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 東京砂漠。よくない風が東から吹いている。俺は沈む夕陽を眺めながら、考えていた。
 明日もまた、朝は来るのだろうか?
 もしかしたら、あの太陽は沈んだきり、もう昇らないかもしれない。
 どこまでも広がる地平線に陽が頭を沈め切ったのを見届けると、俺はまたテントへと戻り、薄い寝袋に身体を潜り込ませた。我ながら、くだらない問だ。枕もとの時計を見ると、午後2時過ぎを指していた。時間が狂っている。いや、あまりに長い距離を歩き続けてきたために時差が生まれてしまったのかもしれない。なんであれ、俺がこの行く宛ての無い旅を半年以上も続けているのは確かだった。一体どこへ行きたいのか?大した目的もなければ、しかし帰る場所があるわけでもない。どれ程歩いても、獣以外に出会うことがない。一度か二度、人に会ったことはある……しかし彼らの皮膚はみなひび割れ、指先から砂へと変わっていくのをただ待つのみだった。要するに、生きた人間と会話した記憶はしばらく無い。
 一体いつ、どうしてこんな旅を始めたのか、今となってはもう判らなくなっていた。ただ、毎日が生きるためだけに、死から逃れるためだけに消費されてゆく。時間は陽の位置と死の足音だけを告げ、永遠に回り続ける……
 夜は余分に頭が回る。考えるのを中断すると、静かに目を閉じた。そして記憶を暗闇から手繰り寄せる。仄かな色と感触が次第に心地よい夢へと結ばれていき、そのまま無間の眠りへと意識を手放した。

 翌日、テントを畳むと、俺は朝日に向かってまた歩き出した。歩くこと以外、今の俺には残されていない。空の色にはまだ半分夜が混ざっている。痛んで薄くなったジーパンの穴から、筋張った俺の脚がちらちらと見える。陸上選手になら成れる気がする。思い立ってリュックを担ぎ直すと、目の前の小高い砂丘に向かって俺は一気に駆け出した。ボロボロのコンバースで砂丘を踏みつける度、丘の表面を雪崩れ落ちる細かい砂の摩擦が砂漠中に遠吠えのような音響を作り出す。
        ウオォォォォーーーーーーーーーーーーーーーン……
 駆け上りながら、俺も一緒に太陽に向かって吼えた。ふと横を見ると、小さなサソリが砂流に呑まれコロコロ滑り落ちていく。俺はズボンのポケットから十徳ナイフを取り出すと腕を伸ばして獲物を捕らえ、まず両腕を断ち、尾を断ち、そして生きたまま頭に噛り付いた。バリバリと殻を奥歯で噛み砕く。身はほとんどなく、一言で言うなら不味いが、動くものはとにかく採って喰わねば生きていけない。丘を登りつつサソリを喰らう。平らげ終わると、俺は残骸を砂丘の頂に埋葬し、手を合わせ祈った。死を前にしてはどんな小さな殺生も避けて通ることは出来ない。
 砂丘の上に立ち上がり、辺りを見回す。360度、歪な大地の境界線が俺を取り巻いている。少し潰れた太陽の横、遠い蜃気楼の向こうで、東京タワーが揺らめいているのが見えた。それ以外目に付くものが皆無なので、必然的に足はそこに向かうことになる。もし、俺と同じ人間が――砂漠に放り出された不遇の旅人が他にいるとすれば、彼らも塔を目指すに違いない。俺はこの最後の希望を傾いた電波塔に託し、空虚に歩を進め続けている。
 歩いている間、何を考えているかといえば、何も考えてはいない。ただ、前を向いて足を交互に踏み出す。動く影があればサソリも蛇も捕って喰らう。時々立ち止まり、耳を澄まし、風の温度を肌で測る。冷風があれば水の在りかが近くにあるということだ。最後に水源を見つけたのは、2週間以上も前になる。地中から突き出した水道管が作り出した、中くらいのオアシスだった。久しぶりに服と身体を洗い、たらふく水を飲んだ。当然そこに留まることも考えたが、しかし2日も経たない内に俺はまた歩き出すことにした。大体いつも何かに背中を押されているような心地がしていて、そのせいで俺は一箇所に留まることが出来ない。ある種の病に侵されているに違いない。歩こうが留まろうがどっちにしろ砂漠の真ん中で死ぬんだから、むしろ水辺に居を構えた方が少しでもましな往生ができるのは俺でもわかる。
 それでも俺は旅を続けている。これは俺の意思じゃない。ただ何者かが俺の背中をせっついて回り、継ぎ目の無い大地を無意味に縫うよう強いられている……砂漠の呪いだ。この呪いを解くためには、一刻も早く塔を目指す以外に無い。その先のことなんて解らないし、知りたくもない。余計なことは頭から追い出し、ひたすら無心に歩く。それが今の俺の、全存在だった。

 リュックから水を一本出して少し飲むと、丘を降りて東へ向かう。太陽と地面、両方からの熱気を受け、服の下が軽く汗ばむ。昼になる頃、小さな木陰を見つけるとその下で食事をした。2日前に見つけたカラスの死体(寿命か伝染病かはわからない)、羽を毟り布にくるんであったそれを取り出し、枯れ草で火をおこして炙りなおす。ここ数日では一番充実したランチだ。カラスは数多く生息しているが、素手で捕まえるわけにもいかず、死体にしても白骨化する前のものはなかなか見つからない。半分ほど食べ終わるとまた布で包んでリュックに仕舞い、昼寝の時間を取ることにした。
 砂の上で大の字になる。細切れの白い雲が、影になった枝の上を浮かんでいる。


















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