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 その電車は走ることが何よりも好きでした。だからゆうれいとなってしまった今も、夜毎に姿を現しては、体中に青い灯を点けて、線路の上を夜の続く限り走るのです。
 その日ゆうれい電車は、夜に寝静まった集落の南の方の、まん丸に実った稲の穂が海のようにずうっと広がる中にある、小さな駅に停まって一休みしていました。開け放った扉の内を、稲のこころよいにおいが通り抜けると、ゆうれい電車は体をきゅうきゅうとゆらして喜びます。
 けれどその内に、体の中に誰かが入ってきたので、ゆうれい電車は大層驚きました。何しろ、ゆうれいになってからというものの、この電車に乗ろうとするものなど誰もいなかったのですから。それは半そでのシャツに長いズボンという格好のおじさんで、客室の座席の上で一人寝転がっているのでした。そのおじさんは赤ら顔をして、酒臭い息をはきながら、ぐうぐうと地響きのような寝息を立てております。
「起きて下さい。僕は人を運ぶためのものじゃないんだ。ここにいたって、どこにも行かれませんよ」
 ゆうれい電車は体中を響かせてそう言いましたが、彼が起きる様子は全くございません。
「起きて下さい。さあ、さ。早く早く」
 もう一度、先よりも大きな音を立ててみると、おじさんはぼんやり薄目を開け、手をひらひらとさせて、「まあ、いいじゃないか。急ぎの用なんだ、この先の山の向こうまで、一つ宜しく頼むよ」
と言って、また目を閉じたのです。それぎりゆうれい電車が何を言おうとも、おじさんはもう返事をしません。物も言わずに眠ってばかりです。
 その内に驚きがようやく薄れると、ゆうれい電車の心に、今度は喜びが広がっていきました。今までずうっと孤独でさみしかったので、いい道連れができた、なんてことを考えていたのです。すっかりゆうれい電車ははりきって、発車のベルをわざと大きく鳴らし、それから扉を閉めて車輪を回し始めました。
 ゆうれい電車は線路に沿って、力の限り走りました。稲畑の平野の先で、線路は大きな山をつらぬく石造りのトンネルの中に入ります。トンネルの中は真っ暗で、ゆうれい電車の自慢の灯りも、先に広がる黒い色に吸い込まれてしまうばかりです。そんな中をごうごうと音を響かせながら走っている内に、ゆうれい電車は、客席で眠っているたった一人の乗客を降ろすのが惜しくなってしまいました。そして、「このままトンネルがずうっと続けばいいな」なんてことを考えながら走り続けたのです。
 けれどもその内に、ぱあっと世界が広がって、まばらに人家が建つ野原に出てしまいました。
「ああ、とうとう山を越えてしまったなあ」
 あまりにそれが悲しかったので、ゆうれい電車は思わずそうつぶやいてしまいました。その内におじさんが目を覚まして半身を起し、「やあ、ありがとう。もうすぐ目的地だ」と言うと、ゆうれい電車の心はますます重たくなり、沈んでいくのです。
 やがて線路の先に駅が見えてくると、おじさんはすっかり喜んで、「おお、あそこだ。あの駅で停まっておくれ」と言いました。駅はぐんぐんゆうれい電車の前に近付いてきます。でも、ゆうれい電車はどうしても停まろうなんていう気にはなれませんでした。だから、思いきり力を込めて速力をぐんと上げて、矢のように一直線に駅を通り過ぎてしまったのです。
「おうい、何をしているんだ! 停まっておくれ、停まっておくれえ!」
 おじさんは窓にかじりついて、はるか後方に遠ざかっていく駅を見ながら慌てた様子で叫んでいました。けれど、ゆうれい電車にはもう、そんなことは関係ありません。滅茶苦茶に体を揺らし、ベルを鳴らして大声で笑いながら、線路を駆け続けました。そしてその中にいるおじさんといったら、ゆうれい電車に振り回されないよう客席に必死にしがみついて、大きな声をあげるのです。
「ああ、もしかして、無理を言って走らせたのを怒っているのか。本当に済まなかった! もう二度とこんなことはしない。だからもう私を降ろしておくれ!」
「あはははははは。僕は別に怒っちゃいないよ。ただ、楽しくて仕方がないだけなんだ。何せ、お客さんを乗せて走るのは実に久しぶりだからねえ。もっと先まで行かないことには、どうにも停まれないのさ」
「君の言いたいことは分かった! そんなら、車掌はどこにいる! 一度車掌と話をさせてくれないか!」
「おじさん、車掌なんてどこにもいないよ。だって僕はゆうれい電車だもの。ごらんよ。特製の青い照明も、体を動かす動力も、全部自前でこしらえているんだぜ」
 おじさんはゆうれいという言に、我を忘れる程に驚きました。あんなに赤かった顔を、まるで蝋細工のように真っ白にして、「ひぃ」なんて情けない声を出して、そのまま固くなって動かなくなったのです。ゆうれい電車はそれが何だかおかしくて、更に大笑いをしながらひたすらに走りました。
 けれど、そうしてどこまでも進んでいる内に、夜の星は姿を隠し、地平の先がすうっと明るくなりました。それに気づいたゆうれい電車は、しまった、と思いましたが、その時にはもう遅かったのです。赤い日を浴びた体は、どんどん淡く消えていって、前に進むのでさえ一苦労です。たまらなくなって、ゆうれい電車はそばに見えた駅に停まりました。するとおじさんはおびえきった顔を上げて、消えかかっているゆうれい電車を見て、「ひゃあ」とまた変な声を出したのです。そしてふらふらと走り扉の前に立って、「出してくれえ」なんて言いながら、がんがんとそこを何度も叩きました。痛くて仕方がないので、ゆうれい電車が扉を開け放してやると、おじさんは転がるように駅に降りて、そのままどこかへ走り去ってしまいました。後に残されたゆうれい電車の体の内は、誰もいない空っぽの空洞でした。
 ゆうれい電車がそれをしきりにさみしがっていると、近くの踏切で音が響いて、ゆうれいではない、本物の電車がこちらに向かって走って来ました。ゆうれい電車は、朝日を受けてぴかぴかと輝くその電車がとても羨ましくて、ぷしゅう、とため息を漏らしました。
「今夜僕は、あの電車には行けないような所まで、どこまでも走っていってやろう」
 ゆうれい電車はそうひとりごちて、それから朝のもやとなりました。
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