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札術の皇、変化の巫女

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「……それでは贄に、感謝を込めて……」
 彼女の艶やかな口が開き、摘ままれた僕はその恐ろしくも柔らかそうな肉と汁に塗れた口内を見下ろす形となる。
 僕、がなんなのかと言うと、千切られたビーフジャーキーである。
「……いただきます」
 落ちる。
 彼女の舌は僕を優しく迎え入れてくれるも歯は当然そんなことをしてくれるはずもなく、僕は巨大な彼女の顎で咀嚼される。
 もっちゃもっちゃ。
 骨を砕かれる苦しみも身を裂かれる痛みもない。
 僕は食べられるために生まれたビーフジャーキーなのだから、それらは快楽以外の何物でもない。
 この場所にあるのは凌辱であり、奉仕でもあり、至福に他ならなかった。
 硬いところを思いっきり噛み潰されて、汁が出た。僕はただのビーフジャーキーなのだから肉汁以外の何物でもないが、感覚は射精のそれだった。
 彼女はそれを舌で啜り、美味しそうに嚥下していく。

 さて。
 なんでこんなことになっているんだっけ。




 〇




 そうそう、僕は……|札術皇《カードマスター》になるべくして生まれた人間、詩屋実。だったはずだ。怪しげな近所のおっちゃんがそう言ってたから間違いない。
 なんで僕が高校生にもなってそんなに怪しげなおっちゃんに言われただけでコロコロのタイアップカードゲーム主人公じみた肩書きを信じているのか、と言うと……
 実際に『札』の力を知っていて、僕にそれを使いこなせるだけの才能があるからだ。
『|符束《デッキ》』からカードを引き、使用時に霊力が上がる『霊札』、コストを支払い自らの武器を作成する『牙札』、手札から魑魅魍魎を呼び出す『召札』、自分や召喚した幻妖を特定の場所に移動させる『転札』……
 それらは選ばれた者しか扱うことはできない。俗に言う霊感がある人物、である。
 僕は小さい頃から見えちゃいけないものを見てしまうことがあり、そのせいで昨日の晩、買い物帰りに人気のない公園で幼女と戯れるおじさんを通報してしまいそうになった。
 よく見ると幼女には人間のものではない耳と尻尾が生えていたが、これまでの人生でそんなはっきりと人間に近いものを見てしまうことなどなく、危うくおじさんを刑務所に運んで行ってしまうところであった。
 いや、今になって考えてもあのビジュアルは完全に犯罪だった。年端もいかない半裸少女に首輪を付けて頬を舐めさせていたのだから。二重の意味で完全犯罪だ。
「ポリス!」
「!? ウェイトアミニッツボーイ! ドントコールポリス!!」
 これがおじさんとの割と最悪な出番だった。

「式神?」
「簡単に言うと妖怪の使い魔だよ。もっと簡単に言うとポケモンだ。いや現代っ子にわかりやすく言うなら妖怪ウォッチとかその辺かな」
「妖怪ウォッチはもうそろそろ古いと思う」
 作務衣に眼鏡をかけたおじさんは式神…豚の耳が生えた見た目一桁か二桁かと言った少女に、「上半身はお腹が完全に見える程丈が短い法被で下半身は褌」と言う地方の祭りでもなければPTAがすっ飛んできそうな服装をさせてはべらせていた。
 言うまでもなくロリコンである。
「まぁぶっちゃけると完全にロリ性奴隷にしてるけど一応最近見境のない祓協から救ってあげていると言う建前的言い訳もある」
「人間の屑だこのおっさん……」
「ほう……その人間の屑の所業、君もできる、と言ったら?」
「やります!」
 食い気味の即答を返す僕。
 男子高校生の性欲を舐めるなよ。
「保護だもんね!」
「保護ですからね!」
 ガシィ! とX-MEN VS. STREET FIGHTERじみた握手を交わすロリコン二人。
 いや、このおっさんがどうかは知らないけど僕はまぁそこまでひどいことはしないよ?
 きっと。たぶん。
「いや実際ね、君才能あるよ。『何かいるような気がする』ならまだしも、『女の子がはっきり見える』レベルの見鬼は訓練しないと普通は持ちえない。君名字は?」
「詩屋です。詩屋実」
 ふむん、とおじさんは思案する。左手で豚耳少女(豚耳って言うからふくよかに聞こえそうだけど実物はめっちゃかわいいんですよこれ)の喉元をなでりこなでりこしながら。
「しや、しや……紙矢のとこの傍流とかかもなぁ。そうなると……」
 おじさんはマジックのように徒手からふっと札を取り出し、僕に見せる。
「これ、何書いてあるかわかる?」
 そこには達筆……なように見えるぐちゃぐちゃな漢字っぽい何かが書いてあった。

 鬼々嗣観御空卦

 何故だか知らないけど、僕は一発でそれを読むことができた。
「ききしみおんからげ……?」
「おー。本物だわこの子」
 ぱちぱち、と適当な拍手をするおっさんに、僕はその意味を訪ねてみた。
「この文字、どういう事が書いてあるんですか?」
「いや、なんかそれっぽいこと適当に書いた」
 え?
 今のやりとり何だったの??
「意味なんて後から付いてくるんだよ。これを持っていれば、君は鬼……まぁ妖怪とか霊とかそんなんの中に、美少女が混じっているのをかなり楽に見つけだす事ができる。
 それをこっちの封札……ようするにモンスターボールで丁重に保護してあげれば、あとはもう前に入れるなり後ろに入れるなり」
「最悪だこのおっさん……! 外道め……!! ありがとうございます!!!」
「うむ」
 パチモンのポケモンGOみたいなものを頂いてしまった僕はおっさんをなじることを忘れないながらも頭を地面に擦り付ける。 
「でもおじさんも幼女ハンターをしているならなんで僕にこんな事を……? ライバルが増えるだけなのに……」
「事実やましいことをしているとはいえ幼女ハンターは流石に字面がヤバいから勘弁してくれ詩屋くん。
 さっきも言ったはずだ。僕はそこにいるだけで罪とみなされ跡形もなく抹消される女の子を保護しているってね。まぁ気分次第じゃ女の子以外も匿ってあげたりするけど……流石に僕一人じゃ取りこぼしもあるだろうからね」
 豚耳の女の子はベンチに座り、おっさんに身を預けて寝息を立てている。よく懐いているようだ。
 この封札に洗脳効果でもない限り、幼女に手を出す人間のクズ(同族嫌悪)であれど救いようのない悪党と言うわけではない……とは信じたい。
「祓協、とか言ってましたね。そいつらが?」
「うん。大物を始末できないから小物ばっかりを狩って面子を保った気になってる愚図も愚昧の集団さ。祓魔一族はトップと二位以下でジョーズとメガシャークVSジャイアントオクトパスくらい差があるんだけど」
「サメ映画には詳しくないのでもう少し普遍的な例え方してくれます?」
「祓魔一族はトップと二位以下でティラノサウルスとカナヘビくらい差があるんだけど、まぁなんだかんだ二位以下集団も害虫を食べたりとそこそこ仕事はしているんだよ。紙矢の本家もまぁまぁ安寧に貢献はしてる方。
 問題は二十位くらいから下。強さも性根も、はっきり言って悪玉菌コレステロールがいいところ。僅かながらの見鬼の力を『常人とは違う選ばれし力』と思い込み、上が相手にもしないような力も害もない妖を虐げて悦に浸り、こんなに恐ろしい霊だった、などと誇張して常人から金をせびる。
 木っ端故に数は多いし、声の大きさは無駄にでかい……そして一応全体の方針としては『魔は狩るもので神霊は見張るもの』だから明確に間違っているわけではない」
 吐き捨てるように言うおじさんの目が、紫に光ったような気がした。
「討伐のルールは早い者勝ち。君が捕まえた妖や札を用いて悪事……『外に見えるような悪事』を行いさえしなければ、いくら捕獲したところで責められる謂れはない。フリーで活動してる祓魔師だって存在する。気兼ねなく捕獲するといい」
 おじさんはそう言って、再度空から札を取り出した。こんどは札の束だった。
「|札術皇《カードマスター》になれ、詩屋少年。昼は学生として勉学に励みながらも夜は女の子(ロリ)を守るために戦って、女の子(ロリ)を侍らせて、女の子(ロリ)といちゃいちゃして、女の子(ロリ)だらけのハーレム乱パをする……そんな都合のいいエロラノベ主人公みたいになれ!」
「おじさん……!!」
 X-MEN VS. STREET FIGHTERじみた握手。

 いやまぁ別にロリじゃなくてもいいんだけどね。好きですけど。



 そう、それで明日も学校があるから今日の所は(ちょっと遠回りして探しながらも)家に帰って就寝。
 起床。日中は普段通り真っ当に学生生活を送るぞ……ってなったのが、今日の話である。
 一応、『|符束《デッキ》』と一緒に貰った鬼々嗣観御空卦を湿布のように腕に直接ぺたっと貼って妖怪が見えるようにしておいた。封札も、スマホケースのポケットに畳んで入れてある。
 まぁ、白昼堂々と活動している妖怪が学校なんかにいるわけもないけど。
 そう思いながらも自分の席に付く僕の前に。
 ぴょこんと獣……狸のような茶色い耳を頭の上から生やし、スカートからふわっふわの尻尾が飛び出ている少女が。
 何事もないかのように座った。

「……?」

 目をまんまるくして凝視する僕の異様な視線に気づいたのか、彼女は振り向いてくいと首を傾げる。
「……どうか、したの……? 詩屋、くん……」
 なんでこんな目を向けられているのか心底わかっていない様子の少女が、人間の耳とは別にあるイヌ科の耳をひくひく動かして訪ねた。

 野々宮光姫。
 黒い長髪よりも尚暗い瞳は、ダークカラーのブレザーと言う学校指定の制服と相まって神秘的であり男子の間で密かな人気がある女の子だ。
 って言うかなんで『密かな人気』で済んでいるのかわからない程の美少女だと個人的には思っているのだが、内気な性格で目立たないせいか話題に上がることはそこまで多くない。
 交友関係も広くないどころか基本的にいつも一人で、避けられているわけではないにせよその存在感は薄い。今思えば、不自然な程に。
 男子としては小柄め(163だ)な僕と同じ……いや、若干目線が高い。その目は、疑問はあれど警戒などまるでしていないものであった。

「…………野々宮さんって、好きな動物とかいる?」
「好きな、動物……たぬき、とか……?」
 疑問文に疑問文じみた語尾で返す野々宮さんだが、とりあえず彼女が狸関連の何かである可能性が非常に高いと言うことがわかった。
 僕は彼女の耳元で囁く。

「放課後、ちょっと話付き合ってもらえる?」




 誰もいない教室。
 一人机に座り、夕焼けを斜めに受けて黒髪を艶やかに光らせる野々宮さんは、確かに人あらざるものにも見えた。
「……えっと……その……学生で色恋沙汰は、早いって……お母様が……だから、良ければお友達から……」
 僕が入って来て耳をぴーんと立たせてしどろもどろになってでそれも一気に崩れたが。
「落ち着いて野々宮さん、まだ何も言ってないから」
「……そ、そうだった、ね……詩屋くんが考えてきた、一世一代の、口説き文句……ちゃんと、聞き届けないと、ね……」
 さてはこの子結構面白い子だな?
 今まで会話する機会にあまり恵まれなかったので僕も少しミステリアスでクール目な女の子だとばかり思っていたが、割と普通の子らしい。
 ……性格は。
「えっと、野々宮さん」
「は、はい……」
「野々宮さんって人間じゃないよね?」









 数秒の間頭の上に?マークを浮かべていた野々宮さんが、突如何か気付いたかのように青ざめて冷や汗を流し始めた。
「……み、見ての通り……人間、だよ……?」
 すげぇ。
 わかりやすいことこの上ない。
「いや、だって耳と尻尾……」
「……!?」
 指摘されるや否や慌てて自分の人間とは異なる部分を触り、急いで手鏡を取り出して確認する野々宮さん。
「えっ……? 嘘、だって……誰にも……祓魔師だって、簡単に、誤魔化せるって……あ」
 気付いて、僕の方を見て、ぺたんと手で口を覆う野々宮さん。
 さてはこの子かなりのぽんこつだな?
「簡単に誤魔化せるんだ? 祓魔師だって」
「ふ……ふ……ふつ……ふつうの、まさし君……」
 目を泳がせながらもごもごと喋る。
 まさし君は誤魔化されても僕は誤魔化せないぞ。
「話が進まないから野々宮さんが妖怪? 鬼? 霊? よくわからないけどまぁ狸娘って事で進行するよ。野々宮さん、なんでこれまで誤魔化し通せたのかわからないけど……君はこのままだと祓協に狙われる」
「……! …………?」
 ぴくんと反応してから「なんで?」と言ったように首を捻る野々宮さん。なんか順番がおかしくないか?
 口から手を離し、おずおずと喋り出す。
「……祓魔師、協会……? 狙われない、よ……?」
「いやいや、弱い妖怪を見つけてはぶっ殺す悪の残虐非道集団が狙うんだって。だから僕はその、野々宮さんを保護するために呼び出したんだけど……」
 下心はもちろんある。当然ある。滅茶苦茶ある。
 とはいえ、祓協に目を付けられるかどうかは彼女にとっての死活問題。
 そりゃできるならいやらしい事を(今すぐ!)したい(ここで!!)が、それもこれも彼女の安全を確保するのが先決だ。
「心配、してくれてるの……? ありがとう……だけど、そんなに弱くない、から……大丈夫、だよ……?」
「いやいやいや、僕の式神になれば絶対安心だから……いやらしいこととか全然しないから……本当だよ……」
 嘘である。
 正確に言うと半分本気で半分冗談である。
 封札を取り出しながら言う僕のツラは冷静になってよくよく考えれば変質者のそれだったかもしれないが、その時の野々宮さんは特に動じた様子はなかった。 
「封札……私を式神にしたい、の……?」
 純粋な、疑問。
 恐怖も、焦燥も、嫌悪も、憤怒も、哀憐も、侮蔑も、何もなかった。
 単純にイエスかノーかを訪ねていた。彼女は。
 それに対し、僕は唾を飲み込んでから頷く。
「……命令されるのが嫌なら、絶対にしない。約束する。ちゃんと今まで通りの学校生活だってさせるし……今まで何も封印したことがないから、できるのかはわからないけど……可能な限り、不自由はさせない。だから……」
 今度は、嘘じゃなかった。
「……嘘、じゃない……。詩屋くんが、とても優しい事、よくわかったよ……。
 心配してくれて、ありがとう……でも、私……帰る家がある、から……

 ……ごめん、ね……」
 微笑む彼女に、僕は封札を投げた。
 彼女は微笑みを崩さず。
 それを掴んで、僕に投げ返した。
 二本指で投げた封札は、そのまますっぽりと二本指に収まる。
「……え」


『モンスターボールって例えたけど、本当にただ投げるだけじゃ捕まえられないよ。封札を投げる時は……』
「……相手の、隙を付くか、弱らせるか……しないと」
「……!」
 おっさんとまるで同じことを言う野々宮さん。
 僕は『|符束《デッキ》』を取り出し、七枚の札を引いた。
「僕は、野々宮さんを傷付けたくはない」
「うん……わかってる……」
 その中の四枚目にある、禍々しい雰囲気を噴き出している一枚――牙札。
 三百年生きて『化けた』山狗の爪が、そこに封印されている。文字を見ただけで、それがイメージできた。
「だけど野々宮さんが殺されるくらいなら、傷付けてでも、嫌われてでも、守りたいと思う」

 独善かもしれない。
 いや、独善以外の何物でもない。
 気持ち悪い男だ。
 だが、気持ち悪くて構わない。

「……どっちも、ないけど……もしも、祓魔師に、殺されても……詩屋くんに、傷を付けられても……私は、嫌わないよ……。
 守ろうとしてくれる、気持ちは……本当に、うれしい……」
 
 こんなにいい子が殺されるのを許してしまったら、人間としても男としても存在価値はないだろう。
 
「顕現せよ、牙札――『獄門狗爪』」
 僕の右手の甲に、それこそ恐竜程もある鋭い爪が生える。
 力加減を間違えれば女の子の肉など簡単に裂き、抉り、千切り、壊してしまう程の、凶器。
 だが、袈裟ではなくバックブローのように薙げば、打撃武器として使うこともできそうだ。

「……行くよ」
 駆ける、と思わせて僕は彼女の視界から消えた。
『転札』。
 二枚目に引いたそれは、数mの距離なら事前準備無しの瞬間移動を可能にする。
 そして消える前に、封札の投擲。彼女の背後を取り、挟み撃ちの形にする。
 封札を避けたら背中に一撃を加えて転倒させ、再び封札を――


「……ちょっと、ドキドキする……」
 数秒にも満たない|連撃《コンボ》の最中、突如世界がスローになり。彼女のゆったりとした喋り方が、よく聞き取れるようになる。
「男の子を……女の子もだけど、あまり好きになっちゃいけない理由……お母様は、学生にはまだ早い、とは別に……もう一つ、理由がある、と言った……」
 彼女が後ろを……僕の方に振り替える。隙だらけの背中に、ゆっくりと封札が張り付くのが見えた。だが、それだけで何も起こらなかった。


 



 先程のやりとりで、僕が彼女の言い分を聞かずに封印する封印するの一点張りでマジ話聞かねぇなこいつ下半身脳が死ねよと思われたかもしれないが、待ってほしい。
 おっさんは言っていたのだ。
『強大な妖はすぐ祓魔師に察知されて討伐されるから、そこらをうろついているはずないよ。だから妖を見つけたら雑魚だと思って支障ない』
 と。
 だから僕も、野々宮さんが弱い妖だとばかり思い込んでいたのだ。
 祓魔師に見つかったら、成す術もなく消されてしまうような。





「あまり好きになると……」

 野々宮さんの目が。


「……食べてしまいたくなるかも、しれないから……」


 紫色に、煌めいた。

 
 吸い込まれるようなその瞳に、本当に吸い込まれてしまったのかもわからない。
 気が付けば、僕はビーフジャーキーだった。












 以上、回想終了。
 ビーフジャーキーこと僕は、彼女の掌の二倍くらいの大きさ、枚数にして五枚くらいの量の燻製肉となり、現在体の一部(なぜか食べられているビーフジャーキーの一部の方が感覚の大部分だ)を残して彼女に美味しく食べられている。
 彼女の口の中で転がされ、いたぶられ、辱められ、頭がおかしくなりそうな快感を一方的に植え付けられた。
 もっとも、頭などおかしくなるどころかとうに無くなっているが。
 もっちゃもっちゃもっちゃもっちゃ。ごっくん。
 僕が飲み込まれ、喉を通ったと思ったら何故か意識は彼女の手元のビーフジャーキーに移っていた。
 野々宮さんの舌の上に運ばれ、唾液でぬめらされ、歯でほぐされてとろけていく僕の体。
 人間の唾液の匂いとはまた違う芳しい香りに全身が震え、あるはずのない毛先まで敏感にさせられる感覚に陥る。
 そしてそんな中で全身を女体を用いたいやらしいマッサージの、それも早回しのような悦楽が包み込み、彼女の中で劣情を解き放った。
 最後の一枚となった『僕』が見たのは、彼女が蕩けた顔で僕を見て、愛おしそうに、奉仕するように、口を開けて僕を招いた淫らな表情だった。


「……ごちそうさま、でした……」



 The End 



































 って死ぬとばかり思っていたんだけど、どういうわけか最後の一枚が飲み込まれた僕には意識があった。
 彼女の掌に乗っている形になっているが、どうやらビーフジャーキーではないらしい。と言うか今更ながらなんでビーフジャーキーだったんだ。
「今、食べたかった……」
 そっか。ならしょうがないな。
 ……あれ? 今声に出てた?
「出てない、けど……心の声が、聞こえるようになってる……」
 彼女の目に映る僕は、なんだかふよふよした魂のようなものとなっていた。緑色の。
「ような、と言うか、魂……」
 魂なんだ。
 ……魂!?
 え、僕本当に死んだの!?
「生きてはない、けど……死んでるわけでも、ない……。肉体を失った、というか、私が食べちゃったから……」
 それ世間一般的に死んだって言わない!?
「でも……私のへ」
「いやーびっくりびっくり。まさか大物がいるとは。すまんなー詩屋少年、こんなイレギュラーは全く想定もしていなかったよ」

 何か言いかけた野々宮さんに被せるように声が聞こえた。
「え? おとう……」
 そちらの方を見れば(ビーフジャーキーもだけど魂って視界どうなってるんだ)、例のおっさんが教室の窓枠に腰かけてヘラヘラと笑っている。
 いつからそこに……
「こういう時は『さっきからずっと見てたよ』……とか言うのが常識だけど今来たところ。詩屋少年に預けていた札の反応がロストしたからなんかあったのかなーと思ったけどまさかこんなことになってるとは」
「……いや、違う……あなた……誰? いや……何?」
 野々宮さんの声の、トーンが下がった。
 封印すると言われても、爪を向けられても、全く動じることの無かった野々宮さんが、今初めて警戒している。
「祓魔師では、あり得ない……だって、私が祓魔師に見つかるはずが、ないから……」
「『わけのわからないものは、わけのわからないままに滅せよ』。
 ……習ったはずだよ?」
「!!! ……」
 その言葉に、野々宮さんが過剰に反応したのがわかった。
「……詩屋くん、悪いけど、私の中に……入って……ここが一番、安全だから……」
 えっ君僕の事先程ぶっ殺さなかった?
 えっ野々宮さんおっさんとやり合うつもりなん?
 えっ私の中って何? ここってどこ?
 等々、どこから突っ込めばいいのかわからないけどなにやらエロい台詞を吐く野々宮さん。
「えろくは、ない……」
 そう言って僕をお腹に押し付け、そのまま突き抜けて本当に中に入れてしまう。
 もうわけがわからん。あとやっぱりエロいよ!!
 例によって感覚はよくわからないことになっているが、どうやら野々宮さんの視覚と聴覚はリンクしているらしく、眼前におっさんの姿が見える。
「あれは、たぶん……新種の、妖……」
 違うと思うけどなぁ。まぁ野々宮さんが言うんだからそういうことにしておこう。
「だって……強すぎる……祓魔師に、あんな存在はいない……」
「ひどい言われようだな僕。まぁいいや、目の前で目を付けた少年が捕食されたんだ、体裁的には退治しないと」

 そうおっさんが言った瞬間、野々宮さんが口を開いた。
 
 
「変化――酸池肉林」
 

 同時に、視界が一変した。
 肉の壁と、肉の襞と、肉の柱と、肉の海。
 おぞましくも淫らに蠢く世界。 洋紅色と、朱殷色と、躑躅色で構成されたその空間は、何か大きな生物の体内のようだった。
 その中にいる、野々宮さんとおっさんの二人で……おっさんだけに、巨大な肉壁が横から新幹線のような速度で襲い掛かった。『彼女の動体視力で』、新幹線並の速度だ。
 殴りつける、と言うよりは押しつぶすと言った方が正確な肉のボリューム。液体になっていなければ物理的におかしいであろう現実。
 いや、そもそもなんだこれは? 空想? 
 この世界に、物理法則は存在するのか? 
 
 その答えはわからないが、おっさんは無事だった。
 肉を容易く――徒手に見えた――裂いて、すとんと降り立つ。
 と、同時におっさんの頭上に体育館の半分くらい巨大な液体の玉が発現し、それをまともに浴びた。
「……ここは、私の体内……。
 私の胃酸は……一滴で山を蒸発させる……」
 怖いよ! いくら胃酸が強くたってそうはならないだろ!!
 と言うか、さっきからツッコミどころが多すぎてコメントに困る。
 僕にわかったのは、おっさんは気体になっていなければおかしいと言うことだ。物理的にどうかはしらないが、常識的には。
 今更常識がどうこう言うこと自体ナンセンスだが。
「うーむ、確かに美少女の体内とか考えるとあれもこれもエロく感じると言うか……なんだか陸のマゾっぷりもわかるような気がしてきたぞ」 
 そう思っていたら本当におっさんは無事だった。
 現状一番謎なのはこのおっさんだ。
「なんで、無事なの……? これで生きてた妖は、存在しない……」
「だろうね。君に勝てる妖は、少なくとも今現在は存在しないよ。一人……じゃなかった、一体を除いて。ああ何で無事なのかって、僕の周りに薄皮一枚の護符が覆ってるからだよ」
「……………………」
 今ので溶けちゃったけど、と言うおっさんに対し黙り込んでしまう野々宮さん。
「まぁこんなことは初めてだろうから仕方ないっちゃ仕方ないけど、攻め手よりも疑問を優先してはダメだよ。
 見た目でだいたい察しはついていたけど、やっぱり君は妖寄りか。才能はどうあれ、祓魔師としては君は未熟も未熟、落ちこぼれだ……一族の中ではね」
 迫りくる無数の触手、一本一本が捕縛ではなく絞殺と握殺と撲殺と刺殺を狙ったような殺意しかない形状と軌道をしているそれらを、おっさんは牙札から出したポケットナイフ一本で全て切り刻む。
 おっさんの手から離れ空中を飛び回り、銀の軌跡を無数に描くそれが|自動《オート》か|遠隔操作《リモート》かはわからなかったが、少なくともおっさんは触手の方など見向きもせず、その紫の眼光は野々宮さんだけを射貫くように向けられていた。
「そして妖としても、現状『彼女』の足元にも及ばない……
 濡尾花凛光女。現世における最凶最悪の大妖にして、君の母親でもある」
「どうして、それを……」
 おっさんの指摘に驚愕する野々宮さん。
 全然話についていけない僕。
 なんか聞いている感じ、おっさんの正体どころか野々宮さんが本当に妖なのかどうかもよくわからなくなってきた。
「詩屋少年」
 すると突然、おっさんが野々宮さんの中にいる僕に語り掛けてきた。
「ごめんね、僕も一応祓魔の端くれだからその子は殺す。跡形もなく滅するから、当然中にいる君も綺麗さっぱり消える。
 まぁ、運が無かったと思ってあきらめてくれたまえ」
 あっはっは、とおっさんが言った瞬間、僕がふざけんなと心の声で叫ぼうとした刹那。

 ぶちりと言う生々しい音と共に、視界が美しい菫色に染まった。 

 紫がかった世界の中で、コマ送りのように展開は進んでいた。
 彼女の体内と称されていた肉々しい空間が消え、曇り空の下。
 見渡す限り土と原型を留めていない無機物だらけの荒野、その真ん中で。
 瞬きする暇もなく、野々宮さんが両手をグーにしておっさんに突き出している光景。
 その両の腕には、紙でできているような材質の手袋? のようなものがはめられており、おっさんがそれを目を見開いて防御していた。
 二人の手の間にはおっさんが出したと思しき札。おそらく防御用のそれだろう。その札が、ぼん、ぼん、と音を立てながら歪に膨張を繰り返し、凄まじい勢いで面積を何十倍にも増やして、やがて内部から食い荒らされるかのように自壊していった。
「当主でないであろう、君が……どうして『太極手甲』を……!?
 いや、これは……『変化』による模倣か……ッ!!」
 これまで余裕綽々と言った様子だったおっさんは、ここで初めて冷や汗をかいた、が……その口元は、むしろ嬉しそうに歪んでいた。
「私を、心配してくれた、優しい、詩屋くんを、殺すって、いった」
 一瞬、誰の声だかわからなかった。
 彼女の中にいるのにも関わらず。それほど、その声は冷たかった。
 切れ味の良すぎる日本刀で、しゃらんと綺麗に斬られたような寒さが身を襲う。
 と、言うか……多分なのだが。
 彼女の外でこの声を聴いていたら、恐らく失禁か失神か。
 下手を打てば両方を晒していただろう。
「お母様、ごめんなさい、言いつけを、破ります」




 先ほどおっさんが恐れたハイパー危険物である『太極手甲』とやらが。






 すんげーーーーーーーーーーーーーーーーーーいっぱい。
 出てきた。



 数にして、ざっと……いやごめん、言ってみたけど全然わかんない。
 でも少なくとも視界は九割九分太極手甲って感じかな。

「おおおおお……これは……。
 落ちこぼれ、とまでは……呼べないかな……?」
 
 おっさんの笑い顔も、楽しそう半分、やっちまった半分と言った様子だった。


 僕はなんてアホだったんだろう。
 彼女に向かって、君は弱い妖怪?
 祓魔協会に討伐される??
 だから僕が守ってやる???
 傷つけたくない????
  
 何を……何を言っているんだ、僕は。
 彼女にとって僕の強さなんて、それこそビーフジャーキーと大差ないと言うのに。 


「変化――太極陣」


 後から聞いた話になるのだが、この技は本当にひどいと思う。
 彼女の家では『相手の正体を探り、弱点を見つけるのは無駄』と言う考えを持っている。何せ敵は妖怪に鬼に霊に神によくわからないものにで謎が多すぎるのだ。例えば太陽光を浴びせないと殺せない敵がいたとして、夜現れたらどうしようもない。
 そういうわけで、相手が何であっても(暫定)絶対的に滅殺できる道具、と言うのが彼女の家に代々伝わる『神罰(神が罰を与えるんじゃなくて調子こいてる神に罰を与える道具らしい)』の中でも最強の、当主のみが使用を許される切り札、『太極手甲』だと言うのだ。
 その仕組みが、『陰陽の力を増幅させながらスパークさせて+と-の極限エネルギーを敵に叩き込んで相手の正体や実体の有無に関わらず問答無用で一発対消滅させる』と言うオカルトを通し越してSFじみたものでありまして。
 本物に比べれば駄作もいいところ、よく見りゃ子供が紙粘土で作って塗装したレベル、あんなん彼女の家なら3Dプリンタ(あるの?)でも作れかねないと言ったものではあるのだが、そもそも仕組みを真似しただけで四国サイズの島がふっ飛びかねないから当主以外は基本的に取り扱い禁止と言うナメた代物。
 を、彼女の『変化』の力(これは後でもうちょい詳しく説明がある)を用いて大量に顕現。
 避けたり札を身代わりにしたりとしぶとい相手に対し逃げ場を無くし(恐ろしい事に一帯を『変化』させて結界としているので転札で瞬間移動することも許さない)容赦なくボコボコにする血も涙も情けも容赦もない執拗なウルトラリンチなのである。


 親の仇のように降り注ぐ、対拳の雨。
 それに対し、おっさんは一枚の札を例によって例の如くすっと空から|取り出《ドロー》した。
 召札。
「見ていろ詩屋少年。札とはこう使う」
 札、よりも印象的だったのは。
 野々宮さんと同じ、菫色に煌めくおっさんの瞳だった。
 
「『赫蝴蝶』」
 
 妖精、だろうか。
 金髪の美しい少女のような、優雅な蝶々のような、小さな存在だった。
 なぜだか悲しそうな顔をした彼女は、聞き取れない言語で何か呟いた後、どこかへ飛んで行ってしまった。
 

 全ての太極手甲を、輝きと共に一息で焼き払ってから。

「な……ん、で……」
「太極手甲が紙で出来てるのは知ってるでしょ。本物はどうあれ、偽物なんて容易く燃えるさ……|『幼星』《ティニィスティアラ》の炎なら、の話だけど」
 おっさんは空高く飛んでいく妖精を目だけで追い、「これみたいにね」と静かに燃えていく召札をやや名残惜しそうに捨てた。
 あ、言い忘れたけど……ってかあまりにも自然すぎてスルーしてたんけど、おっさんも野々宮さんもナチュラルに空飛んでるのね。
 なんでやねん。
「まさか|UR《一品もの》を使う事になるとは……修業は怠るもんじゃないな。いやーごめん、ちょっとからかいすぎたね。さっきのウソウソ、君も詩屋少年も殺さないよ」
 おっさんが両手を挙げて交戦意志がない事をアピールする。
 それで警戒を解く野々宮さんではなかった、のだが……

「姪っ子ができるとは思わなくて、ついついちょっかいかけたくなっちゃった。
 どうも初めまして瑙乃のお嬢さん。元・瑙乃の光海おじさんだよー」

「…………へ…………?」

 さっきまでが液体窒素みたいな声だったので、いつもの声に戻った野々宮さんががやたらふにゃふにゃに聞こえた。

「だからいい加減に詩屋少年を元に戻してあげなさい。あとついでに、面白いくらい更地になったここら一帯も、巻き添えになった人ごとね。
 急がないと、もうそろそろどっかの祓魔師が嗅ぎつけて来る頃だよ」






「変化」
 と彼女が一言言うと、僕は魂だけの姿から元の体を取り戻した。
 そう言えば僕人間だった。てっきりビーフジャーキーだとばかり。
 教室から彼女の体内(リンクしているとは言え半分イメージらしく本物はあんな物騒な場所じゃないらしい)、そして一帯の荒野だった世界が、寸分の狂いもなく元に戻る。
「いくら元に戻るとは言え簡単に周囲ごと食べるのは感心しないなぁ……」
「ご、ごめんなさい……本気を出すと、つい……」
「しかし光姫ちゃん、君の変化はすごいね。本来自分にしか使えない変化を、他の物を勝手に自分と同一視して無理矢理変化させるなんて芸当……ちょっとした現実改変だ。カリンちゃんだってあんなことはできないよ」
「恐縮、です……自分と、同じくらい、までの……力量の相手、しか……直に変化は、させられません、が……」
 すっかり姪っ子モードになった野々宮さん……もとい瑙乃さんは畏まってしまっている。
 話を聞く限り相当無茶苦茶なことやっていたらしい。もう視界に映るものがだいたい無茶苦茶だったしね。
「流石に太極手甲まで持ち出すとは思ってなかったけど……それもあんなにも……」
「申し訳、ありません……ど、どうか、お母様には、内密に……お願いします……」
「いやまぁ、僕も絶縁喰らった身だしね……」
 そしておっさんも、どうやら瑙乃の出らしい。
 なんとなく予想は付いていたが、瑙乃とは祓魔のトップ……ティラノサウルスの一族のこと。
 こんなビーフジャーキーをつかまえて、どの口が君に才能があるなんて言ったのだろうか。
「詩屋少年も悪かったねー。瑙乃に女の子、それも妖の血が強い子が生まれる事がとんでもないイレギュラーなんだ。まるで想定の範囲外だった」
「いえ……僕ももっと野々宮さん……じゃなかった、瑙乃さんの話を聞いておくべきでした……」
 恥ずかしくて顔中の穴と言う穴から火を吹きそうです。
「し、詩屋くん、落ち込まないで……ごめんね、いきなりビーフジャーキーにして食べちゃって……」
「そこは別に気にしてないから大丈夫」
「加害者が、言うのも、なんだけど……普通、気にするところ、だよ……?」
「おっとこの子陸の生まれ変わりかな?」
 なんかよくわからない事を言ってるおっさん。
 僕は先程の戦いを見て、考えていた事を吐き出した。
「おじさん……僕に才能なんてないよ。あんな人外バトルについていけるわけがないじゃないか。なーにが|札術皇《カードマスター》だバカバカしい」
 自信のなさと共にしれっとおっさんのネーミングセンスを乏しながら|符束《デッキ》を返そうとすると、おっさんはあぁ……と苦笑いを返した。
「まぁ、瑙乃はちょっと全体的に頭おかしいところあるから基準にしても仕方ないよ。一般的な祓魔師として見れば、君は天才だ。頑張ればイグアナくらいにはなれる」
「それ褒めてるの?」
「ちなみに光姫ちゃんは現状大型のアリゲーターが猛毒持ってるって感じかな」
「いい感じのおやつになりそうだなイグアナ?」
 それにね、とおっさんが加える。
「|札術皇《カードマスター》の目的は強敵と戦うことじゃない。その手にある札は弱者を救うためのものだ。目的を履き違えては、いくら強くなっても大事な物はつかめないよ。
 それに……君の身勝手な独善は、随分深く彼女の心に刺さったらしい」
 そう言って瑙乃さんを見やると、彼女は頷いて僕に笑みを投げかけた。
「私が、殺されるくらいなら……傷付けてでも、嫌われてでも、それでも守りたいって、言ってくれたとき……とっても、かっこよかったよ……。

 詩屋くんは、本当に、強い人なんだね……。
 君なら、なれるよ……。弱いものを守れる、立派な、その、かーどますたーに……」

 そうかな。
 二人とも、買い被りすぎだよ。
 とは言え、少し。
 いや、かなり――

 その言葉に救われた、気がした。







「しかし君も目の付け所がいい。まさか札を渡した翌日に瑙乃の娘をハントしに行くとは」
「はんと……?」
 よくわからなそうな顔をする瑙乃さん。やっべ。
「いやいやいやーなんでもないんですよ瑙乃さん! 僕は瑙乃さんの身を案じてですね」
「この少年は保護と言う名目で見た目が可愛い妖怪の女の子を性どれ」
「ウワアアオオオオオ死ねおっさん! 獄門狗爪!!!」
「ギャアーッ!!!」
 あ、食らった。
 ギャグだと食らうんだ。
「詩屋くん……!?」
 ガラガラガラーッ! バオン!!!
「光海ィィィィィィィィィィィィッ!!!!」
 すごい勢いで教室の扉が開かれた。
 開かれたって言うかめり込んだ。バオンって言ったぞ今。
 やってきたのは瑙乃さんと同じく狸耳をした小学生高学年かそこらと言った少女だった。
 何やらものすごく怒っているように見えるが、瑙乃さんの妹だろうか。
「お母様!?」
「ひっ……かかかかかかカリンちゃんっ!? な、ななななんでこここここににに」
 慌てっぷり凄いな!?
 って言うかお母さんなのこの子!?
 お母さんっ、て……たしかさっき最凶最悪がどうとか言われてなかったっけ……?
「で、家っ、出てきちゃダメでしょカリンちゃんは!! 何やってんの光空は!?」
「ああ、邪魔しおったからね、妖怪変化してぶん殴ったよ。ありゃ方角的に恐らく越後まで飛んだね」
 ここ山梨県なんですけど。
「それより光海や……お前さん、うちの可愛い可愛い光姫に、なぁにをしてくれたんだい……?」
 彼女の殺気はそれはもう凄くて、僕は直接受けているわけでもないのに失禁&失神コンボ寸前だった。
「い、いつものロリババア口調じゃない……素だ……ややややべぇ……マジでキレてる……!」
 おっさんの方も結構膀胱が危ない感じだった。
「お母様、申し訳、ありません……私が、勘違い、して……」
「ああ、ああ、大丈夫だよ光姫。あんたはなぁんも悪くないんだからね。優しいあんたが太極陣を使うなんてね、もうよっぽどの事だろうからね。
 お母ちゃんはぜぇんぶわかってるよ。あのろくでなしに辱められそうになったんだよねぇ」
「全然わかってない!!!」
「全然、わかって、ません……!」
 全然わかってない。
 凄まじいレベルの親バカだ。
 どれだけ娘が可愛いのだろうか……いや可愛いけど。すごく。
「おやおやおや、なんて痛ましい……もう辱められてしまったのかい。辛かったねぇ……」
 話も聞いてない。やべーなこの人。たぶん人じゃないけど。
「あたしが親として、けじめをつけてあげないとねぇ……」
 そう言って見覚えのある手袋をはめはじめるカリンさん。
「ギャアアアアアアァァァァアアアアァァアァアーーーーーーーーッッアッアァ!!!!!
 本物の太極手甲なんて持ってきちゃダメでしょカリンちゃんーーーーーッッッ!?!?」
 恐怖と驚きと絶望のあまり声がすごい裏返ってるおっさん。
 ひぇぇ怖ッ……関わらんとこ……
「こっここいつこいつ!! この少年がね、光姫ちゃんと不純異性交遊してたからね!!!! ちょっと注意をしただけでね!!!!!!!!」
「はぁ!?!?!?!?」
 何言ってんのこのおっさん!?!?!?!?!!!?
 正気!?!??!?!??!?!?!?!??!?!
 やばい恐怖と驚きと絶望のあまり地の文も混乱してしまった。
「ほぉ……? うちの娘を、傷ものに……?」
 カリンさんがこちらを向いた瞬間、僕の尿道から凄まじい勢いで尿が発射された。
 状況が状況だったのでそれに関しては逆に冷静だった。
「だ、大丈夫……? 詩屋、くん……」
「止めて?」
「わ、わかった……!」
 心配してくれた瑙乃さんは僕の下半身に顔を近づけた。ちんこをどうしようか迷っているようだ。
「そっちじゃないですよ(↑)! お母上をですよ(↑)!!」
 僕の声もすごいことになっているのを見てか、おっさんが凄い勢いで札を取り出し始める。
 あたふたと焦りすぎて逆にトロい。
「今だ! 転札!!」
「ふざけんなおっさん!!! 逃がすか!!!」
「二人とも死ねェェェエェェェ!!!!」
 カリンさんの両手が眩い光を放った。






 後にこの出来事は瑙乃一族最低最悪のしょーもない珍災として語られることになる、が……
 僕がそれを生きて知る事ができたかどうかは、また別のお話。




 (完)
 皆様いかがお過ごしでしょうか。
 僕は今、ちょっといい仲になった若干食いしん坊な女の子の家に招かれ。
 とっても娘さんが大好きな、見た目小学生そこらの大変可愛らしいお母様に。
 ものすごい勢いでガンを飛ばされて、再失禁の危機に瀕しているところです。
 
「あの、お母様……あまり、みーのくん、睨まないで……ください……」
 ついこないだ光にされかけたこともあり冷や汗ダラッダラの僕を見て、あたふたと光姫さんがカリンちゃんさんに懇願する。
「睨んでおらぬよー全ッ然睨んでおらぬよ光姫。最近は老眼が進んでのう。近くのものがよく見えんのじゃよ」
 じゃあデコがぶつかりそうな(と言うか二度ほどぶつけられた)距離まで接近してくることないと思うんですよね。僕としましては。
「老眼、ですか……そうと知らず、失礼致しました、お母様……老眼なら、仕方ないね……身構えなくても大丈夫だよ、みーのくん……」
 母の言葉でほっとして、にこやかな笑みをこちらに向ける(と、思うんだけど目を逸らしたら死にそうなのでそちらを見られない)光姫さん。この子色んな意味で大物だと思う。
「みーのくん、のう……」
 そして可愛らしいあだ名で呼ばれている僕に一層不機嫌さを増すカリンちゃんさん。
 はぁーって吐く息、いい匂いっちゃいい匂いなんだけど若干おばあちゃん臭い。
「うちの娘とずいぶん仲が良いみたいで、親としては大ッッ層うれしいばかりじゃ……」
 全くそう思っていなさそうなツラと口調である。
 チャカでも突きつけられた方がまだリラックスできるな。断言できる。
「……で、本当に光姫に手を出しておらんのじゃな……?」
「は、はい……!」
 ようやく喋る機会が与えられたと思ったら、突如二つの内の片方が赤文字で書いてあるような選択肢が発生した。
 どもりながらも迷わず白文字の方を選んだ僕に、カリンちゃんさんはしばし睨み続けた後、ケッと吐き捨てて顔を離した。
「まぁ、光姫もまだ|接吻《きす》どころか手も握っていないと言っておったし、仕方ないから信じてやろう。ありがたく思うんじゃな」
 お許しの言葉に頭を下げる僕。
「ははーっ……」
 お母上だけにね! ナイスギャグ!
 とか言おうもんならギって言いかけたあたりで多分四肢のどこかはもがれてたと思う。
 そう言えば手は繋いでないけどキスよりもっとすごい事はしたなぁ。
 100%面倒なことになるから絶対言わないけど。

「しかし、まぁ……外部の人間が瑙乃の敷地に入ってくるなど、七百年の歴史で初めてじゃな。業者を除けば」
 光姫さんより若い、中学生くらいの男の子――やっぱり目が紫色だ――が、お茶を運んできてくれた。光姫さんの弟くんのようだ。
 それを啜ってから、どこか感慨深そうにするカリンちゃんさん。
「あ、どーも。いただきます……逆に業者は普通に入ってきてるんですね……」
「当然じゃ。いんたーねっつの回線を繋げる祓魔師がおるか」
 いなさそーだなぁ。
「ま、ここ二、三十年でこの獣の耳もこすぷれで通用するようになったせいもあるがの。昭和より前の時代なら、身を隠さねばならんかった」
 そこで僕の事を横目でちらりと見て、何やら思案するカリンちゃんさん。
 先ほどより敵意は薄まったとは言え、その眼光は未だ柔らかいものではない。


「……お主、祓魔一族との繋がりは本当にないんじゃな?」


 その声は、後ろから聞こえた。
 目の前にずっと座っていた彼女を見ていたのに、そこで初めて彼女が視界から消えている事に気付いた。
 ぞわり、と鳥肌と冷や汗と眩暈がいっぺんに押し寄せる。小便など垂らす暇もない。

 今のは、ギャグじゃなかった。
 死んでいた。
 比喩ではない。全身の感覚が、そう言っていた。
 今、『死を通っていた』。
 彼女が何かしていたら死んでいた、ではない。

 ・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・
 彼女が何かしていなかったら、死んでいた。
 


「別に、繋がりがあっても殺すわけでもないし、繋がりがあるのを知らなかったとしても責めるつもりはない。真実を言え」
 カリンちゃんさんは静かに囁く。 
「ッ……僕は、知りませんっ……。祓魔の話もこの間初めて聞いたし、家族も恐らく関係ない、とは……思います」
 僕は言葉を選んで、慎重に答えた。
「ただ、おっさ……光海さんが、紙矢の傍流かも、みたいに言ってたから、もしかしたら、何かあるのかも……」
 人生で一番長い、数秒の沈黙。
「…………ふむ」
 カリンちゃんさんはとことこと歩いて元の位置に戻り、どっかと座り直した。
「ま、光海が祓魔の前で光姫とのやりとりを聞かせるわけもないか。ええじゃろ。楽にせよ」
 そう言うと、重りが全身に纏わりついたようだったのが一気に軽くなった気がした。
 見れば、座布団は汗ですっかり湿っていた……
 ……失禁じゃないぞ。今回は。
 カリンちゃんさんはお茶請けのおかきをばーりばーりとかっ喰らい始める。
 位置的にたぶん僕のだとは思うんだけど、ここはスルーしておこう。
「儂の存在は祓魔一族としては|禁忌《たぶぅ》もいいところ。先に儂の方がお主の前に出てきたとは言え、あまり触れ回られると困るんでな。一応釘を刺しておく。儂と光姫が瑙乃に存在することは決して他言無用。よいな」
「もちろんっす」
 即答する僕。
「まずないと思うが拷問でもされたら知らぬ存ぜぬで通せ。喋ったらお主の家族はこうなる」
 と言ってカリンちゃんさんはおかきをつまみ上げ、口の中に落として噛み砕く。
「ひぇっ……」
「お、お母様。みーの君は、一般人です……本人はともかく、ご家族まで、巻き込むのは……」
「む……そうじゃな。優しい光姫に免じて、家族は勘弁してやろう」
 ガチビビリする僕を見て優しい優しい光姫さんが口添えしてくれた。
「あ、ありがとう光姫さん……」
「ううん……みーの君は、偶然知っちゃった、だけだから……」
 笑顔が眩しい。僕の家族の危機は去ったのだ。本当にありがとう光姫さん。
 でもどうせなら僕の身も勘弁してくれるともっとありがたかったな!
 とは口に出せない僕。
 あ、僕の分のおかきの追加を弟くんが持ってきてくれた。
「ありがとうね」
「すいません、うちの人たちちょっと全体的に……おかしいところあるので……」
 心底申し訳なさそうに言う弟くん。
 肝心な部分をぼかして言ったが、具体的にどこがおかしいのかは先日聞いたので納得した。
 彼も女性から見ればかなりの美男子であろう。身長は低いが、小さくて細い顔と憂いを秘めた(苦労人の証だ)紫の瞳を見れば、少女もおねーさんもそういうのが趣味のおっさんも我先にと群がってくることうけあいだ。
「自己紹介がまだでしたね。俺は光年、二個下です。よろしくお願いします、みーの兄さん」
 ニカっと歯を出して笑う爽やか美男子に俺も危うく落ちそうになった。いかんいかん。
「うん、こちらこそよろしく」
「おかしくて悪かったのう」
「い、いや別に……」
 不機嫌の矛先が光年くんへと向かう。可哀想だからやめてあげて。
「……ま、おかしくて当然じゃ。瑙乃の一族は人間ではない。肉体も、精神もな。
 口止めもしたことだし、折角ここまで来たんじゃ。教えてやるわ……お主が気になっていたことをな」
「……!」
「お母様……っ?」
 それを言っていいのか、と反応を見せる二人にカリンちゃんさんは手を振った。
「ここまで知ったんだし大して変わらぬよ。年寄りに愚痴くらい言わせておくれ」
 顔を見合わせて静観を決めた二人。カリンちゃんさんは続ける。
「小僧よ。お主は疑問に思わなかったか? 瑙乃の系譜について、何かおかしいと思わんかったか?」
「……」
 思った。
 妖怪の、ロリババアさんがいる。それはいいだろう。人外の女の子がいるんだし。
 そのロリババアさんが祓魔一族の嫁にいる。一般的にどうかはしらないが、僕の感覚ではそれほどおかしいとは思えない。
 だが、彼女は言った。
 光姫さんを、娘だと。
 光海のおっさんを、息子だと。
 一方、おっさんは言った。
 光姫さんを、姪っ子だと。
 二人の発言に、家系図が合わない。
 ある一つの可能性を、除けば。
 僕の顔を見て、カリンちゃんさんは察したようだった。
「……そういう事じゃ。儂は、瑙乃一族の大母。初代様を除いた瑙乃の者は、全てこの腹から生まれてきたのよ」
 姉弟の顔が、僅かに強張った。
 まさか、とは思っていた。いやそんな、と否定していた。
 瑙乃家は、近親相姦の一族だった……と、言うのか。
 完全に他人事なら凌辱エロゲみたいな展開っすねと興奮してたかもしれないが、好きな子の家となるとそうもいかない。
 ……いや、全く興奮していないと言うわけではないが。
 ショックを隠せない僕に、彼女はほんの少し陰りを見せる。
「瑙乃の女は肉奴隷。男共の性欲のはけ口にして、日ノ本の懐刀を孕む器じゃ」
「……!? じゃ、じゃあ光姫さんも」

「光姫をそんなことにさせてたまるかボケェェェェーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!!!」

 反射的に出た僕の台詞に、カリンちゃんさんが山の向こうまで響きそうな怒声を挙げた。
 ごめんなさい、と咄嗟に出た僕の言葉も遮られた。完全に。
 お茶の残り(ぼくの)をガフガフと飲み干して、ドンと湯飲みを叩きつけた。
 このちゃぶ台丈夫だなぁ。
「光姫は|不測事態《いれぎゅらぁ》じゃ。本来、瑙乃には男児しか生まれんはず。それなのに何故か……女の子が生まれた。それも、|瑙乃《祓魔》よりも|儂《妖》に近い、な」
「……」
 しゅんと狸耳を垂れさせる光姫さん。それを見てすかさずカリンちゃんさんがフォローした。
「いや、光姫が悪いわけではない。安心するのじゃ、お主は何も悪くないぞ……悪いのはだいたい|初代様《あのへんたい》じゃからな……」
 よーしよしと頭を撫でられる。傍から見れば妹が姉をあやしているようにしか見えない。
 カリンちゃんさんは光姫さんの頭をぎゅっと抱き、決意を秘めた瞳で彼女を見つめる。
「光姫は儂と同じ目には合わせん。人間と同じように生きさせて、人間と同じように死なせる。誰が何と言おうとな。
 ……たとえ初代様が命令しても、儂は従わんぞ」
「お母様……私は……」
 責を背負う母親に、普通に生きろと想われる娘。
 その心境はわかるような気がしたが……
 きっとよそ者の僕には、まるでわかっていないのだろう。
「俺も、姉ちゃんには普通に生きて欲しい。親父もそう言ってた。姉ちゃんは、ちょっとアレで、アレで、アレなところがあるけど……ただの女の子。まぎれもない人間だよ。初代様だって、きっとそう言うって」
「光年……」
 自身もまともとは言えない生涯を辿るであろう光年くん。
 彼の、少しも飾る気のない本音だった。
「アレって、何……?」
「ははは……」
 全くわかっていなさそうに首を捻る姉に、笑ってごまかす弟。
 言いたいことはよーくわかるから強くは言わないが、少しは飾ってもいいと思う。
「……初代様、か……」
 湿っぽい雰囲気になっていたところで、カリンちゃんさんは天井を仰ぎ見ながらぽつりと語り始めた。

「初代様……瑙乃光時様は、特殊な人間じゃった。
 その身体は半陰陽。男でありながら女であるという『矛盾した体質』を『相反する力』とし、正負、表裏、真贋、清濁、乾坤、生死……『反対のもの』を掛け合わせる陰陽術において比類なき実力を誇った。
 命果てる度にその身体と力、そして紫色の瞳を有した赤子に転生し、日ノ本を脅威から守るため、永劫の時を戦い続ける。
 聞けばあのお方は、いつから戦っていたのか覚えていないが……日ノ本が島国になった頃には、既にその身には戦う術が刻まれていたと言っとった。
 守り神、英雄、などと一言で称せば聞こえはいいが……儂の目には人の手に余る全ての害悪を押し付けられた……哀れなのろわれびと、にしか見えんかったよ」

 日本神話とかの端っこにでも書いてありそうな壮大な話になってきた。
 カリンちゃんさんの語り口を聞く限り、その伝説は英雄譚ではなく、悲劇として。
 そんな人が祖先にいたら、そりゃあんなデタラメの一つや二つ起こしかねない。
 ……などなど、色々な事を考えていたら、さっきまで切ない昔話を語る顔だったカリンちゃんさんの額に青筋が浮かび始めた。

「……ま、その哀れなのろわれびとは、
『お、いい妖力持ってんじゃーん! 人間との|子供《ガキ》じゃ|某《それがし》の力を十全に受け継げなかったけど、これなら|某《それがし》の【雄雌】の代わりに【人妖】で陰陽を宿した跡継ぎができるかもなァ!
 そうと決まれば種付け種付け、がっははは悦べ濡尾花凛!(バシバシ) これからお前は瑙乃一族が妻【光女】だ! 代々の種壺女として|某《それがし》の代わりに永劫を過ごす権利を授けてやる! 肉棒には困らん、たっぷり愉しめ!! なっはっは!!!』

 ……などと大笑いして儂に役目を押し付け、好き放題儂の身体をおもちゃにして犯すだけ犯した後は晴れ晴れした顔でぽっくりと逝ってしもうた」

「……」
「……」
「……」
 そっかー。
 そういう人か―。
 あのおっさんの性癖と言うか外道|力《ぢから》も大概だと思っていたけど、初代は尚ひどかった。
 さっきまで故人を偲ぶようだった雰囲気は一気に離婚調停のそれになり、僕たち三人はこれ以上ないほどの気まずい思いをさせられていた。 
「不老不死とは言え、儂も所詮は形あるもの。遠い遠い未来に滅びるやもしれんが……あの腐れ鬼畜色狂い男女男を全力の全力の全力の本っっっっ当に全力で一発ぶん殴れるその日までは、儂は大妖・濡尾花凛の名にかけて絶対に成仏せんぞ」
 そうまくしたてるカリンちゃんさん、に。
『彼』は答えた。










「そうカッカすんなって、花凛よォ。
 可愛いツラが台無しだぜ」






 え。
 

 その声は、僕の右隣から。
 光姫さんの、真正面から。
 カリンちゃんさんから見て、左隣りから。
 
 今しがた、光年くんが座っていたところから、聞こえた。


「あ、なた、は……」
 カリンちゃんさんの赤い目……瑙乃で唯一紫色ではないそれが、大きく見開かれていた。
 原初の紫である、『彼』の目を見て。



「|某《それがし》もちったぁ反省してんだぜ?
 またたっぷり可愛がってやるからよォ、機嫌直してくれや」


 光年くんと、顔立ちはほとんど変わらなかった。
 だがニヒルに片目を閉じて笑うその貌は、色気すら漂う程に蠱惑的な美少年。

 よそ者の僕でも一発でわかった。
『彼』は、初代瑙乃当主。
 瑙乃光時、その人だ。
 
79, 78

  

「あなっ、おまっ、おぬっ、みつっ、くそっ、きちっ……」
 頭をぽりぽりと掻いてお茶を啜る初代様に、カリンちゃんさんはこれまで何百年の言いたい事全てが口の中で大混雑しているようだった。
 指を差したまま、泣いているような笑っているような怒っているような照れているような、目をめいっぱい見開いて口の輪郭をふにゃふにゃさせ続けている。
「あー、んー、某って時代でもねーか。光年といっしょでいいな。俺だ俺。紛らわしいが間違う奴ァいねーだろう」
 そんなカリンちゃんを放置して、初代様はひらりと軽く跳んで光姫さんの隣に立つ。
 目線を彼女に合わせるように座り、顔を近づけてまじまじと眺め始めた。
「おお、これが瑙乃のイレギュラーのツラか。うーむどこを取っても美少女……花凛をもうちょい成長させたらこうなるんかね。うまそうだ」
 舌なめずりをする彼に、光姫さんは緊張を隠せない。
「しょ、初代様……なのですか……?」
 おずおずと尋ねると、初代様は待ってましたとばかりに美少女と見間違うばかりに長くなった髪の毛を振って、大見得を切る。

「おォよ。天下に名高い美男子祓魔、瑙乃光時たァ俺のこと。
 悪い妖怪、|不貞《フテ》た神さん、魔羅をぶちこみゃ俺の|女《スケ》、ってなァ!!
 あ、ちなみに女の事をスケって言うのは昭和時代からだから覚えておけ。テストに出るぞ」

 ししし、と笑う初代様は、背格好だけなら調子こいたジャリガキにしか見えないが。
 その風格? 雰囲気? 態度?
 全部微妙に異なる気がして、なんと言えばわからないながら。
『あ、この人英雄だ』って一発でわかる直感と。
『え、英雄ってこういう人なの?』っって疑問を感じざるを得ない印象。
 相反するようなそれらが同時に頭に入ってくるような、そんな不思議な人だった。
「しっかしお嬢ちゃん可愛いねぇ~。光姫ちゃんよ、おじいちゃん最近腰が悪くってさァ、介護が必要なんだよ介護。そういうわけでビンビンになった俺のチンポ、まずはちょーーーーっとその可愛いお口で咥えて……」
 突如、英雄から三十段くらい格落ちして典型的エロオヤジになる初代様。ズボンの上からでも形がわかるその勃起ペニィスを取り出そうとする、も。
「このっ」
「獄門狗牙ッ!!!」
 混乱の真っ最中だったので対応が遅れに遅れたカリンちゃんさんのひよひよパンチと、反射的に出してしまった僕の牙札(頭をガードできるやつを緊急用に家に入る前から引いていた)が挟み撃ちにした。
 とは言え。
「何だ、これは」
 受け止められたのは、カリンちゃんさんの方のみ。僕が顕現させた山狗の牙は、視線一つで止められていた。
 僕も咄嗟に出してしまったせいで殺すつもりなど毛頭なかったにせよ、牽制するつもりはあった。
 鋭い眼光に射貫かれて、ではなく。
 ちらと見ただけで、僕の身体は踏み込む事を恐れたのだ。
「いや、質問に答えてくれよ」
 黙りこくる僕に、初代様は、繰り返す。


「何だ、これは」


 そこでハッとする。
 僕は、喋ることができる、自分の口を持っていたのだった。
 今、気付いた。
 彼と言う『人間』を目の前にして、自分が単細胞生物か何かにでもなったような気がした。
「牙札――『獄門狗牙』……なんですけど……」
「ほーん。この造りは瑙乃製か。かっこいいもん持ってんじゃんみーの兄ちゃん。もっと上手く使いこなせるこったな」
 彼が怒っていなかった事に安堵する。
 急にテンションが平常になるから、もしかしてあれがガチギレ状態なのかと思った。
「いやぁ、悪りィ悪りィ。一応女が幸せな彼氏持ちと既婚者には手は出さねェようには心がけてるんだが、あんまりに美味そうだったからよォ。二人っきりのプレイに飽きてきたら俺もご相反に預からせてくれや」
 要するに半分冗談だったが半分は本気だったと言うことだ。あっぶねージジイ。
「わ、私たち……そんな関係、なの、かな……?」
 照れながらも訪ねてくる光姫さんに、僕が何か言うより早く初代様が食いつく。
「おっと、フリーだったか? そいじゃァ早いもん勝ちだな」
「この小僧と光姫はとっくの昔に|相思相愛《らぶらぶ》かっぷるじゃっ!!!!
 儂が認めた|婚約者《ふぃあんせ》から光姫を寝取ろうなど、舐めおるなこのっ…………」
 ようやく口が回るようになったカリンちゃんさんは拳を震わせ、ご近所によくよく聞こえるように大声量で罵った。

「……富士山級うんこ男がぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」

 色々言おうとした末の結果、小学生のような発言をかますカリンちゃんさん。
 に、対し。
「あーやっぱ性欲止まんねェわ。花凛で一発抜くか」
 と言って掴んでいた手をぐるんと捻って抱き寄せ、ずかずかと奥の部屋に引き摺っていった。
「おい、待てっ、この……」
「はいはい後でな後で」
 抵抗するカリンちゃんさんを適当にあしらい、ぴしゃりと襖を閉めた。
 ……と思ったらちょっとだけ開いて、僕たちに向かって言った。

「まぁ、さっきの詫びだ。見てもいいぜ」

 そして、喚き暴れるカリンちゃんさんの服を口笛混じりに脱がし。
 彼女の中へと、腰を押し進めた。

「ひぃ、やああああああああああああああああぁぁぁぁぁんっ!!!!!」
 
 最初の一突きを食らっただけでカリンちゃんさんの蕩けた嬌声が響き渡る。
 語尾に完全にハートマークが付いている甘いイキ声に、僕は一瞬で完全勃起した。

「はっはっはっはっは! いやァ、やっぱり花凛の穴は一番だ! 身体を触ってやっただけでぐっじゅぐじゅに溢れさせた汁が絡む、このせまっ苦しくてぷりぷりっとしたまんこ肉!
 俺のチンポも大喜びで震えてるわ! う~っこれこれっ、生き返ったって感じがすらァな!
 あ、俺のっつってもチンポは光年のか。なっはっはっは!!!」
 などと言いつつ、テンポもペースも関係ないとばかりに腰を高速で動かす初代様。
 カリンちゃんさんは、その一突きごとに断末魔じみたアクメ声を響かせる。
 水遊びでもしているかのような淫猥な効果音と共に。
「あーっ!!!」
「あ、ひーっ!!!」
「し、死ぬっ……!!」
「死んで、しまっ……!!」
 性交が開始してからの秒数の、何倍もの絶頂が彼女を襲っている。
 既にその身体に力はなく、小便を垂れ流しながらも止むことのない快楽に、完全に屈服させられていた。
「やべぇなこの熟成ガキマンコ、|瑙乃の男《俺のガキ》共数十人に七百年間ほじくられ耕され続けて、美味さそのままに一層ねちっこくなってやがる。
 ひだ肉の一枚一枚からじゅわっとマン汁が染み出てきて、俺のマラをうましうましとしゃぶり尽くすはしたねェ肉筒よ。
 何人孕んでひり出しても締まりがゆるくならない、生まれながらの愛玩妖怪たァこいつのことだぁな!!」

 ……やばい。めっちゃシコりたい。
 欲を言うなら、ご相反に預かりたい。
 が、僕一人ならともかくここには光姫さんがいる。そんな事は……

 今、僕はふと思った。
 あっ、僕つい覗いちゃったけど光姫さんに軽蔑されやしていないだろうか。
 そして、その懸念は一瞬で消失する。
「……はぁ、はぁ……。
 あの、可愛らしい、お母様が……光年の身体を使った、初代様に……」
 僕の頭の上から、小声ながらも興奮した独り言が聞こえたからだ。

 ……やばい。めっちゃんこシコりたい。
 欲を言うなら、勢いで光姫さんとおせっせしたい。
 って言うかさっき展開の急さでスルーしたけど僕カリンちゃんさんに|婚約者《ふぃあんせ》にされてた。
 初代様の毒牙からガードするためとはいえ、親公認って事は……
 ……おせっせを致しても、許される……!?

 僕は完全淫靡ドスケベナイト|空間《スペース》の中、自分の下腹部を触らないよう、どうにか自分を押しとどめた。 

「はー|射精《で》る|射精《で》る」
「やっ……
 ら、え……」

 初代様が、カリンちゃんさんに瑙乃の種汁を吐き出した。
 もはや言葉にならない呻き声の中でさえ、語尾のハートマークは外れない。
 恐らく彼女の感覚だと、脳内をちんぽでかき回されているが如しであろう。

「ふゥ。まだやれるが……ま、とりあえず後回しだ」
 そう言ってこっちの方がいいとばかりに半裸から着流しに着衣を変え、痙攣するカリンちゃんさんのお尻をぺしぺししてから立ち上がる初代様。
 のしのしと歩いてくる彼に、出歯亀二人はあわあわと襖を開いて(特に示し合わせていないが僕が左で光姫さんが右だ)どうぞお通り下さい的なポーズを取った。
「うむ。くるしゅーない」
 どっかと座り、やっぱり立ち、台所へ行ってオレンジジュースをパックからガブ飲みしてから再度座り直す。そして思い出したかのように、
「そういや|光年《こいつ》童貞だったか。あっはっは、まぁいいだろう。俺なンざ、だいたいいつ転生してても八歳くらいにゃァ|情婦《オンナ》がいたぜ」
 とかのたまい出した。なんてロックなジジイだ。
「初代様……その身体は、光年を、乗っ取っておられるの、ですか……?」
 不安そうに、光姫さんが尋ねだした。
 そう言えば急展開なので疑問が追い付かなかったが、彼の身体はどうなっているのだろうか。
 まさか、光年くんの意識が完全に消失した……なんてことは、多分ないとは思うが。
「あァ、そのことなんだけどよ……さっき大層に見得切っといてなんだが、俺正確には光時じゃねェのよ」
「うん?」
「え……?」
 汗ばんだ長髪……光年くんのそれより明らかに長いそれをそこらへんにあった輪ゴムで留めつつ、彼は続ける。
「瑙乃光時の魂は、花凛に喰われて完全にこの世から消えた。輪廻転生もしねェ。成仏したッてわけだな。
 今いる俺は、その花凛が喰った魂の記憶と瑙乃一族の集合意識が合わさって生まれた、いわば『なんちゃッてコピー光時』だ。
 光年と瑙乃の血が作り出した、光時のフリをしているなんか変な人格ってとこだ。ちょっとフルフロンタルみたいなとこあるかもな」
「僕UC最後まで見てないんですよね」
「見とけ見とけ。光年はフルアーマープランB全塗装で組んでたぞ。しかも三体」
「HG?」
「MG」
 マジかよ。
 金あんな瑙乃家って気持ちと光年くんその歳で結構ガチなモデラ―やねって気持ちがすごい。
 本筋に関しては、言わんとすることは概ねわかった。
 話の流れからすると、『光年くん』は無事。今ちょっと初代様の記憶を引き継いだ初代様っぽい人格が発現し、軽い暴走状態と言うか、制御できていない感じみたいだ。
 時間が立って落ち着けば、光年くんの人格が表に出てくる事だろう。

「……集合、無意識……? ……ふるふろ……??」
 一方隣の光姫さんはよく理解できていない様子だ。
 ガノタトークが邪魔だったとは言え、この人だいたいいつも首捻ってるよね。
「あァ、難しく考えなくていい。面倒だったら『ちょッとだけ光時の霊がお邪魔してる光年』ってことでも別に問題はねェから」
「わかり、ました……無事でよかった、光年……」
 光姫さんがほっとしてるから言わないけど認識としては全然ちゃうもんですよねそれ。
「まァ、本物か偽物かなんて大した問題でもあるめーよ。俺がこうやって出てきたのは、イレギュラーが重なったからだ」

 |不測事態《イレギュラー》。
 その言葉にだけ、これまでにない圧力が籠っている気がした。

「瑙乃光海の瑙乃家からの離反……これはまぁまァ、前例があるから大したことでもねェな。
 だが、花凛の一時脱走とみーの兄ちゃんの招待……これはあんまり、よろしくはない」
「……そ、それは……」
 口ごもる光姫さんと、心臓を捉まれたような焦燥感に陥る僕。
「よろしくないからあまりおいとくわけにもいかねェが……それより何より一つ。
 重大な、イレギュラーがあるよなァ?」

 彼の貫くような視線は。
 瑙乃一族の重大なイレギュラー……光姫さんを、捉えていた。
 冗談に塗れたテンションで発言していた彼が、静かに言い放つ。 

「みーの兄ちゃんがこの家に住まうのは認めてやる。セックスもしたけりゃすればいい。
 だがな……瑙乃の女は、祓魔の神髄を孕むための器。
 普通の人間でいようなど、本気で俺が認めるとでも思ったかよ」

 この人は、光年くんなんかじゃない。
 例えコピーであろうと、なんちゃッてであろうと。
 瑙乃の初代当主、祓魔の皇であることに異論など唱えられるものか。
 彼は最強にして最古の瑙乃。
 瑙乃光時、その人だ。

「なに、を……言っておる、おぬし……ッ!」
 そこでようやく、復活し着衣を整えたカリンちゃんさんが息切れながらに奥の部屋から出てきた。
 開けた襖の淵が凹み、ほとんど折りたたまれるようにめきゃりと変形する。
「光姫まで、儂と同じ目に遭わせるつもり、なのか……お前、は……!!!」
「ああ」

 瞬間、初代様がすごい勢いで何物かに殴りつけられ、外へふっ飛んで行った。
「お母様……!?」
 光姫さんには見えた、らしい。
 彼女が何をしたのかが。
「小僧を喰ってやれ、光姫。お主の中が一番安全じゃ」
「何を、なさるおつもり、ですか……!?」
 カリンちゃんさんは着物の裾部分を豪快に破り、ミニスカートの丈にして動きやすくした。
 そして腕をまくり、言う。
「決まっておろう」
 そして、歩く。
 向かう先……庭に、何事もなさそうに立っている、一人の少年がいる。
 不敵に笑う、原初の紫が。



「どうやら光年は、ろくでもない悪霊に取りつかれたようじゃの。
                   ――追い出して、その魂かっ喰らってくれる」

「たとえ修業不足でも落ちこぼれでも瑙乃が悪霊に憑かれるかっつの。
                 ――本気で俺に勝てると思ってんのか、花凛よォ」


 対峙する、はじまりの二人。
 挑発的な瑙乃光時に対し、濡尾花凛は長い髪を重力に逆らわせる程に猛っていた。

「お主が光時様を騙る痴れ者だったら、一万回殴ってからあの世に送ってやるわ。

 でも、もしも……

 あんたが光時のクソバカ腐れチンポ鬼畜外道男女男富士山級うんこ男女本人だったら……

 一千憶回ぶん殴ってから、あたしとあんたで共におっ死んで……
 
 地獄の果てでも永遠に殺し続けてやろうかねぇ……!!!!!!!!」


 僕は全く動くことができず、固まっていたところをひとかけらのチョコになって光姫さんに食べられる。
 彼女の一大事だと言うのに、彼女に守られる他なかった。
 

 おっさん、僕思うんだけど。
 やっぱり力、必要だよ。
 やっぱりこれも後から聞いた話ではあるんだけど。
 本家本元……カリンちゃんさんの『変化』の幅は、同じたぬき妖怪でも光姫さんのそれとは比べ物にならない程に不自由である。
 自分はおろか(ほとんど姿変えないけどね彼女)周囲をも巻き込んで多種多様に『変化』することができる光姫さんに対し、カリンちゃんさんは初代様に『弄られた』影響もあって、三つの形態にしかなれないのだ。
 普段過ごしている、たぬ耳美少女モード。
 瑙乃男児にツッコミ入れたりぶん殴ったりするための、妖力開放もふもふ中型リアルたぬきモード(かわいい絵面と字面だが『たぶん核シェルターより安全』な瑙乃結界を軽くぶち破ったりする)。
 そして、本気の大狸……山ほど大きいわけではない。が、一般的な小学校の校舎よりは大きいと見られる、濡尾花凛モード。これで全部となる。
 なぜ、そんな融通の利かない彼女の『変化』が光姫さんを凌駕しているのか……。
 理由はいくつかある。
 その内の一つが、『これ』だと言う。

 

 初代様としばし睨み合っていた……と言うか一方的に睨んでいたカリンちゃんさんは、何の前触れもなく。
 増えた。

「!?」

 光姫さんの視界を共有して、どうにか『それ』を見ることができた。
 まるで、忍者が使う分身の術のように……彼女は十数もの虚像あるいは実像を現実に映し、四方八方から殴る蹴るの暴行を開始する。
 世にも奇妙なひとり集団リンチ。
 その殴打音は数秒……いや、数瞬の間、途切れることはなく続いていた。
 テレビの砂嵐。
 例えるなら、それに近い。
(何発、入れた……?)
「数えられなかった……ごめんね……」
(あ、いや……)
 僕のひとり言に丁寧に答えてくれる光姫さんに悪いとは思いつつも、丁寧に謝っている余裕は僕にはなかった。


『国崩しの悪華』濡尾花凛。
 彼女の『変化』の妙境は、その速さにある。
 大狸に変化し、そして人間の姿に変化し直すと言う一連の流れ。
 その際、体積の違う二つの姿は、互いの身体の――人間の姿の方は誤差レベルだが――『どの部位を基点にして再度現れるか』を自分で決めることができるのだ。
 要するに、人間モードから大狸に変化して、人間に戻る時……大狸の頭のてっぺんで戻りたいと思えば、大狸の頭があったその場所に人間の姿でワープすることが可能と言うことになる。
 大狸に変化。右手部分で人間に戻る。殴る蹴る。
 また大狸に変化。左手部分で人間に戻る。蹴る殴る。
 光姫さんなら簡単になぞることができるその工程を、ただ繰り返しただけ。
 
 ――ざっと四桁ほど。




「変化――千変万華」



 
 ノイズ音が止むと同時に、カリンちゃんさんはざっと音を立てて元の場所に戻っていた。
 一方でその恐ろしい程の連打に晒されていた初代様は……尚も笑みを絶やしていない。
「まずは一万回張ってやったが……まーだ胃のむかむかが収まらないねぇ」
「おう、効いた効いた……泣いた女の張り手は、いつだって心にずーんとくらァ。惚れた女なら尚更だ」
「よくもまぁ、いけしゃあしゃあと……!!」
 
 台詞だけを聞けば初代様はノーダメージに見えるが、そのほっぺたはトマトのように真っ赤になっており、若干……どころではなく腫れていた。
 精神的にどうなのかは本人のみぞ知ると言ったところだが、肉体的には効いていないわけではないらしい。
「……顔面をしこたまぶっ叩いた後は執拗に玉袋ばっか狙いやがってよォ……光年が種無しになったらどーすんだッつーの」
「そんなヤワな子に育てちゃいないよ。年はあんたみたいなロクデナシとは違ってしっかりしてるからねぇ」
 おー危ねェ危ねェとちょっと内股になる初代様に吐き捨てるように言うカリンちゃんさん。しっかりしてるとかしてないとかそういう問題じゃないと思う。
 そう言えば身体は光年くんだった。
 なんて可哀想な光年くん。彼もまさか意識を乗っ取られている間に親に執拗な金的攻撃を受けることになる日が来るとは思わなかっただろう。
 元の人格に戻った時に痛みが残っていないことを祈るばかりだ。
「ったく、愛しの旦那様に向かって手ェ上げるとはいい了見だ。もっかい教育すっかァ? 俺に逆らう気なンざ、二度と起こさないようによォ」
「……光時。あんたがあの世でおねんねしている間にね、時代はすっかり変わったんだよ。今じゃ女は、男の所有物じゃないんだ」
 腫れも収まった初代様は、ちょっとほっぺたをぷにぷにして痛みを和らげてからにぃと深い笑みを向けた。
「はッ、日ノ本一にして全銀河一の男尊女卑|差別主義者《レイシスト》大統領であるこの俺、瑙乃光時様に向かッてデカい口叩きやがるなァ。
 生憎だ。俺の特技は日ノ本を救う事で、趣味は過激なDV。何百年経っても何億年経っても変わりはしねェよ。
 お前はこれまでもこれからも|瑙乃《おれ》のものだ。
 ずっと、な」

 どっちがデカい口だ……いや実際大口を叩けるような人だけど……。
 そんな事を考えながら聞いていると、初代様は着流しの袖をまさぐり始めた。
 隙だらけに見えるその仕草に、カリンちゃんさんは全く攻めようとする反応を見せない。
 ただ、忌々しげに彼の挙動を眺めているだけだ。
「光年の記憶は俺が出てきた時点で全部見たんでなァ。俺が知らない瑙乃の『神罰』だッて、ほらこの通りよ」
 引っこ抜いたその手は徒手だった、と思ったら手をパーからグーに変え、再び開くと同時に札を一枚有していた。パーム上手いな瑙乃一族。
 牙札……ではない。
 あれは……?
 僕の疑問に、再び光姫さんが答えてくれる。
「あれは、呼札……。霊の記憶から、その場で顕現する、牙札とは違って……実存する道具を、取り寄せる札……」
(実存する、神罰って……)
 一瞬、嫌な予感がした。
『アレ』だったら、シャレにならない事態になる。
 と言う僕の危惧とは裏腹に、紙でできた手甲はそこに現れなかった。

「おォ……半人半妖の身だと、やっぱり焼けるように熱いなァ」
 
 見たままを、直接述べるなら。
 それは戦車どころではない、大型の戦艦か何かが満を持して発射するようなサイズの砲弾。
 鈍く光るその巨大な流線形に、柄がついたようななにかだった。
 違うと言って欲しいんだけど、形状的には……巨大なハンマーか何かに見えるような。
 そんな気もする。

「『|消すもの《ペントル・ア・ステッジ》』……っ!!」
 カリンちゃんさんと光姫さんが同時に口にしたのが、『それ』の名前なのだろう。
 間違っても中学生が片手で持ち上げられるようなものではなさそうなそれを、初代様はひょいと肩に担いだ。
「はッ、服越しでもジリジリ来やがる……ッ。こりゃ、折檻にゃぁ丁度よさそうじゃねェの」
 そう言って、初代様は柄の先端部分。輪っかになっている部分に人差し指を入れた。
 そして、まるでモデルガンでもスピンさせるかのようにそれを指一本で縦回転させていく。
 勢いが付いていき、みるみる内に高速で回っていく『|消すもの《ペントル・ア・ステッジ》』はそのフォルムを巨大なリングと変え、そして消失した。
 空気が唸る低い音だけが、まだそこに残っている。


 この時点の僕じゃそれが新手の超ヤバいアイテムってこと以外全然わからなかったので、説明に移ろう。
『|消すもの《ペントル・ア・ステッジ》』は、元々は瑙乃の所有物ではない。
 その立場上日本を離れられない瑙乃家だが、ある時双子の男児(おっさんは三つ子らしい)が生まれた時に海外から救援要請があり、見聞を広めるとの名目で兄の方が遠征(旅行とも言う)したことがあった。
 その時に吸血鬼ハンター……最強とか伝説とか言われていたらしいが、本当かどうかはよくわからない人物と出会い、彼の最後の仕事を手伝ったことで引退の際に譲り受けたらしい。
 他に使える人物もいなかったそうだ。
 銀の大槌・『|消すもの《ペントル・ア・ステッジ》』。
 かつて聖人の血で赤く染まったその巨隗は、輝きを取り戻して尚、あまねく魔を撃滅せし|銀の砲弾《シルバーシェル》…なのだと。
 本来なら、それとセットになっている古い皮鞭の『|刻むもの《ペントル・ア・スクィリエ》』も併用するのが前の持ち主の狩り方……
 ……だったのだが、「0」も「∞」も全て「1」に変えてしまうそれをカリンちゃんさんに使ってしまうと、不死となっている彼女の命を有限にしてしまう。
 そのため、今回は片方だけを使っていたと言うわけだ。聞きかじり。
 ちなみに、両方備われば神々の命すら絶てるが……
『|消すもの《ペントル・ア・ステッジ》』に対神性の特攻はないために『神をひたすら鈍器で殴り続けると死ぬ』と言う絵面になってしまい、神罰の意味合い的にはともかく瑙乃家的にはいささかスマートさに欠けるものになっちゃうらしい。


 初代様が何も持っていないように見えるその腕をちょっと下げれば、静かに地面が抉れる。
 土崩れの一切が無く、ショベルカーで掘るよりも遥かに綺麗に『こそぎ取られた』その場所が、『|消すもの《ペントル・ア・ステッジ》』の威力を……そしてそれを元の持ち主と同じかそれ以上に軽々と扱う瑙乃の凄まじさを表していた。
「雑魚の吸血鬼なら、上に乗ッただけで底なし沼にでも沈むように足から溶けちまう。
 そこそこ名がある吸血鬼ですら、一振りで半身が抉り取られ、返す二振り目でこの世から痕跡が消える……だとさ。中々面白い玩具じゃねェの。
 なぁ花凛……これでぶッ叩かれると、お前はどうなるンだろうなァ?」
 悪辣極まりない彼の笑みは、忌々しい程に美しかった。
「さぁね」
 初代様が駆け出すと同時に、カリンちゃんさんは再び増殖……分身していた。
「はっはァ!!」
 身体ごと回転させた大胆な……『瑙乃の基準なら』隙だらけですらある銀槌の一撃で、十数体の残像が振り払われた。
 それでもなお、少女の幻影は幾重にも残っており、少年へ殺意の眼光を向けていた。
 『|消すもの《ペントル・ア・ステッジ》』の、鋭い一閃が振るわれる。
 一打。
 二打。三打。
 四打。五打。六打、七打、八打、九打十打。
 十一十二十三十四十五十六十七十八十九二十……。
 一振り毎に倍速くなる、颶風にも似た銀の嵐。
 柔な造りにはなっていないであろう瑙乃家が、風圧だけで悲鳴を上げるほどの暴力的な渦。
 次々とカリンちゃんさんの像を消し去っていく中で、それを明確に避けたのが見えた。
 カリンちゃんさんの内の、六体だった。
「赤手六刃、を……全て同時に……!?」
 カリンちゃんさん達の手を見て、光姫さんが驚愕する。
 それぞれ手の握りを変え、手刀を作ったり親指を一本だけ立てたり、人差し指と中指を突き出したりしているのがおぼろげながら僕にも見えた。
 それは素人でもわかるほどどっからどう見ても全部急所狙いの、針の穴を六つまとめて通すような拳戟。
 逃げ場など、どこにもない。

「しゃらくせェッ!!!」

 上を除けば。
 初代様は最速を以て『|消すもの《ペントル・ア・ステッジ》』を地面に叩きつけ、砂煙と轟音、そして衝撃を発しながら空へと跳んだ。
 が、そこは。
 六体全て囮であり、大きくテイクバックをしていた『彼女』の――拳の、直撃打点。




「へぇ……へへッ!
 まるであン時の再現じゃねェかよ……ッ!!」






 山ほど大きいわけではない。
 が、一般的な小学校の校舎よりは大きいと見られる彼女が、澄み渡った声で言った。
 彼女は見た目以上にはるかに大きいような威圧感を持ち。
 同時に、確かに人である我が子を愛する心を持っているとわかる、慈愛がそこにあった。
 ただ、美しかった。





「変化――濡尾之大狸」






 霊と魔を祓い、神も鬼も誅してきた初代様、瑙乃光時。
 彼が何故、たかだか狸の怪であるカリンちゃんさんを『器』として選んだのか。
 理由は単純にして明快。
 彼女がこれまで戦ってきた『全て』の中で、群を抜いて強く。
 自分の力を数割単位で受け継ぐことができる程の、最強の大妖怪だったからだ。
 現在においても尚、それは揺るぎない。






 最強の祓魔師・瑙乃光時の銀槌と、最強の妖・濡尾花凛の拳が激突し。
 光姫さんの視界が、爆音と共にひっくり返った。
81, 80

  

 カリンちゃんさん……もとい濡尾花凛がその腕を全力で振るったら、何が起きるか。
 七百年前の人間には、それが妖術の類にしか見えなかったと言う。

 腕を振り上げるどころか息を吸うだけで数十の人里と数百もの祓魔師を腹に収めてきた濡尾花凛に、人々が絶望している時。
 出羽の牛鬼、『極卒喰らい』猛屠を打ち破った双錫杖の男……
 袁螺なる男が彼女の討伐に向かった。
 彼こそが、日ノ本の危機に突如現れると言う伝説の人物……『紫の守』であるとさえ噂される程の傑物だった。
 酒、肉、女をこよなく好む、破戒僧。今で言う生臭坊主ながら、不動明王か帝釈天か毘沙門天(日によって言う事が変わる)の依り代を称するその法力は神通力を通り越し、天変地異の領域にまで達していた。
 袁螺は確かに強かった。何せ、濡尾花凛相手に一刻半も渡り合ったのだから。
 三日三晩妖を狩り続けた後で寝ずに女を抱く程の精力を有した袁螺も、あまりにも多すぎる致死の連撃を避け続け、髭がすっかり白くなってしまう程に摩耗していた。
 極度の疲労に危機を覚えた袁螺は、このままでは負けると確信し乾坤一擲とばかりに濡尾花凛の懐に飛び込む。
 |天の雷《あまのいづち》。
 宵闇を眩しく照らすその雷光は、百里先にまで届く一種の『神罰』。
 山の向こうで光芒が奔った時、一人を除く誰もが彼の勝利を確信した。






「……ありゃ、雷の光じゃねェな。面白い坊主だったが、あいつもしくッたか」




 
 その光は、『発火』の唐紅色。
 濡尾花凛に殴られるとどうなるのか。
 答えはただ一つ。
 その場で断熱圧縮が発生し、塵一つ残らず燃え尽きる。

 喜びの歓声が、狸の咆哮一つでぴたりと止んだ。
 それと同時に、紫色の瞳をした女性のように美しい男が。
 団子を齧りながら立ち上がったと言う。

「やれやれ。如来サマでも観音サマでも閻魔サマでもいいけどよォ……
 仕事を変わってくれるなら、しっかりしたのを派遣してくれよなァ」

 ……とは言え、相手が悪かったのも事実。
 袁螺なら、光姫さん相手に勝てる可能性がもしかしたらほんのちょびっとだけあるかもしれない(初代様曰く『瑙乃の倉庫にある玩具でも呑み込ンで腹壊してたら千回戦って二、三回泣かせられるかもなァ』)と言うくらいの実力者だからだ。
 瑙乃を除けば現代の祓魔などほとんど比べ物にもならないだろう。本当に相手が荒れ狂う土地神だったとしたら(誰一人信じちゃいなかったけど)、彼の勝ちは揺るぎなかったと言う。
 おっさんに才能があると言われた僕ですら、一生鍛えても彼の領域に到達できるかは自信がない。
 そんな男が、傷らしい傷をつけられなかったのが彼女。
 濡尾之大狸。
 その名を、花凛と言った。


 









「ぐっ……」
 あわあわと起き上がる光姫さん。彼女と彼女の視界を共有する僕の目に映ったのは。
「瑙乃の肉をちょいちょいつまんで妖力はプラス。万が一にも光年の身に後遺症を与えてしまうかもしれないと言ッた迷いがマイナス。
 しめて差し引きはだいたいゼロだ。昔と同じじゃ、俺には敵わねェよ」
 人間の姿となって倒れ伏すカリンちゃんさんと、服をやや煤けさせて銀槌に座る初代様の姿だった。
「ほいッと」
「ッ……!」
 立ち上がろうとするカリンちゃんさんに、ぺいっと封札を投げる。
「やッたー! にくべんきを つかまえたぞ!」
 元から捕まえてるけどな、と初代様は腰を逸らしてストレッチを始めた。
 決着はついたとばかりに。
「ふざ、け……るな……っ!!」
 力のせいか、瑙乃の縛りのせいか、封印こそされないものの、その拘束力は絶大であり。
 カリンちゃんさんにはもう、初代様に立ち向かえる状況ではなかった。
「ふざけちゃいねェよ。花凛、俺はいつだって本気だぜ。冗談は言うが、嘘はついたこともないし真剣な状況でおふざけする奴じゃない。知ッてるだろ?」
「嘘を、言うでないよ……! 大ホラ吹きの、年中おふざけ男が……!!」
「そういう風に見られていたのか。ちょッとばかしショックだぜ」
「あたし、を……幸せにしてくれる、って……言ったのに……」
 初代様の微笑みが、消える。
「俺の、女にしてやる、って……寂しかったろう、一人にはもうさせない、って……。
 あたしは、滅鬼の器でも、瑙乃の孕み袋でも、あんたの肉奴隷でも、よかった……」
 そこに、大妖怪の濡尾之大狸などいなかった。瑙乃の大母光女もいなかった。






「あんたが、隣にいてさえくれれば……
 あたしは、ずっと……いつまでも……幸せだったのに……」





 瑙乃光時に恋をした少女、花凛がいるだけだった。


「…………」
「可愛い子供達は、みんな、あたしより先に死んでいって……あたしは、いつも取り残されるだけ……。
 いくらあたしが、人を、情け容赦なく喰らい……日ノ本に仇なす、最悪の、妖怪だったとは言え……ここまでされる仕打ちが、あるのかい……?
 教えてよ、光時……あんたにとって、あたしは……簡単に騙される、馬鹿な、使い捨ての、肉穴だったの……?」
 初代様は何か言おうとして、目を閉じた。
「……今回出てきたのは、そういう話をしにきたわけじゃねェ」
「……!!」
 開いた目は、こちらに……光姫さんに、向けられていた。
「いや……そういう話、か。『光女』がお前の重荷になってるんなら、その荷を下ろしてやンねぇとな」
「およし……!! 光姫は、ただの、人間だよ……!! あたしの代わりなんか、務まるわけない……!」
「試してみなきゃ、わかんねェだろ」
 一歩一歩、初代様が迫る。
 僕の方……いや、光姫さんの方へ。
「お母様、私、は……」
「このクズの……言うことなんて。聞いちゃダメだよ、光姫……!
 こいつは、女を……いや、自分以外の全てを、なんとも思っちゃいない……外道の、バカたれの、詐欺師の、鬼の、悪魔だから……!!」
「……花凛よォ。あまり言うと、俺だッて傷つくぜ」
「傷付くんなら、いくらでも言ってあげるよ……!! 女たらしっ、男女っ、なるしすとっ、左曲がりっ、早漏っ……!!」
「俺は何発でも撃てるからいいンだよ……! お前だって『ああん、光時様、絶倫っ……! すごいっ……!』って悦んでたろうがッ……!!」
「女を見下してる癖に、鏡の前で女装してほとを弄るきちがいおなにすとっ……!!」
「まんこ付いてたんだから別にいいだろォがよォ!! LBGTへ配慮しろお前はッ!!!!」
「まだまだあるよっ……!! 何百個でも言ってあげるよ……!!
 あんた、男は興味ねェとか言いながらあたしにマラを生やさせて」
「うるさーいッ!! シャラーーーップッ!!! お口チャック!!!!
 終わり!!! 閉廷!!!!!」
「むぐぐっ……!!」
 二枚目の封札がカリンちゃんさんのお口に張り付き、喋れなくなる。
 ……真面目な雰囲気だったのに初代様のアレな性癖が次々と暴露されてしまい、緊張感が台無しになってしまった。
「……お母様、に……まら……お、おちんちん……?」
 おい。
「はっ……な……なんでも、ないよ……?」
 ぺしぺしと近くから音がする(たぶん光姫さんが自分のほっぺたをぺしぺしった音だ)。
 気持ちを切り替えて、彼女は初代様と相対した。






「私、は……お母様の代わりに、瑙乃の、うつわに、なり……ま、す……」
「……そうか」
 初代様も気付いただろう。
 彼女の答えには、迷いがあった。
 母親を救いたい気持ちは本物。
 だが、カリンちゃんさんの本心を知ったのは、つい先ほどだ。
 たとえそれが本物だったとして、覚悟をするには不十分すぎる時間。
「……じゃあ、まァ。運が無かったと思ってくれ。こんな家……瑙乃に生まれてな」
「……」



 僕はその言葉に、かちんと来た。

 運が無かった?
 運が無いって、なんだよ。

「……みーの、くん……?」

 光姫さんは、瑙乃に生まれて不運だったって言うのか?
 瑙乃に生まれて、不幸だったって言うのか?

「……何だ。みーのの兄ちゃんよォ。文句でもあんのか?」

 カリンちゃんさんは、昔は悪い妖怪だったかもしれないけど……僕には当たりきっついところあるけど……。
 少なくとも、光姫さんや光年くんの母親としては、悪い人に思えない。
 光年くんだって、お姉ちゃんを想ういい弟だ。中学生にしたらちょっと引くレベルのモデラーだけど、カリンちゃんさんの言うようにしっかりした子だ。
 おっさんだって、変態のロリコンで限りなく犯罪者に近いけど……妖怪の少女は心から懐いていたし、なんだかんだ言いつつも女の子以外の弱い妖怪も守っていることも知っている。
 お義父さん……じゃなかった、当主の光空さんだって。会った事はないけれど、光姫さんだって光年くんだって、信頼を寄せていた。いいお父様に違いない。
 瑙乃はそりゃ、特殊な環境なんだろう。異常とも呼べるかもしれない。
 
 でも、それで光姫さんの人生を不運であると断ずる理由にはならない。
 瑙乃と言う環境が、光姫さんを不幸に落とす事など。
 あるはずがないし、あってはならない。 


「ついこないだ瑙乃どころか祓魔の存在を知ったお前が、何かわかったつもりなのかよ」
 ついさっきまであの世でおねんねしていたあんたが、何もかもわかったと思ってるのか。
(光姫さん)
「でも、みーの君……」
「無駄だ。お前には何もできない。何も変えられない。部外者はすっこんでろ。
 ……これは善意の忠告だぜ?」
「そう、だよ……。みーの君には、何も、できない……。
 ……何の、力も、ない、から……。出てきても……。
 ……。迷、惑……」

 わかっている。
 僕には力がないと言うことも。
 迷惑だなんて、これっぽっちも思っていないことも。
 光姫さんの嘘のへったくそさは、僕がよーくわかっている。





「……嘘、じゃない……。
 あ、なた、には……関係のない、話、だから……」

(関係なくないッ!!!!」
「!」
 
 母親そっくりの震える声。それを聞いた僕は押し通した。
 彼女は、押しに弱いんだ。

 ひとかけらのチョコレートから魂になった僕は、人間の姿を取り戻して彼女の前に立つ。
 そして、最強の祓魔師。
 初代様……いや、瑙乃光時の前に。
 彼は、大して面白くもなさそうに僕を見ていた。
 状況を何一つ変えられない者がいても、つまんないとばかりに。

「で?」
 一歩、迫る。
 どうする気だ、と尋ねる光時に、僕は言った。
「とりあえず、光姫さんに謝らせる。カリンちゃんさんにも、土下座させる。
 このままじゃ、あんまりだ」

 一枚ドローする。
 霊札。よし。

「で?」
 一歩、迫る。
 その後は、と尋ねる光時に、僕は言った。
「カリンちゃんさんも、光姫さんも犠牲にならない方法を探し出させる。あんたに。
 それが可能どうかは問題じゃない。可能にさせる」

 二枚目をドローする。
 牙札。いいね。

「で?」
 一歩、迫る。
 終わりか、と尋ねる光時に、僕は言った。
「あと、光年くんにも謝ってもらう。勝手に体を借りて好き勝手やってごめんって。
 彼は絶対に、あんたみたいなことしたくもさせたくもなかった」

 三枚目、ドロー。
 牙札。それに、重なっていた霊札もひっついてきた。こういう時はボーナスだ。
 ……僕、ひょっとして|決闘者《デュエリスト》……
 じゃなかった。|札術皇《カードマスター》の才能あるかもしれない。マジで。

「……で?」
 彼の足が、止まる。
 腕が届く距離。彼にとっては、羽をもいだ羽虫を握りつぶせる距離だ。
 それをどうやって成す、と煽る光時に、僕は言った。
(霊。霊。霊。霊。霊。霊)
(牙牙牙牙牙)
「顕現せよ、牙札――」








『力が必要か、ねぇ……。
 そんな思いつめるなよ詩屋少年。君なら木っ端妖怪にも雑菌祓魔師にも負けたりしないさ。
 とは言え、名のある祓魔とかち合ったら勝つのは不可能……
 ……なーんて、言うわけないでしょ。
 元とは言え瑙乃の|符束《デッキ》をなめちゃいかんよキミィ。ちゃんと、裏技も用意してある。
 例えば……気付いているかもしれないけど、君の牙札、獄門狗爪はパーツだ。霊札をありったけ使えば、他のとセットで顕現できる。
 封印されし、なんとやら……。五枚揃えれば、盤面を覆し得る力を秘めているから。
 ちょっと……どころじゃなく体に負担は来るけど、それ相応の出力は出せるよ。
 まぁ、イグアナの卵には劇薬だから本ッッ当に下手をすれば最悪の事態も考えられなくもない程度には危険だからオススメなしないけど……

 ぜってー引けねぇ死んでも譲らねぇ、って男の勝負の時が来たら、使うといい』





 ぜってー引けねぇ死んでも譲らねぇ、って男の勝負の時があるなら。

 今だ。






「――――『獄門大兇狗』ッ!!!!!!!!」

 

 頭。右腕。左腕。右足。左足。
 狂々しく猛々しく、そして禍々しく。
 瑙乃の煌めくそれとは異なる、淀んだ紫の焔を纏った山狗。
 それが、今の僕だ。


「…………で?」
 瑙乃光時が、ゆったりと構えた。
 その口元の緩みは、余裕であり。
 石だと思っていたら若干尖っていたガラス片だった程度の、予想外の笑みだった。



 力は取り留めもなく流れてくる。今の僕は、僕史上後にも先にも多分最強だ。 
 それでも、僕はたぶん、きっと、まず間違いなく、いや……絶対に勝てない。
 殴るどころか、触る事すら叶わないと思う。

 知るか。
 こいつは、僕の好きな人と、好きな人の家族を馬鹿にした。
 
 殴れなくても、罵ってやる。
 罵れなくても、嫌がらせしてやる。
 嫌がらせできなくても、その、なんか……呪ったりしてやる。
 逆になおさら効かなさそうになってきたぞ。
 
 とにかく、僕は叫びながら右腕を突き出した。
 なんか適当に、彼にダメージを与える文言を腦からひり出しながら。
 結果。












「てめぇでシコってやる!!!!!!!!!!!」

「やめろやッ!!!!!!!!!!!!!!!!!」





 二人の右腕が、お互いの頬を殴り抜いた。
 抜いたと言っても、シモの意味ではない。
 
 当たった? なんで? |手加減さ《ナメら》れた?
 そりゃ本気など出すわけもなかろうが、だからと言って当たってくれる道理があるだろうか。
 イグアナの赤ん坊が、ティラノサウルスの親玉に立ち向かえる、わけ――
 そこで、僕は思い出した。

 
 ・・・・・ ・・・・・・・・・・・・
 僕の攻撃は、瑙乃に当たったことがある。



 こんな、方法が。
 いや、だが、しかし。
 こんな無茶苦茶極まりない理屈でも、試してみる価値はある。
 たとえそれがどんなに惨めで、滑稽で、馬鹿馬鹿しくても。
 光姫さんとカリンちゃんさんを泣かせて……
 そして今まさに、彼女らを不幸にしようとしている奴を殴るためならば。
 
 僕は。
 何だって、する。


 


「くそッ、気持ちわりィこと言いながら殴って来やがって……ホモかてめェはよォ。
 いくら俺が美少年だからッて……」
「そうだよ?」
「そうなのかよッ!? ……ッ!!!」
 口で軽く肯定しながらも、僕は左足でミドルキックを見舞う。
 それに伴い、僕を包む山狗のオーラ。その後ろ脚も彼を襲った。
 驚愕の隙を見事に突いた一撃……のように思えたが、防御されてしまう。辛くも。
 そう、辛くも。
 問題にならないはずの僕の攻撃に、光時は確かに反応が遅れた。
「一目見た時から思ってたんですよぉ……
 ……初代様って、可愛い顔して美味しそうだなー、ってぇ」
 舌をれろりんちょと出して思いっきり気持ち悪さを前面に推しつつねっとりと言うと、光時は明らかに動揺した。
「てめぇ、ふざけんッ……!!」
 その瞬間を、爪は逃さない。牙は見過ごさない。
 踏み込んだ獄門双爪と獄門狗牙は、見事に彼の両胸と額を穿つ。
 のけ反る光時に、追撃せんと前傾した瞬間……彼の足がぱこんと僕の顎をスマッシュした。
「ッ…………!!!!」
 屋敷から庭に半歩踏み出していた僕は簡単に数m飛び、見事軒先に頭がぶっ刺さる。
 ふごふご言いながら外して着地すると、光時は額から一筋血を流していた。
「ガキが、舐めやがッて……あんまりおいたが過ぎると、しまいにゃマジでぶん殴るぞ……ッ!!」
 中々にイラついてらっしゃる。当然だ。
 僕はふざけてるし、完全に光時を舐めてるからな。



 僕がおっさんと出会った翌日。
 光姫さんにケンカをふっかけ、ビーフジャーキーにされて、おっさんと光姫さんのマジキチ瑙乃パワー大合戦を観戦して、カリンちゃんさんに危うく存在を抹消されかけたあの日。
 僕はおっさんを、獄門狗爪でぶん殴った。
 僕が100人集まっても1000人集まっても、恐らく60憶人集まっても汚い花火にされるだけの実力差があったと言うのに、僕はおっさんを殴ることができた。
 何故か。


     ・・・・・・・・・・・・ 
 完全に、雰囲気がギャグだったからだ。


 
 真面目に戦っていたら、勝ちの目などあるわけがない。
 だから、僕は。


「ごめんなさい。脱ぎます」

「前後の文の繋がりを大事にしろォッ!!!!!!!!!!」

「はらり……っ」

「聞けよ人の話をよォッ!!!!!!!!??????」 



 不真面目に戦う。
 僕はギャグキャラになる。
 大真面目に、不真面目でこの場を制してみせる。


 この戦法は、多大なリスクを背負う事になる。
 あまりにおちょくって光時がマジギレしたらぶっ殺されかねないと言う事がひとつ。
 それは、いい。
 いやあまり良くはないけど、敵とは言え人を子馬鹿にも大馬鹿にもするのだ。
 そのくらいの覚悟は背負っている……つもりではある。


 そして、もう一つ。
 こっちは、相当のリスクだ。

「…………。
 みーの、く……ん……?」

 振り向くわけにはいかない。
 振り向きたくはないが、気になって仕方ない。
 彼女が、ズボンを手にかけている僕に対しどんなツラを向けているがが。

「……あんまり彼女の前でアホこいてっと、百年の恋だッて覚めるぜ。
 ラブコメの主人公でいたいンなら、|奇策《キチガイ》はほどほどにしときな」

 正論である。
 このまま光姫さんの前でキチガイ行為を続ければ、僕の好感度はみるみる内に自由落下し……地面に激突。
 その後も元気に地中を掘り進んでいくだろう。
 こんなかっこ悪い姿、見せたくなんてない。
 見せたいはずがない。
 じゃあ。
 止めるか?
 
 答えは決まっていた。

「アホはお前だし、ふざけてんのも舐めてんのもキチガイもお前だ、ばーーーーっか。

 光年くんには申し訳ないが……僕の童貞を押し付けてやるよッ!!!!! 

 ――|脱衣《クロス・アウッ》!!!!!」



 嫌われてもいい。
 汚物を見る目で見られてもいい。
 無視されるようになってもいい。


 彼女の幸せのためなら。
 僕はどこまでだって、かっこ悪くなれる。

 そんなわけで、僕は今全裸だ。
 山狗のオーラを纏っているので絵面的にはマシと言えばマシだが、エフェクトがかっこいいだけに尚悲惨と呼べるかもしれない。

「やり、やがッた……!!!」
「……あ、あわわわわ……」
「……………。…………」

 流石に驚愕を隠せない光時。
 可哀想に、ちょっといい仲だった男友達のケツを見せられている光姫さん。
 恐らく、ひたすらに冷めた目で僕を見ているであろうカリンちゃんさん。

 三者の視線が、突き刺さるように僕に注がれていた。
 
 泣きそう。


「お前の……お前のせいだ……!
 お前のせいで、光姫さんルートが、完全に潰えてしまった……ッ!!!」
「俺かよ!? 俺悪くねェだろ!! この件に関しては完全に関係も責任もねェだろ!!!」
「責任取って……お嫁さんにしてちょうだいッ!!!!」
「なに、やめ、ばッ……来ンなッ!!!!!???」

 自分でも支離滅裂な事を言いながら、全裸で突進する僕。口をタコみたいにすぼめて。
 最強の祓魔師、瑙乃光時が僕に恐怖しているのがわかる。
 こんなん誰でも恐怖するわ。
 僕だってちょっと自分が怖いよ。

「チェンジ! ビーストモード!!」
「トランスホーモーやめろやッ!!!」

 山狗の力を最大限発揮すると同時に、相手に深いトラウマを与えるであろう全裸四足歩行と言うスタイルに切り替える僕。
 微妙に返しが上手い光時の周囲をシャカシャカ言いながらぐるぐると回り、奇襲の転札で背後を取る。



「……獄、門ッ……爪ッ、葬…………ッッッ!!!!!」


 右腕、頭、両脚、左腕。
 そして両腕に宿る山狗の魂が、唸りを上げて殺意の奔流と化した。
 尊厳も恋慕も、誇りすらかなぐり捨てたその五連撃は。
 確かに、手応えがあった。

「ガ、ハ……ッ!!!」

 クリーンヒット。
 だが……致命打になど、なるはずがない。
 事実、彼は僕の卑劣にして悲惨な攻撃の数々を受けて。
 今なお、一度たりともダウンをしていない。


「……なるほど、なるほど。
 みーの君よォ……だいたい掴めてきたぜェ。
 気持ち悪ィ妖怪やおちょくってくる怪魔、発狂を促してくる邪神なンてのもいたが……
 人間が一番怖いって事を、今理解したよォな気がするわ」

 
 振り向いた光年は、口端から僅かに血を流していたが……ここに来て、笑った。
 やばい。
 こんな奇策、数度続いただけでも僥倖なのだ。
 当たったのはもちろん、僅かながらダメージを与えられたことは実力を鑑みれば奇跡にも程がある。
 奇跡を通り越してもはや主人公補正とまで言える。
 だが、このままじゃ、ダメだ……!!
 行動パターンが読まれたら、打つ手はどこにもない!
 奇跡でも、主人公補正でも、ご都合展開でもなんでもいい!
 
 僕に――

 ――力をッ!!!!!!!!!



 奇跡か、主人公補正か、ご都合展開か。




『力、か』




 それは、起こった。
 



『望むか、力を』

 スローになる、世界。
 白黒になる、視界。
 その中で、知らない声が頭に響いていた。落ち着いた女性の声だ。
 なんだ、これは。この声は誰だ……?
 いや……誰でもいい。
 神でも悪魔でも。 
 どんな力でも。
 構わない。

『……いい気迫だが、時間がないわけでもない。
 少しくらい我が誰なのかに構ってもいいだろう』

 ……あんたは?

『山狗だ。貴様が使う、牙札の。
 獄門大兇狗――名を、笛吏と言う』

 山狗!?
 え、意識とかあったんだ……。

『呼ばれたら手助けしてやって……と光海に頼まれたものでな。
 我を子守りに使うとは、ふざけた男よ。もっとも、貴様ほどではないがな』

 返す言葉もございません。
 
『ちなみに、我は人間の姿だと犬耳スポーティー灰髪ショート女子大生だ』

 は!?
 何それ!?!?
 嘘でしょ!?!?!?
 嘘だと言ってよ!?!?!?!?!? 
 僕今全裸だよ!?!?!?!?!?!?
『僕自身が山狗になるんや!!』
 とか言って四足歩行でダバダバしてたんだよ!?!?!?!?!?
 別にハーレムとか光姫さんの脈がなくなったから新しい娘をとかそういう事考えてたわけじゃないけどそれにしてもフラグバッキバキじゃない!??!?!?!

『ふ、それを知っていたら貴様は白痴にならなかったのか?』

 ……そういうわけじゃないですけどー……。
 はくちて。

『男としてはもはや滑稽を通り越して哀れとしか言いようがない程の矮小な存在となり果てたが……
 ……馬鹿として見れば、なかなかの根性。我がこれまで見た馬鹿の中でも、群を抜いている大馬鹿だ』

 へー。
 どーも。
 超うれしい。

『褒めている。
 瑙乃光時……我も初めて見るが……あれは、確かに、光海すら上回る実力であろうな……。
 我とて元瑙乃の使い魔。それ相応の妖怪ではあった。
 が……流石に濡尾花凛に並ぶとまでは吹けん』

 あの人らおかしいからね。主に頭とか。
 でもまぁたぶん僕から見たら笛吏さんも差がわからないレベルで強いと思うよ。

『それで構わぬのなら、我が力を授けよう』

 欲しい欲しい超欲しい!!
 お願いします! 何でもしますから!!

『貴様のなりふり構わなさは存分に見せてもらったからもはや疑いはない。で……
 どれだけ、欲しい? 
 お前の何を、差し出す?』


 その質問には、落とし穴があるのは明白だった。
 僕は思い出す。おっさんの台詞を。
『イグアナの卵には劇薬だから本ッッ当に下手をすれば最悪の事態も考えられなくもない程度には危険だからオススメはしないけど……』
 ここだ。
 ここで下手に答えると、命に関わる。
 僕は。





 全部。
 



 そう答えた。


『……命を差し出す、か。お前にとって、そこまであの娘が重要か?
 もはや元の関係に戻る事も叶わない、この戦いが終われば赤の他人となる娘だぞ』

 笛吏さん……そもそもの話なんだけど。
 僕今現在めっちゃくちゃ最低最悪なことしてるんだよね。ノリで。
 
『……ほう?』

 瑙乃は日本を守る一族。中で見た事がいくら非道に感じたって、彼らの敷地を一歩出れば、それは僕らを含むこの国の全てを救う行為に他ならない。
 光時……初代様がやっていることを非難できるやつなんて、少なくとも部外者にはいるはずもないんだ。それを、ちょっと内部事情を知って怒った一人のバカが、力もないから不真面目に引っ掻き回す。ギャグだよギャグ。僕は国家転覆罪に近い事を全裸の四足歩行でちんこ振り回しながらやってるんだよ。
 バカとしてもキチガイとしてもレベルが高すぎやしないか。
 ぶっちゃけ命一つでも重いか軽いかで言うと軽すぎるくらいじゃないのこれ。

『うむ。わかっているではないか』

 ……でも。
 でもさ。
 光姫さんは、たとえもう好かれてなくても僕の方はすっごい好きになっちゃったしさ。
 カリンちゃんさんは、可哀想すぎて見ちゃいられないんだよ。
 彼女らにとっては他人だとしても……僕にとって、瑙乃はもう。
 他人じゃないんだ。
 不幸になって欲しくないんだよ。
 
『なるほど……光海が目をかけるのも、頷ける気がしてきた。
 奴もな……無関係なはずの妖怪が虐げられるのを、黙って見ていられんような性質だった』

 楽しそうに、懐かしそうに、彼女は言った。

『いいだろう。生憎我は、面白い馬鹿を眺めるのが好きだ……貴様らみたいな、な。
 その命、我が預かった。存分に楽しませてくれ』

 じゃあ……!! 

『ああ。兇狗、笛吏。
 児童性愛にかまけて我を放置する光海から鞍替えして、貴様の牙となり……
 遥か遠く果てない瑙乃の領域に、一歩だけ近づく支えとなろう』

 よっしゃぁっ!!!!
 
『それとな。さっきはああ言ったが……
 瑙乃の娘は、言う程貴様を軽蔑してはおらぬようだぞ』

 え。
 意識だけで、僕は後ろを振り向く。
 そこには両手で目を覆いながらも、わかりやすく指の間から僕を見ている愛しい少女の姿があった。

『好色一族の女が、奇行に驚き呆れはすれど……
 気がある異性の裸に、興味がないわけあるまい』

 嬉しい。僕はまだ、彼女の彼ピッピ……じゃなかった、友達でいいんだ。
 それはそれとして、チラ見どころじゃなくガン見されているのは恥ずかしすぎて顔から火が噴き出しそうだ。
 恐怖で失禁したのもそう言えば見られてたしなぁ。彼女えっちだけど懐広いよね。

『行ってこい、紙矢の末裔よ。人の想いを届けるのは、いつだって貴様らの仕事だった』

 その声が終わると同時に、世界が開いた。
 色がついていく視界の中で、最初に聞こえたのは光時の声だった。

「お前がそういう手段に出るンなら、俺にだって考えがある……」

 そう言ってぬぎぬぎと着流しから腕を外していく。
「!!」
 そっちを気にしている場合じゃないので見てはいないが、女性二人が過剰な反応を見せたような気がした。
「いなせで危険な美少年、瑙乃光時! 例え相手が俺のケツを狙うホモだろうとよォ……傾き勝負で負けるわけには……ぶふぉッ?!」
 彼が着物を脱ぎ棄てた瞬間、先程より数段速い僕のトーキックが鳩尾を抉り込んでいた。
「てめッ……! …………!?」

 彼が驚いたのも無理はない。
 僕は既に、素っ裸ではなかったからだ。
 その上。顔には半面を付けており、左の半分が隠されていた。
 真顔の道化師。
 顔の右半分は、笑う僕の素顔。

「何突然全裸になっちゃってんの? バカなの?」
「おま……えが……ッ!!!!」

 拳を震わせる光時に、僕は面をスライドさせた。
 左面は一瞬にして右面へと形状を変え、同時にその真顔は満面の笑顔に変わる。
 そして僕の素顔は、これ以上なく真剣そのもの。

「なんだ人肌寂しいのか?
 ほら来いよ、ふたなりっ子に掘られるのが大好きの女装オナニスト。
 かわいそーだから、僕がたっぷり可愛がってやる。









 変化――|気狂いの演目《トゥー・レイト・ショウ》」
83, 82

  

 光時には、見えているだろう。看破しているだろう。
 先程までとはまるで異なる、跳ね上がった僕の妖力量が……当然ながら、まるで瑙乃の脅威にはならないものであると。
 僕の非力さ故に、笛吏さんの力は数割どころか数%すら引き出せない。小数点を何桁か下回って、ようやく値が出るくらいの数字だ。
 何度も言うが、勝ち目など皆無に等しい。
 それでも|僕《仮面》は、不敵に笑う。
「残念だったな光時。こうなった以上は、僕の勝ちだ」
「……おふざけが終わったと思ッたら、今度はハッタリかよ。よくもまァ、ネタが尽きねェもんだ」
 全裸の光時は、僕から目を切って奥へと歩き……例の銀槌を手に取った。
 光時の……いや、光年くんの握ったその手が、じゅっと灼ける。
「その山狗……そりゃ、元々は名のある祓魔でも手を焼くよォなレベルの妖怪だろう。
 それが、瑙乃のドーピングで原型がわからねェくらいに魔改造され、神罰に精製された……神砕きの兇狗だ。
 お前如きが使いこなせるもンじゃねぇ。ひよっこが力を得たつもりになッて悦に浸ったところで、はァそうですかって感想しか出てこないぜ」
 全く持ってその通り。
 それでも|僕《素顔》は、不敵に笑う。

「口数が増えたな、男女。怖いのか?
 ……御託はいいから、とっととかかって来いよ」

 くい、くい、と。
 僕は圧倒的強者に対し、手招きで挑発した。

「そうかい」
 光時が、足に力を込める。
 彼の脚力なら、一歩の間合いだ。
 妖も魔も、一打にして必滅する銀槌が僕を襲う――直前に。







「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
 ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」


 僕は唐突に、横隔膜を酷使して力の限り絶叫した。
 音より速く突進してくる光時の耳に入り、反射的にその体は僕の目の前で止められる――
 ――そんな、絶妙極まりないタイミングで。
「ッ!?」
 直立の姿勢から上半身をぶるんぶるんと揺らし、仮面を能力で左右に高速で動かしながら。
 目まぐるしく変わる、真顔と笑顔。
 トドメとばかりに眼前50㎝でノーモーション脱衣をキメた時の光時の顔と言ったら、そりゃぁもう壮絶なものじゃった……。

 なんだこいつは。知らねェぞこんなのは。
 これまで幾千幾万の人外を屠ッてきたが、こいつはそのどれとも違う。
 目の前にいるこれは……一体なンなんだ……!?

 とでも言いたげな光時は、しかし言葉を発することができなかった。
 僕に濃厚なディープキスを食らっていたからだ。

「ン゛ン゛ン゛ン゛ン゛ン゛ンンッッッッ?!?!?!!?」

 初めてのキスは僅かにオレンジの味がしました。さっき飲んでたジュースだ。
 たっぷり五秒の絶望を与えた後、反射的にリミッター解除した状態で殴られたりしないよう僕はすたこらさっさと離れた。

「み、みーのくん、が……光年と、じゃなかった……初代様と、裸同士で……
 ばらいろのうこうべーぜ、を……!!」
「む゛ーーーーーーーーーー!!!!!!!」
 もはや裸くらい見慣れたかもしれない女性二人の反応が気にかかるが、例によって例の如くリアクションを返している暇はない。
 

 光時はあまりのショックで白目を剥いていた。涙もちょちょ切れている。
 発狂を促す邪神には勝てても、たった一人のホモには勝てなかったようだな。
 僕? 泣いてるよ。聞くなよ。

「瑙ゥーーーーー乃光時ィィーーーーー!!!!
 貴様にはァ……決定ィィィーーーーー……
 ……ィィィイイイイイな弱点があるゥーーーーーーーーーゥゥゥウ!!!!!!」

 マイクパフォーマンスでもしてるかのような強弱をつけて、僕はビシィと指をさす。
 ちなみに僕は既に服を着ている。
 これこそが笛吏さんの力を得て覚醒した僕の能力、|気狂いの演目《トゥー・レイト・ショウ》の力だ。
 いつどんなタイミング、どのような状況においても……
 ……例え両手足を完全に拘束されていても、瞬時に服を着脱することができる。
 いやぁ、我ながら控えめに言ってクソみたいな能力だ。
 こんな下らないことに使われる笛吏さんに申し訳ないと言うか後で殺されそう。

『……』

 無言なのホント怖いよぉ……。
 なんだかんだリアクションしてくれる瑙乃女子組やさしいよぉ……。
 ちなみに意味ありげな仮面だけど、意味ありげなだけで特に意味はないです。自動で動かせるよ。すごいね。
 ハッタリハッタリ。ぜーんぶハッタリ。
 気を取り直して、僕はパフォーマンスを続ける。

「……お前は、いや瑙乃は。幾多の霊を、魔を、鬼を、神を倒してきたけど……
 人間を相手にした経験は、それらより遥かに少なかったはずだ」
「……!」
 光時が、ぴくりと反応を見せた。
「日本の守り手。人間の味方である瑙乃は、悪意を持つ人間や祓魔師などほとんど相手にしなかった。
 何せ瑙乃は、日ノ本の懐刀。そんな些末事は、他の暇な祓魔師にやらせればいい。
 そして……恐らく瑙乃には、縛りがある。
 一族の根本であるような、大きな縛りが」


『まずないと思うが拷問でもされたら知らぬ存ぜぬで通せ。喋ったらお主の家族はこうなる』
『すいません、うちの人たちちょっと全体的に……おかしいところあるので……』
 
 常識人にして良識人の光年くんは、あの時……僕がカリンちゃんさんに脅された時に助け舟を出してくれなかった。
 優しいとは言えぽんこつの光姫さんですら、フォローしてくれたと言うのに。
 あの時は、単にカリンちゃんさんの鬼ババアっぷりを恐れていたのだと思っていたが……果たして本当にそうだろうか。
 ちょっと考えれば想像ができることだ。
 瑙乃は。


「転札パンチ!」
「あぶねッ!!」

 チッ、避けられたか。
 聞き入っていた今は良い感じの隙だと思っていたんだけどな。
 相手が臨戦態勢に入るより前にててててーっと逃げながら続きを口にした。 




「『純粋な』人間を、殺してはならない……
 たとえそれが、瑙乃に害を成す者であろうと」

「……っ」

 光時の表情が、苦々しいものに変わった。
 彼の存在……人間の守り神に対するカウンターが、守られる人間と言うのは。なんとも皮肉な話だ。
 もうちょいシリアスめな話だったら、彼が人間に迫害される悲劇とかそういうのが生まれそうなものだが……
 |僕《気狂い》の前では、喜劇にしかならない。


「『わけのわからないものは、わけのわからないままに滅せよ』……
 瑙乃の家訓は、神よりももっと恐ろしい、なにか……言葉にできない程の脅威すら視野に収めている。
 その想定の広さと判断力は、瑙乃を最強たらしめる要素の一つだ。

 だが……もしもよォ。
『わけがわからないけど間違いなく人間としか言いようのない奴』
 なァンてのが出てきちまッたとしたら……
 滅するわけには、いかねェよなァ?」

 嘲笑するその顔は、誰かさんの真似。
 真似された誰かさんが、舌打ちをかます。

「……そうだなァ。人間に化けるやつは一発でわかる。どんなに強く、巧妙でもだ。
 仮に俺が見抜けなかったとしたら、そりゃもう正体が何であろうと人間としか呼べねェ。
 人間は殺せねェから、勝てねェ……もしかしたら、お前もそういう類なのかもなァ」

 よし、良い感じに語ってくれそうなチャンスだ。
 適当なとこで奇襲をかけてやろう。
 バカめ。この僕が設定語りに大真面目に付き合ってやると思ったか。

 そう考えていた。






「……なァんて、この俺が言うとでも思ッたかよ」






 僕の仮面が、何の前触れもなく消失する。
「え」
 見れば、光時は親指と人差し指でUの字を作り、僕の顔面へと向けていた。
「な、にを……」
 剥がされたのでもなければ、砕かれたのでもない。
 
 ・・・・・・・・・・
 なかったことにされた。

「お前が知ってるかどうかはわからンが……太極手甲、ッてのが瑙乃にはあッてな」
 その言葉を聞いて、僕の全身から冷や汗が滝の如く噴き出た。
「陰陽パワーで一発対消滅、これで『なんでも』ぶッ殺せるって言う道具なんだが……
 俺にはそんなもん、必要ねェ。
 なぜなら。
 太極手甲は、俺が生涯で極めた力を、後世が使えるようにしたもンだからだ」


『来るぞ』
 まず――

 笛吏さんの言葉で、僕が纏っていた牙札を咄嗟に|墓地に捨て《パージし》た直後。
 怖気のするような『何か』が、雷光の如き速さで……それがあった場所を通り抜けていった。

「いい判断だ。もッとも、山狗の指示だろうがな」
 
 やばい。
 やばいやばい。
 |機動力《あし》が殺された。
 今までだって勝ち目なんてあってないようなもんだったけど。
 正真正銘の一般人じゃ勝負の土俵に上がるどころか……見物だってままならないぞ……!!
 何か、手を……
 
「手はもうねェ」

 足が、凍り付いた。
 見れば、紫色の氷……または、水晶みたいな何かが僕の膝下までに纏わりついていた。
 光時が何かやったのが、見えない。
 動体視力すら、もはや全く追い付いていなかった。

 光時は、ゆっくりと僕に歩み寄ってくる。
 さっきまで馬鹿にしてたその裸……天衣無縫と呼ばざるを得ないその姿が、途端に神々しく見えてきたのは。
 元々どうしようもなかったけど、尚更どうしようもなくなった……力の差、なのだろう。

「よく漫画とかで敵のボスに負けるも『面白い奴だ、生かしておいてやる』って見逃されるパターンがあるけどよォ。
 ここまでマジで面白い奴はそうそう見ねェぜ」
 
 考えろ。
 考えろ。
 頭を動かせ。
 そうだ、口を動かせ。
 なんでもいい、この場をどうにか――

「させねェよ」

 封札。
 妖怪を捕縛する霊力を秘めたそれは、人間にはガムテープ程の効力しかない。
 ガムテープ程の効力があれば、無力なガキ一人黙らすには十分だった。

「むっ……!?」

「いや、ムカつくが本当によくやッたよお前は。俺もまさか、死んでからこんなクソやべェ奴と対峙するとは思いもしなかッたぜ。
 努力賞だ。ここ数日……光海に会うまでの記憶を消すので手打ちッてことにしてやる」

 ふざ、けんな……ッ!!! 
 その言葉が、出てこない。

「ハッピーエンドじゃないにしろ、俺に牙を剥いたもンの末路としては上等だろう。
 じゃァな、詩屋実。普通の日常の中で、普通にラブコメしてろ。

 ……祓魔の……瑙乃の事なンざ、忘れてな」

 彼の手が、僕の頭に。
 触れる――





























 ――寸前に。

「……困るなぁ、初代様。
 いくら僕が勘当された身だろうと……
 ……目をかけた弟子に何かするなら、師匠としては黙ってられないよね」


 ポケットナイフを光時の喉元に向ける、人物と。


「……困りますね、初代様。
 たとえ貴方が原初の紫、偉大なる祖、瑙乃光時だったとしても……
 ……現当主の私を差し置いて、勝手に話を進められては立場と言うものがありません」


 野太い縄で光時の手を縛る、人物が。

 同時に、現れた。



 おっさん……!!!
「お父、様……!!!!」

「やぁ詩屋少年。その様子だと、ずいぶん粘ったようだね……見立て通りで嬉しいよ」
「君が光姫のボーイフレンドか……積もる話はまた後だ、ここからは私たちに任せなさい」


 並んで見ると、顔立ちは確かにそっくりだ。
 元・瑙乃の光海。
 現当主の、光空。
 彼らは揃って……光時ではなく、僕の側についていた。

「俺の子種汁の、ひり出した子種汁の、その何代目が……誰に?
 ものを言ッてるのか、ちゃンと理解した上での発言か、てめェら」

 苛立ちを隠そうともしない光時。
 それに対して二人は答える。

「僕もう瑙乃じゃないからぁ、そんなこと言われてもわかんにゃ~い」
 この人はやっぱり僕の師匠だ。

「貴方は偉大だ。我々にとって神にも等しい、崇めるべき存在です。
 ……が。既に死した身。瑙乃のこれからをどうするかは、今を生きる我々が決める事です」
 それに対して当主の光空さんはまともだ。まさしく当主の器と言う風格がある。
 兄弟なのにどうしてここまで差が出たんだろう。

 そして、それらの言葉に呼応するように。
 女性の声が、何か言おうとした光時に割って入ってきた。
「光、時……」
「花、凛……お前、封札は……ッ?」
「二人が来たら、勝手に剥がれたよ。全く、二人に任せっきりは嫌らしい。
 ……昔から、ずっと三人だったもんね、あんたらは。
 ねぇ……光陸」
 三つ子の三人目……僕の知らないその人に、カリンちゃんさんは呼びかけていた。
 どこか、嬉しそうに。
「お前ら……ぐッ……!?」
 包囲網が広がる中、光時が突然、苦しそうに胸を押さえた。
 僅かに俯いたまま、『彼』は言う。
「……初代様。それ以上は……俺が、許しません。
 姉ちゃんを不幸にするんなら、この身体を……あなたに渡し続けるわけには、いかない……!!」
 光年くんの、言葉だった。
「どうやら……勝負あった、ようだねぇ」
 カリンちゃんさんが、光年くんの頭を大丈夫だよ、と撫でた。
 ここから先は、大人に任せろ、と。
 引っ込んだ光年君と、それに代わった光時。
 彼を、瑙乃……今を生きる者たちが、囲んでいた。
「こりゃ……年貢の納め時、ッてやつかね……」
 そう口では言いつつも、まだ余裕を捨てていないと言った光時。
 だが、僕の拘束はその場で全て解かれた。
「みーの、くん……大丈夫……っ?」
「う、うん……なんとか……」
 すぐさま駆け寄ってくる光姫さん。
 僕たちは二人で、目の前の光景……瑙乃の行く末を見届ける。
 中心にいる光時は……この状況で尚、まだ笑っていた。
「ハハハッ……いや、本当に、こんなことになるとは思いもしなかッたぜ……

 クックック……………


 はーっはっはっはっはっはァ!!!!」



 不気味な高笑いをする光時に、その場の全ての人物が飲み込まれていた。
 彼は、この期に及んで尚。

「……ははは……」

 自分の思想を、瑙乃に押し付ける気なのだろうか。

「……はは……」

 その執念は、どこから来るのか。















「……えッと、あのさ……」
 光時が、力なく呟く。

「あの、そのー……」
 先ほどまでの覇気はどこに行ったのか、渋い顔をして。

「あー、なんだ。えー……すっげェ言いづれェんだがよォ……」
 そして、一言。









「……さっきまでの話な、全部悪ふざけなンだなこれが……」





「は?」
「は?」
「は?」
「……?」






 ……。
 

 は?
「いやまぁ、聞いてくれよォ。なッ。
 最初に光年が初代様がどうこう言い出したあたりで、ぼんやりと俺の人格ができてなァ。
 花凛が昔語りしたとこで『なんだなンだ、俺の話かァ』と思ッてたら会いたいよ光年様ぁ~ふぇーん……みたいなこと言うもんだから、うっかり光年を押しのけて出ちまッてさ。
 やべッと思ったんだけど俺はいつだって余裕なクールナイスガイのイメージがあるじゃねェか。だからつい余裕ぶっちまってさ……。
 いや、ちゃんと謝ろうとは思ッたんだよ。俺もさァ。だけど花凛が突然の事で混乱してるもンだから、『よし! まずは詫び代わりに可愛がってやるかァ!』って抱いたわけ。
 ンですっきりしたとこでよォ、そー言えばなんか光姫の存在が瑙乃にとってどうこう言ってたからなァ……ちょっと脅かしてやろうと思ッたわけよ。
 『俺が認めるとでも思ったかよ』って真面目な口調で言えば、みんな土下座して『へへーっ! 申し訳ございません初代様ぁ~っ』ってなるじゃんか。普通よォ。
 そうしたらまぁ『許して欲しいなら、それなりの誠意を見せるんだな』って言うじゃねぇか。んで、光姫にちょーッと、いや軽ーく、そんなガッツリとじゃなく、ちんぽ握ったり、あわよくば舐めたりしてくれるわけだ。
 いや別にNTRとかしようとしたわけじゃないけどなァ、軽いスキンシップくらいしてもいいわけじゃねェの。俺様こそが偉大な初代にして瑙乃の祖なんだからよォ。
 んなこと考えてたらよォ、花凛が話聞いててなァ……完全に冗談で言ったのに、マジに取りやがるのよ。って言うかぶちギレてるもンだから、『ああ、いや、冗談、冗談だ』って言おうとしたら最後まで聞かずぶん殴ってきてよォ。
 んでなンかマジモード入ってるからよォ。まぁ積もる話も言いたいこともあるだろう、ここは男らしく体で受け止めてやッかァ!
 って感じでじゃれ合ってたら『女は男の所有物じゃない』とか言うもんだから、俺はバシッと言ッてやったのよ。
 『うるせぇッ! お前はずっと俺のもんだ!』ってなァ。こりゃもうこンなこと言われたら俺にぞっこんの花凛はまんこ汁ドッバドバ……のはずだッたんだが。
 なーんか反応薄いから『あれーッ?』 とは思ってたんだ。ありゃ情熱的なキスが足りなかッたかもなァ。
 その後花凛がマジになってぶん殴ってきたもんだから、ちょっとやべぇかと思ッてつい倒しちゃったもんだ。
 そうしたら花凛ギャン泣きよ。いや、本当にやりすぎたと思ったし謝ろうとはしたんだよォ……俺もよォ……。
 でもまァ俺って亭主関白と言うか、謝ったら負けじゃないけどイメージとして全然謝らなさそォじゃん? 俺自分のイメージとか結構大事にするタイプだからよォ、そこら辺のせめぎ合いと言いますか、プライドと申し訳なさの板挟みと言いますかァ……。
 しかもなんか冗談で言った光姫を瑙乃の器にするって話を俺が大真面目にしたいよォな感じになってンじゃねぇか。
 流れで口からはポンポンそれっぽい台詞が出てくるけどよォ。内心はやべーどこでこれドッキリだッて言おう……ってずーーーーーーっと思ってたわけよ。
 そうしたら、そこのみーのくんが噛みついて来てくれたから『よッ快男児! 流石瑙乃の娘に見初められた男ッ! さっきは光姫に手ェ出そうとして悪かッたぜ~』みたいに思ッたわけよ。天の助け的な。
 で、みーのくんをちょいちょい煽りながら戦ってなァ、うまいことなンか奇跡的な感じを装って負けて『ははッ、俺を倒すなンざよォ……お前は瑙乃のこれからを切り開くにふさわしい男、なの、かもなァ……』とか言って倒れれば万々歳じゃねェか! はい光時様天才!!
 と、思ったまでは良かったんだがなァ……ここで誤算が発生してなァ……。
 みーのくんがまァ才能はあるにしても現状クソザコナメクジだった事は知ってたンだがよォ。
 告白したり脱いだりキスしてきたり……うェッ、なんかいちいち言動がキモくてなァ……勝負を捨ててるのかマジであれで勝つつもりだったのか掴めねェからよ、俺も対応に困ったンだなこれが。
 キチガイになったと思ったら急にまともになって俺を罵倒してくるもンだから、このバカマジでシメてやろうかと思ッたらまた唐突にキチガイ化するしよォ。やりにくいッたらありゃしなかったぜ……。
 気持ち悪ィがなまじ行動が読めねェもんだから、『次何やってくるンだこのアホは』ッてちょっと気になってきちまって……倒れちまェばよかッたのに、ついつい長引かせちまった。
 いやよォ、普段妖魔に鬼神なンざ相手にしてるとよォ、相手がいくら興味を惹くことやッてこようとな、気にしてねェでとっとと潰さなきゃ殺される世界なのよ。瑙乃はわかるたァ思うが。
 だからついつい、このキチガイマスターみーの君の行動ををちょっと眺めてたくなッたわけよ。負けようがねェし。ザコだから。
 だけど俺、実の所よォ。ナメられるにしても自分の真似されンのすげー嫌いっっーか、逆鱗ポインツッつーか、『あッそれはダメ☆ 殺すッ☆』ってなっちまうッつーか……。
 いやみーのくんが言ッた通り人間は実際殺さねェんだけど、まァ機嫌が良くても『全裸開脚逆さ吊り晒し者にして式神で日ノ本一周の旅の刑』くらいはするからなァ。
 だからまァ、調子こいたみーのくんにうッかり太極礫撃っちまッてな……。あッべと思った頃には、装備全部剥いじまった。マジウケるわ。
 このまま負けンのどう考えても不自然すぎるし、やべェなどーしよどーしよと頭で思いながらも手が詰めに入ッちまってなァ。
 よし! 決めた! 最後にみーのくんの頭をポンって叩いて『なァんてな!!』ッてニッコリ笑ってネタばらし! 終わりッ!
 ……ってやろうとしたんだよォ。いやマジで。
 そうしたらさァ、なんか光海は来るし、その上光空も来るし、ついでに光陸が呼応までしやがッて花凛も起き上がってくるし、おまけに光年だッて便乗して来やがる。
 俺は思ッた。
 やっちまったと。
 軽いジョークで済ますつもりが、なんやかんやにすッたもンだの果てで、瑙乃一族勢揃いの大事になってしもーた。
 あっはっは。
 笑うしかねェ。
 みんなここは笑うとこだぜ。笑ってもいいんだぜ。
 偉大なる初代様が言うンだからさ。

 ……みんな、笑って、誤魔化されちゃ……くれませんかね……?」




 と言うのが、居間で正座させられた光時……初代様の、言い分だった。

 

「ふんッ」バキッ
「あおッ」
「てやッ」ガスッ
「あふんッ」
「……」ベンッ
「ぷべ……ッ」

 カリンちゃんさんとおっさんと光空さんが、とりあえずとばかりにその頭をにぶん殴る。
 割と強めだ。
 意外にも一番痛そうなのはカリンちゃんさんではなく無言の光空さんだった。ガチビンタや。

「……えっと、つまり……?」
「詩屋少年、そこの長い話になると頭がぽわんぽわんしてくる感じのお姫様に三行で説明してあげなさい」
 初代様のクソみたいに長ったらしいグダグダ自白トークを上手く呑み込めなかったであろう光姫さん。
 に、まだちょっとイラつき気味のおっさんが助け舟をよこしてきた。

「①光姫さんが瑙乃のうつわになるって話は冗談
 ②カリンちゃんさんに謝ろうとはしてた
 ③初代様はプライド高いバカだから言えずに大暴れ
 の、三本となっております」
「うぐッ……」
 僕の罵倒に、今度こそ全く言い返せない初代様。
「なるほど……! つまり、丸く収まった、って、ことなんだね……!
 よかったね、みーのくん……」
 光姫さんは瞳を潤ませて、心から安堵した表情で笑いかけてくる。
 ……あんな大事になっておきながらこの感想が出てくるの、ある意味瑙乃(と僕)の中でも一番おかしいかもしれない。
「……光年はわからんかったのか? 同じ体の中にいたんじゃろう」
 ロリババア口調を取り戻したカリンちゃんさんが訪ねると、光年くんの人格が出てきた。
 髪がしゅるしゅると巻き戻りのように縮んでいくから非常にわかりやすい。
「いたた……それが、初代様の人格が、なんか……俺より若干上位人格っぽいと言うか、心の機敏みたいのはなんとなくわかるんだけど、嘘とか冗談を言ってるかはちょっと判別がつかないんだよね……」
 とだけ言って、早送りのように伸びていく髪。引っ込んだ様子だ。 
「はぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー…………」
 十秒にも及ぶ、これまでの初代様に振り回された人生の呪詛と諦観が入り混じったような大きなため息をその場で吐くカリンちゃんさん。
 心中お察し致します。
「光時」
「はい……」
 冷たい呼びかけに、縮こまった返事。
 亭主関白がどーこー言ってたのはどこへやら、今やすっかり立場は逆転。カカア天下となっていた。
「光姫以外誰一人として笑って誤魔化されちゃくれんようじゃが……お主はこれからどうするつもりじゃ? この場をどう収めるつもりじゃ?」
「どうしましょうかねェ……へへへ」
 揉み手までして卑屈に笑う瑙乃家の祖、最強の祓魔師、日ノ本一にして全銀河一の男尊女卑|差別主義者《レイシスト》大統領。
「あ?」
「ひィっ……」
 なっさけねぇ……。
 初代様はいよいよ観念したようで、その場に平伏した。

「……この度はわたくし瑙乃光時の意地っぱりな性格により、瑙乃家及び関係者の皆様方に多大なる迷惑をおかけ致しましたことを、深く陳謝いたします……」
「全くだよ……」
「……私は忙しいんですからね。現当主なので。あまり手間をかけさせないで頂きたい」
「はい……ごめんなさい……」
 とりあえず許す、おっさんら二人。
 一旦顔を上げて、今度は僕と光姫さんに向かって頭を深々と下げる。
「みーのくんと光姫ちゃんにも、あらぬイチャモンやらNTR未遂やらふっかけて本っ当に申し訳ごぜーませんでした……あと光年も身体勝手に使って好き放題してマジでごめんな……」
「いえ、私は、特に……ちょっとだけ、びっくりした、だけですので……」
「……僕がやらかした数々の狼藉をチャラにしてくれるなら文句ないです」
「チャラにか……うーん……チャラかぁ……」
 あんだけ好き勝手されたもんだからちょっと考えてはいるものの、立場的に断れる感じでもないだろう。
 光年くんも特に言う事はないようなので、残る相手は一人となった。
 この場にいるほとんど全員、自分に対する謝罪なんて大した事でもなかった。
 真に重要なのは、彼女に対する言葉。
 七百年間、ずっと想い続けてきた……置き去りにされた、妻への言葉だ。









「……あー、花凛、よォ……」
「……なんじゃ」

 他の人物への謝罪とは、わけが違う。
 それは……濡尾花凛が待ち続けていた一言であって。
 母性の中に孤独を抱える瑙乃光女と言う人物を知る瑙乃一族の、悲願にも等しかった。

「ほら、その……俺の言いたい事、わかるよなァ……? わかるだろ……?」
「わからん。全くわからん。男らしく、はっきりと言え」

 最強の祓魔師も、最悪の妖怪もこの場にはいない。
 おいてけぼりにされてすねた女の子。
 それと、おいてけぼりにしてしまったことを後悔する男の子。
 そんなやりとりだった。

「い、意地悪言わないでくれよォ……。
 俺がこういうマジな雰囲気苦手だッてのは、知ってンだろ……」
「お主がわしにした悪逆非道の数々に比べれば、この程度……なんてこともないわ。
 ……言えんなら、疾く失せよ」
「ぐッ……」

 素直になりたくない少年と、素直になどなれるはずもない少女。
 どちらが先に折れるかなど、明白だった。

「……あーーーーーーーーーーーー!!! わかッた!! わかッたよもうッ!!!」

 初代様が、立ち上がってカリンちゃんさんをおもむろに抱きしめる。 









「……寿命分も生きず、いきなり死ンじまって……。
 
 ずッと、何百年も置き去りにして、悪かッた……。

 ごめんなぁ、花凛よォ……。寂しかったろォなぁ……。

 俺がお前の事を使い捨ての肉穴なんて思ってるわけ、ねェだろう……。

 お前以上に、俺の妻にふさわしい奴なんて……この世にもあの世にもいやしねェよ……。

 俺は、厳密には本物の瑙乃光時とは別人にはなるがよォ……。

 本物でも偽物でも、想いは同じだ。ずっと前から思ってたし、今も思ってる。
 
 ……愛してるぜ、花凛。これまでも、これからも、ずっとだ……」





 それは。
 僕などとは比べ物にならない程の悪ふざけと冗談と嘘に生きた人の。
 本心からの、台詞だった。





「………………。
 ……ば、か……」


 カリンちゃんさんは、その温もりに顔を埋める。


「……ばかっ、ばかっ、ばかっ、ばかっ……!!
 へんたいっ、きちがいっ、おんなたらしっ、くそおとこっ……あんたっ、なんてっ……ずっと、きらい、だった、んだから……っ!!」


 まともに言葉になっていたのは、そこまでだった。






「う、う…………。
 
 うわああああああああああああああああああああん!!!!!!
 
 ああああああああああ、ああああああああああああっ!!!!!

 ざびじがっだ、ざびじがったよおおおおおおおおおお!!!!!

 なぁんで、がっでにぃ、じんじゃうのよおおおおおおおおお!!!!!!

 なぁんでぇ、あだじをぉ、おいでっだのおおおおおおおおお!!!!!!

 ばがっ、ばがっ、ばがあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」







 幼子のように泣き喚く、瑙乃の大母。


「おぅ……そうだなァ、馬鹿だったよ、俺はよォ……
 
 ……ごめんなァ、花凛……」


 七百年分の涙を流す恋人を、男はただ抱きしめ続けていた。
85, 84

  

「……瑙乃が変わる時が来てンのかもなァ」
 散々泣き喚き、疲れて寝息を立てているカリンちゃんさんの頭を柔らかく撫でながら、初代様は呟いた。
 帰り支度をしているおっさんと仕事に戻るつもりだった光空さんの目が、そちらに向かう。
「度重なる不測事態……瑙乃から離れた光海がみーのくんに出会い、みーのくンが瑙乃の娘、光姫に出会ッた。そして何よりも……光年の存在だ」
 初代様の口から、意外な人物の名前が出てくる。
「光年くんが……イレギュラー?」
 思わず口に出してしまう僕。
 彼は、重度のモデラ―で、お姉ちゃん想いなだけのただの……瑙乃の人間であることを除けば……中学生では?
 そんな問いかけに、初代様は『全くこれだからお前は道化なンだよみーのくんよォ』とでも言いたげに嘲笑した。
「全くこれだからお前は道化なンだよみーのくんよォ」
「今の流れで口にする必要なくないですか?」
 僕のツッコミを初代様は完全に無視する。
「俺と花凛の口ぶりからわかっちゃいるとは思うが、俺……瑙乃光時のコピーなンざ、本物が死んでから七百年……一度たりとも出てきちゃいねェ。
 恐らくだが、意識だけなら歴代の瑙乃も知らず知らずに生んでいたンだろう。それが積もり積もって、おおよそ元の100%に達したところで『俺』になッたわけだ。
 だがな……100%に限りなく近い『瑙乃光時』を再現できるやつは、つまり。
 原初の紫……その器に至る土壌を身体に宿している、ッてなわけだ。それも、精通したてのジャリガキの分際でだ」
 精通したてって事はないだろ。
「早い話が光年は瑙乃史上稀に見る大天才、珠玉の麒麟児ッてことだな。
 どこぞの性格も体質もまっっっったく祓魔師に向いてねェがツラだけは可愛いポンコツお嬢様とは違ッて」
 初代様の意地悪ったらしい目が、彼女へ向く。
「?」
 彼女……顔だけは本当に美少女極まりないぽんこつはらぺこたぬき娘は、ドーナツを齧っていた所に視線を感じ、初代様と僕を三回ほど見比べてから。
「……今の、私の……話だった……?」
 と、ようやく思い至る。
「顔が、可愛いって……言ってる所は、聞こえた……」
 と恥ずかしそうに言う光姫さんに、初代様は『あァもうそれでいいや』と適当に纏め、話を戻す。
「このタイミングで光年と言う天才が生まれ、|光時《おれ》の意識が表に出たのは……恐らく、偶然じゃあねェと思うのよ。
 瑙乃のシステムの、僅かながらの綻び……きっとそれは、近親相姦で遺伝子がどーのこーのとかじゃねェ。もっと単純な話だ。
 ……やっぱり、花凛の、メンタルの問題なんだろうなァ……」
 まだ頬に湿り気を残している彼女を見て、僅かに顔を伏せる初代様。
 おっさんも、光空さんも。思い当たる節があるのか……きっとこれまで見たこともないだろう穏やかな寝顔をした彼女を、神妙な面持ちで眺めていた。

「花凛がダメになったから、代わりの光姫が生まれた。
 じゃあ、お勤めは終わりだ。ご苦労花凛よォ。もう楽になっていいぜ。
 そんでもって光姫、これからはお前が瑙乃の器だ。
 強い祓魔師をポンポン産ンでくれよなァ……

 ……よくできてるぜ。俺が作ったシステムながらよォ」
 吐き捨てるようにそう言って、自虐的に笑った。

 初代様は……きっと、ここまでのことを想定していない。
 瑙乃光時……いや、彼が瑙乃になる前の『紫の守』を何度も転生させてきた何らかの意思。
 それが、瑙乃に……未来永劫に至るまで戦い続ける存在であることを強いている。
 そんな気がした。




「瑙乃が変わる……いや……


 ……瑙乃が終わる時が、来てるのかもしれねェなァ……」



 初代様は、頭を掻いて笑った。
 今度は、先程までとは異なり。悪ガキのように……心底楽しそうな笑みを浮かべていた。
 それは、どういう……?
 僕たちの疑問よりも早く、初代様は続ける。



「花凛が辛いなら、もう役割は終わりだ。だがな……光姫も、勝手気ままに生きやがれ。

 たかが日ノ本の危機なンざ、|瑙乃《俺達》の知ったこッちゃねーっつーの」





 短い付き合いでも、よくわかる。
 
 ……初代様は、こういうやつだ。 

「しかし、それでは……!」
 案の定と言ったところか、光空さんが口を挟んだ。
「空よォ」
 それを、初代様は。

「おめー、日ノ本と|妻子《あいつら》、どッちの方が大事よ?」

 悪戯っ子の一言で、止めて見せる。
「……ッ!」
「俺は花凛だ。光姫だ。光空だ。光年だ。おまけに、俺は優しいから光海も入れてやる。
 ああ……ついでにそこのアホも瑙乃の|婿養子《さおやく》候補だったかァ……。そうだったな……。
 ……まァみーの君は別にいらんわ」
「この流れで僕外すの!?」
 あーうるせーうるせーとツッコミを遮られる。
 まぁ、そりゃこの家族の輪に入れる程の関係じゃないけどさぁ……
「『これまで役割を演じさせられといて今更かよ』たァ思うだろうがよォ……俺達に押し付けすぎなんだよ、なんでもかンでも。
 一族ひとつを犠牲にして成り立つ平和なんぞ、そもそもが馬鹿馬鹿しい話じゃァねぇか」
「……まぁ、ね」 
「考えないようには、していましたが……」
 おっさんら兄弟も、その言葉に思う所はあるようだ。

「俺は神だってなんだって、日ノ本の安寧の邪魔になるなら倒してきた。
 何十体か何百柱か何千個か、数すら覚えてねェ。
 だが、本当に日ノ本に誰もが信じ敬う『神様』なんてもンがいるなら、それはきっと……
 『誰かが自分の代わりに傷ついて、巨悪を滅ぼす役割をしてくれるといいな』って言う、なっさけねェ他力本願の塊なンじゃねェかって思うのよ」

 それの犠牲者が、瑙乃だと言うことか。
 初代様の言っている事は思い付きの仮定、荒唐無稽な作り話……のはずなのに。
『そうやって何千年何万年と生きてきた』人物の言葉だからか。
 僕はその作り話に、妙なリアリティを感じていた。

「そうだとしても、そうじゃねェとしてもだ。このシステムはもう俺が破棄してやる。
 俺は与えられた役割を『仕方ねェな』で済ます上、面倒になったら惚れた女に押し付けるよォな、てきとーで無責任な奴だが……

 花凛が嫌だと泣くんなら。
 それを認めんと、エラいエラい『日ノ本の意思』サマが遮るンなら。












   ・・・・ ・・・・・   
 俺はこの手を、下に向ける。


 ――なンせ俺は、どーしよーもなく……無責任だからなァ」









 初代様は、そう言って。
 U字を作った指の間から、菫色を覗かせた。

 短い付き合いでも、よくよくわかる。
 
 ……|初代様《こいつ》は、|こういう《マジでやる》やつだ。 


「あほう」
「あてっ」
 そこで彼は、頭をぽかんと殴られる。
 当の本人……起き上がったカリンちゃんさんによって。
「なンだ、起きてたのかよ」
「今しがた目が覚めた所じゃ。儂が寝てる間に、勝手に話を進めるでないわ」
 未だ目が腫れぼったい彼女は、どっかと男らしく胡坐をかく。
「おお、じゃァ起きたとこで進めンぞ。瑙乃は今日をもって、解体――」
「儂は別に、この役割をやめたいと思っているわけではない」
 え、と初代様が間抜けな声を出した。
 カリンちゃんさんは、ふんすと腕を組んで言い張る。
「……どこぞの阿呆のせいで、苦労ばっかりしておるがの。
 腹を痛めて産んだ、瑙乃の子供達は……みんな、誰一人、例外なく……可愛いのじゃよ。
 揃いも揃ってまざこんでろりこんの、どうしようもない性癖しとる上に、母親よりも早く死んでしまう親不孝……まるでどっかの馬鹿のような女泣かせ共じゃ……。
 ……産んで、育てて、看取って……寂しい時も、悲しい時もあった。
 あったが……それよりも、沢山……いい思い出を、貰ったから……。
 儂は、瑙乃の器でいい。
 いや……瑙乃の器で、いたいんじゃよ」
 その笑みは、母親が子供に見せる微笑みだった。
「お前、は……それで、いいのかよ」
「ああ」
 初代様は、複雑な表情を浮かべていた。
 罪滅ぼしができない事を悔やむような。
 彼女の七百年間が、不幸だけでなかった事を安堵するかのような。
「儂が不満なのはお主の甲斐性のなさだけじゃ、阿呆め。
 役割だの日ノ本の意思がどーこー言う前に、まず自分の性格を鑑みよ」
「……」
 返す言葉もない初代様。
 全くその通りである。
「まぁ最初に押し付けられたのは可哀想だとしても自分で嫁に押し付けといて嫁が泣いたから日本ぶっ壊すのは控えめに言ってキチガイだよね」
「元はと言えば、初代様が母上様と共に生きてさえすればこんなことにはならなかったのですからね」
「ぐフッ」
 おっさんら二人の正論が刺さる刺さる。
「あ……あのっ……」
 と、そこでぴょこぴょこと動くたぬき耳が。
 光姫さんが挙手して、初代様に指される。
「……なによ」
 彼女の口から出たのは、予想だにしていない言葉であった。



「私を……人間の寿命じゃなくて、不老不死にする、ことは……できますか……?」


「……はッ……?」
「何、を……」
「光姫……?」

 三者三様、発言に驚きを隠せない瑙乃達。
「お前、マジで話聞いてなかッたのかよ……? 瑙乃の器なら、花凛が……」
「そうじゃ、ありません……」
 光姫さんの視線が、カリンちゃんさんへと移る。
「お母様は、いつも、子供達に、先立たれて……可哀想です……。
 妖に近い、私なら……お母様の寂しさ、を……和らいで、あげさせられる、かも……」
「光姫……」
 光空さんは、その言葉を聞いて……心配や不安よりも、嬉しさが勝ったようだった。
 もしも娘が人間らしく生きたいと言ったなら、そうさせてあげたかったのだろう。
 その彼女が、寂しい母親のために一緒にいてあげたいと言った事に、泣き笑いのような顔をしていた。
 恐らく……自分ではしたくてもできなかったことだけに、その気持ちは大きい。
「光姫ぇ…………!!!!!」
 対して、カリンちゃんさんはまたしても涙腺を緩ませ切っていた。
 感極まって自分よりも大きい娘の身体にダイブする姿は、とても母親には見えない。
「お前さんはほんとぉ~に……いい子じゃなぁ……!!
 こんな……こんな優しい娘がこの世にいるなんて、信じられんわぁ……!!!
 あの馬鹿の遺伝子を継いでいるなんて、とても思えぬ……!!!」
「いちいち俺へのディスを入れんじゃねェよ……!!」
 いやでも僕もそう思うよ。
「しかし……不老不死と言うのは、やはり、色々と辛い事も多いぞ……?
 お前さんの気持ちは嬉しいがな、ちゃんと自分の人生を……」
 見上げるカリンちゃんさんに、笑いかける光姫さん。

「……大丈夫、です……。
 ……お母様と一緒、なら……私は、なんだって……乗り越えられます……。
 お母様の、こと……大好き……です、から……」

 その表情に、迷いの色はなかった。

「…………。
 ………………ッ!!!」

 しばし言葉もなく、幸福の絶頂にいるかのような顔で光姫さんに抱き着いていたカリンちゃんさん。
 は、唐突に僕の方に殺意100%の鋭い眼光を向けてきた。
 また失禁するハメになるところだったのでそういうのやめてほしいです。
「光姫はやらんッ……やらんぞッ……!!
 お前のような気狂い全裸に、うちの可愛い可愛い光姫をやってたまるかッ……!!!」
「うっ……」
 奇行を掘り返されると弱い僕。
 光姫さんの好感度は大丈夫でもカリンちゃんさんの好感度は下がりますよね。そりゃ。
「お、母様……みーのくんは、私たちのために……頑張ったので……。
 嫌わないで、あげて下さい……」
「そ、そうは言うがな……」
 愛娘の説得にたじろぐカリンちゃんさん。
 そこで口を開いたのは光空さんだった。
「……母上。光姫の好きなようにさせてあげましょう。
 恋も知らずに育つ女の子ほど、不幸なものはありません。
 それに……男の趣味の悪さなら、貴女もいい勝負でしょう」
「てめェもかよ、光空……!」
「まぁ……この場合瑙乃全体を指してもいるけどね……」
 意外にも、父親の光空さんは光姫さんの背中を押してくれた。
 彼とて、彼女が可愛い事に違いないのに。
「実くん。うちの娘は、ちょっと色々と普通ではないが……
 本当に、いい子なんだ。親馬鹿ながらね。
 ……どうか仲良くしてやってくれ」
 ……そうか。
 彼女は……恋人以前に、友達を家に呼ぶことさえもできなかったのか。
「……はい。もちろんです」
 僕は力強く頷いた。
 いつかカリンちゃんにさえ認められる、立派な男になるように。



「じゃあね、みーのくん……」
 気が付けば、外はすっかり暗くなってしまっていた。
 今日は人生で一番長かった一日だ……今のところ。
「うん、また明日」
 手を振り、門から出て左に曲がって歩いていく僕。
「……しっかし、凄い広さだな瑙乃の敷地……」
 数十では効かない、数百m単位のクソが付くほど長い塀がずーっと道沿いに聳えている。
 絵に描いたような金持ち表現だ。
 と、その上に座っている影が一つ。
「よォ、みーのくン」
「初代様? どうしたんすか?」
「いやァ、ちょっとだけ言いそびれたことがあってな」
 月下で笑うその姿は、その紫は。
 どこかと言うべきか、やはりと言うべきか。人ならざる雰囲気を帯びていた。
「光年も関係あるから聞いとけ。……花凛がいいッつったから、瑙乃の器の事に関しては片が付いたがよォ。
 それでも、今の祓魔の構図はあまりいいもンじゃねェ」
「構図?」
「おォよ。瑙乃が巨大な敵を打ち倒し日ノ本の危機を救う傍らで、他の祓魔一族がその残りカスを掃除する……。
 やっぱりどう考えてもバランスは悪いよなァ」
「まぁ……そうですね」
 とは言っても、力の差がありすぎるから仕方ないと言いますか。
 その点に関しては、改善は難しいのでは……。
 そう思う僕に、初代様は続ける。
「改善なンて言うつもりはねェ……改革だ。
 使えそうな祓魔一族……二位から二十一位……あァ、新しく一個入るから二十二位か。
 その二十二位までを全て、数年で『神罰』に仕立て上げる。
 それがお前と、光年と、光姫の……『役割』ってやつだな。
 



 期待してるぜ……




 ……詩屋家当主、実さンよ」




「は!?」



 にっしっしと笑ったまま、闇に溶ける初代様。
 

 なんか、よくわからないけど……ロクでもないことを押し付けられた気がする。


 短い付き合いでも、よくよくよくよくよくわかる。










 
 ……初代様は、そういうやつだ。



(完) 
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