女について紹介した。マグカップを先輩と俺の前に順に置いた後、トレイを脇に抱えてこちらに居直り、美人は自ら自己紹介をした。
「はじめまして。五百蔵(いおろい)きよと申します。」
「俺は阪田博一です。S大学の1年です。」
「俺の後輩なんだ。俺の名前は布施秋吉って知ってるか(笑)」
と先輩が付け加えた。
「あたし物覚えが悪いんで下の名前はうっかり忘れてしまってました。もう一度紹介していただけてよかったです。普通にあきらさんっておよびしそうになりました。あ、ちなみに私も大学1年ですよ。他に何か質問があれば何でも聞いてください!?」
先輩と俺を交互に見る形で探偵助手が冗談を言いつつ自己プロフィールを加えた。む?今何でも聞いてくださいって言ったよね?よし、もう少し違う情報をくれ。サイズとか。いろんな部位のサイズとか!危うくのどから言葉となって出てしまうすんでのところで先輩が言った。
「つーか前もはじめにちゃんと紹介してたのにずっとあきらさんって呼んでたよね?性格悪いわ~この子!ちなみにこっちの俺の後輩が君のスリーサイズについて知りたいらしいぞ。」
 あんたは超能力者か!?いやまて、そうではなく。急に話を振られてしまった俺は、
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「え?は?あ・・・え~」
などと自分でも後悔するくらいしどろもどろになっていると、
「え~初対面の女性にいきなり聞きますぅ?」といたずらっぽく笑われた。先輩・・・いつもとキャラちょっと違いませんか。
「で?いくつなの?」
 先輩はおそらく自分が聞きたかっただけなのだろう。先輩の問いかけに探偵助手が先輩に向き直ったのをいいことに助手の体全体を頭から腿のあたりまで見澄ましてしまった。 そろそろ冬手前の秋といった季節のためか、腰まで包む薄茶色のロングニットのセーターに短めのベージュ色のパンツ、その下からすらりと伸びる長い足は黒のタイツに包まれ肌の露出はない。セーターも分厚めなはずなのだが妙に体のラインが生々しいことに気づいた。少なくとも全体的に平坦で薄い体はしていないのかもしれない。そんなことに思いを巡らせていると、
「しょうがないな!大サービスね。その代わり今日の晩御飯は布施さんのおごりですよ!」
 まじでか!?最高ジャンそれ。
「まじでか!?全然いいよ!問題ない。」
 先輩と俺は実はほとんど同じ思考回路の持ち主なのではなかろうか。心の中で俺が思ったことを先輩がそのまま口に出した。
「OK~男に二言なしだよ!」
「わかったって。じゃあ上から行こうか。」
「いいよ!168、25、25!」
「ん?」
 おれと先輩の二人声がかぶった。
「ん?」
 と助手が聞き返す。
「スリーサイズだよ?168って?」
「私の身長です。」
 な、なんだって~。ていうか結構高いのねやっぱり。
「いや、それはスリーサイズじゃないじゃないですか~。」
 先輩がいたずらっぽく言うと、
「スリーサイズって3つのサイズのことでしょ?だから私の身体に関連するサイズを3つまで公開したんですよ。」
 にこりと笑って助手が返す。
「なん・・・だと・・・。」
 そう、俺たちはいや、先輩は確かにスリーサイズのそれぞれの部位指定までは行っていない。あくまで一般常識だという前提で聞いていた。そこを突かれてからかわれてしまったわけだ。探偵助手の”らしさ”というやつを見た気がした。
「なんだよその屁理屈・・・ちくしょう。真剣に喜んでたのに。夢がかなった気分でいたのに!俺の心をもてあそびやがって。」
 先輩がおふざけ半分で逆ギレした。そんな先輩に助手は冷静に返す。
「そんなに人生すんなり行かないですよ!あきらさ・・・ごほん、布施さん!」
「わざとらしすぎるぞ。おまけに言い直してるけど結局それが指し示すところは同一人物だろうが。」
「まあまあ、それにあと2つもサイズを発表していますよ?何のサイズか聞かなくて良いんですか。」
 数値的には明らかに俺や先輩が思うところのスリーサイズではない。ではないが聞く気がなさそうな先輩の代わりに俺が聞いてみた。
「残り2つは?」
「お?ノリいいですね~?布施さんより将来有望なんじゃないですか?」
 流し目でちらりと先輩のほうへ視線を向ける。先輩は両手を挙げて降参の意だ。
「2つ目のサイズは私の右足のサイズです。25cmなんです。」
「ほぉ。じゃあ3つ目は?」
 俺が聞き返すと、助手は、
「そうですね~じゃあこうしましょう!3つ目を当てられたら私のバストでもウェストでもヒップでもどれかひとつ答えますよ。」
え・・・?
「お二人での相談も可能です。ただし回答権はお一人だけとします。」
 ガタッ!先輩が勢いよく立ち上がって助手の顔の手前30cmくらいまで詰め寄った。
「本当だろうな?今お前も聞いたよな?」
 先輩が俺のほうに証言の確認を求めてきた。俺は首を縦に振った。それを確認して先輩は再びソファに腰掛けた。
「よし、お前も考えろ!って3つ目ってなんだっけ数値。」
「25ですよ。」
「2つ目と一緒かよ。ん?待てよ!これって君の匙加減で答えが変わっちまうじゃねえか。」
 そう、先輩の指摘は正しい。俺たちの回答を聞いた上で助手は正解を簡単に操作することができる。つまり土台不公平なのだ、このクイズは。
「流石布施さん!目ざといですね。ということになると思ってたので実はここにペンと紙が用意してあります。」
 そう言って助手は書斎机のペン立てとその横においてあるメモ用紙を手に取り、
「これにあらかじめ私が答えを書いておきます。そして裏を向けて机の上においておきましょう。これで公平でしょ?もちろん私があなたたちの解答を聞いた後にこのメモ書きを書き直すことは禁止とします。」
「俺たちが正解した場合真のスリーサイズの発表は口頭で行われるわけだよな?」
 先輩が迫力のある眼差しで助手を見つめる。
「そのつもりでしたが・・・。」
「それが嘘の場合もある!」
 「あはは、信用ないですね。それは大丈夫です。今発表したスリーサイズにしろ布施さんが聞き出したいスリーサイズにしろ間違いなく証明ができる数値しかありませんので御心配なく!」
「証明はどうやって?」
「今年度のはじめの健康診断結果を見せます。」
「マジで!?」
 予想外の答えが帰ってきた。それだとスリーサイズ以外の様々な情報まで含まれているのだが、そんなものを見せても大丈夫なのだろうか。それとも絶対に俺たちには正解できないという自信の表れなのか。
「随分と気前がいいじゃないか。それってスリーサイズだけじゃなく身長や体重、基礎体力なんかの項目まで記載されてるやつだろ。」
 先輩が疑うような視線を送る。
「今ここにはありませんからね、クイズの前に知られる心配はまずありません。結果の印刷にも私の学生証が必要です。」
「おいおい、信用ねえな。俺も。」
「いえいえ、それに布施さんにとっても確かな情報がほしいでしょ?私がこの場であらかじめ布施さんの知りたい答えをメモ書きしておいたとしてもそれが嘘かもしれない。だから私側の証拠としても健康診断書は使えるわけですよ。1つ目のサイズの証明も同時にできますしね。2つ目のサイズに関しては私が靴を脱げば証明が可能です。さあ他に質問ありますか?なければシンキングタイムに移りますが。」
 とくに先輩も俺も特に質問をする様子がなかったため、助手は続けた。
「じゃあシンキングタイムは5分でお願いします。スタート!」
 何か重要な見落とし、いや聞き落としか?をしている気がする。だがそれが何なのかがわからない。先輩も同じなのか煮え切らない様子で2分ほど考えていたが、自分の中で結論付けられたようだ。こっそりと俺に耳打ちをしてきた。
「さっきあいつは”右足”のサイズだって言ってたのを覚えているか?」
 そういえば言っていたような気がする。つまりそれは・・・。
7, 6

  

「右足も左足も一般的には同じサイズの靴を履く。2つ目と3つ目の数値は同じだ。つまりこれは。」
 確かにその通りだ。そこから導き出される答えは・・・。しかしこれでいいのか?何か引っかかる。」
「あいつは探偵助手だ。今までのあいつとの会話で正解にたどりつけるようになっているはず。それがロジックの道に生きてる人間のクイズの出し方だ。」
 なるほど・・・。助手は証明できる数値だと言っていた。つまりそれは数値として健康診断書に記録、もしくは記載されているものだということだ。あれ?なんかここに大きな引っ掛かりを感じるのだが。
「さて、そろそろ答えを聞いていいですか?」
 これ以上考えてもその引っ掛かりを解消できる気がしない。先輩と目を合わせ、先ほどの先輩の解答で行くことに目で了承をした。
俺と先輩はお互いの視線を同時に助手のほうへと移す。
「お?自信ありですか?ではどうぞ?」
 少し間をおいて先輩が立ち上がり、
「左足のサイズだ!」
 逆転裁判さながらの決めポーズを見せた。その様子を俺は下から見上げる形で見つめていた。助手はというと逡巡するように渋い表情を作りながらうつむき加減になった。こんなくだらないやりとりなのになぜか胸が高鳴る。しばらくして助手が口を開いた。
「布施さん・・・」
「なんだ?」
「おしい!不正解です!」
 ああ、なんということでしょう!先輩は全身の脱力とともに膝が折れてソファに深く吸い込まれた。かなりの高さから吸い込まれたため先輩の腰の着地とともにボスンと大きな音が鳴った。まるで先輩のため息を代弁しているかのようだ。
 先輩はうつむきがちに助手のほうに顔を向けることなく尋ねた。
「答えは?答えは何だ?」
すると助手は、机の上に裏向きにして置いてあったメモ用紙を翻し、
「正解はこれです!」
と答えに指を指した。その答えとは・・・
「ひ・・・左の握力?25kg?」
あっけにとられて呆然としている先輩の横で俺は助手のある発言を思い出していた。まさか、ミスリードだったのか・・・?
「納得の行く説明を・・・」
先輩が小刻みに震えだした。
「納得のいく説明があるんだろうなああ!!!」
 俺の中で先輩のキャラが崩壊した瞬間だった。
「納得がいくかどうかは保証できませんが、私と布施さん、阪田さんとのやり取りの間で推理が可能な答えではあると思いますよ。まあそれでも最後は運なんですけど。」
「どういうことだ?」
 先輩が解せないといった面持ちで問う。
「私は一言も体の部位のサイズだとは言っていません。」
 そうなのだ。助手は「私の身体に関連するサイズ」と言った。もし体の部位であればそんな表現をわざわざする必要はない。「私の身体のサイズ」と言えば良いのだ。それをわざわざ関連するサイズと表現した。これは3つ目のサイズが体の部位以外の数値であることを示唆している。さらに、証明可能な数値だとも言っていた。健康診断の結果から証明が可能で、なおかつ体の部位以外かもしれないもの。
 助手が続ける。
「それに先輩は私に3つ目の数値を聞いたとき私は25と答えましたが、25cmとは答えていません。」
 そうなのだ。最初のスリーサイズの申告でも単位は省かれている。身長と右足のサイズを自分から説明するときにcmとつけていたため、あたかもその後に続くものがcmだと勘違いした。
「質問がないか聞いたときに単位は何なのか?って言われたら困りました。それに答えると正解に限りなく近づくので見苦しくごまかすしかなかったでしょう。健康診断書に載っている25の数値を持つものは私の握力しかないわけですからkgなんて言ってしまえばそれでばれてしまいます。」
「なんじゃそりゃあ!納得できるかぁ!!」
 向こうも案外危ない橋を渡っていたのだ。答えに右の握力を保険に掛けているあたりが卑怯な感じもするが、そこが先ほど助手が言っていた最後の運の部分なのだろう。右足だから左手、という感覚で決めたのだろうか。だが1点引っかかる。それは・・・。
「五百蔵!君にも落ち度があるぞ?」
 聞いたことのない声が入り口付近から聞こえてきた。気がつくと入り口の扉の前に長身で線の細い男性が立っていた。中性的な顔立ちと不釣合いな低く太い声だった。
「あれ?いつの間に来てたの?全然気づかなかったよ。」
「相変わらずだな、その不気味なくらいの存在の消し方。」
 助手と先輩が長身の男に向かって言うと、
「探偵の仕事なんて肉体労働がメインなんですよ?それに壁に耳ありって言うでしょ?」
 そう言いながらコツコツっと入り口付近の内壁を叩く。随分と軽い音がした。
「お前がそれ言うか?全然説得力がないんだが・・・」
 先輩が指先でこめかみを押さえながら言った。
「それで?どこに落ち度があったの?」
 助手が問う。
「布施さんは”上から”3つと言ったじゃないか。本来なら上から3つというのは体における位置の高さを言うのだろうが、君の持ち出したスリーサイズは体の上から並んではいない。後考えられる”上から”は数値としての高さ順ということになるが、それも単位の違いにより条件を満たせない。」
 そう言われて助手はぽんと手を叩いた。おそらくそのことについては完全に忘れていたのだろう。ということはそんなはじめの段階からこの男は耳をそばだてて外から中の様子を伺っていたということか。
悪趣味なやつだなぁ・・・。そんなことを考えていると、
「だけどそこの彼は気づいていたみたいだよ。」
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そう言って俺のほうに視線を送ってきた。
「何?そうなのか?」
 先輩も驚いた様子で俺のほうに向き直る。
「いや、先輩が答えるまでは全然わかってなかったですよ。ただずっと何か引っ掛かってて・・・五百蔵さんの答えを聞いてはっとしたんです。先輩が上から3つと言ったのもしっかり思い出すことができました。」
「へぇ~そうなんだぁ~記憶力良いんだねぇ~あたしとは大違いだ!ね!あきらさん!」
「うっせーよ!結局この勝負どうすんだ?」
 クイズを出したほうにも落ち度があったことが判明した以上、このクイズの答えに正解も不正解もない。しかし・・・
「五百蔵、こういうのはやっぱ出題者に責任があると思うんだ。圧倒的に有利な立場だったのは君のほうだしね。しっかりとしたゴールのないクイズを出題すると、回答者は永久に思考という名の迷路の袋小路に囚われて夜も眠れなくなってしまうからね。」
 壁耳男の言い回しはくどいようだが全面的に同意だ。
「そうだね。今回は私が悪かったよ。じゃあ布施さん!夜おごらなくていいです!」」
「よっしゃ・・・いやスリーサイズは?ねぇ?あれもうなしか?いや待てよ!しかもそれじゃあふりだしに戻っただけじゃねえか。」
 先輩はよほど未練があるのか執拗に食い下がっていた。クイズとしては成立していなかったが引っ掛かりを覚えていた部分はすべて解消したことで溜飲が下がった気分だ。自分の記憶力も案外捨てたもんじゃないと確認できた。そしてこの壁耳の男こそこの部室の書斎机に腰掛ける存在なのだろうということも。
壁耳の男はゆったりとした足取りで俺と先輩が座っているソファの後ろから書斎机の向こう側に回り込むと、閉ざされていた黒のカーテンを左右にスライドさせ外界の光を呼び込んだ。外を数秒眺めた後こちらに振り返り、ベルベット生地のチェアに腰掛け胸の前で腕を組んだ。
背後から照らされる光が後光となり、その姿は威厳と風格に満ちている。
男は答えた。
「さあ、相談を受けよう!できる範囲で!」 そう、この男こそ、俺の悪夢の終焉に一役買ってくれる救世主なる男。探偵しゃかりきだった。
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